(この小説には残酷な表現が含まれます)
夜毎、私は恐怖にさいなまれる。ほかでもない、生きることへの恐怖。
あたたくてやわらかな布団、プライベートを保障するしずかな部屋、五分歩けばコンビニがあって食べ物が手に入る。これほど満たされているというのに、私は明日をむかえることが不安でたまらない。生きていて楽しいことなどなにもない。日々を暮らすということが、私にはただ重圧でしかない。
こうした夜を、はたしてあとなん回くりかえさなければならないのだろう。これから年老いて死ぬまでの気の遠くなるほど長い年月を思って、ますます恐ろしくなる。
逃れる手段はただ一つしかない。もし死ぬことができたなら、体も心もなにも無くなって、きっと楽になれる。そうだ、いったいなにをしているのだ。明日が来る前に、はやく死んでしまわなければならないじゃないか。
私のような出来そこないの存在を許してくれるほど、世界は優しくなかった。ただ、世界は選択を私にもとめる。死が向こうからやってきてくれればどれほど楽だろうか。けれどそうはいかない。私はこれから、自ら死ぬよりほかにないのだ。
寝巻きで裸足のまま、あてもなく部屋をとび出す。強烈なたえがたい衝動だけを携えて……
お父さん、いままで育ててくれたのにごめんなさい……でももう私だめなんだ。私が死んだらお兄ちゃんは泣いてくれるかなあ……
かたくて痛いアスファルトを踏んで、ふらりふらりと歩く。ぬるい風はほほを乾かさなかった。
ところが、私ははやばやと立ちすくむ。
深夜、人通りのない道に、街灯に照らされた大きな背があった。それがぬうと振り返る。顔には黒い穴が二つならんだ大きなマスクをかぶっていて、手に大きな斧みたいなものをにぎっている。それは私に気づくと、ずんずんと近づいてくる。
私の直感が告げる。この人はぜったいに危ない人、きっと通り魔かなにかに違いない。こわい。殺される――笑わば笑え。私はそのとき、自殺衝動など一瞬のうちに忘れてしまって、逃げだしたくなったのだ。こんなやつに殺されるのだけはいやだと思ったのだ。それなのに体がいうことをきいてくれない。腰がくだけてしまって、地面にへたりこむ。
ふるえる肩を、通り魔の大きな手につかまれる。
その感触におどろいて私はさけぶ、「ひやアア――ッ」しずかな夜にけたたましい悲鳴をひびかせてしまう。私こんな大きな声も出せたんだ。
しかし通り魔はそんなことにかまわず、おもむろに大きな斧をふり下ろす。
とっさに頭をかばった腕に激痛が走る。
「ぎゃア――ッ、いたい、腕、私の腕……」
みれば腕は大きく裂けていて、血が吹き出ている。
通り魔の手をはねのけて、がむしゃらにもがく。道をもと来た方へ、みすぼらしく這いつくばって逃げだす。
しかし通り魔はそんな私を逃がさなかった。
後ろから背中を一撃。どこまで深くいったのかしらん。息ができなくなる。
四つんばいになった太ももをもう一撃。ちぎれたらどうしよう。私は倒れる。
通り魔の足蹴で仰向けになおされて、腹を二、三度えぐられる。そんな風にしたら人間に必要なものが壊れてしまうかもしれない。
……もうやめてください。おねがいします。本当に痛いんです。死んじゃいます。いやだ。死にたくないよう。なんで私なんだろう。いやだよう。
それらは声にさえならなかった。
大きな刃物がもちゃがってはおちてくる。もちゃがってはおちてくる。ざっく、ざっくざく。なんだか斧って律儀だなあ……
ふと、通り魔のマスクの穴の奥に血走った目玉をみつける。笑っているんだろうか、泣いてるんだろうか、怒ってるんだろうか。
もう痛みはあまり感じない。ただ通り魔が、私という物体を丁寧に壊していく、そういった様子がなんとなく他人事のように感じられるだけだった。