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タグ: | 【ポケモン】 【副題:未来を切り裂く牙捨てるような奴らに興味はない】 |
この地位になってから、頭を数え切れないほど下げられてきた。
自分が『その中』を歩けば、誰もが怯え、誰もが恐れおののく。そして、条件反射を仕込まれたパブロフのガーディのように、頭を下げる。
こちらが反応を返せば、熱を籠った視線が背中に突き刺さる。返さなくとも、色の入ったため息の音が聞こえて来る。
奴らにとっては、俺の言うことが全てなのだ。俺の存在こそが、全てなのだ。だから俺の命令には必ず従うし、実行しようとする。
……どんなことでも。
何処かの企業を襲えといえば、彼らはすぐに実行する。ポケモン達を千匹捕って来いといえば、二十四時間以内にそれは成し遂げられる。
いつからか、俺は奴らが皆同じに見え始めた。命令のみに従う、忠実なアンドロイド。
辛うじて区別がつくのは、奴らを纏め上げ、俺に直接報告できる立場である、幹部だ。だが奴らも、俺の命令とあれば何でも行う。返事は『YES』か『はい』だ。俺がそう設定した記憶はない。
いつの間にか、そうなっていたのだ。
そんな奴らに嫌気が差し、俺は表舞台に立つことを止めた。幹部達が持ってくる書類や、警察の動向、そして一日のスケジュールを確認し、たまに息のかかった場所へ赴き、彼らへの『確認』をするだけになった。
以前読んだ物語に、カロス地方で活動する、ある怪盗の話があった。
そいつは何でも盗んで見せる。カロス一高い建物、プリズムタワーだって盗めるし、どんなに厳重に警備されている宝石でも、いとも容易く盗んでしまう。
そんな怪盗の話はどんどん広がり、最終的には数百人の部下を持つことになる。
だが、それでは終わらない。
それだけ部下がいるということは、当然、全員に目が行き届かない。ある者は自分を騙って詐欺を働き、ある者は自分を題材にした本を書き、億万長者になった。
当然、怪盗は頭を悩ませる。だが、自分ではもう止められないほどに、名前が売れてしまっていた。
俺はこれを読んだ時、その怪盗の気持ちが分かったような気がした。ただ、この男と自分が同じだとは考えなかった。
少なくとも、今の所奴らは俺に対して何も迷惑はかけていない。俺の名を騙って別に悪事を働く奴も、この組織の秘密の暴露本を書いて一儲けしようと企む奴もいない。
……まあ、俺の手を煩わせるまいと、発覚した時点で俺には報告せずに幹部の手で制裁が行われているのかもしれないが。
この『組織』を作って、数年が経ったある日のことだった。
幹部の一人が、任務の失敗を報告してきた。
そいつには、カラカラの頭蓋骨の密漁を命じていた。カラカラの頭蓋骨は、骨董や加工製品として国外でも人気が高い。
裏で裁けば、かなりの資金になる。
だから俺は、シオンタウンにあるポケモンタワーに部下達を向かわせ、そこに生息するカラカラ達を一匹残らず密漁し、頭蓋骨を回収させようとした。
初めは順調だった。少なくとも、途中経過を報告しに来る部下の顔色は、健康そのものだった。
……だが。
奴らは失敗した。報告書には、一人の年端もいかないトレーナーの妨害により失敗と書いてあった。
そいつは、シオンタウンに来たその日に、今その街で何が起こっているのかを住民から聞き、単身乗り込んで来たらしい。
……いや、単身ではない。ポケモンも一緒だった。だがそのポケモンも、特別レベルが高いというわけではない。
むしろ、進化していないのがほとんどだったという。
そのトレーナーは下っ端達を退け、上にいた幹部まで倒し、残りのカラカラを救った。そして、こいつらは失敗を確信し逃げて来た。
写真はなかった。だが、幹部や下っ端の証言から、そのトレーナーが女であることが判明した。
年端もいかぬ、小娘だと。
そのトレーナーはその後も、度々組織の邪魔をした。
挙げて行くとキリがない。幹部は何度か顔を合わせ、ついに向こうに顔を覚えられてしまい、会った瞬間、『あ、この前の』と言われてしまったという。
笑顔で。
それでもってあっさり退けるのだから、幹部は情けないやら惨めやらで、良い歳して泣いたらしい。下っ端が話していたことには。
その下っ端達も、ひどくそのトレーナーを怖がっていた。ある者はポケモンバトルしている最中に殴られ、またある者は団員服を剥ぎ取られそうになり、更にある者は所持金を全部持ってかれたという。
ここまで聞いて、俺はそのトレーナーが正義の味方ではないことを理解した。むしろ、俺達の方に近いのではないか、とまで考えていた。
だが、奴は決して俺達と交わることなく、平行線の状態で接触して来た。
そして、その時は訪れる。
次の作戦の計画を練っていた俺は、アジト内に響き渡るサイレンで我に帰った。
――侵入者あり。
俺が設計し、俺が決めたサイレンだ。続いて、部屋内に設置された電話から、幹部の焦った声が聞こえた。
その幹部は、俺が特に信頼を置いていた男だった。頭脳、実技、部下からの信頼性。そして情をかけない冷酷さ。全てにおいて完璧だった。
その男が、別人かと思うくらい焦った声で、俺に報告する。侵入者です。下っ端達が次々と蹴散らされています。このまま行けば、ボスの元へ辿りつきます。
焦ってはいたが、状況をきちんと把握し、どもることなく俺に伝えて来る姿は、部下の鑑と言えるだろう。だが、次に出て来た言葉に苦虫を噛んだような顔になったのは、無理もあるまい。
「私共が食い止めます! ボスは裏から――」
「この俺が負けるというのか」
驚くくらい、冷たい声が出た。受話器の向こうで、そいつが息を呑んだのが分かった。
その音を聞いて、俺は笑った。そうだ。それでいい。俺がどんな人間かは、お前達が一番良く知っているだろう。
数秒後、幹部の声が聞こえた。
「――『もう一つのアジト』に、全てのデータを移させます」
「分かった」
「あの、ボスは――」
この場にそぐわない、明るい声が聞こえた。女の声だ。だが、本物の大人ではない。大人と子供の中間点。どんなに無謀だと周りが叫んでも、決して聞く耳を持たず、そのまま突っ走って行く――。
誰も、止められない。じゃじゃ馬。
まだ何か言っている電話を切り、俺は振り向いた。
白い帽子、袖を大胆に露出した水色のタンクトップ、オレンジ色のミニスカート。足にはルーズソックス……今はレッグなんたらというのだろうか。
一人だけで突き進むことは到底不可能だと思われた。ポケモンに助けられてきたのだと分かった。
そうでなければ、ここに五体満足で来られるわけがない。
「――ここが、最深部」
帽子を脱いだ。濁り一つない目が、俺を真っ直ぐ見据える。怯えは微塵もない。
しばらく睨み合いが続いた。
先に口を開いたのは向こうだったが、そこから漏れた言葉は、俺の予想斜め上を行っていた。
「“――桃李は 言わざれども 自ずから 蹊を成す”」
海外の格言だ。その言葉の意味を思い出そうとして、俺は口を開いた。
「こんな場所まで乗り込んでくるとはな……」
「皆、アンタのことをすごいって言ってた。 アンタの名前を連呼しながら、散って行ったよ」
「……」
「大丈夫。 私にそんな度胸、ない」
相手が笑った。
「サ カ キ」
「――ずっと会ってみたいと、思ってた」
あれだけの人間が傅く人間が、一体どんな人なのか。
『桃李は言わざれども自ずから蹊を成す』
――桃や李は美味しい実を付けるから、何も言わなくても、その木の下には自然と人が寄って来る。
徳のある人間の下には、何も言わずとも人が集まってくることのたとえ。
あの怪盗は、カロスはミアレの小さなカフェで、美しい娘と会話をする。
その娘は、隣に座った青年が、その怪盗だと一発で見破る。今までどんなことにも驚愕しなかった怪盗は、何故分かったのかと彼女に聞く。
彼女は言った。
『だってわたくしは、怪盗ジバゴ様を愛していますもの。 この世界の誰よりも愛していると、自信を持って断言できますわ』
そうして彼女は、怪盗に天使よりも美しく微笑んだ。その微笑みを向けてもらいたいがために、怪盗は無一文、裸一貫で出直すことを決める。
――だが、俺にとってはこのトレーナーの微笑みは、天使なんて可愛らしい物には見えなかった。
「バトル、しようよ」
契約と引き換えに魂を奪おうとする……。
悪魔の微笑みだった。
寝起きの体を、誰かに揺さぶられている、気がする。
「・・・・うさん。おとうさん。ねぇ起きてってば。もう8時半だよ。」うすぼんやりとしたままの聴覚に、鋭い光のような声が刺さる。
閉じているはずの瞼越しに、なぜか真っ青な空が見えた。どこまでも澄み渡った、真昼の青空が。
「・・・・・んん」
俺は黙って寝返りを打った。青空の代わりに、眠りの世界の入り口が見える。・・・もちろん入るつもりは無いけれど。
「もー。起きてよー!遊園地しまっちゃうよ?ねぇだから早く早くー!」すぐ近くに”誰か”の気配。もちろん、俺の背中はわざと”誰か”に向けられている。
「ぁー・・・大丈夫だから・・・あと30分・・・」「だーめ!」
ドスッ、と背中に”誰か”が乗る。暖かみのある、幸せな重さ。予想通りの反応と予想外の重さに、自然と顔がほころぶ。
「おとーさん起きて!いっつもそれでお昼まで寝ちゃうでしょ!」
「だいじょーぶだって「だいじょーぶじゃない!!」
そして手が俺の肩にかけられて・・・
「うをうぉうぉ?!」肩ごとダイレクトに頭を揺さぶられた。「おーーきーーてーーよーー!おーーきーーてーー!!」おまけに耳にもダイレクトに大絶叫。容赦なく寝起きの頭は前へ後ろへ右へ左へ「わかったわかったわかったわかったから1回手ぇ離せ!!一旦降りろ!!」
「あ、うん」
ひょいと重みが無くなると同時に、俺の頭は枕に叩きつけられる。長年愛用の煎餅枕は、残念ながら衝撃を吸収してはくれなかった。
「いっ・・・てぇ・・・」
俺は背中を振り返る。
さんさんと窓から降り注ぐ日差しに映る、小さな、真っ黒い影。
「おはようおとうさん!!」
「あぁ・・・おはよう・・・・また力強くなったな」
俺は背中に乗った息子に、苦笑いで挨拶を返した。
窓の向こうからは誰かの笑い声。
今日は日曜日。どんな人も、ポケモンも、大切な人と思い出を作る、特別な日だ。
***
想像以上だった息子からのモーニングコールのおかげで、しばらくまともに歩けなかった。
おまけに当の本人は「じゃあ先朝ごはん食べてるね!」と無常にもリビングへ。
なので、おれはまだ布団の上で怠惰にゴロゴロとしている。少しだけ開いたドアの隙間から、パンの焼ける匂いがしてくる。
もちろん作っているのは俺ではないし、息子でもない。
「朝飯作ってくれてたのはありがたいんだけど・・・な」
俺は煎餅枕の枕元、オムスターの目覚まし時計を手に取る。7時にセットした目覚まし時計は、ジャスト6時59分59秒で針が止まっていた。
「・・・あいかわらず手の込んだイタズラを」苦々しい気持ちを噛み締めて、俺は布団から体を跳ね上げた。
少しだけふらつく足で、洗面所へ向かう。もちろんオムスター時計も一緒に。右手からカチカチという振動は伝わってくるものの、針が進んでいる気配は無かった。
真っ暗な洗面所では、洗濯機が回されている。ガタ、ガタ、と一定のペースで振動が伝わってくる。
もちろん、セットしたのは俺ではないし、息子でもない。
「親切なんだか不親切なんだか、な!」
俺は右手のオムスターを洗濯機に投げつけた。オレンジ色のボディに当たって跳ね返り、タオルの山にぼすりと埋まる音。衝撃で針がずれたのか、ジリリリリリリリリとオムスターが鳴き出した。
「おいロトム!何回目覚ましにイタズラすんなって言ったら分かるんだよお前は!」
キシシシシ!と洗濯機が洗濯機にあるまじき音で回った。喜ぶかのごとくガタンガタンと揺れも大きくなる。
「せっかくカントー土産で貰ったのによ・・・お前のイタズラで壊れたらどうすんだよ」
未だにオムスターは洗面所の奥で鳴き続けていた。タオルの山に埋もれているはずなのに、かなりの音量を保っている。そしてその山の中から、蓄光仕様の目玉がこちらを見つめている。
カントーの友人から貰ったこの時計は、寝起きの悪い俺にはそのうるささと不気味さが絶妙に丁度よかった。夜中、たまにこれとふっと目が合って、飛び起きることもある。
ちなみにカブトのデジタル時計もあるのだが、こちらはそれほどベルがうるさくなかったので普通の時計として俺の机に乗っていた。こいつも夜中、つい机でうたた寝をしてしまったとき、ふっと目が合って飛び起きる事がある。
一つため息をついて、俺は嬉しそうにガタガタと揺れ続ける洗濯機に言った。
「ベル止めて、時間も戻しとけよ。・・・今度やったら芝刈り機買ってくるからな」
慌てたように、背後でベルと洗濯機の音が止まる。一瞬の間の後、洗濯機は何事も無かったかのように静かに回り始めた。
「・・・さすがに庭のない家の芝刈り機は嫌か」
ロトムの慌てぶりが可笑しくて、思わず笑ってしまった。
そういえば着替えるのを忘れていたな、と昨日履いたジーパンを探していたが、洗面所に置きっぱなしだったことに気付いた。
さすがにまた洗面所にいくのは癪なので、仕方なくもう一本のジーパンを引っ張り出す。あれはまだ一日しか履いてなかったよな、と一瞬思ったが、ふと今朝の息子の笑顔を思い出し、洗い立てのジーパンに足を通した。
あんなに楽しみにしてくれていたんだ。こっちもそれなりの格好で行かないと父親として失礼だろう。
それじゃあもう少しよそいきでも着るか、と俺はこの間買ったシャツを探し出す。シンオウだかどこだかのデザイナーがデザインした、グレーと赤と金のチェックのシャツ。
向こうの伝説のポケモンをイメージしたらしいが、残念ながら俺はそっちのほうに明るくないのでどんなポケモンなのかは分からない。けれど金のラインのあしらい方と濃さの違うグレーの使い方がやけに格好よかったので、服に無頓着な俺にはしては珍しく、それだけを買いに店まで行った。
しかし、それが見当たらない。
「あっれ・・・おかしいな・・・」とりあえずクローゼットやらタンスやらの引き出しを、片っ端から開けていくが、どこにも無い。
「1回は着たから、袋のまんまってことは無いはずなんだけどな・・・・・・ん?」目の端に何かが映り、俺はふと机の上に目をやった。
そこには探していたシャツが、きれいに畳まれて置いてあった。その隣には昨日履いたばかりのジーパンも。俺は部屋のドアを振り返るが、もちろんきっちり閉まっている。
もちろん、持ってきたのは俺である訳がないし、息子でもない。
いや、この場合は息子でも出来るけれど、そんな事にわざわざ気付いてくれるほど繊細な心はまだ持っていない。
「あぁ・・・洗面所に置いてたのか、どっちも」シャツに袖を通しながら、俺は心当たりを探った。「・・・なるほどね」バッ、と襟を整える。
持って来てくれた奴には申し訳ないが、昨日のジーパンはタンスに戻した。
***
リビングのドアを開けると、朝のあわただしい匂いが飛び込んできた。
「デラッ!!」キッチンからはシャンデラの声。
「あ、やっとおとうさん来た」息子は既に朝飯を食べ始めていた。口の端にパンくずが付いているのが目立つ。
「シャンデラもおはよう・・・朝飯ありがとな」「デラ〜♪」フライパンを持ったまま、シャンデラがターンした。
もともと料理には興味があったらしいが、最近俺が寝坊がちになり朝飯を作れない日が増えたのを期に、どんどん腕を上げてきた。
もしかしたら今朝のアレはコイツが朝飯を作りたいあまり、ロトムと共謀したのかもしれない。そう一瞬思ったが、心のうちにとどめておいた。
俺は息子の向かい側に座る。カウンター越しにシャンデラがコーヒーを出してくれる。「おい、流石に今朝のはやりすぎじゃなかったか?しばらく立てなかったぞ」
「ごめーん。あんまりにも楽しみで、つい調子乗っちゃった」
謝る気の一切無い顔で、息子はパンをほおばる。「だって久しぶりのお出かけだよ?」
「あぁ・・・そうだな。でもお前もおっきくなってきたんだから、力の加減には気をつけるようにしろよ」俺はコーヒーを一口すする。「はーい」息子はもう一口パンをほおばる。
シャンデラが用意してくれた朝ごはんは、なかなかに豪勢だった。
焼きたてのパンに、赤色のミックスジャム。ホットサンドにも出来るようフルーツまで切ってある。おれならジャムかフルーツかの二択だから、こうはいかないだろう。
一口大のクッキーはポケモン用だろうか。上に少しずつブリーのジャムが乗せられているあたりに、俺は普段の適当ぶりを反省する。
真ん中には多めのサラダ。焦げがないから、こっちはヨノワールが作ってくれたのだろう。
サラダボウルを置いてから、隣に座ったヨノワールが視線だけこちらに寄こす。俺の格好を一瞥すると、何も無かったかのようにパンに手を伸ばした。
「ヤッミ〜♪」
ヤミラミが焼きたてのハムエッグを運んできてくれる。もちろん、焼き加減は黄身が流れないくらいの半熟。息子はパンの上に固焼きのハムエッグを乗せようとしていた。
「・・・サイズ的に無理じゃないか?」「いいの!」バターロールになんとか卵は乗ったが、案の定ズルリと滑り落ちた。「ああー!」ヨノワールが少しだけ笑った。
「今笑わなかった!?ねぇ!」プイとヨノワールは明後日の方を向いた。おどけたようなその素振りに、ますます息子は怒り出す。「なんなんだよー!」
「今のは無理したお前が悪い。な?」「ヤミ。」「デラ。」席に着いたヤミラミとシャンデラも頷いた。
「おとうさんたちまでそういうこというの!?もー・・・」ぶすくれた顔で、息子はひしゃげたハムエッグを口に入れた。
「・・・おいしい」
シャンデラが満足げな顔を浮かべたのが分かった。
さすがに全部皆に任せて出かけてしまうのは忍びなかったので、俺は後片付けをしていた。息子は部屋で遊園地に持っていく荷物でも考えているのだろう。
そんなわざわざ支度するほど特別な場所ではないはずだけれど、息子に言わせれば「久しぶりのお出かけだから」らしい。
俺の脇を皿を抱えたヤミラミが通り過ぎようとする。
「あーあーいいいい。そこは俺がやっとくから」「ヤミ?」「お前たちに任せてばっかじゃ、俺の気が済まないんだよ。ただでさえ今日は留守番頼んだし、寝坊しちまったんだからさ」
俺はベランダに目を向ける。
「・・・まぁ寝坊したのは俺のせいじゃないけどな」ベランダには洗い立ての洗濯物が翻っている。
もちろん、干したのは俺ではないし、息子でもない。
「だからいいよ。休んでな」「ヤミィ・・・」それでもヤミラミは、皿をしまってから向こうへ行ってくれた。リビングでは、言ってもいないのにヨノワールがテーブルを拭いてくれていた。
「あ」「・・・・・・・ヨノ」こちらと目が合った瞬間、すうっと姿を消す。既にテーブルはきれいに拭かれていた。
「・・・やれやれ」そういいながらも、俺の頬は自然に緩んでいる。
周りの奴らには、お前の手持ちはゴーストばっかりで怖いだとか不気味だとか言われるが、そんなに恐ろしい事をされたこともないし、毎晩うなされる訳でもない。
他の奴らは幽霊は夜しか動かないと勘違いしているらしいが、幽霊だって早起きするし、朝ごはんまで作ってくれる。
魂や命のために一緒にいるのかもしれないが、あちこちさりげなく手伝ってくれているあたり、本気で魂を奪おうとはしていないらしい。
たまに妙なイタズラも仕掛けてくるが、それもまた一興だ。
ゴーストとの暮らしが一番いいとは言わないが、こういうすこし奇妙な奴らとの生活のほうが俺には合っている気がする。
もしこいつらのせいで早死にしても、俺は文句を言わないだろう。あれだけ手伝ってくれているんだ。”お小遣い”くらいケチるつもりはない。
「・・・よし。終わりっと」
最後の皿を戸棚にしまってから、俺は息子の部屋に向かって声をかけた。
「おーい。片付け終わったからそろそろ出るぞー」
「あ。待って!」部屋から息子が飛び出してくる。
時計を見れば、もう9時半過ぎ。窓の外には抜けるような晴天。
遊園地に出かけるには、最高の時だろう。
***
「わぁーーーーーー!!」ゲートをくぐって第一に、息子は大声で叫んだ。
ジェットコースターに、大観覧車。
メリーゴウランドにコーヒーカップ。
カラフルなテントの前にはピエロと相棒のキルリアが一匹。
おんなじように笑い、駆け回る子供とポケモン達。
誰かの飛ばした風船を、ハトーボーが捕まえて戻っていく。
一緒にアイスを食べる親子のポケモン。
手を繋いで歩く人のカップル。
空にあふれるさまざまな鳴き声と喚声と笑い声。
「おとうさん!一緒に観覧車乗ろうよ!あ、でもジェットコースターにも乗りたい!!」握った手を離さないまま、息子は走り出そうとする。
「そんなに焦るなって。丸一日あるんだぞ?ゆっくり楽しめばいいじゃないか」
「えー?でも、こんなにいっぱい遊ぶとこあるんだもん。回りきれないよ!!ねぇだから!」
「わかったわかった。じゃあ初めは観覧車な。その次は・・・そうだな。コーヒーカップでも行くか」
「うん!」
息子の手を離さないよう、俺は大きな円に向かって歩き出した。
たくさんのものがせわしなく動く中で、ゆっくりと回リ続ける観覧車。
何者にもとらわれず、淡々と一定の法則にしたがって回るその円に、どうしても俺はある姿を重ねてしまう。
そのとき、誰かが手を引っ張った。
「・・・おとうさん?」
「あ・・・あぁ。なんだ?」俺は息子に顔を寄せる。
「あのね。さっき向こうに黄色いのが見えたんだけど・・・」息子は観覧車の脇―ポケモンを模したテントの方を指差した。「すぐ隠れちゃった」
「ん?・・・あぁ、ピカチュウか」テントの前の人だかりの隙間から、確かに黄色い耳が見え隠れしていた。
「うそ!?ねぇ、おとうさん、握手してもらいに行ってもいいかな?」息子は大きな目で見上げてくる。
「いいぞ。お父さんはここで待ってるから、すぐ戻ってこいよ」
「うん!」
そう言って、小さい三本指の手が俺から離れる。
「じゃあおとうさんはここで待っててね!迷子になっちゃだめだよ!」
黄色いぬいぐるみへ、走り出した息子の真っ黒な後ろ姿は、たちまち人とポケモンの波の中に消えていった。
一人になった俺は、近くのベンチに腰を下ろした。ここから見上げる観覧車は、想像以上に大きい。
たくさんの部屋が、誰かを降ろし、また乗せて回っていく。
ゆらゆら揺れながら回る窓の人影に、また俺は息子の姿を重ねていた。
小さな女の子が二人だけで、観覧車に入っていく。
じゃあおとうさん、いってくるね。
そう、俺に手を振らないまま、息子は観覧車に乗ってしまった。
一度動き出した観覧車の中は、1周して戻ってくるか、鳥にでもなって覗き込むかしないと見ることは永遠に出来ない。
だから観覧車が一回りしてくるまでの10年間、俺はただ観覧車を見上げる事と、その部屋の中の風景を想像することしか出来なかった。
「・・・いや、それすらもしていなかったかもしれねーな・・・」
とべない翼を求めて、存在しないチケットを求めて、当ても無く無駄な方向に歩いていき、いつの間にかだれにも探されることもない迷子になっていたのだろう。
もしかしたら観覧車の1周は、俺が思っていたより短かったのかもしれない。
そして小さな部屋の中で回り続けた息子は――。
観覧車から、男の子とポケモンが降りてくる。
生前と同じ顔のマスクを持つという、小さな幽霊。かつては人間だったものがなる、ゴーストポケモン。
俺はいつのまにか自分の影を見つめていた。空に反比例するように黒さを増す影から目を離し、観覧車を見上げる。
相変わらず、円は同じ速さで回り続けている。抱いた部屋に誰が入ろうとも、出口で誰が待っていようとも、その速さが変わる事は無い。
「・・・それはこっちも同じ、か」
こちらがどんなに頑張ろうとも、足掻こうとも、努力しようとも、世界の巡る速さは変わらない。
この瞬間を、この風景を、ずっと留めておきたい。そう思っても、部屋の中から観覧車は止められない。
だから、人は、ポケモンは、思い出を作るのだろう。永遠には続けられないその日常の中に。
息子が俺のいる方へ走ってくる。
「おとーさーん!!ピカチュウに会えたー!!」「おぉ!そりゃよかったな」俺は息子の手に自分の手を重ねた。
「・・・じゃあ、乗るか。観覧車」「うん!」
今日は日曜日。どんな人も、ポケモンも、大切な人と思い出を作る、特別な日だ。
"Sunday with theme park & my son" THE END.
[あとがき]
初めまして。aotokiと申します。
初の企画&BBS&小説サイトで恐れ慄きオノノクスです。
こんな拙い文ですが宜しくお願い致します。
「朝ごはんを作るゴーストポケモン」「ポケモンと一緒に遊園地」
ここまではよかったのですが、あのポケモンを思い出した瞬間何故かこんな展開になっていました。ナンテコッタイ
でもこの親子とゴーストポケモン達は個人的に気に入っているので、またどこかで出したいと思っていますΦ(・ω・ )
[追記 6/16]
はじめましての方ははじめまして。
また読んでくださった方は、ありがとうございます。aotokiと申すものです。
誤字脱字が酷かったのと、すこし書き換えたい箇所があったので修正させていただきました。
ていうかまずきちんと確認しとこうぜaotoki!
初投稿でマジオノノクスとか言うなら確認しとこうぜaotoki!
話の大筋は変わっていませんので、この修正はまぁ作者の自己満だと思ってください。
【なにしてもいいのよ】
始まりは、一輪の向日葵だった。出かけた先で親切な人から偶然一輪もらったのだ。
家に帰って一輪ざしに挿してみたら、彼女が反応した。草タイプであるチュリネにとって、やはり花に対して何か思うところがあるのだろうか。
日課の水やりは、気がついたら彼女がするようになっていた。時折一方的に花に話しかけたりしていた。その姿は花を愛でるというより、共に日々を過ごしているようだった。
そんな向日葵はあっけなく最期の日を迎えた。
しょげている彼女を片目に見ながら、枯れた向日葵をゴミ箱に捨ててしまうのは忍びなかった。
向日葵が去ってから、彼女はすっかり元気をなくしてしまった。
彼女がふさぎ込んだ姿を見るのがあまりにも辛かったので、僕は嘘をついた。
彼女のために新たに買ってきたのは、作り物の花。
紙で出来た偽物だということを知らない彼女は元気を取り戻した。
この枯れない花のように、彼女の笑顔が枯れなければいい。そう思っていた。
しかし、僕は彼女に優しい嘘をついたことを後悔することとなる。
彼女は花に水をやりつづけたのだ。かつて本物の向日葵にそうし続けたように。
僕がこっそり水を捨てても彼女は水がないことにすぐに気づき、水をやっていた。
紙で出来た花は水を吸い、枯れないはずの花はどんどんやつれていった。
彼女は造花が弱っているという不自然な状況には何も気づかず、かつて生きた向日葵に与えたそれと同じように、ちょっと悲しそうな瞳をしながら、それでも水をやり続けた。
ふと、昔テレビで観た物語を思い出した。
親がこの世を去ってしまったことを言いだせず、優しい嘘をついた兄。親が戻ってこないことを知らず、帰らぬ親を思い続けた妹。
ああ、優しい嘘は、何も事態を解決しやしないんだ。
僕はもう限界が来ていた美しかった紙を捨て、新たな命を購入し、花瓶に挿した。
今度は命の終わりをきちんと彼女に語ろうと心に決めて。
時が過ぎ、そんな彼女も今はドレディアになった。自らもいずれ枯れるのだということを理解しながら、そしてその時が近づきながらも、今でも花に水をやり続ける日々だ。
そして僕も、いずれ枯れる日が来るまで、彼女が花と共に生きるように、彼女と共に生き続けよう。
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最近文章書きから遠ざかってしまっていたので、リハビリのための習作。
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追記:投稿久しぶりすぎてタグ付けるの忘れてました(汗)
【書いてもいいのよ】
【描いてもいいのよ】
【批評していいのよ】
――次のニュースです。
本日正午頃、他人のポケモンを無断で進化させる事件が起き、ポケモン保護法違反の容疑でニビシティ在住、自営業のコッペ容疑者(26)が逮捕されました。
コッペ容疑者は本日正午頃、トキワのもり付近にてピカチュウを連れた少年にバトルを持ち掛け、そのバトル中に容疑者のライチュウのなげつけるを用いてかみなりのいしを投げつけ、少年のピカチュウをライチュウに進化させた疑いが持たれております。容疑者は、「故意にライチュウに進化させずにピカチュウのまま冒険するトレーナーが多いと聞いていた。もっと皆にライチュウの魅力を分かって貰いたかった。ライチュウを使って貰えれば魅力が伝わると思った」等と供述しており、容疑を認めています。
続いて明日のお天気です――
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らーい。らいらーい。ライチュウかわいいよライチュウ。らーい。因みに被害者の少年がすっかりライチュウにはまった為結局不起訴になったとか。らーい。
当初はイーブイに炎の石を投げつける王 唯一(おう ただかず)容疑者(36)とか考えてましたが、ブースターが大好きでブースターを広める事が目的なのにブースターを使わないのは少し違和感があったのでなげつけるを使えるポケモンに変更したり。
進化の石って触れただけで進化するんですかね。アニメだとクチバジムの回でピカチュウが尻尾ではたいてましたから瞬間的なら大丈夫なんですかね。よく分からないのでとりあえず触れただけで進化する旨で書きましたが。
あとこの行為を違法とするならばどういった法律が適用されるんでしょう。器物破損が適用される関係でもなさそうですし。良く分からない時はポケモン保護法とか愛護法にしておけば大体誤魔化せる気はしますが。
とにかくライチュウかわいいよライチュウ。インドぞうを気絶させたり手の感触がコッペパンみたいだったり。らいらーい。
【書いてもいいのよ】
【描いてもいいのよ】
【お任せするのよ】
【ライチュウかわいいよライチュウ】
【コッペパンチ】
サザナミタウン。
夏のリゾートとして有名なこの場所に、防寒具を着込み、双眼鏡を構えて立つ私は、場違いに見えるだろう。それ以前に、今は冬なのだから季節外れだ。
幸いシーズンオフでもあるから、奇妙な格好をして双眼鏡を海に向ける私に気を止める者は、誰もいない。私は安心して双眼鏡を構え、海を見る。変わらない、鈍色の塊を見つめている。
不意に潮が吹き上がった。はい、と手を挙げるみたいに。
「ねえ、このホエルコ、遠い場所から来たんだよ。ホウエン地方だって」
幼い手の中の赤白のモンスターボールを、少女は高々と上げる。少女の遊び相手に選ばれた少年は、柔和な笑みを浮かべてそれを見る。その笑みと、彼のパートナーのツタージャは、似合っていた。どちらも草の雰囲気がした。
昔々、といっても十年少し前のことだが、まだ少女だった私は、親がもたらす恩恵を自分のものとして、当たり前のように享受していた。そして、それを当たり前のように周りに見せびらかしていた。私の遊び相手、というより生贄に選ばれた少年は、いつも穏やかに笑って、私の自慢にもならない自慢を聞いていた。
全く、私は馬鹿だったと思う。もしも過去に行けるのならば、過去の私を殴ってホエルコのボールを取り上げたいものだ。そんな私だったけれど、彼はいつも相手をしてくれていた。この時も、近くの川にホエルコを放って観察するという私の提案に付き合ってくれた。草の匂いのしそうな、あの柔和な笑みを浮かべて。
河原を歩き、ちょうど良い滝壺を偶然見つけて、そこにホエルコを放つことにした。思えばそれだって、無茶な行軍をしたものだ。河原のすぐ上の道は気まぐれに切れていて、私と彼は何度も河原に降りて進まねばならなかった。道がすっかり低木で覆われていて、小枝を体で折るようにして進むことも度々あった。これでは満足に進めないと、私たちは河原を行くことにした。足に優しくない石ころにふうふう言いながら、川沿いをずっと進んだ。道中で現れた野生のミネズミやクルミルは、彼のツタージャに追い払ってもらっていた。そこまでされていて、滝壺に着いた私はお礼のひと言もなかった。彼がそうして従者みたいに付いて来るのを、当たり前に思っていたのだ。今なら分かる。過去の私は調子に乗ったクソガキで、彼は得難い友であった。そういうことは、いつも失ってから気付くのだ。昔々の人々が、何度も繰り返し言ってきたように。
私たちは滝壺でホエルコと触れ合った。私はすぐ飽きてしまって、河原に転がっている、一見綺麗そうな石を見繕い始めた。その時の石ころも、持って帰ったのにいつの間にか失くしてしまっていた。
彼はというと、ずっとホエルコに向きあって、肩にツタージャを乗せたまま、そのゴムみたいな肌をいつまでも触っていた。「お前はどんなところから来たの。ホウエンって暑いところらしいね。こっちは寒かないかい。あっちの海もこっちと同じくしょっぱいのかい」……そんなことを言っていたように思う。
ツタージャの冷たく赤い大きな目と、彼の草を思わせる目が、ずっとホエルコに注がれていた。人間である彼はともかく、ポケモンであるツタージャがずっとホエルコを見ていたことが、印象に残っている。
それから年が少し巡ったが、私と彼の関係は変わらなかった。私は相変わらず親の力でポケモンを手に入れては、彼に見せびらかしていた。彼は黙って、ツタージャ一匹を連れて、いつも微笑んでいた。ツタージャしか連れていない彼に、私のポケモンをあげようかと言ったこともある。彼はもちろん穏やかに断った。全くもって愚かな人間の子どもの言うことだが、最後にそれだけは果たしたことになる。
少し変わったのは、あの夏のこと。
中等学校の一年目を終えた私は、その日、女友達数人と意味のないことではしゃいでいた。町の中心部に出てカラオケかウィンドウショッピングか、その他その年頃の女の子が考えつきそうなことを計画していた。その行く先の、道の真ん中に彼が立っていた。
「あ」私は嫌な顔をしたはずだ。中等へ上がって以来、彼と人前で話すのは極力避けていたのだから。クラスメイトに彼と付き合っていると思われるのが嫌だという、子供っぽい理由だった。私は彼を避けた。そして、その内彼と話すこと自体なくなっていた。
「こんにちは」と彼が言った。その声は低く穏やかで、柔な草が若木になったような、そんな印象を抱かせた。ただ、それは後で感じたことで、その時は……彼が私の知らない間に声変わりしているのが、悲しいような、悲しくないような、そんな衝撃を受けた。
「少し、いいかい」声変わりした声で、彼が言った。女友達が何かを暗示するように私を見る。「大事な話なんだ」彼の言葉が彼女たちの妄信に拍車をかけた。意味のない音を漏らしつつ、彼女たちは私の肩や腕を叩き、やたらとにやにやしながら彼を避けて道の先へ消えていった。
後には彼と私だけが残された。
「何の用なの」つっけんどんに私は言った。彼はいつかと同じ、柔和な草を思わせる笑みを浮かべて言った。
「旅に出ようかと思ってさ。ほら、夏休みだし」
旅? と私はオウム返しに聞いた。そう、旅、と彼は返した。
旅には、本格的なものには中等を出てから行く人が多いのだけれど、その時の彼みたいに、長期休暇を利用して行く人も、結構いる。長期休暇が始まると旅立って、終わる頃戻ってくる、そんな期間限定の旅。
「いいんじゃない」
私は何故か安堵して、そう言った。男子はよく行くし、夏休みが終われば帰ってくるし、いいんじゃない。私はそんな風に安心したのだ。
「そっか」彼はまた柔和な笑みを浮かべて言った。「じゃあ行こうか、ツタージャ」
不意に草蛇が、彼の背中から生えてくるようににょっきりと顔を出した。涼やかな赤い目が彼を見つめ、ぴうい、と小さな声で鳴いた。
「皆、行っちゃったね。ごめんね」
彼は女の子たちが去って行った道の先を眺めていた。そして、私を振り返ると、「君には言っておきたかったんだ」と言った。
「別にいいよ」言ってから、ぞんざいな返事だと気付いた。
「別に、今生の別れってわけじゃないんだしさ」
彼は戸惑ったように目を迷わせて、「それじゃ」と言った。私は「またね」と言った。彼の服の背に手足を引っ掛けたツタージャが、赤い大きな目で私を見た。悠々、といった風格を漂わせるツタージャに、私は何故か、負かされた気がした。
彼がいない夏休みは、別段寂しくはなかった。友達とは遊びに出るし、宿題もするし、ポケモンの世話もする。ただ、強いて言えば乳歯が抜けた時のような、座りの悪い思いをしていた。
私は夏休みの大方を、ポケモンを強くすることに費やした。親に貰ったホエルコを中心に、やはり親に貰ったアブソルやマイナンやスバメなど、ポケモンバトルの訓練をした。私は、親に貰ったポケモンもその内飽きて、結局親が世話をしているということが多かったのだけれど、彼に見せたのと同じあのホエルコだけは、自分で面倒を見ていた。
そうして夏が過ぎた。私は夏休み中にホエルコを進化させようと頑張っていたのだが、それは叶わなかった。学校が始まり、私は教室で彼の席をちらりと見る。始業式には彼は来ていなかった。彼が戻ってきたのは、新学期が始まって二日目になってからだった。少し、日焼けしていた。けれど、ツタージャは変わらずツタージャのままで、私は少しだけホッとした。
「ごめんごめん、少し遅くなって」
放課後、私は彼と話をした。学生がよく行くファーストフード店で、私はジュースだけ頼んで席に座った。彼はハンバーガーセットをひとつ頼んでいた。そんなによく食べる方ではなかったのにな、と私はふと思った。
旅に出て、なんとなく、彼が変わったように感じていた。話し方や行動が、ほんの少しだけ、きびきびしている。多分それは若木が樹皮を固め始めたような、確固たる芯を手に入れたような、そんなものなのだ。
彼のツタージャはまだ、ツタージャのままだけれど。
ちょっと道に迷って、と付け足したのは、新学期に遅れた言い訳なのだろう。私に言っても仕方ないのだけれど、と思いながら相槌を打った。
「旅先では色々あったよ。道に迷って、海に落ちて、ランセ地方まで行っちゃって」
「ちょっと待って、それ、どこ?」
彼は頭を振って、よく知らない、と答えた。とにかく、彼はツタージャと共に海に落ちて、ランセ地方まで流れてしまったのだそうだ。
「右も左も分からないし、本格的に道に迷ってしまって、困ってるところをアオバの国の」
そこで彼は言葉を切った。私は別なところに引っかかった。
「国? 地方の中に国があるの? 普通逆じゃない?」
「ランセ地方ではそうなってるんだよ」
だとすれば、彼は見当もつかない、よっぽど遠い場所まで行ったのだ。
「国って呼ばれてるけど、規模は僕らの言うタウンぐらいだよ。そこのブショー……ジムリーダーみたいな人に助けられてね」
彼が漏らした言葉を気にしつつも、跳ね上がった彼の語尾に注意を取られる。私はストローを口に咥えなながら、「それで?」と先を促した。彼は話した。若木みたいな声で、本当に楽しそうに話した。
ジムリーダーみたいな人、モトナリさんに助けられ、ずいぶん世話になったこと。そのモトナリさんもツタージャを連れているそうで、モトナリさんと彼はそれで息が合ったらしい。きっとモトナリさんも、彼みたいな草っぽい人だろうな、と私は密かに思った。
ランセ地方では変わったファッションが流行っているようで、全体的にゆったりしたものが好まれているらしいこと。例えばモトナリさんは、二段構えの不思議な帽子を被っていたらしい。これは説明を聞いてもよく分からなかった。
ランセ地方でポケモンを育てられるのは、才能ある限られた人だけ。皆がモンスターボールを持ってポケモンを持てる地方じゃないんだね、と私が言うと、そもそもモンスターボール自体ないんだと彼が言った。私は声に出して驚いた。
「モトナリさんも驚いてたよ」彼は笑った。
モトナリさんはモンスターボールにいたく興味を示し、出来ればじっくり研究したいとまで言ったそうだ。しかし、彼はツタージャのボールしか持っていなかったので、その件は保留にしたと言った。
「今度行く時に、ボールをいっぱい持って行くんだ」
モンスターボールだけじゃなくて、他の種類のもねと彼は嬉しそうに言った。
その今度がいつなのか、どうやって行くつもりなのか、私は尋ねなかった。
その夜、私はベッドに寝転んで、電気も消さないまま、ぼうっと天井を眺めていた。家に帰ってから、私はまず地図を調べた。けれどランセ地方という文字は、私の持っている地図のどこにもなかった。探し方が悪かったのかもしれない。地図に載らないような、遠い、遠い場所なのかもしれない。私はホエルコの入ったボールを高く上げた。赤と白の球体の向こうは、どうしても見透かせなかった。そして、思い描いた。
誰もポケモンをモンスターボールに入れない世界。一部の人だけがポケモンを連れて歩いている。人は皆ゆったりした服を着て、畑を耕したり、山菜を取ったりしている。二段構えの帽子を被ったモトナリさんはそんな国の人の様子を眺めて、傍らのツタージャに話しかける。
うまく想像できなかった。
「お前もそんな遠くから来たのかい」
ボールの中のホエルコに話しかける。返事はない。生まれ育ったところと余りにも勝手の違うところへ来たら、寂しかろうなと私は思う。それとも、余りに遠すぎて、故郷を思うことさえ辞めてしまうだろうか。
お前は帰りたいかい、ホエルコ。それとも……
いっそのこと、もっと遠くへ行きたいかい。
私は心の中でだけ、ホエルコに問いかけた。
彼の二度目の旅立ちは、中等卒業の時にやってきた。ホエルコはホエルオーに進化して、ツタージャはツタージャのまま、私たちはその日を迎えた。
彼は、色んなモンスターボールが入った袋を背負っていた。
「じゃあ、行ってくるよ」
「うん」
夏のサザナミ湾から少し南に外れた、ひと気のないビーチで、彼は言った。それから、ホエルオーをしばらく貸してほしいと言った。ランセ地方へは海を渡らねばならない。ランセ地方から帰る時は野生のホエルオーに頼んだが、こちらで同じことは出来ないと言う。きっと、モトナリさんがホエルオーに頼んだのだろう。
「いいよ」
快諾して、私はホエルオーのボールを彼の手の中に落とした。
「でも、ちゃんと返してよ」
「分かってるよ」彼は枝葉を広げ始めた木の趣きの笑みを浮かべて、言った。
「まずは一年ほどで戻ってくるつもり。少なくとも、再来年の年明けまでには帰るから、待っててね」
そう言って、彼はホエルオーに乗って大海を行った。私は彼の姿が見えなくなっても、しばらく水平線に向かって手を振り続けていた。
後はお察しの通り。年が明け、一年経ち、二年経っても、彼は戻らなかった。
鈍色の海の中から、不意に玉を撒くような、潮の柱が立ち上がる。何度目だよ、と思いながら私は見ている。もう、今年はこれくらいにしておくか。
私は荷物をまとめ、冬のサザナミタウンから引き上げることにする。来年はもう、来ないかもしれない。いや、やっぱり来てしまうだろう。
だって、彼は帰って来なければならないのだから。貸しっぱなしのホエルオーを、返してもらわなければならない。モトナリさんがどれだけモンスターボールを喜んだか、アオバの国の外はどうなっていたのか、話してもらわなければならない。それとも、お前はランセ地方に根を張ってしまったか? あるいは、ランセ地方からさらに、遠い場所まで行ってしまったか?
「帰って、来おい」
私のささやかな願いは潮騒に消える。鈍色の海は変わらず、陽の光を物憂げに弾いている。
ランセ地方ってどこにあるのでしょうか。地方というからには地球上にありそうな、でも遠そうな、簡単には行けなさそうな、そんなふいんき(何故か変換できた)
【何してもいいのよ】
このように過去作品に【ポケライフ】タグをつけても構いません。
イラストにしたら面白いものあればぜひ。
えー、この度、きまぐれから、私が過去に運営していたイラストコンテストを期間限定で復活させる運びとなりました。
■鳩急行のイラコンSP
http://pijyon.schoolbus.jp/irakon/
●お題
「ポケモンのいる生活」
●お題について
もしもポケモンがいたら……一緒に何をしたいでしょうか?
一緒にご飯を食べたり、お昼寝したり、ちょっと街へ出かけるのもいいかもしれませんね。
街へ行くといろんなお店があります。
お花屋さんやカフェ、パン屋さん、アイスクリームの屋台……そこではどんなポケモンが手伝っているでしょうか。
お父さん、お母さんもポケモンを持ってるかもしれません。
家事を手伝って貰ってるかも。通勤の時、背中に乗せて貰ってるかも。
ビジネスマン、OLさん、看護婦さん……ゲーム中のトレーナーを見回してもこの世界にはいろんな人がいます。
彼らはポケモン達とどのように暮らしているのでしょうか?
あなたの考えるポケモンライフをイラストにしてください。
●募集期間
5月19日(土)〜7月28日(土)
せっかく、イラストジャンル、小説ジャンル双方にお友達がいるので、
まことに勝手ながら管理者権限で、小説クラスタも巻き込みたいと思います。
以下のことをやろうと思います。
★イラコン開催期間中、お題をイラコンと同様の「ポケモンのいる生活」とします
★参加作品は題名の頭に【ポケライフ】をつけてください
★このタグがついた作品には「イラコンでこの絵を描いてもいいのよ」と意志表示したものとみなします
小説クラスタのみなさんの参加、お待ちしております。
ごくたまに、カフェに野生のポケモンがやってくることがある。
それは雨の日だったり、よく晴れた暑い日だったり、とても寒い日だったりする。つまり、来る時期や時間帯は定まっていないのだ。
一体何処から来るのか、ライモンでは見ないポケモンも来たりする。以前冬にバニプッチがやって来た時には、それはもう驚いたものだ。
バニプッチは主にホドモエ・ネジ山にしか生息していない。餌が少なくなっているのだろうか。だがそんなことを抜きにしても、野生ポケモンを餌付けするわけにはいかなかった。
「かわいそうだけどね……」
街中にカフェを構えている以上、生態系はきちんと把握しているつもりだ。遠い地方で人間の食事の味を覚えてしまったポケモンが人里に下りてきて、多大な被害を齎しているという話も後を絶たない。自分がしたことが後に巨大な問題にならないとも限らない。
だが。
「何でそんな目で見るのよ!まるでこっちが加害者みたいじゃない!」
ゴミ(生ではない)を捨てようと裏口のドアを開けた途端、幾つもの目がこちらを見る。なんというか……純粋な子供の目だ。相手を疑うことを知らない、純粋無垢、穢れなき色。ポケモンによって色は様々だが濁っていないことは間違いなかった。
ユエはうっと言葉を詰まらせる。が、ブンブンと首を横に振る。そして叫ぶ。
「私はね、貴方達にとっては敵なの!餌が欲しいならどっかの年中餌ばら撒いてる阿呆共の場所にでも行きなさいよ!」
「ユエさんどうしたんですか」
ハッとして後ろを向くと従業員の一人が焦った顔でこちらを見ていた。見ればバイトと従業員も怯えている。しまった、と思ったがもう遅い。変なところで剣道部女部長兼主将のスキルを発揮してしまったようだ。
「ごめんね。野生のポケモン達が餌を集りにくるもんだから……」
「あー、アレですか。私も何度か見ましたよ。あげてませんけど」
「本当に?」
「本当に」
そんなやり取りが二日ほど続いた、ある夜のこと。既に店は閉め、後片付けをしているところだった。
裏のドアを叩く音がする。
「?」
不審に思ってスタッフルームにある箒を一本取り出す。利き手は左。右手でドアノブをまわして――
『こんばんわ。夜分遅くにすみません。珈琲一杯いただけませんか』
子男が立っていた。身長はユエの胸の辺り。刑事コロンボのようなダボダボのコートを着ている。帽子で顔が隠れていてよく見えない。だが怪しい匂いがした。
「ごめんなさい。もう今日は……」
『待ってください。ここのカフェを探していたらこんな時間になってしまったのです。お願いです。カントー地方からやって来たのです。一杯だけ』
「カントー地方!?」
カントー地方はイッシュから一番遠い地方にあたる。船で四日、飛行機を使っても乗り継ぎの時間を入れて三日はかかる。今まで来たお客で一番遠かったのはシンオウだった。(ちなみに従姉妹はお客には入らない。ホウエンだけど)
ユエは改めて相手を見た。この季節には会わない厚手のコート。右手には革製の鞄。ステッカーを貼れば旅行鞄として使えるだろう。だがそういう使い方はしていようだ。かなり年季は入っているようだが……
「分かりました。どうぞお入りください」
『ありがとうございます!』
男はカウンター席に座った。視線を感じながらユエはゼクロムをいれる。ブルーマウンテン、キリマンジャロ、モカなどの豆を取り出す。きちんと計らないとこの独特の味は出ない。当たり前だが。
しばらくして、いい香りがしてきた。特製コーヒー、ゼクロムです、とユエは呟く。男は目を閉じて香りを嗅いだ後、一口含んだ。
『素晴らしい。今まで飲んだ中で一番のコーヒーです』
「ありがとうございます」
ふと、ユエは彼の横に置いてある鞄が気になった。視線に気付いたのか、男が切り出す。
『気になりますか』
「……ええ」
『それでは、閉店時間過ぎに見知らぬ客人をもてなしてくださった貴方に敬意を表して』
男が鞄を開けた。ユエは息を呑む。中には色とりどりの硝子瓶が入っていた。赤、オレンジ、黄色、緑、青、藍色、紫、白、黒、ピンク、グレー、黄緑、水色、金、銀……まるで何十色ものクレヨンや色鉛筆のようだ。
呆然とするユエに、男はニヤリと笑って言った。
『これらが何か、お分かりになりますか?』
「いえ…… 何かしら」
『夢ですよ』
「夢!?」
夢。『眠っている間に見る物、何か強い望みなどのこと』という辞書のような説明が頭の中で渦巻く。だが夢は実体がない。瓶に入れられるなんて聞いたこともない。
訝しげなユエに男は構わず説明を続ける。
『人は夢を見る生き物です。私の仕事は眠っている人間の寝床にお邪魔して、彼らが見ている夢を少しだけ取らせていただくことです』
「お邪魔って……」
『流石にセキュリティがきついマンションなどには入れませんが。私には協力してくれる仲間が沢山いるんですよ』
そこで、男はフウとため息をついた。今までとは違う雰囲気に、ユエは引っかかりを覚えた。
『しかし、最近は少々仕事が成り立たなくなっておりまして』
「セキュリティうんぬんってことですか」
『いえ、それよりもっと悪いことです。私どもが取るのは子供達の夢です。彼らが見る夢はエネルギーが強く、時折素晴らしい質の物が取れることがあるのです。
しかし最近は…… 彼らが夢自体を見なくなっているのです』
夢を見ない子供。それはつまり……
「現実的ってことですか」
『おっしゃる通りです。将来こんな仕事をしたい、こんなことをやりたい。そういう空想とも言えるべき夢を彼らは見なくなっています。原因はこの世間です。不景気のせいか皆様方ギスギスしていましてねえ。そんな両親を見て育った子供も当然、そういう性格になる方が多い。
現実を見ろ、もう子供じゃないんだから。……そんな夢を見ている子供に、私は最近よく遭遇するのです』
男は悲しそうな顔をしていた。ふと思い立って、ユエは聞いた。
「あの、私の夢ってどんな色なんでしょうか」
『……マスターさんの夢ですか』
「何か気になったんです。最近見た気がしても覚えてなくて。
もしよかったら、引っ張り出してくれませんか」
男はしばらく驚いた顔をしていたが、なるほどと頷いた。
『貴方の瞳の色は輝いています。夢を見る子供と同じです。……取らせていただきましょう』
ユエは眠っていた。意識だけが暗闇の中でふわふわ浮いている。
男が言うには、ソファ席に横になって自分の手の動きを見ていて欲しい。そうすればすぐに瞼が重くなるということだった。
本当かしら、と思った途端、瞼が重くなった。そのままスッと意識が落ちていく。落ちていく。落ちていく……
ザブン、と体が水に包まれる感じがした。瞼の裏に明るい青が広がる。驚いて目を開けると、そこには空と海が広がっていた。
何と言えばいいのだろうか。下に雲の平原、上には真っ青な空。水は透明、しかし呼吸はできる。
遥か上空には星達が煌いていた。
どうにか腕を動かすが、カナヅチでユエは浮かぶことができない。そのままゆっくりと雲の平原の方へ降りていく。雲の切れ間からは、美しいコバルトブルーの海と小さな島が見えた。どうやら向こうが普通の……陸地の島らしい。
じゃあここは、空の海?
ユエは以前読んだ漫画を思い出した。
『はい、いいですよ』
男の声でハッと目が覚めた。横を見ると男が笑って小瓶を振っている。色はコバルトブルーとエメラルドグリーンが混ざることなく二つになった色。
マーブル模様のようだ。
「これが、私の夢?」
『久々に美しい夢を頂きました』
「それ何に使うんですか」
男はユエの夢をそっと鞄に閉まった。入れ替わりに別の小瓶を取り出す。透明な色の夢が入っている瓶だ。
『世界には、夢を見たくても見られない子供達がいるんです。私は彼らに夢を届ける仕事をしているんですよ』
「夢を見たい子供達……」
『この国は本当に裕福なのでしょうか。夢を見れるのに見ない子供達。現実を見ろと諭す大人達。その連鎖が続けば世界は……』
柱時計が午後十時半を告げた。男が透明の小瓶と小銭をユエに渡す。
『コーヒー、とても美味しかったです。この小瓶は私からのプレゼントです』
「……」
『いつも枕元に置いていてください。それでは、また』
また男は裏口から出て行った。初夏なのにつめたい風が吹く。その中で、ユエは人ではない者の後姿を見たような気がした。
「これは、夢かしら……」
ユエの手の中で、小瓶が輝いていた。
――――――――――
ユエって不思議な話がないなーと思って書いてみた。
イメージ的にはつるばら村シリーズです。動物達がお客さんの短編集。
【何をしてもいいのよ】
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大きな森。
目の前には古ぼけた小さな祠。
その上に、『彼女』は座っていた。
『なるほど……それで過去に戻りたい、と』
「はい」
祠の上の『彼女』は、左右の足を組みかえた。
昼間でも薄暗い森。ましてや今は夜。月明かりもまともに差し込まず、数時間この場所にいて暗闇に慣れた目でも、一寸先はほぼ闇だ。
そんな中でも、『彼女』の姿ははっきりと見えた。若草のように鮮やかな薄緑の身体から、淡い光を放っている。
『彼女』(この『彼女』に性別があるのかは不明だが、便宜上そう呼ばせていただく)を見つけるために、どれだけの苦労をしてきただろう。
書籍を片っ端から漁った。当然インターネットも使い古した。どんな些細な情報も逃さなかった。会えると噂になった方法は片っ端から試した。
そして今、ようやく『彼女』と出会えた。
「どうしても、あの時の……若い頃の自分を、止めたいんです」
『……』
「私の人生はあの瞬間からめちゃくちゃになってしまった……私が、あの時……」
『……人を殺してしまったから』
私は黙ってうなずいた。
今から15年ほど前のことだ。
きっかけは……ほんの些細なことだったような気がする。
ちょっとしたことで友人と口論になり、ついカッとなって刃物を持ち出した。
そこに見知らぬ中年の男が現れた。けんかを止めに入ったのか、いきなり私たちの間に割り込んできた。
頭に血がのぼって判断の遅れた私は、うっかりその男を刺してしまった。
顔も名前も知らない、どこの誰かもわからない人間を、私は殺してしまったのだ。
その瞬間から、ごくごく一般的だった私の生活はまるっきり変わってしまった。
住処を変え、名を変え、顔を変え、ありとあらゆるものから逃げ回る日々。
後悔しない日はなかった。あの時の自分を止めてやりたい、止められれば、と何度思ったことだろう。
そんな生活の中、『彼女』の噂を聞いた。
「時」を自由に渡ることができるポケモンがいるらしい。
出会うことができれば、未来でも過去でも好きな「時」に行けるらしい。
そしてそのポケモンは、大きな森の守護者でもあるらしい――
噂を聞いてすぐ、私は『彼女』を探し始めた。
『彼女』に会えば、過去を変えられる。若かった自分を、止めることができる。
平々凡々な人生に、戻ることができる。
「私は過去の自分を止めたい。真っ当な人生を歩みたいんです」
『…………』
「お願いします、私を過去に戻してください!」
私がそういうと、『彼女』は再び足を組みかえ、腕を組んだ。
そして大きなため息をつくと、言った。
『ば―――――――――――――――――…………っかじゃないの?』
それまで静かで落ち着いた雰囲気を醸し出していた彼女の『言葉』に、私は呆気にとられた。
『彼女』はふっと蔑むように鼻で笑うと、私の背よりも高い祠の上から、水色の瞳で見下ろしてきた。
『アンタ、本気で過去が変えられると思ってるわけ?』
「え……」
あのねぇ、と『彼女』は腕を組みかえて言った。
『アンタみたいにたかだか数十年しか生きてない、何の力もない単なる一般的な人間には分かんないでしょうけどねぇ、「時の流れ」ってのはこの世界が生まれたその瞬間に、最初から最後までぜーんぶ決まってんのよ。今どこかで小石が蹴られたことも、昔どこかで戦争が起こったことも、今こうやって私とアンタがしゃべってることも、ぜーんぶ「時の流れ」で決められてたことなの。この世界にあるもの全てはそこから抜け出すことはできないし、変えることなんてできやしないのよ。アタシもアンタもね。アンタが過去に人を殺したことも、そいつがアンタに殺されたことも、どう足掻いたって消えやしないのよ「時の流れ」から無くなったりしないの。アタシは確かに時を渡れるけど、それだって全部「時の流れ」の中では決められてることなのよ。過去を変える? 歴史を変える? そんなの出来るわけないじゃないばっかじゃないの? アタシごときにそんな力あるわけないじゃない。どうしても歴史を変えたいなら、世界を最初っからぜーんぶ作りかえることね』
『彼女』はそう言って、私を見下ろしてまた鼻で笑った。
まるで出力マックスの放水車で水を浴びせられるような、怒涛のごとき『彼女』の言葉に、私は言葉を返すことが出来なかった。
『彼女』は氷のような冷たい目線でこちらを見下ろしてくる。
風が吹いた。木々がざわめきのような音を鳴らす。
「……わかりました。帰ります」
『彼女』は森の守護者。
ざわめくような森の声は、きっと『彼女』の「帰れ」という言葉の代弁。
そう判断した私は、『彼女』の座る祠に背を向け、歩き出そうとした。
『――ちょっと待ちなさいよ。誰が「帰っていい」なんて言ったの?』
『彼女』が声をかけてきた。私は足を止めた。
ふわり、と『彼女』は空を飛び、私の前で静止した。
『まだやることが残ってるでしょ。アタシはアンタを過去に送らなきゃ』
「え、しかし……私の過去は消えないとさっき……」
『当たり前じゃない。だから、よ』
『彼女』はそういうと、にっこりと笑った。
その笑顔を見た瞬間、背筋が一瞬にして凍りついた。
『アタシはアンタを過去へ送らなきゃならない。だって、「時の流れ」でそう決まっているもの』
逃げたい。逃げなければ。
でも、足が動かない。
つたが絡まって、足が動かない。
『そうね。一応教えておいてあげるわ。アンタがやらなきゃならないこと』
『彼女』の目が妖しく光る。
小さくて短い両腕に、エネルギーがたまっていく。
『けんかをね、止めてきてほしいのよ』
「……!?」
『どうすればいいか、わかるでしょ? だって……』
『彼女』が手を私の額の前にかざした。
視界がだんだん、白く染まっていく。
ああ、そんな、馬鹿な。
そんなこと、あるわけない。
顔も知らない中年男性。
風の噂で、身元が全く分からなかったと聞いた。
過去の罪から逃げるために、全てを変えてきた私。
逃げてきた過去が、とうとう私に牙をむいた。
『今』と『昔』の景色が混ざる。
暗い森は薄汚い路地に。
『彼女』の笑顔は、煌く刃に。
『それじゃあ、「世界」のために、死んできてちょうだい』
私が最期に見た『彼女』の笑顔は、とびきり優しく、美しく、冷たかった。
++++++++++
激しいイライラ+現実逃避=コレ
良い子ちゃんな『彼女』ばっかりだったからちょっとアレなの書きたくなった、ただそれだけ。
あとタイトルは適当。
【好きにするがいいさ】
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