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一瞬
突然だが、ここで質問だ。
今、二人のトレーナーが一対一のバトルを繰り広げようとしている。
一方はロズレイド。両手に毒持つ薔薇の花を携えた、細身の騎士のような出で立ちのポケモン。
一方はジャラランガ。全身にジャラジャラと音の鳴る鱗を持つ、アローラ地方はポニの渓谷で修業を積んだ竜族のポケモン。
読者諸賢には、どちらのポケモンが勝つのか予想しながら読んでほしいのだ。
無論、ルールは説明する。
勝負はシングルバトル形式で手持ちは一体のみ。使用できる技の数は制限なし。相手を戦闘不能にすればその時点で勝ち。どちらも戦闘不能にならなくとも、試合開始後20分が経過したところでジャッジによる判定が行われる。体力の具合、戦いに対する意欲、技の命中率などを〇、△、×の三段階で評価し、より得点の高い方の勝利である。この評価に関しては、ホウエン地方のバトルフロンティアの一施設、バトルアリーナのルールを思い出してもらうと分かりやすいだろう。ん?バトルフロンティアなんて知らない?バトルハウスの間違いじゃないかって?まぁ、そういう施設があった世界線も存在すると、そう考えていただきたい。
*
「一瞬で終わらせてやる」
というジャラランガのトレーナーの宣言通り、勝負はまさに一瞬の決着だった。察しのいい読者諸賢なら、何となく想像がつくのではなかろうか。いや、そんな単純な話ではないだろうと勘ぐる疑り深い方は、真反対のことを想定しているのかもしれない。あるいは、そのどちらでもない状況を想定しているか。私が語る言葉の中にいくつかの嘘が含まれていて、「一瞬で終わった」という部分がその嘘であるという可能性を思い浮かべているのか。そもそも「一瞬」という言葉にあやがあると考えるか。
考えてみれば、「一瞬」の辞書的定義は「きわめてわずかな間」だが、使われ方は人それぞれである。辞書通りひとたび目を瞬く間の出来事であるかもしれないし、そこまで短くはないものの少し、という意味であるかもしれない。最近は少しの間席を外すときにも「一瞬で戻ってくる」、他人にものを借りるときですら、「一瞬○○を貸して」という表現が使われるようになっているようだから。
それについては、先に弁解しておく。私のいう「一瞬」は、本当に「ひとまたたき」の間である。そして最初にも述べた通り、この勝負は「一瞬」の間に決着がついたのである。
*
さて、決着は一瞬とは言ったものの、勝負は膠着状態のまま進んでいった。
トレーナー同士の戦いならば、トレーナーが声で指示を出してその指示通りにポケモンが動くのが基本である。しかし、今回の戦いでは、はじめのうちはトレーナーさえも互いに睨み合い、探り合い、何の指示も出そうとしなかった。どちらもここまでトーナメントを勝ち抜いてきた実力者。相手のポケモンが何であろうと油断はできないのだと言わんばかりに、じっくりと相手の動きを観察し、最良の指示を出さんと身構えていた。隙あらば一撃で相手を仕留められる攻撃を叩き込まんと、虎視眈々と隙を狙っていた。
一方、ポケモンの方はというと。向かい合ったジャラランガとロズレイドは、一定の距離を保ちながら反時計回りに回っていた。ロズレイドは両手の花をだらりと下ろした状態で、眼光だけで相手を射殺してしまうのではないかと思うほどにジャラランガを凝視しながら。ジャラランガはやはりロズレイドから目を離さず、ファイティングポーズを取って威嚇するように鱗をこすり合わせながら。相手の一挙一動を見逃さないように、隙あらば飛びかかって必殺の一撃を放つために、互いが互いをじっと見つめていた。一分、五分、十分、見ている側も戦っている側も痺れを切らしそうなほど長い時間、二匹はそうして回っていた。
何故、互いに何も仕掛けないのか。二人のトレーナーの頭の中ではそれぞれ別の思考がぐるぐる回っているのだろうが、参考までに、二匹の特徴を私なりにまとめてみようと思う。
素早さ自体は若干ロズレイドの方が早いものの、大きな差はない。
物理的な攻撃力や防御力ならジャラランガが秀でている。毒タイプのロズレイドには得意の格闘技による大ダメージは狙えないかもしれないが、ジャラランガは炎のパンチや冷凍パンチも放つことができる。一度でも懐に飛び込み、格闘技の動きに乗せてそれらを撃ち出せば、物理防御力に乏しいロズレイドはひとたまりもない。ロズレイドはやどりぎのタネを使うことができるし、一刺しで相手を死に追いやるほど強力な毒の棘を持っているが、ジャラランガの身体は堅い鱗で守られているため、タネや棘がそう簡単に通るものではない。激しい攻撃の合間を縫って鱗の鎧の隙間に毒針を打ち込む、あるいはわざと攻撃を受けて毒の棘が刺さるのを狙うやり方も無きにしも非ずだが、それはあくまでジャラランガの一撃を避けきるか、または堪えきれればの話である。攻撃を避ける間にねむりごなやしびれごなを舞わせるという手に関しては、ジャラランガの特性が粉攻撃を完全に防ぐ"ぼうじん"だった際には全く無意味となる。
ここまでだとジャラランガの方が圧倒的に有利じゃないかと思われるが、一口にそうだとは言い切れない。物理的な攻防は苦手でも、ロズレイドは特殊攻撃に秀でている。更に、ジャラランガが最も苦手とするフェアリータイプの特殊技、マジカルシャインを放つことができるのだ。ジャラランガの特殊技に対する防御力は低くはない。むしろ、そこいらのポケモンと比べれば格段に高い。それでも下手に近付けば、カウンターで手痛い仕打ちを受けて沈むのがオチである。
では、遠距離から狙い撃てばいいのではないかということになるが、それはそれで問題がある。
まず、二匹が使える遠距離攻撃が、大概は直線的に進むものであるということ。ロズレイドならばソーラービームやマジカルシャイン、ジャラランガなら直線的な攻撃は、いくら素早く放っても予備動作を見て素早く反応することで簡単に避けられてしまう。ロズレイドのマジカルリーフのように相手を追尾する攻撃でも、ジャラランガは着弾までの時間に火炎放射で焼き尽くすなりスケイルノイズの衝撃波やドラゴンテールなどで叩き落とすなり、ダメージを受ける前に対処することも可能である。そもそも、ドラゴンタイプのジャラランガには、草タイプのマジカルリーフは効果薄であることも忘れてはならない。といっても、実力が拮抗した者同士の戦いでは、こうした小さな一撃も馬鹿にならないことを互いのトレーナーは十分把握している訳なのだが。
近接戦闘向きに思われるジャラランガの重い打撃は、直撃せずとも周囲の地形を変えるほどの衝撃波を放つ威力がある。ただし、ダメージを狙うならば、ある程度距離を詰めなければならないことに変わりはない。特有技のスケイルノイズや、特有Z技のブレイジングソウルビートは身代わりや壁を貫通して攻撃することはできる。前者は物理防御力が下がるというデメリットがあるものの、予備動作が小さく威力も大きい。ただし、媒質を伝わるうちに減衰するという音波の特性と、これも直線的な攻撃であるため、あまり離れすぎた場所で攻撃の芯を外すと大きなダメージは期待できない。後者は広範囲に安定した威力で技を届かせることができるものの、予備動作以前にZ技特有のポーズを決めなければならない。そんな大きな隙を突けないほど、ロズレイドは愚鈍でも鈍足でもない。
対するロズレイドは、毒の棘を持った蔓を地面に這わせ、相手の足元から攻撃するという戦法を取ることもできる。これならばどこから毒の棘が現れるか予想がしにくいうえ、ジャラランガの鎧を気にせず攻撃できる一つの方法である。が、蔓を地面に這わせている間はその場から動けないというデメリットもある。遠くを狙って蔓を伸ばしたところで、距離を詰められて打撃を食らえば終わってしまう。高い特殊攻撃能力を生かすとすれば、エスパータイプの技、神通力が効果的であろう。見えない念の力で攻撃するこの攻撃は、一度放たれたら最後、撃たれた相手は攻撃されたことすら気付かずに終わってしまう可能性もある。ただし、少し念じれば強い念の力を放てるエスパータイプとは違い、草・毒タイプのロズレイドでは発動までのタイムラグを要することになる。発動を読まれてしまえば、蔓攻撃と同じく技が起動するまでに決着を付けられる可能性も否定できない。そして忘れてはいけないのが、ジャラランガが持ちうる特性の一つ、"ぼうだん"。相性は良くも悪くもないが使う機会があるかは分からないシャドーボールやヘドロばくだんなどの砲弾系の技を一切受け付けないのである。これらはロズレイドのメインウエポンとして使われることも多いため、運が悪いと遠距離からでは一切技が通用しないという可能性も十分にあり得る。
すなわち、遠距離だろうが近距離だろうが迂闊な手出しを出来ないからこそ、このような遅延行為じみた状態になっている――と、傍から見ればそう思うかもしれない。
*
制限時間まであと一分。スタジアムの時計の文字が、早く決着を付けろと赤く染まった。それでも互いに向き合って公転運動の如く回り続ける二匹にしびれを切らしたのか、三十秒前には警告ブザーまでなり始めた。それでも、二匹は以前回り続ける。二十秒、十五秒。十、九、八、七、六……とここで、双方のトレーナーから短く「行け!」と指示が飛んだ。どちらも具体的な技は告げなかった。こうした指示の出し合いですら、出された指示にあと出しで反応されては困るとでもいうかのように。あるいは、はじめから決め技を打ち合わせていたかのようでもあり。長らく待たされてなおも回り続けた二匹が、遂に動いた。
ロズレイドは両手の蔓に妖精の光を纏い。
ジャラランガは右に炎を、左に冷気を纏った両の拳を振りかぶり。
ロズレイドが、ジャランガが、互いに持てる力の最大限をぶつけんと地を蹴った。
そして。
次の瞬間、二匹のポケモンは共に、地に倒れ伏していた。互いに技をぶつけ合う前に、同時に倒れ込んだ。誰もが望まない形で、勝負は引き分けとなってしまったのである。
ここで勘のいい読者諸賢ならば、ロズレイドとジャラランガが互いに何を仕掛けたのか薄々気付いているかもしれない。
ロズレイドは円形に回りながら、足元に罠を仕掛けていた。両腕の蔓に生えていた、猛毒の棘である。どくびしと呼ばれるその技は、ロズレイドがまだロゼリアの頃に覚えたものだった。知らず知らずのうちに棘を踏んでいたジャラランガは毒に侵され、じわじわと体力を奪っていったのだ。加えて、ロズレイドはこれまた気付かれないように神通力で攻撃を仕掛けていた。目には見えない超能力はジャラランガの弱点のエスパー技。大っぴらに使っていては気付かれるため、出力を抑えて、少しずつ、少しずつ体力を削っていたのだった。
対して、ジャラランガも何もせずに回っていただけではなかった。
回りながらも、全身の鱗を小刻みに振動させ、傍目に見ても分からない衝撃波を撃ち出していたのである。細かい振動はゆっくりと、しかし確実に、気付かれることなく。電子レンジの要領でロズレイドの身体を震わせた。やがて振動は激しくなり、体の内側からロズレイドを蝕んでいたのだった。
かくして、長時間に渡った二匹の戦いは、「一瞬」にして引き分けに終わったのである。
こんなの一瞬とは言わない?確かに、勝負全体は一瞬とは言えない長い時間だった。しかし、屁理屈を言わせてもらえば、決着の瞬間はまさに「ひとまたたき」の間だったわけなのだから。
*
試合の後、二人のトレーナーにこの日の戦略について尋ねてみた。すると、思いもかけないことが分かった。
予想の通り、二人のトレーナーはそれぞれ自分のポケモンに、試合開始後どのように立ち回るかあらかじめ指示を出していたのだという。しかし、それは最後の一撃についてだけ。それまでの駆け引きに関しては、二人の知るところではなかったというのだ。
何が言いたいかというと。つまり。
目には見えない攻防を、水面下の駆け引きを、ロズレイドは、ジャラランガは、自らの判断で行っていたというのだ――
私の名前はガーベラ。自警団〈エレメンツ〉の団員です。私の所属する組織〈エレメンツ〉は、このヒンメル地方で起こる様々なトラブルに対処するべく日夜奔走しています。
私の上司のソテツさんは、現場に赴くことが多い方なので特に忙しそうです。私はそのソテツさんの補佐もしています。ソテツさんとは師弟関係でもあるのもあり、多分現状では私が一番ソテツさんと一緒に行動していると思われます。
そう……補佐であり弟子であるからこそ、彼の体調が、分かってしまうのです。
いえ、誰にでもわかるくらいには、ソテツさんは今にも寝不足で倒れそうでした。
「ガーちゃーん……オイラはもう駄目なようだー……あとは任せたー……」
「ガーちゃんじゃありません。ガーベラです。しっかりしてくださいソテツさん。溜まっている相談はあと一件だけですので……あと私に掴まっていてください。落っこちたらシャレになりません」
「お言葉に甘えるよ……」
大きな葉っぱの被膜を持つ首長のポケモン、トロピウスの背にに二人乗りをして空飛んで現地に向かっていると、後ろのソテツさんが珍しく弱音を吐きます。今週ソテツさんは寝る暇があまりありませんでした。寝ようとしても不規則な休眠は机に突っ伏していたり、椅子で寝ようとして失敗していたり……など姿勢の悪い状態で寝ていました。現在は二徹さんです。本当は今回の依頼も私だけで対処できればいいのですが……まだ一人で向かうには自信がなく、大変申し訳ないのですがソテツさんについてきてもらっているという感じです。自分の未熟さに情けなくなりますが、へこんでばかりもいられません。気を引き締めてその場所へ向かいます。
問題の起こっている谷間に到着する直前、じゃらじゃらとした何かを鳴らす音を集めたような騒音が辺りに響き渡ります。空にまで響くその大きな音に、私とソテツさんも顔をしかめます。
「この音が……例の」
「いやー、確かにこれはキツイねー……」
今回の相談は、谷間の近くの村からの住民から持ち掛けられたものでした。
先程のじゃらじゃらとした音が、谷間の方から昼夜問わず頻繁に大音量で鳴り響いていて困っているとのこと。つまりは「五月蠅いからなんとかしてくれ」という事案でした。
谷間を進んでいくと、眼下に騒音のらしき原因ポケモンとポケモントレーナーとその手持ちポケモンの姿が。
ポケモンは予想通り、大量のじゃらじゃらしたうろこを身に着けたドラゴン・かくとうタイプのポケモン。ジャラランガ。ジャラランガのトレーナーは、赤茶の髪を後ろで縛った少年でした。やはりといいますか……少年はジャラランガに技の特訓をさせていました。
こちらの存在に気付いた少年とジャラランガは技の練習を中断し、物珍しそうな顔で私達を出迎えました。
「こんにちはー、オレたち以外のトレーナーが来るなんて、珍しいな! オレはヒエン! こっちはジャラランガ、姉ちゃんたちは?」
「こんにちは。私はガーベラです。こちらはトロピウスと、ソテツさんです」
「やーよろしくー……」
ひらひらと手を振るソテツさんを見たヒエン君は口をあんぐり開けていました。
「ソテツ!? あの〈エレメンツ〉『五属性』の一人のソテツさん!? なんでまたこんなところに!?」
「キミに会いに来たんだよー……」
「オレに会いに?! うおおお……オレの名もそこまで轟いていたとは」
「轟いていたのは、貴方のジャラランガの技の音です……」
「? どういうこと、ガー姉ちゃん」
「ガー姉ちゃんじゃありません! ガーベラです! ……まったく、もう。ヒエン君。貴方のジャラランガが出す音が、近所迷惑になっていると苦情がありました。場所を移動するなり、自粛をしてもらいたいのですが」
要求を言うと、ヒエン君は明らかに納得のいっていない渋い顔をします。
「なんでだ? ポケモンの技の練習で騒がしくなるのは当たり前じゃないか、それをするなって言われても……ここの場所見つけるのにも、結構苦労したのに」
「まったくするなと言いたいわけではありません……せめて夜間だけでも、控えてもらえませんか?」
私の提案に、彼は譲りがたい理由を述べました。
「オレたちはもっと強くなりたいんだ……そのためには技を磨きたいんだ……頼むよガーベラ姉ちゃん、ソテツさん……『ポケモン保護区制度』なんてものがある限り、オレらはオレらで強くなるしかないんだよ……」
『ポケモン保護区制度』
それはヒンメル地方のポケモンの生態を護るために近隣の国々が押し付けてきた、ポケモン捕獲に対する制限。この制度で苦しんでいるトレーナーが山ほどいるのは知っていました。ポケモンを捕まえる機会が少ない以上、強くなるためには今いる自分とポケモンたちだけで強くならなければいけないのが、現状。
それでもヒエン君はジャラランガと強くなろうとしている。私たちのしていることはその邪魔でしかないのは、分かってはいても苦しいものでした。
でも、安眠できない村の人たちのことを考え……結局私は、頭を下げてお願いしました。
ヒエン君は「仕方ないか」とこぼした後、ある条件付きで説得に応じてくださいました。
「頭を上げてって――――じゃあさ、ポケモンバトルしてくれよ。経験は多い方がいいし、一度〈エレメンツ〉がどれほどの実力なのかって、知っておきたいし」
〈エレメンツ〉の実力を知りたい。その言葉の中にはソテツさんへの指名は含まれていませんでした。ヒエン君はソテツさんの体調を気遣ってくれたのでしょう。
ヒエン君、本当はソテツさんとバトルしたかったはず。私にその代役が務まるのか。不安がこみ上げてきます。ですが、ここは引けない。引くわけにはいかないのです。
「……ソテツさんは、休んでいてください」
「大丈夫? とは、言わないさ――――任せた」
「任されました」
ヒエン君の妥協してくれた恩に報いるために、私はトロピウスをソテツさんに預けて、別のモンスターボールを握りしめました。
「私が相手です、ヒエン君。ルールはシングルバトルの1対1。いいですね?」
「いいよ……ありがとう。ガー姉ちゃん」
「それはこちらの台詞です。そして、ガー姉ちゃんじゃありません、ガーベラです」
「……こだわるね」
「こだわりますとも」
「まあ、いっか――――ジャラランガ! 久々のバトルだ! 気合入れていくぞ!」
じゃらん、とうろこを鳴らし咆哮するジャラランガに対し、私はモンスターボールを上空へ放り投げます。ボールが開き、光と共に現れたのは、草・毒タイプのマスクをつけた花の化身、ロズレイド。
「お願いします……ロズレイド!」
バトルはあまり得意ではありませんが……私の持てるものをぶつけるために、彼の持てるものを受け止めるために、私達はバトルを始めました。
**************************
「先手はもらいます! ロズレイド、『ヘドロばくだん』!」
花束のような腕をスイングさせて、毒爆弾を飛ばすロズレイド。放物線を描いたその毒爆弾は――ジャラランガに届く前に“何か壁のようなもの”にぶつかりはじけて霧散した。
「へへっ、効かないよ! ジャラランガ、『ドラゴンクロー』でお返しだ!」
「爆弾系無効化特性……『ぼうだん』ですか。ならっ、『グラスフィールド』!」
ロズレイドを中心に広がる草の大地『グラスフィールド』が、駆けてくるジャラランガの足元にまで及び、ツタが足に絡まる。
「足場を悪くしてくるかー、構わず突っ込めジャラランガ!」
「かわしてくださいロズレイドっ!」
ジャラランガはツタを引きちぎりながらロズレイドへなお接近。ロズレイドに竜爪を使い連続で切り裂いた。ロズレイドはかすり傷を負っていく。が、微々たるものだがロズレイドの傷口がどんどん回復していく。それは、かすり傷程度では押し切れない回復スピードだった。
「『グラスフィールド』の回復効果か! 確かにかわされ続けたら、決定打がなければ押し切れないね……でも、回復はジャラランガもするし、ダメージを与えられないのはそっちもじゃない?」
「それはどうですかね」
カーベラの言葉に、ヒエンはジャラランガの様子がおかしいことに気づく。
眉間にしわを寄せ、少し息苦しそうなジャラランガ。ジャラランガの体力は、毒で削られていたのだ。毒を仕掛けたのは、ロズレイドの特性。
「しまった『どくのトゲ』か」
「ふふ、タイムリミットが出来てしまいましたね。しかしゆっくりしている暇は与えませんよ! ロズレイド、タネをお見舞いです……!」
ロズレイドが花束のから“タネ”を射出して、ジャラランガに埋め込む。
(まずい、『やどりぎのタネ』! 時間が経てば経つほど、タネにジャラランガの体力が吸い取られる!)
「さて、この布陣をどう切り抜けますかヒエン君?」
ヒエンは動揺していたが、時間をかけるだけジャラランガが不利になる事実を飲み込んでいだ。両手で頬を叩き、瞬時に冷静さを取り戻したヒエンは、ジャラランガへ次の一手を指示する。
「いくっきゃ、ない。やるっきゃ、ない! ――――ジャラランガ! 今こそ特訓の成果を見せる時だ!」
ヒエンの声に、ジャラランガが応える。ヒエンは両腕を交差し、右腕につけた『Zリング』に力を籠め始めた。
「まさか……ロズレイド、踏ん張りをきかせて耐える準備を!」
「いくぞジャラランガ!!」
『Zリング』から出される己のゼンリョクエネルギーをその身に纏ったヒエンは、半円を両腕で描かせてから、その握り拳を正面に突き出す。右足を一歩後ろに引いてから、ドラゴンの口を連想させるようにヒエンは腕を、拳を、今にも噛みつく竜の如く開き構えた!
「これがオレたちの魂のZ技……っ!!」
ヒエンの全力の動作から放たれるエネルギー波を受け取ったジャラランガは、儀式のような雄々しい舞いを始める……じゃらん、じゃらん、と鳴り響くジャラランガのうろこがだんだん早くなる舞いに合わせて小刻みに震えていき、やがてそのバラバラだった音は一つとなり超爆音波となりロズレイドに襲いかかる――!
「喰らえっ! 『ブレイジングソウルビート』おおおお!!!!」
ヒエンとジャラランガ。ふたりの咆哮がガーベラとロズレイドを飲み込んだ。
圧力となった音の塊に押しつぶされそうになるロズレイド。だが、ロズレイドはその猛攻を耐えきる!
音の嵐が過ぎ去り、静けさが戻るころ。にらみ合う形だったジャラランガとロズレイドが体勢を立て直す。
「なんとか、しのぎ切りましたか」
「いいやまだだね! ブレイジングソウルビートの追加効果、オールアップ!」
「なっ」
ガーベラが驚くのも束の間。ヒエンの合図に呼応して、ジャラランガの周囲に五色の光が溢れる。
「攻撃、防御、特攻、特防、素早さ、全部能力上昇ですか。なかなかにえげつない……『ギガドレイン』で体力を奪いますよ、ロズレイド」
「させないよ! 『ドレインパンチ』で迎え撃て、ジャラランガ!」
再びの接近戦。ロズレイドの放つ光がジャラランガの体力を吸い取る。ジャラランガの放つ拳がロズレイドの体力をかすめ取る。お互いいまひとつ相手の体力を削れない。しかし毒のダメージや、フィールドの草タイプ技の『ギガドレイン』の威力が上がる効果などによって次第に二体の体力の差が離れていく。
「まだ、まだだ。もう一発。もう一発『ドレインパンチ』……!」
そして『グラスフィールド』も消滅し、とうとうジャラランガの体力が尽きようとしていた。少し距離を取るロズレイドを見据えながら、ジャラランガは両手と片膝を地につける。
その様子を見たガーベラは、宣言する。
「そろそろ、決着ですね。ロズレイド、最後の攻撃の準備を」
その余裕をもった言葉に、ヒエンは同意した。
「そうだね。最後の攻撃をしよう――――オレたちの勝ちだ!」
宣言返しを合図に、クラウチングスタートでロズレイドめがけて今までで一番早く走るジャラランガ。ヒエンが拳を突き出して、ジャラランガの技名を叫ぶ。
「『きしかいせい』の一手、喰らえ!!!」
『きしかいせい』とは、ダメージを受けていれば受けているほど威力の上がる技である。ヒエンとジャラランガに残された、ガーベラのロズレイドを倒す唯一の手だった。毒のダメージと『ギガドレイン』の威力を見極め、『ドレインパンチ』で残りの体力を調整。そして今の瞬間がベストタイミングであった。
決まれば、ヒエンとジャラランガの勝ち……だった。
「いいえ」
ガーベラの素早く短い否定が終わると同時に、爆発がジャラランガを襲う。
目を見開くヒエン。倒れるジャラランガの向こうに、花束の右腕をガンマンのように突き出したロズレイドの姿をとらえる。
謎の爆発にヒエンは混乱した。しかしどんなに考えても『ヘドロばくだん』の爆発以外にはありえない。けれども弾丸系の技はジャラランガの特性『ぼうだん』によってダメージは通らないはず。
そう、『ぼうだん』の特性が発動しさえすれば。ヒエンとジャラランガは勝っていた。つまりはジャラランガの特性を不発にする技を喰らっていた可能性が出てくるということだ。
(いつ、どのタイミングでそれが起きた?)
ジャラランガに駆け寄り頭を悩ませるヒエンの視界の端に、ジャラランガの身体から芽が出ているタネが映り込む。
そして彼は天を仰ぎ見て、理解した。
「ああああ……あれ……あれ『なやみのタネ』だったのかああああ……!」
「正解です。フェイントは成功していたようですね。そして、私たちの勝ちです」
ヒエンは、眠り状態にならなくなる『ふみん』に特性を一時的に“上書き”する技『なやみのタネ』と、体力を少しずつ奪う技『やどりぎのタネ』と誤認していた。いや、ガーベラに誘導させられていたのだ。
「ごめんよジャラランガ。毒でジャラランガの体力減っていたのと、『グラスフィールド』の回復効果とかで『なやみのタネ』をわかりにくくしていたのかー……でも、それにしてはロズレイド元気じゃなかったガー姉ちゃん?」
「ガー姉ちゃんじゃありません。ガーベラです……ああそれはですね。ロズレイドに持たせてあるこの持ち物ですよ」
ガーベラの指示で、ロズレイドが黒くてどろっとした何かを取り出す。予想外の形状の持ち物にヒエンは一歩引く。
「何これ」
「『くろいヘドロ』と言って、毒タイプ以外が持つと苦しむことになりますが、逆に毒タイプが持つとじわじわ体力を回復してくれる代物です」
「へえー、だから、ロズレイドの回復力が、上がっていたんだね」
「そういうことです。お疲れ様です、ロズレイド」
くろいヘドロをしまうロズレイドと、それを手伝うガーベラを見るヒエンはジャラランガを撫でる。それから彼は、ガーベラの戦い方を思い返していた。思い返し終わった後、ヒエンは素直な感想をガーベラに伝える。
「ガーベラさん、あんなに静かにロズレイドを戦わせられるなんて、すごいよ。オレ、強力な技には強烈な音がつきものだ、強くなるにはより大きな音を出すぐらいじゃないと駄目だって思っていた……でも、そういう静かなバトルスタイルもあるんだね」
「いえいえ……でも、バトルスタイルはポケモンにもよりますし、ジャラランガは音を使いこなすスタイルでもあります。でも、戦い方と強くなる方法は一つでは、ないのかもしれませんね」
「だね。オレもジャラランガも技の威力を上げるだけじゃなくて、音を鳴らすだけじゃなくてもっと戦法とかいろいろ見直してみるよ。そのことに気づけただけでも、バトルして良かった! ありがと!」
ストレートな物言いのヒエンにガーベラは一瞬反応が遅れる。最初はヒエンの対戦相手が自分でいいのだろうか、ふさわしいのかと悩んでいたガーベラは、ヒエンに自分が相手で良かったと言ってもらえて戸惑いもしたが、嬉しかったのだ。その嬉しさを噛みしめ、ガーベラは礼を返す。
「こちらこそ……ヒエン君、お互い強くなりましょう。そしてまたいずれ、バトルしましょうね」
「分かった! その時はガー姉ちゃんもソテツさんも万全の体調で来てくれよな? オレは二人とバトルしたいからさ」
「はい。ソテツさんにもよく言い聞かせておきますね」
「やった! ってー、そういやソテツさん大丈夫かな」
「おそらくは、大丈夫だと思います。ほら」
ガーベラの指差す方には、トロピウスの背中にもたれかかるようにして寝ているソテツの姿が。
「『ブレイジングソウルビート』近くで聞いていたはずなんだけど、よく眠れるなあ」
「そこはほら、耳栓渡しておきました。あとはトロピウスのフルーティーな香りに包まれて熟睡コースです」
「もうちょっと寝かせてあげようか」
「ですね。では、おやつにトロピウスの首についてるきのみ食べますか? 甘くて美味しいですよ」
「いいの、やったっ」
そうして二人は、きのみを食べながら、午後の昼下がりを談笑して過ごした。
二徹だったソテツが目を覚ましたのは、夕時だったという。
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あとがき
バトル描写書き合い会といいつつ長編で連載中の明け色のチェイサー短編で描きたかった話とうまく融和できそうだったので、書いてしまいました。
以下、今回のジャラランガとロズレイドの構成です。
ジャラランガ♂ 特性ぼうだん アイテム ジャラランガZ
スケルスノイズ(ブレイジングソウルビート) ドラゴンクロー ドレインパンチ きしかいせい
ロズレイド♀ 特性どくのトゲ アイテム くろいヘドロ
ヘドロばくだん なやみのタネ グラスフィールド ギガドレイン
目と目が合ったらポケモン勝負、はトレーナーの常識の一つだ。見えるところに携えたモンスターボールはその勝負を受け入れる証でもある。
男は自分の腰に提げたそれを、ポケモンを繰り出す動作の前準備として素早く撫でていく。既に勝負のためのルーチンの一つと化した動き。指先がつるりとした表面を通る度、始まる勝負に向けて気分が昂ぶっていくのが分かる。ボールの中に収まっていながらポケモンたちもまた高揚を隠さず、ボールごとがたがたと震えている。
男の視線は真っ直ぐに、相対したトレーナーの動作へと注がれていた。ポニ大峡谷に吹き付ける強風に煽られた麦わら帽を片手で押さえながら、もう片方の手で鞄の中へ手を伸ばす観光客の女へ。
人里さえ数えるほどのポニ島だ。雄大な大自然が残ると言えば聞こえはいい。その実が強力な野生ポケモンの多く棲む場所であることはアローラの住人ならずとも旅の経験があるポケモントレーナーならば察しはつくだろう。この島に長く住まう男でさえ、帰り道の不意の野生ポケモンへ備えるためバトルに使うポケモンも相手取るポケモンも一匹に留めるというポリシーを貫いているほどだ。
そんな島に一人で足を踏み入れて大峡谷まで辿り着くことができる実力あるトレーナー。この場所にいるということは、女はそういう人物であるということだった。
年若い女だ。大峡谷の外周、バトルフィールドに選ばれた平地を挟んで男と向かい合う姿を誰かが見たのなら親子とさえ見えるような。だからこそ面白いんだと男は心中でほくそ笑んだ。島巡りの一環としてこの地を訪れるトレーナーにも若くしてポケモンと通じた少年少女は多い。だがアローラの外にも若年ながらに実力あるトレーナーは溢れている。
男はここでそんなトレーナーを待ち構えるのが好きだった。いつか勝負したホウエン出身の相手に、ナックラーのような男だと形容されたことさえあるほどに。
見つめる先の女は早々と選定を終え、鞄から取り出したボールを高々と投げ上げる。現れたのは両手に紅青の薔薇のブーケを携えたポケモン。すらりとした二足歩行の姿、仮面じみた模様を持つ顔。頭髪とも花弁とも取れる頭部の白を残して全身を覆う緑の体色、そしてその両腕がその身に纏うタイプを教えている。
しかし読み取ったそれを男が自らの選定に活かすには今一歩遅かった。相手を目にした時には既に男は繰り出すべきポケモンを決め、次の動作へ移っていた。
腰に並ぶボールからひときわ大きく震える一つを選び取って、男はポケモンを放つ。見もせずに選んだからといってそれがどの種族か分からないほど手持ちとの付き合いは短くない。ベテラントレーナーとして、男は人一倍ポケモンバトルに対する自負を持っている。
紅白のボールが空中で弾ける。データの光が一瞬にして固体へと変わり、鎧に身を固めた二足の人型竜が地を踏む。
「わ、ジャラランガ? だよね! ちょうど見に行くところだったんだ、もう生で見られるなんてラッキー!」
一鳴きと打ち鳴らす両の拳、その腕と尾に広がる鱗のそれぞれがぶつかり合うけたたましい音で目前の相手を威嚇する姿を目にして女が歓声を上げる。戦闘の緊張感を削ぐような黄色い声に、男は僅かばかり眉を顰めた。
対する女のポケモンは受ける威圧も背後の高い声もどこ吹く風といった調子で、隙なくジャラランガの出方を窺っている。このポケモンが相当に鍛えられていることは間違いがなかった。両腕、足、尾、鱗。女の口ぶりからすれば初めて見るはずのポケモンに対して、攻撃の起点となるであろう部位を的確に判断し警戒していることが読み取れた。
誰かの鍛え上げたポケモンを借りてここまで来たか。あるいはこの女が、今そうは見えずとも手持ちをここまで鍛え上げるだけの力を持つのか。
その判断を、男は観察ではなく一声に任せた。
「まずは小手調べだ、これだけで倒れてくれるなよ!」
その言葉を聞くや否や、三つ爪を備えたジャラランガの脚が力強く地を蹴った。技名を呼ぶことすら要らないほどに男にもジャラランガ自身にも慣れ親しんだ、幾度となくこの場で繰り返してきた「小手調べ」の動きにして、最も自信を持つ一人と一匹にとっての言わば基本動作。
鎧の下に隠された筋肉が力強く躍動する。相手の身長は自身の半分、横幅で言えばずっと劣るだろう。そこへ下方から拳を叩き込むためにジャラランガはごく低い前傾姿勢でその懐へと飛び込んで、そのまま片脚で踏み切った。格闘タイプの膂力を受け止めるにはあまりにも華奢と見える身体へ叩き込まれる、容赦のない『スカイアッパー』。
吹き飛ぶ小さな身体が描く軌跡は、初めこそ放物線を描いていた。その動きはすぐに何かにつかえたように停止する。苦しげな声を僅かに漏らしたのは、仕掛けたばかりのジャラランガの方だった。攻撃を受け止めたと思しき片腕の花束はひしゃげ、そこに咲いた紅色の花は無残にも散りかけている。しかしもう片方の花束の奥からは蔦が伸び、備えた無数の棘をスパイクにジャラランガの片腕をしっかりと捉えていた。
「いい感じ! 逃げられないうちにどくどく仕込んじゃって!」
女の声とともに未だ鎧竜の腕に巻き付いたままの蔦が脈動した。鱗に弾かれようと、鎧を纏わぬ肉へ深々と突き刺さった無数の棘が、内に秘した中空から注射針じみて毒を送り込む。
その切れ長の面差しをとっても細い体躯をとっても流麗、優雅と称されて遜色ないポケモンだろう。しかしマスクのように顔を覆う部位から覗く赤い目の纏った雰囲気は、踊り子のような気品や科からはかけ離れていた。そこにあるのは、遠く噂に聞くポケモンマフィアもかくやというほどの冷徹さ。
「なんだ、全部計算のうちって訳かい?」
「アローラ、ロズレイドいないんだってね。あんまり毒タイプっぽくないってみんな言うから、これがよく決まるんだ!」
勝利どころか策一つを決めただけながら、女は未だもって脳天気な表情でピースサインを決める。細められた瞼の奥にある目が笑っていないのが自分の思い違いかどうか、男は考えるのをやめた。
仕掛けられた罠に自分達がまんまとはまってしまったのは明白な事実だ。ジャラランガは攻撃の要の一つである利き腕を捉えられ、今もその身のうちに広がりゆく異物の感触に顔を顰めている。相手が毒タイプであった以上、いくら体格差があるとはいえ先ほど放った拳の一撃も大した手傷を与えてはいないだろう。男もジャラランガも己の不利をよく理解していた。けれど同時に、それが覆せないほどのものではないとも確信していた。
男がジャラランガを見る。その表情は身体を駆け巡る毒がもたらす苦痛に歪みながらも、まだまだ闘志を失ってはいない。むしろその心中でふつふつと煮えたぎる己の不甲斐なさと自分を陥れた相手への怒りのせいで、戦意はますます増しているようだった。
「ならその目論見、もろとも焼き捨ててやろうか! ジャラランガ、かえんほうしゃ!」
「えっ、なっ、使え、あーっ逃げてー!!」
指示が飛ぶや否や、待ちに待ったとばかり竜の口ががばりと開く。その目に浮かぶ憤怒をそのまま具現化したような紅蓮の炎が見る間に喉奥から噴き出し、驚きに目を見開いた目前の相手へ襲いかかった。二匹を繋ぐ蔦は高熱の前にあっという間に黒く焼け落ちて灰へと変わり、トレーナーの高い悲鳴を背景にしてロズレイドは半ば転げ回るようにしゃにむに距離を取りその魔手の範囲から逃れる。
「一度止まれ、待つんだ! 相手をよく見ろ!」
無事解放されたジャラランガも追おうとしたその動きを自らのトレーナーに制され、不承の意志をありありと宿す鳴き声を上げつつも足を留めた。
未だ感情の動きが収まらないと見える女は自分のポケモンよりもよほど震え怯えた顔をしながら、ジャラランガとトレーナーに信じられないものを見る目を向ける。
「吐けるんなら最初から使えばいいじゃない!? 草ポケモンでしょどうみても! 草は炎に弱い、何ならトレーナーデビュー前の幼稚園児だって知ってるでしょ!?」
「何、焼いて一発で倒れたって面白くないんでね。半端な奴ならあれだけで沈むんだ、試すには十分だった」
「しんじらんない」
思わずといった調子で呟く女の言葉に付き合う理由ももはや特にないことを、男は十分に承知していた。その実力を感じさせない軽い態度、毒を打ち込んでからの引き延ばしのような会話。本当にこの女の振る舞いは、どこからどこまでが計算してのことなのかがさっぱり分からなかった。
焦げた臭いと煙を上げながら遠ざかったロズレイドが、体表に僅かくすぶる火を潰れた方のブーケで叩いて消していた。至近距離からの弱点属性技。疑いようもない痛打を与えたとはいえ、この底の読めない相手をジャラランガの怒りにまかせて深追いすれば先ほどの二の舞となるのは目に見えている。男は迎え撃つ側へと回る心積もりだった。まさしく先ほどの相手が行ったように。
毒以外の手傷は片腕、それだけだ。過剰に時間をかければ毒が回りきるといえども、倒れるまで一刻一秒を争うほどに状況が切迫してはいない。焦りを覚えるような状況に置かれているのはジャラランガではなく、カードが割れた上に深手を負っているロズレイドのはずだ。その手の内がまだ見えきっていなくとも、何か必ずあと一度仕掛けてくると男は確信していた。
敵が至近から外れたことで頭に上った血がいくらかは落ち着いたのか。待機を命じられた拳竜は今や主人の意図するところを汲み、その鋭い視線は再び二足で立ち上がった相手を注視している。技の起点となった両腕、同じ機能を持つとも知れない頭部に咲いた花がどこを向いているのか。その仮面の奥に隠された眼がどこを窺うのか。そのか細い脚に力の籠もる兆候はないか。その一挙手一投足へと注意を向けながら、いつ動きがあれども迎え撃ってやると言わんばかりに尾を揺らす。眼差しと鳴り響く騒音に宿る恫喝の色。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ! ロズレイド! 私たちまだまだ絶対有利、わかってるでしょ?」
弱った身体でその無言の圧力を受け止める手持ちへ女が言葉を掛けた。硬いもののぶつかり合う音の中でもよく通る高い声、明るく弾んだ口ぶりと自信に満ち溢れた目つきは勇気づけるため無理矢理に繕ったという風ではない。本心から無邪気に言葉通りのことを信じているのだろうと思わせる姿。
その背に声援を受けたロズレイドの口元が、滲み出る自負にわずかに弧を描く。くるぞ、という男の言葉は発せられることがなかった。首元から背にかけて、そして尾、それに肩から腕。前に立って己と同じ方向を見つめる相棒の全身に力が込められたのを、自分と同じ予感を確かに感じていることを見て取ったからだ。
女は笑みを崩さない。高まる感情に合わせて自分までもが拳を突き出しながら、高らかに命じる。
「やっちゃえ! 『ベノムショック』!!」
「絶対に通すな!!」
その技名を耳にした瞬間に男は叫んでいた。もっともあっては欲しくなかった隠し球は、まだ相手の手中にあったのだ。
確かにその音を聞き取ったロズレイドは両手を素早く擦り合わせ、その勢いのまま片腕を相手へと向けた。先から噴き出した、その二つの花色が交じり合ったかのような色の液体が捉えたのは残像。
いつでも動けるよう準備を整えた状況を存分に活かし横飛びで逃れたジャラランガは、二射三射の追撃も軽快な動きで回避していく。格闘タイプの例に漏れずジャラランガの運動能力は決して低くはない。根を張ったように一点から動かないロズレイドが繰り出す直線の攻撃をかわすのはそう難しくもないことだ。
しかし男にはこれがいつまでも続けられることではないのも分かっていた。激しい動きはそれだけ全身の毒を巡らせる。そして今もって放たれ続けているあのけばげばしい色の毒液は、別種の毒と反応してその効力を大幅に増幅する代物だ。当たったが最後、身体の内外からの毒に苛まれてジャラランガは戦う気力を失うだろう。その前にロズレイドへ最後の一撃を加える必要があった。
だがそのために必要な、どうやって、の部分を決定的に欠いている。近づいて技を放とうとするのは自らあの毒へ頭を突っ込みに行くようなものだ。勢いを乗せなくとも放てる炎や爆音は、放つべく脚を止め体勢を整えるところを狙い撃たれるだろう。
男が考えを振り絞る間も、鋼の鱗が立てる金属音は絶え間なく響き続けている。それしかないと結論づけるまでそう長くはかからなかった。その終着点に辿り着いた瞬間に口元が楽しげに歪んだのを、男は確かに自覚していた。
「ゼンリョクを燃やすぞ、ジャラランガ!」
咆吼を上げるのにも似て男が叫んだその真意を、おそらく女は理解しなかっただろう。アローラに暮らす民が重んじる「ゼンリョク」の重みは、島々を囲む海の向こうに生きる者たちの言う「全力」のそれとは異なった色を持つ。
それは無論、自分が現在持てるすべての力をこの場で出し切るという志でもある。そしてそれと同時に、出し切った自らの力が通用しなくとも受け入れるという覚悟だ。
黄土色の輝石がはめ込まれた黒い腕輪。それを着けた左腕と着けない右腕を交差させた瞬間にわずかに電撃のような痺れを覚える。バトルを始める自分への合図にボールを選ぶように、男にとってそれもまた一つの合図だった。これから己の全力を解き放つということの。
力強く応じるジャラランガの一声を聞きながら伸びゆく草木のように腕を真上へめいっぱい伸ばして、そのまま両腕を広げて下ろし青空に浮かぶ太陽のような円を形作る。アローラに広がる自然になぞらえた動作のひとつひとつをこなす度に身に宿る力は膨らみ、身体の違和は広がる。けれどそれはそれは今この瞬間も毒にその身を灼かれるジャラランガを思えば気にするまでもないような感覚だった。身体の前に突き出した両手を再び合わせて、腕輪が練り上げる力を送り込む先である相棒へと伸ばす。
一度腕を引き、手を置く位置は顔の横側。わずかに開いた口元のように合わせた掌をも同様に開く。そのまま前へと腕を伸ばせば描く形は竜の口元。それがゆっくりと開いていく様は、まさしく炎を吐き出すために開いたジャラランガの顎。
「な、なにそれ――――!?」
呆気にとられて状況を眺めていた女がようやく上げた声はもはや悲鳴じみていた。それはトレーナーが送り込んだZパワーが、今や金の燐光と化してポケモンを包み込んだことにも起因している。目に飛び込む光に瞼を細めながらも技を放ち続けるロズレイドが、後方でフィールドの全容を目にしているはずの指揮官の声にただならぬ事態を悟る。仰ぐべき指示が下される前に変化は起こった。
躍動に伴って鎧竜の全身から放たれていた音そのものが、びりびりと空気を震わせ始めたのだ。タンバリンのように高く響くその音域は肉体が振動として感じ取るにはあまりにも高すぎるというのに。自身のトレーナーとは打って変わって冷静な様子を見せ続けていたロズレイドの表情にも繰り広げられる未知への驚愕や狼狽、そして迫り来る未知の攻撃への焦燥が浮かぶ。
波立った心はそのまま繰り出す技にも影響し、撃ち出される毒液は精度を目に見えて欠いていく。その間を縫ってなおも跳ね回るジャラランガの動きが、現れてきた余裕の合間に一定のリズムと型をなぞり始める。
尾や両腕を打ち合わせ、揺らし、回し、振り、掲げては下ろす。一跳びで身体の向きを変え、身体を屈めたかと思えば伸び上がる。様々な動きを交えて、全身の鱗をことさらに強く打ち鳴らす。その果てにぐっと腰を低く落とし、高々とロズレイドの頭上目掛けて跳躍する。
もしも無策のままジャラランガがそのような動きをしたのなら、すぐさま撃ち落とされてバトルは終わりを告げていただろう。けれどそれは考え出された最適解としての行動だった。空中で膝を抱えるように身体を縮めたその姿は、全身に纏った鱗を身体の前方へと集中させるような体勢。顎を引ききった視界の確保が難しい姿勢で技を命中させる方法は一つ。すなわち、全方位へ無差別に攻撃を放つこと。
『りゅうのはどう』にも似た、しかしそれよりもずっと強大なドラゴンタイプのオーラ。Zパワーの引き出した竜の真価が、轟音とともに解き放たれる。ロズレイドの足元、大峡谷を形作る岩が振動に耐えきれず砂へと崩れ、暴風のままに舞い上がる。
結果の全容を二人のトレーナーが目にするには数秒の時間を要した。けれどそれよりも早く、二人は決着がついたことを理解していた。己のゼンリョクを貫いたジャラランガが上げる勝鬨の声によって。
「…………終わり、だよね」
「ああ。俺は一対一以上は、ここじゃ受けないようにしている。悪いがここで切り上げにしてくれ」
「うん」
上の空で短く頷いた女は、今まで目にしたものが信じられないとばかりわざとらしく数度瞬きした。もちろん何度やったところでその目に映るものは変わらない。倒れたロズレイド、未だ立ち続けるジャラランガ、削れた地面、揮発し始めている毒液の水たまり。
そうしてようやく女は現実を呑み込んだようで、
「……は――――、凄かった!!」
そう、ひときわ大きく声を張った。初めてジャラランガを目にした時よりも強くその目を輝かせながら倒れた手持ちをボールへと収める。ありがと、と一声をかけながら。
対する男は、応急処置のための薬品を取り出しながら自らのポケモンへ歩み寄る。その一歩目に少しバランスを崩すのは、Zワザを使った後としてはいつものことだ。年齢を重ねるにつれ、Zパワーが身体にもたらす負担を無視しきれなくなってきている。だとしても己のゼンリョクを振るおうと思える相手に出会い、戦えることはそれ以上に楽しかった。
見事相手を打ち倒したジャラランガも実に満足げな表情を浮かべている。男のポケモンの中でも一番の負けず嫌いは、どうやら今日は随分機嫌良く過ごすことになりそうだ。腕の傷口に薬を吹き付けられた後、その姿もまた紅白のボールの中へ消える。
その姿を見送った後、男は女へ目を向けた。聞きたいことはいろいろとあった。どこから来たのか、あのロズレイドというポケモンとはどれくらいの付き合いなのか、ジムバッジのような実力を証明する何かを持っているのか。
しかし声を掛けようとした相手は、バトルの始まりにロズレイドのボールと入れ違いで鞄の中へとしまったスマートフォンをもう一度取り出して何やら写真を撮っているようだった。その意図はさほど理解できなくとも写真撮影程度ならどうせすぐに終わるだろうと待機を決め込んだ男の前で、満面の笑顔は衝撃に満ちた悲哀、そこから大きな後悔の表情へと変わる。
「ああああああああああああっ!?」
「何だ、どうした!?」
スマートフォンを構えたまま血相を変えて勢いよくこちらを振り向く女に、男は何事かと内心慌てていた。向けられた表情が今やひどく必死なものなのもその心配に拍車を掛けた。何か、よくない連絡でも入ったのかと。
例えば今すぐ里に下りたいというのならば取れる手段はある。荷物の中のライドギアへと手を伸ばしながら続く言葉を待つ男へ、女はスマートフォンのみならず空の片手までもを固く握り締めて叫んだ。
「さっきの凄いの動画に撮れなかったー!! ねえねえもう一回やって!? あの壁とかに!」
その言葉が男の耳に入るまでは一瞬。そこからその要求の真意を理解するのにさらに数秒。そびえ立つ大峡谷の外壁を指差してなおも甲高い声で喚き続ける女の言葉よりも、吹き抜ける風の音の方がいやによく聞こえたのは果たして男の気のせいだっただろうか。
間近でZワザを目にする者はアローラ出身者や島巡りの経験者であろうと決して多くはない。しまキング・しまクイーンやキャプテンに代表される、Zリングを持ちZワザを扱うに相応しい実力を持つトレーナー達を相手取りながら、そのゼンリョクを出させるだけの力を備えていなければならないが故。
この女はその一人でありながら、その力も希有さもなにひとつ理解してはいないのだ!
「できねえよ!!!! Zワザを何だと思ってんだ!!!」
「えーっ!? じゃああの変な踊りだけでもいいからー!!」
「何が変だ!!! あれはアローラに伝わる――」
「わーん!! 絶対みんなめちゃくちゃ面白がってくれるのに――――っ!!!」
その態度へ向けた心配とその実力へ向けた敬意を思わぬ形で存分に裏切られ、思わずゼンリョクの怒号で相手を叱り飛ばす男。当てが外れ訳も分からず怒られながら、重なる不運の理由を何一つ理解できず涙に暮れる女。
大峡谷中のトレーナーが聞いたといわれる大声は、ブレイジングソウルビートよりも遠くまで響いたという。
ジャラランガの口から轟々と音を立てて放たれる一直線の炎。軌道から外れ横ざまに動いたロズレイドが迅速に行動を開始する。
良い動きだ、僅かに相手方の方が速いか。男は口の端に笑みを浮かべた。
遠方からのかえんほうしゃ。タイプ相性を知る者ならばこの選択に異など唱えまい。セオリー通りの動きを初手に選んだのは、これを真っ向から受けるような相手ならば、わざわざ戦うだけ無駄だと判じてジャラランガを引っ込めるつもりだった。もとより格下との諍いなど起こさぬ種族だ。そのプライドもあろう。果たして直線の炎は回避され、反撃の一手に備える。
而して弧を描いて飛んできたのは、蠕動する藍錆の塊。
わざわざ避けるまでもなく、腕の鱗に着弾したヘドロばくだんは、何かを為すでもなくただただ四散する。高揚した気分が一気にしぼむのを感じ、馬鹿か、と一言漏らした。撒き散らされた腐臭が鼻を突き、より一層男の戦意を萎えさせた。
ロズレイドにとっては打てる手の限られる対ジャラランガで、知ってか知らずか特性ぼうだんには無効なヘドロばくだんを撃ち、無駄に一手を消費する。これを愚行と評さずして何だと言うのか。期待外れにも程がある。
相手方の女は何も言わない。ただロズレイドに次の指示を出すのみ。ジャラランガはといえば、トレーナーの気分の乱高下に構わず、ただ相手を見据えて攻撃を続ける。
再度放ったかえんほうしゃをロズレイドは避けなかった。直撃した体はみがわりのそれで、黒焦げの体は焼け落ちて崩れる。想定済みで正面から接近、下段に構えて振り抜く拳はスカイアッパー。大地をも持ち上げる一閃は空を切るも有り余る衝撃、ロズレイドは空中を伝う波を活かし飛び退き、再度みがわりを生み出して次の攻撃に備え、
続けるのも面倒だ、さっさと終わらせてやる。
一瞬の期待を持たせたことに、敬意を表すべきか怒りを抱くべきか。守りに徹する行動を続けるあたり、有効な手の一つも持っていないのだろう。弱点たる火炎と貫通する音波の前ではみがわりなど無意味。ただ嬲り続けて終わらせるよりは、一撃で済ませてしまった方が両者のためだ。
突き出した両腕を頭上へ。体側を通して振り下ろし、形作るは竜の口。命ずるは必殺のZわざ。「ブレイジングソウルビート」。
ジャラランガは一声応じ、金具を擦り合わせる音色を、頭の先から尻尾までの全身で響かせる。舞踏の如き動きで鱗を打ち鳴らす動作に、何かが来ると勘付いたらしい相手方の取った手は少なく、ただ飛び退いて爆心地から距離を置く、ということだけだった。
脚の筋肉をフルで用い、ジャラランガが跳躍した。
全身に力を溜め、そして――放つ。
その場の全員の鼓膜を破る轟きだった。同族の跋扈を許さぬ竜種(ドラゴン)ならば、例外なく一波で昏倒する烈音の衝撃波。正気を保たせぬ大音響、立つことを許さぬ高圧力が、フィールドの全方位をくまなく走り、表面の砂塵のみならず岩盤までもをかち上げる。天敵たるフェアリー以外のおよそ全てを屠ってきた、ジャラランガのみが使える究極にして熾魂の一撃だった。
終わったか、とぽつりと口走る。
ジャラランガが、再び地上に降り立った。真っ平らだったフィールドは今や見るも無残、砂の下の岩盤は縦横の概念まで散々に破壊され尽くし、亀裂と断層の目につかない場所などどこにもない。爆音の残滓か、それとも地の底への道が開いたか、唸り声に近い低音が一帯を満たしていた。
もうもうと舞い上がった砂塵の向こう。
ほう、と、無意識に感嘆の声を漏らした。
ロズレイドは倒れてはいなかった。ロズレイドの周囲に張られた透明の被膜、その周囲だけ、亀裂がほとんど達していない。Zわざにまもるを合わせ、ダメージを抑えたとみえる。被膜が消えた向こう、ロズレイドは戦闘の意志を絶やさず、こちらを見据える目には一滴の怯えすらもない。さりとて、無論ダメージなしというわけでもなく、体のあちこちに裂傷を作っていた。
なるほど、鱗の損耗を気にしつつ押し切れるほど相手方もやわではないと知る。どこまでも諦めずただ前を向き、投げやりになって玉砕を仕掛けることもなく、そんなものはないと知っていても勝利の糸口を探ろうとする。それはいっそ貪欲さとも呼べる代物であっただろう。面白い、と男は心の内で呟いた。相手方が、ロズレイドがその集中を途切れさせ、痺れを切らし、諦めを投げ捨てるまで、とことん攻撃を加えてやろうじゃないか。
意気軒昂のジャラランガに命じたのはスケイルノイズ。先程の激震には届かないが、それでも十分な威力が保障されている。代償として、全身から発した音撃に耐えきれない鱗がひび割れることがあるが、この期に及んでは関係のないことだ。一点に集中させた波動を、両手を突き出して放出する。
みがわりの意味がないことくらいの知識はあったらしい。ロズレイドは正面から離脱。同時にヘドロばくだんを発射。真っ向からぶつければとても盾になどなりえないそれも、中心を離れた端の端であれば話は別だった。広域にまき散らされる音波を凌ぎ、ダメージを最低限に抑える手段としては上策。守勢に長けた相手方ならばそのまま受ける下策など取るまいが、なかなかどうして、しぶとい。
連射したスケイルノイズはまもるで凌がれ、空気中に散っていく。次の一手。足場ごと相手の防御を崩す算段で放つはじしん。片足を持ち上げてしっかと大地を打ち据えた震動が、地面の亀裂を拡大させていく。空中に退避すればスカイアッパーの追撃を見舞い、地に足をつける暇も与えずに一気に押し切ろうと試みたが、その思考も読まれたか。地上を離れずにみがわりで凌ぐ。
次手のかえんほうしゃ、スケイルノイズと同じようにヘドロばくだんをぶつけ、軌道を逸らした。ならばと次に選ぶはスケイルノイズ、しかしこれはまもるに防がれる。
次、スケイルノイズ。当たるも倒すには及ばず、次、スケイルノイズ、まもるで防がれ、かえんほうしゃ、身代わりが受け、じしん、守る、かえんほうしゃ、みがわり、スケイルノイズ、まもる、じしん、みがわり、
ジャラランガの体が、ふいに傾いだ。
光球が一つ、ジャラランガの体から飛び出してきた。
男がそれに気付き、それが何を意味するのか理解するのは、あまりにも遅すぎた。
一度も攻撃など受けていない。こちらが攻勢一方、あちらが防戦一方だったのは誰から見ても明らか。
それでも――ジャラランガは、その体力を奪われ尽くした。回避と防御に徹するロズレイドを追う足が止まり、手をつき、膝をつき、そしてその体を横たえる。吸い取られたエネルギーの光球がロズレイドの体に吸い込まれ、傷を癒す傍ら、地に伏す際に立てたジャラリという音を最後に、けたたましく鳴らしていた鱗の音調は止み、フィールドはしんと静まり返った。
何が起きたのか、否、何が起きていたのか。男がそれを認識したのは、ジャラランガの戦闘不能を告げる審判の声が響いてからだった。
――最初のヘドロばくだんの意味は、それ自体のダメージではなく、その塊の内に仕込んだ、ロズレイドが一番最初にだけ使った四つ目のわざ、やどりぎのタネだったのだ。
「やどりぎのタネとみがわり、そして――戦闘中には全く気付かなかったが――くろいヘドロを使った耐久での粘り勝ち、か。Zわざにまもるを合わせる読みの良さといい、ヘドロばくだんを無駄と見せかける手管といい、上手くできている。俺の完敗だ」
「ちょうはつされていればその時点で降参でした。それと、貴方が私たちを取るに足らないと捉えてくれるかどうか。それが分かれ目でしたね。――対戦、ありがとうございました」
一度握手をし、互いに背を向ける。
戦いに生きる者たちの交わす言葉は、ただそれだけだった。
とある地方のトレーナーズスクール。決して大きくはない校庭で、10人ほどの子供たちが自分のポケモンと触れ合っている。
マリルリのしっぽで毬つきをして遊ぶ子。
布の表情を変えるミミッキュとにらめっこをする子。
自分の体が燃えないようにポニータの背に乗ろうとする子。
素人が見れば遊んでいるようにしか見えないそれを、シルクのジャケットに黒のスカートを着こなした貴婦人がベンチに腰掛け厳しい目で見ている。その隣ではまるで貴婦人を飾るようにロズレイドが控えていた。
「あちちちち……」
「ツクモさん、もっとポニータの背中に体を預けなさい。中途半端におびえて体を離そうとするから、火に焼かれるのです」
「は、はいマダム・ウェザー!」
少年は指示通り、ポニータと密着し背中を撫でてやる。すると炎は小さくなり、足の周りと頭にのみ集中した。ポニータの目が細まり機嫌がよくなったのが感じられる。
貴婦人はそれをため息を一つついてまた全体を見渡す。ここにいる子供たちは遊んでいるのではない。自分のポケモンへの理解を深める授業中なのだ。そして、この丁寧な言葉に鋭さと厳しさを併せ持つ貴婦人が教師、人呼んでマダム・ウェザーというわけである。
そんな校庭に、一人の少女が鈴の音を鳴らしながら入ってくる。なぜか衣服のあちこちに銅色の鈴をつけているが、衣服はほつれていてみすぼらしく、穴の開いた箇所をポケモンや子供向け商品のシールでふさいでいるひどい有様だった。このスクールの生徒ではない。
ぼさぼさに伸びた赤銅色の髪をいじりながら、少女は貴婦人に尋ねた。生徒たちは不思議そうに少女を見ている。
「おばちゃんがこの学校の先生なんでしょ。600族っていうポケモン達のこと知ってる?」
「600族……疑似伝説、とも言われる強力なポケモンの事ですね」
いきなり入ってきてなんですか、とは言わない。ここはトレーナーズスクール。ポケモントレーナーがいきなり入ってきて勝負を挑んできたりするくらいは慣れっこだ。
「おばちゃんは一番強い600族って、どのポケモンだと思う?」
「ふむ……」
「えー、そんなの、ガブリアスに決まって……」
「お黙りなさい」
少女の何かを期待した問いに、貴婦人は考える。この少女が求めているのはガブリアスやメタグロス……ではないだろう。そんな答えなら、わざわざ道路に出て見知らぬ人に聞かずとも学校の先生なり友人なりインターネットでいくらでも聞けるはずだ。
改めて少女を見る。かなり着古している割にサイズがぶかぶかで合っていない服が覆う体はまだ子供、いいとこ10歳に見えた。彼女の瞳はもじもじしながら自分を見つめている。ならば、サザンドラやバンギラス、ボーマンダも考えにくい。あれは気弱な女の子が憧れるものではないだろう。
「カイリュー……ですかね。全てを半減する万能の鱗<<マルチスケイル>>に神速の動き。わたくしはそう思います」
ヌメルゴンとの二択で迷ったが、あのぬめぬめは生理的に受け付けない人も少なくない。進化前のミニリュウは可愛らしさがあり、カイリューも普段は優しいポケモンだ。これが一番無難だと思い答える。
「そう……カイリュー……やっぱり……」
少女は俯き、肩を震わせる。貴婦人は立ち上がり、少女から距離を取った。同意するような言葉だが、この雰囲気はおかしい。
「じゃあおばちゃん、ポケモンバトルしよう。本当に最強の600族がだれなのか……私とこの子が、教えてあげる!」
少女がポケットから出したのは、貴婦人と同等の背丈、しかしその体積は何倍も違う巨躯。鎖がかすれ合う音を響かせてただ体を動かすだけで咆哮となるポケモン、ジャラランガが少女と貴婦人の間に現れた。
「ジャラランガ……ああ、そんなポケモンもいましたね。どうやらやるみたいですよ、ロズレイドさん」
思い出したように笑う貴婦人。ロズレイドが薔薇の中から棘まみれの蔓を覗かせ、戦闘態勢に入る。
アローラという未開だった土地に住む600族に認定されたポケモン。しかしその戦闘性能は弱点の脆さや器用貧乏な能力、特殊な技のデメリットなどから決して強くないと貴婦人は認識していた。
そんな思考で口にした何気ない言葉が、その少女を深く傷つけた。細い体がわなわなと震え、怒りに叫ぶ。
「ソンナケモンモイマシタネ……? そんなポケモンもいましたね!? そこまで侮辱されたのは生まれて初めて……絶対に許さない!」
「やれやれ、ルールは一対一で構いませんね? ジャラランガしか持っていなさそうですし」
つまり、こういうことだ。この少女は多分今まで何回も道行くトレーナーに同じ質問をしている。そしてジャラランガ以外のポケモンを答えたが最後、バトルで強さを思い知らせたのだろう。
「一撃で終わらせる!ジャラランガ、Z技行くよ!」
「皆さんは下がっていてください。ここからは特別講義の時間……わたくしのバトルを見て勉強なさい」
少女とジャラランガの間でZリングが反応し、ジャラランガが己の体を打ち鳴らす。鳴子のような音を何度も響かせ、自分の中でのリズムが取れたところで――曇天の空へ飛びあがり、その気流の流れすらも音の力に変えて最大パワーの一撃を放つ。
「私達の叫びに頭蓋を砕かれ、脳を揺らせ、刻み込め!!『ブレイジングソウルビートッ』!!」
「ロズレイドさん、『守る』」
避ける空間などありもしない。さっきまで貴婦人が座っていたベンチを粉砕するほどの音が全てを揺らす、必中の大音波。それをロズレイドは青い薔薇から大きな水球を出現させ、貴婦人と自分を覆う。だがその守りも弾け、音のダメージが二人を襲う。
「はあっ、はあっ、はあっ……どうだ!これがジャラランガの本当の力!脳が震えて何もできないでしょ!」
Z技というのはトレーナーも体力を使う。荒く息をついて、少女は勝ち誇った。初手で超強烈な音波を発生させ、ポケモンに大ダメージを与えつつ、そのそばにいる人間の脳を揺らし、まともな判断を不可能にする。ジャラランガだけの切り札と少女は自認していた。
「まったく、世も末ですね……まともな教育を受けていない子供がこんな強力なポケモンを操る世の中になってしまうなんて……」
「!!」
だが、貴婦人は平然としている。軽く耳をトントンと叩いているものの、脳震盪には陥っていない。ロズレイドも、平然と立ち上がり戦意を向けている。
「あり得ないみたいな顔をしていますが、別に不思議なことではありませんよ。衝撃というのは、距離や間に置かれたものによって減衰するものです。天候を雨にしてロズレイドさんが作った水の壁は、貴方の騒音を全てとは言わずとも、致命的にならない程度に防ぐには十分だったということです」
「意味が分からない……」
「でしょうね。あなたのような無教養な子供には。しかし、生徒の皆さんはわかりますね? わたくしが何故水による防御をしたか」
例えば水面に石を落とした時、石の大きさや勢い次第では相当遠くまで音が響く。だが同時に生まれる波紋は、勢いや大きさが強くても水が大きく変形するだけでさほど大きく広がりはしない。貴婦人とロズレイドを大きく覆った水は弾けとんだものの、そのはじけ飛ぶのに使われたエネルギーでダメージを殺したのだ。
「そして貴方にも教えてあげましょう。そもそも貴方のそれはポケモンバトルではありません。ボクシングをしようとしている相手にリングの外からミサイルを撃って殺して自分の方が強いと息巻いているようなものです。ジャラランガというポケモンはともかく、貴方は強くも何ともありませんね」
「……ふざけるな!私たちは強い!」
「ホッホッホ……なら見せてもらいましょうか、あなた達のポケモンバトルを!ロズレイドさん、『眠り粉』!」
ロズレイドの頭から、相手を眠らせる粉が飛ぶ。それは正確にジャラランガの顔を叩く。が、全く眠る様子はない。
「効かないっ、そんなもの!ジャラランガは『防塵』を持ってる!馬鹿にしないで!!」
「特性を確認しただけの行為を馬鹿にされたと被害妄想ですか……どっちにしても、会話のできない子ですね」
「うるさいっ!『火炎放射』!」
「……ロズレイドさん、『ウェザーボール』」
ジャラランガが炎を吐き、ロズレイドが青い薔薇から大きな水の球を撃ちだす。炎はロズレイドの弱点だが、雨の中での『ウェザーボール』は強力な水技。こちらの方が押し切れる……そう読んだが、炎と水は相殺しあった。
「『スケイルノイズッ』!!」
「ロズレイドさん、『リーフストーム』!」
初手のZ技ほどではないにせよ強烈な音波を、草タイプ最強クラスの技で応戦する。やはり本来の威力はロズレイドが勝るはずだが、鱗の音波と草の嵐は互角に打ち消し合った。
「『ブレイジングソウルビート』はただの攻撃技じゃない。この技を発動した後ジャラランガは全ての能力がアップする!ポケモンバトルじゃないなんて言ったこと、取り消して!」
「なるほど……専用のZ技が存在したのですか。確かにそれは、知りませんでしたね」
貴婦人の知るポケモンバトルの知識はアローラのポケモン達の存在が世界に知られたころまで。特殊なZ技を持つものがいることは聞き及んでいたがジャラランガがそうだとまでは知らなかった。常に持たせているしろいハーブでロズレイドの特攻を戻しつつ、戦略を切り替える。
「踏みつぶしてあげる!『地震』!」
「手間が省けますね。ロズレイドさん、『グラスフィールド』を」
相手の地面を揺らす衝撃に合わせるように、地面に蔦を這わせ大地を支配する。木々の育った山で土砂崩れが起きにくいように、その蔦が地面の衝撃を減らした。更にフィールドの効果でロズレイドの体力は回復していく。
「『グラスフィールド』は地面にいるポケモンの体力を回復させ、さらに地面技の攻撃を和らげます。相手の地震に合わせて打つことで無駄なく守りと回復を一体にすることができる。参考にしてくださいね」
「とっておきを見せてあげるっ!『スカイアッパー』!!」
「何ですって……?」
ジャラランガが地面に踏み込む。『スカイアッパー』はジャラランガの得意技とされている。しかしあれは宙に浮く相手に大きな効果を発揮するもの。ジャラランガよりも体が小さく地面に足をつけるロズレイドには有効打とは言えない。貴婦人は訝しむ。
しかし、足元を沈下させたジャラランガの体はさらに深く沈んでいく。『地震』によって地面を崩すことで大地を傾けたように踏み込みが深くなり前傾姿勢へ変化、ついにはクラウチングスタートを切る選手のように低く沈む。本来『スカイアッパー』は立っている状態から大地と垂直に腕と体を振り上げるものだ。だが今のほぼ体を大地と水平に近づけた状態から同じ動きをすれば、それは大きく前へ進むことになる。原始の巨体、トリケラトプスの突進にも等しい。
「これで終わりにする……いけええええ!!」
「ロズレイドさん、『タネマシンガン』!」
向かってくるジャラランガをロズレイドは種子の掃射で迎え撃つ。グラスフィールドの効果で強化され、無数に飛んでいく弾も、恐竜の突進の前では分が悪い。止めるに止めきれず――ロズレイドの体が大きく吹き飛ばれた。今度こそ、少女が勝利に胸を撫でおろす。貴婦人も瞳を閉じた。
「終わりですか……」
「さあ、これで私たちの強さわかってくれたよね!もう一度聞いたら……ジャラランガが一番強いって答えてくれるよね!?」
「認識を改める機会にはなりましたよ。貴方はいい教材になってくれました」
「そんなこと聞いてないっ!ジャラランガ、『スケイルノイズ』!頭蓋を砕き脳を揺らせ!」
ジャラランガが、激しく己の体を振った。ジャラランガだけが持つ特殊な鱗はその舞によって激しい音を放ち、対象を音で破壊する一撃を放つことが出来る。
だが――この時だけは、音が響くことはなかった。舞が空しく空気を斬り、腕を振り回すただの風切り音が聞こえるだけだ。
「ですから終わりなんですよ。このポケモンバトル……貴方の負けです。ロズレイドさん、『マジカルシャイン』!」
むくりと立ち上がったロズレイドが、強烈な光を放ちジャラランガの目を潰した。ジャラランガの弱点、フェアリータイプによる一撃。これでしばらくは視界が効かない。
「なん、で……もう一回、『スケイルノイズ』!」
視界を奪われては、音で広範囲を襲うしかない。だがいくら体を振っても、音は出ない。鱗が、揺れない。
「いいですか皆さん。ポケモンバトルとは、600族などの種族値やタイプ、使える技など知識は必要ですが、知識だけではこのようなことになってしまいます」
貴婦人は距離をとってみている生徒たちに講釈をする。ジャラランガを操る少女を悪い見本として。
「常々言っていますが、このポケモンはなぜこの技を使えるのか?またなぜこの技が得意なのか?それを直接ポケモンに触れ合うことで理解し、その知恵を生かすことが肝要です。……種明かしといきましょうか。さっきの『タネマシンガン』はあなたの一番自信がある音技を封じるために使ったんですよ」
「なんで……あんな種粒で、ジャラランガが倒せるはずない」
「まだわからないのですか? ジャラランガが音を出せるのは、鱗の可動域が広く体を動かせば鱗が揺れ固い皮膚に当たるから。しかし鱗と皮膚の間にぎっしりタネが詰まってしまえばいつもの音にはなりませんし。そもそも鱗の動く場所自体にタネがつまって体を動かしても鱗が動かなくなってしまったらぐうの音も出ない。そうなった貴女のジャラランガは、ただの鈍重な爬虫類に過ぎません」
「う……」
「最初に『眠り粉』を使ったのもこのため。特性が『防弾』のジャラランガは『タネマシンガン』や『ウェザーボール』が効きませんからね。そんなことにも気付けず、わざわざ音技でとどめを刺そうとするとは……やっぱりあなたは弱い子でしたね。約束通り、お灸を据えてあげましょう」
貴婦人は鋭く、叱りつける目で少女を見る。少女の肩がびくりとはねた。Z技を使われる前に先手を打って発動しておいた『雨乞い』が晴れ、『日本晴れ』によって強い日差しが差す。
そして、ロズレイドの真上、貴婦人よりも数メートル頭上にまるで太陽のミニチュア、それでもジャラランガの体積よりも大きく炎よりも熱いエネルギーの塊が出現した。
少女が余りの光に思わず目をつむる。しかし顔をそらせない。そうすれば、すぐさまこの太陽は自分とジャラランガを焼き尽くす。そう直観できてしまう。
「ご、ごめんなさい……私の負けだから……これ以上はやめて!」
「わたくしはね、勝手に入ってきて強くもないのに一方的に持論を押し付ける。そんな子供を見ていると我慢ならないんですよ」
「も、もうしないから!!もうここに来ないから!お願い、やめて!」
「許しません。どうせここから逃げてもまた別の場所で同じことをするんでしょう?そんな人生は、わたくしが終わらせてあげます!!」
喝を入れるがごとく鋭い貴婦人の声に、少女がわっと声をあげて泣く。泣いて、膝をついて、それでも叫ぶ。
「いやだ!まだ死にたくない!私とこの子を捨てたパパとママに、私たちは強いんだって証明するまでは死にたくない!」
ひれ伏し、文字通り泣いて謝る。自分は小さいころ手持ちの中で一番使えないと言われたジャラランガと一緒に山に捨てられたのだ。それが憎くて悔しくて、見返すために自分たちが最強だと町の外の道路やトレーナーズスクールで触れ回っていたのだと聞いてもいないことをしゃべる。
貴婦人は一通り聞いた後、最後通告をした。
「いいでしょう。あなたに残された道はただ一つ──わたくしの生徒としてポケモンバトルの本当の強さを学ぶことのみです」
「え……?」
全く予想していなかった言葉に少女が泣き止み、ポカンとする。ロズレイドの出した炎の『ウェザーボール』が消え、日差しが元に戻っていく。
「強くなって見返したいのでしょう? ならば貴方のすべきことは道場破りではなく、一度きちんと道場で学ぶことです。本来やや使いづらい『スカイアッパー』をあのような形で強力な技に変えたのは見事でした。わたくしの下で学べば、貴方は今よりはるかに強くなれます」
「で、でも学校に入るお金なんてない……」
「構いませんよ、立派なトレーナーになって賞金で返してくれれば……ここにいるのは、おおむね貴方たちのような子供達ですから」
遠巻きに、しかし貴婦人のバトルを見ていた子供たちが駆け寄り、少女に優しく笑いかける。ようやく視界の回復したジャラランガが自分の主である少女に近づく者たちを威嚇しようしたが。
「いいの、ジャラランガ。私たちの負け……今日からここで、もっと強くなろう」
少女の涙は、恐怖からうれし涙に変わっていた。貴婦人はそれを見て、手を口元に持っていき笑った。
「ただし覚悟しておいてくださいね、わたくしの講義は厳しいですから……では皆さん、改めてこの子を加え授業を再開しましょう!ホーッホッホッホ!!」
それから数年後、この少女はジャラランガの使い手として名を馳せることになるのだが、それはまた別の話──
なんでこんなことになったのか……。
アンジュは頭を抱えたかった。
次の大会に向けて練習をしようと野良バトルの募集を掛けていたところ、捕まったのがこの男。
赤紫色のテカテカピチピチの密着度が高めのボディスーツを身に着けて、さらにそこには何かを勘違いしたような、子どものオモチャみたいな金ピカの装飾品が付属している。
(ダセェ……)
というのが素直な感想。さらにヤバイのはそこに青黒いマントである。いまどきマントってなんだよ。
「はじめまして、俺はドラゴン使いのターフェ」
うんうん、ドラゴン使いは知ってる、見れば分かる。かつてトレーナージョブ名鑑で一際異彩を放っていた、密着度の高いクソダサスーツ+マント姿のレア職業、こんな格好で道を歩くなど罰ゲームじゃないかと「いや、こんなヤツいるわけねぇだろww」「だよねーww」と友達と盛り上がっていたのが懐かしい。
(いたよ……)
本当にいたよ。
トレーナージョブとはトレーナーの年齢・性別・バッチ数・資格などで名乗ることができる称号である。それぞれに推奨される服装はあるが、守る必要はない。例えば私のジョブ名は『ミニスカート』だがミニなんて履いてないし、短パンを履いてない短パン小僧も多い。ブリーダーやドクターなど名乗るために資格が必要なジョブもあり、多分だけどドラゴン使いを名乗るというのは一種ステータスだろうし、普通では入れない場所も入れるかもしれない、だからと言ってあんな恥ずかしい服を着る必要は無いと思うのに。
うわ、なんか股間がちょっともっこりしてる。見たくないけど。
「シングル、1対1でいいかな?」
「あ、はい」
「ソナリ、任せた」
彼は私の心境など露にも気にしてないようで、ジャラランガを出してきた。
「うーん、出番よ ローヌ」
私はドラゴンタイプに強い手持ちはいなかったので、ロズレイドを出した。
▲ ▲ ▲ ▲
「アンジュです、対戦よろしくお願いします」
お互いにポケモン出し終えたので、ミニスカートのアンジュはとりあえず、対戦の挨拶をした。
「うむ、ではっ! 逆鱗(さかさうろこ)に懸けて勝利を誓う!」
彼は自らの口上と共に、くるっと体を反転して自らのマントをアンジュに見せつける、マントの後ろには、▼を3つ組み合わせた、ちょうどトライ〇ォースをひっくり返したデザインの紋章が描かれていた。
「【逆鱗狩り】のターフェ、いざ参る!」
そして顔だけこっちを見て、笑顔で前歯がキラーン。
そこでアンジュの腹筋が崩壊した。
突然入ってしまった笑いのツボに、口を押えて必死に踏みとどまるがもうだめだ、口元がによによして耐えられない。個性的な服に、まさかの二つ名を名乗ってくるという衝撃、そこにもっこりした股間がちらっと見えて、さらに自爆。
「竜の舞だ」
「くっ、ふふ……ぐっ、あっ待って」
お互いにポケモンを出して、名乗り合った時点で、残念ながら戦いは始まっている。こうして体調の不良を訴えて相手が油断したところを騙し討ちにする悪どい手法も横行しているため、このように多少の様子がおかしくても手加減は無用である。
竜が空中で旋回する様子をイメージしたと言われる、妖しい円を描くような踊りを始めるジャラランガ。
動きの激しい踊りにあわせて鱗が打ち鳴らされて、じゃらんじゃららんと優美な響きを奏で始める。
練度と完成度の高い舞だからこそ起こる、その音色には嘆賞の一つくらいは残したい出来映えだったが、あいにく腹筋がそれどころじゃない、いっそのことこのまま地面に転がって、気が済むまで心置きなく笑い転げてしまえばすっきり収まるだろうと思うのだが、もどかしい、こうして無理に我慢するから笑いも増幅されるため、堪えれば堪えるほど呼吸ができない。
「くく、うう、ロ、ローヌ。マジカルシャイン」
先ほどから主人の様子が気になってしょうがなくて、後ろをチラチラみていたロズレイドだったが、主人に戦闘続行の意思があったので、意を決して身体に力を溜めて、[マジカルシャイン]を放出する。
「ソナリ、舞いながら、ラスターリフレクト」
ジャラランガは目を閉じて、竜の舞の動きをそのままに、その全身の鱗が鏡のように輝き出す。そこに聖なる閃光が当たると、キラキラとその光を乱反射させて、光輝きながら舞い踊る。マジカルシャインの閃光を浴び……いや閃光を跳ね返しながら[りゅうのまい]を踊り続けた。
ラスターカノンのワザの原理とは『鋼の表面の光の反射力を利用して、その光を操作して攻撃する』という手順が行われている。ジャラランガはラスターカノンの一部を利用して、受けた光を吸収せずに反射させて弾くという手段でマジカルシャインのダメージを受け流しているのだ。
笑いが急だったこともあってか、アンジュの笑いは波が引くようして急に収まり、ようやく腹筋に平穏が訪れて、落ち着きを取り戻していた。彼女は思い出し笑いをしないように必死に真顔で、目の前の状況を見る。だが、眩しすぎてよく見えない。
フェアリー技はジャラランガに効果抜群であり、照射系の全体攻撃なので目を瞑ったり耳を塞いだり横に逃げるなどで防御できるワザではないため、回避が困難である。またバトルフィールドを埋め尽くす眩い閃光に目がくらんで、今がどういう状況になっているのかがまるで把握できてなかったが。着実にダメージは通っているものだとアンジュは思っていた。
戦局が動いたのは2回分のマジカルシャインの照射を終えたところ、トレーナーのアンジュの眼が慣れてきて、さすがに何かがおかしいと気付いた時だった。状況を確認するべくワザを止めて、ロズレイドは次の動きに備えて呼吸を整える。
ターフェはこの瞬間を待っていた。機は熟した、腕を横にきって、指示を下す。
「――逆鱗 解放」
『ヴォオオオオーーーーーン!!!』
ジャラランガは舞を止め、劈(つんざ)く雄叫びをあげて、禍々しい赤いオーラを纏わせる。咆吼に併せてジャラランガの鱗が細かく共鳴し、響きを鳴らす。
そして両腕をダランと垂らし、湧き上がる[げきりん]のオーラに包まれながら、脱力をする。
「備えながら、牽制、マジカルリーフ」
アンジュはマジカルリーフで牽制しながら、相手の様子を窺うことにした。
有効打を与える抜群技がこれしかないとはいえ、効きの悪そうなマジカルシャインを使い続けるのは得策ではないだろう、ここは攻め手を変えてみようと彼女は思った。ジャラランガの特性には防弾と防塵があり、それぞれボール状の攻撃と粉の効果を無効にするものになっている。エナジボール・ヘドロ爆弾・シャドーボール・眠り粉などは効かないものだとして立ち回らなければならない。今後の展開に柔軟に対応できるように、片手でも扱える使い慣れたワザを撃って様子をみる。
「突撃」
ターフェの指示を聞いて、ジャラランガはカタパルト発進のごとく、ロズレイドに突貫する。
身構えていたロズレイドはひらりと回避する。
「(指示が届いた?)」
アンジュは驚いた。先ほど指示を出して相手が発動しているワザはげきりんのはずだ、花びらの舞と同様にあのジャラランガはトレーナーの指示など聞かずに暴れ回るはずだ。
ドラゴンポケモンは高い潜在能力を持っている。普段はそれを無意識に制御しているが、そのリミッターを意図的に外すというワザがげきりんである。
だが、げきりんのワザを使うとドラゴンポケモンはその自らの強すぎる力に振りまわされて、正気を無くして暴れ回り、やがて疲れて動きを止めて混乱してしまう。
だが、もしも――
そのげきりんを正気を失わない程度に制御して、リミッターをギリギリまで開いて制御することが出来たとすれば…… ドラゴンの潜在能力をまるまる使いながら戦うことができる。
ワザ『げきりん』を極めしドラゴン使い【逆鱗狩り】のターフェ、これがその神髄だった。
げきりんのオーラを保ちながら、それでいてしっかりと相手の姿を見据えて攻撃を加えていくジャラランガ、格闘の竜というだけあり、そのフットワークは軽やかで、流れるように腕を振りおろしながら、すり足で相手への距離を一瞬で詰めつつ、拳を振り上げる。この静かなる逆鱗は、まるでまだ舞を踊っているようだった。
対してロズレイドはイバラのムチを自在に使いつつ、巧みに相手の攻撃の回避と防御に徹しているが、反撃に移ることができず、防戦一方でジリジリと追い詰められていた。なにしろジャラランガの繰り出す一手一足に一度でもまともに当たってしまえば致命傷になってしまう。竜の舞に加えて逆鱗状態による身体強化が重なり、すさまじいスピードとパワーを持って叩き込まれる連撃を、ロズレイドは必死に捌くので精いっぱいだった。
そうした攻防がしばらく続いた。
「……ん?」
ジャラランガの動きが鈍り始めたことに、ターフェは気づいた。
「毒……? 毒びしか」
「……やっと効き始めたわね」
ロズレイドは防御の合間に地面に少しづつ[どくびし]を撒いていた、地面を暴れ回るジャラランガは知らぬ間にそれを少しづつ踏み続けて体に毒が回っていたのだ。
あの時に受け続けていたマジカルシャインのダメージは多少は減らすことは出来ていても、それでもすべてを跳ね返せたわけではない。しっかりと、確実にジャラランガの体力を奪い取っていた。そこに毒の蝕みが加わることで、さすがのジャラランガの動きも大きく削がれることになる。
いまこそが反撃の時間だ。
「ローヌ! いくよっ」
相手が毒状態の時において抜群の威力を叩き出すワザ『ベノムショック』
条件さえ揃えばヘドロ爆弾すらも超える威力を誇る、ロズレイドのローヌのとっておきのワザである。
アンジュとローヌは互いに呼吸を合わせて、そのワザを繰り出そうとする。
「ベノムシ」
「制限全開錠(リミット・フルオープン)っ!!」
『キュォォォォォォォォォォ!!!!』
ターフェは叫んだ。
金属を引っ掻くような甲高い吶喊と共に、禍々しくも燃え上がる赤い燈気に加えてさらに蒼い燈気が交じり合い、ジャラランガの体は妖しく燃え上がった。
いままで途中まで開いていた逆鱗のリミッターをすべて外す。暴走を加速させて自我を完全に失い、これでもう勝負が決するまでトレーナーの指示も制止も聞かなくなる。
ここまでの疲れも毒のダメージも何も感じなくなり、ただ目の前の存在に向けてまっすぐ突貫するだけ――。
一度、ベノムショック攻撃の態勢に入ってしまったロズレイドはもう回避動作に入ることはできなかった。それでも[ベノムショック]で生成した特殊な毒液を使い、精一杯の防御でジャラランガの突貫を受け止めることになったが。
本気の逆鱗の前に圧し徹されてしまい、ロズレイドは地に伏せた。
▼ ▼ ▼ ▼
「いい勝負だったね」
対戦後、ドラゴン使いのターフェは私にそう挨拶をしてくれた。
彼がボールから出したカイリューが、水筒のお茶を出してくれたので頂くことにした。
「ありがとうございます」
【逆鱗狩り】のターフェ、逆鱗を狩る、ではなく逆鱗で狩るという意味の二つ名、ということなのだろう。
強大なワザに強弱の制御を付けるという発想とそれを成し遂げる実力、たった一つのワザを取っても、勉強になる戦い方だと思えた。
「あの、……その服とマントですが」
「おっ このマントに目を付けてくれるとはお目が高い。これは普通の市販品のマントとは違う、龍の聖地フスベで認められたドラゴン使いにしか手に入らず着用が認められないマントなんだ。 カッコいいだろ?」
本人はとても気に入っていたようで、ご丁寧に『カッコいいだろ?』に併せて決めポーズもしてくれた。
横にいるカイリューちゃんも、それにノッてくれて一緒に決めポーズに参加している。
「…………」
「……そうか、まだ分からないか」
たぶん、一生分からないような気がします。
うーん……
こうしてみれば、誇り高きドラゴンを扱うというプライドの元に、胸を張ってこうした衣装を身に纏っているわけで、
案外この服もカッコイイのか――
……いや、やっぱり ダサいよなぁ
ないわー
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
その昔、バトル企画に出したドラゴン使いのターフェ=アイトさんを登場させてみました。
逆鱗を極め、逆鱗しか使わない、逆鱗(さかさうろこ)に懸けて勝利を誓うダサいマントの男(2x歳)です。
名前の元ネタ紹介
・アンジュ→ロゼワインの産地
・ローヌ→ロゼワインの産地
・ソナリ→鈴がいっぱい付いた楽器
なにぃ ドラゴン使いを知らない? いかんいかん! これを見て勉強するのだ!
→ http://www.pokemon.jp/special/dragontype/master/index.html
暗雲が天に満ち、ざあざあと大雨が降り始める。
戦士は行かねばならなかった。竜の鱗を綴った防具をしゃらんしゃらんと鳴らしつつ。
この島の中で唯一異様な雰囲気を醸し出す瀟洒な屋敷へと、ぬかるんだ道を急ぐ、急ぐ、一刻も早く終わらせねば。
恵みの雨が続くうちに。
終わらせなければならない。
雨の中で異邦人の屋敷は白く輝いて見えた。忌々しかった。
入る前にドアをノック?━━知ったことか。島の守り神のものであるはずの森の木を勝手に伐って作った仰々しい扉を、激しく蹴りとばすが戸は開かない。鍵などというものを取り付けて他人が勝手に家の中に入れないようにしているのだ。どれだけ冷酷で自己中心的なのか。
だから戦士は腰帯に吊るしていた瓢箪を手に取り、その栓を抜いた。黄金色に輝く鎧に覆われた鱗竜が姿を現す。
戦士が指示を出すと、竜はその太い腕を振るい、拳で厚い扉を叩き割った。
「あらあら、香りに誘われ、お茶にいらしたの?」
間延びした、声。
屋敷の中は甘ったるい匂いが満ちていた。島の森のかぐわしい空気とは正反対の、むせかえるような、薔薇と、毒と、茶の香りだ。
商人は絹の布きれをかけた卓に着き、シノワズリの白磁を傾け花入りの茶を啜っていた。その身を包むのは真っ白な絹のドレス。
「どうぞお座りになって。あなたの分のロズレイティーも用意してありますわ。なにせあなたときたら……かなり遠くからでも聞こえますものね。その大きな足音といいますか、賑やかなアクセサリー……ふふふ」
「━━我はカプより光り輝く石を賜りしポニの守護者である」
戦士は石の腕輪と、浅黒い肌に刻まれたポニの戦士の紫の入れ墨を示し、泥で汚れた裸足で重厚な絨毯を踏みにじったまま、商人を見下ろした。
「島の自然を破壊し奪った財物でのうのうと暮らしている卑怯者とは、貴様だな」
「まあ、あなたって……哀れなほど盲目ね。お友達のキラキラ輝く鱗で目が眩んでしまったのかしら」
真っ赤に塗られた商人の唇が卑しく曲がる。
戦士は嫌悪感を覚え、その悪しき感情を体内から捨てるために絨毯の上に唾を吐いた。
「表に出よ、悪魔の商人。カプのご照覧の下、正々堂々と決着をつけようではないか。我らが勝ったならば、館を潰し、島から永劫に立ち去るがよい」
「仕方ありませんわね、道理を話して聞かせようにも、あなたきっと聞かずにこの美しいお屋敷を何もかもめちゃくちゃになさるでしょう?」
「これまで散々話し合いを無視してきたのはどちらか!」
戦士が腹の底から声を出し怒鳴りつけると、商人は静かにカップをソーサーに置いた。絹の裾を鳴らして立ち上がる。
そして甘ったるい笑みを浮かべた。
***
暴雨が大地を浚い、海の波は高い。
「荒磯の、彼岸の遺跡に在すカプ・レヒレよ、我に力を与えたまえ、簒奪者を亡者の水底へといざないたまえ!」
戦士は朗々と守り神を讃えると、首にかけていた葉と実のレイを外して荒れ狂う海に投げ込んだ。
そして傍に控えていた黄金に輝く鱗を持つ竜と共に体を躍動させ、金属質の飾り鱗を賑々しく打ち鳴らす。
「我ら異界の闇を祓う者、聖なる響きにより悪を退け、鱗の光により魔を滅す!」
対峙する商人は絹の裾をたくし上げ、絹の傘をさし、おまけに回復道具を詰め込んだらしい鞄も抱えて━━降りしきる大雨の中でどうも格好がついていない。その傍には、両腕に紅と青、頭に白の薔薇の花を持つモンスターを伴っている。
「あらあら、もう、泥はねが…………成程そちらのドラゴンも光の使者というわけですね。わたくしのこのロズレイドも祖国の国王陛下より賜った光の石のエネルギーを浴びて、このように香り高い姿に進化したのですよ」
ロズレイドと呼ばれた薔薇のモンスターは、先ほどの館に満ちていたような頭がくらくらするほどの匂いをその身から漂わせていた。たっぷりの湿気の中でひどく重苦しくまとわりつく。
「妙な香りだ、惑わされるな!」
戦友を叱咤する。
ジャラランガは咆哮した。地につけていた両の拳を天に突き上げ、背骨をぐぐと反らして勇壮にいなないた。全身の青銅の鱗を打ち鳴らす、自陣を鼓舞し敵を圧する。澄ましていたロズレイドの花弁が音圧を受けてかすかに震え、その向こうの商人も口角を吊り上げる。
そして双方が動いた。
「花吹雪」
「スケイルノイズ!」
*
青銅の鱗がガシャガシャとぶつかってこすれて。
荒々しい美しさだこと、と商人は笑う。それは南国の素朴な音楽を思わせる。
ジャラランガは激しく体を揺すった、全身の金属質の飾り鱗を打ち鳴らし、それはエキゾチックで洗練された響きだ。ロズレイドの左手の青薔薇から撃った波涛のごとき花吹雪は、音波とぶつかって、泡のように、空に散って消えた。
続けて第二波が飛んで来る。今度は花弁を霧散させる為でなく、ロズレイド本体を吹き飛ばす為に。
「根を」
爆音に曝されても、長く寄り添った商人の涼やかな声はロズレイドにはよく聞き取れた。足元の大地に植物を繁茂させる。大地の養分を吸収しつつ、姿勢を持ち直して。
「根ごと吹き飛ばせ!」
敵の追撃指示。三発目のスケイルノイズ。
ぬかるんだ地面ごと、今度こそ弾き飛ばされた。
「いやですわ、やっぱり水はけのよい土地でないと薔薇は美しく咲けませんわね……」
眉間を押さえる商人に応え、地に膝をついたロズレイドは太陽を呼んだ。とたんに雨雲が割れ、光の梯子が下ろされる。ロズレイドの全身の緑が喜んで光合成を始める。
南国の強い日差しを受け、あっという間に地表のぬかるみさえ蒸発する。心なしか、戦士とジャラランガの表情が歪んだ。
「このところ雨続きで欝々としておりましたの……さあ、あちらも乾かして差し上げて、ロズレイド」
太陽の強い日差しを集め発火させる。無数にして巨大にして豪速の火球を、濡れそぼったジャラランガに投げつけた。
しかしジャラランガは無造作にそれをすべて受け流す。
「ポニの大峡谷の鱗竜に、西洋の鉄砲玉など通用せぬと思い知れ」
竜が吼える。自身の鱗を痛めつけつつ巻き起こす轟音は、爆発の如き風圧を生みロズレイドを再び大地につき転ばす。ロズレイドは喘ぎ、また思い切り光合成をしようとした。
しかし見る見るうちに、太陽の加護は遠のいていった。
またしても暗雲が空に戻ってくる。ぽつり、と雫がこぼれたかと思うと、再び滝のような雨が降り出した。
「あら、なぜ……」
「ポニの守り神の計らいだ。海鳥たちが守りの雨をもたらした━━貴様らに光をくれてやるくらいなら、我らポニの民、白檀の森ごと、カプに命をお返しする覚悟だ……!」
ロズレイドとジャラランガの上空を、野生のペリッパーたちが旋回している。彼らが雨を降らし、ロズレイドを太陽から遠ざけたのだ。
野生の生き物に乱入されて困惑する商人を睨みつけ、ポニの戦士はその罪を糾弾した。
「聞くがいい、罪深き異国の白檀商人よ、貴様がこの島で何を成したか!」
***
晴れる日が、恐ろしい。
晴れた日には、森を焼きに行かねばならない。
物欲に駆られた愚かなポニの長が、異国の商人とばかげた取引をしたのだ。━━香り高い茶、見目麗しい白磁、なめらかな光沢のある絹織物、立派な白い邸宅、軽快に走る頑健な船、恐るべき破壊力を備えた鉄砲に大砲。それらを手に入れたいがために、愚かな長は守るべき島の自然を破壊した。
商人は、ポニ島に生える『白檀』という香木を欲している。
白檀の伐採や運搬など、過重な労働に駆り出されたポニの島民たちは疲弊しきっているが、それだけではない。
「貴様らが欲する白檀を伐るためだけに、無数の森が焼き払われた!」
かつてこの本島に数多く生息した首長のナッシーたちも、炎から逃れ損ねたかあっという間に姿を消し、小さな離島にしか見られなくなった。
そもそもの白檀の木も、乱伐に遭ってはめっきり数を減らし、見つけるためにますますたくさんの森が焼かれる、白檀は焼いた時に香りが立つから、それで白檀を見つけるのだ。
だから恵みの雨は続かねばならない。
晴れた日は、森を焼くことを強要される。
「森が枯れ、海も痩せ、人々は疲れ果て、このままではポニは滅びる」
だが、しかし。島を滅ぼしかけた愚かな長は今となってはもういない。カプの罰か否か、それを知る者はない。
だから、あとは、この白檀商人を、消しさえすれば。
世界を光で満たす太陽を心から歓迎できるものを。
「あとは貴様さえいなくなれば━━━━!」
雷鳴のごとく激しく鱗を打ち鳴らしながら、ジャラランガが吼え、泥濘を蹴散らして走る。
曇った鱗に覆われた腕を大きく振り上げ、そして、ロズレイドの胴体に青銅の爪が深々と突き刺さった。
***
ガアア、ア、ア、とジャラランガが苦悶の声を上げた。
必殺のスカイアッパーを弱った敵の懐の急所に見舞ったはずなのに、ロズレイドは喜悦の表情を浮かべて、甘ったるい薔薇の香りを撒き散らしながらジャラランガの腕を掴む。そのブーケの中に潜ませていた毒の棘を深々と鱗の隙間に突き立てる。
「先ほどまで慎重に接近を避けておられましたのに。焦りまして?」
雨幕の向こうで白檀商人が嗤う。
その手には空になった“Hyper Potion”━━すごいキズぐすりの容器があった。姑息にも戦士が白檀商人の罪を糾弾している隙に回復アイテムを使い、ロズレイドの体力を補っていたらしい。
また地中から湧き出た植物の蔓が、空中に飛び出していたジャラランガを絡めとった。貪欲な寄生植物は竜の鱗の下に潜り込み、肉に根を張りエネルギーを吸収する。一方でロズレイドの体は瑞々しさを取り戻してゆく。
「これは、宿り木……?」
「あなたの長いお話、つい退屈で」
ジャラランガは大地に引きずり下ろされる。しかしその腕に突き刺さった毒の棘は抜けず、ブーケの中に隠されていた棘付き鞭がずるりと伸びた。大地に這いつくばるジャラランガを、宿り木と薔薇の玉座に座したロズレイドが見下ろし上機嫌に笑んでみせた。
「さあ、続けてベノムトラップを」
続けざまに棘付き鞭に別の毒液が流し込まれる。すでにジャラランガの体内を侵食していた毒と反応を起こし、その体を蝕んだ。宿り木に締め上げられて行動の自由が奪われたうえ、二種の毒を受け四肢にほとんど力が入らないのが見て取れる。状況判断が遅れた戦士が逡巡する僅か数瞬の間にも、ジャラランガは宿り木と毒で体を内外からボロボロに溶かされ、雨に打たれ惨めな姿になり果てた。
ポニの戦士は唾棄し歯噛みした。
「……汚い寄生植物めが……まるで貴様のようだ、白檀商人」
「あら、ご存知ないかしら━━ヤドリギというのは、ビャクダン科の植物。白檀は寄生植物なの」
噎せ返るような白檀の香りが雨の中に満ちていた。
*
白檀の寄生根に絡めとられもがくジャラランガを、ロズレイドは見下ろして嘲笑う。
絹のドレスに身を包んだ白檀商人は、絹傘の陰で憂いを込めて嘆息した。
「……さて、困りましたわね……先ほどのあなたのお話ですと、わたくしの取引相手であるポニ島の酋長は既にいないのですよねえ……」
もはや目の前の戦闘に興味はないのか、不良債権の処理に気を取られているようである。
ジャラランガが無意味に足掻いているだけなのをいいことに白檀商人は暫し思案していたが、ふと、ぽんと陽気に両手を打ち鳴らした。
「ならばせめて、あなたを捕縛し━━あなたにポニ酋長の殺害の嫌疑あること、アローラ当局に訴え出ねばなりませんね?」
ポニの戦士が、かすかに動揺する、竜の鱗を加工した装飾品が揺れてちりりと焦れたように鳴る。
「……できるものか、長が消えたのはカプの罰だ……!」
「さてどうかしら。あなたが嘘をついているか否かは、この戦いをご照覧のカプとやらがきっと見定めて正しき裁きを下すはず、そうでしょう?」
━━まあカプが手を下さずとも、海外諸国と親密な現アローラ政権下で然るべき機関に訴え出てしまえば、白檀商人の言い分が受け入れられる公算のほうがはるかに大きいのだけれども。
白檀商人が鈴を転がすような声で笑うと、戦士は震える拳を握りしめ、深く息を吐いた。
最初の怒涛のスケイルノイズのために、ジャラランガの攻防一体の自慢の鱗はかなり早期から傷みボロボロになっている。そこを毒に蝕まれ、白檀の根に捕らえられ、もはや装甲も力も体力も残りわずか、動くことすらままなるまい。
その鼻先へロズレイドは薔薇の花を差し伸べ、うっとりするほどの官能的な香りをたっぷりと吸い込ませてやった。思考することすら億劫になるまで、理性が崩壊するまで。
*
ジャラランガは戦友を待っていた。すっかり鈍くなった鱗の向こうの赤い眼差しは、責めてはいない。ただひたすら体力を温存しつつ、抗いがたい魅力を持つ香りの誘惑と闘いつつ、錆び付きそうになる雨の中で、無言で友の正義を信じ、その指示を待っている。
「わかっている……我らは間違っていない。我らは正しい……ポニを守らねば。カプ・レヒレよ、我らを護りたまえ!」
ポニの戦士は賛歌を朗誦する。絶体絶命の危機に瀕しているはずのジャラランガもそれに呼応し、僅かに自由の残っていた、尾の錆びかけた鱗を打ち鳴らした。
白檀商人とロズレイドはわずかに目を眇める。敵にはまだ奥の手があるらしい。さて傷ついた鱗と溶けた爪と萎えた手足とで、何をしてくれるというのか。
ロズレイドは念のためにちらりと白檀商人を伺う。
こちらも頷き合った━━わかっている、相手の心が折れないのなら、むざむざ時間をくれてやることはない。
ジャラランガに向き直る。敵の目は闘志を宿し、輝いていた。
背後から白檀商人の熱に浮かされたような指示が聞こえてくる。
「花弁の舞……!」
*
僅かに香りが変わった、と気付くが早いか。
ロズレイドがゆらりと動いたかと思うと、恍惚とした表情で舞い始めた。
右の紅薔薇、左の青薔薇、双方から無数の花弁が左右に噴き出して、うねり、こすれて熱風をも生み出し、激烈な甘い香りを漂わせながら、見るもおぞましい極彩色の点描、地獄の毒沼を作り出した。
ジャラランガの手足は忌々しい毒と白檀に縛られているけれど、でも、心はポニの戦士と共に一つであって、そしてまだ自由だった。ふたりは共に心を鎮める。とても静かだった。
ただ、静かだった。紅と青を扱き混ぜた嵐が音も無く襲い掛かる、香り立つ白檀の枝ごと、傷つき錆びたジャラランガの鱗を削り取る。
━━今だ。
あちらが香りを変えるなら、こちらも別のビートを刻むまで。
ポニの戦士は光り輝く石の腕輪を掲げた。
両手を持ち上げ、頭の右横に構える。
右手が上顎、左手が下顎。
竜の顎を模した形の両手をなめらかに正面に突き出し、そして大きく斜め上下に開く。
嵐を喰らい尽くす大顎を描き出す。
*
花弁の舞で、白檀の呪縛のほんの一角が断ち切られた、まあすぐに再生するから、などとロズレイドは思いつつ無我夢中で舞い踊っていたら━━突如ジャラランガの体躯が光を纏い躍動した。
それは、全力の、竜の舞。
ロズレイド自身も夢中で花弁の嵐に狂喜乱舞しながら、ジャラランガの舞に見入っていた。相手も同じで、無我夢中で舞いながら、こちらを見ていた。
脳髄がとろけるほど濃厚な薔薇の香り。
豪華絢爛な金属質の鱗の響き。
そして二体は舞の腕を競いだす。
どちらがより美しく、より強く、より輝けるか。舞比べと洒落こもう。
花弁の舞が敵を傷つける技であるならば、竜の舞は自らを磨き昇華する技である。
度重なるスケイルノイズで自身を散々すり減らしたはずなのに、更にベノムトラップでぼろぼろに溶かしてやったはずなのに、紅と青の花弁で完膚なきまでにずたずたに刻んだはずなのに。ジャラランガが舞えば舞うほどその青銅の鱗は鋭く研がれ、黄金色の輝きを増す。
南国の音楽は陽気だけれど、こうなってはもはや耳障りである。飲み込んでやれ、と最後の理性が命じた。あとは濃厚な薔薇の香りの狂気の渦に呑まれた。
*
もはやロズレイドは正気を失い、自身の強すぎる毒と香りに酔いしれて、自身の自慢の萼のうなじや托葉のマントすら切り裂きながらも、花弁の舞はますます勢いを増す。
けれどもう遅い、戦士の全力を受け取ったジャラランガによる全力の竜の舞によって、爪の鋭さも、鱗の硬度も、敏捷性も、すべてが取り戻され、かつ更に磨きがかかった。
もはや花弁の舞はこの前座でしかない。
黄金の雨に輝く鱗で、薔薇の花弁を無残に切り刻み、踏み躙ってやった。
疲れ切ったロズレイドは、もはや丸裸。
「叩きのめせ!」
戦士とジャラランガは哄笑した。ロズレイドへと、正面から突っ込んでいく。
白檀商人は苦笑し、空になった“Full Heal”━━なんでもなおしの容器を地に放り捨て、ロズレイドに呼びかけた。
「マジカルシャイン」
***
真っ白な光が見えた。
目が熱くて、痛くて、ポニの戦士は自分の両手で眼球を押さえたままぬかるんだ地面の上をのたうち回った。ジャラランガはどうなったかわからない、何も聞こえなかった、いつの間にか雨音すら聞こえなくなっている。
ただただひたすらに静かで、暑く、薔薇と白檀の噎せ返るようなにおいだけがあたりに満ちていた。
「何を……」
「あなたは最後まで何も見ようとなさいませんでしたね。━━自分でもよく出来た形勢逆転に目が眩み油断する。━━自分の罪を認めない。━━この島の現状が法に基づいた公正なる取引、神聖なる契約の結果であるという事実からすら、目を逸らす。━━そしてロズレイドの薔薇の美しさも、シノワズリの白磁の美しさも、絹のドレスの美しさも、解することができない。ただただ暗い雨雲の下で無暗に騒ぎ立てるだけ」
白檀商人の奇妙に晴れやかな声が、ロズレイドを呼ぶ。
「そんなあなた方に、眼球など必要あって?」
「だから、何を……」
小さな足音が、近づいてきた。脳裏に、花束の奥に潜む毒の棘のイメージがちらつく。
「なにを」
匂いが強くなる。
「やめて」
頭が割れそうなほど、強い香り。
Twitterで突発的に行った【バトル描写書き合い会】の作品投下スレッドです。
指定されたポケモン同士のバトルを1週間で書き、同じ対戦カードで作者ごとにどれだけの違いが出るのかを楽しむ企画です。
ルール
・ロズレイドVSジャラランガ の勝負を書く
・シングル1VS1のトレーナー戦で書く
任意事項
・ロズレイド、ジャラランガ、およびそれらのトレーナーの名前は自由
・原作や既存のキャラを使っても良い
時代の後日談となるオマケの話となります。
後半部分のネタバレあります。ご注意ください。
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月に紛れて風でざわめく草の音の中を走る。
動く影は二つ、人間の影と、この地方には珍しいゲッコウガというポケモンの影。
二つの影が茂みを抜けると、その目の前には灯りが燈る洋館があった。
月明かりから避けるように洋館の壁に辿り着き、背を壁に付けて静かに呼吸を整える。
彼らの名はカゲマサ、そしてゲッコウガのゲンジ。
カゲマサが指で合図を送ると、ゲンジは構え、カゲマサはそのゲンジを足場にして大きく跳躍し、真上にあった二階のバルコニーにしがみ付き、音を立てずによじのぼる。ゲンジも長い舌を上に伸ばしてバルコニーの手すりへ絡めて上昇、彼も二階へとよじのぼった。
バルコニーの窓からは、内側からカーテン越しに明かりが漏れていた。
窓扉を軽くノックすると、中から単語が返ってくる。
「シュトゥルム」
「ドランク」
その合言葉を言った後、少しするとかちゃりと金具が動く音がして、内側から扉が開かれた。
「やあ、ひさしぶりだな」
そう微笑みを浮かべて挨拶したのは、今回のカゲマサの依頼人。フィオラケス・アルビノウァーヌスだ。
カゲマサはバルコニーを背に寄りかかって、腕を組みながら一言。
「……用件を聞こう」
カゲマサは忍者だ。
この欧州の地からはるか東方にいた諜報部隊である忍者の生き残りで、故郷を捨ててはるばるこの地まで流れてきた。
その仕事内容は主に暗殺・諜報・密偵と裏の仕事を一手に引き受ける。
はるばる手渡されてきた手紙には、詳しい依頼内容は実際に会って話すと書かれてあったが、一体どのような依頼なのだろうか?
フィオラケスは顔を崩さずにカゲマサに今回の依頼内容を告げる。
「そうだな、 私の明日の狩りを、手伝ってくれ」
「……????」
その後「今日はもう遅いからここで寝ていい、明日の朝出発する」と言われ、何もない空き部屋に案内された。
呆然と途方に暮れるカゲマサは、ゲッコウガのゲンジに尋ねる。
「……どう思う?」
『知らぬ』
罠であることを警戒して、一通り調べてみたがそれらしきものは見当たらなかったため、大人しくその晩はそこで睡眠を取ることにした。
翌朝、フィオラケスが現われて「友人が来ているから出迎えてくれ」と言うと、また返事も聞かぬままに、立ち去ってしまった。仕方なく玄関に降りてみると。黒髪の娘の姿がそこにあった。
それはカゲマサの姿を見つけるなり、手を広げながら全力でこちらに走ってくる。
「うおお、ニンジャだ! 本物のニンジャだ!」
と言って、両手でカゲマサの手を掴み取り、両手で強く握手をして、
そのまま腕を大きく広げて、ハグをして、
そして両肩をガッシリを握って、顔と顔と近づけて濃厚なキ
……キスは毎日の鍛練で鍛え上げた回避能力で避けた。日々の鍛錬の大切さが分かる一幕である。
きょとんとした表情を浮かべる娘の姿を見て、カゲマサはしまったなと気付いた。つい突然のことに驚いてしまったが、一応はここではごく当たり前の挨拶だ。これでは無礼にも淑女の挨拶を拒んでしまったことになってしまう。
少し悩んだが姿相応の対応をするべきだと考え、その場でひざまずき、女性に対する挨拶として相手の片手を取って一礼をする。
「おはようございます。はじめましてニンジャさん、私の名はナルツィサ・メランクトーン。ナルって呼んでください」
「お初にお目にかかる。私は久瑞景昌。姓がクズイで、名がカゲマサ、よろしく申し上げる」
「よろしくね。 クズイか……、じゃあクズィーだね」
ドレスのふちを摘まんでおしとやかに礼をしながら、それでいて気さくな名乗りを上げる。
真白い布地に色とりどりの花模様の刺繍が施された豪奢なピナフォア・ドレスを身にまとい、黒曜石のような長い髪は何かの花を模した可憐な髪飾りを用いて結わいている。ドレスの縁はレース飾りが施され、可憐な貴族の娘という装いだ。
だが男だ。
なるほど、確かにカゲマサ同様の噂通りの真っ黒な髪だ、ただ瞳の色はカゲマサの黒と異なり、琥珀色の瞳が輝いている。道ですれ違った男が、思わず心を奪われてしまうのも無理もない嫋(たお)やかな美貌を備えている。
だが、男だ。
狩りの装束としては一見ふざけているようには見えるが、あのドレスはそもそも掃除や水仕事を行う際の作業服であり、長い髪も上に縛って邪魔にならないようにしている、下にはちゃんと動きやすい服を着ているようで、何も考えてないわけではなさそうだ。
「先ほど、ニンジャと申したが、貴方は忍者を知っているのか?」
「本で読んだ。で、この前忍者についての話をしたら、フィオが『ニンジャ? ああ、あいつだな、戦ったぞ』のことか言ってさ、もうファァァァァ??? って感じだった! そういうことは先に言ってほしいよ、ひっどいなぁ。でも、まさか本当に会えるとは思わなかった!」
興奮冷めやらず、カゲマサと握手した手をぶんぶんとするナルツィサに、カゲマサは若干引き気味だった。
「そ、そうか……」
ポケモンが強い力で引っ張っても壊れない頑丈な船が造れるようになって可能になった牽引船の発明で、海を越えてイッシュを始めとする様々な国や地方の、物資や文化がここ欧州にも入ってくるようになった。中でも日之本の国は東の最果てに位置しているため話題性があり、この地では強い関心があった、忍者や侍が登場する小説や戯曲が作られており、文学を嗜む一部の知識階級によく知られている。
文学少女(?)であったナルツィサは本を読み漁り、そうした本を通して日之本を知り、憧れを持っていたそうだ。
「私はニンジャについては詳しいぞ。 ニンジャとは隠密行動をするために色々な隠語で呼ばれていた。 例えば」
ナルツィサは得意げな声で言い放つ。
「すっぱだかっ!」
「?! 違う、透破(すっぱ)だ」
「草」
「……ああ、忍びのことを草と呼ぶことはあるな」
「乱太郎!」
「……なんとなくあってる気はするが、おそらく、乱破者(らんぱもの)かな」
どうしてこうなったのか…… 海を越えて伝わった結果、いろいろと間違って伝わっているようだった。
だがカゲマサとしてはそれで構わないと思っていた。むしろ間違って伝わっていることはカゲマサにとっては喜ばしいことだった、忍者のことを大いに誤解して、敵が自分達のことを間違えた方向に過大評価してくれるならば、それだけ仕事もやりやすくなる。
「仲良くなったようだな」
「おはよう、フィオ」
着飾ったナルツィサに対して、フィオラケスの装いは極めてシンプルだった、緑色の狩猟用の服に、白いモフモフしたファーが首に付いた紫のマントを肩にかけて、腰のベルトからは二本の剣、鞭、ロープ、そしてモンスターを入れるためのボールなどの小物をぶら下げている。
横にはオンバーンと、ポーカーフェイスで表情が読み取れないインディゴとスノーの二色の猫のポケモン、ニャオニクスを連れていた。
「ねえ、クズィー! 何かニンジャっぽいニンジツを何かやってよ」
「……変化の術くらいなら」
「やった」
『カゲマサ、あまり調子に乗るな』
ゲンジは小さい声でたしなめる。
「まあ、少しくらいならいいだろ? 鏡変化で軽く組手して戻るぞ」
『……承知』
溜息をつきながら、浮かれているのだ、とゲンジは呆れた顔で思った。
彼は忍者というものが大好きなのだ、だからこそかつての頭領のあの発言に怒ってしまい、忍者を大好きだと言ってくれたものが現れると、うれしくてしょうがなくなる。ブリガロンを連れたあの男とも、同じように忍者を気に入ったと言われてコロッと仲良くなるなどしていたので、いつかそれで騙されるんじゃないかとゲンジは心配だった。
カゲマサとゲンジは横に並び、共に静かに両手で印を結ぶ。
煙幕を発生させ、一瞬だけ姿を晦ますと、二匹のゲッコウガが現れ出た。
「ゲッゲッゲ……」
「ゲッ、ゲコォォォ!」
「おおっ」
「なんと」
二匹のゲッコウガだが、カゲマサの服装はそのままなので、どちらがカゲマサだったかは一目瞭然だった。だが、だからこそ二人は驚愕していた。これは普通に分身をしたわけではないということだからだ。
ゲッコウガ達は手甲の裏からクナイを取り出し、互いに刃を交えて組手を始める、縦横無尽に跳び回り、双方共に水手裏剣を放った後、再びクナイを交えたところで煙幕。
煙が晴れると、元のカゲマサの姿とゲンジが並んでいた。
「忍法、変化の術なりぃ」
片手にクナイを構えて口上を決めるカゲマサに、二人は拍手で応える。
「これがニンジツか!」
「素晴らしいものを見せてもらった」
横で見ていたオンバーンとニャオニクスの表情をちらりと見えると、彼らも素直に驚いているような顔をしていたので、成功したと言えるだろう。
これはタネを明かしてしまえば簡単なカラクリで、ゲンジが『実体を練り上げて、それ術者であると認識操作するワザ』みがわりと、『術者の姿を模した虚像を作り出すワザ』かげぶんしんを組み合わせ、カゲマサに重ね合わせることで姿を変えたように見せかける。あとはゲッコウガの鳴き真似や、自前の体術で動き回り、水手裏剣は身に纏ったみがわりを切り崩して、それっぽく発射したのだ。
本当はゲッコウガ以外にも化けることもできたり、他にも『認識操作するワザ』みがわりを上手に掛けることで、『相手から自分の存在を認識させなく』する《霞隠れの術》など、ワザを組み合わせで様々なことができるが、さすがにそこまでの手の内を見せることはしない。
カゲマサはフィオラケスに、アルビノウァーヌス家の厩屋に案内された。
「馬は乗れるか?」
「ああ」
「じゃあ、好きな馬を選ぶといい」
とフィオラケスに言われたので、ゲンジと相談して気が合いそうなギャロップを見繕って乗ることにした。後ろにはゲンジを乗せるつもりなので、ギャロップには悪いが二人乗りである。
外に出て少し乗り慣らしていると、フィオラケスとナルツィサも自分達が愛用しているギャロップに乗ってやってきた。フィオラケスが乗っているギャロップは何と、珍しい漆黒の炎をたたえる、漆黒のギャロップだった。
「では、行こうか」
フィオラケスの案内で馬を走らせて、道を少し進むと、そこには見渡す限りの草原が広がっていた
山をまるまる一つ抱える、アルビノウァーヌス家の領地は広い。
ただ、逆に言えばこれだけ手付かずの土地が残っているということは、農耕作に不向きな土地であるということで、持て余しているということになる。
草や木は充分に茂っているため特別に土地が痩せているというわけでは無かった、ここや近くの山に生息する野生のポケモンが恐ろしく強く凶暴で、耕作地にすると農民が襲われる危険が及ぶために放置している。ポケモン避けの壁の構築や育成技術の進歩に伴い、野生のポケモンに対抗する手段は増えているとは言え、蝙蝠竜の潜む竜穴や、世界の秩序を司る大地の大翠蛇が眠る伝説がある『終焉の山』が近くにあるため、進んで開拓しようとは思わない。
だが、国に上納する金は土地の広さに応じて上納しなければならず、いくらか免除はあるとは言え、耕作適合地であるか否かに関わらず広大な土地に対して税を納めなければならず、アルビノウァーヌス家は常に貧乏に悩まされていた。先日の戦争にフィオラケスが参加したのも、用意できない上納金を労役で支払うためでもある、という裏事情も存在していた。
領主にとっては利益を生み出さない土地を持つことはデメリットでしかないが、このような野放しになって野生のポケモン捕り放題の土地は狩猟マニアにとっては天国のような場所かもしれない。
「……あー ……あー 聞こえるか?」
先に走っていって、数十ヤードも離れている場所にいるはずのフィオラケスの声が、まるですぐ隣にいるかのようにカゲマサの耳に聞こえてきた。
「聞こえるよ」
「聞こえる」
ナルツィサが返事を返したので、カゲマサもつられて返事を返す。
「よし、繋がったか」
「何をした……?」
「ディーを拠点にして、それぞれの声をリンクして貰った」
「うにゃぁ……」
フィオラケスは身体の前に抱えていたニャオニクスを抱えあげて指し示し、遠くにいるカゲマサの方に見せる。ディーとはあのニャオニクスの名前らしい。
「狩場は広くて大きな声を出しても届かないから、こうして狩りの間はいつもディーに連係を取って貰っているんだ。ああ、もちろん声に出したことしか伝わらないから、頭で変なことを考えていても大丈夫だよ」
「ナルに言われたくないな」
「ひどい。私がいつもいかがわしいことを考えていると思っているの」
「私はいかがわしいとは一言も言ってないぞ」
「よくも騙したなっ」
「騙してない。少なくとも、そこでいかがわしいという単語が出てくる程度には考えているはずだ」
「……ふむ」
二人のやりとりは放っておいて、フィオラケスに詳しく聞いてみると、これはエスパーポケモンであるニャオニクスの精神感応(テレパス)を用いた複数人会話(マルチメンバーチャット)らしい、ニャオニクスがそれぞれの感覚を読み取って、それを人間とポケモンを含めたメンバー全員に配っている。エスパーポケモンを親にした無線通信システムということになる。
後で聞いた話によると、頭の中の思考を直接共有させているのはなく、自分が発した声を自分の耳で聞いた、この時の自分の『声を聞いた』感覚を共有させることで、喋った声を伝えているようだった。
こうすることによって獲物を捕らえる際に、離れたところから互いに意志の疎通をして、集団の連携で追い詰めることができる。
「面白いな」
『然り』
「興味深い、何かに使えないか?」
『うむ、盗み聴かれる恐れは如何せん。古き歴史を紐解けば同様の手段はあったが、其のために活用も限られていた』
「ああ、そうか……そうだったな、まあ心の隅にでも置いておこうか」
『賢明だ』
テレパシーを用いた集団通話は昔から知られており、かつては戦いの際に使われていたが、盗聴や妨害念波(ジャミング)を受けるため実戦での運用には注意が必要だった。そもそもカゲマサはエスパーポケモンを所持してないため、思い付きで簡単に導入できるものではない。むしろ、使われる側として傍受の方法を探るべきだろうか。
「オォォォーーン」
「よし、きたか」
オンバーンの静かな咆哮を聞いたフィオラケスは声を上げて、オンバーンに追い込みをさせながら、合図と共に彼を乗せたギャロップは駆けだす。
加速し終えたところでフィオラケスは手綱を放し、背中に背負っていた長弓を構えて、矢の代わりに赤い短剣らしきものを矢枕に乗せて、素早くそして強く弓を引く。
「……あれは、ポケモンか」
カゲマサは遠目から矢に代わりに射ようする正体を見極めた。
射放たれた赤い剣のポケモンは、上空の鳥ポケモンに目掛けて飛んでいき、吸い込まれるようにして命中する。
羽ばたく力を失った鳥ポケモンの体を、ポケモンから出た剣の穂(柄から伸びる飾り布)が空中で絡めとり拘束して、草むらの中に落下した。
フィオラケスは手綱を再び握り直し、長弓を背負い直して速度を落としながら、地に落ちた獲物を探しに向かう。
「お見事、素晴らしい腕前だ」
「ありがとう」
普通の色とは少し異なっていたが、あれはヒトツキというポケモンだろうとカゲマサは見た。
矢の代わりにヒトツキを射る、その特性ノーガードにより多少狙いが外れても、届きさえすれば獲物に必ず命中することになる。だが、いくら自力で浮いているとはいえ、一本の剣と同じ重さの金属の塊を支えて弓で引く、しかもそれを走る馬に乗りながら行わなければならない。それを可能にするためには日々の鍛練と並々ならぬ筋力が必要となるだろう。
向こうではナルツィサがヒノヤコマに指示を出して、獲物のケンホロウを追い詰めていた。
ヒノヤコマは進化するとファイアローとなり、殖やしやすく手懐けやすいことから、かつて戦場において無類の活躍を誇っていた。
出撃して数分で敵陣地に到着し、ブレイブバードを放つだけ。その戦術のシンプルさ故に突破が極めて難しい。いかに強固な城壁を築こうとも空を軽々と越えて突撃できた。尖った岩(ステルスロック)を浮かべるなどの対策を打とうにも、高速スピンで弾き飛ばせるポケモンを背中に乗せて飛べばよいなど、ファイアロー側はその対策の対策を打つ余裕があり、応用の利かせやすさも強さの一つだった。
攻撃力も防御力も並であり、決して単体で強いポケモンではないが、戦闘に使わなくとも伝令や兵の移動、補給手段の確保など、優秀な指揮官にとって極めて秀でた駒となり。とある帝国に代々伝わるファイアローは他の種に比べて特に素早く、飛行ワザを使わせれば誰一種として敵うことは無かったとされ、帝国はそれを巧みに操ってあらゆる戦いに勝ち続け、大帝国を作りあげたという、そのファイアローは『はやてのつばさ』と呼ばれた。まさに一つの時代の構築したポケモンだった。
「そのまま旋回、右に切れ」
ナルツィサの指示にヒノヤコマは大きく旋回するが、オンバーンのようにうまく追い込むことはできなさそうだ。この間合いでは炎の渦で拘束しきることができず、逃げ道ができてしまう。
「……林に入るな」
「そうなったら、逃げられちゃうか」
もし木々の中に潜り込んでしまったらもうヒノヤコマでは追うことができなくなる。
「中で待ち伏せして、そこで仕留めよう」
「ありがとうよろしく」
カゲマサはギャロップを走らせて、林の中に入って行った。
「こちら、位置についた」
「OK、行くよ」
ナルツィサの声から少しして、木の枝葉が擦れる音と共に何かが地面に落ちてきたようだった、急いでその場所に駆けつけて、やや疲れたケンホロウを見つけると、カゲマサは素早くクナイを投擲する。
クナイは軽々と避けられてしまったが、元から当たるとは思っておらず、その注意を引くのが目的だったので問題は無い。クナイを投げる前に枝の上に待機していたゲンジが、木の上から枝の隙間を縫うようにして、獲物を狙い撃つ。ゲンジの放った[れいとうビーム]が急所の羽に命中し、翼から先に見る見るうちに凍り付いていった。
「よし」
『上手くいったな』
カゲマサはここでの狩りの作法はよく分からなかったが、とりあえず殺さないように絞めて落とした上で、持っていたハーネスでグルグルに縛り上げて、持っていたボールの中に押し込めて収納することにした。
「お見事」
「いや、貴方のおかげだ」
「そんなことはないさ」
それぞれが獲物を見つけるまでの隙間の時間で、カゲマサはナルツィサといろいろな話をした。
長らく疑問だった、その服装の趣味について尋ねてみたところ。
男児よりも女児の乳幼児の生存率が高いことから、この地では昔から男児に女児の服装をさせ、女と扱うことで死神の目から逃れようとすることがあるそうだ。ナルツィサの幼い頃から病弱であったため、長らく女児の格好で生活していた。幼い頃は本気で自分は女だと思い込んでいたそうで可愛らしい服を自ら進んで選んでいたそうで、そんな生活があまりに長かったために、辞め時がなく、ずるずると今に至ったらしい。
メランクトーン家は元々は地主だった。自分の土地で取れた物を商品作物として市場に売り、貨幣の運用により大きな財を成した。その金で子女を学ばせて官職につかせ、いわば貴族身分をお金で買ったという新興貴族である。
対して、アルビノウァーヌス家は帯剣貴族と呼ばれる由緒正しい家柄であり、当主は子爵の地位を賜っている。歴史や功績から鑑みれば伯爵を賜ってもおかしくは無いが、高貴は血を嫌い、血を浴びる騎士は下の地位に追いやられるため、血生臭い剣を振るい続ける限り、冷遇されやすい事情がある。
騎士上がりの爵位として言えば子爵は最高位であり、ナルツィサ曰く「伯爵に近い子爵」らしい。
そんなアルビノウァーヌス家は常に貧乏と戦っていた、先ほどの領地に対して耕作に適した土地が少ないこともあるが、山を抱えるアルビノウァーヌス領は田舎街で、年々発展していく都市部への人や富の流出があった。封建制度も衰退気味で、台頭する新興貴族の影響で帯剣貴族はやや落ち目となり、このまま行けば家の存続も危ぶまれる事態になっていた。
そこで思いついたのは領内の新興貴族メランクトーン家と縁戚関係を結び、新興貴族の財産を得るという手段だった。両家の奥方の妊娠がほぼ同時期に発覚した時に、アルビノウァーヌス家の当主は、まだ妊婦だったメランクトーン家の奥方を乳母として雇い入れて、あわよくば生まれたその二人が将来婚姻できればいいと画策した。
その企みは二人の性別が同じであったために水の泡と化したが、そうして生まれたフィオラケスとナルツィサは乳兄弟として幼い頃から共に育てられたそうだ。乳兄弟の場合、乳母の子はそのまま従者になるのが普通だが、そういうことにならず幼馴染ということになった。
「クズィー、今回の依頼だけど、驚いただろう?」
「ああ、驚いた。一体何を依頼されるのだろうかと思っていたら、狩りを手伝ってくれとは……」
報酬は昨日のうちに貰っていたため不満は無い。またカゲマサは自給自足して森で食糧を調達する生活をしており狩猟には多少の覚えがあるので、不慣れというわけではなった。
「私は、フィオは先日のリベンジ決闘でも申し込むんじゃないかと思ったよ」
「その可能性は捨てきれぬと、その準備もしていた」
「勝てそう?」
「そうだな…… 手加減ができないのが辛いか」
「どういうこと?」
「前回の戦いは、相手がゲッコウガというポケモンを知らないことを利用して短期決着を狙ったために勝てたようなもので、相手がやりたいことをやる前に叩いたが、もう次はそういうわけにもいかないだろう。また、あの時はスタジアムの狭さというオンバーンにとって不利な場であった、このような広い場所で戦うと勝てないだろう。明らかに地力で負けているから、相手は牽制のつもりでもこちらは全力で対処しないと押し負けてしまう。できれば多少の手加減ができるくらいの余裕が欲しい」
「なら、どう攻める?」
「なんとか気配を消して、懐に潜り込む策を考えるしかないな」
「ふーん」
ナルツィサは真顔になり、その回答に詮索はせず、話題を切り替える。
「今回、クズィーをここに誘ったのはいろいろと事情があってね。ベーメンブルクの一件以降、周りの諸侯達の間で不穏な動きが見え隠れしている。形式上は反乱は鎮圧されて王国の勝利という形に終わったが、新教徒の不満は未だに燻ったままになっている」
「うむ」
カゲマサは先日のベーメンブルクの戦いに参戦した。その際に一度は降参したが、それを無効にして再戦して勝利し、民衆軍を勝利に導いた。
だがその後、王国を束ねる帝国本邦から『あの降参は有効である』という達しが下ったことで一転し、王国側の勝利に覆ってしまった。さらにこの一件は王国内での内乱に留まらず、その上の帝国の本軍までもが介入して圧力を加えてきた、これ以上逆らうと帝国軍が直々に戦うと脅してきたのだ。
民衆軍はさすがに帝国軍相手では勝ち目はないため、相手の言うことを聞くしかなくなってしまった、新教徒諸侯の領地が大幅に削られ、国内の新教徒への締め付けが更に強まるという不本意な結果に終わってしまった。
カゲマサは日之本にいた頃より祖霊土地神を信仰しており、旧教徒でも新教徒でもないため、この宗教対立のどちらかに肩入れをする気はなかった。そのため速やかに身を隠して行方を眩ませた、不用意に居座れば帝国軍に命を狙われかねず、民衆軍に担ぎ上げられるのも断じて避けたかった。あくまでも、何も持たない影なのだ。
「いくらでもやりようのある流れではあったけど、信仰の違いという非常にデリケートな問題に対する回答としては、いささか強引だった」
「そうだな、まさかこんなことになるとは思わなかった」
戦った当事者だったカゲマサとしては、降参の取り下げは流石に無茶だったという自覚はあったわけで、取り下げも止む無しと考えていたが。喧嘩両成敗ということで新教徒に寛容だった頃に戻し、お互いに折り合いがつくだろう思っていたところ、この結末は予想外であった。
いくらベーメンブルク王が皇帝の名家の血筋だからと言って、自治の独立が認められている一地方に対してこのような必要以上の干渉してくるのはあまりに不可解だ。おそらくは何かの影がそこに渦巻いているのでは、とカゲマサは感じ取っていた。
「フィオや私たちにとって幸いなことは、このアルビノウァーヌス家の領地は中心から外れていて、戦場になるということはないことだね」
アルビノウァーヌス領は帝国中心部よりもカロス国境との距離の方が近い、帝国から派兵通知が届いても理由を付けて拒んでも構わないため、何者かが領土を横断するようなことが無い限りは、戦争に巻き込まれることはない。
「一応……ありうるとすればカロスとの戦争になる場合か」
「いやしかし、いくら帝国とカロスの仲が悪いと言えど、今回は宗教対立である以上は手出しをしてくることは無いだろう」
「カロスは帝国と同じ旧教国だからな、援軍くらいは送ってきそうだが、カロスもカロスで国内に問題を抱えている。うかつに手を出せばカロス国内の宗教対立の火種を誘うことになるから静観するだろう。余計な首をつっこんで火傷したくはない」
「まあ、カロスが攻めてくるなんてバカなことはありえないだろう」
「ありえんな」
なおこの後、宗教戦争だったにも関わらず旧教国が味方のはずの旧教国に攻め込むという“ありえないバカなこと”が本当に起こるのだが、この時点の二人にはそんなこと全く予想もつかなかった。
「御存じの通り、アルビノウァーヌス家は古くからある武家貴族で、領地も辺境にあり、あまり社交界での交流は無い方だ。古くからの繋がりでそれなり情報は流れてくるが、有事の際にもその身と剣一つで解決していたこともあり、他を頼るようなことがなかった。今の状況はしばらくは静観できるが、少々心もとないところがある」
「なるほど、そういうことだったのか」
「お、理解が早くて助かるね」
アルビノウァーヌス家は武闘派で名を馳せた反面、細かい工作が苦手であり、フィオラケス・アルビノウァーヌスは裏方で動ける隠密のカゲマサと今のうちに接触しておき、今後のいざという時に裏方で行動できる存在と繋がりを持とうとしていたのだ。
ただ、何も起きてない今の状況では正式な仕事の依頼は何もない。かと言って、ただ会うだけでというわけにも行かない。そのため、とりあえず趣味の遊びに誘うことになったのだ。
「世間一般的には、お茶会やパーティを開いて、それに招いたりするけど、フィオはそういうガラじゃないし、クズィーもそういうの好きじゃないだろう?」
「ああ、こういう狩りの方が気楽でいいな」
剣を交えて負かした因縁のある相手に突然呼ばれて食事なんか出されたら、間違いなく罠と考え、毒が盛られていることを警戒する。
それはどう考えても悪手だ。
「……まあ、そういうわけだけど、依頼主と手先の関係ではなく手軽に会って話ができるように、私個人的としてはクズィーとフィオが仲良くなってほしいと思っているんだ」
ナルツィサはまっすぐ前を向きながら言葉を続ける。
「あいつ、友達いないから」
「ぐふ……」
不意に言われたその言葉が何故だかツボに入り、思わず吹き出してしまった。
「こんな時代にも関わらず、騎士の修行なんか始めるくらいすごくマジメでさぁ。なのにいろいろと誤解されやすいんだよなぁ」
「…………」
そのいろいろな誤解はほとんどナルツィサの仕業であることを、カゲマサは知っていたが、黙っておくことにした。
私事ではこのような女の装いをするナルツィサだが、公の場では一転してしっかりして、商政を引っ張る新興貴族の一角として名を馳せている、また法の知識にもについて研究する学者でもあり教会からの信頼も厚い。「こんな品格公正な男が、あのようなことをするわけがない、あの変人フィオラケスの趣味に付き合わされているのだ」というのが世間からの評価となっている。
人たらしで世渡り上手で、良く思われやすいナルツィサの奇行の原因は、フィオラケスであると、とばっちりで濡れ衣を着せられているということになる。
「まあ、良ければ仲良くしてやってほしい」
「あ、ああ」
「……聞き捨てならないぞ、どういうことだナル」
「!? ってフィオ、いつから聞いていたんだ」
「一番最初からだ」
突然聞こえてきたフィオラケスの発言に驚くナルツィサ。こうした狩りの最中はニャオニクスを用いたチャットネットワークは繋ぎっぱなしのため、ここまでの会話がダダ漏れだったようだ。
「友達がいないから仲良くしてくれだなんて心外だ。 ……いや、まあそうかもしれないが、ナルには言われたくないな」
「どういう意味だ、それ」
「……あー」
『主は黙ってろ』
「そうだな」
とりあえず何か言おうとしていたところをゲンジに止められたので、その場では大人しく二人の会話を黙って聞くことにした。
充分な獲物を得られたとのことで、日が傾き始める頃に狩りを終えて、屋敷へと帰還した。
本日の獲物はフィオラケス自らの手でナイフをふるって解体し、血抜きと乾燥などの処理を済ます。ポケモンの皮膚は極めて硬く、高い再生能力も持っている。吊し上げて血抜きを済ませたビーダルを、屠殺台に並べて、硬い皮膚を目掛けて両手で短刀を突き刺す、刺さったら瞬時に筋にそって引き裂き、毛皮を剥がしとる。ビーダルの毛皮は水を弾き、極めて保温性が高いため、市場では高く売れる。作物が育ちにくいアルビノウァーヌス領においては貴重な収入源となっている。また、真冬の雪が積もる川の中で生活できるビーダルの肉は極めて脂身が多いため、ここでは貴重なエネルギー源でもあった。
今日はカゲマサがいたために特別に量が多い、時間が経つとそれだけ劣化していくため、秒単位でいかに早く処理を済ますかがカギであり、フィオラケスは一心不乱にナイフを突き刺しては次々と屠殺加工処理を行っていく。カゲマサは鬼気迫る顔で向かい合うフィオラケスの後ろ姿を驚きの表情で見つめていた。ポケモンの身体は固いため、人力で解体するにはとてつもない馬鹿力が必要なのだ。
そこに、ドレスを脱いでジャケットに手を通し、簡単に着替えて来たナルツィサが現れた。
「フィオ〜 例の件だけど、進めていいか?」
「構わない。是非進めてくれ」
「OK じゃあ、クズィー、こっちに来てくれ」
ナルツィサはカゲマサを手招きして、屋敷の奥へと案内する。
通された部屋は、壁の棚にはたくさんの書物が収められ、机と椅子がいくつか並ぶ、執務室だった。
ナルツィサは大きな机の引き出しから一枚の羊皮紙とインクを取り出すと、ペンを片手にナルツィサは言う。
「協定を結ぼう」
「協定……?」
ナルツィサは羊皮紙の上をペンを走らせながら、その内容について細かく説明をする。
「アルビノウァーヌス家―クズイ氏間において、不可侵として互いに社会的危害を加えることを禁じる。及び友好協定として以下の提供を行う」
なるほどそういう話が始まるのか、と察してカゲマサは立ちながらその内容を聞く。
今は忙しいフィオラケスに代わって、乳兄弟であるナルツィサが代理で協定を結ぼうということらしい。
「クズイ氏。フィオラケス・アルビノウァーヌスからの連絡手段を確保する。ただし依頼の拒否権は認めるとする」
これは今回の依頼のように『いつ届くのか分からず、届かないかもしれない不確定な連絡手段』ではなく、呼んだらすぐに来るようなホットラインを作って欲しいということだ。ただ断ってもよく、強制力はないようで、これに関してはカゲマサは問題ない。
「対して、フィオラケス・アルビノウァーヌスより対価として提供することは3つ。まず、アルビノウァーヌス領からカロス国境を越える際の、関の通行手形を発行」
「ふむ」
カゲマサのかつての里の仲間達はカロスにいる、凱旋帰郷というわけでは無いが、いつかはカロスに挨拶しに戻ろうと思っていた。前回のようにまた密入国をしようかと目論んでいたが、それならばその手間は省けそうだ。
「アルビノウァーヌス家所有の一般書架への出入りの許可。そのためにクズィーには屋敷の臨時掃除人として登録しておくよ」
「書架か」
本が貴重品であるこの時代に、貴族が所有する本を読む機会が得られるのは嬉しい。情報集めもだいぶ楽になりそうだ。
「そして、私が所有している婦女服をいくつか寄与する」
「……?!」
これは…… 正直あまり認めたくはないが、大変有り難いことだった。
平民の娘服や貴族の紳士服なら容易だが、貴婦人服は極めて入手が難しい、さらに服はすべてオーダーメイドで、女性のラインぴったりに採寸されて作られているため、仮に手に入れても男の体では着ることはできないだろう。
多少の調整は必要になるが男性の体に合わせて作られた女性服が手に入るとすれば、変装潜入の選択肢はぐっと多くなる。……まあ、着たくはないが、選択肢は多いに越したことは無い。
「そんなところでどうだ?」
「……契約の反故について聞きたい」
「これは契約ではなく協定だ、好きに反故にするといい。が」
脅しか凄みか、ナルツィサの琥珀色の瞳が鋭く光る。
「不可侵を破り、然るべき対処を行うことになる」
「そうか」
協定が破棄されればそれまで通りの、敵かもしれない関係に戻ることになるだけで、違約金があるわけではない。連絡手段の確保は、確実に届くように複数用意することになるが、これに関してはさほど苦ではない。三つの対価に関してはどれもカゲマサにとって嬉しいものであり、むしろ貰いすぎではないかと心配にはなったが。関の手形も書架も許可を出すだけであって、婦人服はようするに彼が着なくなった服の在庫処分ということで、彼らは全く金を払ってないということになる。全体的に見ればカゲマサにとって有利な条件であった、なにより貴族の後ろ盾に近いものが得られるのは嬉しい。
この程度であれば口約束で済ませても構わないとは思ったが、断る理由というものは無かったので、羊皮紙にサインして、カゲマサは執務室を後にした。
「それにしても……」
ずいぶんと踏みこんだ内容の協定だった。その内容からして、よほどカゲマサは気に入られていたようだった。
……しかしどうもおかしい、今日の狩りの最中にずっと話していたナルツィサから信頼されていたのならばまだ分かるが、あれはフィオラケス・アルビノウァーヌスとの契りなのだ、今日の狩りでフィオラケスはカゲマサとほとんど会話を交わしてないし、そこまで信頼される理由も分からない。いくら代理とはいえ彼の独断で結べるような内容ではないはずだ。そんな会話……あれ、かい、わ?
「まさか…… あの狩りの間の会話を、全部聞かれて、それで」
『主、まさか今になって気付いたのか』
「……うかつなことを口を滑らせてなかっただろうか」
『む、間抜にも再戦時の戦略について聞き出されていた他に在ったか……?』
「…………」
どこまでがナルツィサの掌の上なのかは分からないが、奇抜な姿で近づいて人の心に寄ってくるナルツィサはとんだ食わせ者だったようで、「ナルツィサには気を付けろ」という言葉もしっかりと胸に刻まないといけないとカゲマサは思い知った。
その日の晩御飯はスープをふるまわれた。
野菜はくたくたになるまで煮込んだ後、灰汁を捨てて、味をすべて殺した野菜のカスのようなものを鍋に投入し、ビーダルの生肉をブリーの実のジャムで漬け込み、柔らかくなったものを薪火で焼いて、それも鍋に投入する。
最後に小麦を練って叩いて切って少し乾燥させて作った太めのパスタも鍋に投入して、煮込んでスープを作った。
食後にナルツィサは「この料理、クズィーの故郷ではどう言うんだ、漢字で書いてくれ」とカゲマサにせびってきた。本来の料理とはとても似ても似つかぬような気がしていたが、カゲマサは少し悩んだ末に彼の服に墨で書いてあげた。
鍋焼饂飩(なべやきうどん) と
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Q:アルビノウァーヌス領って?
設定上はカロス地方レンリタウンから西に山を越えたあたりです。オンバーンの生息地の山を所有しており、その麓を含めた一帯を領土としているので広さだけはあります。メランクトーン家の土地はその中にあります。貴族の土地の所有ルールはよく分からないので適当にボカしたいです。
Q:乳兄弟って?
A:高貴な家では、子育てのような雑務をすべきではない、より栄養価の高い母乳で育てるべきだと乳母を雇うのですが、乳が出るためには同時期に子を出産している必要があるので乳母にも子がいます。この子供と乳母の子は兄弟同然で育てられ、乳兄弟という間柄になります。
だいたいの場合はそのまま主人と従者の関係になり、乳母の子はお付きのお世話係になることが多いです。義理の兄弟のため、乳兄弟同士の結婚は禁じられている場所もあります。
Q:帝国って?
A:神聖ローマ帝国をモチーフにしてます。神聖ローマ帝国は国の集まりに過ぎず、国王の中で選挙を行って、選ばれた王が国王と皇帝を兼任します(選帝侯)。むやみに導入すると話が複雑になるので、時代執筆時はこの帝国設定を全く考えてませんでした。
ベーメンのあの国王は皇帝ではありません。今の皇帝はウィーンあたりにいて、帝国の中心部はそこにあるイメージでいます。
Q:フィオナルの街遊びはどこでやってるの?
A:二人ともガッツリ馬(ギャロップ)に乗れるので、当時の貴族では考えられないくらい行動範囲が広いです。領内で遊ぶだけなら「またあの子息は……」と苦笑いされるだけで済むのに、帝国中の市街地(ベーメンブルクなど)を渡り歩くので知らない男がナルに騙されてトラウマを植え付けられる事態が起こります。
Q:ナルはなぜ執務室に出入りできるの?
A:フィオは字が下手なので自分の書類仕事をすべてナルに任せており、ナルが代筆してます。なおナルは、婦人服はすべてフィオラケスの名前で発注しております。
Q:ナルが前半と後半でキャラが違う……。
A:公私を使い分ける人で、表の顔は貴族の実務を一手に担うイケメンという設定なので。同じ人が喋っているように頑張りましたが、もっとうまくかき分けがしたいです。
Q:なぜクズィーと呼ぶの?
A:ビジネスパートナーとして扱っているので苗字で呼んでいます。
※あきはばら博士さん発案のバトル描写書き合い会にインスピレーションを受け勝手に書いた物です。企画のレギュレーションには全く従っていません。悪しからず。
ふわりと香った甘い妖しさ。
それに気付いた時には既に身動きが取れなくなっていた。
しゅるりと鱗に蔓が這い。
しゃらりと擦れて音が鳴る。
拘束されている。微かな笑い声に見下ろすと、挑発的にこちらを見上げるロズレイドがいた。尻尾を振るとひらりと身をかわされる。
「なんだ貴様は」
「……やっと捕まえた」
鱗を掻き分けた蔓が深く絡み付く。じわじわと何かが染み込む感覚に、くらりとした。毒か。逃れようともがくが、余計に刺が深く刺さり込み、喉奥で呻く。
「逃げようとしても無駄だよ。君を捕まえるために鍛えたんだから」
「お前は、何者だ」
「えー、僕のこと覚えてないの? 残念だなあ」
ロズレイドの瞳に失望の色が宿り、奴はそのまま赤い手を空に向けた。青い手からは次々と蔓が伸び、拘束を更に強める。早く抜け出さなければ。しかしただもがくのは逆効果だ。
「ぐ、うぁっ!?」
じりじりと、炙られるように熱い。頭上にはいくつもの火の玉が生まれ、まさしく自分を炙っていた。ウェザーボールか。
「っ、ぅ」
「ははっ……君のそんな顔が見たかったんだ」
楽しそうなロズレイドの声と、熱と、毒が思考を鈍らせる。
意識を失いかけた時、微かに草木が焦げる匂いがした。
――今だ。
全身を大きく震わせ、脆くなった蔓を引きちぎる。その衝撃に吹き飛ばされたロズレイドは、後方に軽やかに着地した。
「へぇ、僕の毒を受けたのに、まだそんなに動けるんだ。やっぱり君は凄いなぁ」
今が好機だ、反撃を――。
「……がっ、ぁ……」
その場に崩れ落ちる。動けそうにない。思ったより体力を消耗していたようだ。
「卑怯だぞ……戦いなら、堂々と……」
「戦い? 僕はそんなことしないよ。ただ、君が欲しいだけ」
再び蔓が絡み付くのを感じながら、ジャラランガの意識は闇に堕ちていった。
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