マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ
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  •   [No.4149] ピジョンエクスプレス(2) 投稿者:No.017   投稿日:2020/02/19(Wed) 22:19:53     34clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
    タグ:ポケモン民俗学】 【ポッポ】 【擬人化】 【ピジョンエクスプレス

      2. 列車で帰宅

     カケルは鳥ポケモンが大好きだ。そして乗りものも大好きだ。
     トレーナーの移動手段は徒歩、自転車、自動車、ポケモンそのもの、その他、多岐に渡る。その中で移動手段に鉄道を使うことを殊の外カケルは好んだ。
     カケルはいわゆる乗り鉄だった。電車に乗っている時間が幸せなタイプの人種だった。実を言うと旅に出た理由の半分くらいはたくさん電車に乗れそうだったから、だ。トレーナー、それもデビューしたばかりのビギナーは割引率が高くてお得なのだ。お金が無くなれば辿り着いた町でのアルバイトやバトルで旅費を稼ぐ。また電車に乗る。そうやってカケルは旅をしていた。
     もちろん鳥ポケモンが好きなのも本当だ。時々、鳥ポケモンと鉄道のどっちが好きなんだと言われたが、ラーメンとハンバーガーを出されたらどっちも食べるだろう、というのがカケルの答えだった。トレーナーとして鳥ポケモンを所有し、これを育てる。移動手段は主に電車。それがカケルのポリシーだった。
     電車で山奥や僻地へ行くほどに乗り換えで待たされる。カケルが捕まえた鳥ポケモンはそうやって電車を待っている時に捕まえたのが主だった。駅弁を盗ろうと襲ってきたオニスズメ、すっかり暗くなった終電の終着駅に現れたホーホー、駅のホームの端っこで佇んでいたネイティ――彼いわく線路が結んだ縁である。
     待ち時間はポケモンバトルにもなった。暇を持て余した駅員や電車待ちトレーナーが勝負を仕掛けてくるのだ。時には駅長と呼ばれてマスコット化した地元のポケモンが仕掛けてくることもあった。たま、と名付けられた駅長のペルシアンが勝負を仕掛けてきたのは記憶に新しい。
     そんなカケルであるからして、帰宅手段は当然鉄道になった。数年前に自動改札が導入されたばかりのローカル駅でデリバードが描かれたICカード、デリカにお金をチャージし、ホームで鳥達と戯れて待つこと小一時間、彼らは電車に乗り込んだ。
     車窓が木々や田園の風景を流していく。お客の少ないローカル線では席が向かい合せのことが多い。カケルはボックス席で靴を脱いで足を伸ばすと鳥ポケモン達と共に乗車を楽しんだ。都市部へ向かうにつれ、乗り込む客が多くなってくると、彼は仕方なく鳥達をボールにしまった。膝にアルノー一羽を乗せて座るカケルの座席を揺らしながら、列車はジョウトの中心を目指した。
     二回ほどの乗り換えをした後に車窓の風景に高い建物が混じるようになった。だんだんとその大きさが巨大になっていく。そして車窓の風景はついにトンネルの闇に浮かぶ等間隔のライトになった。電車の通行より建物や道路が優先される地域に入って、列車が地下に潜ったのである。
    「イッシュにはバトルサブウェイっていう地下鉄があるんだって。いつか行きたいね」
     肩の上で狭そうにしているアルノーにカケルは百回目くらいになる台詞を言った。
    「黄金中央(こがねちゆうおう)、黄金中央」
     車掌が次の停車駅を告げた。
     カケルの実家はジョウト地方の大都市、コガネシティにある。ポケモンジムあり、デパートあり、ラジオ局あり、ゲームコーナーあり、オクタン焼きあり。ありとあらゆるものが揃って、現在も発展し続けている街だ。近々、カントー地方のヤマブキシティ行きのリニアも開通予定だった。カケルは自動改札をデリカの入ったパスケースで撫ぜると、複雑な迷路のように枝分かれしたホワイティコガネの地下街を抜けて地上に出る。地上はすっかり夜で、ネオンライトに照らされた街の喧騒が目に飛び込んできた。
     喧騒を抜けて住宅街に出る。そこはいくつもの巨大マンションが立ち並ぶコガネシティのベッドタウンだった。カケルはそのマンションの一つに入っていき、オートロックのパスワードに「0017」と入力する。自動扉がサーッと開いた。そうしてエレベーターに乗ったカケルは自宅階のボタンを押したのだった。


      [No.4114] ベスト・タクティクス 投稿者:ラプエル   投稿日:2019/03/04(Mon) 20:44:23     82clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    ラプエルと申します。素敵な企画をありがとうございます。
    ゲンガーVSエネコロロで一作書かせていただきました、ご意見ご感想等ありましたら遠慮なくTwitter《@lapelf_novel》までお願い致します。(バトル書き苦手なので厳しい意見お待ちしております!)








    《ベスト・タクティクス》







    「ヘドロばくだんが炸裂ッ! 赤コーナー、挑戦者のニンフィア、健闘するもここでダウンです! 勝利の女神は、青コーナーに微笑みましたぁあああ!」

     暑苦しくも張りのある実況で、活気溢れるストリートがより一層賑やかになる。赤いフィールドから指示を出していたトレーナーは悔しそうにニンフィアをボールに戻し、バトルを観戦している観衆の人波に飲まれて消えていった。
     ここはとある街のメインストリート沿い。空き地となっていた場所をとあるトレーナーが野良試合に使ったのが始まりで、今では街一番のバトルフィールドとして栄えている。休日ともなればその盛況ぶりは益々加速し、今日もその例に従って絶え間なくトレーナーがフィールドに立つ――のだが、忙しなく人が入れ替わる赤コーナーとは対照的に、青コーナーに立つトレーナーはもうずっと変わっていない。

    「どうしたどうしたそんなもんか?! この街には俺たちに敵うやつは一人もいねえのかッ!」

     マイク実況にも負けないその大声の主は、バッジ集めの途中でこの街に立ち寄った旅のトレーナー。腕組みしながら豪快に笑うその傍では、彼の相棒であるゲンガーが同じく腕組みして鼻を鳴らしていた。ここでのバトルルールは1VS1の一本勝負にして負け交代制なので、このゲンガーは相当の数のバトルをこなしているはずなのだが、まったくダメージや疲れを感じさせない出で立ちであった――が、その表情はお世辞にも明るいと言えるものではない。

    「次、私が挑戦します」

     ガヤに掻き消されそうなほどに細い声とともに、赤コーナーに一人の少女が立った。新たな挑戦者の登場に、俄かに観衆が沸き立ち、ボルテージは再び最高潮を迎える。青コーナーの男はまだ僅かに幼さすら感じさせる少女を前にして小さく失笑し、「嬢ちゃんが俺に挑むのかい? 負けて泣いたって知らないぞぉ?」と戯けた。ヒールめいた言動に観衆が湧いたりブーイングを飛ばしたりする中、少女は細く淡々と、けれどもしっかりと耳に届く声で言った。

    「だいじょうぶ、ポケモンをトレーナーの言いなりにしてる人に負けるほど、私は弱くないわ」
    「なにぃ? 言ってくれるねえ、後悔すんなよぉ?」
    「そのセリフ、そのまま返すわ。行くわよ――出ておいで、コロ」

     少女が宙に放ったボールが煌めき、光の奔流が飛び出す。ぱっと輝いた光の中から現れたのは、コロ――“おすましポケモン”のエネコロロ。優しい目をたたえる柔らかな表情に一瞬、誰もが癒しに包まれ――そして我に返る、「え、エネコロロ?!」誰もが驚きを隠しきれなかったが、無理もないだろう。

     エネコロロ、ノーマルタイプ単色。個体数が少なく珍しい“エネコ”に、これまた希少アイテムの“つきのいし”を使うことで進化した、まごう事なきレアポケモンである。その美しい毛並みの艶やかさ、見るものを癒す愛くるしさ、住処を汚さない綺麗好きっぷりから非常に人気が高いのだ――バトル“以外”では。
     愛玩ポケモンとしては一級品のエネコロロではあるが、バトルとなるとそうもいかない。華奢ゆえに耐久力に乏しく、同じくして攻撃力も貧相。タイプも耐性の少ないノーマルタイプであり、覚える技も癖が強いものばかり。それに加えて、このポケモンで出来る事は、もっと打たれ強く攻撃力も兼ね備えたポケモンで代用できるのである。言葉が悪いが、要するにエネコロロはバトルにおいては他種族の“劣化”に過ぎないのだ。

     そのエネコロロが今、強豪トレーナーの連れているゲンガーと相対している。
     連戦連勝の相手を前に少しも怖じることなく、おすまし顔を崩さず、まっすぐ、ただまっすぐに。

    「本気かよ……だがここまで啖呵切ってんだ、心置きなく全力でやらせてもらうぜ!」
    「もちろんよ、やりましょう」
    「さ、さあ大変なことになってきましたァーっ! 連戦連勝のゲンガーに挑戦するのは、可憐で華奢なエネコロロぉ! 一体どんなバトルが繰り広げられんでしょうかぁーッ?!」

     実況の煽りに釣られ、観衆のボルテージが徐々に盛り上がっていく。呆気にとられていた顔が、口角が釣りあがっていく。

     向かい合ったゲンガーとエネコロロ、大男と少女。瞬間、視線がぶつかり――

    「一本勝負ッ、はじめェエエっ!」
    「先手必勝おにびッ!」

     ゲンガーの目が大きく見開き、紅く光る。ケケケと笑い声愉しげに響かせ、黒い炎がフィールドを滑る。「力押しだけかと思ったか、搦め手だってお手の物だぜッ!」と大男の声が響くが、炎はエネコロロに近付くなり勢いを潜め消滅した。よくよく見ると、どくまひやけど――あらゆる状態異常を打ち払う“しんぴのまもり”がいつのまにかエネコロロを包んでいる。大男はほうと唸った。

    「あの一瞬でよく捌いたなッ」
    「私のコロ、冷静なのよ……みやぶる!」

     エネコロロの円らな瞳が煌めき、見えない眼光がゲンガーの霊体を射抜く。“みやぶる”というおよそ一般にバトルでは用いられない技に大男とゲンガーが躊躇する間にエネコロロ、ちらと後ろを振り返ってアイコンタクトのウィンク。少女の表情が僅かに綻び、エネコロロは地を蹴って距離を詰める。

    「10まんボルト!」
    「ッ……シャドーボール!」

     エネコロロが放つ強烈な電撃。一瞬遅れたが、ゲンガーも足元の影を塊に変えて応戦する。両者の強烈な技、あと数秒とせずして激突する――大男はにやりと笑う。

     ――ノーマルタイプのエネコロロにシャドーボールは通用しない、使うとしたらこんな風に技を相殺するくらいにとどまる……だが、シャドーボールは衝撃すると影が拡散して目眩しになるッ! 影を自在に動けるゲンガーに死角はないぞッ!

     センターラインを境に、10まんボルト、シャドーボール、両者勢いよく迫り、丁度真ん中あたりで衝撃――せずに、“すり抜けた”。

    「はァッ?!」

     呆気に取られる男をよそに、強烈な電撃がゲンガーの身体を激しく撃つ。バリバリと甲高い雷撃音が響き渡り、観客がわあっと湧き上がる。よろめいたゲンガーがなんとか踏みとどまったのを確認し、大男はすぐさまエネコロロに視点を向けた――

    「――ッ!」

     わかっていたことではあったが、当然ながらエネコロロはノーダメージ、《こうかがないようだ》った。ノーマルタイプにゴーストタイプの技をぶつけても、その技はポケモンをすり抜けるようにして消えてしまう――バトルをするなら必須知識のタイプ相性だ、トレーナーならば誰でもそんなことは知っている。
     だが。

    「何故だ?! なんで技同士がすり抜けて、なんでゲンガーにだけダメージが入るッ?!」
    「よく思い出してごらんなさい、私のコロのこと」
    「――あッ、“みやぶる”かッ! あの技で俺のゲンガーにだけダメージが入るようにしたのかッ?!」

     少女はくすりと笑う。
     
    「半分正解よ。でもそれじゃまだ足りないわ、シャドーボール!」
    「ッこっちもシャドーボールだ!」

     エネコロロの頭上に、ゲンガーの顔先に、黒い影の塊。同一タイプの利があるゲンガーが一手先に技を完成させて放つ――そしてようやく過ちに気付く、「しまった、これじゃさっきの二の足か、相手の技に釣られちまったッ」悔いてももう遅く、お互いのシャドーボールはフィールド赤コーナー寄りでまたもすり抜け、遅れてゲンガーに影の塊が迫る――

     ど、と僅かに鈍い音。気圧され倒れるも、すぐに起き上がるゲンガー。
     何食わぬ顔のエネコロロ。やはり《こうかがないようだ》。

    「す、素晴らしい技の応酬ーッ! 連戦連勝の猛者であるゲンガーを前にして一歩も引かないエネコロロぉーッ! 適切な技の選択、撹乱、素晴らしいバトルセンスッ! 直撃したシャドーボールの《こうかはばつぐん》だーッ! 青コーナー、体勢を立て直すことはできるんでしょうかッ?!」
    「……いや、違う、何かおかしい」

     起き上がったゲンガーと大男の目が合う。10まんボルトとシャドーボール、立て続けに高威力の技を受けたのにそれほど堪えていないのは、単純にエネコロロの火力が不足しているだけのようには思えなかった。

     ――そもそも、今のシャドーボール……本当に《こうかはばつぐん》だったのか?

     エネコロロは堂々とした風体で、その場を動かない。可憐な見た目には不釣り合いなその圧力に、ゲンガーはただ恐れ怯えるばかり。だがそれはトレーナーも同じであった、正体の掴めない相手にただ不安が募るばかりである。
     このままでは押し負けてしまう、何かカラクリがあるはずだ。自身の傲慢さは百も承知ではあるが、ここまで旅を続けて鍛錬を重ねてきたのは伊達じゃない――大男は必死に頭を回転させ、目の前に鎮座するエネコロロの知識を引っ張り出す。脳内の引き出しの奥の奥、隅の隅、どこかに叩き込んであるはずだ、エネコロロのカラクリ――

    「あッ!」

     脳の片隅に置いてあった、バトルではマイナーなポケモンに関しての知識。それを大男が見つけた時、全ての合点がいった。

    「“ノーマルスキン”……ッ!」
    「その通り、正解よ。私のコロはノーマルスキンの特性を持ってる。やっと悩まなくて良くなったわね」

     ノーマルスキン。
     この特性を持つポケモンが出す技は、その技のタイプに依らず、全てノーマルタイプへと変わる。その技の威力は特性によって上昇補正がかかり、更にエネコロロ自身とも同一タイプとなるため追加で上昇補正がかかる。火力に乏しいエネコロロのようなポケモンでも、バトルにおいて必要十分な火力を得ることができるのだ。
     タイプが強制的にノーマルタイプへと変わるので、シャドーボールのようなゴーストタイプ技とは相殺し合わず“すり抜ける”。そして、ゴーストタイプの“ポケモン”にノーマルタイプの技が当たるようになる“みやぶる”によって、ゲンガーだけがダメージを受けてしまう――これが先程までの技の応酬のカラクリである。

     全てを理解し、大男は歓声をかき消すほどに大声で笑った。

    「わかっちまえばどうってこたぁねえ、火力を補正したところで、能研の出したエネコロロの特殊火力指数は確かDランクだったはずだッ! 同じDランクのポケモン――ローブシンやナットレイが特殊技で攻めてきたところで怖いか?! 小細工のタネが割れた以上ッ! もう負けないぜッ!」

     “ポケモン能力研究所”――通称“能研”は、ポケモンの種族ごとにHPや攻撃力、素早さなどがどの程度優れているのかを研究しており、逐次トレーナーに向けて情報を公開している。
     大男は、能研のデータを入念に調べていたこともあって、エネコロロというバトルではマイナーなポケモンの能力を把握していた。
     そして、“みやぶる”と“ノーマルスキン”の作戦――彼に言わせれば“小細工”のタネも把握した。
     バトルは相手に手の内を悟られないことが重要である、種族間に明確な能力値の優劣があるのならば尚更のことだ。マイナーがメジャーに勝つためには、能力差を覆すだけの策が必須である、が――

    「いくぞゲンガーッ、メガシンカ!」

     全てが明るみに出てしまえば、もはやマイナーに勝機はない。
     大男の右腕に巻かれた“メガバングル”と、ゲンガーの持つメガストーン――“ゲンガナイト”が呼応し、ゲンガーの身体が虹色に渦巻く光に包まれ、そして――

    「おおーッ! 青コーナーのゲンガー、なんとメガシンカによりメガゲンガーへと姿を変えましたッ! 赤コーナーエネコロロにとっては厳しい展開、この戦力差をひっくり返すことは、果たしてできるのかぁーッ?!」

     額に現れた第三の眼を輝かせ、ゲンガーはぐにゃりと歪んだ表情。腕は溶けてしまったかのように変形し、胴体から下は異次元空間の中にすっぽり覆われていて、その中を窺い知ることはできない。
     まるで“別物”に変わってしまったメガゲンガーを前に、少女の顔が曇る。

    「……そんな、メガシンカが使えたなんて」
    「ふッ、俺のゲンガーはメガゲンガーへと“変わった”、どういう意味かわかるなッ?!」
    「くッ……みやぶ」
    「遅いッ10まんボルトォ!」

     “みやぶる”の体勢に入るより早く、メガゲンガーの放つ雷のような電撃がエネコロロに迫る。指示を待たずして冷静な判断を下したエネコロロもなんとか10まんボルトを放って応戦する――
     相手と同じ技が使えるなら、その技を使って応戦するのはバトルの基本的知識とされている。異なる技を使って応戦した場合、仮に自分の技の威力が相手を上回っていた場合でも、ぶつかり合いによって技が弾け飛び、自身がダメージを受けてしまう場合があるからだ。大男はその癖に則り“シャドーボール”を指示していたし、エネコロロも普段のバトルでの経験則からこの行動を選択した。

     だが、通常通りの技のぶつかり合いの場合、その勝敗とダメージの程度は、純粋な戦力差を示すことになる――

    「だめっ!」

     少女の悲痛な叫びが、雷撃音に一瞬でかき消される。フィールドに立ち込める土煙、一陣の風に吹かれたその先には、四足でなんとか地に踏ん張る痛々しいエネコロロの姿。

    「青コーナー強烈な10まんボルトォ! 赤コーナーも10まんボルトで応戦しましたがァ、メガシンカから来る圧倒的なパワーに押し負けて手痛いダメージを負ってしまったッ!」

     戦局の大きな動き。観客が盛り上がり、大男は腕を組んで豪快に笑う。
     今この場で盛り上がれず苦悶の表情を浮かべているのは、エネコロロと少女だけであった――

    「……メガシンカは一時的ながらも“進化”だ、進化すればこれまでの状態はリセットされる――エネコロロの“みやぶる”の効力は切れた、ノーマルスキンでダメージを与えるためにはかけ直しが必要だがッ! メガシンカでパワーもスピードも上がったゲンガーはそんな暇を与えないッ! 勝敗は決したぞッ!」
    「く……やるわね、かなり苦しくなってきたわ」
    「嬢ちゃんのバトルセンス、正直言ってかなりのモンだ、それは認める……だがな!」

     男は腕組みして叫ぶ。

    「使うのがそんな“弱い”ポケモンじゃあッ! いくらトレーナーが優れていたって勝てるかよおッ! 抑もエネコロロをバトルで使うなら特性は“ミラクルスキン”一択だろうよ、そこを疎かにしてるようじゃあ俺には勝てねえッ!」

     悪役、と片付けるには余りに行き過ぎた、過度な対戦相手批判――ひいては、マイナーポケモンの批判、否定。オーディエンスは賛否両論真っ二つに割れ、バトル狂いは同調し、エンジョイ派はブーイングを浴びせる。両派の賑わいぶりはヒートアップして、バトルフィールドは更なるボルテージアップを見せる――


    「……そう、思った通りね」


     それは、一人静かに呟く少女も。


    「確かに、それは一理ある」


     おすまし顔で佇むエネコロロも。


    「でも私は、あなたには負けないわ」


     例外なく、同じことであった――!


    「ッ言ってくれるぜ! ならやってみろッ、10まんボルトォ!」

     メガゲンガーの虚ろな瞳が光り、もう一度電撃が起こる。バヂバヂと耳を刺激する雷撃音に観衆が沸き立つ、先の蓄積ダメージから鑑みるに、これを受けてしまうとエネコロロは間違いなく戦闘不能であろう。大見得を切った少女の命運がかかったこの一撃に、誰もが興奮を隠し切れない。

     ――さあどうする、さっきみたいに10まんボルトで対抗したところで火力差は圧倒的だ! いい加減わからせてやる、優れたトレーナーが優れたポケモンを扱ってこそ、バトルに勝てるってことを!

     男の口角が上がる。
     電撃がエネコロロへと迫る。
     命運が、決する――!

    「でんじは!」
    「何ッ?!」

     エネコロロの頭部がわずかに帯電し、自身の斜め前方へと“でんじは”が放たれ、そして――

    「なんだとッ?!」

     電撃――10まんボルトはそのでんじはに釣られて軌道を曲げられ、エネコロロとはまるで違う地点に着弾した、観衆が湧きたち実況がマイクを握りしめる――!

    「これは素晴らしい展開だぁッ、赤コーナーエネコロロ、でんじはを誘導に使いッ! 火力に勝るメガゲンガーの10まんボルトを、見事にいなしたーッ!」
    「く、くそッ、まさかそんな技でそんな手を……」
    「“ノーマルスキン”はでんじはのような補助技でさえもノーマルタイプに変えてしまう……でも、タイプが変わっても相手を“まひ”させることは変わらないように、“わざ”としての性質は変わらないのよ。電気を誘導して照準を外すことだって出来ちゃうのよ、私のコロ」
    「……ならば今度こそこれで終わりだッ、小細工の通用しない、メガゲンガーの最大火力ッ! ヘドロばくだんッ!」

     メガゲンガーの表情が少し険しく歪み、眼前には猛毒のヘドロの塊が出現した。シャドーボールの効かないエネコロロに対して、メガゲンガーが放つことのできる紛れも無い最高火力のわざ――これまで何度も赤コーナーの挑戦者にとどめを刺してきた“切り札”的存在の技に、観衆のボルテージ、テンションは最高潮を迎えた!
     べちょべちょと恐怖を感じさせる不気味な音を発しながら、メガゲンガーの全力を乗せたヘドロばくだんがエネコロロへと迫る、ああ、このままでは今度こそ、火力で押し返せないエネコロロは――!

    「まもる!」
    「ッ!」

     前方に出現した薄いレンズのようなシールドが、エネコロロをヘドロばくだんの猛攻から完全に防ぎ切った。眼前で汚いヘドロが“まもる”によってかき消えていく様を見て、綺麗好きなエネコロロは小さく安堵の溜息を漏らした。
     決まり手、切り札的存在の技を防いだエネコロロにわっと場内が湧いたが、そんな中大男は白けていた。チッと舌を打ち、そして閃く。

    「その技……火力に乏しいエネコロロが耐久型と戦う時、“どくどく”と組み合わせて粘るためにでも準備してたんだろう……ノーマルスキンがあれば、ゴーストタイプも毒状態にできるからな」
    「……あなたのゲンガーはそもそも“どくどく”が効かない毒タイプが入ってるから、その手は使えないけど、ご明察よ」
    「……フン! ならば火力だけじゃなく、そういう搦め手でも俺のゲンガーが優れていることを教えてやるッ! おにび!」
    「っ?!」

     メガゲンガーの表情がぱあっと明るくなり、まるで悪戯っ子のような悪意を含んだ笑顔とともに恐ろしい炎を放った。「まだ“しんぴのまもり”が……」と言いかけた少女の眼前でエネコロロを覆っていた“しんぴのまもり”が解け、悲鳴をあげる間も無くエネコロロは地獄の業火に焼かれた――そう、常にダメージを受け続ける状態異常である“やけど”にされてしまったのだ。

    「ヘッ、俺が“しんぴのまもり”の持続時間を把握してないとでも思ったかよッ! 一度やけどにしてしまえば、もう解除する手立てはないぞッ!」
    「くっ……みやぶるっ!」

     火傷で全身を震わせながらも、エネコロロは懸命にメガゲンガーに視線を飛ばす。メガゲンガーに出せる最高火力が“ヘドロばくだん”であるのなら、エネコロロに出せる最高火力――言わば切り札である技は“ふぶき”。ポケモンが扱うことのできる技の中でもトップクラスの威力を誇る“ふぶき”ならば、メガゲンガーとて対処は困難なはずであるはずだが今の“ふぶき”はノーマルタイプ――メガゲンガーには当たらない。なんとしてもまず“みやぶる”を決めなくてはならない、技を撃った直後の隙である、今この瞬間に――

     だがそれは、全くもって甘い考えであった。

    「まもるッ!」
    「――!」
    「おーっと、今度は青コーナーメガゲンガーが守りの体勢に入りましたぁーッ! 先程は赤コーナーエネコロロが身を守ったこの技をッ! 今度は赤コーナーがッ! これは宛ら技の意匠返しと言ったところでしょうかぁーッ!」

     “みやぶる”を受け止めたシールドの向こう側から、メガゲンガーの心底楽しそうな顔が覗く。少女はしてやられたわねと悔しがりながらも、なぜかメガゲンガーを見つめながら少しだけ微笑んでいた。

    「さあ今度はこっちの番だッ、ヘドロばくだんッ!」
    「う……ま、まもるっ!」

     守りの体勢を解いたメガゲンガーは再び戦闘姿勢をとり、渾身の力を込めたヘドロばくだんを放り投げる。火傷に身を灼かれるエネコロロは必死でシールドを貼ってその攻撃を防ぎきったが、もはや身体がヘドロに汚れなくてよかったなどと安堵している余裕はない。
     “まもる”は相手の攻撃を防ぎきる、単純明快にして非常に強力な防御技である。デメリットとして連発すると高確率で失敗するリスクを抱えてこそいるものの、単純にその場を凌いだり時間を稼いだりするためには非常に使い勝手のいい技なのだ。


     そう、時間を稼ぐのに使い勝手がいい。

     つまり――


    「ここから俺のゲンガーと力比べをしたところでッ! 交互に技を撃ち合いながら“まもる”の応酬になりッ! “やけど”でじわじわと体力を奪われて嬢ちゃんの負けだッ!」
    「……苦しいわね」
    「ゲンガーは攻めだけが能じゃねえッ、一対一じゃなけりゃあ“ほろびのうた”も“みちづれ”なんかも使える芸達者なんだよッ、読みきれないだけの手があってそれでいてハイスペック――本当に“強い”ポケモンってのは、こいつみたいなことを言うんだよーッ!」

     大男のセリフに、メガゲンガーは本当に嬉しそうに笑う。腕組みして得意げに笑う。男とゲンガーは本当に仲がいいらしい、心と心が通い合っているらしい――?

     ――いいえ、少しだけ違うわ。でもその誤り、もうすぐ私が正してあげるから――

     少女はくすりと微笑む。その企んだような表情に、大男もメガゲンガーも、これまでのバトルで敷かれた策を思い起こされて少し強張る。

    「……そろそろコロのダメージは限界、このまま撃ち合いをしたところですぐに倒れてしまう――だから次が、“私たち”の最後の攻撃よ」
    「ほおッ、ならばそれをいなして俺たちが勝つッ! 撃ってこいッ、こいッ!」
    「さあいよいよバトルも佳境を迎えたーッ!赤コーナーはこれが最後の攻撃を宣言ッ、青コーナーメガゲンガーが使うであろう“まもる”を攻略しッ! 打ち倒すことができるのかーッ?!」

     実況の煽りも受け、観衆が、フィールドが震えるほどに大熱狂する。クライマックスを迎えたゲンガー対エネコロロの異色カードは、間違いなく今日一番の盛り上がりを見せていた。じわじわと嬲ってくる“やけど”のスリップダメージに追われながら、如何にしてメガゲンガーを沈めるのか――誰しもが、大声で熱狂しながら、エネコロロをじっと見つめる。

    「行くわよコロ――“どろばくだん”っ!」
    「な、何ッ?!」

     エネコロロが最後の力を振り絞って使った技は、じめんタイプの“どろばくだん”。メガゲンガーの扱う“ヘドロばくだん”と比べると少々小ぶりではあるが、十分な威力を持った立派な爆弾技であり、直撃すれば《こうかはばつぐん》で大ダメージが期待できる――が。

    「血迷ったかッ、嬢ちゃんのエネコロロはノーマルスキンッ! その“どろばくだん”はノーマルタイプで、“みやぶる”を解除したゲンガーには《こうかがない》ぞッ! 抑もこうするから当たりもしないがなッ、“まもる”ッ!」」

     メガゲンガーは“まもる”を繰り出し、前方にシールドを貼って防御姿勢に入った。これでもう、メガゲンガーに通常の攻撃技は通じなくなった。通じるのはこれを解除できる“フェイント”や“ゴーストダイブ”などの一部の技だけだが――生憎、エネコロロはそのどれも使うことはできない。

    「勝ったッ! やはり甘かったなッ、変化技を回避できる“ミラクルスキン”のエネコロロにしていればこの消耗戦は避けられただろうにッ! 攻撃のために“みやぶる”の一手間を必要とするノーマルスキンの個体を選んだのはッ! バトルに対しての甘え――勝利することへの冒涜だッ!」
    「……いいえ、それは違うわ。だって私、この子と一緒に力を合わせて勝ちたいんだもの、個体がどうとかそんな話じゃないのよ――!」

     これまでよりも更に覇気の篭った力強い声とともに、少女は腕を交差させてその場で一回転し、右掌を力強く地面に叩きつけた。聖なる儀式を模したポーズに呼応して、左手首に付けていたリングが輝き、放たれた一陣の光がエネコロロに纏われ、究極の力――“Zパワー”がその身に宿った――!

    「な、なんだとッ?!」
    「受けてみなさい、私とコロで作ったゼンリョク――どろばくだんZ、“ライジングランドオーバー”っ!」

     少女と心を重ねたエネコロロの身体にZクリスタルの紋章が浮かびあがり、可愛らしくも力強い声で雄叫びをあげる。直後、エネコロロから守りの体勢を取っているメガゲンガーに向かって一直線に地割れが起こり、強烈な衝撃を起こす、メガゲンガーの“まもる”が揺らぐ――!

    「ま、まずいッ! Z技は、ノーマルスキンの威力補正がかからない代わりにッ! タイプがその技に依存したまま放たれるッ!」
    「――それに加えて、Z技は“まもる”を打ち崩すのよ! 威力はかなり下がるけど――でもっ!」

     防御姿勢を完全に崩されたメガゲンガーが宙を舞う、埋まっていた下半身を異次元空間から引きずり出されて――。エネコロロは姿勢を低くとってから勢いよく跳びだし、強烈な錐揉み回転を加えてゼンリョクで突撃する――

    「手負いになったあなたのメガゲンガーを倒すには、十分すぎる火力よ! いっけぇーっ!」

     少女のゼンリョクを受け取ったエネコロロのゼンリョク、一人と一匹分のZENRYOKU技が炸裂し、フィールド上空で大爆発を起こした――煙の中から優雅にエネコロロが飛び出して華麗に着地し、一足遅れてメガシンカが解除されたゲンガーが地に堕ちる。両目をぐるぐると回しているその姿は、勝負の決着が付いたことを示すには十分すぎた――

    「な、なッ! なーんということでしょぉーッ! 連戦連勝百戦錬磨の青コーナー、メガゲンガーは戦闘不能ッ! よってこの勝負ーッ! 赤コーナー、エネコロロの勝ちぃーッ!」

     耳が割れんばかりの大歓声が起こり、少女は小さく右手を握り、エネコロロは得意げにおすまし顔でそれに応えた。そして小さく振り返ったエネコロロに少女は左腕のリングを見せつけ、エネコロロはみゃおうと嬉しそうな声をあげた。
     大男は無言のまま悔しそうにゲンガーをボールにしまい、フィールドの中央に向かってとぼとぼと歩く。「コロ。よく頑張ってくれたわ、立派だったわよ。おつかれさま」少女は労いの言葉をかけてからエネコロロをボールにしまい、同じくフィールド中央に向かう。

    「くそッ……まさかこんな形になるとはな……悔しいが力及ばずだ。強いな、嬢ちゃん」
    「ありがとう」
    「……だが恥ずかしい話まだ納得がいかない、いくら策が優れていたところで、ゲンガーとエネコロロとじゃあ力量差が圧倒的だ……どうして、なぜ負けたんだ、俺たちは?」
    「……ポケモンをトレーナーの言いなりにしてる人に、私は負けない。そう言ったわね」
    「ああ……だが、確かに俺はバトルに勝つことこそが至上であり、より強い種族が上位互換として存在するなら、そのポケモンを使わないのは勝利することを冒涜している、そんな風に考えている……だが、俺はゲンガーをぞんざいに扱ったり言いなりにしたりなどは断じてしていない、こいつの強みを活かして勝とうとしているんだ、どうして負けたんだ、何が間違っているんだ?!」
    「……ねえ、あなたのゲンガー、ちょっとボールから出してくれないかしら」
    「? ああ」

     大男はボールの開閉スイッチを押し、満身創痍のゲンガーを繰り出した。少女は体力を回復する効力を持つ“オボンのみ”をそっと差し出し「さっきはごめんなさい。いい勝負だったわね」と優しく話しかける――が、ゲンガーはそのきのみを半ば引っ手繰るように取って、大男の陰に隠れてしまった。やっぱり、と少女が呟く。

    「あなたのゲンガー、きっと“おくびょう”なのね」
    「あ、ああ……性格が“おくびょう”なポケモンは物理戦が苦手な代わりに足が速い――ゲンガーの強さを引き出した戦い方をするには、この性格が一番のはずだッ」
    「……確かにそれは合っている、でも少し違うの……ポケモンには性格だけじゃなくて“個性”があるのよ。“イタズラがすき”とか、“ものおとにびんかん”とか。あなたのゲンガーはきっと、おくびょうで足が速いけど――相手に攻撃をするのはあまり好きじゃない」
    「な、なぜそんなことが言えるッ?!」
    「ゲンガーを相手にして、向かい合って戦ってた私にはよく見えたのよ――攻撃技を使うときと補助技を使うときとで、ゲンガーの表情は全く異なっていたわ」
    「な……」
    「“10まんボルト”を使うとき、ゲンガーは虚ろな瞳をしていたわ。“ヘドロばくだん”を使うときは、苦しそうに表情を歪めていたわ――反面、“おにび”を使うときは楽しそうにケケケって笑ってて、“まもる”が成功したときは心底楽しそうにしてたわ」
    「……」
    「あなた、トレーナーとしてゲンガーの傍にいるのに、いつも後ろからしか見てあげてないのね……だから気付けないのよ。本当にトレーナーとして自分のポケモンを活躍させたい、勝ちたいのなら、きちんと正面から見てあげなきゃダメなのよ」

     自分の足元に隠れるゲンガーを、大男は申し訳なさそうな視線で見つめる。ゲンガーは少し恥ずかしそうにもじもじとしていたが、「ゲンガー……お前、攻撃よりも絡め手で戦ってる方が好きだったのか……?」と聞かれると、少し俯きがちにこくりと頷いた。大男の耳が朱に染まる、「俺は、そんなことにも気付いてやれてなかったのかッ」図体に似合わない細い声が喉から絞り出される。

    「……“エネコロロ”をバトルで勝たせたいのなら、確かにミラクルスキンの方が汎用性が高いし、攻めよりも絡め手で戦った方が賞賛は大きいわ。でも私はエネコロロで勝ちたいんじゃない、この子――コロを勝たせてあげたいのよ」
    「……」
    「だからこの子の“れいせい”な性格と、“おっちょこちょい”な個性と、産まれ持った“ノーマルスキン”を最大限に活かして戦う――“れいせい”さゆえに少し足が遅いけども、パワーに差があるのに同じ“10まんボルト”で戦おうとしちゃう“おっちょこちょい”なところがあるけど、“ノーマルスキン”のせいでゴーストタイプやはがねタイプと戦うのに一工夫必要だけども。それでも全部一長一短、悪いところもあればいいところだってあるの。だから私はそのいいところを伸ばし、活かしてやりながら戦う――それが本当の“トレーナー”の役割だから。そうやって一緒に戦ってるから、勝敗に関わらず、私とコロは輝くのよ」
    「……力及ばず、どころではないッ……俺たち、いや俺の完敗だ――」

     少女の語るトレーナーとしての在り方と、これまで自分がゲンガーと共に歩んできた道のり。その両方を比べてみて、その差に愕然とした大男は力なく肩を落とす、「俺とゲンガーは、これからちゃんとやっていけるんだろうか……」歓声に掻き消されそうなほど小さな声でつぶやく大男に、少女は言う。

    「あなたとゲンガーは絆をエネルギー源とする“メガシンカ”が使えた、それは間違いなくあなたたちの絆が深く結びついていたからなのよ――そう、あなたとゲンガー、戦い方を間違っているだけで、決して悪い仲じゃない……寧ろベストコンビよ。戦い方を改めれば、きっともっともっと高みへと登れるわ」
    「……ははっ、ありがとな、嬢ちゃん……俺、ゲンガーとまた頑張ってみるよ。そしてごめんな、もうマイナーなポケモンを貶したり見くびったりするのはやめだ――そのポケモンの特徴や性格、個性を最大限に引き出した戦い方を、俺は尊敬する」
    「そう言ってもらえて良かったわ。……私も、あなたみたいな明るいトレーナーを目指してみようかしら――機会があればまたバトルしましょう」
    「勿論だ、そのときは負けないぞッ」

     両者はがっちりと握手を交わす。「素晴らしいバトルでしたッ、両者お見事でしたぁーッ!」実況を合図に、観衆全員が二人に惜しみない拍手を送った。大男がゲンガーに突き出した右手にゲンガーが右手で応えたとき、その拍手は更に激しくなった。

     かくして、この日の激闘は幕を閉じたのである――



    ☆☆☆★★★☆☆☆



     爽やかな風の吹くとある地方都市の町外れ、腕試しを競うトレーナーたちが集うストリートバトルフィールドは休日の大賑わいを見せていた――どこの街へ行っても、こういう野良バトル場は賑わっていて楽しそうね。今日はもうこの街を出るから、私は参加するつもりはないんだけども。
     わいわいがやがやとした観衆を横目に、私は都市間道路へと歩いていく。そよそよとした風が気持ちいい、随分と伸びてしまった髪を揺らしながらバトルフィールド際を通り過ぎようとしたとき――興味深い会話が耳に入ってきた。

    「くそーっ、またアイツのゲンガーに勝てなかった!」
    「なかなかしぶとくて倒せないんだよなあ、いなされちまう!」
    「ああいう絡め手するくせに、あのゲンガーすげえ楽しそうな顔するんだよなあ、ちくしょう!」

     まさかと思い、人波をかき分けて最前列へと出る――すると、そこには。

    「決まったーッ! 青コーナーのポリゴン2、じわじわとダメージを稼がれてここでダウンですッ! 赤コーナーのゲンガー、またも勝利ーッ! “くろいヘドロ”と“どくどく”“まもる”を合わせた耐久戦でッ! 驚異的な回復力を誇る相手を見事に撃破しましたッ、これにて赤コーナーは本日五連勝を達成ーッ!」
    「やったぜッ!」

     赤コーナーでハイタッチを交わすゲンガーとトレーナーは、間違いなくあの日戦ったコンビであった。実況や周囲の人の話から察するに、どうやらゲンガーの個性を強く活かしたバトルスタイルを確立しているらしい――うふふ、嬉しくなっちゃうなあ。まさかこんな遠い街で、こんなに久しぶりに、また会えるなんてね!
     腰についたコロのモンスターボールが揺れている、うふふ、あなたも? 奇遇ね、私も彼らと戦ってみたくてうずうずしてるの、行きましょ!

    「次! 私が挑戦します!」

     青コーナーに躍り出た私を見て、赤コーナーの彼が、ゲンガーが、びっくりして目を見張った、やっぱり覚えててくれたのね!

    「嬢ちゃん……いやもう立派なお姉ちゃんだな、久しぶりッ!」
    「お久しぶり。まさかまた会えるなんて思わなかったわ、すっかり戦い方も変わったみたいね」
    「おうよッ、もう以前の俺たちだと思うなよッ!」
    「ふふっ、私たちだって成長してるんだもの、負けないわよっ!」

     思わず笑みがこぼれちゃって、たまらず私はボールを放る。現れたコロの姿を見てみんな「エネコロロでバトルするのか?!」ってびっくりしてるけど――すぐに別の意味でびっくりさせてあげるわ。ね、コロ!

    「さーあ続いて青コーナーに立った挑戦者、使うのはなんとエネコロロッ! 五連勝中の赤コーナーのゲンガーを打ち負かすことは、果たして出来るのでしょうかッ?!」

     コロもゲンガーも、私も彼も、バッチリ戦闘体勢。“本当の戦い方”になった彼ら相手だと、パワーもスピードも負けているコロで戦うのは正直大変ね――でも、そういう相手だからこそ、尚更燃えてくるのよね!

    「柄にもなく燃えてきたわ、行くわよ!」
    「そうこなくっちゃね、行くぜッ!」

     こんなにわくわくするバトルなんていつぶりだろう、勝てるかわからないからドキドキしちゃう。でも精一杯やりきって見せるわ、それが私とコロのバトルだから――!

    「それではッ! はじめぇえッ!」

     行くわよ、私とコロの力、見せてあげるわっ!


      [No.4113] Re: 第三回 バトル描写書き合い会 投稿者:P   投稿日:2019/03/04(Mon) 20:39:24     88clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    お早いスレ立てたいへんありがたく! バチュルVSオーダイルのカードです

    ――――

     「くっつきポケモン」の名前の通り、キキョウのトレーナースクールへ行く時も帰りの道でもバチュルはいつも僕の頭の上にくっついている。その黄色い身体が目に入ると、ポッポやホーホーはそれだけで逃げていく。一度イトマルと間違われたのか食べられそうになっていたけれど、得意の電気を帯びた糸で撃退したらそれきり近寄ってこなくなった。
     そのいつもの重みが、ふっと頭の上から消える。
    「バチュル?」
     名前を呼んで辺りを見回しても、夕暮れの今じゃ暗くてさっぱりわからない。街灯もそれほどたくさんは立っていない道だ。おまけにバチュルは小さい。今見つかっている800種類以上のポケモンの中でも一番と聞いた時はずいぶんびっくりした。
     だから見つける手がかりになったのは、普段から聞いている鳴き声だ。ジジッと、虫の羽音と電気の走る音の間くらいの。それが丁度後ろの方から聞こえてきたから、慌てて振り返る。
    「もう、どうしたんだよ! ほら、急いで帰るぞ!」
     ただでさえもう暗くなっている。今からきちんと帰ってさえ、ヨシノの家に着く頃にはとっぷり日が暮れて母さんのガミガミが待ってるに決まっているのに。そりゃあうっかり宿題を家に忘れて居残り授業になった僕が悪いんだけど。
     そう思って呼んでもバチュルは寄ってこない。それどころか、後ずさってそのまま逃げてしまった。あの黄色は暗い中ではよく目立っていて、点みたいな身体が木の上目がけて一目散に登っていくのだけがよく見えた。
     うっかり潰してしまったらと思うと他のポケモンみたいに飛びついて捕まえるなんてこともできないし、何よりもうバチュルは木の上だ。普通のポケモンならボールに戻せば済むところだけど、バチュルは無理矢理ボールに入れると後々すごい勢いで怒る。前にやった時は家のコンセントをショートさせて停電になり、家族中が大騒ぎになった。
     そうじゃない時は本当に大人しくて穏やかだし無理矢理じゃないならボールにも入ってくれる。タマゴのうちから家にいたから、一緒に暮らす方法をちゃんと分かっているのだ。突然変なことをして困らせるようなやつじゃないはずなのに。
    「バーチュールー!!」
     こっちも苛立ってきて、大声で名前を呼ぶ。バチュルは出てこない。こんなことをしていたら本当に夜になってしまう。ただでさえもう太陽は地平線の向こうに半分以上隠れていて、真っ暗闇になるまでそんなに時間はないのに。
     木の上に隠れたポケモンを落とすには揺らすのがいいらしい。ポケモンの頭突きが一番いいらしいけど、人間が揺らしてもバチュルくらいなら。
     そう真剣に考えていたところに、びちゃびちゃと水の音がする。もちろん木とはまったく違う方向から。木から一旦視線を外してさっき音が聞こえた方向に顔を向ければ、そこには通り過ぎようとしていた池があった。そこから、何か大きなものが顔を出している。
     ポケモン、だろう。人はあんなに大きくないし、そもそも頭に真っ赤なトサカなんて生えていない。シルエットだけでもそれが人じゃないのだとはっきりわかる。
     だけどぱっと見て、それが一体何なのかはわからなかった。全身を見たら、そうじゃなくてもせめてもっと明るければまた違っただろう。でもその段階でわかったのは見慣れないやつということだけだ。
     ただそれだけでも、十分焦る理由にはなる。見慣れているポケモンだろうとこちらもポケモンがいないと危険で、知らないポケモンならもっと危ない。
     幸運なのはどうも、素早そうなポケモンではなさそうだということくらいだった。水中から顔を上げるその動きを見ているだけでもいかにものっそりとしていて、感じとしてはヌオーに近い。ヌオーだったとしてもバチュルはうまく相手ができないだろうし、そもそもシルエットが全然違うから別のポケモンだろうし、そっとしておくに越したことはないのだけど。
     木の上のバチュルに視線を戻して、ほらほらと水から上がってくるポケモンを指す。
     お前がいないと困るんだって。ほら一緒に帰ろう。そんな心の声はやっぱり、エスパータイプでもないバチュルにはわからないみたいだった。まったく反応もなく、僕は困ってまた大きなポケモンの方を向いた。一歩木の方に後ずさりながら。
     ごつごつした強そうな手が池の縁に置かれて、あれが地上へ上がろうとしているのがわかった。その動きもかなりゆっくりで、それを見ながら僕はいざとなったらバチュルを置いて走って逃げようという決心を固める。ヨシノへ帰るならまだまだ遠いけど、キキョウに引き返すなら思いっきり走ればギリギリ大丈夫かもしれない。ポケモンを置いていって大丈夫なのかとか、その後どうするかは考えられないけど。
     そう思っていた矢先に、ゴロロロ、とでも言うような。バチュルが走らせる電気よりももっともっと強い、雷みたいな音がして。

    「えっ、」

     本当に電気――バチュルを怒らせた時にもらう感じのバチッとしたやつが身体に走って、

    「は、」

     僕はちょっと宙に浮いて、

    「――――!!!」

     その下を、弾丸みたいにあのポケモンがすり抜けていった。








     バクバクうるさい心臓のあたりを押さえながら、木の上でバチュルとともに息を潜める。巣を作っていたらしいホーホーがばたばたと飛び立って逃げていくのを振り返る余裕はなかった。
     バチュルがとっさに糸でここまで吊り上げてくれなかったらとっくに死んでいただろう。それかバチュルは、こいつがいることにもう気付いていたのかもしれない。突然頭の上から逃げ出したあの時から。
     ここから相手の全身を見てようやく、それが何なのか理解する。オーダイル、おおあごポケモン。
     このジョウト地方で最初にもらうポケモンの一つ、ワニノコの最終進化形。何にでも噛みつくワニノコよりももっと凶暴で、進化している分力も強いこと。元々水の中のポケモンなので地上では這って動くこと。這って動いていても、脚の力が強いから実はものすごく動きが速いこと。トレーナーが連れているとむしろ這っていることの方が多いけど、本来の姿ということで図鑑のイラストとしては立って描かれることが多いこと。
     全部、スクールで読んだポケモン図鑑に書いてある通りだった。
     例えばこれが先輩トレーナーの連れているオーダイルだったら、怖々しながら眺めて図鑑に書いてある通りに動くことにびっくりしたり感動したりしただろう。でも今この木の真下できょろきょろしているのは、まぎれもなく僕達を探して喰おうとしている凶暴な、野生のポケモンだ。
     野生のオーダイルの生息地はもうこの地方にはないはずだ。これも図鑑で見た知識でしかないけれど、こんなのがたくさん棲んでいたらポケモンだって怖くてそこには棲めないだろう。自分が同じくらい強いわけでもない限り。
     でもオーダイルは間違いなく目の前にいて、見ている限りトレーナーどころか、周りには人っ子一人見当たらない。こんな時間に、しかも野生のポケモンがいる郊外を通る人はほとんどいないのだ。
     暗くならないうちに早く帰ってきなさい、なんてお母さんがガミガミ言っていたけれど、意味を分かった頃には遅いのだ。実物を見てからわかるポケモン図鑑の文章がそうなのと同じように。
     見下ろす先のオーダイルは、獲物が突然どこかへ行ってしまってきょろきょろと辺りを見回している。丁度さっきバチュルを探していた僕を上から見ればこんな感じだろうか。
     どうかこのまま諦めてどこかに行ってくれ――探される側になった僕の必死の祈りが、まるで声になって聞こえたかのように。暗い中でぎらりと光るオーダイルの目と、僕の目が合う。
     ……気付かれた!!
     震えたのは僕だけじゃない、木も同じだった。あのごつごつした前脚が力任せに思いっきり木を殴りつけて、ミシミシと音を立てて木が揺れる。バチュルの糸が帯びていた電気で痺れる両腕に思いっきり力を込めて揺れをこらえる。
     僕の頭から胸元に居場所を移していたバチュルも、同じく服にぐっと爪を食い込ませて落ちないように耐える。少しの間なかっただけの固い爪の感触は、嬉しいけれど頼りきれるものでもない。
    『旅先で危険なポケモンに出会ったら、すぐに逃げなさい。そういう時に逃げることは恥ずかしいことでも何でもない。
     ポケモンは時に人を殺しうる。トレーナーの監督がない、野生で生きてきたポケモンならなおさらだ。
     命あっての物種! ちゃんと君たちと手持ちのポケモンが生きていられることの方が、かっこいいことや強いことよりずっと大切だ』
     いつかの授業の時に先生が言っていた言葉も同じように。
     これを聞いたその時は、ただ単純にそうなんだと思った。全然他人事で、むしろここまではっきり言い切ってしまうことの方にびっくりした。野生のポケモンとどんどん戦って自分の手持ちを強くすることは、旅するトレーナーには欠かせないことだと思っていたからだ。
     でもこんな状況になったら、逃げる方が先だなんて言われなくたってわかる。ただそれと、実際に逃げられるかどうかは全然別の話だ。
     オーダイルは完全に僕を見つけてしまっていて、木を登ってこそ来ないものの今も二打三打とあの大きな脚と太い爪を木に叩きつけ続けている。ここから諦めて帰ってくれるなんてことはまず有り得ない。バチュルの糸で縛って動けなくしようとしても、あの力ならラクラク糸を引きちぎってしまうだろう。動けなくしてその間に逃げる、ということもできない。
     なら最後の手段は、バトルだ。普段この辺りにいる野生のポケモン相手にやっているように、あのオーダイルを負かすこと。
     相手は水タイプだから、電気タイプのバチュルなら有利。そう相性だけで考えられるほどこちらが強いとはどうしても思えなかった。
     もし立ち上がったら、あのオーダイルは僕よりももっと大きいだろう。実際に並ばなくても見ただけで分かってしまうほどその差ははっきりしていた。そして頼りのバチュルは僕の頭に載ってしまうほど小さくて、僕でもたまに潰してしまいそうになるのだ。あんな大きなポケモンと戦わせるなんてトレーナー同士のバトルなら絶対やらないだろう。手加減さえできないかもしれないからだ。
     でも今は、バチュルに戦ってもらわないと話にならない。この小さな家族の一員があの大きな脚に潰されてしまうかもしれなくても、あの大顎で丸飲みにされてしまうかもしれなくても。
    「……頼む」
     ジジッ、とバチュルが小さく鳴いた。きっとバチュルもこの状況を分かってくれている。そう信じるしかなかった。
     今の状況でいいことを数えるとするなら、まず僕のカバンとその中身は無事なこと。僕がついていてやれる限り、あるだけの道具を使うことができる。そしてバチュルがものすごく小さくてあんなに大きなポケモンに勝てなさそうに見えるのも、もしかしたらそうなのかもしれない。
     バトルはする。オーダイルを負かさないときっと僕たちは生きて帰れない。ただそれは、相手を倒すことじゃなくてもたぶんいい。逃げ出すくらいまでダメージを与えて、喰うのを諦めさせれば僕らの勝ちだ。そう考えるなら、元々強そうに見えるより豆粒みたいな相手が実は強い、という方がびっくりして逃げ出す確率は高いかもしれない。
     僕がするのは、しなきゃいけないのは、その「実は強い」を本当にすることだ。どうやって? どうやったって!
     両足を太い幹にしっかり絡めて、落ちないようにカバンを自分とお腹の間に挟みそのまま開ける。胸元のくっつきポケモンの背中越しに見るカバンの中身は暗さでよく見えなくて不安が募る。体勢のせいでオーダイルが木を殴る衝撃がどすんと、まるで自分が殴られているようにダイレクトに感じるのもそうだ。
     ぼやけてきた視界を一度拭って、輪郭しかわからないカバンの中をもう一度見てみる。ノートも参考書も空のモンスターボールも、今はオーダイルを怒らせることくらいにしか使えない。
     役に立ちそうなのはきずぐすりのスプレー、それに。
    「! バチュル!」
     小さな声で呼ぶと、バチュルはするするとカバンの方へ下りていった。カバンの中に手を突っ込んで、目的のものを掴んで両手で開ける。
     カプセル状になった容器の中に粒タイプの薬がたくさん入った、ポケモンの能力を一時的に上げるアイテム。スペシャルアップ、ヨクアタール、プラスパワー、種類によって色々な名前がついた薬品。作っている会社の人が来て授業をした時におまけとしてもらったものだった。
     パッケージは明るい水色。それが何の能力を上げるんだったか思い出せない。でもきっとどれでも、今使わないよりはずっとマシなはずだ。
     揺れる木の上、そのカバンの中でバチュルは薬を少しずつ食べているようだった。オーダイルみたいな大きなポケモンならカプセルごと丸飲みにできそうな薬でも、バチュルには一粒一粒が抱えて食べるほどもある。どうしてもかかってしまうその時間がたまらなくもどかしい。
     オーダイルは疲れる様子を見せずに、まだ木を叩き続けている。揺れでちぎれた葉がカバンの中にも何枚か入り込んできていた。それに幹にずっと近いこの体勢は、聞こえたくないものまで聞こえてしまう。ゴロゴロという雷のような、待ち構えるオーダイルのうなり声。ミシミシと木にひびの入る音。きっともう、いつこの木が折れたっておかしくないのに。
    「ヂュッ」
     そんな状況の中なのに、一鳴きしたバチュルの声が意外なくらいはっきり耳に入った。カバンの中から素早く駆け上ってきて、あっという間に頭の上まで進んでしまう。その重みがまた消える。それで頭のてっぺんに意識を向けたその時ふと、いやに静かになったことに気付いたのだ。いろんな音が聞こえ続けていたさっきからすると、どう考えてもおかしいくらいに。
     感じるのはふっと浮くような感覚。風も振動もないのに動いた葉が頬に当たる。自分の身体の真ん中が傾く感じ。
     いや、今しがみついている幹が。その、根元から、傾いていて。
     風を切ってどんどん加速していく中でもう折れてる幹を離せなくてただめちゃくちゃに身体に力を入れてしがみついても何の意味もなくてだってもうこの木は折れてて下にはあいつが    あいつが
     
     
    「うわあ――――っ!!!!」
     
     
     上げたとも気がつかなかった自分の声は、木の葉が立てるバサバサという音と一緒に耳に入ってきた。思いっきり打ちつけた背中がズキズキ痛んでいて、目をぐっと瞑ってその痛みに耐える。
     痛みが音と一緒に降って湧いたのと同じように、瞼の裏の真っ暗なところから引き戻されたのも音のせいだった。ただそれはオーダイルのうなり声でも、牙をガチガチ慣らす音でも、何かを噛んでいる音でもない。
     ジジジジジジジジと続く、ものすごくうるさい虫の羽音。夏休みにホウエンへ行った時に聞いたテッカニンの羽音と火花のバチバチを混ぜたようなその音を、僕はよく知っている。
     バチュルだ。いつもバトルで上げている、庭で練習して家族にうるさいって怒られる、いやなおと。それを思いっきり鳴らしているんだ!
     目を開けても空は真っ暗で何も見えない。散らばった枝と葉っぱの上に手をついて起き上がろうとして、肩と肘に痛みが走って思わず体勢を崩しまた寝転がる。その間も音は鳴り止まない。大きなものが大地を踏み締める、どすん、という衝撃が地面を伝わるのを感じる。
     オーダイルだ。そうだ、起きないと。動かないでいたら喰われてしまう。僕かバチュルか、それかどっちもが。
     逆の腕を怖々とついてみる。大丈夫だ。最初思ったとは逆の方へ、バチュルの立てる音に背を向ける形で身体を起こして、それから振り返る。
     大きな影は完全に僕に背を向けているようで、まず目に入ったのはこちらを向いた太い尻尾だ。いやなおとは僕からゆっくりと遠ざかっているようだった。それを追いかけているオーダイルも同じように。
     オーダイルは音がよっぽど気に入らないみたいで、こっちに振り返る素振りなんて全然ない。僕のことなんか完全に忘れてしまったようで、水辺から上がった時のようにのっそりと、じりじりとバチュルの方へ近づいている。僕にも姿が見えない、どこにいるかは音でしかわからない、それくらい小さなポケモンの方へ。
     その様子を見て、ひとつ思い浮かんだことがあった――今なら、追いかけてこないんじゃないか。薬も使ったけれど、相手を逃がせば勝ちだけれど、やっぱり他のトレーナーを頼った方がいいんじゃないか。
     僕だけでもキキョウへ走って戻って応援を呼んでくる。ポケモンセンターには誰かしらトレーナーがいるはずだし、先生たちだってポケモンを持っている。あのオーダイルに勝てるような人がいるかはわからないけど、もしいなさそうなら何人でも呼んでくればいい。
     向かい合う二匹を見て改めて感じた。やっぱりこんなの無茶だ。バチュル一匹で勝てるわけない。もし野生のバチュルが群れで立ち向かったら勝てるかもしれないけど、一匹で戦う相手じゃない。
     そんな思いで一歩、足を引く。尻尾はまだこちらを向いている。二匹はにらみ合いを続けている。何も気付かれていない。それが安心の材料になって、背を向ける。
     二匹の姿が見えなくなって、視線の先には道。なだらかに登っていった先に遠く、街の入り口ゲートに灯る明かりが見える。
     あとはそのまま掛け出してしまうだけだ。走るために力を入れて、腕を振る。肩と肘がずきりと痛んだ。でも、動けるくらいの痛みだった。
     そう思うと、自然と足が止まっていた。それは痛いからじゃなかった。
     バチュルは、動けるくらいの痛みで済むんだろうか。
     生まれてからずっと人間と一緒にいたポケモン。野生で暮らしたことがない、タマゴ生まれのポケモン。
     野生のポケモンはものによってはあんなに凶暴で、トレーナーのいるポケモンみたいに手加減なんかしてくれない。もちろん戦ったことはあるけど、こんなに強くて容赦がないのと戦ったのは初めてだ。
     もしもバチュルが一回でも攻撃されることがあったら、その時はケガだけじゃ済まないかもしれない。今の僕と違って動けなくなってしまうかもしれない。
     そうしたら、トレーナーを呼んでも意味なんかなくなるだろう。
     先生だって言っていた。『ちゃんと僕たちと手持ちのポケモンが生きていられることの方が大切だ』。ポケモンとトレーナーは、セットなんだ。
     帰ってきたここに潰れたバチュルがいたら。それかバチュルが、これっきり見つからなかったら。
     そんなのは嫌だ。絶対に嫌だ。
     そう決心して、脚に力を込めてぐるりと振り返る。前方から聞こえてくるジジジジ音はもっと遠ざかっている。オーダイルの影が少し小さくなったように見えるのは気のせいじゃなさそうだ。
     万一でもオーダイルに気付かれないように、でもバチュルをひとりにしておく時間ができるだけ短くなるように。足音を抑えた大股で、できるだけ早く。
     そうして近づいた先で。前触れもなく、大きな影が跳ぶ。
    「バチュル!!」
     思わずそう叫んでしまったのは、それが僕の方に向かっているんじゃなかったからだ。図鑑で読んだ、後ろ脚で地面を蹴って前へ跳ぶ動き。水辺から上がってきて僕を狙った時の動きを、もう一度目の当たりにすることになる。
     息を呑んだのは、叫んでしまった――僕がいることを教えてしまったのに気付いた後。そして、あのジャンプに合わせて一度乱れ途切れたいやなおとがまた始まったことに気付いた後。
     大丈夫。バチュルは大丈夫だ。どうやって助かったのかはともかく、まだ戦える状態ではある。心配しなきゃいけないのは僕自身の方だ。
     尻尾だけが見えていたオーダイルのシルエットがゆっくりと立ち上がり、横顔になる。長く伸びた顎が大きく開いて、闇の中に浮かぶのはずらりと揃った真っ白で長い牙。光る眼がぎょろりと横目で僕を見る。
     それだけで全身が強張った。見せつけられたそれにかみ砕かれる想像が頭を離れなくなって、まだ起きてもいない痛みと恐怖に震える。
    「あ……ああ…………」
     目を見開いたまま動けなくなる僕を現実に引き戻したのは、暗くなった中に走る光だった。
     まるで首輪をつけたみたいに、目の前にある巨体の首回りに細い光の筋が走る。同時にオーダイルは叫び声を上げて、爪で首元をガリガリ掻きむしる。
     それがバチュルの得意な電気を帯びた糸だと分かった時、僕はとっさにオーダイルの顎が向いているのと逆の方向へ地面を蹴った。そのまま大ワニの横を大きく回り込んで、その巨体の向こう側をようやく覗き込む。真っ暗な中で草むらの一箇所が小さく光っていて、ようやくバチュルのいるところが分かった。
     バチュルだってあの小さな身体で必死に戦っている。いや、木が折れてからずっとひとりで戦ってくれていた。なのにそれよりずっと大きい僕が怖がってどうするんだ。バチュルはもっと怖いかもしれないのに。
     邪魔が入ったせいかオーダイルは僕がいた方に振り向くのを諦めて、再びバチュルと向き直る。ガチガチと顎を開け閉めして牙を鳴らす様子は今にもお前を喰ってやるぞと言わんばかりだ。そのまま低く構えて前脚を大きく振り回し、鋭い爪が草むらを刈り取っていく。
     ずん、ずん、と太い後ろ脚が地面を踏み締める度バチュルとの距離は縮まっていって、隠れている草むらそのものが小さくなる。にもかかわらずバチュルは動かない。
     何やってるんだよ、と言いそうになった時、見つめる先の光る点はようやく動き出した。その光が残像になって残ったかと思うくらいの、普通じゃ考えられないくらいの速さで。苅られに苅られて小さくなった草むらを一目散に出て行って、僕のいる方にある違う草むらに収まる。
     糸をどこかに絡めて飛び移るならともかく、バチュルはあんなに早く動けないはずだ。でもさっきの動きからすると間違いなくバチュルは地面を歩いている。それを目の当たりにしてすぐにはその原因を思いつかなかったけれど、振り返ってみれば原因なんてひとつしかない。
     木の上でバチュルに食べさせた、あの薬だ。
     あれはポケモンの素早さを上げる薬だったんだろう。ちょっと前にオーダイルのジャンプ攻撃を避けたのも、この速さがあったからに違いない。
     起こったことにようやく納得しながら、足元から視線を上げる。少し離れた大きな影はまたも緩慢な動きで方向を変え、こちらを向こうとしている最中だった。真っ直ぐ飛びかかってくる時はあんなに速かったのにと思ったが、逆だ。あいつが速く動けるのは、真っ直ぐに進む時だけなのだ。
     ならバチュルのスピードでぐるぐる周りを動きながら戦うか。いや、僕があの速度についていけない。あいつがバチュルを追いかけるのに飽きた瞬間、それか僕がついていけないのがバレた瞬間、僕の方が狙われて食べられてしまう。
     この速さを使って逃げるのもたぶん同じことになる。それにもうオーダイルは完全に僕たちをロックオンしていて、逃げようが何だろうが追いかけてくるに違いない。そのままキキョウの入り口ゲートに突っ込んだら大変なことになってしまう。
     そう考えている間に、もう大顎はこっちを向き終えていた。その巨体が身を縮めたのを見た瞬間、同じ事をする。
     両足で強く地面を蹴って横っ飛び。大きなものが飛び込んでくる音がしたのは、僕が草むらに突っ込むよりも前だった。うまく地面に手がつけなくて、今度は木から落ちる時打ったのと逆の肩が強く痛んだ。
     痛みに耐えて両肘をつき、少しだけ身体を起こす。そのまま首だけ動かして元来た方を見る。
     この体勢で見ると草が邪魔をして、バチュルが無事かどうかまでははっきりわからなかった。けれどオーダイルの、それも高さからして四つん這いになっている姿は遠く見える。
     見えなくても、バチュルはいるはずだ。大丈夫なはずだ。一度、同じ動きを避けているんだから。
     息を吸い込むだけで広がった胸が痛い。でも吸い込まないと、バチュルに声が聞こえないんだ。

    「バチュル! あいつの背中に飛び移れ!」

     それはあの低い姿勢を見て、そして自分も同じ姿勢になってみて、とっさに思いついたことだった。
     バチュルのジャンプ力は身体の大きさからするととんでもないものだ。バチュルの何倍も大きい僕の頭にだって、机からなら当たり前に飛び上がって乗ってしまうほど。
     だから四つ脚になった相手の背中に飛び乗るくらいなんでもないだろう。それに、今のバチュルは普段の何倍も速いんだから邪魔だってできないはずだ。
     視線の先で飛び跳ねる小さな光の点が見えた。それは難なくオーダイルの背中に着地しそこにあるトサカをするする登り先っぽにしがみついて、その真っ赤な色を明るく照らし出す。
     嫌いな電気を出すものにへばりつかれて、オーダイルは目に見えて慌てていた。表情が見えなくてもその動きだけを見ていれば難なく分かるくらいに。身体を何度も大きく揺すり、それで落ちないと分かれば腕を大きく後ろに引いて何とか邪魔なものを落とそうとしている。でも腕や肘のつくりのせいなのか、どう見てもそこに手は届きそうになかった。
     チャンスは今しかない。もう一度大きく息を吸い込んで、ひときわ声を張り上げる。
    「腕めがけて『エレキネット』!」
     聞こえるが早いか、光る点からぶわっともう一個の光が撃ち出される。見る間にそれは広がって、それを出した点をまるごと包み込めるほど大きくなる。それは何とか背中に向けようとしていたオーダイルの片腕に絡みついて、またそこに張り付く。
     ねばねばした上に電気と一緒の取れない糸が増えて、オーダイルはどう見てもカンカンに怒っていた。蚊に刺された時みたいにもう片方の腕で糸がついた辺りをガリガリ引っ掻いて、それでも足りないようで腕を力任せに近くの地面へこすりつけて、何とか糸を取ろうとしている。もうどう見たってバチュルどころじゃない。
     そろそろ逃げられるかとも思ったけれど、考え直す。オーダイルはまだまだあれだけ暴れられるほど元気なのだ。ここで逃げたらやっぱり追いかけてくるだろう。
     もう一箇所。もう一箇所に電気を。できれば絶対に動いてほしくない、それにオーダイル自身も危ないと思うところ。
     ガチガチと動いていた顎や牙、それにあの超スピードの出せる後ろ脚。もし当たれば一撃で引き裂いてしまいそうな鋭い爪。思い浮かぶ可能性を消していく。そこを狙えば逆にバチュルがやられてしまうかもしれない。
     その心配がないところ。そしてこの体勢で狙いやすいところ。
    「頭の方に移動して、あいつの目を固めるんだ!」
     叫んだその指示に抵抗がなかったかと言うとそんなわけはない。もしこれがトレーナー同士のバトルなら絶対に出さない命令だ。でも今はそうじゃない。トレーナーがいたならあいつは僕たちを喰い殺そうなんて考えないだろう。それと同じだ。
     バチュルの動きにも迷ったようなところは全然なかった。トサカから背中へ駆け下りて、そのまま素早く頭の方へ向かう。頭のトサカの谷へしがみついて、さっきと同じようにもうひとつの光点を生み出し、放つ。
     グオオオオオと地鳴りのようなオーダイルの叫び声。伝わる振動は大きな後ろ脚で踏む地団駄だろうか。その様子をもっとはっきり見るために、力を込めて上半身を起こし、立ち上がる。全身のケガから伝わる痛みのせいで滲んでくる涙を汚れた袖で拭う。
     そこで目に入ったのは、大暴れしている巨体だった。
     オーダイルはぶんぶんと強く頭を振り回して、その上にいるバチュルを振り落とそうとしている。その揺れ具合は背中にいるのを落とそうとしていた時とは段違いで、頭へ移ったのはまったくの間違いだったと僕に教えているようだった。それでも光る点はまだ何とか頭の上にくっついている。あの青い爪を必死に立てて落ちないよう堪えているに違いない。
     何か。どうにかしなきゃいけない。いけないんだ。だけど何を言っていいのか、何を言えば今この状況から抜け出せるのかわからない。
     言うべき指示が思い浮かぶよりも前に、光点がふっと宙に投げ出された。残された光の残像に見えるものは、しかし残像にしてはおかしな軌跡を描いているように見えた。
     そうか、あれはバチュルの糸だ。あれを伝って何とか戻れるように、バチュルはトサカに糸の始点をくっつけておいてくれたのだ。頭上から吹っ飛ばされたバチュルは重力に従って落ち始めていて、たるんだ糸はすぐには引けそうになかった。
     その時オーダイルの光る眼が落ちていく小さな影をはっきり捉えていると見えたのは、その糸とバチュル自身が放つ光のせいだった。それから起きることを目の当たりにしたのも。
     閉じていた大顎がばっくりと開く。金色の眼はまだバチュルを追っている。開いたままの顎が滑らかに動き出す。自分では動けない空中のバチュルに向かって。白い牙と口の中に広がる赤色が見えた。顎が閉じ始める。その中には光る点がある。牙の白が逆光のせいで正反対の色に見え始めた。そのうち光は、牙の隙間から漏れ出るばかりになっていって。
     目の前で、ぱくりと、口の中へ消えた。
     
    「バチュル!!!」

     悲鳴のような叫び声がどうか聞こえていてくれと願うばかりだった。オーダイルにだってそれはどう考えても聞こえていたけれど、光る眼はぎょろりとこちらを向いただけで何もすることはなかった。まるで僕一人じゃ何もできないのを、あっちだって分かっていると言うようだった。
     もごっと口を動かしてオーダイルが口の中のものを一噛みした。その時だった。
     バヂンッ、と籠もった音。それと同時にオーダイルが頭をもう一度思いっきり振る。口を少し開けてのその動きの後に、小さな何かが吐き出される。
     それが落ちた辺りをじっと見つめて、オーダイルはそろそろと数歩後ずさった。見つめる先の地面に一瞬小さな光が灯った。それを見ればオーダイルはさらに下がって、点から遠ざかっていく。後ろ向きで進んでいく先には、オーダイルが元来た池。
     尻尾が水面に触れた瞬間、大ワニはそのまま素早く水の中へ潜ってしまった。その身体に見合わず静かに、まるで隠れるように。
     残されたまま、僕は呆然と水面へ目を向けていた。何もいないように静かだった。
     その鼻先に風が伝えてきた、焦げ臭いにおい。それでやっと僕は我に返る。
    「バチュル! どこ!? バチュル!!」
     その名前を呼びながらオーダイルが見つめていた方へ、においのする方へ歩いていく。よく足元に目を凝らしながら、さっきのオーダイルよりもゆっくりと。そうでもしないと今度こそバチュルを踏み潰してしまうかもしれなかった。
     声には何も答えがない。その代わりに、さっきと同じ光が一瞬光った。その中心に、小さな影。
    「バチュル!」
     数歩で近づける距離を務めて大股で。しゃがんで呼んでみても変わらずバチュルが応じることはなかった。その身体を覗き込んで愕然とする。暗い中でも分かる。胴体に大きな穴が空いて、なんだかわからない汁が漏れだしている。
     震える手で触れても、軽くなった身体を持ち上げても、バチュルはぴくりとも動かない。
     早く、早くポケモンセンターに連れて行かないと。
     その一心で、両手でバチュルを抱えたまま僕は走り出した。両腕のことも背中のことも、痛みなんてぽんと頭から抜けていた。
     
     
     
     
     
     
     ボロボロのバチュルを連れて、しかも真っ暗な時間に飛び込んできた僕を見て、センターに泊まっていたトレーナーもただごとじゃないと分かってくれたらしい。すぐにジョーイさんを呼んで、急患だと説明してくれた。
     カバンごとモンスターボールを置いてきてしまったせいで、バチュルはそのまま連れて行かれることになった。僕はそのまま事情を話した。たまたま帰りが遅くなってしまったこと、いるはずのないオーダイルに襲われたこと、逃げられなくなってしまったこと、何とかオーダイルと戦おうとしたこと、相手は逃げていったがバチュルは大ケガをしてしまったこと。
     話を聞くとジョーイさんは、今日はセンターへ泊まっていくよう言ってくれた。家への連絡もしておいてくれること、オーダイルを何とかするよう泊まっているトレーナーに頼むことやゲートの見張りを強化するよう警察へ連絡することも約束してくれた。
     そして。
    「あなたが生きていて本当に良かった」
     まず言ってくれたのは、そのことだった。
    「例えばトレーナーに捨てられたり、何かあって元のすみかから追い出されたり、本来棲んでいるところから離れて迷い込んでしまったり。そういう理由で本来棲んでいるはずのないところにポケモンがいる。それはみんなが思っているよりも多いことだし、そうしたポケモンにばったり会って亡くなってしまう人やポケモンも同じだから。
     そのオーダイルも、そうしてあそこにいたのかもしれない。くらやみのほらあなは真っ暗で、誰が何をしているかわからないし。フスベシティの強いポケモンが棲んでいるエリアとも繋がっているから……たまにそういうことがあるの」
     トレーナーとして旅をすることは危ないことだらけなんだと、いろんな大人達が言っている。でもそれを身にしみて感じたのは、これが初めてだった。
     アニメやゲームや本の中のトレーナーはいつでも強くてかっこいい。それに親戚や友達のお兄さんやお姉さん、そんなトレーナーとして旅に出た経験のある人はいろんな話を聞かせてくれる。その中にはすごく危ないものもあったけど、むしろそれを乗り切って帰ってきたってだけですごくそれに憧れた。
     きっと今日僕が体験した話だって、昨日の僕が聞いたら目を輝かせて聞いただろう。ケガの話に顔をしかめながら、オーダイルの怖さに身を震わせながら。でもその中にはどうしたってワクワクがあって、つまりそれは聞いてるだけでしかなかった。他人事だったのだ。
     今自分がその真ん中に置かれてみて、ワクワクなんて欠片もあるわけがない。ただただ、死ぬのが恐ろしかった。僕が。バチュルが。そしてそれは今もまだ続いているのだ。
    「……バチュル、元気になりますよね」
     そう聞くとジョーイさんは少し笑いかけてくれた。元気を出して、と言うように。その後きゅっと口元を引き締めるのを見て、あまりいい話は待っていないのだろうと分かった。
    「つらい話をするけれど、よく聞いてね。
     あのバチュルは、内臓まで達する大ケガをしているの。心臓とか、傷つくとすぐに死んでしまうようなところは無事だったけど、油断はできない。
     それに……問題は、電気袋が大きく傷ついていることなの。話を聞いている限り、そこをケガした時に溜まっていた電気が一気に出てきて、それでオーダイルは戦意をなくして逃げていったんだと思うけど……
     もちろん、出来る限り手は尽くします。今はコガネの大きなセンターへ連絡して、イッシュ地方のポケモン治療の専門家を応援に呼んでいるところなの。
     それでも、バチュルが元通り生活できるようになるかはわからない。バトルをできるようになるかどうかも」
     今まで通りに暮らせないかもしれない。命が助かっても。家のコンセントにくっつくバチュルの姿が、ご飯を出すと喜んでテーブルに飛び乗るバチュルの姿が、手から肩、僕の頭に登ってくるバチュルがいなくなってしまうかもしれない。
     やっぱり立ち向かったのは間違いだったんだろうか。そんな思いが頭を塗りつぶす。でも立ち向かわなかったらきっと死んでいたのだ。じゃあどうすればよかったんだ?
     うまくオーダイルの上を取ったあの時、このまま攻めなければいけないと思った。派手な電気の出せないバチュルなりに電気で戦って、きっと勝てると思った。でも結果はこのザマだ。あれは間違いだったのか?
     頭の中ばかりがぐるぐる回るくせに、その中身はさっぱり言葉になりそうもなかった。からからの口はそのまま永遠に張り付いてしまうようで、下げた視線の先にある膝に置いた手がだんだんと滲んでいく。それを見かねたのか、ジョーイさんが口を開く。
    「こんな話をした後に勧めるのはおかしいかもしれないけど。
     今日は早く休んだ方がいいわ。あなただってたくさんケガをしているし、疲れてる。
     皆、自分のポケモンほどじゃないって言うけど。それが本当でも、あなたの疲れやケガがなくなるわけじゃないの」
     その声を受けて眺めた顔もやっぱり滲んでいて、汚れた袖で涙を拭う。その向こうに現れた表情は毅然としていたけれど、不思議ととても優しかった。
     そのままふっと頬を緩めて、また笑顔を向けてくれる。どんな顔をして向き合えばいいのかわからなくて、僕はまた膝の上へ視線を落とした。
    「バチュルを元気に迎えてあげてね」
     諭すような声。顔を上げられないまま、僕ははいとだけ返した。

     
     
     
     
    ――――
    ・1対1のバトルは対比で作ることが多いので一番対照的な体格のこの組み合わせで
    ・「この組み合わせでバチュル視点、どうやって戦うんだ?」はトレーナーが一番思っているでしょうということで、執拗に「敵うのか…?」「いや逃げるか…?」「なんでもありじゃないか…?」という話をしています 「バトル描写」の書き合い会という点からは若干外れたかなと思って反省しているところもある
    ・書いている側も「どうやったらまともな戦闘が成立するんだ?」とはかなり思っているので、じゃあどうするかを考えた時に、能力アップアイテムってぜんぜん使われないよねという話を思い出したので使いました
    ・そういうアイテムを持っているのは誰か? ということを考えた時、ゲーム中のトレーナースクールで説明を聞く印象が強かったのでトレーナーはじゅくがえりに。そこから机上の学習、聞きかじった話と実戦は違うよねという流れにしたくて野生のオーダイルに登場してもらいました(野生ポケモンの戦いをぜんぜん書いたことがなかったので挑戦したかったのもある)
    ・この組み合わせで書くんだって弟に言ったらしばらく沈黙された後「……バチュルが途中でデンチュラに進化するのはルール的にアリなの?」と聞かれた(たぶんアリだろうと思ったが、じゃあ別ルートを行ってやろうということになった)


      [No.4112] 一擲乾坤を賭す 投稿者:シガラキ   投稿日:2019/03/04(Mon) 20:39:12     89clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

     エネコロロvsゲンガーで参加させていただきました!
     本文の8割は戦闘してます。トウカの森壊れる。


    ▼ ▼ ▼



     風の噂を聞いた。

    「トウカの森に強すぎるトレーナーが現れた。森の中の荒廃していた空き家を買い取って、そこに住んでるらしい」

     ホウエン地方を横断し、また違う浅瀬に波打つ音が聞こえるこの地にまで吹いてきた風は、強いに違いない。時期外れに半ば押し付けられた長期休暇。それを持て余しミナモデパートのフードコートでシークアーサーを啜っていた僕のすぐそばで、若手トレーナーがそれを口にした。これはツイている。僕はシークアーサーを飲み干し立ち上がると、透明なプラスチック製の容器をくしゃりとつぶしてトラッシュボックスに放り投げた。
     人ごみをかき分けながら、胸ポケットからポケナビを取り出し立ち上げる。時間はあるのだ。豪勢に船旅を楽しみつつ行こうじゃないか。熱いバトルの未来図を胸に抱きながら、期待と共にポーチに入った6つのボールをなぞった。


     *―*―*


     俺は退屈していた。場所が悪かったのかもしれない。近場にふたつのジムがあるから猛者も集まるだろう、という安易な理由で赴いたことを後悔して眠った夜は4回過ぎた。挑んでくる奴は大概なんてこともないのでもう面倒くさい。いっそ旅に出てしまおうか。カビ臭い部屋でひとり、俺はインスタントコーヒーを飲み干した。

    「たーのもー!」

     誰かの大声が鼓膜を鳴らす。その声が木々に阻まれ減衰して消えていくのを最後まで聞いてから俺は席を立った。机の上に転がろしていたひとつのボールを手に取り、靴を履いてヒビの入った玄関の扉を押して外に出る。少しひらけた場所で、生い茂る木の葉の隙間から差し込む淡い太陽光に照らされた声の主は、俺の姿を見るににやりと笑った。短い茶髪に小奇麗に整った顔立ち。そういえば、と俺は思い出す。鏡を持ってくるのを忘れていた。嫌な予感がして上唇の上を指でなぞると、やはりというべきか、そこにはそこそこ伸びた髭の感覚があった。もしかしたら俺は原始人のような恰好になっているのかもしれない。

    「貴方が強いひと?」
    「さあ? ――確かめてみろ」

     俺の言葉で確信したのか、そいつは瞳を大きく広げて笑いながらポーチのボールに手を伸ばした。俺もそれにならってボールを投げる。2つのボールが宙に舞い、中から2匹のポケモンが姿を現す――。
     にしても、俺が答えた途端に茶髪の端正な顔が愉しそうに歪んだのを見て、なんとなく関わりたくない気持ちも出てきた。あれは完全に――実際に見たことがあるわけではないが――ヤクをやってる顔だった。
     2人の間に出てきたのは、俺のゲンガーと相手のエネコロロ。俺と戦うためにここに来た奴としては、かなり珍しい手持ちだ。エネコロロという種族は能力的に中の下か、下の上。舐められているのだろうか。

    「1on1。道具の付与なし。制限時間はなしで、どちらかが瀕死になった時点で即終了。いいな?」
    「いいよ。そういえば、名乗っていなかったね。僕はサカエ。貴方は?」
    「俺はカロク。さあ、お前の先制だ」

     このような野良バトルにおいて、ルールの確認はとても重要だ。誤解があれば亀裂を生み、望むバトルから逸脱していく。それはお互いに望まないだろう。
     俺に挑戦してきたサカエは、先制を貰ってもすぐに攻撃はせず、俺とゲンガーを値定めるように見つめていた。ポケモンバトルにおいて、トレーナーができることは的確な指示をポケモンに届けること。それには自身の知識、経験、そして相手と自分を注意深く観察することで精度を増していく。彼を見るに、先手を貰ったことで喜び勇んで突っ込んでくる自称感覚派の名人さまではないようだ。少しだけ期待が膨らんできた。
     エネコロロとゲンガー、タイプ相性的には微妙。ノーマル技はゲンガーに効かず、ゴースト技はエネコロロに効かない。その影響で俺のゲンガーの技のうち、1つが潰されてしまった。残りの3つの技で俺とゲンガーはエネコロロを仕留めなければならない。だがそれはエネコロロも同じことのはずだ。――目線が変化した。来るか。

    「Bだ!」

     サカエの言葉にエネコロロはうなずいてゲンガーの方へ駆けだした。技名は言わないか。食えない奴だ。ゲンガーはそんなエネコロロを迎え撃つかのように構える。
     ゲンガーとの距離は10メートルを切った。そこであろうことかエネコロロは歩みを止めて地面を蹴って後ろに跳んだ。そして口元で電流で球を編み、それを飛ばす。恐らく『電撃波』だろう。その技の選択のやりにくさに、俺は思わず下唇を噛んだ。確か『電撃波』は必中といわれるほどの命中精度を誇るものの、威力は控えめの特殊電気技だったはず。

    「木の陰に逃げろ」

     ゲンガーというポケモンは影に潜むことができる。しかもここは森の中。影なんていくらでもある。ゲンガーはケケケ、と笑うと足元の陰に潜んだ。遅れて『電撃波』がその地面に爆ぜるも、そこにゲンガーはいない。すでに影の中を移動している。薄い砂埃が舞う中、サカエは不用意に視線を周囲に向けず、ただ俺の視線だけを観察しているようだ。中々賢い。だが、そんなことは対策済みだ。

    「『催眠術』」
    「っ! 周りの木々に近すぎないように飛び回って!」

     このバトルフィールドは円形にひらけており、左右は木々が生い茂っている。そのせいで左右は日中でも少し薄暗い。影として潜むならそこを疑うだろう。しかしそれは当たるだろうか。俺はゲンガーにピンポイントな指示をしていないが、どこに隠れていそうなのかは何となく分かっていた。ほら、視界の隅でゲンガーの耳が地面から出て――。

    「――! 近くの砂埃の陰だ! 距離を取って『電撃波』!」
    「ッチ! 『そういうこと』かよ! 『シャドーパンチ』で弾き飛ばして距離を詰めろ!」

     影から出てきたゲンガーにエネコロロの『電撃波』が一直線に向かっていく。それをひきつけたところで、ゲンガーは『シャドーパンチ』で打ち返し『電撃波』はそのまま明後日の方向へ飛んで爆ぜた。距離を取るエネコロロにゲンガーは影と同化してスイスイ迫っていく。

    「俺のゲンガーが物理型ってのはバレてんだな」
    「コロちゃんが突然ゲンガーと距離を空けて『電撃波』を打ったとき、貴方は唇を噛んだ! 近寄らせないで! 『電撃波』!」

     ゲンガーというポケモンは特殊攻撃に秀でていることから、主に特殊技を使用するもが大多数だ。ゆえに基本的には中・遠距離を維持しながら戦うことになる。近距離に詰められてはまずいのだ。しかし、俺のミスのせいでサカエに『距離を取られると不都合がる』ということを知られてしまった。さらに『電撃波』を特殊技で相殺すればいいものの、1on1で隠れるなんてリスキーな選択をしているのだ。まともなトレーナーならゲンガーが型破りの物理型だと推測できるはず。悔しいが俺が未熟だった。さらに『催眠術』がフェイクであることは勘付かれているかもしれない。だが、『催眠術』を除く4つの技が出ていない以上、確信には至れないはずだ。物理・特殊の中に『催眠術』のような状態異常技などは含まれず、採用する可能性は低くないのだから。
     背後へ飛びつつ『電撃波』でけん制していくエネコロロに、ゲンガーは『シャドーパンチ』で弾いて対抗するも距離は縮められない。このままではじり貧だ。ならば、作戦を変えるまで。

    「へっ! 『サイコキネシス』!」
    「なっ! とりあえず『電撃波』を撃ち切って――」

     物理型だと露見したゲンガーに、メジャーな特殊技の指示。サカエは一瞬で先ほどまでの俺の行為がミスリードを誘うフェイクだったと判断したようだ。『サイコキネシス』は名の通りエスパータイプのエネルギーで、直接触れずとも物体を動かせたりできる技。捕まればその間自由を奪われることになる。さらに強い『サイコキネシス』だとそのままダメージも受けてしまう。そうなってしまう前に、ダメ元であるが『電撃波』でゲンガーの体勢を崩そうとしつつ、距離を取って『サイコキネシス』の射程圏外まで逃げようとしたのだろう。が、甘い。何せ俺のゲンガーは完全な『物理型』なのだから。
     『電撃波』が発射される直前、ゲンガーは高速でエネコロロの背後に回っていた。サカエはそのからくりに気づくがもう遅い。『不意打ち』は攻撃技に対して先制できる技。両腕から振り降ろされた『不意打ち』がエネコロロにヒットし、そのまま吹っ飛び地面に叩きつけられた。狙い通り。『サイコキネシス』などの特殊攻撃技のエスパータイプ技を指示した場合、それを『不意打ち』として処理するよう教えておいたのだ。さすが俺のゲンガー! 賢い。

    「たたみかけろ! 『瓦割り』!」
    「ッ! 『アイアンテール』で迎え撃て!」

     倒れたエネコロロに上から『瓦割り』を仕掛けるゲンガー。いち早く『不意打ち』の攻撃から復帰し起き上がり、尻尾に『アイアンテール』を展開するエネコロロ。しかし間合い、手数、タイプ相性からゲンガーが有利なのは明らかだ。
     右腕から振り下ろされたゲンガーの『瓦割り』を『アイアンテール』で弾くエネコロロ。その衝撃に耐え、負けじと左腕の『瓦割り』を振り下ろすゲンガーだが、それは空を切った。エネコロロは『瓦割り』との相殺で生じた衝撃を利用し、背後へ跳び去っていたのだ。エネコロロはそのまま軽い動作で4本足でしっかりと着地し、迎撃に備え『アイアンテール』を展開する。ゲンガーも両腕に『瓦割り』を展開し、構えたままにらみ合った。
     エネコロロの後ろ足が半歩下がる――同時にゲンガーがエネコロロに飛び掛かった。エネコロロはそのまま迎撃の構えを取り、ゲンガーはそのままエネコロロの背後に着地する。その着地を狙ったエネコロロが体を横に一回転させて勢いをつけた『アイアンテール』をぶち込んだ。しかし、それがゲンガーにあたることはなくそのまま空ぶった。そこにゲンガーの姿はない。直後、エネコロロは激痛と共に空中へ打ち付けられた。

    「コロちゃん! 下の影からだ! 『電撃波』!」

     エネコロロの『アイアンテール』がさく裂する寸前、ゲンガーはすでに着地と同時に地面の影に潜んでいた。ここが森の中であること前提の行動。そのままエネコロロ空振りしたあと、不意をついて影から飛び出し『瓦割り』を打ち付けた。エネコロロは空を隠す木の枝や葉にぶつかりそうな高度まで飛ばされるも、負けじと歯を食いしばり『電撃波』を真下のゲンガーに向かって放った。

    「『シャドーパンチ』!」

     真上から放たれた『電撃波』を『シャドーパンチ』で難なく弾く。エネコロロは飛ぶ技術は持ち合わせていない。つまり、エネコロロが空中にいる限り、必ず地上へ落ちてくる。そこを迎撃すればいいのだから、必要以上に動く必要はない。俺も落下するエネコロロを見てタイミングを狙っていた。

    「ここだ! 『瓦割り』! 振り下ろせ!」

     ゲンガーは両腕に『瓦割り』を展開する。エネコロロは尻尾に『アイアンテール』を展開する様子はない。このまま叩きつけて、そのまま瀕死までラッシュをかければ勝利だ。ゲンガーの両腕が落下してきたエネコロロに振り下ろされる――。

    「そうはならないさ! コロちゃん!」

     一瞬、エネコロロが白く光った気がした。直後、ゲンガーの『瓦割り』がさく裂する。が、そのエネコロロだったものはあろうことか煙と共に消えてしまった。刹那、その煙の裏から伸びてくる影が――。

    「『アイアンテール』!」

     エネコロロの『アイアンテール』の奇襲が見事ゲンガーに命中し、そのまま吹っ飛ばされた。何度か地面をバウントしながら数メートル飛んだところでゲンガーは何とか止まり、立ち上がる。恐らくあれは『身代わり』。ゲンガーの『瓦割り』がエネコロロを襲う寸前、エネコロロの体が一瞬だけだが光った気がした。その時点で『身代わり』を発生させ、本体は後ろに隠れたのだろう。そしてそのまま『身代わり』を攻撃させ、その後の隙を狙ってきたわけだ。攻撃はもらってしまったが、これで相手の手の内は全て知れたようなもの。技構成は『電撃波』『身代わり』『アイアンテール』と、タイプ一致だがゲンガーには無力の『ノーマル技』。『電撃波』をかいくぐって接近戦に持ち込めば完全にこちらに分がある。

    「ふふ……」
    「……」

     俺が勝利への道を捜索していると、不意にサカエが笑い出した。怪訝に思って俺は彼に目線を向ける。

    「どうやら、まだ天に見放されてはいないようだ……。勝つよ、コロちゃん!」

     サカエの掛け声に、威勢の良い鳴き声で応えるエネコロロ。俺は1人と1匹から注意をそらさず考える。
     奴は先の戦闘で勝ちを引き寄せる何かを見いだせたらしい。その言葉のタイミングからして、『身代わり』で防御したあたりから『アイアンテール』でゲンガーを吹っ飛ばした間のことだろう。その間に起った何かがサカエの自信に火をつけた。模索しろ、試算しろ。どこかにヒントがあるはずだ。『身代わり』には体力を削らなければいけないという制約がある。それを払い、さらに攻撃を防御できたことによって生じる何かがあったのか。それとも『アイアンテール』のヒットに何か布石を置いたのか。『アイアンテール』の追加効果はたまに被弾させた相手の防御の能力値を一時的に下げるものだ。それを引き寄せたのか。だから『天に見放されていない』と判断したのか。いいや違う。これまでの勝負からして、サカエの戦術はとても整っていた。防御を下げたところで勝ちを見いだすほど楽観視はしないはず。しかし何かが彼を奮起させたのだ。どれだ、どこのどんな要因だ……?

    「コロちゃん! D!」

     エネコロロは彼の言葉を聞いて再び駆け出した。今度はDときたか、俺は内心で舌打ちしてエネコロロの動向を予測する。
     サカエには俺のゲンガーが物理型の近距離タイプであることがばれている。すなわち、接近戦を仕掛けてくるということは勝つための決定打を持っているということ。見る限りそれほどの決定打は『まだ』持っていないとみえる。つまり、Dと銘打っているが恐らくBのように接近戦を仕掛けるフェイントをしつつ、実際は遠距離を行うパターンだろう。それにBよりも踏み込んだフェイントとみた。ならば、それを逆手に取ろう。引く前提の接近など、知ってしまえばただのカモだ。

    「『シャドーパンチ』!」
    「!」

     俺の考えは相棒と密接にリンクしている。ゲンガーはこの指示を待っていたに違いない。白い歯を見せて相変わらず不気味な笑顔で『シャドーパンチ』を放つ。はたから見て不気味な笑顔でも、俺にとっては世界一かっこいい笑顔だ。
     『シャドーパンチ』という技。そのパンチと名付けられている技の実態は射程無視、伸縮自在の影を使った『第三の手によるパンチ』だ。命中精度は『電磁波』や『燕返し』と並び、必中と謳われるほど。ゴーストタイプのエネルギーで実体化した影を第三の拳として飛ばし、それをパンチとして利用する。
     ただ、『シャドーパンチ』はゴーストタイプ。ノーマルタイプのエネコロロにはダメージを与えられない。ではなぜそれを放ったのか。それは攻撃のためではない。
     ゲンガーの『シャドーパンチ』がエネコロロの体を貫通する。貫通、というよりも『すり抜けた』という表現の方が正しいかもしれない。その拳はエネコロロをすり抜けた後も伸び続け、後ろの根に近く太い木の枝をつかみ取った。これが目的だった。しっかりと掴むとゲンガーは地面を蹴る。同時に『シャドーパンチ』の伸縮性を利用して、伸びていた部分を縮めることにより体は掴んだ枝に向かって急加速した。これはつまり、掴んだ枝の位置はエネコロロの真後ろなため、エネコロロへ急接近したと同義である。踏み込んだフェイントを仕掛けようとする中、思いがけない急接近に対し満足に対応できるとは思えない。
     多少は狼狽するだろうかと俺はサカエを見た。そして目を見開く。彼は狼狽えてなどいなかった。――笑っていた。

    「そうくると思っていたさ」
    「……」
    「貴方のゲンガーの技は要所では使わない『催眠術』と他は物理技しかない。貴方が勝つためには接近戦に持ち込むしか手はなかった。だから『こうくると思っていた』」
    「――ッ! そのままたたみかけろ!」

     『催眠術』がフェイクなのはばれていたか。そして今更退くにしても遅すぎる。ここでの最悪の結末は無駄に退いて体勢を崩し、そこを押し込まれて取り返しのつかない状況に陥ることだ。それに、まだ策はある。ただこれにはタイミングが重要であり、そう迂闊には使えない九死に一生を得る『反撃』だ。
     勢いと共にラリアットのようなかたちで右腕の『瓦割り』をエネコロロに仕掛けるゲンガー。しかしエネコロロはそれを身をかがめてかわし、すぐさま横から『アイアンテール』をぶち込んだ。響いたのは高い音。ゲンガーは『アイアンテール』を食らう瞬間、左腕の『瓦割り』でそれを防いでいたのだ。その衝撃で横に軽く吹っ飛んだゲンガーは2本足で確かに着地し、エネコロロへ飛び掛かる。

    「距離を空けるな! 『瓦割り』!」
    「――ここだっ!」

     太陽を背に飛び掛かったゲンガーに対し、エネコロロの右の前足が淡い水色に光る。同時にサカエのポーチの中にある何かが同じ色で光った。――直後、ゲンガーが攻撃するよりも少しだけ早く放たれた無数の透明なつぶてがゲンガーを地面に叩き落とす。『氷のつぶて』。確かにそれは『氷のつぶて』だった。倒れこんだゲンガーにエネコロロは空中に跳んでくるりと一回転し勢いをつけて『アイアンテール』を繰り出す。ゲンガーは寸でのところで起き上がり、俺の方へ逃げて距離を取った。対象を失った『アイアンテール』は地面にあたり、地面が削れて土の破片が宙に舞う。
     俺はエネコロロと向かい合うゲンガーがよろけるのを隅で見て、ダメージの蓄積を感じていた。しかし、彼の手の内はもう理解した。今回は悪運とまではいかないものの、運を勝ち取りきれなかったようだ。ありえない『5つ目の技』によって、自分で種明かしをしてしまったも同然。ノーマルタイプ特有の技の多様性、それを利用したかったのだろうが、まさか2回目で地雷を踏むことになろうとは。運はこちらに向いている。

    「小賢しいな。『猫の手』で遅延か」
    「バレちゃったか」

     エネコロロの体力を吟味してみる。いいや、するほどでもないか。『身代わり』のコストはかなりのものなはず。威力が低い『氷のつぶて』を受けたとしてもゲンガー優位には変わりない。だが、問題はエネコロロが使った『猫の手』だ。
     『猫の手』は手持ちのポケモンの持ってる技をランダムで繰り出すギャンブル技。それは6匹以下の場合にのみ発動でき、それよりも多くのポケモンを持ち歩いている場合は発動しない。だから、今の状況で『猫の手』から繰り出されるであろう技の種類は、多く見積もって20。ゲンガーにタイプ相性で効果がなかったり、技の重複や『猫の手』で繰り出せない『指を振る』や『ミラーコート』などの技を考慮するともっと少なくなる。もしも、あえて『猫の手』で選ばれることのない技を持つポケモンを手持ちに入れることで、繰り出されるであろう技をあらかた推測できる構成にしていることもありえる。『身代わり』、『氷のつぶて』。これだけでは判断しにくい。『火炎放射』や『10万ボルト』などのメジャーな高威力で安定性のある技が選抜されていないことが気になる。ただ繰り出されなかったのか、それともそのような技を持つポケモンを持っていないのか。後者だった場合、『猫の手』で出る賽の目が自分有利に働く可能性が高い。『猫の手』のために組まれたパーティ構築をしている可能性がある。とても奇妙で珍しいが、こいつだったらやりかねないような気がする。
     サカエのポケモンの手持ちを推測するにしても、それにはもっとヒントがいる。しかし、それを得るためには『猫の手』をもっと使わせないとろくに推測ができず、本末転倒だ。ここは賭けるしかない。先ほどサカエは、天に見放されてはいない、とそう言った。どうしてそう言ったのか。それはあの状況を突破できる可能性が僅かだったから。つまり『身代わり』やその他の『状況を切り抜けられる技』が出ない可能性の方が高かったということ。俺は考える。奴の手持ちは『猫の手』を中心に考慮して選ばれているものではない、と。

    「一気に叩く! 『瓦割り』!」
    「またそれかあ。同じ味ばっかだと見栄えしないじゃないか、『猫の手』」

     駆け出したゲンガーに対し、エネコロロは『猫の手』を振りかざす。
     ここで『猫の手』か。俺は『電撃波』で距離を取って戦うだろうと思っていた。駆け出し距離を縮めていくゲンガーに対し、その判断を下すとは余程『猫の手』を信頼しているのだろうか。となると、もしかしたら本当に『猫の手』専用のパーティを組んでいるのかもしれない。悪趣味な奴だ。
     エネコロロの腕が今度は緑色に光った。同じくサカエのポーチの中のもの――恐らくポケモンが入ったモンスターボール――も呼応するように緑色の光を放つ。
     一瞬、大地が揺れ動いた気がした。刹那、エネコロロを中心に地面から複数の大きな根っこが這い出してきて、鞭のようにゲンガーへ向かって繰り出された。――『ハードプラント』。ここで草タイプの大技を引くとは、なかなかどうして天に見放されてはいないというのもうなずける。しかし勝敗を分けるのに必要なものは運だけではない。ゲンガーの視線を一瞬だけ感じた気がした。運なんてもの、単純明快な力量で押しつぶしてやろうじゃないか。なんとなく伝わってきた相棒の心意気に、自然と口元が緩む。

    「突っ切れ!」

     ゲンガーを真上から襲う根に、ゲンガーはあえてジャンプして近き、『瓦割り』でそれを引き裂いた。そして引き裂いたその僅かな隙間から根の上へ飛び出し、根の上に着地して駆け出す。そう簡単にはさせないとゲンガーが乗った根に対し、うねりくるほかの根が下から叩きつけた。衝撃によりゲンガーは空中へ投げ出される。そして空中に漂うゲンガー目掛けて2つの根が左右から押しつぶすかのように迫った。ゲンガーは愉快そうにケケケと笑うと、『シャドーパンチ』で先ほどまで乗っていた根を抱え、そこ目掛けて急発進する。ゲンガーを逃がした2つの根は双方正面衝突し、お互いの矛先をぶち抜いてそのまま動かなくなった。それによって飛び散った木片が降る中、ゲンガーは再び駆け出す。が、先ほど下から叩きつけた根も、ゲンガーを乗せている根の表面をグルグルと螺旋状につたいながらゲンガーを追ってきていた。そして不意をつくようにゲンガーの背中目掛けて直進する。けれども、後ろから轟音をばらまきながら近づく根にゲンガーが気づかないはずがなかった。ゲンガーは背後からの直進してきた根をジャンプしてかわし、『シャドーパンチ』で先端を捉えてそこに降り立つ。その根はそのまま直進してエネコロロのすぐ隣の地面に突き刺さった。ゲンガーはその衝撃をあえて利用し、真上へ飛び出して下にいるエネコロロを見据える。――エネコロロの硬直は未だ解けていない。ニヤリと口を半円に緩めながらゲンガーは『瓦割り』を展開し、エネコロロへ落下の勢いと共に振り下ろした。
     しかし、その『瓦割り』がエネコロロに届くことはなかった。エネコロロのそばに突き刺さった根が再び動き出し、地面を削りながら横へ移動し始めると、そのままエネコロロを掬って投げ出したのだ。当然『瓦割り』はその根を裂き、投げ出されたエネコロロの硬直は空中で解けてそのまま着地した。同時に複数の根は力なくその場に崩れ落ちる。
     俺は乱雑に乱れまくったフィールドを見て、ふと後始末のことが頭に浮かんだが、すぐさま取り払った。とりあえず今は嫌なことは後回し。今必要なのはこいつをどうするか、だ。

    「貴方のゲンガーの動き、素晴らしいね! あの大技が出れば大概は勝負つくのに……」
    「ふん。そこらのやつの一緒にするな」
    「そうだね、『猫の手』」
    「させるか! 『不意打ち』!」

     再び己の右前足に光を灯すエネコロロ。それに向かって地面にある影に溶けて急接近し、背後を取ったゲンガー。エネコロロもそれに気づき、その振り向いて右足をかざして迎撃の体勢を取る。が、少なくても俺とゲンガーはこの時点で何かがおかしいことに気づいていた。
     『不意打ち』は攻撃技に対して先制できる技。しかし相手が技を繰り出せなかったとき、あるいは攻撃を介さない補助技を繰り出したときには失敗してしまう。ここで今の状況をみてみると、ゲンガーの先制するはずの『不意打ち』がエネコロロに読まれてしまっている。振り向いて、今にも返り討ちにされそうな立ち位置だ。――エネコロロに対し先制できていない。これより導き出せる結論は、『猫の手』によって選ばれた技は攻撃技ではないということ。

    ≪――ッ!!≫

     エネコロロの白く光った足から不協和音が飛び出してきた。ゲンガーは驚いて体勢を崩し、耳を抑えながら地面に落ちてしまう。エネコロロも発信源である右足をできるだけ遠くまで伸ばし、目を閉じて反対の左足で左耳をふさいでいる。唄とも演奏ともにつかない、黒板を爪で思いっきり引っ掻いた音をライブ会場の爆音で聞いているかのような、しかもそれには一定のテンポが刻まれている。これは、確か。

    「『滅びの歌』……ッ! ここで引いちゃうか……!」

     歯ぎしりと共にサカエが小さく呟いた。
     『滅びの歌』、これを聞いたポケモンは一定時間が経過すると『瀕死』になってしまうという。しかもそれは相手だけでなく、発した自分にさえ襲い掛かる。ポケモンを入れ替えればその効果を打ち消せるのだが、この勝負は1on1。入れ替えは許されない。これらが示すのは、

    「コロちゃん! 『電撃波』!」
    「ゲンガー! 『瓦割り』!」

     ――効果がくるよりも先に相手を倒す。『滅びの歌』が響き渡る最中で両者が動けないにも関わらず、俺たちは叫んでいた。
     このまま持久戦を持ち込んでは引き分けという何の面白みのない結果になってしまう。純粋なポケモントレーナーとそのポケモンは、少なくても俺は、それを一番嫌う。多分ゲンガーも同じだ。証拠に、俺が指示を出すよりも先に、耳を塞ぎながらも一歩前に踏み出していた。
     『滅びの歌』が響き終わる。それを合図にゲンガーはエネコロロへ向かって駆け出し、エネコロロはゲンガーに向かって『電撃波』を放った。ゲンガーは地面にある影の中に身を潜めると『電撃波』はゲンガーを見失い地面に爆ぜた。ゲンガーは地面や根の上にできた影をつたってエネコロロへ迫っていく。

    「くそッ! 『猫の手』!」

     サカエが『猫の手』を指示した。この状況において『猫の手』のギャンブルは限りなく危険であることを知っての苦渋の決断だろう。今までのサカエの言葉や表情から分析するに、彼の『猫の手』は完全に運任せの博打。自分のパーティも『猫の手』を中心に組まれたものではない。ここで『猫の手』を繰り出すことが、どんな影響をもたらすのか。エネコロロの右前足は淡い瑠璃色の光を放っていく――。
     ついにゲンガーがエネコロロのもとにたどり着き、エネコロロの影から飛び出して『瓦割り』を繰り出した。しかしそれは豪快な羽音と共に空振りに終わる。ゲンガーが上を見上げると、そこには半透明な翼が背中に生えたエネコロロが空を停滞していた。――『空を飛ぶ』。

    「まさかここでこれを引いてくれるとはね! 『電撃波』!」
    「ッ! 根を使え!」

     俺は『空を飛ぶ』が選ばれたのは初めて見たので、まさか実際に翼が生えるとは思いもしなかった。しかし、見る限りエネコロロは鳥ポケモンほど翼を扱いきれていない。叩けば落とせる。
     エネコロロが背中の羽をぎこちなく羽ばたかせながら『電撃波』の球を込めている隙に、ゲンガーは『ハードプラント』により発生した大きな根を使って上へ上へと上がっていく。それを狙って『電撃波』が放たれるも、空中でろくに効かないコントロールと入り組んだ根の残骸でそれはゲンガーには届かない。
     一番高度が高い根の先まで到着したゲンガーはそのまま飛び出して、エネコロロを上から攻める。

    「『瓦割り』!」
    「――『アイアンテール』!」

     空中でふらふらしているエネコロロに、回避という行動をとらせるのはいささか不安があったのか、サカエは迎撃する選択肢をとった。エネコロロは何とかバランスを取り、上から飛び掛かってきたゲンガーの『瓦割り』に対して『アイアンテール』を合わせる。が、勢いをつけて振り下ろす『瓦割り』には勝てない。衝撃は和らげたものの、そのまま押し負けて地面へ落下した。ゲンガーはエネコロロと少し離れたところに着地し、そのまま駆け出した。エネコロロも体力を振り絞りながらなんとか立ち上がる。

    「終わりだ! 『瓦割り』!」
    「『猫の手』!」

     この際まだ『猫の手』に頼るのか。しかし一見頼りない選択肢だが、無視できない爆発力があるのは確かだった。エネコロロの足が再び光を放つ。それは深い藍色に輝きを持ち、そして――。

    「ゲンガー! 下がれ!」

     とてつもない気迫。俺の直感がこれはやばいと赤ランプを点灯させた。ゲンガーは慌てて足を止め、地面を蹴って後退しようとする――寸前、何かがゲンガーの頬をかすってそのまま横たわっている大きな根を破壊した。
     俺とゲンガーは突如破壊され、砂埃があがった根を見据えた。先ほどまでいた場所からエネコロロは姿を消している。恐らく、いや、十中八九これはエネコロロが『猫の手』で引いた技の何かだ。『猫の手』の爆発力、これはまさにそれだ。ここにきて爆発させてきた。俺は噛みしめる。ゲンガーも身構えなおした。――来る。
     破壊された根の付近で巻き起こっていた砂埃が、蒼い嵐で一蹴される。その中には燃えるような蒼いオーラをまとうエネコロロがいた。これは『逆鱗』。ドラゴンタイプの中でも追随しない暴力性をはらんだ技。威力はさきのを見て知っての通りだ。これをまさかこのタイミングで引き当てるとは侮れない。
     動悸が荒くなっていく。無意識に、自分が震えていることに気づいた。それは武者震いなのか、武者震いだったらどれだけよかったか。どうする、あの技をどうやって攻略する。震える手を無理矢理握りしめ、何とか考えようとした。それでも焦燥ばかりが前に出てきて何も考えられない。額に汗が流れる。

    "――ッ"

     突然、ゲンガーが吠える。その声が俺の中にあった不安や焦りの霧をすべて掃きだした。俺がゲンガーを見ると、彼はこちらを向いてニヤリといつものようにケケケと笑ってみせた。その笑顔を見て、俺は思い出す。俺の相棒は負けを恐れず勝ち取るすごい奴であると、そう確信したあの日の興奮を。

    「あぁ……そうだ。まだ、いけるな?」

     ゲンガーは自信満々にうなずいた。彼も分かっていた。まだ俺達には『反撃』の手段が残されていることを。

    「いいね……! 唄がくるまでに、決着をつけようか! 『逆鱗』!」
    「ああ! 望むところだ! ゲンガー!」

     サカエの声に呼応したエネコロロが咆哮する。そして、蒼いオーラで地面を抉りながらゲンガーに向かい駆け出した。ゲンガーは自分から飛び掛かることなく、ただエネコロロを見据えて構えた。その対面する瞬間まで。
     最初にゲンガーを襲ったのはエネコロロの突進。それをゲンガーは左に滑って避け、エネコロロを視界から外さぬように振り向くもそこに姿はない。

    「上だ!」

     俺の声に呼応したゲンガーはあえて上を見ず、そのまま後ろへ飛び去り、上から飛び掛かってきたエネコロロの隕石のような『逆鱗』による突撃をかわした。苔の生えた岩もろとも砕くその威力に、地面はなすすべなくえぐり取られて破片が宙に舞う。しかしそれだけでエネコロロの猛攻は止まらない。
     後ろに飛び去ったゲンガーに追いつくほどの速さで、エネコロロは地面を沈没させるほどに蹴って、さらに距離を詰めていく。ゲンガーに追いついたエネコロロの放った右足がゲンガーの頬をかすり、衝撃で多少吹っ飛んだ。なんとか倒れずに地面を滑りながらも堪えて立ちなおしたゲンガーの目の前には、すでにエネコロロの回し蹴りが迫っていた。さらにゲンガーは身を反らしてそれをかわし、その勢いで後ろに下がっていく。――が。
     その下がった先で、ゲンガーの背中が何かにあたった。そこには『ハードプラント』によって出現した根が横たわっていた。エネコロロはここに誘導していたのだ。何もないところで全力をぶつけるよりは、相手が逃げられない空間に追い込んで確実に当てる。背後に逃げ道を失ったゲンガーの目の前には、『逆鱗』を宿したエネコロロの突進が迫っている。それは今までとは比べ物にならないほどのスピード。それは――

    「『逆鱗』!」

     一縷の青い光のように一直線にゲンガーへ激突した。ゲンガーは腕で防御しようにも、強すぎる力にあっけなく押されていく。

    「ゲンガー!」

     ゲンガーをつたって後ろにあった大きな根が音を立てながら壊れていくほどの威力。砂埃がその場から逃げるように去っていった。しかし、その中でもゲンガーはまだ耐えている。蒼く暴力的な美しさをも感じさせるオーラを前に、ゲンガーは未だ立っていた。そして、いつもと変わらずに唇を緩ませるのだ。

    「『カウンター』!」
    「――」

     叫びと共にゲンガーの拳が赤く光る。それにはエネコロロによる猛攻以上の破壊力が見込めるほどの『反撃』。全てを凌駕する熱気がそれには込められていた。エネコロロの『逆鱗』が徐々にゲンガーに押し返されていく。そしてエネコロロの吐いた一瞬の緩み。その刹那が勝負を変えた。
     ゲンガーはエネコロロを押し飛ばした。エネコロロは『逆鱗』の効果時間も解けてそのまま宙に放り出される。重力に従って落ちるエネコロロ。この瞬間が俺にはスローモーションのように感じられた。そのエネコロロ目掛けてゲンガー渾身の『カウンター』による掌底打ちが繰り出される。――未だ瞳に闘気の光が宿っているエネコロロに向かって。

    「『猫の手』!」
    「ぶちかませ!」

     瞬刻のうちは何が繰り出されたのかはわからなかった。ゲンガーの『カウンター』がエネコロロに命中する。一拍遅れてその威力さながらの爆発が爆音を引き連れて巻き起こる。その爆風によって周囲の木々は乱れ、俺とサカエの両者は腕で目をカバーするほどに強烈な砂埃が舞った。その中でも俺はうっすらとその中心を見据えていた。この勝負の行方は、凱歌をあげることになるのは果たして――。



     ***
     


    「おい、そっちの根っこ」
    「あっ、うん」

     すでにヨルノズクの姿が垣間見える満月の下。俺とサカエは滅茶苦茶にしてしまったトウカの森の修復作業を行っていた。こういう公式なフィールドではない場所でバトルを行い、フィールドを破損させてしまった場合はその管轄のジュンサー連盟に報告して元来の姿に戻す義務がポケモントレーナーには課せられている。自然環境やポケモンの生態系を崩さないようにという処理であり、これをしないと問答無用で罰せられても文句はいえないほど重要な作業だ。これをせずに大地を増やそうやら海を増やそうやら企む集団がいるものだから、身の程知らずだなあとため息が出る。
     ちなみにフィールドを滅茶苦茶にしてしまった一番の理由は『ハードプラント』で発生した根っこである。俺のポケモンが出した技ではないのだが、いやはやポケモンバトルをしていたのはサカエと俺であり、勝負で出てしまった損害である以上当然俺にも半分責任がある。俺とサカエで半分半分。これが正しいかたちだ。
     最初はサカエのポケモン達にも後始末を手伝って貰っていたのだが、残念なことに日が沈むまでに終わらなかった。そこで今日は一旦お開きということで、俺の家で皆で仲良くごはんを食べたて寝ようという話になったのだが、俺の手持ちはゲンガー1匹しかおらず、今回の後始末に俺1人ではあまり貢献できていないことになんか負い目を感じていた。故に夜中抜けだして1人で作業をしていたところに、サカエもやってきて2人で作業をすることになったのだ。そして今に至る。

    「にしても、結局どっちが勝ってたんだろうな」

     巨大な根っこを少しずつ切り刻んで小さくしたあと、地面に埋める作業をしながら、ぽつりと俺は呟いた。
     ゲンガーの『カウンター』がさく裂したあと、辺りは砂埃にまみれた。その後、ゲンガーとエネコロロの両者の反応が見られず、一旦バトルを中断して見に行ったところ、どちらも戦闘不能の状態で倒れていたのだ。これならばゲンガーの『カウンター』でエネコロロが倒れ、その後『滅びの歌』の効果でゲンガーが倒れた、というゲンガーの勝利で終われたのだが、おかしな点がひとつ。
     あれほどの攻撃を食らったはずのエネコロロは吹っ飛ばされず、ゲンガーとエネコロロはすぐそばでお互い倒れていたのだ。このことから、両者とも『カウンター』が十分に発動する前に『滅びの歌』で倒れたのか、それともサカエが最後に指示を出した『猫の手』で何かの技が出て、ゲンガーを倒したのちにエネコロロが『滅びの歌』で倒れたのか、まったく見当がつかなかった。ちなみに戦闘不能となった2匹はすぐさまトウカのポケモンセンターに運んで、今は両者とも手元にいない。

    「ま、十中八九どちが勝ったかは分かってるけどね」
    「お、マジ? 実は俺も」

     手を止めて笑みを浮かべて言うサカエに、俺も笑ってうなずいた。さすがは俺とゲンガーに善戦させただけはある。見る目があるということか――。

    「俺のゲンガーの勝ちだな」
    「僕のコロちゃんの勝ちでしょ」

    「……」
    「……」

     間違えた、見る目ねぇよこいつ。
     綺麗なほどに平行する意見が飛び交いながらも、いつも通りトウカの森の夜が更けていった。


      [No.4111] エネコロロとゲンガーの幸せな月の夜 投稿者:カイ   《URL》   投稿日:2019/03/04(Mon) 20:32:19     101clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

     エネコロロはゲンガーが大好きです。
     二人の出会いは偶然でした。ある日、エネコロロはいつものように、人間と一緒に暮らしている家を抜け出して、町外れの森に遊びに行きました。ひらひら舞い踊るアゲハントの群れを追いかけるのが面白くて、うっかり森の奥深くまで足を踏み入れてしまったことに気がついた時には、夕暮れの空に三日月がほっそりと白く浮かんでいました。夜になって道に迷ってしまっては大変と、慌てて森の中を走り回っていたエネコロロは、うっそうと茂る木々の中にぼろぼろの屋敷を見つけました。その屋敷の主が、ゲンガーだったのです。
     古びた屋敷には、昔はお金持ちの人間が住んでいたのでしょうが、今はゲンガーの他にもたくさんのゴーストポケモンたちが住みついていました。エネコロロは最初ちょっと怖がりましたが、彼らが気さくに話しかけてくれたり、屋敷の中を案内してくれたり、帰り道を教えてくれたりしたので、すぐにみんなと打ち解けました。中でもゴーストポケモンたちのリーダーとして、口数は少ないけれど仲間たちを優しく見守っているゲンガーのことが、エネコロロは大好きになりました。ゲンガーもまた町から来たエネコロロの話を聞くのが楽しいようで、いつでも喜んでエネコロロを屋敷に迎えてくれました。



     ですからその日もエネコロロはいつものように、人間と一緒に暮らしている家を抜け出して、町外れの森の一番奥にある古びた屋敷に遊びに行きました。もうすぐゲンガーに会えると思うと嬉しくて仕方ありません。おしゃべりしたいことが山ほどあって、何から話そうかしら、と考えながら森の小道を駆けていると、

    「ネコチャン!」

     ゲンガーが道の向こうで手を振っていました。ネコチャンというのは、屋敷のゴーストポケモンたちがエネコロロを呼ぶ時の愛称です。本当はエネコロロには人間に付けてもらったエリザベスという名前があるのですが、ネコチャンと呼んでもらうのも気に入っているので内緒にしています。

    「ゲンガー! ゲンガー!」

     エネコロロはぴょんぴょん跳ねながらゲンガーの側に寄りました。

    「今日は何して遊ぼう! 聞いて聞いて! この間ね、町の広場で外国から来た人間がショーをしていたの。大きな玉の上に立ったり、ポケモンと一緒に輪っかを次々空に放り投げたり、すごかったんだよ! だから今日はみんなでショーごっこしない?」

     今にも待ちきれない様子で屋敷に走りだそうとするエネコロロに、しかしゲンガーは黙って首を振りました。エネコロロはちょっと意外に思いましたが、それじゃあ、とすぐに話題を変えました。

    「例の開かずの部屋、今日こそ開かないか挑戦しよう! みんなはいいよ、壁をすり抜けられるから。でもアタシだって中で一緒に遊びたいもん。なんとかして扉を開けてみようよ!」

     けれどもゲンガーは、やっぱり黙って首を振りました。エネコロロは不思議そうに目をぱちくりさせましたが、すぐに元気よく言いました。

    「じゃあ、何して遊ぶか屋敷に着いてからみんなで決めよう。それならいいよね?」

     そして歩きだそうとしたエネコロロの前にゲンガーが立ちふさがりました。押し黙ったまま、細い三日月のような口を黒い体にゆらりと浮かせているゲンガーの姿に、エネコロロもただならぬ気配を感じてこくんと唾を飲みました。

    「ど……どうしたの、ゲンガー?」
    「屋敷には、行かない。ネコチャンは、ここで、ワタシと、バトル!」

     ぎん、とエネコロロを見据えたゲンガーの目は、今までに見たことのない黒い光をたたえていました。エネコロロは足がすくんで動けなくなります。
     屋敷の仲間たちはバトルが好きで、ゲンガーも指南役としてよく相手をしてやっていました。でもエネコロロはいつも見ているだけ。人間といる時も、ゴーストポケモンたちといる時も、エネコロロはバトルなんてやったことがないのです。

    「ゲンガー! アタシはバトルなんてできないよう!」

     大きな声で訴えますが、ゲンガーはにやりとゆがめた口の形を変えないまま、両手の中に影の玉を作りました。それは見る間に頭ほどの大きさになって、勢いよくエネコロロに向かってきました。エネコロロは思わず「にゃあ!」と悲鳴を上げてぎゅっと目を閉じます。ぶわりと凍えるような冷気に包まれて、全身の毛が逆立ちました。
     どうしてゲンガーはこんなことをするのでしょう。ゲンガーは確かに無口ですが、いきなり乱暴するようなポケモンではありません。きっと何か理由があるはずです。
     エネコロロは目を開けました。ゲンガーが黙ったまま、口に弧を描いて、エネコロロを見つめていました。

    「もしかしてアタシにバトルを教えたいの、ゲンガー? みんながバトルしている間、アタシがひとりぼっちだから。でも、それなら心配いらないよ。アタシはみんなのバトル見てるだけで楽しいんだもの!」

     勘違いをしているゲンガーに思いが伝わるように。エネコロロは愛らしい毛玉がついたしっぽをぶんぶんと機嫌良く振って、精一杯の気持ちを込めました。
     しかしゲンガーの返答は、二発目の影の玉でした。またしても冷たい闇に飲みこまれて、エネコロロはぶるると体の奥底から身震いします。痛くもなんともありませんが、どうも愉快な感覚ではありません。
     ひょっとするとゲンガーは、エネコロロのためにバトルがしたいのではなく、自分のためにバトルがしたいのでしょうか。エネコロロ自身はバトルにあまり興味がないので、以前屋敷に住むサマヨールにバトルの何が面白いのか尋ねたことがあります。

    「そうだなあ。自分の力がいろいろな技の形になるのが面白いってのもあるけど……」

     サマヨールは屋敷の庭を眺めて思いあぐねました。そこではカゲボウズやヨマワルやゲンガーたちがバトルをしていました。幼いゴーストポケモンたちがせがむので、ゲンガーが相手をしてやっているのです。子供らが放つ影玉はまだへろへろの軌道で、バトルとは呼べないくらい避けるのも弾くのも簡単にできてしまうのですが、ゲンガーはなんだかいつにも増してにこにこしているように見えました。技の打ち合いが終わり、彼らがじゃれて笑い始めた頃、サマヨールは答えました。

    「バトルって一人じゃできないだろ。ぶつかり合う力と力を通じてだけ、相手と感じられる何かがあるんだ。それが何なのかオレにもよく分からないけど。」

     サマヨールの言葉が本当なら、ゲンガーはバトルを通じて「何か」を感じたいのかもしれません。それが何なのかもちろんエネコロロにもよく分かりませんが。
     ゲンガーは目にらんらんと黒い光をたたえ、エネコロロを見つめています。わずかに体を揺らしながら、相手の出方を伺っているようです。
     エネコロロはゲンガーが大好きです。だからお互いのことをもっとよく知れたらと思います。今まではおしゃべりをすることや一緒に遊ぶことこそがその方法だと思っていましたが、ゲンガーにはゲンガーなりの方法があるのかもしれません。もしゲンガーが「何か」を感じるためにこのバトルを仕掛けてきたのだとしたら。それに応えたいという強い願いが自分の中でむくむくと形になるのを、エネコロロは感じました。

    「ゲンガーがどうしてもアタシとバトルしたいっていうのなら……」

     正直に言って自信は全然ありませんでした。おしゃべりをするための言葉や一緒に遊ぶための元気ならたくさん持っていますが、バトルをするための力なんて自分に備わっているのか分かりません。上手くできないかもしれません。でも、それでも、ゲンガーのためならば。エネコロロの勇気に火が付きました。

    「アタシだって、技を使ってみせるよ!」

     エネコロロの内側が、かっと熱くなりました。瞬間、熱は一気に体の外に出て輝く大きな星を形作ります。頭上でこうこうと光を放つ塊を見て、これがアタシの力、とエネコロロが思った直後、ぱんと高い爆発音が響いて光が破裂しました。

    「にゃあ!?」

     まばゆい光で視界が真っ白になり、エネコロロはそのままひっくり返って倒れてしまいました。「ネコチャン!」と叫ぶゲンガーの声に続いて、遠くから別の声が重なりました。

    「おーい! ゲンガー! ネコチャーン!」
    「うわあ、やってるやってる!」
    「バトルだバトルだー!」
    「ボクたちも混ぜてー!」

     くらくらしながらエネコロロが起き上がると、助け起こそうと側に来たゲンガーの姿と、その向こうから小道を飛んでくる屋敷のゴーストポケモンたちの群れが目に入りました。
     ぴゅーんと最初に側にやって来たのは三人のカゲボウズです。カゲボウズたちはきゃっきゃと笑いながら小さな影玉をぽいぽい落としました。続いて到着したヨマワルは、目玉をちかちか怪しく光らせて飛び回ります。サマヨールは鬼火をいくつも宙に浮かべています。あっちのポケモンと打ちあったり、こっちのポケモンの影に潜ったり、みんなで技の比べっこです。いつもの屋敷でのバトルと違って、開放的な森の小道では技の調子も異なるのか、みんなはいつにも増して夢中で力を見せあいました。
     エネコロロは頭の上を横切った影の玉に「ひゃあ!」と驚いたり、もくもくわいた黒い霧の中で「にゃあ!」と声をあげたり、大忙しです。けれども先ほどゲンガーに向かって放とうとした光が思ったよりも体を温めていたのか、エネコロロはすったもんだの真ん中でも上手に技をかわしていました。それに気がついたゴーストポケモンたちも、エネコロロの思いもよらぬ身のこなしに目を丸くしました。

    「わあ、ネコチャン、技を避けるの上手だね。」
    「ボクのシャドーボール、ちっともきいてないや。」
    「ネコチャン、すごい!」

     誉められれば悪い気はしません。エネコロロは「えへへ」と目を細めました。
     それからやっと尋ねることができました。

    「でも、どうして今日はこんなところでバトルなの? いつもは屋敷で遊ぶのに。」
    「ああそうだ、すっかり忘れてた! 屋敷の準備ができたから、みんなで二人を迎えにきたんだ!」
    「準備って、何の?」
    「いいからいいから! 早く行こうネコチャン!」

     不思議そうに首をかしげるエネコロロの背中を、カゲボウズたちが並んでぐいぐいと押します。ゲンガーのほうを見ると、ゲンガーは黒い体に赤い目玉と三日月の口を浮かべて、黙って微笑んでいるだけでした。その目からはもう、相手を射すくめる黒い光は消えていました。



     屋敷に着いた時、エネコロロはうわあっと声を上げました。

    「これ、全部、みんなが飾りつけたの!?」

     屋敷の一面に、数えきれないくらいの花が生けられていました。いいえ、花だけではありません。金色のきのみや真っ赤な石のかけらなど、いろとりどりの装飾が屋根に、窓に、ひび割れた壁に取り付けられていて、しかもそれが周りに何十個も浮かぶ鬼火に照らされているのです。古びた屋敷は、どんな大富豪だって住むことができない、虹色の豪邸に様変わりしていました。

    「その通り! だって今日は、ネコチャンがこの屋敷に来た日と同じ形のお月様が、初めて空に浮かぶ日だからね!」
    「ネコチャンとボクたちの友達記念日だよ!」
    「ハッピームーンナイト、ネコチャン!」

     夕暮れの空に三日月がほっそりと白く浮かんでいました。
     エネコロロの言葉は、驚きと喜びでいっぱいになった胸につかえて出てきませんでした。でも、きらきら揺れる瞳とふるふる震える頬を見ただけで、エネコロロの気持ちはその場にいた誰もに伝わりました。友達記念日のサプライズが上手くいって、ゴーストポケモンたちも嬉しそうです。

    「ネコチャンにびっくりしてもらえて良かった!」
    「飾りつけが完成するまで、ゲンガーに『ネコチャンを森の小道で止めておく係』になってもらった甲斐があったね。」
    「バトルでもしとけばいいんじゃない? って言ったけど、その通りだったね! ネコチャンがあんな身軽だなんて知らなかったよ。」

     ゴーストポケモンたちが口々に言います。それでエネコロロにも、どうしてゲンガーがいきなりバトルを仕掛けてきたのか理由が分かりました。
     ゲンガーはエネコロロの隣に立ち、黒い体に細い三日月を浮かべ、黙って微笑んでいました。その顔は、目に黒い光を燃やして影の玉を投げつけてきた時とは全然違います。でもあの時のゲンガーの表情は、バトルを通じなければ知らないままだったとも思うのです。
     あのね、とエネコロロはゲンガーにささやきました。

    「今度、アタシにも、バトル教えてね。」

     ゲンガーはちょっぴり意外そうに目を開きましたが、すぐに優しくうなずきました。

    「ネコチャンが出した光。あれはネコチャンの、とっておき。もっと上手に、使えるようになると思う。ワタシも、手伝う。」

     それはエネコロロが今まで横からしか眺めたことのなかった、バトルの先生の顔でした。初めて正面から見たその目に自分の姿が映っているのが、くすぐったくて心地よくて、エネコロロは耳をぴこぴこ動かしました。
     屋敷の中からユキメノコがみんなを手招いています。なんだかきのみ料理のいい香りがするようです。きっと屋敷の外だけでなく中も、友達記念日のための特別な準備がされているのに違いありません。ぴゅーんと一番にユキメノコのもとに飛んでいったカゲボウズ三人組が、ゲンガーとネコチャンも早くおいでよ! と二人に向かって叫びました。
     エネコロロとゲンガーは顔を見合わせて笑い、仲良く並んで屋敷に入っていきました。


      [No.4110] 小さな星の花を君に 投稿者:空色代吉   投稿日:2019/03/04(Mon) 19:30:58     88clap [■この記事に拍手する] [Tweet]


     私の管理する庭園に、エルレイドとサーナイトを連れた夫婦が来ていたのを憶えている。
     夫婦とポケモンたちは、ある常緑小高木樹に咲いた花を眺め歓談していた。
     小さなオレンジ色の夜空の星を連想させる花。その花は独特のいい香りを放っていて、アロマなどでも好まれるものだった。私も好きな花だ。
     微笑ましく思っていると、奥さんが私を見つけて尋ねてくる。

    「あの、すみません。この花の名前を知っていますか? 星みたいで綺麗だなって思って、知りたくて……」

     ……ネームプレートがちゃんとかかっていなかったか、直さねば。
     同じ印象を持ってくれた嬉しさに笑みを浮かべ、彼女の質問に答える。すると彼女はその名前を愛しむように口にし、礼を言って夫のもとへ戻って行った。

     この時に名前を教えた花にまつわるエピソードは、もう少しだけ続く。


    * * *


     数年後。

     庭園の裏へと続く林を、慎重に進む男とエルレイドの姿があった。
     周りを警戒し歩みを進めていくふたり。しばらくするとエルレイドが2つの“感情”の存在に気づき、男の腕をつかむ。

    「……どこにいる?」

     男が小声で聞くと、エルレイドは前方斜め上を見上げる。それらは鬱蒼とした木々の上にて、男たちの動きを伺っているようだった。

    「見つかってしまったか“庭師”に」

     “庭師”とは、庭園の管理をしている、あるポケモントレーナーの通り名であった。
     庭園の守護者である“庭師”は、庭の植物を奪おうとするものに容赦はない。発見されたが最後、最悪切り刻まれるという噂を男とエルレイドは聞いていた。
     一時撤退の意思を確認し合い、引こうとするふたり――しかし先程まで前方に居たはずの“庭師”たちの気配が、気をそらした次の時、既にふたりの背後に回り込んでいた――

    「早い?! エルレイド!」

     振り向きざまにまずふたりが見たのは小柄な女性の姿。そして、ふたりののど元に突きつけられた『リーフブレード』の刃。それからその新緑の両手の刃を構えるジュカインの姿だった。

     女性は何とも言えない表情で、男とエルレイドに尋ねる。

    「奥方とサーナイトは元気か? 旦那さん」

     男とエルレイドには“庭師”たちに見覚えはなかった。むしろ何故相方たちのことを知っているのかということに面を喰らっていた。警戒心を削がれた男は目を伏せ、“庭師”の問いに答える。

    「……ふたりとも去年亡くなったよ。俺たちを残して」
    「そうか、失礼した。して、何故このようなところに」
    「花を、妻とサーナイトの墓に花を供えたくていただきに来た……いや、それだけじゃねえな」

     男は一息吐いた後、理由の全貌を明かす。

    「息子に、名前の由来になった花をやりたかったんだ。昔みんなで見たあの花をあげてやりたかった」

     彼の白状に“庭師”は質問を重ねる。

    「あんた、名前は」
    「ヴィクトル」
    「奥さんは」
    「ステラ」
    「息子さんは」
    「オリヴィエ」
    「なるほど。花と星で、あの小さな星の花の名前か……」
    「さすが“庭師”。名前だけで分かるのか」
    「わかるとも。しかしオリヴィエなら他でも手に入れる手段はあるだろう? 捕まったらどうするんだ。関心はしないね」
    「ああ。ああ。でもあいつに欲しいとねだられた時、ここの花じゃないとダメな気がしたんだ――だから俺は捕まらない」

     男……ヴィクトルが言い切ると同時に、会話中じわじわと伸ばしていたエルレイドの手が彼に触れる。
     瞬間、彼らの姿が“庭師”とジュカインの後方へとワープしていた。
     “庭師”もジュカインもたいして驚くような素振りも見せず、背を向けたままヴィクトルとエルレイドに威圧をかける。
     動けば切るぞ、と言わんばかりにジュカインは両刃を輝かせ、“庭師”は言葉をゆっくり紡ぐ。

    「『テレポート』……障害物の多い中よくやるね。危なっかしくて見ていられない――――オーケー、提案だ」

     提案という単語に呼吸のタイミングを掴み損ねていたヴィクトルは大きく息を吸う。そして次の“庭師”の言葉を待った。

    「私としても、戦いの余波で庭園がめちゃくちゃになることだけは避けたい。だから提案だ、ヴィクトル。私たちとあんたたちで賭け試合をしよう。条件は……あんたたちが勝ったらオリヴィエの花枝をやる。私たちが勝ったら大人しく息子さんを連れて庭園に連れてきな」
    「それは……」
    「それでいいかい? というかいいね? 断ったら……切り刻むよ?」
    「あ、ああ!」

     ヴィクトルの返事を聞いた“庭師”は仕方なさげに笑った。その笑顔の内の感情にエルレイドは少し萎縮していが、自らを鼓舞するために両手で頬を軽く叩いた


    * * *。


    「審判はいない。どちらかが負けを認めるまでだ。言っとくけど手加減はしないから、全力でかかってきな――――試合開始だ」

     “庭師”の言葉を皮切りに、ジュカインとエルレイドはお互いを目指して直進した。それから二人と二体は、お互いがほぼ同じ構えを取っていることに気づく。
     だからといって、お互いともそこで引く理由はなかった。
     二人の指示を出す声が、被る。

    「「『つばめがえし!!』」」

     まず切り下ろす二体の腕の刃が交わる。次に切り上げる返し刃が交わり火ぶたは切って落とされた。

    「畳みかけな、ジュカイン」
    「そのまま応戦だ、エルレイド!」

     バックステップで距離を取り合った後、『リーフブレード』を携えて再びエルレイドに突撃するジュカイン。エルレイドは『つばめがえし』の構えのまま降り注ぐ新緑の斬撃をひとつ、またひとつさばいていく。一見完璧な防衛のように見えたが、押されているのはエルレイドの方だった。ジュカインの攻撃の速さに意識を持っていかれ、対応するのに精一杯だった。

    「っ、距離を取れ『テレポート』」

     ヴィクトルの判断は早かった。近距離戦から遠距離戦へと誘導させるために、エルレイドに『テレポート』を使わせる。しかし、距離を取るということは、相手のジュカインもまた自由に動ける時間が確保できるということでもあった……。
     エルレイドがテレポートで木の上までたどり着いた時、ジュカインは姿を暗ましていた。

    「どこだ……?」
    「ここからが正念場だよ、お二人さん……いくよジュカイン!」

     “庭師”が髪留めを取り、その飾りに付いていたキーストーンを胸元に掲げ口上を述べる。
     危機を察知したヴィクトルとエルレイドは、目視と感情の探知を利用してジュカインを捜していく。

    「我ら“葉”の印を預かる守護者……其の深緑の生命力を以てして、すべてを切り刻む! メガシンカ!!」

     “庭師”の背後の草陰へと集まり爆発するエネルギー。
     ふたりがその地点に居たジュカインの姿を捕らえた時、メガシンカを終え鋭さをました姿へと変化したメガジュカインは……既に鋭利な尾をエルレイドに向けていた。

    「来るぞエルレイド! 『サイコカッター』で切り抜けてくれ!」
    「……『リーフストーム』!」

     尾の先端から発射された鋭い葉の塊が、空気の渦を逆巻きながらエルレイドに向かい飛ぶ。
     エルレイドが放った念動力で圧縮された刃が葉の塊の端の方に当たり、間一髪塊の軌道を上へとそらした。

    「上手い!」
    「いやまだだね。嵐ってものは、降り注ぐものだ。そう、こんな風に」

     “庭師”が指をはじくと上空へ向かっていた葉の塊が弾けた。吹きすさぶ風を纏った鋭利な葉の雨が辺り一帯に突き刺さる。
     葉の刃の雨を一身に受けてしまったエルレイドの身体は、バランスを崩し地面に叩きつけられる。

    「エルレイドっ!!」

     エルレイドに駆け寄るヴィクトル。なんとか立ち上がるエルレイド。今の一撃は直撃ではないとはいえ大きかった。
     『リーフストーム』は放てば放つほど特攻が大きく下がる技。けれど手を緩める彼女達ではなかった。
     ジュカインの尾に、再度葉が生え始める……。
     このままでは今度こそあの『リーフストーム』の直撃をエルレイドは受けることになる。
     ヴィクトルはエルレイドに確認を取る。

    「エルレイド、まだ行けるか?」

     エルレイドが大きく頷くのを見て、彼も腹を括った。
     自身の身に着けていたチョーカーの飾りの中のキーストーンを掴むヴィクトル。
     エルレイドもメガストーンを握りしめ、構える。

    「己の限界を超えろ、メガシンカ……すべては守るべき光の為に!!」

     白いマントと鋭い兜から騎士を連想させる姿へとメガシンカしたエルレイド、否メガエルレイドは、その両足で地をしっかりと踏みしめた。
     メガジュカインの二度目の『リーフストーム』が、発射される。逆巻く嵐の塊がメガエルレイドへ直進する。
     防ぐのは、難しい。弾いても、範囲が広がってしまう。『テレポート』で避けたとしても、範囲外には逃れられない。
     どん詰まりの中で、彼らは選択をする。

    「螺旋の『サイコカッター』!」

     メガエルレイドの両腕から放たれた螺旋を描き回転する『サイコカッター』が、『リーフストーム』の回転とぶつかり合い、勢いを相殺した。
     舞い落ちる木の葉の中を突っ切り突進するメガエルレイド。
     メガエルレイドが大技を仕掛けてくると予想した“庭師”とメガジュカインは、相手の出方を見極める。
     お互いの斬撃が当たる間合いに、入った――――

    「『みきり』だ」
    「『インファイト』ぉ!!」

     ――――仕掛けたのはメガエルレイドの『インファイト』。メガジュカインの懐に潜り込んで、拳を連打。だが、襲いかかる複数の拳をメガジュカインはすべて見切り、的確にかわし、いなしていく。

    「まだだ、エルレイドもう一度!」
    「こちらもだ」

     一切の守りを捨て、再び『インファイト』を行うメガエルレイド。それに対して二度目の『みきり』で対処するメガジュカイン。しかし徐々にその攻撃も、その回避や防御も疲労からかだんだんスピードが下がっていく……。
     息が荒くなっていく二体を見て、3度目はないとヴィクトルも“庭師”も感じていた。
     このぶつかり合いは、次の行動次第で決着がつく。そう全員が察していた。
     メガエルレイドの『インファイト』の最後の拳が振り切り、大きな隙が生まれる。
     その瞬間を“庭師”とメガジュカインは見逃さない。
     “庭師”の指示の前からメガジュカインは既にその構えに移行していた。
     指示と同時にメガジュカインの『リーフブレード』が、振り下ろされる……直前。

    ヴィクトルの指示がメガエルレイドに伝わっていた。

    「伸ばせえっ!!!」

     エルレイドの肘についている刀が、試合開始からこの瞬間まで伸ばされていなかった刀身がここにきて伸ばされ、『リーフブレード』を弾き、メガジュカインの意表を突く。
     その決着の瞬間、メガジュカインと“庭師”は効果など抜きに、一時だけ怯んでしまった。
     まったく怯まない精神力と紅い双眼をもって相手を見据え、伸ばしてない方の刀を淡々と切り上げるメガエルレイドに、怯んでしまっていた……。

     『つばめがえし』と叫ぶ男の声が、森の中にこだました。



    * * *


    「……で、母ちゃんもジュカインも負けちゃったの?」

     あの出来事からしばらく。機会があったので息子にこんなエピソードがあったのだよと、私は話していた。
     今まで語った話の流れから、息子が少し残念そうに聞いてくる。会話に合わせてくれているだけかもしれないが、少々嬉しくもあった。

    「負けたよ。悔しかったねえ。約束通り、オリヴィエの花枝を渡してやったさ。でもそれだけじゃ気が済まないからね……」
    「な、なにをしたのさ」
    「一回そのヴィクトルの家を訪ねて、ジュカインにも手伝ってもらってね、庭に苗木を植えて行ったのさ。その息子さんが成長した時いつでも花を眺められたらいいなと思ってね。上手く育っているかは知らんがね」
    「おおう。思い切ったことを。そういえばオリヴィエ君とやらには会えたのかい?」
    「ちらっとだけね。ラルトスを抱っこしていたよ。ラルトスはあのサーナイトとエルレイドに、オリヴィエ君はヴィクトルとステラさんに似ていたよ。将来はどっちに進化させるかは知らないけど、手合わせすることがあったら……敵討ち頼むよ、あんたたち」
    「荷が重いなあ」
    「頼んだよ」

     面倒くさそうにする息子に、念を押しつつ、私は今日も庭園の手入れに行く。
     手入れをするのは見てもらってこそのモノだと思うから。
     見てもらってこそ花は綺麗になれると思うから。
     いずれ訪れる来客者の為に今日も頑張ることにした。




    あとがき

     今回の技構成は

    ジュカイン つばめがえし リーフブレード リーフストーム みきり
    エルレイド つばめがえし テレポート サイコカッター インファイト

     でした。あまりからめ手や特性を生かしきれなかった……。でも『せいしんりょく』だけはねじ込みました。
     今回も第三視点から書いたので、なかなか心理描写を入れるのは難しいなと感じました。
     ヴィクトルの口上の「すべては守るべき光の為に」の光は、星。ステラさんとサーナイト、オリヴィエ君とラルトスのことを指しています。
     オリヴィエ君のラルトスがどっちに進化するかは、今回はご想像にお任せする、ということで締めくくります。


      [No.4109] あなたを迎えに 投稿者:syunn   投稿日:2019/03/04(Mon) 19:21:28     77clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    お疲れ様ですー!
    エネコロロVSゲンガーで書かせていただきました!

    ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

    「じゃあ行ってくるから。留守番よろしくな、エネ」

     あの日あたしは、顔も見ずに尻尾を振って見送った。

    『――先月24日、オツキミ山に登山に出かけたまま連絡が取れなくなっていたタマムシシティの20代の男性が28日、頭部のない遺体の状態で見つかり……』

     テレビはそっけなくあいつが「帰ってこない」ことを告げた。くるくる変わる事件のニュース。小さな事件としてすぐに流れてしまった。でも当事者たちにとっては小さくなんかなくて、さらに遡ってその数日前。ポケモンレンジャーはこう言った。

    『実は時々、似た事件が起こるのです。頭部は見つかりませんでした。残念ですが、これ以上の捜索は……』

     その時あたしは、ポケモンレンジャーの言葉を呆けた顔で聞いていた。隣で聞いていたあいつの奥さんの顔は、あまりよく覚えていない。だいたいあたしと同じ顔をしていたと思う。花が枯れるように、二度と笑顔を見せなくなった。物もロクに食べなくなって、いつも綺麗だった家は荒れるようになって、あたしが鳴いても何も言わない。
     仕方ないから、あたしは重い腰を上げた。本当は清潔で、気持ちよい場所でのびのび生活したいけど。あいつの“頭”を探してこない事にはどうにもならない気がしたのよ。

     暗くて、湿っぽい洞穴の道を進む。昼とも夜ともつかないオツキミ山中――あたしは、記憶を辿るように道を選ぶ。あの馬鹿に引きずられて化石掘りに付き合ったのは、1度や2度ではない。少年時代の旅だって、あたしが一番長い付き合いなのだ。あいつの性格上、どの道をどう通ったかくらい見当はつく。
     遺体は偽物だ! なんて言うつもりはない。遺体の手首に赤色のバンダナが結んであった。あいつは自分も含めて全員に色違いのバンダナ結ぶのが趣味なのよ。「戦隊ものみたいで格好いいよな!」って馬鹿丸出しの理由で。あたしの体にも鈴付きのピンクのバンダナが巻いてある。自宅で奥さんを慰めてるサーナイトには緑のバンダナ。馬鹿についてったはずのヤドランには黄色のバンダナ。青色のバンダナは募集中。

     冷やりとしたものが体に触れた。

     驚き振り返るが何もいない。気のせいかしら。洞窟の中だから寒いのは当たり前だが、どうにも気色の悪い感じだ。捜索隊が入った場所はとうに抜けた。夜目が利くとはいえ、わずかな光も射さない洞窟の中は危険だ。周囲を警戒して岩壁に背をつけた。ひえっ! 冷たい何かが背中を掠めた。飛び上がって勢い振り返る。誰もいないし何もない。無言の岩壁に見返されただけだ。
     ……何よ今の。全身鳥肌が立っていた。早々にここを離れた方がいいと直感し駆け出した。
     暗闇から視線を感じる。間違いなく何かがあたしを見ている。背中で鈴がシャラシャラと鳴った。突き刺すような無数の視線は何なのだ。ズバットに目はない。イシツブテは餌と強さにしか興味はない。ピッピは自身に見惚れてる。人間は夜目が利かない。だったら誰が?

     視界の端に青いバンダナが映った。

     足を止めた。思い出す。見つかった遺体は青いバンダナを持っていなかった。
    「4匹目の仲間を見つけた時のために」
    って、いつもポケットに入ってたのに。その癖、気分で付け替えることもあった。
    「俺がリーダーだ!」
    って言い張るときは赤いバンダナ。
    「クールな2枚目……俺は冷静沈着な男」
    って格好つけるときは青いバンダナ。
     きっとどっちでも良かった。4匹目の仲間が格好良ければ赤いバンダナを。美しいと思えば青いバンダナを。似合いの方を贈るつもりだったのだろう。
     氷のように冷たい遺体に、燃えるような赤いバンダナはずいぶんと不釣り合いだった。

     あの遺体は本当に彼だったのだろうか。疑問が頭をもたげる。誘うように、青いバンダナはいまだ視界の端をちらついている。追いかけるが近づけば遠のき、遠のけば近づく。必死に追いかけるあたしを笑ってる。深海に潜るように体温が暗闇に溶けていった。鈴の音だけがここが陸だと教えてくれる。走るほどに寒く感じた。あたしは青いバンダナを追いかけて、海溝にでも落ちてるんだろうか?

     青いバンダナがあちらへ、こちらへ。追うほどに体がずんと重くなる。

     バンダナには決して追いつかない。あたし、足は速い方だと思ってたのに。どうして。
     ねぇ、そのバンダナを持ってるのはあんたなの?
     あの赤いバンダナをつけていたのは別の知らない人で、本当は青いバンダナを腕に巻いていたの?
     怪我した誰かに巻いたの?
     早く帰ってきなさいよ。みんな待ってるのよ。ヤドランだって、そろそろ近所の川が恋しい頃じゃない。

     痺れたように足がもつれた、手足がかじかんで棒のようになってしまった。

     うまく動かない足を前に出して飛ぶように暗闇を駆ける。不思議と息切れはしなかった。ただ締めつけるような苦しさがあった。走る音もズバットの鳴き声も自身の息遣いも、聞こえなくなっていた。焦燥感が全身を這いまわる。誘うような青いバンダナに追いつけない。逃げていくばかりであたしは泣きそうだった。走っているのに、止まっているような気さえしてくる。駄目だ。涙が出そうだ。泣いちゃ駄目だ。駄目だ。

     あたしの願いを聞き届けたのか、青いバンダナが止まった。

     それは姿を現した。見覚えのあるシルエットが近づいてくる。でもあたしは動けなかった。体が鉛のように重くて、顔なんて上げられない。あいつが笑ったのが分かった。今、目の前にいるあいつにはちゃんと首があった。やっぱりあの遺体はあいつじゃなかったのだ。あれは偽物で、本当は生きていた。
     あたしは鳴き声をあげようとした。文句の一つも言わなくては。馬鹿、スカタン、なんで早く帰ってこなかったのよ。驚いたことに声どころか息もできなかった。息苦しさに喘いだだけだ。意図を察したらしくあいつはにっこりと笑いかけてきた。

     連絡をしなくて済まなかった。まだ戻れそうにない。

     あたしの頭を困惑が占める。言葉の意味が分からない。考えようとしたが上滑りするばかりだ。とぷとぷと単語の羅列が思考の海に浮かぶだけで全然くっつこうとしない。マダモドレソウニナイ。何、それ? ぐるぐるするあたしを前にあいつの言葉が続く。

     エネコロロ、お前も一緒に来てくれると嬉しい。

     あたしを見つめる赤い瞳はゆるく弧を描いていた。あいつが手が差し出してきた。あたしは口を開いた。ヤドは? あいつは一瞬止まったが、すぐに返答があった。ヤドランなら向こうで待ってるよ。ふっと、安心して息をついた。あぁ、そう……。体に力を込めるが動けない。冷え切った四肢はいうことを聞いてくれそうになかった。手を伸ばしたいのに。今すぐ懐かしいその腕に飛び込みたかった。ここはとても寒くて、心がとても寂しくて仕方がないから。あいつの手が近づいてくる。
     不意に温かいものが首筋を掠めた。かすかな鈴の音――思考の霧が薄らいだ。滑るように言葉が口をついてでた。

     なんであたしのこと、“エネ”って呼ばないの?

     返答はなかった。あいつは肩を震わせていた。泣いているのかと思ったけど違った。あいつは笑っていたのだ。だんだんとくぐもった笑い声は大きくなっていく。聞き馴染んだはずの声が別人の声のように聞こえる。こんな笑い方聞いたことがない。あいつは口をゆがめて叫んだ。ああ、ああ。可哀そうに。気がつかなければ良かったのに!! あと少しだったのに! でもね――

     もう遅い。

     あいつはぐにゃりと姿が変えた。三日月よりも鋭い口元が引き伸ばされて哄笑がこだまする。生ぬるいような、冷たいような感触が全身を舐め上げた。恐怖に駆られて体を必死に動かそうとするけど全然動かせない。これは現実なの? それともあたしは本当は暖かい家のベッドにいるの? とんでもない悪夢だ! あたしは足を動かそうとする。痺れていて動かない! あたしは頭を動かそうとする。ぼんやりしていて働かない! やめて、やめてよ――!!

     弾いたような鈴の音が、大きく鳴り響いた。

     音が悪夢の闇を切り裂いた。“眠り”から一気に意識が覚醒する。あたしの両眼に広がる闇。だが先ほどまでと違い現実感を伴っていた。夜目が闇に輪郭を与えていく。無限に続く暗闇などなかった。ぽっかりと開けた空間に大小のボールのようなものがたくさん転がっていた。そして自身を抱きしめる大きな影も。あたしは力を振り絞って影を振り払い、その場を飛びのいた。距離をとり、大きな影――ゲンガーを睨みつける。ゲンガーの赤い双眸がにやりと歪んだ。

     あと少しだったのに。

     不愉快な笑みを浮かべてゲンガーは闇に姿を溶かした。逃げたわけじゃない、気配を感じる。でも居場所は分からない。闇全体から嫌な空気を感じた。敵の体内にいるかのような不気味な感覚だ。加えてこの場所全体に満ちている鼻を突く腐敗臭にくらくらする。頭を横に振った。考えろ、相手の居場所をつかむ方法を。ぐにゃりと視界が歪みかけた。体を震わせバンダナの鈴を鳴らす。“癒しの鈴”が響き、ぐらつきかけた意識が清明に戻る。ゲンガーの舌打ちが聞こえた。

     その鈴、嫌いだなぁ。そんなバンダナ捨てちゃいなよぉ。

     イラついた声。よく言う。この鈴がなかったらあたしは悪夢に囚われてじわじわと殺されていたことだろう。

     あんたこそ、その青いバンダナ似合ってないわよ。

     あたしは言い返した。相手の声はあちこちから響いてきて、居場所はつかめそうにない。ゲンガーはゴーストタイプだ。けれど物理攻撃の時、混乱している時は実体化する。不定形の状態のままでは、相手もあたしも攻撃はできない。なんとかして相手の実体化を誘わなければ。機を見計らっていると、ゲンガーはバンダナをひらひらと振って見せた。

     ホントは赤いバンダナが欲しかったんだけど駄目なんだって。

     駄目? もしかして奪ったのではなく、バンダナはあいつからもらったのか? そんな馬鹿な。あいつは野生のポケモンには絶対にバンダナを贈らない。サーナイトもヤドランもあたしも、みんな仲間になってからもらったのだ。仮に本当にもらったのだとしたら、こいつは――

     うふふ。馬鹿だよね。“ゲットしたら友達”なんて、本気で思ってたのかなぁ。

     大きなボールが蹴られて転がってきた。いなくなったのは数日前で、元の顔が失われるには十分な時間だ。大きなボールは他にもたくさんあった。それらはすでに薄汚れた白だった。小さなボールの中は見えない。開閉スイッチの壊れたボールは何も言わない。

     でもね、君のことは気に入っちゃった。もうメロメロだよ。胸がドキドキするんだ。

     好きな相手を攻撃するの?

     違うよ。ずっと一緒にいてもらおうと思っただけさ。

     上ずった声が返ってきた。馬鹿馬鹿しい。何度も“舌で舐める”をしたから、メロメロボディにあてられただけだ。
     普通は愛しい相手を攻撃しない。こいつは愛しい相手だから攻撃する。転がっている無数のボールはこいつの過去の遊び相手だ。忘れ去られた恋人たちのなんて多いことだろう! だが今だけは恋人ごっこに付き合ってやってもいい。息を吐く。可愛さ折り紙つきのエネちゃんが外道に愛を囁いてあげる。

     あたしのこと、好き?

     大好きさ!

     だったら、ちゃんと唇にキスして頂戴。

     ……!!

     ゲンガーが息を呑んだのが分かった。あたしは目を閉じる。メロメロが効いているのなら必ず来る。ゲンガーの気配が動いた。あたしは四肢と尻尾に力を込めた。相手がどこにいるのか分からないのなら誘い出すしかない。キスしようとするなら実体化しなくてはならない。

     うふ、怖いなぁ。

     その声はすぐ後ろからだった。“背後”からゲンガーはあたしに覆いかぶさった。四肢をがっちりと抑え込み羽交い絞めにしてくる。あたしの小さな肩に大きな影がかぶさった。

     “ふいうち”か“だましうち”狙ってたんでしょ。怖い怖い。

     体を震わせるとゲンガーはくすくす笑った。いくら技を放とうとしても四肢が抑えられていれば抵抗できない。その通りだ。唇を噛む。だがあたしだって、抑え込まれる可能性くらい考えていた。
     ――だから“仲間”に賭ける!
     背後に向って尻尾を振った。“猫の手”が“この場の仲間”の技を借りて光りだす。慌ててゲンガーが手を放した直後。あたしの尻尾から“サイコキネシス”が放たれた。至近距離で強い念力がゲンガーに直撃する。絶叫が響き渡った。拘束が解けた直後、振り向きざまゲンガーを蹴りつけた。手応えあり。ゲンガーは悲鳴をあげてボールに頭から突っ込んだ。動揺する声にあたしの口角が持ち上がる。
     こんなもんじゃ済まさない。
     足もとに無数に転がる何処かの誰かも。あたしも、あたしたちも、あいつに置いてかれた彼女の悲しみも、こんなもんじゃ到底釣り合わない!
     絶対逃がしたりしない。追いかける。“猫の手”で尻尾が光り、今度は“水の波動”が飛び出した。無数のボールが巻き込まれゲンガーに襲いかかる。叫び声は水流に呑み込まれた。あたしはぐったりとしたゲンガーに向かって走った。全身に力をこめて“だましうち”を放――

     三度目の鈴が鳴った。

     誰かに、止められたような気がした。
     びた、と動きを止めた。息を吸って、吐いて、気持ちを落ち着ける。ぴくりともしないゲンガーに近づくと、一応生きていた。ゆら、と自身の尻尾が動く。手を出してはいけない、“これは命令だ”。理性で抑え込み、攻撃の代わりにゲンガーの耳に囁いた。

     次はない。

     短い悲鳴。死なない程度にその頭を思いっきり踏みつけた。ばったりと動かなくなった。今度こそ気を失ったようだ。
     青いバンダナを奪い取り、ボールの山に取り掛かった。見覚えのあるやつの入った小さなモンスターボールが見つかった。中を覗き込むと瀕死のヤドランがいた。バンダナにあいつの頭とボールを入れて、口と前足で包み込む。ピンクのバンダナも使って何とか体にくくりつけた。振り返る。気がつくと、ゲンガーは消えていた。
     重い体を引きずって、あたしは帰途へとついた。

    『――の男性の頭部が発見されました。発見者は男性のポケモンであるエネコロロで、調査の結果、ほかに複数の頭部とポケモンの遺体が……』

     ――目を覚ました。ニュースは相変わらず、くるくると変わっていく。小さな事件はすぐに埋もれて消えてしまう。だけど当事者の日常は大きく変わって叩き落されて、そこから少しずつ、元の場所を探すのだ。
     奥さんは家事も行えるようになってきた。サーナイトや、たまにあたしも手伝って少しずつ日常を取り戻しつつある。ヤドランが回復して帰ってきたときには、ささやかなお祝いをみんなでした。
     けれど夜にはわずかな物音にも怯えてしまうから。サーナイトが寄り添って、あたしが物音を確認しに行く。ヤドランは……寝てる。たいていはただの風の音だけど、その日は違っていた。玄関口に大きなポケモンが浮いていた。真っ赤なひとつ目に黒っぽい体で足はない。大きな胴体に金色の模様が入っていて、顔のようで不気味だった。サマヨールだ。

     やぁやぁ、こんにちは。

     灰色の見た目に反して陽気な挨拶をしてきた。はぁ、どうも。何の用ですか。返答するとサマヨールは手を振った。

     用というか、お礼に参ったのです。貴女のお陰で、久しぶりにたっぷりと食事が摂れました。

     食事?

     先日、ゲンガーを見逃されたでしょう。あのゲンガーは随分と被害者を出していたようで、無数の魂がまとわりついていました。ニュースを見てすぐにオツキミ山に行きましたよ。

     大きな腹を満足そうに揺すった。意図を察して、あたしが身を強張らせると慌てて両手を横に振った。

     ご心配なく。私はゴーストなど、さまよえる魂しか食べません。ただ、食べた魂から一部始終を知りまして。どうしてあなたが殺さなかったのか不思議に思ったのです。

     それは……。

     “彼”を見て、納得しました。そんなに睨まないでください。何もしません。

     サマヨールは何もない空間に話しかけていた。ぽかんとするあたしを横目に、ぺこりとお辞儀をする。

     ではこれで。あなたも長居はいけませんよ。

     ざぁっと、夜に消えていく。止める暇もなく。
     動けなかった。最後の言葉の半分は、あたしではない人物に向けられていた。だからあたしも虚空に向って鳴いた。「エネ」と名前を呼ばれた気がした。風とも木々ともつかない懐かしい音が囁いた。

    「ありがとう」

     バンダナの鈴が、チリンと鳴った。


      [No.4108] 第三回 バトル描写書き合い会 投稿者:空色代吉   投稿日:2019/03/04(Mon) 18:44:07     72clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    Twitterで突発的に行った【バトル描写書き合い会】の作品投下スレッドです。
    指定されたポケモン同士のバトルを約10日間で書き、各々が描くバトル描写にどのような違いが出るかを楽しむ企画です。

    ルール
    ・バチュルVSオーダイル、エルレイドVSジュカイン、エネコロロVSゲンガーの中から選び、書く。
    ・シングル1VS1のバトルを描く(このバトルはトレーナー戦に限らず、野生ポケモン対トレーナーやポケモン同士のバトルでも可)
    ・執筆期間は10日前後

    ※「主役は遅れてやってくるぜ! (遅れての参加)」や飛び入りも可


      [No.4107] 大蔓主の住む森 投稿者:砂糖水   投稿日:2019/01/12(Sat) 19:57:00     94clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
    タグ:モジャンボ】 【光宙法師

     最近になってのぞみ野と名を改め、真新しい住宅が並んでおりますこの土地は、かつて草木も碌に生えぬ荒野でありました。
     しかしその前。さらに時代を遡ると、それはそれは緑豊かな森が広がっていたのです。
     それは昔。人々がポケモンたちへの畏敬の念を忘れ始めた頃のお話です。

     豊かな森のほど近くには村が一つありました。
     ある日、一人の僧がその土地を訪れますと、何やら村人たちは大層困った様子で何事かを話し合っておりました。僧が如何したのかと声をかけると、村人たちは顔を見合わせて何か言葉を交わしました。やがて一人の村人が進み出て、事の次第を説明し始めたのでした。
     曰く、村の近くにある森の主が狂ってしまったというのです。なんでも、昔からこの村では森から恵を頂いて生活してきたのだと言います。それはもちろん、森の主の許しを得てのことであり、時には供物を捧げ、森の主とは長い間うまくやっていたのだということでありました。
     しかし近頃、村人が森へ足を踏み入れるだけで、森の主が襲ってくるのだというのです。あわや命を落とすところだったものもおりますが、けれど森へ入らねば日々の薪にも、食べるものにも事欠きます。
     それで村人たちは困り果てていたという話でした。
     僧は何か心当たりはないかとお尋ねになりましたが、村人は首を横に振りました。突然のことで何もわからず、さらには直接尋ねようにも、こちらの姿を見るだけで怒り狂い、襲ってくるので、どうしようもないということでした。
     そうして、村人たちはこんなことを頼んできたのでした。
     もしかしたら、森に何か異変があるのかもしれない。一度、森の主を森の外へと連れ出してはくれないだろうか。森の外へと出たなら、森の主も落ち着いて話ができるだろうし、それが叶わなくとも、森へ入って原因を調べることができるだろう、と。
     僧はその言葉にしばし考え込んだあと、相わかったと仰せになりました。
     その昔、僧というのは知恵者であり、さらにその中でも旅僧は優れた操り人、すなわち優秀なポケモントレーナーでもありました。
     人里を一歩でも離れますと、そこはもう人の世界ではございません。獣たちの世界を通るには、同じく獣の力を借りる他ないのです。故に長く旅を続ける旅僧ほど優れた操り人であることが多く、それを見込んで村人たちは僧に頼み事をしたのでした。

     さて、僧がそのまま一人で森へ入った時のことです。森へ入って幾許もしないうちに、僧は何か妙だと思い首を傾げました。
     森が静かすぎるのです。獣一匹おりません。もしかしたら森の主を恐れて皆、逃げ出したのかもしれませんが。
     しかし本当にそれだけだろうか。そんな疑問を抱えつつも、僧の足は止まることはなく、奥へ奥へと進み続けました。
     静かな森の中を進んでいきますと、やがて、おおう、おおうと唸り声のような人ならざる声が聞こえてきました。
     声のする方へ、奥へ奥へと進みますと、それはそれは大きな緑の蔓の山が蠢いておりました。どうやらこの蔓の山が声の主のようでありました。
     そう、そこにいたのは大蔓主(おおつるぬし)と呼ばれる、今で言うモジャンボでした。小屋ほどはあろうかという巨体を震わせ、大蔓主はまるで泣いているかのように声を上げ続けていました。
     けれど、それも束の間のことでした。すぐそこに僧がいることに気がつくと、大蔓主は耳を塞ぎたくなるような一際大きな金切り声を上げ、その蔓でできた腕を僧へと振り落としました。
     あわや、という時です。何処からか梔色(くちなしいろ、黄色のこと)の雷獣が現れますと、その尾で蔓を叩き落としました。
     僧は少しも慌てた様子もなく、大蔓主へと呼びかけました。
     何故(なにゆえ)人を襲うのだと。
     けれど大蔓主はそれに答えず、殺した、殺したと譫言(うわごと)のように繰り返すのみ。何を殺したと尋ねても、答えの代わりに返ってくるのは、無数の蔓だけでありました。
     僧は、なるほど確かに正気を失っているようだと思いました。幾度呼びかけてもまともに答えがないとなれば、一度力を削いで落ち着かせたいところです。
     しかし、森から力を得る大蔓主は強力無比の存在。振るわれる蔓を切り落としたとしても、瞬く間に蔓は蘇り、力を削ぐことは並大抵のことではありません。そうであるならば村人の言うとおり、森から一旦引き離し、その力を幾分か弱めることが必要です。
     雷の力は草の獣には効きづらく、まともに戦ってもこちらが不利なのもあり、僧は雷獣と共に駆け出しました。事前に、西に開けた場所があることを聞いていた僧は、そこへ大蔓主を誘導することにしました。
     とはいえ、ここは森の中。先ほども申し上げたように、森は大蔓主にとっては己に力を与え、また家も同然の勝手知ったる場所であるため、正気を失っていようともやすやすと動き回ることができます。しかし人間にとっては碌な道もなく足元も悪いですから、思うように走るのは中々難しい話でございました。
     おまけに大蔓主は容赦なく幾度も腕を振るっては、数多の蔓をしならせ襲いかかってくるのです。厄介なことに時折岩を飛ばしてくる上、さらには幾度かの後に突然大蔓主の動きが早くなり、また振るう力も増したように思われました。
     これらをいなしながらとなると、その苦労たるや筆舌に尽くしがたいもの。しかしながら、僧と雷獣は見事それを成し遂げたのでございます。
     襲いくる無数の蔓や岩を、雷獣は鋼鉄の如く硬くした尾や、あるいは雷撃で弾き返し、そうしてようよう森の外れまで辿り着きました。
     僧がちらと外へと目を向けますと、そこには村人たちが待ち受けていました。ええ、話をすると言っていたのですから、そこにいてもおかしくはありません。おかしくはありませんが、けれど僧は、おや、と思いました。
     いつ出てくるかわからない大蔓主を、わざわざ大勢で待ち受ける必要があるのでしょうか。待ちきれなかった、ということも考えられますが。それに何故だか大量の荷物があるように見えました。大蔓主に捧げる供物でありましょうか。いえ、供物というには何かがおかしいようにも思えました。
     そうは思いましたが、大蔓主が僧の後を追ってきているので、あまり長い間外に気を逸らしているわけにもいきません。また、奇妙だからといって、もはや止まることもできません。そのまま僧は森を飛び出しました。
     森の外は平地でしたので、先ほどまでと異なりとても走りやすく、あっという間に森から十分に離れることができました。そして傍らを走る雷獣が体勢を整えたのを横目で確認すると、僧はここで初めて、雷獣へ攻撃を命じました。
     雷獣は僧の言葉に答えるように、ばちばちと雷の力を纏わせ、身を翻したかと思うと、瞬く間に真正面から大蔓主に突進しました。
     無我夢中で僧たちを猛追していた大蔓主は、避けることも出来ずまともに雷獣とぶつかります。
     大蔓主と比べ小さな体躯の雷獣は無数の蔓に埋もれてその姿は隠れてしまい、まるで大蔓主に飲み込まれたかのように思われました。
     しかし、すぐに大きな音がしたかと思うと、大蔓主はたたらを踏んで二歩、三歩と後ずさり、そうして大きな体をぐらり、ぐらりと揺らします。
     寸の間の静寂の後。どう、という音と共に大蔓主は倒れました。
     雷獣はというと、たちどころに蔓の間から抜け出し、主人である僧の元へと戻ります。耳がひしゃげ、頭から血を流していた雷獣はふるり、と身を震わせるといつの間にかその姿を消していました。
     それを確認した僧はそのまま村人たちの元へと向かいます。
     ふと村人たちを見れば、幾人かが弓を持っており、そして、村人たちの背後には火が灯っているのが目に映りました。草の獣にとって大敵である火が、何故ここに。
     村人の幾人かが、何かを投げると、それは僧の背後へと飛んでいきました。ぷんと油の匂いがしたかと思うと、あ、と思う間もなく、ひゅんひゅんと何かが、ああ、火が、火矢が、飛んでいきました。僧が止める間などありませんでした。
     ぼう、と大蔓主は燃え上がりました。耳をつんざくような凄まじい悲鳴が響き渡りました。炎の勢いは時とともに増すばかりであり、そしてまた、大蔓主が暴れるものですから近づこうにもどうにもなりません。
     僧はすぐに火を消し止めるように怒鳴りましたが、村人たちは笑って首を横に振りました。やっと化け物を殺せるのに、何故消さねばならないのです、と。
     大蔓主は転げ回っています。そしてその途中途中で、叫んでいました。
     殺した! お前達が殺した! 返せ! 我が子を、一族を返せ!
     僧はそれで、森の中がやけに静かだった理由を悟りました。大蔓主以外の獣の姿がなかったのは、大蔓主を恐れて逃げ出しただけではないということです。
     やがて大蔓主は声を上げることも、動くこともなくなりました。
     大蔓主は死んだのです。
     人々は、僧を除く人間たちは、歓喜の声を上げました。
     何故このようなことを、と僧が村人の一人に詰め寄りますと、村人はこのように述べるのでした。

     昔から森からの恵みを得て暮らしてきた。大蔓主には感謝を捧げてきた。
     しかしこの数年、森から恵みを得ようとしても、大蔓主はだめだだめだと言って、思うように採らせてくれなくなった。村では人も増え、薪も食べ物も入用(いりよう)なのに。
     だからわからず屋の大蔓主の子である蔓の子を攫って脅した。けれどそれでも言うことを聞かないから、蔓の子を殺した。蔓の子は賢くなかったので、簡単におびき出せたから、幾度も幾度も、子を攫っては殺した。
     しまいには殺せる蔓の子もいなくなり、森に人が入るだけで、大蔓主が襲ってくるようになった。
     それで困っていたが、それも今日で終わり。これからは自由に採れる。

     それを聞いた僧は諦めたように、報いはすぐに来るだろう、と告げました。そうして、大蔓主のために経を読むと、あとはもう何も仰せになることはなく足早に去っていきました。

     さて、それからの数年は、森からの多くの恵みで村は潤いました。けれど、いつの頃からか薪も食べ物も手に入りにくくなりました。以前は少し探しただけで、どっさり手に入ったというのに。
     やがて、探しても探しても、思ったような量が得られなくなったのです。それで人々は、以前と同じ量を得るために森の中を歩き回りました。
     ふと気がつけば、森は姿を変えておりました。
     あれだけ生い茂っていた木々は、今や疎ら(まばら)にあるばかり。辛うじて残っている木も、実をつけることはほとんどありません。残っている木は枯れかけているものばかり。茸も見当たりません。草花も疎らです。獣の姿もありません。
     目に見える茸も野草も木の実も採り尽くし、食べるものがないからと木の皮さえも剥ぎ、薪に使える枝が落ちていないからと木を切り倒し、手当たり次第何でもかんでも採っていったからです。
     それで人々はようやく、自分たちが採りすぎたことに気がつきました。
     かつて森は大蔓主やその子らが世話をしていました。木を切ったあとには苗を植え、茸や野草や木の実も、採り尽くしてしまわぬよう、気を配っていました。
     人々は、そんな風に森を守り育てる大蔓主に感謝を捧げ、敬っていたのです。けれど、いつしか人々はそれを忘れてしまっていたのです。
     もしここで全ての人が己の行動を悔い、省みていたならば、あるいは違った未来もあったのかもしれません。しかし人々は恵みの減った森から全てがなくなってしまう前にと、我先に何もかもを奪い尽くし、ついには森は完全に失われたのです。
     森からの恵みを得られなくなった村から、人々は一人、また一人と姿を消し、そうして荒れ果てた土地だけが残りました。

     かつてここは荒れ果てた土地でありました。
     けれど、そのずっと前は、緑豊かな森がありました。森には大蔓主と、その子らが住み、近くに住む人々は森から恵みを得、大蔓主に感謝を捧げて暮らしておりました。
     それは、ずっとずっと昔のお話。


     さて、この話に限らず昔話ではよくポケモンが喋りますね。
     特に、古い古いお話ではその傾向が強く、人と変わらない扱いであることもしばしばあります。シンオウ地方では人もポケモンも同じ、という古い言い伝えが残っているほどです。
     しかしながら、時代が下るにつれ、ポケモンが喋ることは減っていきます。光宙法師のお話は、その過渡期に当たるとも言われ、この時代を境に言葉を使うポケモンのお話も一気に減っていきます。
     その辺りのことを頭に入れて昔話を聞くのも面白いかもしれません。
     ところで、各地を行脚していた光宙法師智史(こうちゅうほうし ちし)が連れていた雷獣に関しては、話によってその記述がまちまちなのも相まって、現在でも大変な議論の的となっています。
     一般に有名なのは、児童書の表紙にもなったピカチュウでしょう。
     このお話で雷獣が大蔓主に使った技は、スパークや、あるいはとっしんなどの技が考えられますが、もしピカチュウであったなら、ボルテッカーかもしれませんね。

     機会がありましたら、また光宙法師のお話をいたしましょう。


    ――
    いえーい、何年ぶりでしょうか、光宙法師シリーズ第三弾です。
    前のお話が2015年投稿ということで…ええ…(白目
    本当は去年のうちに出そうと思ってたんだけどなー…(遠い目
    昔、一粒万倍日スレに出したと思ったけど見つからなくて、おそらく以前、精神的にアレになって消したと思われる。
    まあなので、いつ書き始めたかは定かではないんですけど、でもかなーり時間経っていると思われる。
    書くの遅い…。
    周回遅れになった挙句、ちょっぴりタイムリーになっている。
    この話考えたときは鰻もそこまで話題になってなかったんですけどね…。
    ていうかわりと軽い気持ちで書いてたんですよ。
    ただ今回ちゃんと書くにあたって、厚みというかそういうのを出そうとした結果、まあこうなりましたよね。
    ちなみに細かいとこつっこまれると大変厳しいので、大目に見てもらえると嬉しいです!

    このシリーズ、地味ーに書いていきたい気持ちはあるのですが、いかんせんネタがないので、今回みたいに忘れた頃に突然出すことになりそうです。
    もし書くなら、前回今回と人間が悪い!って話なので、次回は暴れるポケモンに困ったわ…みたいなの書きたいですね。
    まあ予定は未定なんですけど!


      [No.4073] 龍と舞う人 投稿者:カイ   投稿日:2018/02/15(Thu) 21:26:32     88clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

     岩塊のような灰色の巨躯に、金色の鱗が何枚も連なって揺れている。
     マイトの視界は、突然現れたそのポケモンの背中で一杯になった。
     ジャラランガ。
     混乱する頭の中でマイトはなんとかその一単語を引っ張り上げた。
     ジャラランガは、背後で間抜けに尻もちをついている若い人間の男などには目もくれず、ゆっくりと右腕で弧を描いた。続いて左腕もその動作にならい、さらに足で二度地面を踏み鳴らす。シャン、シャンと尾を振って節を取りながら、腕を突き出しくるりと回り、徐々に激しくその場で踊る。ジャラランガの爪が空気を裂くごとに、ひるがえした体の上で鱗が光を跳ね返すごとに、その内側からほとばしる力が周囲にあふれるかのようだった。
     幼い頃に祖母から聞いた伝説の、闘龍様(とうりゅうさま)の龍の舞だ。
     十分に力を高めたジャラランガは、鋭い眼光で前方の敵を見据えた。
     一体のロズレイドを連れた密猟者の男が、ジャラランガの金の鱗をねめつけてにやりと口の端をゆがめた。
    「ようやく出やがったか。待ちくたびれちまったぜ。」
     ジャラランガが怒りに狂った咆哮を上げ、ロズレイドめがけて突進した。





     ポニの大峡谷に密猟者が侵入したようだと、マイトが報を受けたのは昨日のことだった。
    「野生ポケモンたちの挙動がおかしい。普段はねぐらにしない場所に移動しているし、ずいぶん気が立っているようだ。」
     数年前に島巡りを終えた後、マイトはその腕を買われハウオリシティの自警団に入った。自警団と言っても半分はボランティア活動のようなもので、街に入ってけんかをしている野生ポケモンをなだめて野に返すとか、迷子になったポケモンの捜索をするとか、そんな仕事が多い。しかし時折は厄介な案件も舞い込むもので、しかもそういうのに限って隣の島の問題だったりする。もっともポニにはハウオリのように大きな街がないからこそ、こちらに話が回ってくるのだろうが、そんな時は団の中でも特に実力のあるマイトのようなトレーナーに声がかかるのだった。
    「狙われているのは、おそらくジャラコ。鱗の密売が目的だろう。」
     数枚の資料をマイトに差し出しながら、団長が問う。
    「引き受けてくれるな、マイト。」
    「はい!」
     自警団の筆頭としての誇りをもって袖を通した青い服を、年少の者はエリートトレーナーの証として憧れの眼差しで見つめる。彼らの視線に恥じない答えを、マイトが選ぶのに時間はかからなかった。

     ポニのしまクイーンや警察関係者への連絡も滞りなく済んだ後、マイトをはじめとする五名のトレーナーたちが密猟者探索の任に就いた。手分けして峡谷内を調べ、怪しい者を見つけ次第すぐ仲間に連絡すること。一人で遭遇した場合は深追いせず、自身の安全を第一に確保すること。お互いにそう約束して散らばったのが、一時間ほど前。
    「炊事の跡らしいのを見つけたわ。誰か来て一緒に周りを調べてくれる?」
    「俺が一番近い。行こう。」
    「では私は念のためその周辺を警戒します。そちらは頼みますね。」
     そんな通信が入って、三名がマイトとは反対の方角に向かった、少し後のことだった。
     ほとんど偶然に、そびえる岩の角を曲がって小さな谷間に入った時、マイトは炊事の主――件の密猟者と対面した。
     一目でそれと分かる出で立ちだった。こんな人里離れた険しい谷で、数日かけて「仕事」をするのに適した頑丈な服装と大きなバックパックを身につけた中年男。傍らのロズレイドはアローラに生息しているポケモンではない。そして何より引きずっている麻袋の口から、ぐったりしたジャラコの姿が見えていた。
     マイトはこっそりと仲間宛に救援を求める信号を打ち、ボールホルダーに手をかけた。
    「あーあーあー。なんか嫌な予感がするなぁと思ったら、お兄ちゃんポケモンレンジャーか何か?」
    「まあそんなところです。そのジャラコについて詳しく教えてほしいんですけど、いいですか?」
    「そうだねえ。こっそり持って帰って売り飛ばすつもりだって答えたら、どうするわけ?」
     男が自ら密猟者だと告白した。それもへらへらと余裕の薄笑いを浮かべながら。その訳をマイトが理解するのに、ものの五分もかからなかった。
     密猟者のロズレイドは、圧倒的な強さだった。
     マイトは島巡りを終えたトレーナーだ。彼と彼の相棒たちは、何人もの手強いトレーナーと戦ってきたし、ポニ島の奥地にいる荒っぽい野生ポケモンにもひるまない。それなのに、たった一体のロズレイドに防戦一方。手も足も出ないまま、じわじわと毒にやられ、刃物のような花びらに翻弄され、あっという間に全滅した。深追いだと自覚する暇もなかった。応援もまだしばらくは来ないだろう。
     打ち砕かれたプライドと、自らを守るものが何もないという恐怖に、マイトは眼前から光が消えていく感覚に襲われた。
     勝利の確信を持って、密猟者が冷たい笑みを満面にたたえる。
     不思議な音が谷の空気を震わせたのは、その時だった。
     シャラ、シャララと鈴の鳴るようなそれは、ものすごいスピードでこちらに近付いてくる。鈴の音は次第に金属板の激しくこすれ合う騒音になり、天から谷に降り注いだ。一体何事かと見上げた瞬間、巨大な影がマイトの目の前に降ってきた。着地の振動、風圧、怒りの雄叫び。驚いてマイトが尻もちをついてしまったのも、無理のないことだった。
    「ジャラランガ……。」
     マイトがそのポケモンを知っていたのは、幼い頃、祖母に何度もその伝説を聞かされていたからだった。普段は三つ束に編みこんで結ってあるマイトの長い黒髪は、祖母の血筋を受け継ぐ証。祖母はかつてジャラランガを崇拝し彼らと共に生きた、アローラ先住民の末裔だった。
     闘龍様の雄々しい舞は、人にもポケモンにも力を与えてくださるのじゃと、祖母の口から繰り返し語られた舞が今まさに、マイトの目の前で披露されている。自らが打ち震わせる鱗の響きを伴奏に、四肢の躍動を天へと捧げるその動きは、光にきらめいてたいそう神々しいと言う祖母の表現は、伝説がよくなびく衣をまとった結果にすぎないと心のどこかで思っていた。今日この時、ジャラランガの龍の舞を間近に見るまでは。それはジャラランガ自身の力を高め、敗北に意気消沈するマイトの勇気すら蘇らせる、力強くも美しい戦いの舞だった。
    (共に戦ってくれるのか、ジャラランガ……?)
     なんとか起き上がったマイトがその問いを口にするよりも早く、相手のロズレイドが動いていた。大地に当てた両腕から、黒々としたいばらが生長している。ジャラランガが舞っている間から仕込まれていたのであろうそれは、すでに猛毒の鉄条網と化して、バトル場を取り囲んでいた。
    「待て、ジャラランガ、早まるな!」
     マイトが叫んだ時にはもう、ジャラランガは仲間を返せと怒号に吠えながら、ロズレイドに大きな竜の爪を振りかざしていた。
     確実に刺さった強力な一打。だが、密猟者はにやりとした笑みを崩さなかった。
    「ベノムショック。」
     毒液を振りかけられて、ジャラランガはいったん退く。
     やはり、とマイトは唾を飲んだ。自分のポケモンもあれにやられた。あれは傷口から入りこんで体内の毒を増幅させる特殊な毒液だ。ロズレイドは、ジャラランガを毒状態にした上であれを当てることを狙っている。
    「ロズレイドの体には毒のとげがある! 接触戦は危」
     マイトの言葉は、ジャラランガの咆哮にかき消された。再び駆けだし、爪を振りかぶるジャラランガ。それを避けようともしないロズレイドは、まるで自分から攻撃の軌道に乗っているようにすら見えた。
     刺さるジャラランガの爪を、今度はロズレイドの体から放たれた激しい風がなぎ払う。
     花びらが吹雪のように舞い、ジャラランガの体は大きく吹き飛んで、猛毒いばらの茂みの中に落ちそうになった。今、毒に侵されてはまずい!
    「ジャラランガ!」
     助ける、とかどうやって、とか考えている余裕はなかった。気が付けばマイトは走りだして、体勢の崩れたジャラランガといばらの間に滑り込んでいた。
    「ぐうぅっ……おぉっ……!」
     ジャラランガの体重がマイトの腕に乗る。背中には毒の茂み。黒いとげが何本か、ブツッと服の繊維を突き破り肌に刺さったのを感じた。さあっと体温が下がり口の中が乾いていくような気がしたが、構っている場合ではない。
     ジャラランガが驚いたようにマイトを振り返って見た。
    「お願いだ、ジャラランガ……力を貸してくれ。僕もジャラコたちを助けたいんだ。」
     震える体に脂汗をにじませた人間の言葉が、どこまで届くものかマイトは知らない。だがその時マイトの腕はふっと重圧から解放された。立ち上がったジャラランガが、赤い瞳にじっとマイトの姿を映していた。





    「闘龍様の龍の舞には、舞でお返しするのが人間の礼儀。よくご覧なさい。こう……こうじゃ。」
    「わあ、おばあちゃん、かっこいい! ぼくもやるー!」
    「ほっほっほ、上手上手。お前はきっといい踊り手になるね。闘龍様の龍の舞が我らに力を与えてくださるように、我らもまた、舞によって闘龍様に力を与えることができるのじゃよ。」
    「とうりゅうさまに? すごいなー! ぼく、とうりゅうさまと一緒に踊りたい!」
    「うむうむ。ではその時のために、たくさん練習しておかないとね。舞を通じて、人とポケモンは一つになれる。絆を紡ぎ、どんな困難にだって共に立ち向かうことができる。お前の名前にはそういう意味が込められているんじゃよ。ゆめゆめ忘れないようにね……舞人(マイト)。」





     シャン、と高い音が響いた。
     ジャラランガが尾を震わせ、鱗を打ち鳴らしたのだった。闘龍の舞の導入となる、高らかな音。
     マイトはゆっくりと身を起こし、ジャラランガと目を合わせた。ジャラランガがうなずいたように見えた。
     ロズレイドの猛毒に内側からじんじん燃やされているのを感じるのに、なぜだか少しも苦しくなかった。見えない力に導かれるように、マイトの体は祖母から習った動きをなぞる。
     糸を巻くように腕を上下させながら浮かせた右足を、地面に叩きつけてぱんと音を出す。手を高く空に突き出し、体を回し、流れる大地のオーラに乗るように上半身をたゆたわせて、拳を合わせる。
     ジャラランガも、隣で同じように舞っていた。
     一定のリズムでシャン、シャン、シャララと震える空気の中で、マイトの黒い三つ編みが舞い、交差するようにジャラランガの連なった鱗が踊り、二つの肉体が一心になって龍の内なる波動を呼び覚ます。
    「何の真似だ?」
     密猟者が怪訝そうな顔をする。
    「いい加減、遊びは終わりだ。ジャラジャラうるせえその鱗、はがして磨けばきっと高く売れるぜ!」
     ロズレイドがベノムショックの構えを取った。毒液を発射する直前、両腕を相手に向かって付き出すその構えが、まるっきり無防備であることにマイトはすでに気付いていた。後はそのタイミングをジャラランガに伝えるだけ。ジャラランガがマイトの舞に、答えるだけ。
     ジャラランガが連続して体を震わせ、谷中にこだまする響きが最高潮に達した時、ジャラランガの鱗がきらきらとした光をまとった。燃えるような魂の鼓動が、その中心に収束した。
    「今だジャラランガ!」
     龍の口に見立てた両手をマイトが大きく開く動作を決めた直後、力が爆発した。
     二つの舞によって極限まで高められた闘龍の魂が、激しい衝撃波となってロズレイドに襲いかかった。すさまじい光と轟音と暴風が谷に満ち、驚きおののいて背中を向けた密猟者をも、あっという間に飲み込んだ。
     放たれた力がようやく大地に沈んだ時には、ロズレイドと密猟者は倒れ伏して気を失い、彼らの荷物はバラバラになって散らばっていた。生活用品やロープや懐中電灯などの他、無数のモンスターボールが転がっている。きっとジャラコが入っているのだろう。大猟で入りきらなかった分を、麻袋に詰めていたというところだろうか。ジャラランガは袋の中でもぞもぞともがいているジャラコの元へ急いで駆け寄った。
    「マイト! 無事か!?」
     谷の入口から仲間の声がした。振り返ってその姿を確認し、手を挙げて合図した後、マイトの意識はいばらの毒の中にふっつりと溶けた。



     マイトが目を覚ました時、心配そうにのぞきこむ仲間の顔が見えた。
    「おお、マイト、気が付いたか。大丈夫か?」
     谷は整然として、静寂に包まれていた。どうやら応援に来た仲間たちが後始末をしてくれたようだ。向こうの方で一人が周囲の検分をしている他は、密猟者もロズレイドの姿も見当たらなかった。きっと残りの二人が彼らを引っ立てて行ったのだろう。
     マイトは少しうめきながら身を起こすと、側に付き添ってくれていた彼にうなずいた。
    「ああ、なんとか。密猟者は?」
    「今頃ハウオリの警察署に着いた頃だろう。ジャラコもみんな逃がしたよ。お手柄だったな、マイト。ちょっと無茶しすぎだとは思うが。ポケモンが撒いた毒びしにトレーナーが突っ込むなんて、お前らしくもない。」
    「自分らしさについて考えている暇のない戦いだったもんでね。」
     力なく笑った後、ん? と相手の顔を見た。
    「毒びしに突っ込んだって、なんで分かったんだ?」
     黙って目線で示された方向をマイトが見ると、岩陰にジャラランガがたたずんでいた。心配とも観察ともつかぬ眼差しで、マイトの様子をじっと眺めていた。
    「身振り手振りであいつが教えてくれたよ。お陰で処置が早く済んだ。礼を言ってこいよ。あいつもお前が目覚めるの、待ってたみたいだぜ。」
     マイトはちょっとふらつきながら立ち上がり、ジャラランガの側に歩み寄った。ジャラランガも一歩こちらに近づいた。
    「ジャラランガ、ありがとう。お陰で密猟者を捕まえることができたよ。ジャラコたちはみんな無事だったかい?」
     ぐるる、と喉の奥から敵意のないうなり声が聞こえた。それからジャラランガは、物を渡すような仕草で握り拳をマイトに突き出す。首を傾げながらもマイトが手を広げると、ジャラランガはその上にぽとりと何かを落とし、すぐにきびすを返して走り去ってしまった。
    「あっ、おい、ジャラランガ!」
     呼んでももう、谷を吹きすさぶ風が答えるばかりだった。
     ジャラランガがマイトに残していったのは、小さな宝石だった。
    「これ……Zクリスタルか?」
     島巡りで手に入れたものとは少し形状の異なる、三つ山になったクリスタルだった。ジャラランガの皮膚を思わせる土色の中に、鱗のような模様が浮かんでいる。よく分からないが、まあ何かを認めてもらえたのだろう。
     祖母がつけてくれた自分の名前の意味に思いを馳せ、マイトはふっと微笑んだ。
    (おばあちゃん、僕、闘龍様と一緒に踊れたよ。)
     風の中にかすかに、金属のこすれる音が響いた気がした。


      [No.4072] 一瞬 投稿者:円山翔   投稿日:2018/02/15(Thu) 21:23:41     100clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    一瞬

     突然だが、ここで質問だ。
     今、二人のトレーナーが一対一のバトルを繰り広げようとしている。
     一方はロズレイド。両手に毒持つ薔薇の花を携えた、細身の騎士のような出で立ちのポケモン。
     一方はジャラランガ。全身にジャラジャラと音の鳴る鱗を持つ、アローラ地方はポニの渓谷で修業を積んだ竜族のポケモン。
     読者諸賢には、どちらのポケモンが勝つのか予想しながら読んでほしいのだ。
     無論、ルールは説明する。
     勝負はシングルバトル形式で手持ちは一体のみ。使用できる技の数は制限なし。相手を戦闘不能にすればその時点で勝ち。どちらも戦闘不能にならなくとも、試合開始後20分が経過したところでジャッジによる判定が行われる。体力の具合、戦いに対する意欲、技の命中率などを〇、△、×の三段階で評価し、より得点の高い方の勝利である。この評価に関しては、ホウエン地方のバトルフロンティアの一施設、バトルアリーナのルールを思い出してもらうと分かりやすいだろう。ん?バトルフロンティアなんて知らない?バトルハウスの間違いじゃないかって?まぁ、そういう施設があった世界線も存在すると、そう考えていただきたい。


      *


    「一瞬で終わらせてやる」

    というジャラランガのトレーナーの宣言通り、勝負はまさに一瞬の決着だった。察しのいい読者諸賢なら、何となく想像がつくのではなかろうか。いや、そんな単純な話ではないだろうと勘ぐる疑り深い方は、真反対のことを想定しているのかもしれない。あるいは、そのどちらでもない状況を想定しているか。私が語る言葉の中にいくつかの嘘が含まれていて、「一瞬で終わった」という部分がその嘘であるという可能性を思い浮かべているのか。そもそも「一瞬」という言葉にあやがあると考えるか。
     考えてみれば、「一瞬」の辞書的定義は「きわめてわずかな間」だが、使われ方は人それぞれである。辞書通りひとたび目を瞬く間の出来事であるかもしれないし、そこまで短くはないものの少し、という意味であるかもしれない。最近は少しの間席を外すときにも「一瞬で戻ってくる」、他人にものを借りるときですら、「一瞬○○を貸して」という表現が使われるようになっているようだから。
     それについては、先に弁解しておく。私のいう「一瞬」は、本当に「ひとまたたき」の間である。そして最初にも述べた通り、この勝負は「一瞬」の間に決着がついたのである。


      *


     さて、決着は一瞬とは言ったものの、勝負は膠着状態のまま進んでいった。
     トレーナー同士の戦いならば、トレーナーが声で指示を出してその指示通りにポケモンが動くのが基本である。しかし、今回の戦いでは、はじめのうちはトレーナーさえも互いに睨み合い、探り合い、何の指示も出そうとしなかった。どちらもここまでトーナメントを勝ち抜いてきた実力者。相手のポケモンが何であろうと油断はできないのだと言わんばかりに、じっくりと相手の動きを観察し、最良の指示を出さんと身構えていた。隙あらば一撃で相手を仕留められる攻撃を叩き込まんと、虎視眈々と隙を狙っていた。
     一方、ポケモンの方はというと。向かい合ったジャラランガとロズレイドは、一定の距離を保ちながら反時計回りに回っていた。ロズレイドは両手の花をだらりと下ろした状態で、眼光だけで相手を射殺してしまうのではないかと思うほどにジャラランガを凝視しながら。ジャラランガはやはりロズレイドから目を離さず、ファイティングポーズを取って威嚇するように鱗をこすり合わせながら。相手の一挙一動を見逃さないように、隙あらば飛びかかって必殺の一撃を放つために、互いが互いをじっと見つめていた。一分、五分、十分、見ている側も戦っている側も痺れを切らしそうなほど長い時間、二匹はそうして回っていた。

     何故、互いに何も仕掛けないのか。二人のトレーナーの頭の中ではそれぞれ別の思考がぐるぐる回っているのだろうが、参考までに、二匹の特徴を私なりにまとめてみようと思う。

     素早さ自体は若干ロズレイドの方が早いものの、大きな差はない。
     物理的な攻撃力や防御力ならジャラランガが秀でている。毒タイプのロズレイドには得意の格闘技による大ダメージは狙えないかもしれないが、ジャラランガは炎のパンチや冷凍パンチも放つことができる。一度でも懐に飛び込み、格闘技の動きに乗せてそれらを撃ち出せば、物理防御力に乏しいロズレイドはひとたまりもない。ロズレイドはやどりぎのタネを使うことができるし、一刺しで相手を死に追いやるほど強力な毒の棘を持っているが、ジャラランガの身体は堅い鱗で守られているため、タネや棘がそう簡単に通るものではない。激しい攻撃の合間を縫って鱗の鎧の隙間に毒針を打ち込む、あるいはわざと攻撃を受けて毒の棘が刺さるのを狙うやり方も無きにしも非ずだが、それはあくまでジャラランガの一撃を避けきるか、または堪えきれればの話である。攻撃を避ける間にねむりごなやしびれごなを舞わせるという手に関しては、ジャラランガの特性が粉攻撃を完全に防ぐ"ぼうじん"だった際には全く無意味となる。
     ここまでだとジャラランガの方が圧倒的に有利じゃないかと思われるが、一口にそうだとは言い切れない。物理的な攻防は苦手でも、ロズレイドは特殊攻撃に秀でている。更に、ジャラランガが最も苦手とするフェアリータイプの特殊技、マジカルシャインを放つことができるのだ。ジャラランガの特殊技に対する防御力は低くはない。むしろ、そこいらのポケモンと比べれば格段に高い。それでも下手に近付けば、カウンターで手痛い仕打ちを受けて沈むのがオチである。
     では、遠距離から狙い撃てばいいのではないかということになるが、それはそれで問題がある。
     まず、二匹が使える遠距離攻撃が、大概は直線的に進むものであるということ。ロズレイドならばソーラービームやマジカルシャイン、ジャラランガなら直線的な攻撃は、いくら素早く放っても予備動作を見て素早く反応することで簡単に避けられてしまう。ロズレイドのマジカルリーフのように相手を追尾する攻撃でも、ジャラランガは着弾までの時間に火炎放射で焼き尽くすなりスケイルノイズの衝撃波やドラゴンテールなどで叩き落とすなり、ダメージを受ける前に対処することも可能である。そもそも、ドラゴンタイプのジャラランガには、草タイプのマジカルリーフは効果薄であることも忘れてはならない。といっても、実力が拮抗した者同士の戦いでは、こうした小さな一撃も馬鹿にならないことを互いのトレーナーは十分把握している訳なのだが。
     近接戦闘向きに思われるジャラランガの重い打撃は、直撃せずとも周囲の地形を変えるほどの衝撃波を放つ威力がある。ただし、ダメージを狙うならば、ある程度距離を詰めなければならないことに変わりはない。特有技のスケイルノイズや、特有Z技のブレイジングソウルビートは身代わりや壁を貫通して攻撃することはできる。前者は物理防御力が下がるというデメリットがあるものの、予備動作が小さく威力も大きい。ただし、媒質を伝わるうちに減衰するという音波の特性と、これも直線的な攻撃であるため、あまり離れすぎた場所で攻撃の芯を外すと大きなダメージは期待できない。後者は広範囲に安定した威力で技を届かせることができるものの、予備動作以前にZ技特有のポーズを決めなければならない。そんな大きな隙を突けないほど、ロズレイドは愚鈍でも鈍足でもない。
     対するロズレイドは、毒の棘を持った蔓を地面に這わせ、相手の足元から攻撃するという戦法を取ることもできる。これならばどこから毒の棘が現れるか予想がしにくいうえ、ジャラランガの鎧を気にせず攻撃できる一つの方法である。が、蔓を地面に這わせている間はその場から動けないというデメリットもある。遠くを狙って蔓を伸ばしたところで、距離を詰められて打撃を食らえば終わってしまう。高い特殊攻撃能力を生かすとすれば、エスパータイプの技、神通力が効果的であろう。見えない念の力で攻撃するこの攻撃は、一度放たれたら最後、撃たれた相手は攻撃されたことすら気付かずに終わってしまう可能性もある。ただし、少し念じれば強い念の力を放てるエスパータイプとは違い、草・毒タイプのロズレイドでは発動までのタイムラグを要することになる。発動を読まれてしまえば、蔓攻撃と同じく技が起動するまでに決着を付けられる可能性も否定できない。そして忘れてはいけないのが、ジャラランガが持ちうる特性の一つ、"ぼうだん"。相性は良くも悪くもないが使う機会があるかは分からないシャドーボールやヘドロばくだんなどの砲弾系の技を一切受け付けないのである。これらはロズレイドのメインウエポンとして使われることも多いため、運が悪いと遠距離からでは一切技が通用しないという可能性も十分にあり得る。
     すなわち、遠距離だろうが近距離だろうが迂闊な手出しを出来ないからこそ、このような遅延行為じみた状態になっている――と、傍から見ればそう思うかもしれない。


      *


     制限時間まであと一分。スタジアムの時計の文字が、早く決着を付けろと赤く染まった。それでも互いに向き合って公転運動の如く回り続ける二匹にしびれを切らしたのか、三十秒前には警告ブザーまでなり始めた。それでも、二匹は以前回り続ける。二十秒、十五秒。十、九、八、七、六……とここで、双方のトレーナーから短く「行け!」と指示が飛んだ。どちらも具体的な技は告げなかった。こうした指示の出し合いですら、出された指示にあと出しで反応されては困るとでもいうかのように。あるいは、はじめから決め技を打ち合わせていたかのようでもあり。長らく待たされてなおも回り続けた二匹が、遂に動いた。
     ロズレイドは両手の蔓に妖精の光を纏い。
     ジャラランガは右に炎を、左に冷気を纏った両の拳を振りかぶり。
     ロズレイドが、ジャランガが、互いに持てる力の最大限をぶつけんと地を蹴った。

     そして。

     次の瞬間、二匹のポケモンは共に、地に倒れ伏していた。互いに技をぶつけ合う前に、同時に倒れ込んだ。誰もが望まない形で、勝負は引き分けとなってしまったのである。

     ここで勘のいい読者諸賢ならば、ロズレイドとジャラランガが互いに何を仕掛けたのか薄々気付いているかもしれない。
     ロズレイドは円形に回りながら、足元に罠を仕掛けていた。両腕の蔓に生えていた、猛毒の棘である。どくびしと呼ばれるその技は、ロズレイドがまだロゼリアの頃に覚えたものだった。知らず知らずのうちに棘を踏んでいたジャラランガは毒に侵され、じわじわと体力を奪っていったのだ。加えて、ロズレイドはこれまた気付かれないように神通力で攻撃を仕掛けていた。目には見えない超能力はジャラランガの弱点のエスパー技。大っぴらに使っていては気付かれるため、出力を抑えて、少しずつ、少しずつ体力を削っていたのだった。
     対して、ジャラランガも何もせずに回っていただけではなかった。
     回りながらも、全身の鱗を小刻みに振動させ、傍目に見ても分からない衝撃波を撃ち出していたのである。細かい振動はゆっくりと、しかし確実に、気付かれることなく。電子レンジの要領でロズレイドの身体を震わせた。やがて振動は激しくなり、体の内側からロズレイドを蝕んでいたのだった。

     かくして、長時間に渡った二匹の戦いは、「一瞬」にして引き分けに終わったのである。
     こんなの一瞬とは言わない?確かに、勝負全体は一瞬とは言えない長い時間だった。しかし、屁理屈を言わせてもらえば、決着の瞬間はまさに「ひとまたたき」の間だったわけなのだから。


      *


     試合の後、二人のトレーナーにこの日の戦略について尋ねてみた。すると、思いもかけないことが分かった。
     予想の通り、二人のトレーナーはそれぞれ自分のポケモンに、試合開始後どのように立ち回るかあらかじめ指示を出していたのだという。しかし、それは最後の一撃についてだけ。それまでの駆け引きに関しては、二人の知るところではなかったというのだ。



     何が言いたいかというと。つまり。



     目には見えない攻防を、水面下の駆け引きを、ロズレイドは、ジャラランガは、自らの判断で行っていたというのだ――


      [No.4071] 明け色のチェイサー外伝 大音量と静かなる闘い 投稿者:空色代吉   投稿日:2018/02/15(Thu) 21:12:44     113clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

     私の名前はガーベラ。自警団〈エレメンツ〉の団員です。私の所属する組織〈エレメンツ〉は、このヒンメル地方で起こる様々なトラブルに対処するべく日夜奔走しています。
     私の上司のソテツさんは、現場に赴くことが多い方なので特に忙しそうです。私はそのソテツさんの補佐もしています。ソテツさんとは師弟関係でもあるのもあり、多分現状では私が一番ソテツさんと一緒に行動していると思われます。
     そう……補佐であり弟子であるからこそ、彼の体調が、分かってしまうのです。
     いえ、誰にでもわかるくらいには、ソテツさんは今にも寝不足で倒れそうでした。

    「ガーちゃーん……オイラはもう駄目なようだー……あとは任せたー……」
    「ガーちゃんじゃありません。ガーベラです。しっかりしてくださいソテツさん。溜まっている相談はあと一件だけですので……あと私に掴まっていてください。落っこちたらシャレになりません」
    「お言葉に甘えるよ……」

     大きな葉っぱの被膜を持つ首長のポケモン、トロピウスの背にに二人乗りをして空飛んで現地に向かっていると、後ろのソテツさんが珍しく弱音を吐きます。今週ソテツさんは寝る暇があまりありませんでした。寝ようとしても不規則な休眠は机に突っ伏していたり、椅子で寝ようとして失敗していたり……など姿勢の悪い状態で寝ていました。現在は二徹さんです。本当は今回の依頼も私だけで対処できればいいのですが……まだ一人で向かうには自信がなく、大変申し訳ないのですがソテツさんについてきてもらっているという感じです。自分の未熟さに情けなくなりますが、へこんでばかりもいられません。気を引き締めてその場所へ向かいます。
     問題の起こっている谷間に到着する直前、じゃらじゃらとした何かを鳴らす音を集めたような騒音が辺りに響き渡ります。空にまで響くその大きな音に、私とソテツさんも顔をしかめます。

    「この音が……例の」
    「いやー、確かにこれはキツイねー……」

     今回の相談は、谷間の近くの村からの住民から持ち掛けられたものでした。
     先程のじゃらじゃらとした音が、谷間の方から昼夜問わず頻繁に大音量で鳴り響いていて困っているとのこと。つまりは「五月蠅いからなんとかしてくれ」という事案でした。

     谷間を進んでいくと、眼下に騒音のらしき原因ポケモンとポケモントレーナーとその手持ちポケモンの姿が。
     ポケモンは予想通り、大量のじゃらじゃらしたうろこを身に着けたドラゴン・かくとうタイプのポケモン。ジャラランガ。ジャラランガのトレーナーは、赤茶の髪を後ろで縛った少年でした。やはりといいますか……少年はジャラランガに技の特訓をさせていました。
     こちらの存在に気付いた少年とジャラランガは技の練習を中断し、物珍しそうな顔で私達を出迎えました。

    「こんにちはー、オレたち以外のトレーナーが来るなんて、珍しいな! オレはヒエン! こっちはジャラランガ、姉ちゃんたちは?」
    「こんにちは。私はガーベラです。こちらはトロピウスと、ソテツさんです」
    「やーよろしくー……」

     ひらひらと手を振るソテツさんを見たヒエン君は口をあんぐり開けていました。

    「ソテツ!? あの〈エレメンツ〉『五属性』の一人のソテツさん!? なんでまたこんなところに!?」
    「キミに会いに来たんだよー……」
    「オレに会いに?! うおおお……オレの名もそこまで轟いていたとは」
    「轟いていたのは、貴方のジャラランガの技の音です……」
    「? どういうこと、ガー姉ちゃん」
    「ガー姉ちゃんじゃありません! ガーベラです! ……まったく、もう。ヒエン君。貴方のジャラランガが出す音が、近所迷惑になっていると苦情がありました。場所を移動するなり、自粛をしてもらいたいのですが」

     要求を言うと、ヒエン君は明らかに納得のいっていない渋い顔をします。

    「なんでだ? ポケモンの技の練習で騒がしくなるのは当たり前じゃないか、それをするなって言われても……ここの場所見つけるのにも、結構苦労したのに」
    「まったくするなと言いたいわけではありません……せめて夜間だけでも、控えてもらえませんか?」

     私の提案に、彼は譲りがたい理由を述べました。

    「オレたちはもっと強くなりたいんだ……そのためには技を磨きたいんだ……頼むよガーベラ姉ちゃん、ソテツさん……『ポケモン保護区制度』なんてものがある限り、オレらはオレらで強くなるしかないんだよ……」

     『ポケモン保護区制度』
     それはヒンメル地方のポケモンの生態を護るために近隣の国々が押し付けてきた、ポケモン捕獲に対する制限。この制度で苦しんでいるトレーナーが山ほどいるのは知っていました。ポケモンを捕まえる機会が少ない以上、強くなるためには今いる自分とポケモンたちだけで強くならなければいけないのが、現状。
     それでもヒエン君はジャラランガと強くなろうとしている。私たちのしていることはその邪魔でしかないのは、分かってはいても苦しいものでした。
     でも、安眠できない村の人たちのことを考え……結局私は、頭を下げてお願いしました。

     ヒエン君は「仕方ないか」とこぼした後、ある条件付きで説得に応じてくださいました。

    「頭を上げてって――――じゃあさ、ポケモンバトルしてくれよ。経験は多い方がいいし、一度〈エレメンツ〉がどれほどの実力なのかって、知っておきたいし」

     〈エレメンツ〉の実力を知りたい。その言葉の中にはソテツさんへの指名は含まれていませんでした。ヒエン君はソテツさんの体調を気遣ってくれたのでしょう。
     ヒエン君、本当はソテツさんとバトルしたかったはず。私にその代役が務まるのか。不安がこみ上げてきます。ですが、ここは引けない。引くわけにはいかないのです。

    「……ソテツさんは、休んでいてください」
    「大丈夫? とは、言わないさ――――任せた」
    「任されました」

     ヒエン君の妥協してくれた恩に報いるために、私はトロピウスをソテツさんに預けて、別のモンスターボールを握りしめました。

    「私が相手です、ヒエン君。ルールはシングルバトルの1対1。いいですね?」
    「いいよ……ありがとう。ガー姉ちゃん」
    「それはこちらの台詞です。そして、ガー姉ちゃんじゃありません、ガーベラです」
    「……こだわるね」
    「こだわりますとも」
    「まあ、いっか――――ジャラランガ! 久々のバトルだ! 気合入れていくぞ!」

     じゃらん、とうろこを鳴らし咆哮するジャラランガに対し、私はモンスターボールを上空へ放り投げます。ボールが開き、光と共に現れたのは、草・毒タイプのマスクをつけた花の化身、ロズレイド。

    「お願いします……ロズレイド!」

     バトルはあまり得意ではありませんが……私の持てるものをぶつけるために、彼の持てるものを受け止めるために、私達はバトルを始めました。


    **************************


    「先手はもらいます! ロズレイド、『ヘドロばくだん』!」

     花束のような腕をスイングさせて、毒爆弾を飛ばすロズレイド。放物線を描いたその毒爆弾は――ジャラランガに届く前に“何か壁のようなもの”にぶつかりはじけて霧散した。

    「へへっ、効かないよ! ジャラランガ、『ドラゴンクロー』でお返しだ!」
    「爆弾系無効化特性……『ぼうだん』ですか。ならっ、『グラスフィールド』!」

     ロズレイドを中心に広がる草の大地『グラスフィールド』が、駆けてくるジャラランガの足元にまで及び、ツタが足に絡まる。

    「足場を悪くしてくるかー、構わず突っ込めジャラランガ!」
    「かわしてくださいロズレイドっ!」

     ジャラランガはツタを引きちぎりながらロズレイドへなお接近。ロズレイドに竜爪を使い連続で切り裂いた。ロズレイドはかすり傷を負っていく。が、微々たるものだがロズレイドの傷口がどんどん回復していく。それは、かすり傷程度では押し切れない回復スピードだった。

    「『グラスフィールド』の回復効果か! 確かにかわされ続けたら、決定打がなければ押し切れないね……でも、回復はジャラランガもするし、ダメージを与えられないのはそっちもじゃない?」
    「それはどうですかね」

     カーベラの言葉に、ヒエンはジャラランガの様子がおかしいことに気づく。
     眉間にしわを寄せ、少し息苦しそうなジャラランガ。ジャラランガの体力は、毒で削られていたのだ。毒を仕掛けたのは、ロズレイドの特性。

    「しまった『どくのトゲ』か」
    「ふふ、タイムリミットが出来てしまいましたね。しかしゆっくりしている暇は与えませんよ! ロズレイド、タネをお見舞いです……!」

     ロズレイドが花束のから“タネ”を射出して、ジャラランガに埋め込む。

    (まずい、『やどりぎのタネ』! 時間が経てば経つほど、タネにジャラランガの体力が吸い取られる!)
    「さて、この布陣をどう切り抜けますかヒエン君?」

     ヒエンは動揺していたが、時間をかけるだけジャラランガが不利になる事実を飲み込んでいだ。両手で頬を叩き、瞬時に冷静さを取り戻したヒエンは、ジャラランガへ次の一手を指示する。

    「いくっきゃ、ない。やるっきゃ、ない! ――――ジャラランガ! 今こそ特訓の成果を見せる時だ!」

     ヒエンの声に、ジャラランガが応える。ヒエンは両腕を交差し、右腕につけた『Zリング』に力を籠め始めた。

    「まさか……ロズレイド、踏ん張りをきかせて耐える準備を!」
    「いくぞジャラランガ!!」

     『Zリング』から出される己のゼンリョクエネルギーをその身に纏ったヒエンは、半円を両腕で描かせてから、その握り拳を正面に突き出す。右足を一歩後ろに引いてから、ドラゴンの口を連想させるようにヒエンは腕を、拳を、今にも噛みつく竜の如く開き構えた!

    「これがオレたちの魂のZ技……っ!!」

     ヒエンの全力の動作から放たれるエネルギー波を受け取ったジャラランガは、儀式のような雄々しい舞いを始める……じゃらん、じゃらん、と鳴り響くジャラランガのうろこがだんだん早くなる舞いに合わせて小刻みに震えていき、やがてそのバラバラだった音は一つとなり超爆音波となりロズレイドに襲いかかる――!

    「喰らえっ! 『ブレイジングソウルビート』おおおお!!!!」

     ヒエンとジャラランガ。ふたりの咆哮がガーベラとロズレイドを飲み込んだ。
     圧力となった音の塊に押しつぶされそうになるロズレイド。だが、ロズレイドはその猛攻を耐えきる!
     音の嵐が過ぎ去り、静けさが戻るころ。にらみ合う形だったジャラランガとロズレイドが体勢を立て直す。

    「なんとか、しのぎ切りましたか」
    「いいやまだだね! ブレイジングソウルビートの追加効果、オールアップ!」
    「なっ」

     ガーベラが驚くのも束の間。ヒエンの合図に呼応して、ジャラランガの周囲に五色の光が溢れる。

    「攻撃、防御、特攻、特防、素早さ、全部能力上昇ですか。なかなかにえげつない……『ギガドレイン』で体力を奪いますよ、ロズレイド」
    「させないよ! 『ドレインパンチ』で迎え撃て、ジャラランガ!」

     再びの接近戦。ロズレイドの放つ光がジャラランガの体力を吸い取る。ジャラランガの放つ拳がロズレイドの体力をかすめ取る。お互いいまひとつ相手の体力を削れない。しかし毒のダメージや、フィールドの草タイプ技の『ギガドレイン』の威力が上がる効果などによって次第に二体の体力の差が離れていく。

    「まだ、まだだ。もう一発。もう一発『ドレインパンチ』……!」

     そして『グラスフィールド』も消滅し、とうとうジャラランガの体力が尽きようとしていた。少し距離を取るロズレイドを見据えながら、ジャラランガは両手と片膝を地につける。
     その様子を見たガーベラは、宣言する。

    「そろそろ、決着ですね。ロズレイド、最後の攻撃の準備を」

     その余裕をもった言葉に、ヒエンは同意した。

    「そうだね。最後の攻撃をしよう――――オレたちの勝ちだ!」

     宣言返しを合図に、クラウチングスタートでロズレイドめがけて今までで一番早く走るジャラランガ。ヒエンが拳を突き出して、ジャラランガの技名を叫ぶ。

    「『きしかいせい』の一手、喰らえ!!!」

     『きしかいせい』とは、ダメージを受けていれば受けているほど威力の上がる技である。ヒエンとジャラランガに残された、ガーベラのロズレイドを倒す唯一の手だった。毒のダメージと『ギガドレイン』の威力を見極め、『ドレインパンチ』で残りの体力を調整。そして今の瞬間がベストタイミングであった。
     決まれば、ヒエンとジャラランガの勝ち……だった。

    「いいえ」

     ガーベラの素早く短い否定が終わると同時に、爆発がジャラランガを襲う。
     目を見開くヒエン。倒れるジャラランガの向こうに、花束の右腕をガンマンのように突き出したロズレイドの姿をとらえる。
     謎の爆発にヒエンは混乱した。しかしどんなに考えても『ヘドロばくだん』の爆発以外にはありえない。けれども弾丸系の技はジャラランガの特性『ぼうだん』によってダメージは通らないはず。
     そう、『ぼうだん』の特性が発動しさえすれば。ヒエンとジャラランガは勝っていた。つまりはジャラランガの特性を不発にする技を喰らっていた可能性が出てくるということだ。

    (いつ、どのタイミングでそれが起きた?)

     ジャラランガに駆け寄り頭を悩ませるヒエンの視界の端に、ジャラランガの身体から芽が出ているタネが映り込む。
     そして彼は天を仰ぎ見て、理解した。

    「ああああ……あれ……あれ『なやみのタネ』だったのかああああ……!」
    「正解です。フェイントは成功していたようですね。そして、私たちの勝ちです」

     ヒエンは、眠り状態にならなくなる『ふみん』に特性を一時的に“上書き”する技『なやみのタネ』と、体力を少しずつ奪う技『やどりぎのタネ』と誤認していた。いや、ガーベラに誘導させられていたのだ。

    「ごめんよジャラランガ。毒でジャラランガの体力減っていたのと、『グラスフィールド』の回復効果とかで『なやみのタネ』をわかりにくくしていたのかー……でも、それにしてはロズレイド元気じゃなかったガー姉ちゃん?」
    「ガー姉ちゃんじゃありません。ガーベラです……ああそれはですね。ロズレイドに持たせてあるこの持ち物ですよ」

     ガーベラの指示で、ロズレイドが黒くてどろっとした何かを取り出す。予想外の形状の持ち物にヒエンは一歩引く。

    「何これ」
    「『くろいヘドロ』と言って、毒タイプ以外が持つと苦しむことになりますが、逆に毒タイプが持つとじわじわ体力を回復してくれる代物です」
    「へえー、だから、ロズレイドの回復力が、上がっていたんだね」
    「そういうことです。お疲れ様です、ロズレイド」

     くろいヘドロをしまうロズレイドと、それを手伝うガーベラを見るヒエンはジャラランガを撫でる。それから彼は、ガーベラの戦い方を思い返していた。思い返し終わった後、ヒエンは素直な感想をガーベラに伝える。

    「ガーベラさん、あんなに静かにロズレイドを戦わせられるなんて、すごいよ。オレ、強力な技には強烈な音がつきものだ、強くなるにはより大きな音を出すぐらいじゃないと駄目だって思っていた……でも、そういう静かなバトルスタイルもあるんだね」
    「いえいえ……でも、バトルスタイルはポケモンにもよりますし、ジャラランガは音を使いこなすスタイルでもあります。でも、戦い方と強くなる方法は一つでは、ないのかもしれませんね」
    「だね。オレもジャラランガも技の威力を上げるだけじゃなくて、音を鳴らすだけじゃなくてもっと戦法とかいろいろ見直してみるよ。そのことに気づけただけでも、バトルして良かった! ありがと!」

     ストレートな物言いのヒエンにガーベラは一瞬反応が遅れる。最初はヒエンの対戦相手が自分でいいのだろうか、ふさわしいのかと悩んでいたガーベラは、ヒエンに自分が相手で良かったと言ってもらえて戸惑いもしたが、嬉しかったのだ。その嬉しさを噛みしめ、ガーベラは礼を返す。

    「こちらこそ……ヒエン君、お互い強くなりましょう。そしてまたいずれ、バトルしましょうね」
    「分かった! その時はガー姉ちゃんもソテツさんも万全の体調で来てくれよな? オレは二人とバトルしたいからさ」
    「はい。ソテツさんにもよく言い聞かせておきますね」
    「やった! ってー、そういやソテツさん大丈夫かな」
    「おそらくは、大丈夫だと思います。ほら」

     ガーベラの指差す方には、トロピウスの背中にもたれかかるようにして寝ているソテツの姿が。

    「『ブレイジングソウルビート』近くで聞いていたはずなんだけど、よく眠れるなあ」
    「そこはほら、耳栓渡しておきました。あとはトロピウスのフルーティーな香りに包まれて熟睡コースです」
    「もうちょっと寝かせてあげようか」
    「ですね。では、おやつにトロピウスの首についてるきのみ食べますか? 甘くて美味しいですよ」
    「いいの、やったっ」

     そうして二人は、きのみを食べながら、午後の昼下がりを談笑して過ごした。
     二徹だったソテツが目を覚ましたのは、夕時だったという。


    **************************

    あとがき

    バトル描写書き合い会といいつつ長編で連載中の明け色のチェイサー短編で描きたかった話とうまく融和できそうだったので、書いてしまいました。

    以下、今回のジャラランガとロズレイドの構成です。

    ジャラランガ♂ 特性ぼうだん アイテム ジャラランガZ
    スケルスノイズ(ブレイジングソウルビート) ドラゴンクロー ドレインパンチ きしかいせい

    ロズレイド♀ 特性どくのトゲ アイテム くろいヘドロ
    ヘドロばくだん なやみのタネ グラスフィールド ギガドレイン


      [No.4070] バトルイズコミュニケーション 投稿者:P   投稿日:2018/02/15(Thu) 20:56:35     89clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

     目と目が合ったらポケモン勝負、はトレーナーの常識の一つだ。見えるところに携えたモンスターボールはその勝負を受け入れる証でもある。
     男は自分の腰に提げたそれを、ポケモンを繰り出す動作の前準備として素早く撫でていく。既に勝負のためのルーチンの一つと化した動き。指先がつるりとした表面を通る度、始まる勝負に向けて気分が昂ぶっていくのが分かる。ボールの中に収まっていながらポケモンたちもまた高揚を隠さず、ボールごとがたがたと震えている。
     男の視線は真っ直ぐに、相対したトレーナーの動作へと注がれていた。ポニ大峡谷に吹き付ける強風に煽られた麦わら帽を片手で押さえながら、もう片方の手で鞄の中へ手を伸ばす観光客の女へ。
     人里さえ数えるほどのポニ島だ。雄大な大自然が残ると言えば聞こえはいい。その実が強力な野生ポケモンの多く棲む場所であることはアローラの住人ならずとも旅の経験があるポケモントレーナーならば察しはつくだろう。この島に長く住まう男でさえ、帰り道の不意の野生ポケモンへ備えるためバトルに使うポケモンも相手取るポケモンも一匹に留めるというポリシーを貫いているほどだ。
     そんな島に一人で足を踏み入れて大峡谷まで辿り着くことができる実力あるトレーナー。この場所にいるということは、女はそういう人物であるということだった。
     年若い女だ。大峡谷の外周、バトルフィールドに選ばれた平地を挟んで男と向かい合う姿を誰かが見たのなら親子とさえ見えるような。だからこそ面白いんだと男は心中でほくそ笑んだ。島巡りの一環としてこの地を訪れるトレーナーにも若くしてポケモンと通じた少年少女は多い。だがアローラの外にも若年ながらに実力あるトレーナーは溢れている。
     男はここでそんなトレーナーを待ち構えるのが好きだった。いつか勝負したホウエン出身の相手に、ナックラーのような男だと形容されたことさえあるほどに。
     見つめる先の女は早々と選定を終え、鞄から取り出したボールを高々と投げ上げる。現れたのは両手に紅青の薔薇のブーケを携えたポケモン。すらりとした二足歩行の姿、仮面じみた模様を持つ顔。頭髪とも花弁とも取れる頭部の白を残して全身を覆う緑の体色、そしてその両腕がその身に纏うタイプを教えている。
     しかし読み取ったそれを男が自らの選定に活かすには今一歩遅かった。相手を目にした時には既に男は繰り出すべきポケモンを決め、次の動作へ移っていた。
     腰に並ぶボールからひときわ大きく震える一つを選び取って、男はポケモンを放つ。見もせずに選んだからといってそれがどの種族か分からないほど手持ちとの付き合いは短くない。ベテラントレーナーとして、男は人一倍ポケモンバトルに対する自負を持っている。
     紅白のボールが空中で弾ける。データの光が一瞬にして固体へと変わり、鎧に身を固めた二足の人型竜が地を踏む。
     
    「わ、ジャラランガ? だよね! ちょうど見に行くところだったんだ、もう生で見られるなんてラッキー!」

     一鳴きと打ち鳴らす両の拳、その腕と尾に広がる鱗のそれぞれがぶつかり合うけたたましい音で目前の相手を威嚇する姿を目にして女が歓声を上げる。戦闘の緊張感を削ぐような黄色い声に、男は僅かばかり眉を顰めた。
     対する女のポケモンは受ける威圧も背後の高い声もどこ吹く風といった調子で、隙なくジャラランガの出方を窺っている。このポケモンが相当に鍛えられていることは間違いがなかった。両腕、足、尾、鱗。女の口ぶりからすれば初めて見るはずのポケモンに対して、攻撃の起点となるであろう部位を的確に判断し警戒していることが読み取れた。
     誰かの鍛え上げたポケモンを借りてここまで来たか。あるいはこの女が、今そうは見えずとも手持ちをここまで鍛え上げるだけの力を持つのか。
     その判断を、男は観察ではなく一声に任せた。
     
    「まずは小手調べだ、これだけで倒れてくれるなよ!」

     その言葉を聞くや否や、三つ爪を備えたジャラランガの脚が力強く地を蹴った。技名を呼ぶことすら要らないほどに男にもジャラランガ自身にも慣れ親しんだ、幾度となくこの場で繰り返してきた「小手調べ」の動きにして、最も自信を持つ一人と一匹にとっての言わば基本動作。
     鎧の下に隠された筋肉が力強く躍動する。相手の身長は自身の半分、横幅で言えばずっと劣るだろう。そこへ下方から拳を叩き込むためにジャラランガはごく低い前傾姿勢でその懐へと飛び込んで、そのまま片脚で踏み切った。格闘タイプの膂力を受け止めるにはあまりにも華奢と見える身体へ叩き込まれる、容赦のない『スカイアッパー』。
     吹き飛ぶ小さな身体が描く軌跡は、初めこそ放物線を描いていた。その動きはすぐに何かにつかえたように停止する。苦しげな声を僅かに漏らしたのは、仕掛けたばかりのジャラランガの方だった。攻撃を受け止めたと思しき片腕の花束はひしゃげ、そこに咲いた紅色の花は無残にも散りかけている。しかしもう片方の花束の奥からは蔦が伸び、備えた無数の棘をスパイクにジャラランガの片腕をしっかりと捉えていた。

    「いい感じ! 逃げられないうちにどくどく仕込んじゃって!」

     女の声とともに未だ鎧竜の腕に巻き付いたままの蔦が脈動した。鱗に弾かれようと、鎧を纏わぬ肉へ深々と突き刺さった無数の棘が、内に秘した中空から注射針じみて毒を送り込む。
     その切れ長の面差しをとっても細い体躯をとっても流麗、優雅と称されて遜色ないポケモンだろう。しかしマスクのように顔を覆う部位から覗く赤い目の纏った雰囲気は、踊り子のような気品や科からはかけ離れていた。そこにあるのは、遠く噂に聞くポケモンマフィアもかくやというほどの冷徹さ。
     
    「なんだ、全部計算のうちって訳かい?」
    「アローラ、ロズレイドいないんだってね。あんまり毒タイプっぽくないってみんな言うから、これがよく決まるんだ!」

     勝利どころか策一つを決めただけながら、女は未だもって脳天気な表情でピースサインを決める。細められた瞼の奥にある目が笑っていないのが自分の思い違いかどうか、男は考えるのをやめた。
     仕掛けられた罠に自分達がまんまとはまってしまったのは明白な事実だ。ジャラランガは攻撃の要の一つである利き腕を捉えられ、今もその身のうちに広がりゆく異物の感触に顔を顰めている。相手が毒タイプであった以上、いくら体格差があるとはいえ先ほど放った拳の一撃も大した手傷を与えてはいないだろう。男もジャラランガも己の不利をよく理解していた。けれど同時に、それが覆せないほどのものではないとも確信していた。
     男がジャラランガを見る。その表情は身体を駆け巡る毒がもたらす苦痛に歪みながらも、まだまだ闘志を失ってはいない。むしろその心中でふつふつと煮えたぎる己の不甲斐なさと自分を陥れた相手への怒りのせいで、戦意はますます増しているようだった。
     
    「ならその目論見、もろとも焼き捨ててやろうか! ジャラランガ、かえんほうしゃ!」
    「えっ、なっ、使え、あーっ逃げてー!!」

     指示が飛ぶや否や、待ちに待ったとばかり竜の口ががばりと開く。その目に浮かぶ憤怒をそのまま具現化したような紅蓮の炎が見る間に喉奥から噴き出し、驚きに目を見開いた目前の相手へ襲いかかった。二匹を繋ぐ蔦は高熱の前にあっという間に黒く焼け落ちて灰へと変わり、トレーナーの高い悲鳴を背景にしてロズレイドは半ば転げ回るようにしゃにむに距離を取りその魔手の範囲から逃れる。
    「一度止まれ、待つんだ! 相手をよく見ろ!」
     
     無事解放されたジャラランガも追おうとしたその動きを自らのトレーナーに制され、不承の意志をありありと宿す鳴き声を上げつつも足を留めた。
     未だ感情の動きが収まらないと見える女は自分のポケモンよりもよほど震え怯えた顔をしながら、ジャラランガとトレーナーに信じられないものを見る目を向ける。
     
    「吐けるんなら最初から使えばいいじゃない!? 草ポケモンでしょどうみても! 草は炎に弱い、何ならトレーナーデビュー前の幼稚園児だって知ってるでしょ!?」
    「何、焼いて一発で倒れたって面白くないんでね。半端な奴ならあれだけで沈むんだ、試すには十分だった」
    「しんじらんない」

     思わずといった調子で呟く女の言葉に付き合う理由ももはや特にないことを、男は十分に承知していた。その実力を感じさせない軽い態度、毒を打ち込んでからの引き延ばしのような会話。本当にこの女の振る舞いは、どこからどこまでが計算してのことなのかがさっぱり分からなかった。
     焦げた臭いと煙を上げながら遠ざかったロズレイドが、体表に僅かくすぶる火を潰れた方のブーケで叩いて消していた。至近距離からの弱点属性技。疑いようもない痛打を与えたとはいえ、この底の読めない相手をジャラランガの怒りにまかせて深追いすれば先ほどの二の舞となるのは目に見えている。男は迎え撃つ側へと回る心積もりだった。まさしく先ほどの相手が行ったように。
     毒以外の手傷は片腕、それだけだ。過剰に時間をかければ毒が回りきるといえども、倒れるまで一刻一秒を争うほどに状況が切迫してはいない。焦りを覚えるような状況に置かれているのはジャラランガではなく、カードが割れた上に深手を負っているロズレイドのはずだ。その手の内がまだ見えきっていなくとも、何か必ずあと一度仕掛けてくると男は確信していた。
     敵が至近から外れたことで頭に上った血がいくらかは落ち着いたのか。待機を命じられた拳竜は今や主人の意図するところを汲み、その鋭い視線は再び二足で立ち上がった相手を注視している。技の起点となった両腕、同じ機能を持つとも知れない頭部に咲いた花がどこを向いているのか。その仮面の奥に隠された眼がどこを窺うのか。そのか細い脚に力の籠もる兆候はないか。その一挙手一投足へと注意を向けながら、いつ動きがあれども迎え撃ってやると言わんばかりに尾を揺らす。眼差しと鳴り響く騒音に宿る恫喝の色。
     
    「だいじょうぶ、だいじょうぶ! ロズレイド! 私たちまだまだ絶対有利、わかってるでしょ?」

     弱った身体でその無言の圧力を受け止める手持ちへ女が言葉を掛けた。硬いもののぶつかり合う音の中でもよく通る高い声、明るく弾んだ口ぶりと自信に満ち溢れた目つきは勇気づけるため無理矢理に繕ったという風ではない。本心から無邪気に言葉通りのことを信じているのだろうと思わせる姿。
     その背に声援を受けたロズレイドの口元が、滲み出る自負にわずかに弧を描く。くるぞ、という男の言葉は発せられることがなかった。首元から背にかけて、そして尾、それに肩から腕。前に立って己と同じ方向を見つめる相棒の全身に力が込められたのを、自分と同じ予感を確かに感じていることを見て取ったからだ。
     女は笑みを崩さない。高まる感情に合わせて自分までもが拳を突き出しながら、高らかに命じる。
     
    「やっちゃえ! 『ベノムショック』!!」
    「絶対に通すな!!」

     その技名を耳にした瞬間に男は叫んでいた。もっともあっては欲しくなかった隠し球は、まだ相手の手中にあったのだ。
     確かにその音を聞き取ったロズレイドは両手を素早く擦り合わせ、その勢いのまま片腕を相手へと向けた。先から噴き出した、その二つの花色が交じり合ったかのような色の液体が捉えたのは残像。
     いつでも動けるよう準備を整えた状況を存分に活かし横飛びで逃れたジャラランガは、二射三射の追撃も軽快な動きで回避していく。格闘タイプの例に漏れずジャラランガの運動能力は決して低くはない。根を張ったように一点から動かないロズレイドが繰り出す直線の攻撃をかわすのはそう難しくもないことだ。
     しかし男にはこれがいつまでも続けられることではないのも分かっていた。激しい動きはそれだけ全身の毒を巡らせる。そして今もって放たれ続けているあのけばげばしい色の毒液は、別種の毒と反応してその効力を大幅に増幅する代物だ。当たったが最後、身体の内外からの毒に苛まれてジャラランガは戦う気力を失うだろう。その前にロズレイドへ最後の一撃を加える必要があった。
     だがそのために必要な、どうやって、の部分を決定的に欠いている。近づいて技を放とうとするのは自らあの毒へ頭を突っ込みに行くようなものだ。勢いを乗せなくとも放てる炎や爆音は、放つべく脚を止め体勢を整えるところを狙い撃たれるだろう。
     男が考えを振り絞る間も、鋼の鱗が立てる金属音は絶え間なく響き続けている。それしかないと結論づけるまでそう長くはかからなかった。その終着点に辿り着いた瞬間に口元が楽しげに歪んだのを、男は確かに自覚していた。
     
    「ゼンリョクを燃やすぞ、ジャラランガ!」

     咆吼を上げるのにも似て男が叫んだその真意を、おそらく女は理解しなかっただろう。アローラに暮らす民が重んじる「ゼンリョク」の重みは、島々を囲む海の向こうに生きる者たちの言う「全力」のそれとは異なった色を持つ。
     それは無論、自分が現在持てるすべての力をこの場で出し切るという志でもある。そしてそれと同時に、出し切った自らの力が通用しなくとも受け入れるという覚悟だ。
     黄土色の輝石がはめ込まれた黒い腕輪。それを着けた左腕と着けない右腕を交差させた瞬間にわずかに電撃のような痺れを覚える。バトルを始める自分への合図にボールを選ぶように、男にとってそれもまた一つの合図だった。これから己の全力を解き放つということの。
     力強く応じるジャラランガの一声を聞きながら伸びゆく草木のように腕を真上へめいっぱい伸ばして、そのまま両腕を広げて下ろし青空に浮かぶ太陽のような円を形作る。アローラに広がる自然になぞらえた動作のひとつひとつをこなす度に身に宿る力は膨らみ、身体の違和は広がる。けれどそれはそれは今この瞬間も毒にその身を灼かれるジャラランガを思えば気にするまでもないような感覚だった。身体の前に突き出した両手を再び合わせて、腕輪が練り上げる力を送り込む先である相棒へと伸ばす。
     一度腕を引き、手を置く位置は顔の横側。わずかに開いた口元のように合わせた掌をも同様に開く。そのまま前へと腕を伸ばせば描く形は竜の口元。それがゆっくりと開いていく様は、まさしく炎を吐き出すために開いたジャラランガの顎。
     
    「な、なにそれ――――!?」

     呆気にとられて状況を眺めていた女がようやく上げた声はもはや悲鳴じみていた。それはトレーナーが送り込んだZパワーが、今や金の燐光と化してポケモンを包み込んだことにも起因している。目に飛び込む光に瞼を細めながらも技を放ち続けるロズレイドが、後方でフィールドの全容を目にしているはずの指揮官の声にただならぬ事態を悟る。仰ぐべき指示が下される前に変化は起こった。
     躍動に伴って鎧竜の全身から放たれていた音そのものが、びりびりと空気を震わせ始めたのだ。タンバリンのように高く響くその音域は肉体が振動として感じ取るにはあまりにも高すぎるというのに。自身のトレーナーとは打って変わって冷静な様子を見せ続けていたロズレイドの表情にも繰り広げられる未知への驚愕や狼狽、そして迫り来る未知の攻撃への焦燥が浮かぶ。
     波立った心はそのまま繰り出す技にも影響し、撃ち出される毒液は精度を目に見えて欠いていく。その間を縫ってなおも跳ね回るジャラランガの動きが、現れてきた余裕の合間に一定のリズムと型をなぞり始める。
     尾や両腕を打ち合わせ、揺らし、回し、振り、掲げては下ろす。一跳びで身体の向きを変え、身体を屈めたかと思えば伸び上がる。様々な動きを交えて、全身の鱗をことさらに強く打ち鳴らす。その果てにぐっと腰を低く落とし、高々とロズレイドの頭上目掛けて跳躍する。
     もしも無策のままジャラランガがそのような動きをしたのなら、すぐさま撃ち落とされてバトルは終わりを告げていただろう。けれどそれは考え出された最適解としての行動だった。空中で膝を抱えるように身体を縮めたその姿は、全身に纏った鱗を身体の前方へと集中させるような体勢。顎を引ききった視界の確保が難しい姿勢で技を命中させる方法は一つ。すなわち、全方位へ無差別に攻撃を放つこと。
     『りゅうのはどう』にも似た、しかしそれよりもずっと強大なドラゴンタイプのオーラ。Zパワーの引き出した竜の真価が、轟音とともに解き放たれる。ロズレイドの足元、大峡谷を形作る岩が振動に耐えきれず砂へと崩れ、暴風のままに舞い上がる。
     結果の全容を二人のトレーナーが目にするには数秒の時間を要した。けれどそれよりも早く、二人は決着がついたことを理解していた。己のゼンリョクを貫いたジャラランガが上げる勝鬨の声によって。
     
    「…………終わり、だよね」
    「ああ。俺は一対一以上は、ここじゃ受けないようにしている。悪いがここで切り上げにしてくれ」
    「うん」

     上の空で短く頷いた女は、今まで目にしたものが信じられないとばかりわざとらしく数度瞬きした。もちろん何度やったところでその目に映るものは変わらない。倒れたロズレイド、未だ立ち続けるジャラランガ、削れた地面、揮発し始めている毒液の水たまり。
     そうしてようやく女は現実を呑み込んだようで、

    「……は――――、凄かった!!」

     そう、ひときわ大きく声を張った。初めてジャラランガを目にした時よりも強くその目を輝かせながら倒れた手持ちをボールへと収める。ありがと、と一声をかけながら。
     対する男は、応急処置のための薬品を取り出しながら自らのポケモンへ歩み寄る。その一歩目に少しバランスを崩すのは、Zワザを使った後としてはいつものことだ。年齢を重ねるにつれ、Zパワーが身体にもたらす負担を無視しきれなくなってきている。だとしても己のゼンリョクを振るおうと思える相手に出会い、戦えることはそれ以上に楽しかった。
     見事相手を打ち倒したジャラランガも実に満足げな表情を浮かべている。男のポケモンの中でも一番の負けず嫌いは、どうやら今日は随分機嫌良く過ごすことになりそうだ。腕の傷口に薬を吹き付けられた後、その姿もまた紅白のボールの中へ消える。
     その姿を見送った後、男は女へ目を向けた。聞きたいことはいろいろとあった。どこから来たのか、あのロズレイドというポケモンとはどれくらいの付き合いなのか、ジムバッジのような実力を証明する何かを持っているのか。
     しかし声を掛けようとした相手は、バトルの始まりにロズレイドのボールと入れ違いで鞄の中へとしまったスマートフォンをもう一度取り出して何やら写真を撮っているようだった。その意図はさほど理解できなくとも写真撮影程度ならどうせすぐに終わるだろうと待機を決め込んだ男の前で、満面の笑顔は衝撃に満ちた悲哀、そこから大きな後悔の表情へと変わる。
     
    「ああああああああああああっ!?」
    「何だ、どうした!?」

     スマートフォンを構えたまま血相を変えて勢いよくこちらを振り向く女に、男は何事かと内心慌てていた。向けられた表情が今やひどく必死なものなのもその心配に拍車を掛けた。何か、よくない連絡でも入ったのかと。
     例えば今すぐ里に下りたいというのならば取れる手段はある。荷物の中のライドギアへと手を伸ばしながら続く言葉を待つ男へ、女はスマートフォンのみならず空の片手までもを固く握り締めて叫んだ。
     
    「さっきの凄いの動画に撮れなかったー!! ねえねえもう一回やって!? あの壁とかに!」

     その言葉が男の耳に入るまでは一瞬。そこからその要求の真意を理解するのにさらに数秒。そびえ立つ大峡谷の外壁を指差してなおも甲高い声で喚き続ける女の言葉よりも、吹き抜ける風の音の方がいやによく聞こえたのは果たして男の気のせいだっただろうか。
     間近でZワザを目にする者はアローラ出身者や島巡りの経験者であろうと決して多くはない。しまキング・しまクイーンやキャプテンに代表される、Zリングを持ちZワザを扱うに相応しい実力を持つトレーナー達を相手取りながら、そのゼンリョクを出させるだけの力を備えていなければならないが故。
     この女はその一人でありながら、その力も希有さもなにひとつ理解してはいないのだ!

    「できねえよ!!!! Zワザを何だと思ってんだ!!!」
    「えーっ!? じゃああの変な踊りだけでもいいからー!!」
    「何が変だ!!! あれはアローラに伝わる――」
    「わーん!! 絶対みんなめちゃくちゃ面白がってくれるのに――――っ!!!」

     その態度へ向けた心配とその実力へ向けた敬意を思わぬ形で存分に裏切られ、思わずゼンリョクの怒号で相手を叱り飛ばす男。当てが外れ訳も分からず怒られながら、重なる不運の理由を何一つ理解できず涙に暮れる女。
     大峡谷中のトレーナーが聞いたといわれる大声は、ブレイジングソウルビートよりも遠くまで響いたという。


      [No.4069] 鱗竜咆哮・毒花繚乱 投稿者:ポリゴ糖   投稿日:2018/02/15(Thu) 20:47:06     95clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

     ジャラランガの口から轟々と音を立てて放たれる一直線の炎。軌道から外れ横ざまに動いたロズレイドが迅速に行動を開始する。
     良い動きだ、僅かに相手方の方が速いか。男は口の端に笑みを浮かべた。
     遠方からのかえんほうしゃ。タイプ相性を知る者ならばこの選択に異など唱えまい。セオリー通りの動きを初手に選んだのは、これを真っ向から受けるような相手ならば、わざわざ戦うだけ無駄だと判じてジャラランガを引っ込めるつもりだった。もとより格下との諍いなど起こさぬ種族だ。そのプライドもあろう。果たして直線の炎は回避され、反撃の一手に備える。
     而して弧を描いて飛んできたのは、蠕動する藍錆の塊。
     わざわざ避けるまでもなく、腕の鱗に着弾したヘドロばくだんは、何かを為すでもなくただただ四散する。高揚した気分が一気にしぼむのを感じ、馬鹿か、と一言漏らした。撒き散らされた腐臭が鼻を突き、より一層男の戦意を萎えさせた。
     ロズレイドにとっては打てる手の限られる対ジャラランガで、知ってか知らずか特性ぼうだんには無効なヘドロばくだんを撃ち、無駄に一手を消費する。これを愚行と評さずして何だと言うのか。期待外れにも程がある。
     相手方の女は何も言わない。ただロズレイドに次の指示を出すのみ。ジャラランガはといえば、トレーナーの気分の乱高下に構わず、ただ相手を見据えて攻撃を続ける。
     再度放ったかえんほうしゃをロズレイドは避けなかった。直撃した体はみがわりのそれで、黒焦げの体は焼け落ちて崩れる。想定済みで正面から接近、下段に構えて振り抜く拳はスカイアッパー。大地をも持ち上げる一閃は空を切るも有り余る衝撃、ロズレイドは空中を伝う波を活かし飛び退き、再度みがわりを生み出して次の攻撃に備え、
     続けるのも面倒だ、さっさと終わらせてやる。
     一瞬の期待を持たせたことに、敬意を表すべきか怒りを抱くべきか。守りに徹する行動を続けるあたり、有効な手の一つも持っていないのだろう。弱点たる火炎と貫通する音波の前ではみがわりなど無意味。ただ嬲り続けて終わらせるよりは、一撃で済ませてしまった方が両者のためだ。
     突き出した両腕を頭上へ。体側を通して振り下ろし、形作るは竜の口。命ずるは必殺のZわざ。「ブレイジングソウルビート」。
     ジャラランガは一声応じ、金具を擦り合わせる音色を、頭の先から尻尾までの全身で響かせる。舞踏の如き動きで鱗を打ち鳴らす動作に、何かが来ると勘付いたらしい相手方の取った手は少なく、ただ飛び退いて爆心地から距離を置く、ということだけだった。
     脚の筋肉をフルで用い、ジャラランガが跳躍した。
     全身に力を溜め、そして――放つ。
     その場の全員の鼓膜を破る轟きだった。同族の跋扈を許さぬ竜種(ドラゴン)ならば、例外なく一波で昏倒する烈音の衝撃波。正気を保たせぬ大音響、立つことを許さぬ高圧力が、フィールドの全方位をくまなく走り、表面の砂塵のみならず岩盤までもをかち上げる。天敵たるフェアリー以外のおよそ全てを屠ってきた、ジャラランガのみが使える究極にして熾魂の一撃だった。
     終わったか、とぽつりと口走る。
     ジャラランガが、再び地上に降り立った。真っ平らだったフィールドは今や見るも無残、砂の下の岩盤は縦横の概念まで散々に破壊され尽くし、亀裂と断層の目につかない場所などどこにもない。爆音の残滓か、それとも地の底への道が開いたか、唸り声に近い低音が一帯を満たしていた。
     もうもうと舞い上がった砂塵の向こう。
     ほう、と、無意識に感嘆の声を漏らした。
     ロズレイドは倒れてはいなかった。ロズレイドの周囲に張られた透明の被膜、その周囲だけ、亀裂がほとんど達していない。Zわざにまもるを合わせ、ダメージを抑えたとみえる。被膜が消えた向こう、ロズレイドは戦闘の意志を絶やさず、こちらを見据える目には一滴の怯えすらもない。さりとて、無論ダメージなしというわけでもなく、体のあちこちに裂傷を作っていた。
     なるほど、鱗の損耗を気にしつつ押し切れるほど相手方もやわではないと知る。どこまでも諦めずただ前を向き、投げやりになって玉砕を仕掛けることもなく、そんなものはないと知っていても勝利の糸口を探ろうとする。それはいっそ貪欲さとも呼べる代物であっただろう。面白い、と男は心の内で呟いた。相手方が、ロズレイドがその集中を途切れさせ、痺れを切らし、諦めを投げ捨てるまで、とことん攻撃を加えてやろうじゃないか。
     意気軒昂のジャラランガに命じたのはスケイルノイズ。先程の激震には届かないが、それでも十分な威力が保障されている。代償として、全身から発した音撃に耐えきれない鱗がひび割れることがあるが、この期に及んでは関係のないことだ。一点に集中させた波動を、両手を突き出して放出する。
     みがわりの意味がないことくらいの知識はあったらしい。ロズレイドは正面から離脱。同時にヘドロばくだんを発射。真っ向からぶつければとても盾になどなりえないそれも、中心を離れた端の端であれば話は別だった。広域にまき散らされる音波を凌ぎ、ダメージを最低限に抑える手段としては上策。守勢に長けた相手方ならばそのまま受ける下策など取るまいが、なかなかどうして、しぶとい。
     連射したスケイルノイズはまもるで凌がれ、空気中に散っていく。次の一手。足場ごと相手の防御を崩す算段で放つはじしん。片足を持ち上げてしっかと大地を打ち据えた震動が、地面の亀裂を拡大させていく。空中に退避すればスカイアッパーの追撃を見舞い、地に足をつける暇も与えずに一気に押し切ろうと試みたが、その思考も読まれたか。地上を離れずにみがわりで凌ぐ。
     次手のかえんほうしゃ、スケイルノイズと同じようにヘドロばくだんをぶつけ、軌道を逸らした。ならばと次に選ぶはスケイルノイズ、しかしこれはまもるに防がれる。
     次、スケイルノイズ。当たるも倒すには及ばず、次、スケイルノイズ、まもるで防がれ、かえんほうしゃ、身代わりが受け、じしん、守る、かえんほうしゃ、みがわり、スケイルノイズ、まもる、じしん、みがわり、

     ジャラランガの体が、ふいに傾いだ。
     光球が一つ、ジャラランガの体から飛び出してきた。
     男がそれに気付き、それが何を意味するのか理解するのは、あまりにも遅すぎた。

     一度も攻撃など受けていない。こちらが攻勢一方、あちらが防戦一方だったのは誰から見ても明らか。
     それでも――ジャラランガは、その体力を奪われ尽くした。回避と防御に徹するロズレイドを追う足が止まり、手をつき、膝をつき、そしてその体を横たえる。吸い取られたエネルギーの光球がロズレイドの体に吸い込まれ、傷を癒す傍ら、地に伏す際に立てたジャラリという音を最後に、けたたましく鳴らしていた鱗の音調は止み、フィールドはしんと静まり返った。
     何が起きたのか、否、何が起きていたのか。男がそれを認識したのは、ジャラランガの戦闘不能を告げる審判の声が響いてからだった。
     ――最初のヘドロばくだんの意味は、それ自体のダメージではなく、その塊の内に仕込んだ、ロズレイドが一番最初にだけ使った四つ目のわざ、やどりぎのタネだったのだ。

    「やどりぎのタネとみがわり、そして――戦闘中には全く気付かなかったが――くろいヘドロを使った耐久での粘り勝ち、か。Zわざにまもるを合わせる読みの良さといい、ヘドロばくだんを無駄と見せかける手管といい、上手くできている。俺の完敗だ」
    「ちょうはつされていればその時点で降参でした。それと、貴方が私たちを取るに足らないと捉えてくれるかどうか。それが分かれ目でしたね。――対戦、ありがとうございました」
     一度握手をし、互いに背を向ける。
     戦いに生きる者たちの交わす言葉は、ただそれだけだった。


      [No.4068] マダム・ウェザーの特別講義 投稿者:じゅぺっと   投稿日:2018/02/15(Thu) 20:42:09     110clap [■この記事に拍手する] [Tweet]





     とある地方のトレーナーズスクール。決して大きくはない校庭で、10人ほどの子供たちが自分のポケモンと触れ合っている。
     マリルリのしっぽで毬つきをして遊ぶ子。
     布の表情を変えるミミッキュとにらめっこをする子。
     自分の体が燃えないようにポニータの背に乗ろうとする子。
     素人が見れば遊んでいるようにしか見えないそれを、シルクのジャケットに黒のスカートを着こなした貴婦人がベンチに腰掛け厳しい目で見ている。その隣ではまるで貴婦人を飾るようにロズレイドが控えていた。

    「あちちちち……」
    「ツクモさん、もっとポニータの背中に体を預けなさい。中途半端におびえて体を離そうとするから、火に焼かれるのです」
    「は、はいマダム・ウェザー!」

     少年は指示通り、ポニータと密着し背中を撫でてやる。すると炎は小さくなり、足の周りと頭にのみ集中した。ポニータの目が細まり機嫌がよくなったのが感じられる。
     貴婦人はそれをため息を一つついてまた全体を見渡す。ここにいる子供たちは遊んでいるのではない。自分のポケモンへの理解を深める授業中なのだ。そして、この丁寧な言葉に鋭さと厳しさを併せ持つ貴婦人が教師、人呼んでマダム・ウェザーというわけである。

     そんな校庭に、一人の少女が鈴の音を鳴らしながら入ってくる。なぜか衣服のあちこちに銅色の鈴をつけているが、衣服はほつれていてみすぼらしく、穴の開いた箇所をポケモンや子供向け商品のシールでふさいでいるひどい有様だった。このスクールの生徒ではない。
     ぼさぼさに伸びた赤銅色の髪をいじりながら、少女は貴婦人に尋ねた。生徒たちは不思議そうに少女を見ている。

    「おばちゃんがこの学校の先生なんでしょ。600族っていうポケモン達のこと知ってる?」
    「600族……疑似伝説、とも言われる強力なポケモンの事ですね」

     いきなり入ってきてなんですか、とは言わない。ここはトレーナーズスクール。ポケモントレーナーがいきなり入ってきて勝負を挑んできたりするくらいは慣れっこだ。

    「おばちゃんは一番強い600族って、どのポケモンだと思う?」
    「ふむ……」
    「えー、そんなの、ガブリアスに決まって……」
    「お黙りなさい」

     少女の何かを期待した問いに、貴婦人は考える。この少女が求めているのはガブリアスやメタグロス……ではないだろう。そんな答えなら、わざわざ道路に出て見知らぬ人に聞かずとも学校の先生なり友人なりインターネットでいくらでも聞けるはずだ。
     改めて少女を見る。かなり着古している割にサイズがぶかぶかで合っていない服が覆う体はまだ子供、いいとこ10歳に見えた。彼女の瞳はもじもじしながら自分を見つめている。ならば、サザンドラやバンギラス、ボーマンダも考えにくい。あれは気弱な女の子が憧れるものではないだろう。
     
    「カイリュー……ですかね。全てを半減する万能の鱗<<マルチスケイル>>に神速の動き。わたくしはそう思います」

     ヌメルゴンとの二択で迷ったが、あのぬめぬめは生理的に受け付けない人も少なくない。進化前のミニリュウは可愛らしさがあり、カイリューも普段は優しいポケモンだ。これが一番無難だと思い答える。

    「そう……カイリュー……やっぱり……」

     少女は俯き、肩を震わせる。貴婦人は立ち上がり、少女から距離を取った。同意するような言葉だが、この雰囲気はおかしい。

    「じゃあおばちゃん、ポケモンバトルしよう。本当に最強の600族がだれなのか……私とこの子が、教えてあげる!」

     少女がポケットから出したのは、貴婦人と同等の背丈、しかしその体積は何倍も違う巨躯。鎖がかすれ合う音を響かせてただ体を動かすだけで咆哮となるポケモン、ジャラランガが少女と貴婦人の間に現れた。

    「ジャラランガ……ああ、そんなポケモンもいましたね。どうやらやるみたいですよ、ロズレイドさん」

     思い出したように笑う貴婦人。ロズレイドが薔薇の中から棘まみれの蔓を覗かせ、戦闘態勢に入る。
     アローラという未開だった土地に住む600族に認定されたポケモン。しかしその戦闘性能は弱点の脆さや器用貧乏な能力、特殊な技のデメリットなどから決して強くないと貴婦人は認識していた。
     そんな思考で口にした何気ない言葉が、その少女を深く傷つけた。細い体がわなわなと震え、怒りに叫ぶ。

    「ソンナケモンモイマシタネ……? そんなポケモンもいましたね!? そこまで侮辱されたのは生まれて初めて……絶対に許さない!」
    「やれやれ、ルールは一対一で構いませんね? ジャラランガしか持っていなさそうですし」

     つまり、こういうことだ。この少女は多分今まで何回も道行くトレーナーに同じ質問をしている。そしてジャラランガ以外のポケモンを答えたが最後、バトルで強さを思い知らせたのだろう。

    「一撃で終わらせる!ジャラランガ、Z技行くよ!」
    「皆さんは下がっていてください。ここからは特別講義の時間……わたくしのバトルを見て勉強なさい」

     少女とジャラランガの間でZリングが反応し、ジャラランガが己の体を打ち鳴らす。鳴子のような音を何度も響かせ、自分の中でのリズムが取れたところで――曇天の空へ飛びあがり、その気流の流れすらも音の力に変えて最大パワーの一撃を放つ。

    「私達の叫びに頭蓋を砕かれ、脳を揺らせ、刻み込め!!『ブレイジングソウルビートッ』!!」
    「ロズレイドさん、『守る』」

     避ける空間などありもしない。さっきまで貴婦人が座っていたベンチを粉砕するほどの音が全てを揺らす、必中の大音波。それをロズレイドは青い薔薇から大きな水球を出現させ、貴婦人と自分を覆う。だがその守りも弾け、音のダメージが二人を襲う。

    「はあっ、はあっ、はあっ……どうだ!これがジャラランガの本当の力!脳が震えて何もできないでしょ!」

     Z技というのはトレーナーも体力を使う。荒く息をついて、少女は勝ち誇った。初手で超強烈な音波を発生させ、ポケモンに大ダメージを与えつつ、そのそばにいる人間の脳を揺らし、まともな判断を不可能にする。ジャラランガだけの切り札と少女は自認していた。


    「まったく、世も末ですね……まともな教育を受けていない子供がこんな強力なポケモンを操る世の中になってしまうなんて……」
    「!!」

     
     だが、貴婦人は平然としている。軽く耳をトントンと叩いているものの、脳震盪には陥っていない。ロズレイドも、平然と立ち上がり戦意を向けている。

    「あり得ないみたいな顔をしていますが、別に不思議なことではありませんよ。衝撃というのは、距離や間に置かれたものによって減衰するものです。天候を雨にしてロズレイドさんが作った水の壁は、貴方の騒音を全てとは言わずとも、致命的にならない程度に防ぐには十分だったということです」
    「意味が分からない……」
    「でしょうね。あなたのような無教養な子供には。しかし、生徒の皆さんはわかりますね? わたくしが何故水による防御をしたか」

     例えば水面に石を落とした時、石の大きさや勢い次第では相当遠くまで音が響く。だが同時に生まれる波紋は、勢いや大きさが強くても水が大きく変形するだけでさほど大きく広がりはしない。貴婦人とロズレイドを大きく覆った水は弾けとんだものの、そのはじけ飛ぶのに使われたエネルギーでダメージを殺したのだ。

    「そして貴方にも教えてあげましょう。そもそも貴方のそれはポケモンバトルではありません。ボクシングをしようとしている相手にリングの外からミサイルを撃って殺して自分の方が強いと息巻いているようなものです。ジャラランガというポケモンはともかく、貴方は強くも何ともありませんね」
    「……ふざけるな!私たちは強い!」
    「ホッホッホ……なら見せてもらいましょうか、あなた達のポケモンバトルを!ロズレイドさん、『眠り粉』!」

     ロズレイドの頭から、相手を眠らせる粉が飛ぶ。それは正確にジャラランガの顔を叩く。が、全く眠る様子はない。

    「効かないっ、そんなもの!ジャラランガは『防塵』を持ってる!馬鹿にしないで!!」
    「特性を確認しただけの行為を馬鹿にされたと被害妄想ですか……どっちにしても、会話のできない子ですね」
    「うるさいっ!『火炎放射』!」
    「……ロズレイドさん、『ウェザーボール』」

     ジャラランガが炎を吐き、ロズレイドが青い薔薇から大きな水の球を撃ちだす。炎はロズレイドの弱点だが、雨の中での『ウェザーボール』は強力な水技。こちらの方が押し切れる……そう読んだが、炎と水は相殺しあった。

    「『スケイルノイズッ』!!」
    「ロズレイドさん、『リーフストーム』!」

     初手のZ技ほどではないにせよ強烈な音波を、草タイプ最強クラスの技で応戦する。やはり本来の威力はロズレイドが勝るはずだが、鱗の音波と草の嵐は互角に打ち消し合った。

    「『ブレイジングソウルビート』はただの攻撃技じゃない。この技を発動した後ジャラランガは全ての能力がアップする!ポケモンバトルじゃないなんて言ったこと、取り消して!」
    「なるほど……専用のZ技が存在したのですか。確かにそれは、知りませんでしたね」

     貴婦人の知るポケモンバトルの知識はアローラのポケモン達の存在が世界に知られたころまで。特殊なZ技を持つものがいることは聞き及んでいたがジャラランガがそうだとまでは知らなかった。常に持たせているしろいハーブでロズレイドの特攻を戻しつつ、戦略を切り替える。

    「踏みつぶしてあげる!『地震』!」
    「手間が省けますね。ロズレイドさん、『グラスフィールド』を」

     相手の地面を揺らす衝撃に合わせるように、地面に蔦を這わせ大地を支配する。木々の育った山で土砂崩れが起きにくいように、その蔦が地面の衝撃を減らした。更にフィールドの効果でロズレイドの体力は回復していく。

    「『グラスフィールド』は地面にいるポケモンの体力を回復させ、さらに地面技の攻撃を和らげます。相手の地震に合わせて打つことで無駄なく守りと回復を一体にすることができる。参考にしてくださいね」
    「とっておきを見せてあげるっ!『スカイアッパー』!!」
    「何ですって……?」

     ジャラランガが地面に踏み込む。『スカイアッパー』はジャラランガの得意技とされている。しかしあれは宙に浮く相手に大きな効果を発揮するもの。ジャラランガよりも体が小さく地面に足をつけるロズレイドには有効打とは言えない。貴婦人は訝しむ。
     しかし、足元を沈下させたジャラランガの体はさらに深く沈んでいく。『地震』によって地面を崩すことで大地を傾けたように踏み込みが深くなり前傾姿勢へ変化、ついにはクラウチングスタートを切る選手のように低く沈む。本来『スカイアッパー』は立っている状態から大地と垂直に腕と体を振り上げるものだ。だが今のほぼ体を大地と水平に近づけた状態から同じ動きをすれば、それは大きく前へ進むことになる。原始の巨体、トリケラトプスの突進にも等しい。

    「これで終わりにする……いけええええ!!」
    「ロズレイドさん、『タネマシンガン』!」

     向かってくるジャラランガをロズレイドは種子の掃射で迎え撃つ。グラスフィールドの効果で強化され、無数に飛んでいく弾も、恐竜の突進の前では分が悪い。止めるに止めきれず――ロズレイドの体が大きく吹き飛ばれた。今度こそ、少女が勝利に胸を撫でおろす。貴婦人も瞳を閉じた。

    「終わりですか……」
    「さあ、これで私たちの強さわかってくれたよね!もう一度聞いたら……ジャラランガが一番強いって答えてくれるよね!?」
    「認識を改める機会にはなりましたよ。貴方はいい教材になってくれました」
    「そんなこと聞いてないっ!ジャラランガ、『スケイルノイズ』!頭蓋を砕き脳を揺らせ!」

     ジャラランガが、激しく己の体を振った。ジャラランガだけが持つ特殊な鱗はその舞によって激しい音を放ち、対象を音で破壊する一撃を放つことが出来る。
     だが――この時だけは、音が響くことはなかった。舞が空しく空気を斬り、腕を振り回すただの風切り音が聞こえるだけだ。


    「ですから終わりなんですよ。このポケモンバトル……貴方の負けです。ロズレイドさん、『マジカルシャイン』!」

     
     むくりと立ち上がったロズレイドが、強烈な光を放ちジャラランガの目を潰した。ジャラランガの弱点、フェアリータイプによる一撃。これでしばらくは視界が効かない。

    「なん、で……もう一回、『スケイルノイズ』!」

     視界を奪われては、音で広範囲を襲うしかない。だがいくら体を振っても、音は出ない。鱗が、揺れない。

    「いいですか皆さん。ポケモンバトルとは、600族などの種族値やタイプ、使える技など知識は必要ですが、知識だけではこのようなことになってしまいます」

     貴婦人は距離をとってみている生徒たちに講釈をする。ジャラランガを操る少女を悪い見本として。

    「常々言っていますが、このポケモンはなぜこの技を使えるのか?またなぜこの技が得意なのか?それを直接ポケモンに触れ合うことで理解し、その知恵を生かすことが肝要です。……種明かしといきましょうか。さっきの『タネマシンガン』はあなたの一番自信がある音技を封じるために使ったんですよ」
    「なんで……あんな種粒で、ジャラランガが倒せるはずない」
    「まだわからないのですか? ジャラランガが音を出せるのは、鱗の可動域が広く体を動かせば鱗が揺れ固い皮膚に当たるから。しかし鱗と皮膚の間にぎっしりタネが詰まってしまえばいつもの音にはなりませんし。そもそも鱗の動く場所自体にタネがつまって体を動かしても鱗が動かなくなってしまったらぐうの音も出ない。そうなった貴女のジャラランガは、ただの鈍重な爬虫類に過ぎません」
    「う……」
    「最初に『眠り粉』を使ったのもこのため。特性が『防弾』のジャラランガは『タネマシンガン』や『ウェザーボール』が効きませんからね。そんなことにも気付けず、わざわざ音技でとどめを刺そうとするとは……やっぱりあなたは弱い子でしたね。約束通り、お灸を据えてあげましょう」

     貴婦人は鋭く、叱りつける目で少女を見る。少女の肩がびくりとはねた。Z技を使われる前に先手を打って発動しておいた『雨乞い』が晴れ、『日本晴れ』によって強い日差しが差す。
     そして、ロズレイドの真上、貴婦人よりも数メートル頭上にまるで太陽のミニチュア、それでもジャラランガの体積よりも大きく炎よりも熱いエネルギーの塊が出現した。
     少女が余りの光に思わず目をつむる。しかし顔をそらせない。そうすれば、すぐさまこの太陽は自分とジャラランガを焼き尽くす。そう直観できてしまう。

    「ご、ごめんなさい……私の負けだから……これ以上はやめて!」  
    「わたくしはね、勝手に入ってきて強くもないのに一方的に持論を押し付ける。そんな子供を見ていると我慢ならないんですよ」
    「も、もうしないから!!もうここに来ないから!お願い、やめて!」
    「許しません。どうせここから逃げてもまた別の場所で同じことをするんでしょう?そんな人生は、わたくしが終わらせてあげます!!」

     喝を入れるがごとく鋭い貴婦人の声に、少女がわっと声をあげて泣く。泣いて、膝をついて、それでも叫ぶ。

    「いやだ!まだ死にたくない!私とこの子を捨てたパパとママに、私たちは強いんだって証明するまでは死にたくない!」

     ひれ伏し、文字通り泣いて謝る。自分は小さいころ手持ちの中で一番使えないと言われたジャラランガと一緒に山に捨てられたのだ。それが憎くて悔しくて、見返すために自分たちが最強だと町の外の道路やトレーナーズスクールで触れ回っていたのだと聞いてもいないことをしゃべる。
     貴婦人は一通り聞いた後、最後通告をした。


    「いいでしょう。あなたに残された道はただ一つ──わたくしの生徒としてポケモンバトルの本当の強さを学ぶことのみです」
    「え……?」


     全く予想していなかった言葉に少女が泣き止み、ポカンとする。ロズレイドの出した炎の『ウェザーボール』が消え、日差しが元に戻っていく。

    「強くなって見返したいのでしょう? ならば貴方のすべきことは道場破りではなく、一度きちんと道場で学ぶことです。本来やや使いづらい『スカイアッパー』をあのような形で強力な技に変えたのは見事でした。わたくしの下で学べば、貴方は今よりはるかに強くなれます」
    「で、でも学校に入るお金なんてない……」
    「構いませんよ、立派なトレーナーになって賞金で返してくれれば……ここにいるのは、おおむね貴方たちのような子供達ですから」

     遠巻きに、しかし貴婦人のバトルを見ていた子供たちが駆け寄り、少女に優しく笑いかける。ようやく視界の回復したジャラランガが自分の主である少女に近づく者たちを威嚇しようしたが。

    「いいの、ジャラランガ。私たちの負け……今日からここで、もっと強くなろう」

     少女の涙は、恐怖からうれし涙に変わっていた。貴婦人はそれを見て、手を口元に持っていき笑った。


    「ただし覚悟しておいてくださいね、わたくしの講義は厳しいですから……では皆さん、改めてこの子を加え授業を再開しましょう!ホーッホッホッホ!!」


     それから数年後、この少女はジャラランガの使い手として名を馳せることになるのだが、それはまた別の話──


      [No.4067] VS 妖精閃光(マジカルシャイン) 投稿者:あきはばら博士   投稿日:2018/02/15(Thu) 20:28:26     126clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

     なんでこんなことになったのか……。
     アンジュは頭を抱えたかった。
     次の大会に向けて練習をしようと野良バトルの募集を掛けていたところ、捕まったのがこの男。

     赤紫色のテカテカピチピチの密着度が高めのボディスーツを身に着けて、さらにそこには何かを勘違いしたような、子どものオモチャみたいな金ピカの装飾品が付属している。
    (ダセェ……)
     というのが素直な感想。さらにヤバイのはそこに青黒いマントである。いまどきマントってなんだよ。
    「はじめまして、俺はドラゴン使いのターフェ」
     うんうん、ドラゴン使いは知ってる、見れば分かる。かつてトレーナージョブ名鑑で一際異彩を放っていた、密着度の高いクソダサスーツ+マント姿のレア職業、こんな格好で道を歩くなど罰ゲームじゃないかと「いや、こんなヤツいるわけねぇだろww」「だよねーww」と友達と盛り上がっていたのが懐かしい。
    (いたよ……)
     本当にいたよ。
     トレーナージョブとはトレーナーの年齢・性別・バッチ数・資格などで名乗ることができる称号である。それぞれに推奨される服装はあるが、守る必要はない。例えば私のジョブ名は『ミニスカート』だがミニなんて履いてないし、短パンを履いてない短パン小僧も多い。ブリーダーやドクターなど名乗るために資格が必要なジョブもあり、多分だけどドラゴン使いを名乗るというのは一種ステータスだろうし、普通では入れない場所も入れるかもしれない、だからと言ってあんな恥ずかしい服を着る必要は無いと思うのに。
     うわ、なんか股間がちょっともっこりしてる。見たくないけど。
    「シングル、1対1でいいかな?」
    「あ、はい」
    「ソナリ、任せた」
     彼は私の心境など露にも気にしてないようで、ジャラランガを出してきた。
    「うーん、出番よ ローヌ」
     私はドラゴンタイプに強い手持ちはいなかったので、ロズレイドを出した。


     ▲  ▲  ▲  ▲


    「アンジュです、対戦よろしくお願いします」
     お互いにポケモン出し終えたので、ミニスカートのアンジュはとりあえず、対戦の挨拶をした。
    「うむ、ではっ! 逆鱗(さかさうろこ)に懸けて勝利を誓う!」
     彼は自らの口上と共に、くるっと体を反転して自らのマントをアンジュに見せつける、マントの後ろには、▼を3つ組み合わせた、ちょうどトライ〇ォースをひっくり返したデザインの紋章が描かれていた。
    「【逆鱗狩り】のターフェ、いざ参る!」
     そして顔だけこっちを見て、笑顔で前歯がキラーン。
     そこでアンジュの腹筋が崩壊した。
     突然入ってしまった笑いのツボに、口を押えて必死に踏みとどまるがもうだめだ、口元がによによして耐えられない。個性的な服に、まさかの二つ名を名乗ってくるという衝撃、そこにもっこりした股間がちらっと見えて、さらに自爆。
    「竜の舞だ」
    「くっ、ふふ……ぐっ、あっ待って」
     お互いにポケモンを出して、名乗り合った時点で、残念ながら戦いは始まっている。こうして体調の不良を訴えて相手が油断したところを騙し討ちにする悪どい手法も横行しているため、このように多少の様子がおかしくても手加減は無用である。
     竜が空中で旋回する様子をイメージしたと言われる、妖しい円を描くような踊りを始めるジャラランガ。
     動きの激しい踊りにあわせて鱗が打ち鳴らされて、じゃらんじゃららんと優美な響きを奏で始める。
     練度と完成度の高い舞だからこそ起こる、その音色には嘆賞の一つくらいは残したい出来映えだったが、あいにく腹筋がそれどころじゃない、いっそのことこのまま地面に転がって、気が済むまで心置きなく笑い転げてしまえばすっきり収まるだろうと思うのだが、もどかしい、こうして無理に我慢するから笑いも増幅されるため、堪えれば堪えるほど呼吸ができない。
    「くく、うう、ロ、ローヌ。マジカルシャイン」
     先ほどから主人の様子が気になってしょうがなくて、後ろをチラチラみていたロズレイドだったが、主人に戦闘続行の意思があったので、意を決して身体に力を溜めて、[マジカルシャイン]を放出する。
    「ソナリ、舞いながら、ラスターリフレクト」
     ジャラランガは目を閉じて、竜の舞の動きをそのままに、その全身の鱗が鏡のように輝き出す。そこに聖なる閃光が当たると、キラキラとその光を乱反射させて、光輝きながら舞い踊る。マジカルシャインの閃光を浴び……いや閃光を跳ね返しながら[りゅうのまい]を踊り続けた。
     ラスターカノンのワザの原理とは『鋼の表面の光の反射力を利用して、その光を操作して攻撃する』という手順が行われている。ジャラランガはラスターカノンの一部を利用して、受けた光を吸収せずに反射させて弾くという手段でマジカルシャインのダメージを受け流しているのだ。

     笑いが急だったこともあってか、アンジュの笑いは波が引くようして急に収まり、ようやく腹筋に平穏が訪れて、落ち着きを取り戻していた。彼女は思い出し笑いをしないように必死に真顔で、目の前の状況を見る。だが、眩しすぎてよく見えない。
     フェアリー技はジャラランガに効果抜群であり、照射系の全体攻撃なので目を瞑ったり耳を塞いだり横に逃げるなどで防御できるワザではないため、回避が困難である。またバトルフィールドを埋め尽くす眩い閃光に目がくらんで、今がどういう状況になっているのかがまるで把握できてなかったが。着実にダメージは通っているものだとアンジュは思っていた。

     戦局が動いたのは2回分のマジカルシャインの照射を終えたところ、トレーナーのアンジュの眼が慣れてきて、さすがに何かがおかしいと気付いた時だった。状況を確認するべくワザを止めて、ロズレイドは次の動きに備えて呼吸を整える。
     ターフェはこの瞬間を待っていた。機は熟した、腕を横にきって、指示を下す。
    「――逆鱗 解放」
    『ヴォオオオオーーーーーン!!!』
     ジャラランガは舞を止め、劈(つんざ)く雄叫びをあげて、禍々しい赤いオーラを纏わせる。咆吼に併せてジャラランガの鱗が細かく共鳴し、響きを鳴らす。
     そして両腕をダランと垂らし、湧き上がる[げきりん]のオーラに包まれながら、脱力をする。
    「備えながら、牽制、マジカルリーフ」
     アンジュはマジカルリーフで牽制しながら、相手の様子を窺うことにした。
     有効打を与える抜群技がこれしかないとはいえ、効きの悪そうなマジカルシャインを使い続けるのは得策ではないだろう、ここは攻め手を変えてみようと彼女は思った。ジャラランガの特性には防弾と防塵があり、それぞれボール状の攻撃と粉の効果を無効にするものになっている。エナジボール・ヘドロ爆弾・シャドーボール・眠り粉などは効かないものだとして立ち回らなければならない。今後の展開に柔軟に対応できるように、片手でも扱える使い慣れたワザを撃って様子をみる。
    「突撃」
     ターフェの指示を聞いて、ジャラランガはカタパルト発進のごとく、ロズレイドに突貫する。
     身構えていたロズレイドはひらりと回避する。 
    「(指示が届いた?)」
     アンジュは驚いた。先ほど指示を出して相手が発動しているワザはげきりんのはずだ、花びらの舞と同様にあのジャラランガはトレーナーの指示など聞かずに暴れ回るはずだ。

     ドラゴンポケモンは高い潜在能力を持っている。普段はそれを無意識に制御しているが、そのリミッターを意図的に外すというワザがげきりんである。
     だが、げきりんのワザを使うとドラゴンポケモンはその自らの強すぎる力に振りまわされて、正気を無くして暴れ回り、やがて疲れて動きを止めて混乱してしまう。
     だが、もしも――
     そのげきりんを正気を失わない程度に制御して、リミッターをギリギリまで開いて制御することが出来たとすれば…… ドラゴンの潜在能力をまるまる使いながら戦うことができる。
     ワザ『げきりん』を極めしドラゴン使い【逆鱗狩り】のターフェ、これがその神髄だった。

     げきりんのオーラを保ちながら、それでいてしっかりと相手の姿を見据えて攻撃を加えていくジャラランガ、格闘の竜というだけあり、そのフットワークは軽やかで、流れるように腕を振りおろしながら、すり足で相手への距離を一瞬で詰めつつ、拳を振り上げる。この静かなる逆鱗は、まるでまだ舞を踊っているようだった。
     対してロズレイドはイバラのムチを自在に使いつつ、巧みに相手の攻撃の回避と防御に徹しているが、反撃に移ることができず、防戦一方でジリジリと追い詰められていた。なにしろジャラランガの繰り出す一手一足に一度でもまともに当たってしまえば致命傷になってしまう。竜の舞に加えて逆鱗状態による身体強化が重なり、すさまじいスピードとパワーを持って叩き込まれる連撃を、ロズレイドは必死に捌くので精いっぱいだった。
     そうした攻防がしばらく続いた。


    「……ん?」
     ジャラランガの動きが鈍り始めたことに、ターフェは気づいた。
    「毒……? 毒びしか」
    「……やっと効き始めたわね」
     ロズレイドは防御の合間に地面に少しづつ[どくびし]を撒いていた、地面を暴れ回るジャラランガは知らぬ間にそれを少しづつ踏み続けて体に毒が回っていたのだ。
     あの時に受け続けていたマジカルシャインのダメージは多少は減らすことは出来ていても、それでもすべてを跳ね返せたわけではない。しっかりと、確実にジャラランガの体力を奪い取っていた。そこに毒の蝕みが加わることで、さすがのジャラランガの動きも大きく削がれることになる。
     いまこそが反撃の時間だ。

    「ローヌ! いくよっ」
     相手が毒状態の時において抜群の威力を叩き出すワザ『ベノムショック』
     条件さえ揃えばヘドロ爆弾すらも超える威力を誇る、ロズレイドのローヌのとっておきのワザである。
     アンジュとローヌは互いに呼吸を合わせて、そのワザを繰り出そうとする。
    「ベノムシ」
    「制限全開錠(リミット・フルオープン)っ!!」
    『キュォォォォォォォォォォ!!!!』
     ターフェは叫んだ。
     金属を引っ掻くような甲高い吶喊と共に、禍々しくも燃え上がる赤い燈気に加えてさらに蒼い燈気が交じり合い、ジャラランガの体は妖しく燃え上がった。
     いままで途中まで開いていた逆鱗のリミッターをすべて外す。暴走を加速させて自我を完全に失い、これでもう勝負が決するまでトレーナーの指示も制止も聞かなくなる。
     ここまでの疲れも毒のダメージも何も感じなくなり、ただ目の前の存在に向けてまっすぐ突貫するだけ――。

     一度、ベノムショック攻撃の態勢に入ってしまったロズレイドはもう回避動作に入ることはできなかった。それでも[ベノムショック]で生成した特殊な毒液を使い、精一杯の防御でジャラランガの突貫を受け止めることになったが。
     本気の逆鱗の前に圧し徹されてしまい、ロズレイドは地に伏せた。


     ▼  ▼  ▼  ▼


    「いい勝負だったね」
     対戦後、ドラゴン使いのターフェは私にそう挨拶をしてくれた。
     彼がボールから出したカイリューが、水筒のお茶を出してくれたので頂くことにした。
    「ありがとうございます」
     【逆鱗狩り】のターフェ、逆鱗を狩る、ではなく逆鱗で狩るという意味の二つ名、ということなのだろう。
     強大なワザに強弱の制御を付けるという発想とそれを成し遂げる実力、たった一つのワザを取っても、勉強になる戦い方だと思えた。
    「あの、……その服とマントですが」
    「おっ このマントに目を付けてくれるとはお目が高い。これは普通の市販品のマントとは違う、龍の聖地フスベで認められたドラゴン使いにしか手に入らず着用が認められないマントなんだ。 カッコいいだろ?」
     本人はとても気に入っていたようで、ご丁寧に『カッコいいだろ?』に併せて決めポーズもしてくれた。
     横にいるカイリューちゃんも、それにノッてくれて一緒に決めポーズに参加している。
    「…………」
    「……そうか、まだ分からないか」
     たぶん、一生分からないような気がします。

     うーん……
     こうしてみれば、誇り高きドラゴンを扱うというプライドの元に、胸を張ってこうした衣装を身に纏っているわけで、
     案外この服もカッコイイのか――
     ……いや、やっぱり ダサいよなぁ

     ないわー


    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

    その昔、バトル企画に出したドラゴン使いのターフェ=アイトさんを登場させてみました。
    逆鱗を極め、逆鱗しか使わない、逆鱗(さかさうろこ)に懸けて勝利を誓うダサいマントの男(2x歳)です。

    名前の元ネタ紹介
    ・アンジュ→ロゼワインの産地
    ・ローヌ→ロゼワインの産地
    ・ソナリ→鈴がいっぱい付いた楽器

    なにぃ ドラゴン使いを知らない? いかんいかん! これを見て勉強するのだ!
    → http://www.pokemon.jp/special/dragontype/master/index.html


      [No.4066] Santalum album 投稿者:浮線綾   投稿日:2018/02/15(Thu) 20:12:47     89clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

     暗雲が天に満ち、ざあざあと大雨が降り始める。
     戦士は行かねばならなかった。竜の鱗を綴った防具をしゃらんしゃらんと鳴らしつつ。
     この島の中で唯一異様な雰囲気を醸し出す瀟洒な屋敷へと、ぬかるんだ道を急ぐ、急ぐ、一刻も早く終わらせねば。
     恵みの雨が続くうちに。
     終わらせなければならない。

     雨の中で異邦人の屋敷は白く輝いて見えた。忌々しかった。
     入る前にドアをノック?━━知ったことか。島の守り神のものであるはずの森の木を勝手に伐って作った仰々しい扉を、激しく蹴りとばすが戸は開かない。鍵などというものを取り付けて他人が勝手に家の中に入れないようにしているのだ。どれだけ冷酷で自己中心的なのか。
     だから戦士は腰帯に吊るしていた瓢箪を手に取り、その栓を抜いた。黄金色に輝く鎧に覆われた鱗竜が姿を現す。
     戦士が指示を出すと、竜はその太い腕を振るい、拳で厚い扉を叩き割った。

    「あらあら、香りに誘われ、お茶にいらしたの?」
     間延びした、声。
     屋敷の中は甘ったるい匂いが満ちていた。島の森のかぐわしい空気とは正反対の、むせかえるような、薔薇と、毒と、茶の香りだ。
     商人は絹の布きれをかけた卓に着き、シノワズリの白磁を傾け花入りの茶を啜っていた。その身を包むのは真っ白な絹のドレス。
    「どうぞお座りになって。あなたの分のロズレイティーも用意してありますわ。なにせあなたときたら……かなり遠くからでも聞こえますものね。その大きな足音といいますか、賑やかなアクセサリー……ふふふ」
    「━━我はカプより光り輝く石を賜りしポニの守護者である」
     戦士は石の腕輪と、浅黒い肌に刻まれたポニの戦士の紫の入れ墨を示し、泥で汚れた裸足で重厚な絨毯を踏みにじったまま、商人を見下ろした。
    「島の自然を破壊し奪った財物でのうのうと暮らしている卑怯者とは、貴様だな」
    「まあ、あなたって……哀れなほど盲目ね。お友達のキラキラ輝く鱗で目が眩んでしまったのかしら」
     真っ赤に塗られた商人の唇が卑しく曲がる。
     戦士は嫌悪感を覚え、その悪しき感情を体内から捨てるために絨毯の上に唾を吐いた。
    「表に出よ、悪魔の商人。カプのご照覧の下、正々堂々と決着をつけようではないか。我らが勝ったならば、館を潰し、島から永劫に立ち去るがよい」
    「仕方ありませんわね、道理を話して聞かせようにも、あなたきっと聞かずにこの美しいお屋敷を何もかもめちゃくちゃになさるでしょう?」
    「これまで散々話し合いを無視してきたのはどちらか!」
     戦士が腹の底から声を出し怒鳴りつけると、商人は静かにカップをソーサーに置いた。絹の裾を鳴らして立ち上がる。
     そして甘ったるい笑みを浮かべた。

    ***

     暴雨が大地を浚い、海の波は高い。
    「荒磯の、彼岸の遺跡に在すカプ・レヒレよ、我に力を与えたまえ、簒奪者を亡者の水底へといざないたまえ!」
     戦士は朗々と守り神を讃えると、首にかけていた葉と実のレイを外して荒れ狂う海に投げ込んだ。
     そして傍に控えていた黄金に輝く鱗を持つ竜と共に体を躍動させ、金属質の飾り鱗を賑々しく打ち鳴らす。
    「我ら異界の闇を祓う者、聖なる響きにより悪を退け、鱗の光により魔を滅す!」

     対峙する商人は絹の裾をたくし上げ、絹の傘をさし、おまけに回復道具を詰め込んだらしい鞄も抱えて━━降りしきる大雨の中でどうも格好がついていない。その傍には、両腕に紅と青、頭に白の薔薇の花を持つモンスターを伴っている。
    「あらあら、もう、泥はねが…………成程そちらのドラゴンも光の使者というわけですね。わたくしのこのロズレイドも祖国の国王陛下より賜った光の石のエネルギーを浴びて、このように香り高い姿に進化したのですよ」
     ロズレイドと呼ばれた薔薇のモンスターは、先ほどの館に満ちていたような頭がくらくらするほどの匂いをその身から漂わせていた。たっぷりの湿気の中でひどく重苦しくまとわりつく。
    「妙な香りだ、惑わされるな!」
     戦友を叱咤する。
     ジャラランガは咆哮した。地につけていた両の拳を天に突き上げ、背骨をぐぐと反らして勇壮にいなないた。全身の青銅の鱗を打ち鳴らす、自陣を鼓舞し敵を圧する。澄ましていたロズレイドの花弁が音圧を受けてかすかに震え、その向こうの商人も口角を吊り上げる。
     そして双方が動いた。
    「花吹雪」
    「スケイルノイズ!」



     青銅の鱗がガシャガシャとぶつかってこすれて。
     荒々しい美しさだこと、と商人は笑う。それは南国の素朴な音楽を思わせる。
     ジャラランガは激しく体を揺すった、全身の金属質の飾り鱗を打ち鳴らし、それはエキゾチックで洗練された響きだ。ロズレイドの左手の青薔薇から撃った波涛のごとき花吹雪は、音波とぶつかって、泡のように、空に散って消えた。
     続けて第二波が飛んで来る。今度は花弁を霧散させる為でなく、ロズレイド本体を吹き飛ばす為に。

    「根を」
     爆音に曝されても、長く寄り添った商人の涼やかな声はロズレイドにはよく聞き取れた。足元の大地に植物を繁茂させる。大地の養分を吸収しつつ、姿勢を持ち直して。
    「根ごと吹き飛ばせ!」
     敵の追撃指示。三発目のスケイルノイズ。
     ぬかるんだ地面ごと、今度こそ弾き飛ばされた。

    「いやですわ、やっぱり水はけのよい土地でないと薔薇は美しく咲けませんわね……」
     眉間を押さえる商人に応え、地に膝をついたロズレイドは太陽を呼んだ。とたんに雨雲が割れ、光の梯子が下ろされる。ロズレイドの全身の緑が喜んで光合成を始める。
     南国の強い日差しを受け、あっという間に地表のぬかるみさえ蒸発する。心なしか、戦士とジャラランガの表情が歪んだ。
    「このところ雨続きで欝々としておりましたの……さあ、あちらも乾かして差し上げて、ロズレイド」
     太陽の強い日差しを集め発火させる。無数にして巨大にして豪速の火球を、濡れそぼったジャラランガに投げつけた。
     しかしジャラランガは無造作にそれをすべて受け流す。
    「ポニの大峡谷の鱗竜に、西洋の鉄砲玉など通用せぬと思い知れ」
     竜が吼える。自身の鱗を痛めつけつつ巻き起こす轟音は、爆発の如き風圧を生みロズレイドを再び大地につき転ばす。ロズレイドは喘ぎ、また思い切り光合成をしようとした。

     しかし見る見るうちに、太陽の加護は遠のいていった。
     またしても暗雲が空に戻ってくる。ぽつり、と雫がこぼれたかと思うと、再び滝のような雨が降り出した。
    「あら、なぜ……」
    「ポニの守り神の計らいだ。海鳥たちが守りの雨をもたらした━━貴様らに光をくれてやるくらいなら、我らポニの民、白檀の森ごと、カプに命をお返しする覚悟だ……!」
     ロズレイドとジャラランガの上空を、野生のペリッパーたちが旋回している。彼らが雨を降らし、ロズレイドを太陽から遠ざけたのだ。
     野生の生き物に乱入されて困惑する商人を睨みつけ、ポニの戦士はその罪を糾弾した。
    「聞くがいい、罪深き異国の白檀商人よ、貴様がこの島で何を成したか!」

    ***

     晴れる日が、恐ろしい。
     晴れた日には、森を焼きに行かねばならない。

     物欲に駆られた愚かなポニの長が、異国の商人とばかげた取引をしたのだ。━━香り高い茶、見目麗しい白磁、なめらかな光沢のある絹織物、立派な白い邸宅、軽快に走る頑健な船、恐るべき破壊力を備えた鉄砲に大砲。それらを手に入れたいがために、愚かな長は守るべき島の自然を破壊した。
     商人は、ポニ島に生える『白檀』という香木を欲している。
     白檀の伐採や運搬など、過重な労働に駆り出されたポニの島民たちは疲弊しきっているが、それだけではない。

    「貴様らが欲する白檀を伐るためだけに、無数の森が焼き払われた!」
     かつてこの本島に数多く生息した首長のナッシーたちも、炎から逃れ損ねたかあっという間に姿を消し、小さな離島にしか見られなくなった。
     そもそもの白檀の木も、乱伐に遭ってはめっきり数を減らし、見つけるためにますますたくさんの森が焼かれる、白檀は焼いた時に香りが立つから、それで白檀を見つけるのだ。
     だから恵みの雨は続かねばならない。
     晴れた日は、森を焼くことを強要される。

    「森が枯れ、海も痩せ、人々は疲れ果て、このままではポニは滅びる」
     だが、しかし。島を滅ぼしかけた愚かな長は今となってはもういない。カプの罰か否か、それを知る者はない。
     だから、あとは、この白檀商人を、消しさえすれば。
     世界を光で満たす太陽を心から歓迎できるものを。
    「あとは貴様さえいなくなれば━━━━!」

     雷鳴のごとく激しく鱗を打ち鳴らしながら、ジャラランガが吼え、泥濘を蹴散らして走る。
     曇った鱗に覆われた腕を大きく振り上げ、そして、ロズレイドの胴体に青銅の爪が深々と突き刺さった。

    ***

     ガアア、ア、ア、とジャラランガが苦悶の声を上げた。
     必殺のスカイアッパーを弱った敵の懐の急所に見舞ったはずなのに、ロズレイドは喜悦の表情を浮かべて、甘ったるい薔薇の香りを撒き散らしながらジャラランガの腕を掴む。そのブーケの中に潜ませていた毒の棘を深々と鱗の隙間に突き立てる。

    「先ほどまで慎重に接近を避けておられましたのに。焦りまして?」
     雨幕の向こうで白檀商人が嗤う。
     その手には空になった“Hyper Potion”━━すごいキズぐすりの容器があった。姑息にも戦士が白檀商人の罪を糾弾している隙に回復アイテムを使い、ロズレイドの体力を補っていたらしい。

     また地中から湧き出た植物の蔓が、空中に飛び出していたジャラランガを絡めとった。貪欲な寄生植物は竜の鱗の下に潜り込み、肉に根を張りエネルギーを吸収する。一方でロズレイドの体は瑞々しさを取り戻してゆく。
    「これは、宿り木……?」
    「あなたの長いお話、つい退屈で」
     ジャラランガは大地に引きずり下ろされる。しかしその腕に突き刺さった毒の棘は抜けず、ブーケの中に隠されていた棘付き鞭がずるりと伸びた。大地に這いつくばるジャラランガを、宿り木と薔薇の玉座に座したロズレイドが見下ろし上機嫌に笑んでみせた。
    「さあ、続けてベノムトラップを」
     続けざまに棘付き鞭に別の毒液が流し込まれる。すでにジャラランガの体内を侵食していた毒と反応を起こし、その体を蝕んだ。宿り木に締め上げられて行動の自由が奪われたうえ、二種の毒を受け四肢にほとんど力が入らないのが見て取れる。状況判断が遅れた戦士が逡巡する僅か数瞬の間にも、ジャラランガは宿り木と毒で体を内外からボロボロに溶かされ、雨に打たれ惨めな姿になり果てた。
     ポニの戦士は唾棄し歯噛みした。
    「……汚い寄生植物めが……まるで貴様のようだ、白檀商人」
    「あら、ご存知ないかしら━━ヤドリギというのは、ビャクダン科の植物。白檀は寄生植物なの」
     噎せ返るような白檀の香りが雨の中に満ちていた。



     白檀の寄生根に絡めとられもがくジャラランガを、ロズレイドは見下ろして嘲笑う。
     絹のドレスに身を包んだ白檀商人は、絹傘の陰で憂いを込めて嘆息した。
    「……さて、困りましたわね……先ほどのあなたのお話ですと、わたくしの取引相手であるポニ島の酋長は既にいないのですよねえ……」
     もはや目の前の戦闘に興味はないのか、不良債権の処理に気を取られているようである。
     ジャラランガが無意味に足掻いているだけなのをいいことに白檀商人は暫し思案していたが、ふと、ぽんと陽気に両手を打ち鳴らした。
    「ならばせめて、あなたを捕縛し━━あなたにポニ酋長の殺害の嫌疑あること、アローラ当局に訴え出ねばなりませんね?」
     ポニの戦士が、かすかに動揺する、竜の鱗を加工した装飾品が揺れてちりりと焦れたように鳴る。
    「……できるものか、長が消えたのはカプの罰だ……!」
    「さてどうかしら。あなたが嘘をついているか否かは、この戦いをご照覧のカプとやらがきっと見定めて正しき裁きを下すはず、そうでしょう?」
     ━━まあカプが手を下さずとも、海外諸国と親密な現アローラ政権下で然るべき機関に訴え出てしまえば、白檀商人の言い分が受け入れられる公算のほうがはるかに大きいのだけれども。
     白檀商人が鈴を転がすような声で笑うと、戦士は震える拳を握りしめ、深く息を吐いた。

     最初の怒涛のスケイルノイズのために、ジャラランガの攻防一体の自慢の鱗はかなり早期から傷みボロボロになっている。そこを毒に蝕まれ、白檀の根に捕らえられ、もはや装甲も力も体力も残りわずか、動くことすらままなるまい。
     その鼻先へロズレイドは薔薇の花を差し伸べ、うっとりするほどの官能的な香りをたっぷりと吸い込ませてやった。思考することすら億劫になるまで、理性が崩壊するまで。



     ジャラランガは戦友を待っていた。すっかり鈍くなった鱗の向こうの赤い眼差しは、責めてはいない。ただひたすら体力を温存しつつ、抗いがたい魅力を持つ香りの誘惑と闘いつつ、錆び付きそうになる雨の中で、無言で友の正義を信じ、その指示を待っている。
    「わかっている……我らは間違っていない。我らは正しい……ポニを守らねば。カプ・レヒレよ、我らを護りたまえ!」
     ポニの戦士は賛歌を朗誦する。絶体絶命の危機に瀕しているはずのジャラランガもそれに呼応し、僅かに自由の残っていた、尾の錆びかけた鱗を打ち鳴らした。

     白檀商人とロズレイドはわずかに目を眇める。敵にはまだ奥の手があるらしい。さて傷ついた鱗と溶けた爪と萎えた手足とで、何をしてくれるというのか。
     ロズレイドは念のためにちらりと白檀商人を伺う。
     こちらも頷き合った━━わかっている、相手の心が折れないのなら、むざむざ時間をくれてやることはない。
     ジャラランガに向き直る。敵の目は闘志を宿し、輝いていた。
     背後から白檀商人の熱に浮かされたような指示が聞こえてくる。
    「花弁の舞……!」



     僅かに香りが変わった、と気付くが早いか。
     ロズレイドがゆらりと動いたかと思うと、恍惚とした表情で舞い始めた。
     右の紅薔薇、左の青薔薇、双方から無数の花弁が左右に噴き出して、うねり、こすれて熱風をも生み出し、激烈な甘い香りを漂わせながら、見るもおぞましい極彩色の点描、地獄の毒沼を作り出した。
     ジャラランガの手足は忌々しい毒と白檀に縛られているけれど、でも、心はポニの戦士と共に一つであって、そしてまだ自由だった。ふたりは共に心を鎮める。とても静かだった。
     ただ、静かだった。紅と青を扱き混ぜた嵐が音も無く襲い掛かる、香り立つ白檀の枝ごと、傷つき錆びたジャラランガの鱗を削り取る。
     ━━今だ。
     あちらが香りを変えるなら、こちらも別のビートを刻むまで。

     ポニの戦士は光り輝く石の腕輪を掲げた。
     両手を持ち上げ、頭の右横に構える。
     右手が上顎、左手が下顎。
     竜の顎を模した形の両手をなめらかに正面に突き出し、そして大きく斜め上下に開く。
     嵐を喰らい尽くす大顎を描き出す。



     花弁の舞で、白檀の呪縛のほんの一角が断ち切られた、まあすぐに再生するから、などとロズレイドは思いつつ無我夢中で舞い踊っていたら━━突如ジャラランガの体躯が光を纏い躍動した。
     それは、全力の、竜の舞。
     ロズレイド自身も夢中で花弁の嵐に狂喜乱舞しながら、ジャラランガの舞に見入っていた。相手も同じで、無我夢中で舞いながら、こちらを見ていた。
     脳髄がとろけるほど濃厚な薔薇の香り。
     豪華絢爛な金属質の鱗の響き。
     そして二体は舞の腕を競いだす。
     どちらがより美しく、より強く、より輝けるか。舞比べと洒落こもう。
     花弁の舞が敵を傷つける技であるならば、竜の舞は自らを磨き昇華する技である。
     度重なるスケイルノイズで自身を散々すり減らしたはずなのに、更にベノムトラップでぼろぼろに溶かしてやったはずなのに、紅と青の花弁で完膚なきまでにずたずたに刻んだはずなのに。ジャラランガが舞えば舞うほどその青銅の鱗は鋭く研がれ、黄金色の輝きを増す。
     南国の音楽は陽気だけれど、こうなってはもはや耳障りである。飲み込んでやれ、と最後の理性が命じた。あとは濃厚な薔薇の香りの狂気の渦に呑まれた。



     もはやロズレイドは正気を失い、自身の強すぎる毒と香りに酔いしれて、自身の自慢の萼のうなじや托葉のマントすら切り裂きながらも、花弁の舞はますます勢いを増す。
     けれどもう遅い、戦士の全力を受け取ったジャラランガによる全力の竜の舞によって、爪の鋭さも、鱗の硬度も、敏捷性も、すべてが取り戻され、かつ更に磨きがかかった。
     もはや花弁の舞はこの前座でしかない。
     黄金の雨に輝く鱗で、薔薇の花弁を無残に切り刻み、踏み躙ってやった。
     疲れ切ったロズレイドは、もはや丸裸。
    「叩きのめせ!」
     戦士とジャラランガは哄笑した。ロズレイドへと、正面から突っ込んでいく。
     白檀商人は苦笑し、空になった“Full Heal”━━なんでもなおしの容器を地に放り捨て、ロズレイドに呼びかけた。
    「マジカルシャイン」

    ***

     真っ白な光が見えた。
     目が熱くて、痛くて、ポニの戦士は自分の両手で眼球を押さえたままぬかるんだ地面の上をのたうち回った。ジャラランガはどうなったかわからない、何も聞こえなかった、いつの間にか雨音すら聞こえなくなっている。
     ただただひたすらに静かで、暑く、薔薇と白檀の噎せ返るようなにおいだけがあたりに満ちていた。

    「何を……」
    「あなたは最後まで何も見ようとなさいませんでしたね。━━自分でもよく出来た形勢逆転に目が眩み油断する。━━自分の罪を認めない。━━この島の現状が法に基づいた公正なる取引、神聖なる契約の結果であるという事実からすら、目を逸らす。━━そしてロズレイドの薔薇の美しさも、シノワズリの白磁の美しさも、絹のドレスの美しさも、解することができない。ただただ暗い雨雲の下で無暗に騒ぎ立てるだけ」
     白檀商人の奇妙に晴れやかな声が、ロズレイドを呼ぶ。
    「そんなあなた方に、眼球など必要あって?」

    「だから、何を……」
     小さな足音が、近づいてきた。脳裏に、花束の奥に潜む毒の棘のイメージがちらつく。

    「なにを」
     匂いが強くなる。

    「やめて」
     頭が割れそうなほど、強い香り。


      [No.4065] 第二回 バトル描写書き合い会 投稿者:あきはばら博士   投稿日:2018/02/15(Thu) 20:08:43     79clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    Twitterで突発的に行った【バトル描写書き合い会】の作品投下スレッドです。
    指定されたポケモン同士のバトルを1週間で書き、同じ対戦カードで作者ごとにどれだけの違いが出るのかを楽しむ企画です。

    ルール
    ・ロズレイドVSジャラランガ の勝負を書く
    ・シングル1VS1のトレーナー戦で書く

     任意事項
    ・ロズレイド、ジャラランガ、およびそれらのトレーナーの名前は自由
    ・原作や既存のキャラを使っても良い


      [No.4064] 後日談 フィオラケスとナルツィサ 投稿者:あきはばら博士   投稿日:2018/02/11(Sun) 22:22:46     1682clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    時代の後日談となるオマケの話となります。
    後半部分のネタバレあります。ご注意ください。

    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


     月に紛れて風でざわめく草の音の中を走る。
     動く影は二つ、人間の影と、この地方には珍しいゲッコウガというポケモンの影。
     二つの影が茂みを抜けると、その目の前には灯りが燈る洋館があった。

     月明かりから避けるように洋館の壁に辿り着き、背を壁に付けて静かに呼吸を整える。
     彼らの名はカゲマサ、そしてゲッコウガのゲンジ。
     カゲマサが指で合図を送ると、ゲンジは構え、カゲマサはそのゲンジを足場にして大きく跳躍し、真上にあった二階のバルコニーにしがみ付き、音を立てずによじのぼる。ゲンジも長い舌を上に伸ばしてバルコニーの手すりへ絡めて上昇、彼も二階へとよじのぼった。
     バルコニーの窓からは、内側からカーテン越しに明かりが漏れていた。
     窓扉を軽くノックすると、中から単語が返ってくる。
    「シュトゥルム」
    「ドランク」
     その合言葉を言った後、少しするとかちゃりと金具が動く音がして、内側から扉が開かれた。
    「やあ、ひさしぶりだな」
     そう微笑みを浮かべて挨拶したのは、今回のカゲマサの依頼人。フィオラケス・アルビノウァーヌスだ。
     カゲマサはバルコニーを背に寄りかかって、腕を組みながら一言。
    「……用件を聞こう」
     カゲマサは忍者だ。
     この欧州の地からはるか東方にいた諜報部隊である忍者の生き残りで、故郷を捨ててはるばるこの地まで流れてきた。
     その仕事内容は主に暗殺・諜報・密偵と裏の仕事を一手に引き受ける。
     はるばる手渡されてきた手紙には、詳しい依頼内容は実際に会って話すと書かれてあったが、一体どのような依頼なのだろうか?
     フィオラケスは顔を崩さずにカゲマサに今回の依頼内容を告げる。
    「そうだな、 私の明日の狩りを、手伝ってくれ」
    「……????」


     その後「今日はもう遅いからここで寝ていい、明日の朝出発する」と言われ、何もない空き部屋に案内された。
     呆然と途方に暮れるカゲマサは、ゲッコウガのゲンジに尋ねる。
    「……どう思う?」
    『知らぬ』
     罠であることを警戒して、一通り調べてみたがそれらしきものは見当たらなかったため、大人しくその晩はそこで睡眠を取ることにした。


     翌朝、フィオラケスが現われて「友人が来ているから出迎えてくれ」と言うと、また返事も聞かぬままに、立ち去ってしまった。仕方なく玄関に降りてみると。黒髪の娘の姿がそこにあった。
     それはカゲマサの姿を見つけるなり、手を広げながら全力でこちらに走ってくる。
    「うおお、ニンジャだ! 本物のニンジャだ!」
     と言って、両手でカゲマサの手を掴み取り、両手で強く握手をして、
     そのまま腕を大きく広げて、ハグをして、
     そして両肩をガッシリを握って、顔と顔と近づけて濃厚なキ

     ……キスは毎日の鍛練で鍛え上げた回避能力で避けた。日々の鍛錬の大切さが分かる一幕である。
     きょとんとした表情を浮かべる娘の姿を見て、カゲマサはしまったなと気付いた。つい突然のことに驚いてしまったが、一応はここではごく当たり前の挨拶だ。これでは無礼にも淑女の挨拶を拒んでしまったことになってしまう。
     少し悩んだが姿相応の対応をするべきだと考え、その場でひざまずき、女性に対する挨拶として相手の片手を取って一礼をする。
    「おはようございます。はじめましてニンジャさん、私の名はナルツィサ・メランクトーン。ナルって呼んでください」
    「お初にお目にかかる。私は久瑞景昌。姓がクズイで、名がカゲマサ、よろしく申し上げる」
    「よろしくね。 クズイか……、じゃあクズィーだね」
     ドレスのふちを摘まんでおしとやかに礼をしながら、それでいて気さくな名乗りを上げる。
     真白い布地に色とりどりの花模様の刺繍が施された豪奢なピナフォア・ドレスを身にまとい、黒曜石のような長い髪は何かの花を模した可憐な髪飾りを用いて結わいている。ドレスの縁はレース飾りが施され、可憐な貴族の娘という装いだ。
     だが男だ。
     なるほど、確かにカゲマサ同様の噂通りの真っ黒な髪だ、ただ瞳の色はカゲマサの黒と異なり、琥珀色の瞳が輝いている。道ですれ違った男が、思わず心を奪われてしまうのも無理もない嫋(たお)やかな美貌を備えている。
     だが、男だ。
     狩りの装束としては一見ふざけているようには見えるが、あのドレスはそもそも掃除や水仕事を行う際の作業服であり、長い髪も上に縛って邪魔にならないようにしている、下にはちゃんと動きやすい服を着ているようで、何も考えてないわけではなさそうだ。
    「先ほど、ニンジャと申したが、貴方は忍者を知っているのか?」
    「本で読んだ。で、この前忍者についての話をしたら、フィオが『ニンジャ? ああ、あいつだな、戦ったぞ』のことか言ってさ、もうファァァァァ??? って感じだった! そういうことは先に言ってほしいよ、ひっどいなぁ。でも、まさか本当に会えるとは思わなかった!」
     興奮冷めやらず、カゲマサと握手した手をぶんぶんとするナルツィサに、カゲマサは若干引き気味だった。
    「そ、そうか……」
     ポケモンが強い力で引っ張っても壊れない頑丈な船が造れるようになって可能になった牽引船の発明で、海を越えてイッシュを始めとする様々な国や地方の、物資や文化がここ欧州にも入ってくるようになった。中でも日之本の国は東の最果てに位置しているため話題性があり、この地では強い関心があった、忍者や侍が登場する小説や戯曲が作られており、文学を嗜む一部の知識階級によく知られている。
     文学少女(?)であったナルツィサは本を読み漁り、そうした本を通して日之本を知り、憧れを持っていたそうだ。
    「私はニンジャについては詳しいぞ。 ニンジャとは隠密行動をするために色々な隠語で呼ばれていた。 例えば」
     ナルツィサは得意げな声で言い放つ。
    「すっぱだかっ!」
    「?! 違う、透破(すっぱ)だ」
    「草」
    「……ああ、忍びのことを草と呼ぶことはあるな」
    「乱太郎!」
    「……なんとなくあってる気はするが、おそらく、乱破者(らんぱもの)かな」
     どうしてこうなったのか…… 海を越えて伝わった結果、いろいろと間違って伝わっているようだった。
     だがカゲマサとしてはそれで構わないと思っていた。むしろ間違って伝わっていることはカゲマサにとっては喜ばしいことだった、忍者のことを大いに誤解して、敵が自分達のことを間違えた方向に過大評価してくれるならば、それだけ仕事もやりやすくなる。


    「仲良くなったようだな」
    「おはよう、フィオ」
     着飾ったナルツィサに対して、フィオラケスの装いは極めてシンプルだった、緑色の狩猟用の服に、白いモフモフしたファーが首に付いた紫のマントを肩にかけて、腰のベルトからは二本の剣、鞭、ロープ、そしてモンスターを入れるためのボールなどの小物をぶら下げている。
     横にはオンバーンと、ポーカーフェイスで表情が読み取れないインディゴとスノーの二色の猫のポケモン、ニャオニクスを連れていた。
    「ねえ、クズィー! 何かニンジャっぽいニンジツを何かやってよ」
    「……変化の術くらいなら」
    「やった」
    『カゲマサ、あまり調子に乗るな』
     ゲンジは小さい声でたしなめる。
    「まあ、少しくらいならいいだろ? 鏡変化で軽く組手して戻るぞ」
    『……承知』
     溜息をつきながら、浮かれているのだ、とゲンジは呆れた顔で思った。
     彼は忍者というものが大好きなのだ、だからこそかつての頭領のあの発言に怒ってしまい、忍者を大好きだと言ってくれたものが現れると、うれしくてしょうがなくなる。ブリガロンを連れたあの男とも、同じように忍者を気に入ったと言われてコロッと仲良くなるなどしていたので、いつかそれで騙されるんじゃないかとゲンジは心配だった。
     カゲマサとゲンジは横に並び、共に静かに両手で印を結ぶ。
     煙幕を発生させ、一瞬だけ姿を晦ますと、二匹のゲッコウガが現れ出た。
    「ゲッゲッゲ……」
    「ゲッ、ゲコォォォ!」
    「おおっ」
    「なんと」
     二匹のゲッコウガだが、カゲマサの服装はそのままなので、どちらがカゲマサだったかは一目瞭然だった。だが、だからこそ二人は驚愕していた。これは普通に分身をしたわけではないということだからだ。
     ゲッコウガ達は手甲の裏からクナイを取り出し、互いに刃を交えて組手を始める、縦横無尽に跳び回り、双方共に水手裏剣を放った後、再びクナイを交えたところで煙幕。
     煙が晴れると、元のカゲマサの姿とゲンジが並んでいた。
    「忍法、変化の術なりぃ」
     片手にクナイを構えて口上を決めるカゲマサに、二人は拍手で応える。
    「これがニンジツか!」
    「素晴らしいものを見せてもらった」
     横で見ていたオンバーンとニャオニクスの表情をちらりと見えると、彼らも素直に驚いているような顔をしていたので、成功したと言えるだろう。
     これはタネを明かしてしまえば簡単なカラクリで、ゲンジが『実体を練り上げて、それ術者であると認識操作するワザ』みがわりと、『術者の姿を模した虚像を作り出すワザ』かげぶんしんを組み合わせ、カゲマサに重ね合わせることで姿を変えたように見せかける。あとはゲッコウガの鳴き真似や、自前の体術で動き回り、水手裏剣は身に纏ったみがわりを切り崩して、それっぽく発射したのだ。
     本当はゲッコウガ以外にも化けることもできたり、他にも『認識操作するワザ』みがわりを上手に掛けることで、『相手から自分の存在を認識させなく』する《霞隠れの術》など、ワザを組み合わせで様々なことができるが、さすがにそこまでの手の内を見せることはしない。


     カゲマサはフィオラケスに、アルビノウァーヌス家の厩屋に案内された。
    「馬は乗れるか?」
    「ああ」
    「じゃあ、好きな馬を選ぶといい」
     とフィオラケスに言われたので、ゲンジと相談して気が合いそうなギャロップを見繕って乗ることにした。後ろにはゲンジを乗せるつもりなので、ギャロップには悪いが二人乗りである。
     外に出て少し乗り慣らしていると、フィオラケスとナルツィサも自分達が愛用しているギャロップに乗ってやってきた。フィオラケスが乗っているギャロップは何と、珍しい漆黒の炎をたたえる、漆黒のギャロップだった。
    「では、行こうか」
     フィオラケスの案内で馬を走らせて、道を少し進むと、そこには見渡す限りの草原が広がっていた
     山をまるまる一つ抱える、アルビノウァーヌス家の領地は広い。
     ただ、逆に言えばこれだけ手付かずの土地が残っているということは、農耕作に不向きな土地であるということで、持て余しているということになる。
     草や木は充分に茂っているため特別に土地が痩せているというわけでは無かった、ここや近くの山に生息する野生のポケモンが恐ろしく強く凶暴で、耕作地にすると農民が襲われる危険が及ぶために放置している。ポケモン避けの壁の構築や育成技術の進歩に伴い、野生のポケモンに対抗する手段は増えているとは言え、蝙蝠竜の潜む竜穴や、世界の秩序を司る大地の大翠蛇が眠る伝説がある『終焉の山』が近くにあるため、進んで開拓しようとは思わない。
     だが、国に上納する金は土地の広さに応じて上納しなければならず、いくらか免除はあるとは言え、耕作適合地であるか否かに関わらず広大な土地に対して税を納めなければならず、アルビノウァーヌス家は常に貧乏に悩まされていた。先日の戦争にフィオラケスが参加したのも、用意できない上納金を労役で支払うためでもある、という裏事情も存在していた。
     領主にとっては利益を生み出さない土地を持つことはデメリットでしかないが、このような野放しになって野生のポケモン捕り放題の土地は狩猟マニアにとっては天国のような場所かもしれない。


    「……あー ……あー 聞こえるか?」
     先に走っていって、数十ヤードも離れている場所にいるはずのフィオラケスの声が、まるですぐ隣にいるかのようにカゲマサの耳に聞こえてきた。
    「聞こえるよ」
    「聞こえる」
     ナルツィサが返事を返したので、カゲマサもつられて返事を返す。
    「よし、繋がったか」
    「何をした……?」
    「ディーを拠点にして、それぞれの声をリンクして貰った」
    「うにゃぁ……」
     フィオラケスは身体の前に抱えていたニャオニクスを抱えあげて指し示し、遠くにいるカゲマサの方に見せる。ディーとはあのニャオニクスの名前らしい。
    「狩場は広くて大きな声を出しても届かないから、こうして狩りの間はいつもディーに連係を取って貰っているんだ。ああ、もちろん声に出したことしか伝わらないから、頭で変なことを考えていても大丈夫だよ」
    「ナルに言われたくないな」
    「ひどい。私がいつもいかがわしいことを考えていると思っているの」
    「私はいかがわしいとは一言も言ってないぞ」
    「よくも騙したなっ」
    「騙してない。少なくとも、そこでいかがわしいという単語が出てくる程度には考えているはずだ」
    「……ふむ」
     二人のやりとりは放っておいて、フィオラケスに詳しく聞いてみると、これはエスパーポケモンであるニャオニクスの精神感応(テレパス)を用いた複数人会話(マルチメンバーチャット)らしい、ニャオニクスがそれぞれの感覚を読み取って、それを人間とポケモンを含めたメンバー全員に配っている。エスパーポケモンを親にした無線通信システムということになる。
     後で聞いた話によると、頭の中の思考を直接共有させているのはなく、自分が発した声を自分の耳で聞いた、この時の自分の『声を聞いた』感覚を共有させることで、喋った声を伝えているようだった。
     こうすることによって獲物を捕らえる際に、離れたところから互いに意志の疎通をして、集団の連携で追い詰めることができる。
    「面白いな」
    『然り』
    「興味深い、何かに使えないか?」
    『うむ、盗み聴かれる恐れは如何せん。古き歴史を紐解けば同様の手段はあったが、其のために活用も限られていた』
    「ああ、そうか……そうだったな、まあ心の隅にでも置いておこうか」
    『賢明だ』
     テレパシーを用いた集団通話は昔から知られており、かつては戦いの際に使われていたが、盗聴や妨害念波(ジャミング)を受けるため実戦での運用には注意が必要だった。そもそもカゲマサはエスパーポケモンを所持してないため、思い付きで簡単に導入できるものではない。むしろ、使われる側として傍受の方法を探るべきだろうか。


    「オォォォーーン」
    「よし、きたか」
     オンバーンの静かな咆哮を聞いたフィオラケスは声を上げて、オンバーンに追い込みをさせながら、合図と共に彼を乗せたギャロップは駆けだす。
     加速し終えたところでフィオラケスは手綱を放し、背中に背負っていた長弓を構えて、矢の代わりに赤い短剣らしきものを矢枕に乗せて、素早くそして強く弓を引く。
    「……あれは、ポケモンか」
     カゲマサは遠目から矢に代わりに射ようする正体を見極めた。
     射放たれた赤い剣のポケモンは、上空の鳥ポケモンに目掛けて飛んでいき、吸い込まれるようにして命中する。
     羽ばたく力を失った鳥ポケモンの体を、ポケモンから出た剣の穂(柄から伸びる飾り布)が空中で絡めとり拘束して、草むらの中に落下した。
     フィオラケスは手綱を再び握り直し、長弓を背負い直して速度を落としながら、地に落ちた獲物を探しに向かう。
    「お見事、素晴らしい腕前だ」
    「ありがとう」
     普通の色とは少し異なっていたが、あれはヒトツキというポケモンだろうとカゲマサは見た。
     矢の代わりにヒトツキを射る、その特性ノーガードにより多少狙いが外れても、届きさえすれば獲物に必ず命中することになる。だが、いくら自力で浮いているとはいえ、一本の剣と同じ重さの金属の塊を支えて弓で引く、しかもそれを走る馬に乗りながら行わなければならない。それを可能にするためには日々の鍛練と並々ならぬ筋力が必要となるだろう。


     向こうではナルツィサがヒノヤコマに指示を出して、獲物のケンホロウを追い詰めていた。
     ヒノヤコマは進化するとファイアローとなり、殖やしやすく手懐けやすいことから、かつて戦場において無類の活躍を誇っていた。
     出撃して数分で敵陣地に到着し、ブレイブバードを放つだけ。その戦術のシンプルさ故に突破が極めて難しい。いかに強固な城壁を築こうとも空を軽々と越えて突撃できた。尖った岩(ステルスロック)を浮かべるなどの対策を打とうにも、高速スピンで弾き飛ばせるポケモンを背中に乗せて飛べばよいなど、ファイアロー側はその対策の対策を打つ余裕があり、応用の利かせやすさも強さの一つだった。
     攻撃力も防御力も並であり、決して単体で強いポケモンではないが、戦闘に使わなくとも伝令や兵の移動、補給手段の確保など、優秀な指揮官にとって極めて秀でた駒となり。とある帝国に代々伝わるファイアローは他の種に比べて特に素早く、飛行ワザを使わせれば誰一種として敵うことは無かったとされ、帝国はそれを巧みに操ってあらゆる戦いに勝ち続け、大帝国を作りあげたという、そのファイアローは『はやてのつばさ』と呼ばれた。まさに一つの時代の構築したポケモンだった。
    「そのまま旋回、右に切れ」
     ナルツィサの指示にヒノヤコマは大きく旋回するが、オンバーンのようにうまく追い込むことはできなさそうだ。この間合いでは炎の渦で拘束しきることができず、逃げ道ができてしまう。
    「……林に入るな」
    「そうなったら、逃げられちゃうか」
     もし木々の中に潜り込んでしまったらもうヒノヤコマでは追うことができなくなる。
    「中で待ち伏せして、そこで仕留めよう」
    「ありがとうよろしく」
     カゲマサはギャロップを走らせて、林の中に入って行った。

    「こちら、位置についた」
    「OK、行くよ」
     ナルツィサの声から少しして、木の枝葉が擦れる音と共に何かが地面に落ちてきたようだった、急いでその場所に駆けつけて、やや疲れたケンホロウを見つけると、カゲマサは素早くクナイを投擲する。
     クナイは軽々と避けられてしまったが、元から当たるとは思っておらず、その注意を引くのが目的だったので問題は無い。クナイを投げる前に枝の上に待機していたゲンジが、木の上から枝の隙間を縫うようにして、獲物を狙い撃つ。ゲンジの放った[れいとうビーム]が急所の羽に命中し、翼から先に見る見るうちに凍り付いていった。
    「よし」
    『上手くいったな』
     カゲマサはここでの狩りの作法はよく分からなかったが、とりあえず殺さないように絞めて落とした上で、持っていたハーネスでグルグルに縛り上げて、持っていたボールの中に押し込めて収納することにした。

    「お見事」
    「いや、貴方のおかげだ」
    「そんなことはないさ」
     それぞれが獲物を見つけるまでの隙間の時間で、カゲマサはナルツィサといろいろな話をした。
     長らく疑問だった、その服装の趣味について尋ねてみたところ。
     男児よりも女児の乳幼児の生存率が高いことから、この地では昔から男児に女児の服装をさせ、女と扱うことで死神の目から逃れようとすることがあるそうだ。ナルツィサの幼い頃から病弱であったため、長らく女児の格好で生活していた。幼い頃は本気で自分は女だと思い込んでいたそうで可愛らしい服を自ら進んで選んでいたそうで、そんな生活があまりに長かったために、辞め時がなく、ずるずると今に至ったらしい。

     メランクトーン家は元々は地主だった。自分の土地で取れた物を商品作物として市場に売り、貨幣の運用により大きな財を成した。その金で子女を学ばせて官職につかせ、いわば貴族身分をお金で買ったという新興貴族である。
     対して、アルビノウァーヌス家は帯剣貴族と呼ばれる由緒正しい家柄であり、当主は子爵の地位を賜っている。歴史や功績から鑑みれば伯爵を賜ってもおかしくは無いが、高貴は血を嫌い、血を浴びる騎士は下の地位に追いやられるため、血生臭い剣を振るい続ける限り、冷遇されやすい事情がある。
     騎士上がりの爵位として言えば子爵は最高位であり、ナルツィサ曰く「伯爵に近い子爵」らしい。
     そんなアルビノウァーヌス家は常に貧乏と戦っていた、先ほどの領地に対して耕作に適した土地が少ないこともあるが、山を抱えるアルビノウァーヌス領は田舎街で、年々発展していく都市部への人や富の流出があった。封建制度も衰退気味で、台頭する新興貴族の影響で帯剣貴族はやや落ち目となり、このまま行けば家の存続も危ぶまれる事態になっていた。
     そこで思いついたのは領内の新興貴族メランクトーン家と縁戚関係を結び、新興貴族の財産を得るという手段だった。両家の奥方の妊娠がほぼ同時期に発覚した時に、アルビノウァーヌス家の当主は、まだ妊婦だったメランクトーン家の奥方を乳母として雇い入れて、あわよくば生まれたその二人が将来婚姻できればいいと画策した。
     その企みは二人の性別が同じであったために水の泡と化したが、そうして生まれたフィオラケスとナルツィサは乳兄弟として幼い頃から共に育てられたそうだ。乳兄弟の場合、乳母の子はそのまま従者になるのが普通だが、そういうことにならず幼馴染ということになった。
    「クズィー、今回の依頼だけど、驚いただろう?」
    「ああ、驚いた。一体何を依頼されるのだろうかと思っていたら、狩りを手伝ってくれとは……」
     
     報酬は昨日のうちに貰っていたため不満は無い。またカゲマサは自給自足して森で食糧を調達する生活をしており狩猟には多少の覚えがあるので、不慣れというわけではなった。
    「私は、フィオは先日のリベンジ決闘でも申し込むんじゃないかと思ったよ」
    「その可能性は捨てきれぬと、その準備もしていた」
    「勝てそう?」
    「そうだな…… 手加減ができないのが辛いか」
    「どういうこと?」
    「前回の戦いは、相手がゲッコウガというポケモンを知らないことを利用して短期決着を狙ったために勝てたようなもので、相手がやりたいことをやる前に叩いたが、もう次はそういうわけにもいかないだろう。また、あの時はスタジアムの狭さというオンバーンにとって不利な場であった、このような広い場所で戦うと勝てないだろう。明らかに地力で負けているから、相手は牽制のつもりでもこちらは全力で対処しないと押し負けてしまう。できれば多少の手加減ができるくらいの余裕が欲しい」
    「なら、どう攻める?」
    「なんとか気配を消して、懐に潜り込む策を考えるしかないな」
    「ふーん」
     ナルツィサは真顔になり、その回答に詮索はせず、話題を切り替える。
    「今回、クズィーをここに誘ったのはいろいろと事情があってね。ベーメンブルクの一件以降、周りの諸侯達の間で不穏な動きが見え隠れしている。形式上は反乱は鎮圧されて王国の勝利という形に終わったが、新教徒の不満は未だに燻ったままになっている」
    「うむ」
     カゲマサは先日のベーメンブルクの戦いに参戦した。その際に一度は降参したが、それを無効にして再戦して勝利し、民衆軍を勝利に導いた。
     だがその後、王国を束ねる帝国本邦から『あの降参は有効である』という達しが下ったことで一転し、王国側の勝利に覆ってしまった。さらにこの一件は王国内での内乱に留まらず、その上の帝国の本軍までもが介入して圧力を加えてきた、これ以上逆らうと帝国軍が直々に戦うと脅してきたのだ。
     民衆軍はさすがに帝国軍相手では勝ち目はないため、相手の言うことを聞くしかなくなってしまった、新教徒諸侯の領地が大幅に削られ、国内の新教徒への締め付けが更に強まるという不本意な結果に終わってしまった。
     カゲマサは日之本にいた頃より祖霊土地神を信仰しており、旧教徒でも新教徒でもないため、この宗教対立のどちらかに肩入れをする気はなかった。そのため速やかに身を隠して行方を眩ませた、不用意に居座れば帝国軍に命を狙われかねず、民衆軍に担ぎ上げられるのも断じて避けたかった。あくまでも、何も持たない影なのだ。
    「いくらでもやりようのある流れではあったけど、信仰の違いという非常にデリケートな問題に対する回答としては、いささか強引だった」
    「そうだな、まさかこんなことになるとは思わなかった」
     戦った当事者だったカゲマサとしては、降参の取り下げは流石に無茶だったという自覚はあったわけで、取り下げも止む無しと考えていたが。喧嘩両成敗ということで新教徒に寛容だった頃に戻し、お互いに折り合いがつくだろう思っていたところ、この結末は予想外であった。
     いくらベーメンブルク王が皇帝の名家の血筋だからと言って、自治の独立が認められている一地方に対してこのような必要以上の干渉してくるのはあまりに不可解だ。おそらくは何かの影がそこに渦巻いているのでは、とカゲマサは感じ取っていた。
    「フィオや私たちにとって幸いなことは、このアルビノウァーヌス家の領地は中心から外れていて、戦場になるということはないことだね」
     アルビノウァーヌス領は帝国中心部よりもカロス国境との距離の方が近い、帝国から派兵通知が届いても理由を付けて拒んでも構わないため、何者かが領土を横断するようなことが無い限りは、戦争に巻き込まれることはない。
    「一応……ありうるとすればカロスとの戦争になる場合か」
    「いやしかし、いくら帝国とカロスの仲が悪いと言えど、今回は宗教対立である以上は手出しをしてくることは無いだろう」
    「カロスは帝国と同じ旧教国だからな、援軍くらいは送ってきそうだが、カロスもカロスで国内に問題を抱えている。うかつに手を出せばカロス国内の宗教対立の火種を誘うことになるから静観するだろう。余計な首をつっこんで火傷したくはない」
    「まあ、カロスが攻めてくるなんてバカなことはありえないだろう」
    「ありえんな」
     なおこの後、宗教戦争だったにも関わらず旧教国が味方のはずの旧教国に攻め込むという“ありえないバカなこと”が本当に起こるのだが、この時点の二人にはそんなこと全く予想もつかなかった。

    「御存じの通り、アルビノウァーヌス家は古くからある武家貴族で、領地も辺境にあり、あまり社交界での交流は無い方だ。古くからの繋がりでそれなり情報は流れてくるが、有事の際にもその身と剣一つで解決していたこともあり、他を頼るようなことがなかった。今の状況はしばらくは静観できるが、少々心もとないところがある」
    「なるほど、そういうことだったのか」
    「お、理解が早くて助かるね」
     アルビノウァーヌス家は武闘派で名を馳せた反面、細かい工作が苦手であり、フィオラケス・アルビノウァーヌスは裏方で動ける隠密のカゲマサと今のうちに接触しておき、今後のいざという時に裏方で行動できる存在と繋がりを持とうとしていたのだ。
     ただ、何も起きてない今の状況では正式な仕事の依頼は何もない。かと言って、ただ会うだけでというわけにも行かない。そのため、とりあえず趣味の遊びに誘うことになったのだ。
    「世間一般的には、お茶会やパーティを開いて、それに招いたりするけど、フィオはそういうガラじゃないし、クズィーもそういうの好きじゃないだろう?」
    「ああ、こういう狩りの方が気楽でいいな」
     剣を交えて負かした因縁のある相手に突然呼ばれて食事なんか出されたら、間違いなく罠と考え、毒が盛られていることを警戒する。
     それはどう考えても悪手だ。
    「……まあ、そういうわけだけど、依頼主と手先の関係ではなく手軽に会って話ができるように、私個人的としてはクズィーとフィオが仲良くなってほしいと思っているんだ」
     ナルツィサはまっすぐ前を向きながら言葉を続ける。
    「あいつ、友達いないから」
    「ぐふ……」
     不意に言われたその言葉が何故だかツボに入り、思わず吹き出してしまった。
    「こんな時代にも関わらず、騎士の修行なんか始めるくらいすごくマジメでさぁ。なのにいろいろと誤解されやすいんだよなぁ」
    「…………」
     そのいろいろな誤解はほとんどナルツィサの仕業であることを、カゲマサは知っていたが、黙っておくことにした。
     私事ではこのような女の装いをするナルツィサだが、公の場では一転してしっかりして、商政を引っ張る新興貴族の一角として名を馳せている、また法の知識にもについて研究する学者でもあり教会からの信頼も厚い。「こんな品格公正な男が、あのようなことをするわけがない、あの変人フィオラケスの趣味に付き合わされているのだ」というのが世間からの評価となっている。
     人たらしで世渡り上手で、良く思われやすいナルツィサの奇行の原因は、フィオラケスであると、とばっちりで濡れ衣を着せられているということになる。
    「まあ、良ければ仲良くしてやってほしい」
    「あ、ああ」
    「……聞き捨てならないぞ、どういうことだナル」
    「!? ってフィオ、いつから聞いていたんだ」
    「一番最初からだ」
     突然聞こえてきたフィオラケスの発言に驚くナルツィサ。こうした狩りの最中はニャオニクスを用いたチャットネットワークは繋ぎっぱなしのため、ここまでの会話がダダ漏れだったようだ。
    「友達がいないから仲良くしてくれだなんて心外だ。 ……いや、まあそうかもしれないが、ナルには言われたくないな」
    「どういう意味だ、それ」
    「……あー」
    『主は黙ってろ』
    「そうだな」
     とりあえず何か言おうとしていたところをゲンジに止められたので、その場では大人しく二人の会話を黙って聞くことにした。


     充分な獲物を得られたとのことで、日が傾き始める頃に狩りを終えて、屋敷へと帰還した。
     本日の獲物はフィオラケス自らの手でナイフをふるって解体し、血抜きと乾燥などの処理を済ます。ポケモンの皮膚は極めて硬く、高い再生能力も持っている。吊し上げて血抜きを済ませたビーダルを、屠殺台に並べて、硬い皮膚を目掛けて両手で短刀を突き刺す、刺さったら瞬時に筋にそって引き裂き、毛皮を剥がしとる。ビーダルの毛皮は水を弾き、極めて保温性が高いため、市場では高く売れる。作物が育ちにくいアルビノウァーヌス領においては貴重な収入源となっている。また、真冬の雪が積もる川の中で生活できるビーダルの肉は極めて脂身が多いため、ここでは貴重なエネルギー源でもあった。
     今日はカゲマサがいたために特別に量が多い、時間が経つとそれだけ劣化していくため、秒単位でいかに早く処理を済ますかがカギであり、フィオラケスは一心不乱にナイフを突き刺しては次々と屠殺加工処理を行っていく。カゲマサは鬼気迫る顔で向かい合うフィオラケスの後ろ姿を驚きの表情で見つめていた。ポケモンの身体は固いため、人力で解体するにはとてつもない馬鹿力が必要なのだ。
     そこに、ドレスを脱いでジャケットに手を通し、簡単に着替えて来たナルツィサが現れた。
    「フィオ〜 例の件だけど、進めていいか?」
    「構わない。是非進めてくれ」
    「OK じゃあ、クズィー、こっちに来てくれ」
     ナルツィサはカゲマサを手招きして、屋敷の奥へと案内する。
     通された部屋は、壁の棚にはたくさんの書物が収められ、机と椅子がいくつか並ぶ、執務室だった。
     ナルツィサは大きな机の引き出しから一枚の羊皮紙とインクを取り出すと、ペンを片手にナルツィサは言う。
    「協定を結ぼう」
    「協定……?」
     ナルツィサは羊皮紙の上をペンを走らせながら、その内容について細かく説明をする。
    「アルビノウァーヌス家―クズイ氏間において、不可侵として互いに社会的危害を加えることを禁じる。及び友好協定として以下の提供を行う」
     なるほどそういう話が始まるのか、と察してカゲマサは立ちながらその内容を聞く。
     今は忙しいフィオラケスに代わって、乳兄弟であるナルツィサが代理で協定を結ぼうということらしい。
    「クズイ氏。フィオラケス・アルビノウァーヌスからの連絡手段を確保する。ただし依頼の拒否権は認めるとする」
     これは今回の依頼のように『いつ届くのか分からず、届かないかもしれない不確定な連絡手段』ではなく、呼んだらすぐに来るようなホットラインを作って欲しいということだ。ただ断ってもよく、強制力はないようで、これに関してはカゲマサは問題ない。
    「対して、フィオラケス・アルビノウァーヌスより対価として提供することは3つ。まず、アルビノウァーヌス領からカロス国境を越える際の、関の通行手形を発行」
    「ふむ」
     カゲマサのかつての里の仲間達はカロスにいる、凱旋帰郷というわけでは無いが、いつかはカロスに挨拶しに戻ろうと思っていた。前回のようにまた密入国をしようかと目論んでいたが、それならばその手間は省けそうだ。
    「アルビノウァーヌス家所有の一般書架への出入りの許可。そのためにクズィーには屋敷の臨時掃除人として登録しておくよ」
    「書架か」
     本が貴重品であるこの時代に、貴族が所有する本を読む機会が得られるのは嬉しい。情報集めもだいぶ楽になりそうだ。
    「そして、私が所有している婦女服をいくつか寄与する」
    「……?!」
     これは…… 正直あまり認めたくはないが、大変有り難いことだった。
     平民の娘服や貴族の紳士服なら容易だが、貴婦人服は極めて入手が難しい、さらに服はすべてオーダーメイドで、女性のラインぴったりに採寸されて作られているため、仮に手に入れても男の体では着ることはできないだろう。
     多少の調整は必要になるが男性の体に合わせて作られた女性服が手に入るとすれば、変装潜入の選択肢はぐっと多くなる。……まあ、着たくはないが、選択肢は多いに越したことは無い。
    「そんなところでどうだ?」
    「……契約の反故について聞きたい」
    「これは契約ではなく協定だ、好きに反故にするといい。が」
     脅しか凄みか、ナルツィサの琥珀色の瞳が鋭く光る。
    「不可侵を破り、然るべき対処を行うことになる」
    「そうか」
     協定が破棄されればそれまで通りの、敵かもしれない関係に戻ることになるだけで、違約金があるわけではない。連絡手段の確保は、確実に届くように複数用意することになるが、これに関してはさほど苦ではない。三つの対価に関してはどれもカゲマサにとって嬉しいものであり、むしろ貰いすぎではないかと心配にはなったが。関の手形も書架も許可を出すだけであって、婦人服はようするに彼が着なくなった服の在庫処分ということで、彼らは全く金を払ってないということになる。全体的に見ればカゲマサにとって有利な条件であった、なにより貴族の後ろ盾に近いものが得られるのは嬉しい。
     この程度であれば口約束で済ませても構わないとは思ったが、断る理由というものは無かったので、羊皮紙にサインして、カゲマサは執務室を後にした。

    「それにしても……」
     ずいぶんと踏みこんだ内容の協定だった。その内容からして、よほどカゲマサは気に入られていたようだった。
     ……しかしどうもおかしい、今日の狩りの最中にずっと話していたナルツィサから信頼されていたのならばまだ分かるが、あれはフィオラケス・アルビノウァーヌスとの契りなのだ、今日の狩りでフィオラケスはカゲマサとほとんど会話を交わしてないし、そこまで信頼される理由も分からない。いくら代理とはいえ彼の独断で結べるような内容ではないはずだ。そんな会話……あれ、かい、わ?
    「まさか…… あの狩りの間の会話を、全部聞かれて、それで」
    『主、まさか今になって気付いたのか』
    「……うかつなことを口を滑らせてなかっただろうか」
    『む、間抜にも再戦時の戦略について聞き出されていた他に在ったか……?』
    「…………」
     どこまでがナルツィサの掌の上なのかは分からないが、奇抜な姿で近づいて人の心に寄ってくるナルツィサはとんだ食わせ者だったようで、「ナルツィサには気を付けろ」という言葉もしっかりと胸に刻まないといけないとカゲマサは思い知った。


     その日の晩御飯はスープをふるまわれた。
     野菜はくたくたになるまで煮込んだ後、灰汁を捨てて、味をすべて殺した野菜のカスのようなものを鍋に投入し、ビーダルの生肉をブリーの実のジャムで漬け込み、柔らかくなったものを薪火で焼いて、それも鍋に投入する。
     最後に小麦を練って叩いて切って少し乾燥させて作った太めのパスタも鍋に投入して、煮込んでスープを作った。
     食後にナルツィサは「この料理、クズィーの故郷ではどう言うんだ、漢字で書いてくれ」とカゲマサにせびってきた。本来の料理とはとても似ても似つかぬような気がしていたが、カゲマサは少し悩んだ末に彼の服に墨で書いてあげた。

     鍋焼饂飩(なべやきうどん) と



    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

    Q:アルビノウァーヌス領って?
    設定上はカロス地方レンリタウンから西に山を越えたあたりです。オンバーンの生息地の山を所有しており、その麓を含めた一帯を領土としているので広さだけはあります。メランクトーン家の土地はその中にあります。貴族の土地の所有ルールはよく分からないので適当にボカしたいです。

    Q:乳兄弟って?
    A:高貴な家では、子育てのような雑務をすべきではない、より栄養価の高い母乳で育てるべきだと乳母を雇うのですが、乳が出るためには同時期に子を出産している必要があるので乳母にも子がいます。この子供と乳母の子は兄弟同然で育てられ、乳兄弟という間柄になります。
    だいたいの場合はそのまま主人と従者の関係になり、乳母の子はお付きのお世話係になることが多いです。義理の兄弟のため、乳兄弟同士の結婚は禁じられている場所もあります。

    Q:帝国って?
    A:神聖ローマ帝国をモチーフにしてます。神聖ローマ帝国は国の集まりに過ぎず、国王の中で選挙を行って、選ばれた王が国王と皇帝を兼任します(選帝侯)。むやみに導入すると話が複雑になるので、時代執筆時はこの帝国設定を全く考えてませんでした。
    ベーメンのあの国王は皇帝ではありません。今の皇帝はウィーンあたりにいて、帝国の中心部はそこにあるイメージでいます。

    Q:フィオナルの街遊びはどこでやってるの?
    A:二人ともガッツリ馬(ギャロップ)に乗れるので、当時の貴族では考えられないくらい行動範囲が広いです。領内で遊ぶだけなら「またあの子息は……」と苦笑いされるだけで済むのに、帝国中の市街地(ベーメンブルクなど)を渡り歩くので知らない男がナルに騙されてトラウマを植え付けられる事態が起こります。

    Q:ナルはなぜ執務室に出入りできるの?
    A:フィオは字が下手なので自分の書類仕事をすべてナルに任せており、ナルが代筆してます。なおナルは、婦人服はすべてフィオラケスの名前で発注しております。

    Q:ナルが前半と後半でキャラが違う……。
    A:公私を使い分ける人で、表の顔は貴族の実務を一手に担うイケメンという設定なので。同じ人が喋っているように頑張りましたが、もっとうまくかき分けがしたいです。

    Q:なぜクズィーと呼ぶの?
    A:ビジネスパートナーとして扱っているので苗字で呼んでいます。


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