マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ
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  •   [No.2257] 「本日だけの限定販売ですよ、お客さん」 投稿者:巳佑   投稿日:2012/02/22(Wed) 11:49:14     113clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
    「本日だけの限定販売ですよ、お客さん」 (画像サイズ: 384×550 48kB)


     ネイティオの顔アイスが三つ乗ったトゥートゥートゥーアイス!
     
     口どけがよくてさわやかな抹茶味のアイス。
     濃くて甘い黒ゴマ味のアイス。
     はたまたチョコレートなどなどが使われております。

     そして、このアイスには一つオマケがありまして。
     なんと当たれば、誰か好きな人の過去か未来をちょっとだけ覗けるかも?
     タブンネ。

     価格は赤字覚悟の税込222円!

     食べる時は落下に気をつけながら食べましょう。

    (本日だけの限定販売ですので、お早めのご購入を!)




    【描いてみました】
     本日、2が三つ並んでいるということで、やってみました。(笑)
     トゥートゥートゥー。  

     ありがとうございました。

    【何をしてもいいですよ♪】
    【ぜひ食べてやってください】
    【トゥートゥートゥー】


      [No.2256] 感想書くまで何マイル? 投稿者:音色   投稿日:2012/02/21(Tue) 22:28:48     102clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

     またとんでもない爆弾がおっこちてるんだが。
     タカマサさんってあれだよね、鳩さんが全力でネタにしているショールの。
     ・・・。
     なんか、俺なんかが書いててすいませんって感じになってきたよ。リアルすぎるよ。怖いよ。
     感想楽しみとか鳩さん気楽に言ってるけど気楽に感想書けないよ。
     レベルおかしいよ。タカマサさんすげぇ。
     考える前にぞくっときた。どうしよう。常に虚構の世界に逃げてる俺はそこすらも封じられたらどこに行けばいいですか。
     あぐぐぅぅ、読んだら唸ってしまう。笑えない。他人事じゃないっす。刺さる。


    【好きだけど怖い、けどすごい。語彙力がないって悲しい】


      [No.2255] ど う し て く れ る 投稿者:音色   投稿日:2012/02/21(Tue) 21:25:04     90clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

     なんか刺さった。えぐられた。

    >  だが目の前に倒れ伏し、泣いているのは、両腕を失った自分の死体だった。


     この一文の破壊力。
     どうしてくれるんですかタカマサさん


      [No.2254] 空を望む人影 投稿者:夏菜   《URL》   投稿日:2012/02/20(Mon) 03:57:13     94clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

     僕が生まれて初めて見たものは高い高い空をかけて行く大きな生き物だった。

     気がつくと荒野に一人たたずんで空を見上げていた。守ってくれる親や仲間などいるはずもなく、
    身を守るすべや生きるすべを知ることもなかった。
     のこのこと歩いていたら怖い目にあう。これだけは理解するのに難しくなかった。
    ひ弱な体をふらふらさせ、一匹で歩く姿は恰好の的なのだろう。
     こそこそと物陰で寝泊まりし、細々と食いつなぐ生活……
     頭の中にはただ一つ。 あの空を自由に駆け回るんだ!
     どうすればあの空を走れるようになるのか、全く分からないけど前へ進むことしか頭になかった。
    あの生き物が進んでいったほうへ……それがきっと空に繋がっているはずだから……
     ただただ前に進んだ。前へ前へ。空へ空へ。


     そうしてどれほど進んだのかわからなくなっても、さらに歩き続けてたどり着いた森の入り口。
     木に片足をかけた鳥が不思議そうに首を曲げ、ただただ空を見上げ前へ進む僕を見ていた。
    「お前はどうして空を望んでいるのかな?羽がないものは地に足跡を付けながら生きるしか術がないだろうに。」
     そう何気なく言った鳥は、木にかけた片足を外し僕が願ってやまない空へと軽々と、飛んで行った。

     しばらく鳥が去った方を呆然と見ていた。
     なぜ気付かなかったのだろうか……確かに空を駆ける者はすべて羽を持っていた。
     そしてそれは僕にはついていないものだった。
     ふと冷たいしずくがほほを伝った。悲しくて悲しくて。ただただ空を夢見て前へ歩いてきた心に、ぽっかりと大きな穴が開いたようだった。
     涙の足跡を作りながら、とぼとぼと森を進む。
     もう少しで広い広い空を遮る鬱蒼とした木々もなくなりそうな気配がしてきても、僕は一向にうつむいていることしかできなかった。

     高くて手の届かない空の元に出ていくのが悲しくて、ゆっくりゆっくり森の中を進んでいたとある晩。
    目の端にかすかにきらきら光るものが見えた気がして、そっと光のほうへ近づいてみた。
     木の陰から光を覗くと、どうやら森でよく見かけた木や地面にひっついて動かなかった者たちが光っているようだった。
     その光がだんだん強くなっているみたいで、あたりは月の光が地面を照らすよりももっと明るくなってきていた。
     綺麗な光景に声をなくししばらく眺めていると、木に張り付いていた者たちから羽が生え、木から、地面からふわりと、足が離れたのだった。

     飛んだ……。

     彼らは最初こそ頼りなくふわふわしていたものの、次第に羽をひらりひらりと躍らせて一匹、そして一匹……と夜空へと舞って行った。
     初めて目にした進化に僕の興奮は止まらなかった。
     今はひ弱で羽のない小さな体でしかないけど、僕たちには進化がある!!いつかきっと力強くなってあの空だって駆けまわれるようになるに違いない!!!

     そうだ。まだあきらめるには早い! まだまだ。前へ!前へ!
     森を抜け、地を駆け、もっともっと先へ!
     そしてあの空へ! あの果てしなく広がる広大な空へ!!



     ……そうして歩き続けてるうちに僕は大きくなっていた。
     手足が大きくなり、体は逞しくなって、しっぽだって見違えるくらい太くなった。そうして……羽は……。

     僕はいまだに空から遠く、あの者たちのようには舞うことができず、地面にへばりついて足跡をつける毎日。
     結局僕はあそこに行くことができなかったのだ。
     それでも……と僕は歩きだす。

     僕は大きくなった。逞しくなった。
     ひ弱な体で歩き回り恰好の的になっていた僕は、今や返り討ちができるほどに強くなった。
     空には手が届かなかったけれど、それなら僕は僕のやり方で空に挑戦してやろうじゃないか。
     この地面にたくさんの足跡を残して、あの大きな空からでも駆けまわる僕が分かるように。

     僕は僕のやり方であの空を目指そう。


    **********

    コンテスト参加した小説を修正しました。
    多少はましなものになった!!はず!!ですwww
    けど、厳しい評価大募集ですwww

    タグは 素敵にしてくれてもいいのよ っていう感じで。


      [No.2253] 大好きな作品です。 投稿者:No.017   《URL》   投稿日:2012/02/20(Mon) 02:00:28     93clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    一番は砂漠の精霊(http://masapoke.sakura.ne.jp/novels/takamasa/seirei.htm)ですが、
    この作品も大好きです。
    ぜひマサポケの皆さんに読んでいただきたいと思って、ご本人にアタックしてお願いしてみました。
    みんなの感想が聞きたいナー。


      [No.2252] 「マサラタウンまで〜」「セロ弾きの〜」の2作品に関して 投稿者:タカマサ   《URL》   投稿日:2012/02/20(Mon) 01:32:27     91clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    どうも、はじめまして。もしくはお久しぶりです。
    「マサラのポケモン図書館」先代管理人のタカマサです。

    今回投稿させていただいた「マサラタウンまで何マイル?」「セロ弾きのエレキブル」の2作品は、それぞれマサポケ発行の同人誌「LAMP」「Report」に掲載したものです。
    自分としてはもうポケモンジャンルからはすっぱり手を引いた気持ちでいたのですが、今回、No.017さんから投稿してみないかとのお誘いを受け、自分としてもこの2作品を死蔵させておくのは惜しいという気持ちもあったので、投稿してみることにしました。

    内容的には同人誌に掲載したものに手を加えていません。
    初めて読むという方にも、少しでも楽しんで読んでいただければ嬉しいです。


      [No.2251] セロ弾きのエレキブル 投稿者:タカマサ   《URL》   投稿日:2012/02/20(Mon) 01:25:52     121clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

     町はようやく戦災から立ち直ろうとしていた。
     空爆の焼け跡にはバラックが立ち並び、かつての繁華街には闇市が立ち、活気に溢れていた。道行く人々にも笑顔が戻りつつあった。

     正午を告げる、時計台の鐘の音が風に溶ける。
     闇市の立つ裏通りの場末では、ふと流れ出した音楽が人々の耳を捉えた。チェロの音色である。雑音交じりの、不器用な演奏であった。しかしそれでも人々は「おっ、始まったか」と賑わいだし、演奏者の周りにはすぐに人だかりができた。
     目を丸くしているのは、人だかりに引き寄せられて初めてそれを目にした新参の者だろう。人垣の中、どっしりとした巨体を地に下ろし、古ぼけた大きなチェロを抱えて演奏しているのは人間ではない――雷電ポケモン、エレキブルである。
     エレキブルの座している辺りでは、コードや電線が絡み合って、あちこち錆び塗装の剥げた変電器を取り巻いていている。時おりパチ、パチッと火花が飛ぶ。周囲のスラムに暮らす人々がめいめい勝手に電気を引くため、常にどこかしらショートしているのだ。電気ポケモンのエレキブルにとっては格好の「指定席」だ。
     彼の演奏会は既にこの町の名物となっており、町の人々は彼を童話の主人公になぞらえ、『セロ弾きのエレキブル』と呼んでいた。

     やがて彼は、勇壮で格調高いクラシックの演奏をたどたどしくも終える。
     割れんばかりの拍手。演奏を終えた彼は聴衆に向けて丁重に礼をする。その顔つきと図体に似合わない上品なお辞儀に、聴衆の一人が吹き出したが、隣にいた常連客にたしなめられる。
     セロ弾きのエレキブルは誇り高い音楽家なのだ。

     さて、その日の夕方のことだ。
     エレキブルは再び「指定席」に現れ、チェロの演奏を披露していた。第一楽章の展開部に入ったとき、急に、近くから、エレキブルの演奏とは全く違った調子の、美しい歌声が聞こえてきた。見ると、すぐ近くの街頭で、一匹のプリンが歌っていた。
     エレキブルの周りに集まっていた人々の耳目が、プリンの歌へと集まる。音楽としては、その歌の方が自分の不器用なチェロ演奏よりも遥かに美しいことは、エレキブルも認めざるを得なかった。しかも、プリンの明朗で楽しげな歌声と、エレキブルのチェロの重く落ち着いたメロディーとが重なった結果生じるのは、ひどい不協和音であった。
    「一緒に聴くと聞き苦しいわねぇ」
     聴衆の一人の老婆がこぼす。
     仕方なくエレキブルは、それまで演奏していた曲を止め、プリンの歌に合わせた伴奏を弾き始める。
     ところが、その途端、プリンの歌はまた全く調子の異なった、哀愁漂う静かな曲へと変わる。
     エレキブルがどうにか合わせようと自分の演奏を切り替えても、プリンは逃げるようにまた別の曲へと切り替えてしまう。まるで追いかけっこだ。不協和音は続く。
     どういうつもりだ、とエレキブルがプリンの方を睨むと、プリンはエレキブルに向かってふふっとほくそ笑んだ。はっきりとした悪意を感じる笑みだった。
     わけもわからぬ、唐突に向けられた悪意。エレキブルは混乱しつつも憤りを覚えた。しかしプリンの歌に聞き入っている人々の笑顔を見ると、そこに割り込んで怒鳴りつける気にもなれない。
     仕方なくエレキブルは店じまいをし、ちょうど鳴り始めた晩鐘に追われるよう、その場を立ち去った。

     それで終わりではなかった。
     その後もそのプリンは、なぜかエレキブルの近くにばかり陣取って、自分の歌声を披露した。エレキブルがいくら場所や時刻を変えようと、すぐにプリンが近くにやってきて、エレキブルは追い出される、ということが繰り返された。
     なぜだかはわからないが、プリンははっきりと嫌がらせのつもりで、エレキブルの邪魔をしていた。
     とうとう耐えかねたエレキブルはその日、歌い終えたプリンを呼び止めて、その件について問いただした。
    「なんだ、いつもボクの近くで下手糞なチェロを弾いているエレキブルじゃないか。何のつもりだ、とはどういうことだい?」
     開口一番これである。危うく頭に血が上りかけたが、どうにか抑える。
    「分かりきっているだろう。何故いつも俺の演奏の邪魔をするんだ? 俺に恨みでもあるのか?」
    「邪魔だなんて、ひどい言いがかりだなぁ。ボクは自分の歌いたい場所で歌っているだけだよ?」
    「ふざけるな!」
    「アハハ、ふざけてなんかないさ」
     エレキブルは声を荒げて怒鳴りつけるが、プリンはのらりくらりとかわし、取り合わない。愚直な性格ゆえ、真正面から言い合おうとするエレキブルは疲労感を蓄積させるばかりだ。
    「わかった。そんなにお前が俺の近くで歌いたいというのなら、それはよしとしよう」
     エレキブルは努めて冷静になろうとしながら、話題の矛先を変える。
    「それならば、何故いつも俺の演奏と正反対の曲ばかり歌っているんだ? もしお前が望むのならば、お前の歌に俺の伴奏で協演してもいい」
    「やなこったね。アンタの下手糞な伴奏なんか。ボクの歌の品位が下がってしまう」
     エレキブルの内心でカッと怒りが燃え上がったが、言い返す言葉は出てこなかった。『下手糞』――そう言われても仕方ないほど、自分の演奏技術がプリンの歌の美しさに及んでいないことは事実だったからだ。
     ぐっと言葉を詰まらせるエレキブルの様子を窺って、プリンはニヤリと笑う。
    「聴衆はボクの歌を支持している」プリンは言った。「ボクの歌とアンタの演奏が衝突して、いつもアンタの方が追い出されるっていうのはそういうことだろう? アンタが自分の自由に演奏したければ、逆にアンタの演奏でボクの歌を打ち負かせばいい。それとも、そんな自信は無いかい?」
    「貴様……!」
     何か言い返したかったが、エレキブルは口をつぐむしかなかった。何を言っても負け惜しみにしかならない。
     体格の差で言えば、自分より遥かに小さなこのプリン。だがこの場では、圧倒的な実力差の上に胡坐をかいて自分を見下ろすプリンを、エレキブルは見上げる立場にあった。
     悔しさに歯軋りするエレキブルを見て、プリンはけらけらと笑って言う。
    「まあ、身の程を知っているだけまだアンタは利口かもしれないね。で、話はそれだけかい? では、ボクはそろそろ失礼させてもらうよ」
     風船がはねるような、ふらふらと地に足のつかない独特の動きで去っていくプリンの背中。
     夕刻の街。エレキブルは地面の瓦礫を思いっきり蹴飛ばしたが、その音は、山へと帰っていくカラスの大群のけたたましい鳴き声にかき消された。

     その夜。町外れにある、戦火に焼かれたかつての豪邸の跡。
     ここをねぐらと定めているエレキブルは、今宵も独り、チェロの練習に励んでいた。
     夕方、プリンとの言い合いで大いに気を悪くしたばかり。エレキブルは自分の気を落ち着けるため、最も得意とする、お気に入りの曲を弾いていた。自分が初めて覚えたヴァイオリン曲の、チェロ独奏のためのアレンジだ。
     爆撃で空いた天井の大穴から、上弦の月が覗き見える。
     月光が、弓を操る自らの右腕を照らす。おおよそ楽器を操るに相応しくない、大きくて太く、ごつい腕。
     エレキブルはこの腕が今よりもまだ細く、器用に動いていて、弓を上手く操ることができた時のことを思い出さざるを得なかった。

     かつてこの邸宅には、名の知られた音楽家の一家が住んでいた。
     その家に生まれた彼は、しばらくの間自分もまた人間であり、成長したら音楽家になるものだと信じていた。
     エレキッドから成長し、エレブーに進化した彼はすぐさまヴァイオリンの練習を始め、瞬く間に人間の音楽家たちさえ目を丸くするほどに上達した。
     しかし、戦争が彼の運命を狂わせる。
    「ごめんよ。お前はこんな姿になりたくはなかっただろうけど……」
     今の姿に進化させられたエレキブルを前に、彼が母と仰いでいた人間が最初に告げた言葉は、今もはっきりと脳裏に焼きついている。
    「どうかそのたくましい二の腕と、雷の力で、私たち一家を守っておくれ」
     戦局が不利に傾き、敵軍の本土進攻の可能性が囁かれる中、音楽家の一家は身を守るためのより強力なポケモンを欲し、エレブーをエレキブルに進化させた。
     それと引き換えに、エレキブルはヴァイオリンの演奏技術を失った。
     進化してから初めて、ヴァイオリンを持とうとした時の絶望感は今も忘れられない。エレキブルのごつく、力強い二の腕は、エレブーのそれに比べて遥かに不器用であり、ヴァイオリンの繊細な演奏にはいかにも不向きであった。
     だが、彼は音楽家の夢を諦めなかった。ヴァイオリンをより大型のチェロに持ち替え、死に物狂いで練習を重ねた。そうして彼は、エレブーだった頃には遥かに及ばないものの、どうにか聴くに堪えるほどのチェロの演奏技術を取り戻すことができたのだ。
     やがて、彼の進化の甲斐もなく、音楽家の一家はあっさりと皆死んだ。軍需工場を狙った大型爆弾の直撃を前に、彼の力など何の意味もなさなかった。
     幸か不幸かただ独り生き残ったエレキブルは、今更野生に戻ることも出来ず、路上でチェロを演奏し、通行人から食料を請う生活を始めた。

     エレキブルは演奏を止め、自分の二の腕を月光にかざす。
     何度、この不器用な二本の腕を切り捨ててやろうと思ったか分からない。それでもなお、この両腕を本当に失くしてしまったら、自分はもう死ぬしかないことも知っている。
     潰した豆の跡。手のひらに刻まれた痕跡が物語る今までの努力が、確実に自分の演奏技術を上達させていることも、彼は知っている。
     落ち込んだとき、彼は演奏を終えた跡に、自分に拍手をくれ、パンを投げてくれる聴衆の笑顔を思い出す。こんな自分の演奏でも、楽しみにし、応援してくれる人間はいる。そのことだけが彼の誇りであり、その誇りゆえ、彼は今まで努力を続けることができた。
     あのプリンの歌は確かに美しい。
     彼は美しく、かつ多彩な声の持ち主だ。低温から高音まで、どんな声でも自在に出せる。楽しげな曲から哀しげな曲、落ち着いた曲から激しい曲まで、どんな曲でもお手の物だ。
     それは、チェロという音域の限られた楽器を扱い、しかも体格から演奏技術にも限界を抱える自分には望めない能力だ。
     だがしかし、あのプリンには、決して自分のように、挫折や、努力の苦しみを知りはしまい。プリンという種族に生まれついたという幸運の上に胡坐をかいて、ひとを小馬鹿にするあんな奴には。
     音楽が自己の表現であるならば、この苦しみを知っている自分の音楽には、決してあのプリンの歌には持ち得ない深みを持たせることができるはずだ。
     エレキブルは曲目を変え、より難度の高い練習曲の演奏を始めた。その夜が果てるまで、彼はチェロを弾き続けた。

     それから数日後のことだ。
     エレキブルが指定席で演奏していると、またしてもプリンが邪魔をしに来た。プリンが歌いだすと、エレキブルの聴衆の何人かがそちらへ流れた。それどころか、プリンの周りにはすぐにエレキブルよりも多い人だかりが出来た。
     だが、今度ばかりはエレキブルも負けられなかった。プリンが歌いだした後も、意地になって演奏を続けた。聞き苦しい不協和音が辺りを包み込み、聴衆があからさまに顔をしかめる。それでも構わず演奏を続けた。
    「いい加減にしろ!」
     聴衆の一人が怒号を発し、エレキブルに石を投げつける。
    「オレはプリンの歌を聴きに来てるんだ! お前のヘタクソなチェロなんて聴きたくもねェんだよ!」
    「ちょっとあんた! あたしたちのエレキブルになんてこと言うんだい!」
     聴衆にはエレキブルを擁護する者もいたが、石を投げた男に同調する者もおり、真っ二つに分かれて大喧嘩を始めた。もはや演奏会どころではなかった。エレキブルはがっくりと肩を落とし、すごすごとその場を立ち去った。

    「惨めだねぇ」
     夕日に染まる、町外れの焼け跡。
     チェロを背負い、瓦礫を踏み越えてねぐらに戻るエレキブルに、背後から声をかけたのはプリンだ。エレキブルはギロリと睨み返す。
    「アハハ、ボクのことが憎いかい?」
     もちろん憎くて仕方がなかった。だが、自らの誇りにかけて、そんなことは口に出せない。
    「憎くなどはない。俺の演奏が至らなかったことが原因だ」
    「アハハハハハハ!」
     エレキブルの返答に、プリンが大笑いをする。エレキブルはひどく不愉快に思った。
     不愉快には思ったものの、さすがのエレキブルも今回は、プリンとまともにやり合うことなくさっさと立ち去ろうと心に決めていた。だが、やがて、ひとしきり笑った後にプリンが愉快そうに切り出した台詞は、エレキブルにとって聞き逃すことができないものだった。
    「なるほど、いつかはボクの歌を演奏で打ち負かしてやろうと、アンタは本気で思っているわけだ。滑稽だね! 自分のことをいっぱしの『音楽家』だなんて思っちゃってるんだからさ!」
     ピクンと、エレキブルの眉間が引きつる。
    「……なんだと?」
     プリンはエレキブルが挑発に乗ってきたのを見ると、ニヤリと不敵な笑みを浮かべ、続ける。
    「自分が下手糞であることは自覚しているけれど、一部の人間たちにきゃあきゃあと騒いでもらって、『こんな自分の演奏でも評価してくれる人間はいる』なんて、幸せな勘違いをしているのかな? つくづく、惨めなことだねぇ」
     エレキブルは自分の手が震えていることに気づく。彼はその震えを握りつぶす。
     プリンが何を言わんとしているのかは予測が出来た。それは、エレキブル自身が薄々気づきつつも、決して認めまいとしていたことだった。
    「なぁ、本当は自分でも気づいてるんじゃないかい? アンタの曲を聴きに来ている人間が、ホントにアンタの『音楽』を評価していると思っているの?」
    「……黙れ」
     握り拳に力が入る。意識せざるとも、その拳は電気を帯び、パチパチと火花が飛び始めていた。
     それ以上言うな、とエレキブルは念じる。
     これ以上は、自分を抑えられそうに無い。
     だが、プリンは言った。
    「人間たちはアンタの演奏する音楽を聴きたくて来てるわけじゃない。チェロを弾けるだなんて芸のできるポケモンが物珍しいから見に来ているだけだ。アンタは『音楽家』なんかじゃない。言うなれば――そうだね、『猿回しの猿』さ!」
    「黙れえええええええええ!」
     逆上したエレキブルは、思いっきり腕を振り上げ、プリンめがけて振り下ろした。
     プリンはすんでの所でかわす。エレキブルのパンチは空を切って、地面をえぐる。
    「あは、あはは! そうだよ、アンタはチェロなんかより、そのぶっとい腕で暴力を振るってる方がお似合いさ! なぁ、やめちまえよ。音楽家の猿真似なんてさ!」
     なおも挑発を続けるプリン。
     エレキブルはがむしゃらに腕を振り回し、大振りのパンチを間断なくプリンめがけて打ち出すが、ふらふらと不規則な動きで跳ね回るプリンにはなかなか当たらない。
    「目障りなんだよ、アンタみたいな奴は!」
     プリンが叫ぶように言う。
    「図体ばかりでかいオランウータンが、わざわざ自分から猿芸を演じやがって! そんなに人間を喜ばせたいなら、波止場で貨物の運搬でもしてた方がよっぽど有意義だろう。才能の無い猿は身の程を知って、身の丈にあった檻の中に納まってりゃいい!」
     その罵倒がどこか悲鳴にも似た悲痛さを帯び始めていることに、頭に血の上ったエレキブルは気がつかない。
     そして、ついにエレキブルの拳がプリンの身体を捉えた。
     クッションのような感触。体中から湧き上がる激情に任せて、何度も何度も、エレキブルはプリンを殴り続けた。この感情が怒りなのか悲しみなのか、彼自身もうわからない。拳が割れ、二本の腕が壊れるまで、殴りつけてやろうと思った。
     貴様に俺の気持ちがわかるか。種族に恵まれた貴様などに、人間の勝手な都合で永遠に夢を断たれた俺の気持ちが。

     どれほど殴られても、不敵な表情を変えないプリン。
     だがその様子が、突然に変化する。体を震わせ、ぐすんぐすんと少女のように泣き始めたのだ。
     その様子に怒りをそがれ、我に帰ったエレキブルが腕を止める。
     そのまま、しばらく泣き続けていたプリンだったが、突然、かすれた声で喋り始めた。
    「……くだらない、身の上話でもしてやろうか」
     怒りのやり場を失い、ばつが悪そうにプリンを見下ろすエレキブルを前に、プリンは話し出す。
    「ボクのご主人様は、兵士だった。遠い外国の、ずっと北の方にある寒い町で、敵兵のポケモンにズダズダに体を切り裂かれて死んだんだ」
     ひやりとした北風が、エレキブルの鼻先を撫でた。プリンは続ける。
    「ボクらプリンは非力な種族だ。進化してプクリンになったり、高価なマシンで強い技を覚えたりしたところで、大して強くなんてなれっこない。美しい歌声なんて要らなかった――ボクは、ご主人様を守りたかった。守るための力が欲しかった」
    ――どこか身に覚えのある境遇。エレキブルはぐっと言葉を詰まらせる。酷使した両腕が、今になって突然痛み出したように感じられた。
    「なぁ、なんでアンタは、音楽家になりたいだなんて思っちゃったんだ? アンタのたくましい体格と、雷の力さえあれば、物凄く強いポケモンになって、誰かを守ることのできるポケモンに――ボクがなりたくてもなれなかったものになれたはずだろう?」
     それまで泣いていたプリンが、自嘲気味に笑い出す。雲が落とす影が周囲を包み込む中、彼は言った。

    「身の丈に合わない夢なんて持ったって、不幸になるだけじゃないか」

     既に日はとっぷりと暮れていた。
     嗚咽を上げて泣き出すプリン。エレキブルは言葉を失い、がっくりと膝を落として、その場にうつむいた。
     
     自分とは違う、恵まれた境遇に居る者だとばかり思っていたプリン。
     だが目の前に倒れ伏し、泣いているのは、両腕を失った自分の死体だった。


    ――お前は刺々しくて、素直じゃない性格だから、もし僕がいなくなったとしたらその後が心配だよ。

     プリンは主人の腕に抱かれ、その優しい声を聞いた。
     主人の体温の温かさを感じ、ただその中で安らいでいた。

     だが、やがて目の前の風景が暗転し、気づけばプリンは寒々しい廃墟の中にいた。
     一時の混乱を経て、彼は自分が夢から覚めたのだと気づく。一筋の涙が、プリンの瞳から流れた。ゆりかごから放り出された衝撃は、この朝にもまた反復された。

     あれから一ヶ月ほどが経っていた。
     例の一件の後、二匹は和解し、翌日には和解のしるしとして一緒に演奏を行った。二匹の共演は、その後も何度か繰り返され、彼らは商売仲間となった。
    「イテテ……。あの野郎、本気で殴りやがって」
     皮肉屋のプリンと、プライドが高い上にすぐに手が出るエレキブルとは、その後も喧嘩が絶えなかった。昨日もちょっと調子に乗ってからかいすぎたばっかりに、エレキブルの拳骨を食らうはめになり、殴られた頬が今になっても痛む。
     だがまあ、正反対な性格の二匹は、正反対であるがゆえ、まずまず気の合った凸凹コンビになっているのではないかと、プリンは頬をさすりながら思った。
     ともわれ、今日もエレキブルとの演奏会の約束がある。
     昨日の喧嘩のことならば問題ない。あいつがその程度の事を翌日にまで引きずらない性格であることは、プリンにももうわかっている。
     プリンはねぐらを出た。

     その日の演奏会も盛況のうちに終わった。
     日も傾き始めてきた折、彼らは人通りの無い裏路地へ引きこもり、売上金として聴衆から得た小銭や食料を分け合った。
     戦利品のコッペパンをかじりながら、ふとプリンは、エレキブルの荷物がいつもより大きいことに気がついた。いつも背負っているチェロとその他の演奏器具ばかりではなく、大きな風呂敷に缶詰やら酒瓶やらを詰め込んでいて、まるでこれから旅にでも出る、という具合だ。
     プリンがそのことについて触れると、エレキブルは聞かれるのを待っていた、と言わんばかりに、自らの決意を語った。

    「町を出るって?」
     プリンは呆気に取られつつ尋ね返す。何の冗談だ、と思ったが、エレキブルの目は真剣そのものだった。
    「ああ、いつかお前が言ったように、このままこの町にいると俺は『猿回しの猿』に甘んじてしまう。いつかはこの町を離れて、他の地を旅しながらチェロの修行をし直すべきだとかねてから思っていた」
    「アンタ、まだそんな事を言ってるのかよ」
     プリンが呆れ顔でたしなめる。
    「何度でも言うけどね、身の丈に合わない夢なんて持ったって、不幸になるだけだよ。プリンが強くなりたくてもなれないように、エレキブルが一人前のチェリストになろうったって土台無理な話さ。野垂れ死にするだけだ」
    「夢を追い続ける中で野垂れ死にできるなら本望だ!」
     エレキブルが怒鳴るように断言する。
     プリンの背筋が緊張した。エレキブルの決然とした瞳は、プリンの苦しい記憶を呼び覚ました――周囲の制止を振り切って、軍への入隊を決断した、彼の主人の姿だ。
     二の句を継げられずにいるプリンに、エレキブルはにこりと笑って、言った。
    「お前には感謝している。互いに野垂れ死にしていなければ、また会おう」

     それが別れだった。
     随分とあっさりとしたものだ。
     夕暮れの町。古ぼけた大きなチェロを担ぎ、去っていくエレキブルの背中を、プリンはいつまでも見送っていた。
    ――いつかはこんな日が来ると思っていた。
     エレキブルの姿が見えなくなった後、プリンは溜息を付き、独り言をつぶやいた。
    「それにしても、たった一ヶ月、か」
     さすが、考えなしの馬鹿は行動が早い。

     馬鹿だ、とプリンは思う。あのエレキブルも、天国にいる彼の主人も。
     彼らのような種族は、何故信じられるのだろうか? 目指した夢の先に何かがあると。その夢を叶えられずとも、例えその途上で死んでしまおうとも、夢を追うこと自体が幸福であると。
     夢を断たれたところで死にはしないことを、プリンは知っている。かつて主人を亡くしてしまったら決して生きていけないだろうと信じていた自分ですら、こうして今も生きているのだから。夢なんて持っていなくても彼は生きてこらられたし、むしろ持っていないからこそ要領よく立ち回って、今後も生きていけるだろう。生きがいなんてものは、手ごろなものがいくらでも近くに転がっているものなのだ。手の届かない葡萄を取ろうと、わざわざ木に登る必要なんてない。

     けれど。
     あのエレキブルのように、一途に一つの夢を追う生き方に憧れる気持ちもまた、決してやむことはないのは、何故なのだろうか。

    「……ふんだ、ばーか。ホントに野垂れ死んじまえ」
     町の中心部へ向かう、路面電車の警笛が響く。
     プリンの悪態が、エレキブルに届くことは永遠に無い。

     また独りぼっちだ。

     『セロ弾きのエレキブル』が町から消えた。
     そのことはしばらく町の人々の注目を集めるニュースとなり、様々な憶測を呼んだが、時が経つにつれ皆忘れていった。とどのつまり、彼の存在感などそれくらいのものだった。
     それでもなお、ほんの一握りの者だけは、いつまでも彼のことを覚えていて、その演奏が町から途絶えたことを寂しがった。


      [No.2250] マサラタウンまで何マイル? 投稿者:タカマサ   《URL》   投稿日:2012/02/20(Mon) 01:24:51     173clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

     つまるところ、俺たちは“選ばれし者”らしい。
     あのミュウがそう言ったのだから間違いない。

     初夏のある日のことだ。”樹海”とも言えるほどのうっそうと茂る森の中に俺たちはいた。
     額を流れる汗をぬぐって、木々の向こうの空を見上げる。梅雨の真っ只中にのぞいた晴れ間の空は雲量も多く、くすんだ水色をしていて――アイツが俺たちを置いて旅立っていったあの日の、鮮やかな瑠璃色の空と比べると、無残なほどに無感動だった。
    「こらっ、遅いぞ。リョースケ! 何度も言うが、今、世界は危機に瀕していて、それを救えるのはボクたちだけなんだ。その使命感が君には無いのか?」
     怒号を飛ばしてきたのは、前方十メートルほど先を歩いているアオイだ。 
    「わかってるよ! すぐ追いつくから、待ってろ」
     悲鳴を上げ始めた身体にムチ打って歩調を速める。この森に入ってからもう数時間。起伏を乗り越え、茂みをかき分け、道なき道をずっと歩いてきた。いい加減もうクタクタだ。
     じれったそうに俺を睨んでいたアオイのもとにようやく辿りつくと、彼女の表情はクルッと変わって、ハンティング帽のツバの下からニッと屈託の無い笑顔を俺に向けた。
    「ミュウ……」
     子猫の声をデジタル処理したみたいな、独特の響きの声で鳴いて、ミュウが俺たち二人の間をふっと風のように通り抜ける。
     クスクスと笑って俺たちの回りをクルクルと飛び回るミュウ。木々の隙間から漏れる初夏の日差しの中、踊るように宙を泳ぎまわるミュウは、なんだかまるで空中に投影されたホログラム映像のようにも見え、奇妙に現実感を欠いていた。
    「そっちでいいの?」
    「ミュウ!」
     ミュウはアオイの問いに無邪気な笑顔で頷いて、森の奥深くへ風のように飛び去っていった。
     ミュウが飛び去っていった方向こそが、俺たちが進むべき道を示している。
    「行こう、リョースケ!」
     アオイが俺の手をとる。彼女は心からこの状況にワクワクしているらしく、まるで元気いっぱいの少年のようだ――事実、ボーイッシュな容姿の彼女は、まだ声変わり前の、それこそちょうど冒険への旅立ちどきである十一歳の少年のようにも見える。
     こんなに楽しそうな彼女の姿を見るのは、いつ以来だろう。
    「ああ……、行こう!」
     俺たちは駆け出した。
     そうだな、アオイ。俺たちはずっとこんな冒険に憧れていたんだ。ワクワクしてるのは俺だって同じさ。
    ――これから死ぬかもしれない、っていうのにな。

     俺たちの幼馴染にはポケモンマスターがいる。
     十一歳になろうという年、俺たちは小学五年生になり、アイツは修行のため旅に出た。
     今やこの世界で知らないものはいないその少年の名はラピス。十二で犯罪組織ロケット団を壊滅に追い込み、十三でポケモンリーグを制覇し、そして今年、十四の誕生日を迎えた直後に世界一のポケモンマスターの座に登りつめた。
     あの日の朝も、テレビはラピスの勝利を報じていた。チベットの奥地で秘伝の技を守り継いで来たという伝説的な一族の古老は、ラピス自慢のリザードンの前にあっさりとひれ伏した。もはやアイツに敵うものはいなかった。
     テレビ画面の中。ジバコイルの十万ボルトが、メタグロスのコメットパンチが、リザードンのブラストバーンが飛び交うバトルフィールドの中心にアイツはいた。走り、跳び、ひっきりなしに動き回り、指示を叫ぶその姿はまるでダンサーのようだ。三色それぞれのスポットライトが照らす光の円がフィールドを駆け巡り、それを取り巻く観客席は何万という観客に埋め尽くされ、ラピスのポケモンたちがここぞと技を決めた瞬間、津波のような歓声が、カメラのフラッシュの奔流が一斉に噴き上がる。
     一方のテレビ画面のこちら側。眠い目をこすり、ヨレヨレの制服を着て、朝食のアジの開きの骨をちまちまと取っては身をつついてる自分の姿がひどくちっぽけに思える。
     俺たちとアイツとはもはや別の世界の住人だった。

     森の奥深くへ、さらに一時間ほど歩いたところで、ようやく俺たちは一休みした。
     休憩場所に選んだのは、樹齢千年はありそうな杉の大樹の根元だ。アオイのパートナーであるフシギバナがモンスターボールから出され、その巨体をどっしりと横たえる。フシギバナの発する、人の心を安らがせるという心地よい香りが漂う中、俺は腰を下ろした。
     アオイはといえば、フシギバナの脇腹に身をうずめたかと思うと、すぐにすうすうと寝息を立て始めた。ああ見えて、彼女も結構疲れていたのかもしれない。
     ジリジリと鳴くセミの声を聞きながら、ペットボトル入りのスポーツドリンクを何口か飲んで、ふっと一息をつく。
     心地よい非日常感だった。空を流れていく雲を眺めながら、こうしている間にも、学校ではいつものように授業が行なわれているのだろうか、とぼんやりと思った。
    「……ボクに、もっと才能があれば、」
    アオイがフシギバナへ語りかける声が聞こえた。起きていたらしい。
    「お前もラピスのリザードンみたいに、羽ばたかせてやることができたのかな」
     それだけ言って、アオイはまた目を閉じた。
     俺は自分のパートナーのカメックスが入ったモンスターボールを見つめた。
    ――ずっと考えていた。十一歳になろうとしていたあの年に、不安や恐れから逃げることなく、ラピスと一緒にポケモンマスターを目指す旅に出ていたら、と。今ごろ俺たちも、アイツと同じように、夢と冒険に満ちた輝かしい世界の中にいただろうか?
     それは無いだろうな、と俺は首を振る。部活のレギュラーさえ勝ち取れない程度の実力。アイツとは最初からモノが違ったのだろう。
     問題は、才能だけじゃない。
     最近は学校も忙しくなり、他の趣味も増えて、ポケモンばかりにかまけている余裕がなくなってきた。試験期間には、一週間カメックスをモンスターボールにしまいっぱなしにして一度も構ってやらなかったことさえある。
     そんなのはトレーナーとして失格だ。ポケモンは道具じゃない。トレーナーのことを“親”とも呼ぶように、トレーナーは自分のポケモンに対し、まさに我が子に対する親のような責任を負わなければならない。――わかっては、いる。
     才能なんて無くたってめげずに、可能な限りの情熱と努力を全て一つのことに捧げることができるのなら、それはそれでカッコいいだろう。だが、俺にはそれさえできない。こんなザマなら、もうトレーナーなんて、すっぱりとやめてしまった方がいいのではないか、とも思う。
    「ごめんな……、不甲斐ない所有者(おや)で」
     その言葉を発したのはアオイだ。まるで俺の心を見透かされたようなタイミングにドキッとしつつ、そちらを向くと、彼女はどこか悲しそうな目をして、フシギバナの喉元を撫でていた。
    「ミュウ」
     ミュウが再び姿を現す。休憩時間は終わりだ、早く行こう、と。
     俺は自分のモンスターボールを握り締めた。
    ――けれど、こんな俺でも、世界を救うヒーローになれるのなら……
     今度こそは、決して逃げずに全力を尽くそう、と、俺は誓った。

     いつも通りの一日は、あの日にもまた繰り返されていた。
     授業の間の休み時間、五、六人の女子がアオイの席の回りに集まって、絡んでいた。彼女らはアオイの読んでいた本――図書室の奥から引っ張り出してきたらしい、開いただけで埃の立ちそうな分厚い文学全集の一冊――を取り上げて、口々にアオイのことをからかい、罵っていた。周りの男子もそれに乗って、女子どもに合わせて大笑いしたり、アオイへの悪口を飛ばしたりしていた。
     アオイは終始無言で、表情一つ変えなかった。
     やがてそんなアオイの態度に腹を立てた女子の一人が、アオイの本を教室のゴミ箱に放り込んだ。笑い声が響く。
     その時、授業時間開始のチャイムが鳴った。女子どもがアオイの席から離れ、自分の席に戻っていく。自分の席の回りから人波が引いていくのを待って、アオイはすっくと立ち上がってゴミ箱の所まで行き、自分の本を拾い上げた。アオイは本の埃を払い、大事そうに抱えて、自分の席に戻った。
     中学に入った辺りから、アオイは急にエキセントリックな言動が目立ち始めた。自分のことを「ボク」なんて呼び始め、女の子らしい服装を嫌い、理屈っぽい話し方をするようになった。俺にはタイトルの意味すらわからない難しそうな哲学書を読み始めたかと思えば、アフリカのどこかの小国の政治情勢だとか、鉱物の組成だとか身近な小さな虫の生態だとか、そういう奇妙なものに対し唐突に興味を示し出したりした。
     アオイはまた、クラスメート同士の馴れ合い、特に自分を曲げたり抑えたりしてまで相手に合わせたりするような、そうした欺瞞的な社交関係を毛嫌いしているようだった。周囲はそんなアオイを理解しなかったし、またアオイの方も周囲の低レベルな連中を見下している節があった。
     必然的に、彼女はクラスの中で孤立していった。

     ミュウに導かれ、樹海の中をひたすら歩いていた俺たちは、やがて森の切れ目に差し掛かった。
     その先にある風景を見て、アオイが叫んだ。
    「見ろ、リョースケ!」
     目を疑った。そこにあったのは、ピラミッド風の巨大建造物を中心とした、エキゾチックな遺跡群だったのだ。古代マヤ文明のものを思わせるピラミッドを中心に、神殿や祭壇らしい石造りの建物や、奇妙な様式にデフォルメされた人間やポケモンの像が森の中に開けた広場を取り囲んでいる。
     唖然とする俺をよそに、アオイは遺跡を抱え込む大きな広場の中へ向かって駆け出していく。夏の陽射しの下、瓦礫に混じってレリーフや神像らしきものが散乱する広場を、アオイはフシギバナと一緒に「すごい、すごい」と大はしゃぎしながら駆け回った。
     散乱するレリーフにはアンノーン文字が刻まれ、またそれぞれポケモンが描かれているらしかった。あれはネイティオ、あれはプテラ、あれは……ボスゴドラだろうか?
    「ミュウ!」
     周囲の景色に気を取られる俺たちを咎めるように、ミュウが再び姿を現す。
     俺たちの周りをつむじ風のように飛びまわった後、ピラミッド風の建造物の方に向けて飛び去っていった。
     俺たちはまたミュウを追いかけ、その方角へ向かう。
    「こんな巨大な宗教施設、いったいどんな人々が建造したんだろ?」
     アオイが漏らす。 
     宗教施設、か……。宗教といえば、アオイの奇怪な宗教観を聞いたのは、ミュウが現れる直前のことだった。

    「この国の国民の大多数は無宗教だなんて言うけれど、実際にはみんな何かしらの宗教を信仰しているよね」
     あの日、帰宅途中の道で、アオイは唐突にそんな話を切り出した。
     俺の部活が終わった後、近くのコンビニで時間をつぶしながら待つアオイと落ち合い、一緒に帰るのが俺たちの習慣だ。他のクラスメートには秘密の関係である。
     友人ぶっておきながら、学校ではアオイに対するいじめを見て見ぬふりをする。そんな俺の卑劣な態度をアオイは咎めなかった。むしろ、学校では自分に構うなと、重ねて釘を刺してきていた。
     そんなアオイの言葉に寄りかかって、俺は自分の勇気の無さから目を背けていたのだ。
    「まあ、そうかもな。シュンの家は神社だし、シンイチの家はカトリックだ。ウチは……浄土真宗だったかな?」
    「そんな話をしてるんじゃない」
     アオイは笑った。
    「ボクの定義するところによれば、自分の人生に何らかの価値を与える価値観は全て一種の『宗教』なんだ。『夢』や『信念』と呼ばれるもの……、それに各種の自己認識(アイデンティティ)。無神論者を気取っていたって、実際にはどんな人間もそうした自分自身の『宗教』に縛られている――そうでなければ、生きることも、死ぬこともできないのだから」
     くすくすと、おかしそうに笑いながらアオイは話した。俺には何が面白いのかわからない。
    「純粋に論理的に考えれば、人生に何ら価値の無いことは自明だからね」
     アオイはそう言い切って自論を結んだ。
    ――じゃあ、君は?
     そういう君自身は、君のいう所の『宗教』を何か信仰しているのか?
     そう問おうとした時、

     俺たちの前にミュウが現れた。

     ピラミッド風の建物には、地下へと続く階段の入り口が設けられていた。その先に伸びる地下道を俺たちは進んでいった。
     通路は複雑に折れ曲がっていたが、おおむね螺旋状に地下深くへと下りて行っているようだった。
     先を行くのがドータクン、くるくるとコマのように回りながらそれについていくのがネンドール。この二匹はミュウの手下のようなものらしい。そのミュウはドータクンの頭の上にちょこんと坐っている。俺も自分のカメックスを出した。アオイのフシギバナも合わせて、二人と五匹から成るこのメンバー構成で、俺たちは時々現れるアンノーンを追い払いながら進んでいった。
     ミュウの体が蛍光灯のように光り、その周囲だけを照らしている。
     行く手の先にはただ真っ暗な闇が広がっていた。
     それでも、アオイといえば不安よりも好奇心からくる高揚感の方が勝っているらしく、意気揚々と前に進んでいく。
     それはそれでいい。俺だって少しはワクワクしている。
     だけど……
    「なんだろう、この違和感……」
    「ん? どうした、リョースケ?」
    「……いや、なんでもない」
     そう答えておいたものの、俺は全身にまとわりつくような、なんともいいがたい違和感を拭い去れずにいた。
     俺は自分のカメックスを見た。かつて、アオイとラピスと一緒にオーキド博士から貰った長年の相棒は、俺の視線に気づくと、任せとけ、とでもいうかのように胸を張った。

     つまるところ、俺たちは“選ばれしもの”なのだと、ミュウは言った。
     あんな日常にはもう嫌気が差していた。いつもどこかへ旅立ちたいと願っていた。自分の限界なんてまるで無いかのように、パートナーのポケモンと一緒にどこまでも羽ばたいていくラピスのことが羨ましくて、また言いようの無いコンプレックスに常に蝕まれてもいた。
     旅先でのいくつもの出会い、いくつもの別れを経て、自分のポケモンとの絆を深めていく……。ラピスが旅立っていった先にあるはずの、夢と冒険の世界への憧れは募るばかりだった。
     新しい世界への扉の鍵は、ミュウによって唐突に与えられた。
     聞いて驚け。俺たちには世界を救う責務が課せられたのだ。
     ミュウが語ったところによると、かつてこの世界では『光』と『闇』の激しい闘争が行なわれていたという。百五十一億年に及んだ熾烈な争いは、二千年前にある一人の人間の戦士が『闇』側の最強の将であった冥界の王ギラティナを封じることによって一旦終結した。
     しかし、長い年月を経て封印は徐々に解けていき、今ギラティナは復活を遂げようとしている。もしそうなれば、沈黙していた『闇』の勢力は息を吹き返し、『光』との戦いが再び始まることだろう。二千年間の『光』の支配の中で安定して発展を続けてきた人類の文明の存続は危うくなるだろうし、長い平和の中で『光』の勢力が力を弱めている中、今ギラティナが復活すれば両勢力の力関係は一気に逆転しかねない。『闇』が支配する世界への転換――それは今ある世界の滅亡を意味する。
     事実、近年多発する異常気象や社会の混乱は、『闇』の勢力が息を吹き返しつつあることを示す兆候なのだそうだ。
     なんとしてでも、再び封印をかけなおし、ギラティナの復活を阻止しなければならない。そのためには俺たち二人の力が必要になるらしい。
     なぜ俺たちなのか? その理屈はいまいちよくわからなかったが、俺が理解できた限りのことをかいつまんでいえば、どうやら古代人が当時の誰かのDNAにギラティナを封印するために必要なプログラムのようなものを仕込んでおり、それが現代になって俺たち二人の中で発現したというようなことらしい。
     シャッターの閉まった印鑑屋の前、タバコの自販機の光を浴びて、ミュウはそんな突拍子もない話をテレパシーのような何かで語ったのだった。
     にわかには信じがたい話だったが、目の前にいるのは確かにあの幻のポケモンといわれるミュウである。ただ事じゃない事態が起こっていることは確かだ。
    「行こう、リョースケ」俺が戸惑いを隠せないでいる横で、アオイは目を輝かせ、力強くそう言った。「世界を救うために!」
     かくして、夕暮れの通学路上にて、俺たちは冒険への出発を決意したのだった。

     地下道を歩き始めてどれほどの時間が経っただろうか。進んでいくにつれて、道はどんどん狭まっていった。
    「この地下道は全体として、子宮へ至る産道をイメージして作られているんじゃないかな? 冥界の王が封印されているということは、おそらくこの遺跡群は『死者の世界』をイメージして作られたのだろうけれど……。古代人の宗教が『死』を『生前の状態への回帰』と捉えていたとしたら、『母胎への回帰』をメタファーとしてこの施設が建造されたというのもあり得る話だろう」
     横を歩くアオイがそんなことを話す。
     果たして俺たちは、程なくして、アオイの仮説が当たっているとしたら『子宮』にあたるのであろう、広々とした一室へと行き着いた。
     部屋の中央には、奇妙な風貌の巨大な石像――いや、氷像? ――が置かれていた。
    「これが、ギラティナか……」
     その高さは俺たちの背丈の三倍近くはある。鎧を纏っているかのように、無機質な突起物や板状のものに覆われた六本足の竜の姿。
     何か不安をかきたてるオーラのようなものが感じられるそのギラティナ像に俺たちが圧倒されていると、ミュウがドータクンの上からふんわりと飛び上がり、ギラティナ像の側まで行く。
    「ミュウ」
     ミュウはギラティナ像の手前に設けられた台のようなものを指差した。ミュウの身体が発する光に照らされ、台の上に二つの手形が描かれているのが見えた。
     俺はアオイと目を見合わせ、台の近くへ進み出ていって、その手形に自分たちの手のひらを合わせた。
     やはり、というべきか、二つの手形は俺たちの手のひらの形とぴったり一致していた。
     台が青白く光りだす。青白い光はやがてギラティナ像の全身をも覆い、水面が波打つように明滅を繰り返す。台に置いた手を通じて、自分の身体がこの遺跡と繋がり、何かエネルギーのようなものが吸い出され、あるいは送り込まれているような感覚がした。
     このまま順調に行けば、これでギラティナの再封印は完了するという。
    ――世界を救う冒険への出発だなんて意気込んできたけれど、これで終わってしまうとしたらずいぶんとあっけないな。
     そんな想いが頭をよぎる。
     あっさりとすむならそれに超したことはないはずだが、心のどこかに、これ以上の何かドラマティックな展開を期待する気持ちがあることは否定できなかった。
     そのせいだろうか?
     果たして、その願いは叶えられてしまった。
     突然、エネルギーが逆流してきたかのように、雷に打たれたような衝撃が俺の身体を襲った。
    「ぐっ……!」
    「うわっ!」
     バチン、と何かが弾けるような音と共に、俺たちの身体が台から弾き飛ばされる。
    「ミュウ!」
     ミュウが叫び声を上げ、ギラティナ像を指差す。
     パリン、パリンと、ギラティナ像の表面を覆う氷のようなものに亀裂が入っていき、剥がれ落ちていく。やがて、その中から現れた不気味な風貌の竜が身を震わせ、咆哮を上げた。
    「ビシャアアアァァァアアアン!」
     時は既に遅かったのだ。
     冥界の王ギラティナは復活を遂げた。

     俺たちは抵抗を試みたが、かつての『闇』の猛将は到底俺たちの敵うような相手ではなかった。カメックスもフシギバナも攻撃する暇さえなく、相手のギラティナの先制の一撃で吹っ飛ばされた。
    「フシギ……っ」
     吹き飛ばされたフシギバナに気を取られアオイが背を向ける。
    そのアオイに向かってギラティナが再び攻撃のモーションに入る。
    「ミュウ、“トリックルーム”だ!」
     咄嗟の判断だった。すかさずミュウは“トリックルーム”を発動。その場にいる者全員の素早さが逆転し、それまで俺たちを圧倒していたギラティナの動きが極端に鈍る。その隙に俺はアオイをかばって押し倒す。
     逆にこの場で最高の素早さを得たドータクンがギラティナに対し“催眠術”を試みる。眠らない。レベル差がありすぎる。しかし、ギラティナの動きをさらに鈍らせる程度には効いている様だ。
     一方のミュウとネンドールのエスパーポケモン二体も、実態の無いゴースト属性であるギラティナの身体を全力の念力で押さえつける。
     一時的にギラティナの動きは封じられた。
     だが、この状態が持つのはせいぜい“トリックルーム”の効果が持続している間だけだろう。
    ――その間に俺たちは、決断しなくてはならない。
    「リョースケ」壁に打ち付けられたフシギバナの様子を気遣いつつ、アオイが言う。「もう迷ってる時間はない」
    「ああ……」
     俺たちは互いの手を握り、向かい合った。 
     ミュウは語った。仮に復活を遂げてしまった後でも、俺たちにはギラティナを封じるための最終手段が残されているのだと。
    ――自分の命を代償にすること。
     俺たち二人が命を捨てることで、ギラティナに確実に封印をかける。
     そんな方法を古代人は残していた。
    「ビシャアアアアアァァァァアアアアン!」
     念力の呪縛を押し破って、咆哮と共にギラティナが口から撃ち出した“波動弾”が爆音を上げて天井をえぐる。崩落する天井――危うく巻き込まれそうに俺たちを突き飛ばし救ったのはカメックスとフシギバナだった。
     俺は身を起こし、自分のカメックスの様子を確かめた。もう力を使い果たしてしまったようで、苦しそうに身を横たえている。自分のポケモンの危機に、俺は激しく動揺した――幸いにも、反射的に、激しいショックを受けることができたのだ。駆け寄ってその身を抱き起こしてやり、その顔を覗くと、カメックスは優しい微笑を俺に返した。
    ――どうしてこいつは、こんな俺のことをこんなに慕ってくれるんだろう? 俺自身は自分の価値なんてまるで見出せないのに、こいつにとってはそれでも俺は価値ある人間なのか?
     ありがとう、と俺はカメックスに礼を言い、最後にその身を抱きしめてから、モンスターボールに戻した。
     リョースケ、と背後から声がかかる。俺と同じようにフシギバナをモンスターボールに戻し、意を決したような顔を向けてくる。俺たちは互いの意思を確認する。
    「……決めたよ、ミュウ。頼む!」
     アオイがそう声をかけると、ミュウはギラティナへの攻撃の手を緩め、こちらを向いて頷く。
     直後、ミュウの身体がフラッシュのように光り輝く。
     グラリと地面が大きく揺れる。部屋の壁が突如としてバチバチと鳴りはじめ、何条もの稲妻が表面を走る。
     巨大な轟音。何かが崩れる音。ガラガラと音を立て、この部屋に続く道が崩壊し、埋まる――これで、どちらにせよ俺たちが戻る道は断たれた。
    「グオオオオォォォォォォオオオオオン!」
     唸り声を上げ、ギラティナがへたり込む。
     青白い稲妻が網目のようにギラティナの身体を覆い、網に捕らえられた獣のようにその中でギラティナは呻き苦しむ。遺跡が持つ全てのエネルギーを、ギラティナの封印に費やしているのだ。その効果もまた一時的なものに過ぎない。
     ミュウが俺たちの側にやって来て、儀式の準備を始める。俺たちを取り囲むように、蛍光色に輝く魔方陣が床面に出現する。
     魔方陣の中で、俺はアオイの肩を抱いた。アオイの身体は少し震えていた。
    「大丈夫か?」
    「うん……。やっぱり、少し怖い、かな」
     儀式の方法はこうだ。
    ――魔方陣の中、俺たち二人が口付けを交わすこと。
     アオイの顔を見つめる。
     それは幻想的な光景の中だった。魔方陣の放つ神秘的な光の輝きは、まるでここが透明度の高い南国の海の中であるかのような光の加減を演出していた。柔らく、ゆらゆらと揺れる光に包まれたアオイの姿は、いつもの凛とした印象とは違ってずいぶんと儚げだった。
     俺は今までずっと、アオイを異性として意識することを避けてきた。自分が彼女に抱いている感情のことを「恋愛」なんて言葉に簡単にカテゴライズしてしまいたくはなかったし、何よりもアオイを自らの穢れた欲望の対象として見ることは決してすまいと心に誓っていた。けれど、今目の前にいるアオイは、男みたいな振る舞いの中に隠していた女の子らしさを無防備に露にしてしまっているようで……
     透明な二つの瞳は少し潤み、その中に不安を宿している。彼女のその顔の――唇にキスをすれば、全ては終わる。
    「リョースケ」
     アオイの両腕が、俺の肩に回る。
    「大好き」
     その瞬間のアオイの笑顔は、今までに一度も見たことがないほどに輝いていた。
    ――終わり方としては、最高なんじゃないか、という気がした。好きな女の子と一緒に、世界の危機を救って消えていく。
     だが……

     俺は考えなければならなかった。
     ずっと付きまとっていた“違和感”の正体を。

    「やめよう、夏沢」

     彼女が、きょとんとした顔で俺を見る。そうだ。なぜ忘れていたんだろう――中学に上がって以来、俺は普段、彼女――夏沢葵のことを下の名前では呼んでいなかった。
     “違和感”の正体なんて、はじめから明らかだった。
     『光』と『闇』の闘争だなんて陳腐な世界観。古代人がDNAにどうこうしたとかいう無理のある設定。
     こんな荒唐無稽でご都合主義な物語が、現実であるはずがないのだ。
    「こんな無茶苦茶な話、君だって本気で信じているわけじゃないだろ?」
    「何を、いってるんだ……?」
    「いい加減、目を覚まそう、夏沢。ただの中学生が二人死んだごときで、世界は救われも滅びもしない。それが現実だ」
     耳をふさごうとするかのように上がる夏沢の腕を、俺は掴み止めた。

    「思い出せ、夏沢――この世界に、ポケモンなんていないんだ」

     空気が、シンと静まったように感じられた。
    「ハハ……、何をいってるんだ、リョースケ」
     俺の手を振り払って離れていった夏沢は、信じられないといった表情をしていた。
    「ポケモンがいないだなんて、正気でいってるのか? ボクたちの目の前にいる彼らが、君には見えていないとでも?」
    「これは夢だ――夢なんだよ、夏沢。ポケモンがいるのはゲームの中の世界だけだ。任天堂が出したゲームソフトの――」
    「うるさいッ!」
     俺の声をさえぎって、夏沢は叫ぶ。
     うつむいて、身体を震わせ、ほとんど泣き叫ぶかのように、彼女は続けた。
    「ボクは……信じないぞッ! この世界には……いるんだ! たくさんのポケモンたちが――ボクらに夢と冒険をくれる、素敵な生き物たちが……ッ!」
    「お、おい……」
    「来るなッ!」
     俺が伸ばした手を叩き落し、夏沢は面を上げて俺を睨みつける。俺は慄然とした。怒りか、悲しみか、絶望か――烈しい感情に彼女の顔は歪み、その目に宿る光は炎のように熱くも、氷のように冷たくも見えた。
     凍り付く俺に夏沢は背を向け、走り去っていく。俺は夏沢を追おうとした。だが、そこに突然ミュウが割り込む。目の前でミュウの身体がみるみるうちに変化していく。巨大化し、手足が骨ばっていき、筋肉が隆起し――ミュウツーの姿へと変身を遂げる。
     ミュウツーの鋭い眼光が俺を射抜く。刹那、俺の身体は後ろに吹き飛ばされ、石壁に激突。全身を激痛を襲う。
    「あが……ッ!」
     凄まじい力で壁に押さえつけられ、声を出すこともできない。特攻種族値百五十四タイプ一致のサイコキネシス――それは夏沢が俺を拒絶する意志のメタファーだ。

    ――俺たちはいつから夢を見ていたのだろう?
     俺は徐々に思い出してきていた。
     家に帰らず、二人で夜明けを待ち、“樹海”の最寄り駅までの切符を買って、始発の電車に乗り込んだ。電車の中。いつもの無駄話。旅の目的は、お互いに一度も口に出さなかったけれど、はっきりと認識していた――彼女はそこで自殺するつもりで、俺はついていくつもりだった。
     ミュウなんてどこにもいなかった。
     宗教の持つ大きな意義は、『生』に価値を与え、『死』への恐怖を和らげることだ。急ごしらえで不出来な『宗教』――それでも彼女は信じる必要があった。大好きなポケットモンスターの世界の中で、最も幸福な形で自らの人生にピリオドを打つために……。

     彼女は、ずっと戦い続けてきたんだ。人生に意味があるなんて本当は信じちゃいないのに、それでも何かになろうとする、何かを変えようとする戦いを決して止めなかった――戦う前から諦めて、ずっと逃げ続けてきた俺と違って。
     そんな彼女がここまで追い詰められてしまう前に、なぜ俺は助けの手を差し伸べてやれなかった? できたはずなのに、彼女の苦しみに気づいていたはずなのに、そこからさえ逃げ続けてきた。
     サイコキネシスの重圧は彼女の拒絶じゃない。俺自身の自責の念だ。
     だけど、だけど俺は……
    「君に……っ……生きていて欲しいんだっ! 葵!」
     声を絞り出した。
     その瞬間――光景が、フリーズした。
     ビーッという不快な電子音と共に、白黒の画像の乱れが眼前を覆う。鳴り響く雑音、押し寄せる嘔吐感。ミュウツーの圧力が消え去った代わりに、五感すべてが混沌の渦に呑み込まれる。
     強烈な眩暈。ぐるぐると世界が振り回されるような感覚。俺がようやくそこから立ち直ろうとした時、目の前の光景に変化が起こる。音と映像のノイズの中から、馴染みのあるあの穏やかなBGMと共に、最初に現れたのは――マサラタウン。
     光景はめまぐるしく移り変わっていく。オーキド研究所。セキエイ高原。ウバメの森。シロガネ山。地下通路――
    「葵! どこにいるんだ!」
     ポケモン世界の各地を駆け巡り、俺は葵の姿を探した。

     時間だけが空しく過ぎていく中、後悔と自己嫌悪の念が胸を去来する。
     葵を見つけたところで、俺は彼女にどんな言葉をかけたらいい?
     『死ぬ勇気があるくらいならなんだってできる』? 『生きていればいいこともある』?
     そんな言葉、俺自身だって信じちゃいない。
     ずっと戦い続けてきた彼女に、ずっと逃げ続けてきた俺がいまさらどの口で「生きていて欲しい」だなんて言える? だからせめて――と、俺は決めたんじゃないか。一緒に殉教してやろうと。彼女を独りで寂しく死なせてはやるまいと。世界の誰が認めなくても、彼女にとっては意味のある死を選ばせてやろうと。なぜ土壇場で壊した? 結局のところ、自分の命が惜しくなったというだけなんじゃないのか?
     違う。それは――違う!
     俺は、それでも俺は……
    ――俺は?

     プチッ、と電源が切れるように、周囲が真っ暗な闇と化す。
     暗闇の中、俺はやっと葵の姿を見つけた。
     闇の果てで、彼女は独りうずくまっていた。すぐ近くにいるのに、歩いても歩いても手が届かない、そんな場所に。
    ――さあ、帰ろう。葵。ゲームの時間は終わりだ。
     ……泣くなよ? 仕方ないだろ?
     いや……

    ――泣いているのは、俺か……


     ………………。
     ……………。
     …………。
     ………。
     ……。
     …。


     俺たちは夢から覚めた。

     生々しい現実の感触が、急に襲い掛かってきた。
     全身の痛みに疲労、空腹。肌を打ち、滴り落ちていく雨水の冷たさ。

     誰かの声が聞こえる……。

     行方不明になってから三日目。俺たちは衰弱しきった状態で、捜索隊に救出された。

     森の中で一冊のノートを失くした。
     物語が綴られたノートだ。

     ラピス・ラズリという名の、ポケモントレーナーの少年を主人公とした物語。
     十一歳になろうとしていたあの年から、俺と葵はずっとその物語を二人で作り続けてきた。ラピスは超強くてカッコよく、冷酷さと心優しさの両面を合わせ持った少年だ。彼はポケモンマスターを目指す旅をしながら、様々な事件を解決し、人々を救っていった。ある時は犯罪組織の陰謀を阻止し、ある時は悪徳政治家の不正を暴き、またある時には市井の人々のささいな争い事を仲裁した。
     彼は俺たちにとって、社会や周囲の大人たち、クラスでの人間関係など、様々な人や物事に対する不満の代弁者だった。

     救出された後の俺たちは、すぐさま病院に運ばれた、らしい――その辺りのことを、意識が混濁していた俺はよく覚えていない。
     ただ一つ覚えているのは、俺を搬送した救急隊員に、葵の義父を彼女への面会に来させるなと必死に訴えたことだけだ。

    「家に帰りたくない」
     あの日、学校からの帰り道、葵は俺の制服の裾を掴み、そう訴えた。その声は震えていた。
     今夜葵の母親は用事で出かけていて、葵とその義父だけが家に二人きりになるのだという。
     片親だった葵の母親は、去年再婚した。葵が新しく義父となった男のことをひどく恐れているらしいことは知っていた。

     葵は詳しいことを話さなかった。俺も聞かなかった。
     だけど、俺は彼女の悲鳴を聞いていたはずだった。
     ある日、葵の綴った物語の中で、ラピスのリザードンはローティーンの少女をレイプしたロリコン男を焼き殺していた。

     一緒に逃げてほしい、と葵は頼んだ。どこへ、と俺は尋ね返さなかった。おおよそのことは感じ取れたからだ。
     一旦帰宅した俺は、例のノートを持ち出し、親の金をくすねて、家を抜け出した。葵と落ち合い、一緒に夜明けを待って“樹海”行きの切符を買った。

    ――現実は、辛いね。
     いつだって無慈悲で、理不尽で、矛盾だらけで、キレイ事だけじゃ生きていけなくて。

     だからこそ、俺たちはポケットモンスターの世界に憧れるのだろう。
     生々しい暴力やセックスに汚されていないネバーランドに。
     一人では何の力もない十一歳の少年でも、ポケモンという素敵な仲間さえいれば、どこまでも自由に旅していくことができる世界に――こどもでも、世界の闇を打ち破る術を持つことができる世界に……。
    ――どこかの評論家なら、こんな俺たちの姿を見て、『最近の子供はゲームと現実の区別もつかなくなって……』などと一論をぶつのかもしれない。ああ、言いたければ言うがいいさ。だけどな――そんなことを偉そうに言う奴らの、誰が葵を助けてやれた? 誰が葵に手を差し伸べてやれた?
     例え親に、教師に、級友に、自分自身に裏切られたとしても――虚構(フィクション)だけは、いつも俺たちの味方だったんだ。

     それから一週間が過ぎて、ようやく俺は葵と面会する機会を得た。
     初夏の陽射しが窓から差し込む、病室のベッドに、葵は力なく横たわっていた。
     葵の身体はやせ細り、頬はこけていた。腕から伸びる点滴の管が痛々しい。仰向けのままじっと動かずに、天井を向くその目は何物も捉えていない様だった。すぐ近くに行くまで、俺のことに気づきもしないようだった。
    「笹本か」
     虚ろな目でやっとこちらを向いた葵が、俺を苗字で呼ぶ。
     俺は最初、努めて明るく振舞いながら、持参した見舞い品を差し出した。樹海で失くしたノートの代わりの、新しいまっさらなノート――けれど葵はついと目をそらして、見向きもしなかった。
     そして俺は、葵にかける言葉を失った。何も言えぬまま、葵の傍で、ただ時間だけが過ぎていくのを待つ他なかった。
     病室に射し込む陽射しが暗くなる。雲の影が通り過ぎたのだ。
     開いた窓から、涼しい風が流れ込み、風鈴をチリンと鳴らす。
     
     ジリジリと大声で鳴いていたセミの声が、唐突に途絶えた。

    「……カッコ悪いね、私たち」
     突然、葵がそんなことを呟いた。
     くすくすと、自嘲気味に笑い出す葵の姿が、ただひたすら哀しい――頼むから、そんな何もかもを諦めたように笑わないでくれよ。
    「……葵」
     俺は葵の身体を抱き締めた。
     葵はビクリと身体を震わせ、それから身をもがき始めた。
    「……離せよ、笹本――離せ……っ!」
     抵抗する葵を、しかし俺は離さなかった。
     いつの間にか、俺の目からは涙が溢れ出していた。両目からこぼれ落ちていく涙が、葵の肩に落ちる。

    ――脳裏に蘇るのは、あの日の鮮やかな瑠璃色の空。
     実際には見たはずのない、けれど記憶の中ではこれまでに見たどんな青空よりも鮮やかなそれは、葵の綴った物語の中に存在した空。小学五年生の葵が綴った、ラピス・ラズリの物語のプロローグ。
    『そうか。今日からは俺が、お前の“親”なんだな』
     瑠璃色の空の下、ラピスがその言葉とともに、滅多に見せることの無い笑顔を自らのパートナーと認めたヒトカゲに向けたとき、彼の旅は始まった。親の愛情に恵まれずに育ち、他人に心を許すことの出来ない少年に育った彼は、一匹の純真無垢なヒトカゲとの出会いによって変わっていく。
     それは、葵が既に乗り越えてきた思考――今となっては、既に彼女の中で否定し去られた思想の痕跡。
     けれど、語り得る全ての言葉が空虚なものになろうとも、その物語に感動した俺の存在は――物語の向こうにいた彼女に魅了され続けてきた俺の気持ちは、嘘じゃないんだ。
     俺は――そう俺は……
    ――“君”という物語を、これからも読み続けていきたいんだ。
     俺は、もう逃げやしない。これからは、君と一緒に戦っていくんだ。俺はもう二度と君のことを裏切らない。カッコ悪くたって、他の誰に笑われたって構うものか。

    「……亮助……ぇ…………」
     嗚咽を上げて泣き始めた葵を、俺は強く抱き締めた。
     真っ暗な森の中を彷徨い歩く中見つけた灯火(ランプ)のような、この温もりを――もう二度と、手離すもんか!



    ――まっさらなノートから、また新たな物語を始めよう。
     ポケモンマスターを目指す少年にだって負けやしない。
     俺たちは、俺たちの旅路を続けていこう。


     大丈夫。
     俺たちには強いポケモンも、
     ポケモンずかんをくれるオーキドはかせもいないけれど……






    ――いつもいつでも本気で生きている、
      “仲間”だけは、いる。


      [No.2249] ニヤニヤがとまらない 投稿者:レイニー   《URL》   投稿日:2012/02/18(Sat) 01:29:49     77clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    しばらくリアルの方にかまけてて、ストコンベストのUGM改稿くらいしかできていなかった間に、こんな作品が!
    ……ええ、大変遅くなりましたすみません。

    グッドでアルティメットでウルトラなおじさんが、おじいさんになった姿、ニヤニヤしながら読ませていただきましたよ!
    まさかこんな未来が待ちうけていようとは!

    アルティメットでグッドな未来が彼に、そして世界に訪れるのか、新天地で彼がその糸口を見つけられるのか、続きが気になって仕方ありません。ニヤニヤ。

    また、UGM作者としては、三人称文になると、また全然違った趣になるなぁというのが印象的でした。

    > 【書いていいのよ】
    > 【好きにしていいのよ】
    【むしろ続き書いてほしいのよ】

    > 【レイニーさん、アルティメットグッドマンお借りしました】
    ちなみに超今さらですが、アルティメットグッドマン自体パク…パロディなので、(出典:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A9%E3%81%8D%E3%81%A9%E3%81%8D ..... A.E3.83.BC
    私が「お借りしました」と言われるのもアレかもです。
    しかし、マサポケ的にはおじさんはコピーレフトです。
    スケベクチバシさんみたいに広まればいいのよ!

    最後になりましたが、素敵な作品、ありがとうございました!


      [No.2248] アンハッピーバレンタイン 投稿者:紀成   投稿日:2012/02/16(Thu) 18:02:14     75clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    バレンタイン…… 正月気分がすっかり抜け、更に一月が過ぎた頃にやってくる。ちなみに一部の人間には『忘れた頃に』が付くという。関係ないが作者もそうである。だって男子にあげないし。
    女子がチョコレートに義理や本気を込めて意中の男子に渡す。と、ここまでは皆さんご存知であろう。だがこんなカップル同士の甘いイベントとしているのは日本だけである。そりゃあ、海外でもカップルが関係することは間違いないが、その中に『お世話になっている人』や『家族』も入るのはおそらく向こうだけであろう。ちなみにイタリアでは男性が女性にバラの花束を贈る日ともされている。
    まあどちらにしろ、信頼し合っている人の絆を深めるイベントと見ていいだろう。一部を除けば。

    ――そう、一部を覗けば。


    鼻が溶けそうだ、とバクフーンは思った。ここ数日、街に出ると必ず鼻を押えなくてはいけなくなる。それだけ街に充満する匂いが一致していた。どこの店からも、甘ったるい香りが漂ってくる。それに付け加え、柑橘系の匂い、ベリー系の匂い。そしてブランデー、シャンパン、ワインのアルコール臭。
    右の店からはバラの匂いが漂ってくる。花屋だ。凍えてしまわないように中で展示してあるのだろう。こちらから白やオレンジ、赤色が見えた。まだそこまで蕾が開いていないが、この状態のままあげれば家に飾る期間が長くなるだろう。
    反対側の店はケーキ屋だった。アップルパイが美味しいことで有名な店だ。目印はフランスはパリにあるエッフェル塔の砂糖細工。だが今日はアップルパイの香りだけでなく、別の甘い匂いが漂ってくる。
    チョコレートだ。
    チョコレートをたっぷり使ったパイが、カウンターに所狭しと並べられていた。
    バクフーンは甘味が嫌いではない。むしろ好きな方だ。だが、こうもギュウギュウ詰めに匂いを嗅がされてはたまったものではない。早いところ散歩から戻って、無糖のゼクロムを……
    ライモンシティ、ギアステーション前。お馴染みとなったカフェ『GEK1994』は、世間のバレンタインイベントなど何処吹く風で、いつも通りの営業をしていた。ただ多少メニューに変わりはあるが。
    寒さと匂いでへとへとになったバクフーンを、ユエが迎えた。
    「お帰り。散歩はどうだった?気分転換に…… 
    ならなかったようね」
    様子を見てすぐに気がついたらしい。もぞもぞとカウンター下に潜り込むバクフーンに苦笑した後、カウンターに座っていた彼女らにカップを出した。
    「はい。バレンタイン限定、ホットチョコレート」
    まだほかほかと温かいそれは、寒空の中を歩いて来た学生達にひと時の安堵をもたらした。店内に笑顔という名の花が咲く。
    「おいしい!そんなに甘くないし」
    「皆はバレンタイン、どうだったの?友チョコとか本命チョコとかあげたの?」
    ユエの言葉に、カウンターの花だけが萎れていく。あら、とユエは焦った。聞いてはいけないことを聞いてしまった……気がする。
    「んー、友チョコ交換はしたんだけど」
    一人の子が、持っていた小さな紙袋の中身をカウンターに出した。可愛くラッピングされたクッキー、ミにチョコレート、キャンディ、ビスケットの数々。流石女の子同士。それぞれのセンスが光っている。
    「可愛いじゃない」
    「でも、本命渡せなくて……」
    「どうして?」
    一人がユエをキッと睨んだ。察せ、という意味だろうか。ユエは恋愛に疎い。これ以上ないというくらい疎い。だが場の空気は読める女だった。肩をすくめて、話題を別に持っていく。
    「まあ、ね。熱いカップルを見たらチョコレートも溶けるわよ。というわけでチョコが溶けるどころか固くなるくらい冷たい話でもしましょうか?」
    「えっ」

    「こんちはー」

    グレーのスーツを着た女が入って来た。首にマフラーを巻いているだけの姿を見て、学生達が震える。一方ユエは特に気にせずに女に気さくに声をかけた。
    「カズミ。久しぶりね」
    「取材で近くまで来たから寄ってみたんだ。ほれ、お土産。あとゼクロム頂戴。熱いの」
    カズミのお土産は、ココアパウダーがたっぷりかかったティラミスだった。タッパー一つ分あり、ユエ一人じゃとても食べきれない。そこでスプーンを渡して学生達にも手伝ってもらうことになった。
    「グッドタイミングのお菓子ね。これ食べて来年は頑張りなさい」
    「どういうことですか」
    「ティラミスは、元々名前が『Tirami su!』……『私を引っ張りあげて』『私を元気付けて』って意味なの」
    ああ、と皆が納得したところでカズミが言った。
    「ユエ。さっきこの子らに言おうとしてた話を聞かせてよ。コラムに使えるかもしれない」
    「あら、何処から聞いてたの?」
    「ちょっと趣味で読唇術勉強してんだ。それで」
    一般人がそんなの勉強すんなよ!と思うかもしれないが、カズミはフリーのジャーナリストである。なので表に出せない話を得るためにこれを勉強した、らしいが……
    「アンタいつか殺されるわよ。モランの部下みたいに」
    「1929年2月14日。よく考えたらまだ一世紀も経ってないんだねえ」
    「なんでバレンタインってこう血塗られた歴史が多いんだか」
    「ヴァレンティヌスが処刑されたのもその日なんだよね」
    二人の会話についていけない学生達が固まっていた。ホットチョコレートは冷めてしまったようだ。



    ※補足
    ・1929年2月14日……アメリカ・シカゴで起きたギャング同士の抗争事件。アル・カポネが敵対するバックズ・モランの部下六人とたまたまそこにいた眼鏡屋をガレージの前に立たせて銃殺した。血のバレンタインとも呼ばれている。
    ・ヴァレンティヌス……ローマ時代、クラウディウス二世によって結婚できないようにされた法律を破り、恋人達を結婚させていた司祭。掴まり、2月14日に処刑された。


    ――――――――――
    世間が甘い雰囲気に包まれてるのでここらで冷ましてあげようかなー……と。
    ちなみに私は皆と交換して沢山もらいました(笑


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