マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ
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  •   [No.4041] 竜と短槍.13 投稿者:まーむる   投稿日:2017/09/21(Thu) 00:41:22     61clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

     まだ、誰も起きていない早朝。ゆっくりと起き上がり、そのまま音を立てないで外に出る。
     暗闇がまだ濃い、夜明けの更に前の時間。
     寝ていた時間はそう長くはない。体の疲れは色濃く残っていた。大して動いていないのに、だ。
     死期は近い。けれどまだそれは、ぼんやりとした先にある。
     四つ足でゆっくりと歩く。30年ほど、この町で暮らして来た。この町の外には、余り出た事はない。ただただ、ポカブを殺し続けた毎日。
     その一生に意味があったかどうかなど、私自身にも分からない。誰かが、私が殺したポカブを美味そうに食う姿を見て、自分が自ら汚れ役を買っている、人や獣のより良い幸せを作る生業をしている、それが生きがいなのは間違いない。けれど、それが完全に、自分がポカブを殺す事を納得させる理由にはならなかった。
     自分の奥深くに、今でも僅かに、しかし確かにそれ・・はある。
     私がポカブを殺す姿は、全くもって無駄が無いとか、ある時には美しいとまで言われた事がある。
     それは、集中しているからではない。その僅かなそれ・・を、無視する為にはそうならざるを得なかっただけの事だ。半ば機械的に。
     生きがいが強かろうと、自分でその旨みを堪能しようと、僅かに残るそれ・・は、きっと無くてはならないものでもあったのかもしれない、と思い始めたのはいつだっただろうか。

     先にサザンドラを起こしに行く。口と手足を縛っただけの、サザンドラ。閉じ込めている小屋の前で、腕が立つ方の私の子と、人間一人が見張りに立っていた。
     ――こんな早朝に何を?
     ――手伝ってくれるか?
     ――え、ああ、うん。
     扉を開けて中に入ると、目を覚ましたサザンドラが私の方を見て来た。
     口を縛っていた紐を解く。
    「おいおい……」
     人間が声を出すが、無視した。
     ――随分、早いな。
     ――そうだな。
     ――こんな早朝にどうするんだ?
     その声には怯えがあった。まあ、普通、そうだろう。
     ――妹を迎えに行こうか。
     サザンドラを昨日と同じように台車に載せて、子に引かせて、外に出た。
     ――俺だけじゃ重いよ。
     ――まあ、少しだ。踏ん張れ。
     ずり、ずりと土に痕跡を残しながら、そのリザードンが居る小屋の方へゆっくりと進んで行く。
     サザンドラが話し掛けて来た。
     ――……なあ、どうして俺達に優しくしてくれるんだ?
     ――優しく? まあ、確かにそうだな。殺した方が手っ取り早いし安全だしな。
     脚刀を抜く振りをすると、より一層怯えた。
     ――……なら何故。
     ――あのリザードンに、無性に腹が立っていたんだな。毎日のようにポカブを殺し続けて来た私だからか、命を自ら無駄にするような奴は、腹が立って仕方なかった。
     ――……良く分からないが、まあ、ありがとう、とでも言えば良いのか?
     ――さあな。
     あのリザードン次第だ。多分、あのリザードンが本当に死にたいのならば、私はこれから殺すだろう。
     そして、それを見て怒り狂うであろうサザンドラも。
     僅かながら、私は緊張、していた。
     今まで殺すという事は、数えきれない程してきた。殺す事に緊張したのは、最初の頃だけだ。あのサザンドラを殺す事には緊張しなかった。
     そして今、僅かに感じている緊張は、最初の頃の緊張とは全くの別物だった。
     恐怖か、と私は思った。何に恐怖しているのか。殺してしまう事に? 何故?
     答が出ない内に、リザードンが閉じ込められている小屋が近付いて来る。思ったのは、きっと、そのリザードンの命を私が、重く見ているからだろう、と言う事だった。家畜のポカブなんかよりもずっと。

     扉の前には、モロバレルと女性。さっきと同じように無視して扉を開けた。
     薄らと明かりが入る。リザードンは倒れていた。暴れようとした痕跡がいくつもあり、傷が沢山ついていた。
     サザンドラを連れて来る前に、先に私が近付いて、頭の縛りを解いた。
     ――……起きてるか?
     ――…………ああ。やっと。
     ――……どうだった。
     顔には、涙の痕もあった。
     ――暗闇に呑み込まれないように、必死に考え続けた。私は、私が何をしたいのか、分からなかった。……呪いが解けたとして、その先に何が待っているか、私が何をしたくて呪いを解こうとしているのか、分からなかった。……考えて、考えて、分かったんだ。呪いの正体が。それしか考えられなくなる事が、呪いだったんだ。……私は、エンブオーとは違う。……申し訳ないけど、私は、違う。今は、兄が、居る。私に優しくしてくれる兄が。……私は、もう、頑張らなくて良い。呪いは、解けたよ。私の中にずっとあったそれは、もう解けるようになってたんだ。兄という存在が見つかったから。私は、私だけで頑張らなくて良くなってたんだ。生きる理由を、私自身の中に置かなくて済んだんだ。私は、私は……私は、やっと、抜け出せた。
     それは、半ば独り言だった。私自身、その独り言を全て理解出来た訳じゃない。
     ただ、その一言一言には、重みがあった。光が見えた。前向きに進んで行こうとする光が。
     子を呼んで、サザンドラを引っ張って来て貰った。
    「ま、なるようになったみたいだ」
     心配と安堵が入り混じる顔をしながら、サザンドラは妹のリザードンを見つめていた。
     それを見て、私の中で、一つ合点がいった。
     私自身がずっと生業にしてきた、ポカブを殺す事よりも、この二匹のような絆を守る事の方が、私にとって重かったのだ、と。私と相棒のように。
     沢山の迷惑を被っても、越えてはいけない一線を、この二匹は越えなかった。だからこそ、守ろうと思えた。だからこそ、私はこんな事をしている。
     リザードンの拘束を全て解き始める。
     子が驚くが、それも無視した。
     解き終えて、サザンドラの拘束も解いた。
    「何というかな、仇を恩で返されたような、ちぐはぐな気持ちだが……本当にありがとう」
    「さっさと行け。私の独断でやっているんだ」
     そう言いながらも、ありがとうと言われた事に、私はかつてない程の充実感を得ている気がした。
     兄が妹を立たせてそしてゆっくりと飛んで行く。倉庫の外へと出て行き、段々高く、遠くへと飛んで行く。
     私も外に出る。人間とモロバレルが私を訝し気に見て来たが、無視して、飛んで行く二匹を眺めた。
     冷たい風が体を撫でる。牧場の先へと飛んで行く。下にある、兄妹の父親の死体には目もくれず、飛んで行った。
     粒程にしか見えなくなる頃、私の体から、力が急激に抜けていくのを感じた。

    *****

     目が覚めた頃にはもうとっくに、リザードンとサザンドラは、ダイケンキの手によって逃がされていたらしい。
     タブンネの治療をまた受けたが、流石にその強い癒しの力を受けても一朝一夕で治るような傷ではなく、ベッドの上で寝たきりのまま。
     気絶させられただけで傷なんてもともと無かったエレザードは、外に日光浴をしに行った。呑気な奴め。
     眠気も全くない中、陽射しが入る窓を眺めながら、はぁ、と息を吐く。
     結局、俺にとっては、迷惑を掛けられただけなんだよな、と思う。俺は殺されかけて、俺だけじゃなくて家族にとっても、あの鳥獣使いを長い間雇った事で金はかなり吹っ飛んで行ったし。でも、俺自身の事でさえ、どこか他人事で見ている自分が居る。こんな家業をしているからだろうか。
     エンブオーに憎しみを籠った目をされようとも、殺されかけようとも、それを思い出す俺の心は、平静を保ったままだった。
     きっと、俺はこれからもポカブを殺し続けるのだろう。感情を持たずに。
     ポカブは殺され続けるのだろう。知らないままに。
     俺は、完全に狂っているのだろうか? あのリザードンとサザンドラの言葉を聞けたならば、俺はダイケンキと同じ選択をしたのだろうか?
     それは、どう足掻こうとも分からない事だ。人間には、獣の言葉は聞こえない。
     獣の精微な感情を、人間は読み取る事が出来ない。
     ドアが開く音がした。父が入って来た。
    「今居るポカブ達、一気に殺しておくか。あの一件でやっぱり、少しざわつきが残ってる」
    「……、俺もそうした方が良いと思う。エレザード、連れて行く?」
    「ああ、今日は天気も良い。太陽の力も借りれば、放電で一気にやってしまえるだろうさ」
     ……ただ、聞けるようには、余りなりたくない。


      [No.4040] 潮風の香 投稿者:空色代吉   投稿日:2017/09/20(Wed) 01:17:26     57clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    潮風の香(しおかぜのかおり)


     その少年の言葉は今でも憶えている。
     体の弱い幼馴染の彼女を無理やり山の神の巫女にされることに反対した少年。
     想いを寄せた彼女の身を案じて村の者に歯向かい、村から追い出された少年。
     それでも、毎日こっそりと山の上の社に忍び込み彼女に会いに来ていた少年。
     先代の巫女の彼女の心配をしていた彼の事が、いまでも脳裏にちらつく。

     彼らの年代には、年頃の女子が体の弱い彼女しかいなかった。だが神の怒りを恐れた村の者は、神の怒りから村を守るためだという彼らの勝手な思い込みを彼女に言い聞かせて、無慈悲にも送り出す。
     そしてある吹雪の日、彼女は高熱を出して倒れ、そして若くして亡くなってしまった。
     彼女の死に一番早く気が付いたのは、少年だった。吹雪が収まってすぐに駆け付けた彼は、彼女の姿を見て崩れ落ちる。
     それから半時ほどたって、捧げものをしに来た村の者に彼と冷たくなった彼女は発見された。その時の村人の反応は、確かこうだった。
    「おいお前、何を寝ている! キュウコン様の御前だぞ! キュウコン様どうか、どうか怒りを鎮めなさってください……!」
     少女がこと切れているのに村の者が気付いたのは、神の使いにひとしきり謝った後のことだった。
     彼女は村を守る役目を果たしていた。だが、村の人々は彼女に文句を言いながら早々に葬り、急いで代わりの巫女を立てなければ、と駆けまわっていた。
     病弱な彼女を誰よりも心配していた、みすぼらしい恰好の彼は鋭い目つきで皆に言った。

    「俺は、神もお前らも絶対に許さない」

     その言葉だけを残して、彼は山から、村から姿を消した。
     それでも村の者は、神の使いである我の世話係に巫女を捧げることを止めなかった。

      * * *

    「ねえキュウコン、私この山の外に出たい。風のようにどこまでも飛んで行って、そして……海に行ってみたい」
     少女の一言に、我は眉根を寄せて苦々しい表情を作る。彼女の願いは難しいものだった。我の表情から察したのか少女……フウカは我の胸毛に顔を埋めた。やめろ、と振り払おうとしたものの彼女の涙が我の体毛を湿らすのを感じて、思いとどまる。そしてどうしたものかと思案を巡らし始めた。

     我はキュウコン。この神聖なる雪山に祀られている神の使いである。
     そして我の胸毛をぐしゃぐしゃにして、頬を膨らませむくれている少女はフウカ。我の世話係をしている現在の巫女である。
     我とフウカは雪山の奥の社で、山を見守るために人知れずひっそりと暮らしていた。我らはこの山の外に出たことはない。我もフウカもずっとこの深々と雪が降る山で日々を過ごしていた。

     雪と見間違うほどの青白い体毛に九つの尾を持つ我は、昔から神の使いとして雪山の麓の村の者から崇められ、そして恐れられている。何でも、神の使いである我の怒りに触れると雪崩が起きるとか巷では言われていた。実際は雪崩の起きることを予見して麓の村の人々の前に姿を現し警告をしているのだが、なかなか理解を得られない。しかも彼らは我の機嫌を損ねないために世話係として村の娘を一人巫女として遣わせてくるときたもので、巫女が代替わりするたびに我は、何とも言えぬ憐れみを彼女たちに向けていた。
     彼女たちは代々、我に深く干渉せずに黙々と身の回りの世話と祭事を行っていた。それが村の風習だった。彼女らは下手な言動はしない。何が我の逆鱗に触れるか分からないからだ。我はそれがずっと気に食わなかった。何を好んで気まずい思いをしなければならないのか理解できなかった。それに、世話係に任命された者は代替わりするまで我と暮らさなければならなく、時に過酷な環境に耐えられず命を落とすものも居た。フウカの先代も、巫女になったせいで若くして亡くなった。何故彼女たちの貴重な人生を、我の世話などに使わせなければならないのか疑問で仕方がなかった。我の機嫌を伺うのならばいっそもう放って置いてくれても構わないのに。もう、間近で怖がられるのにもうんざりしていた。
     しかしフウカは違った。
     フウカが我のもとに連れられてきたのは、彼女が九つの時であった。フウカは幼いながらも仕事はきちんとこなす巫女であり、よく出来た娘だと当時思ったのを憶えている。
     それでも慣れない場で過ごすのに無理が出てしまったのか、冷え込みが特に激しい日、フウカが風邪をひいてしまう。彼女が倒れてしまったのは夕刻だった。外は吹雪いていたので村の者を呼ぼうにも難しい天候であった。先代の彼女のように死なれるのも嫌なので、我はひとりでフウカを看病した。布団だけでは寒かろうと九つの尾を毛布代わりにかけてやり、氷を生成しそれを袋に入れ彼女の額に当ててやる。水分を取らせるために、溶けやすい氷を作り焚き木の傍へ置いておくなど……とにかく出来る限りのことをした。長い夜が明け、村の者が供えものをしにやってくるまで、我はフウカを看ていた。
     らしくもなく、妙に入れ込んでいるなと感じながらも、我は彼女の寝顔をじっと見守っていた。
     それ以来だろうか、我はフウカにすっかり懐かれてしまった。それまでふたりの間にあった緊張は徐々に解けていき、今では馴染んだ。それまで築いたことのなかった人間との親密な関係に最初は戸惑いを覚えたが、それもだんだんと心地良いものへと変わっていく。
     フウカはよく笑うようになった。彼女は我の毛繕いをするのが好きなようで、ご機嫌に歌を口ずさみながら、それでも丁寧に櫛でとかすのが日課である。毛並みがきれいに整うと、フウカは満足げに笑顔を見せた。また、フウカはお喋りだった。山で起こった小さな変化や、彼女が麓の村に暮らしていたころの話など、表情をころころ変えながら、身振り手振りも交えて我に話していた。こんなに話す娘だったのかと初めのうちは驚いていたが、今ではいつものことに変わっていた。フウカが小さい頃は我の背に乗せてやったりもしていたものだ。近頃は重くなってきたのでそれも難しくなったが。成長する年頃だから仕方がないとはいえ、フウカの重さに耐えかねて我が潰れてしまったときは、ふたりして落ち込んだ。まあ、それもつかの間のことで、今もよくもたれかかられたりのしかかられたりする。たまに我への敬いを忘れていないか? と思わなくもないが、寛大な心で彼女を許してやっていた。
     ……許す、などと表では偉ぶっていても内心は、フウカの分け隔てなく接してくれる姿勢がとても嬉しかった。それが叶わないと知りつつも、我はずっとフウカとこうして日々を過ごしていたかった。

     フウカの様子が変わったのはここ最近のことだった。十四歳になった彼女はよく頂に上るようになったのだ。一人で行かせるのも不安なので、フウカが頂に行くときは我もその後を追った。
     晴れているときの頂から見る地上の眺めは、我も好むものである。年中雪の積もるこの山の白さとは違う、茶色や緑の森や大地が見え、そして遥か遠方には蒼い水平線が見えた。
    「風になりたい」
     風に流される白い雲を見ながら、フウカは呟く。そのころからフウカの地上への焦がれる想いの片鱗はあった。しかし遠くに行きたいのならば何故運ばれていく雲ではなく、風なのだろうか。その謎は今も解けていない。

      * * *

     そしてとうとう、フウカは我に言った。
    「キュウコン、私この山の外に出たい。そして、海に行ってみたい」
     正直フウカがそう言い出す予感はしていた。だからこそ我は顔をしかめた。海とやらは、おそらくあの蒼い水平線のことを指し示しているに違いない。この山からだとかなり距離があるのは明白だ。フウカの足で彼方までたどり着けるのだろうか、それに道中に棲むものに襲われないとも限らない。彼らの領域は我の範囲を超えている。それに水と食料は大丈夫なのだろうか。考えたらキリがない。何より、フウカが山を出ようものなら麓の村人どもが黙ってはいないだろう。そして我は神に仕える身。神聖な領域を守るためにもこの山から出ることは叶わない。
     よって、我はフウカの願いを聞き入れられない。本当は恩を返す意味でも叶えてやりたかったが、我は彼女の願いを聞き入れられる立場ではなかったのだ。フウカもそれは重々承知の上のようであった。だが頭では理解していても、心を抑えられずにいたのだろう。フウカは海に対する憧れを諦めきれず、我への話題に上げることで己の想いを忘れないようにしていた。
    「海の風の香りはしょっぱいって、お母さんが言っていたよ。どんな感じなのかな」
     妄想を膨らませるフウカの姿が深く印象に残っている。不意に、フウカは我に話を振った。
    「キュウコンは、もし行けたら海、行ってみたい?」
     その質問に、我は悩んだ。我は生まれてからこの山の外に出たことはないのだ。未知の場所への興味がないわけでもない。しかし、我は山に棲むものを守らなければならない。それが我が神に作り出された意味だからだ。
     だが、本当にもし、もしも行けるのだとしたらの話だったらば――――彼女が誘ってくれるのなら、正直行ってみたい気持ちはあった。
     フウカと共に、果ての海まで。
    「そっか……いつか、いつかキュウコンと一緒に行けたらいいのにね」
     彼女の描く絵空事に、我も仲間に加えられただけで、嬉しかった。それだけで十分だった。
     それ以上は望まなかった。むしろこの時間がいつまでも続けばいいのに、否、巫女が代替わりするまでの間だけでも、フウカと一緒に居たい。フウカはどう思っているのかは分らぬが、それが我のささやかな願いだった。
     そんな我の想いを知ってか知らないかは定かではないが、フウカは我に笑いかけてくれる。もし海に行けたのなら、もっと明るく笑ってくれるのだろうか。そんな邪な考えが浮かんでは、必死に頭の中から消していった。

      * * *

     終わりの始まりは唐突だった。
     
     異変に気が付いたのは、不気味なまでに燃えるように赤い空をしていた夕時だった。山がざわついていたのを察知した我は、急ぎ麓に向かおうとするべく立ち上がる。
    「キュウコン、どこへ行くの? ……何かあったの? 私も行くよ」
     フウカが我の様子に気が付いたのか訊ねる。そして後に続こうとしてくるフウカに我は今まで見せずにいた、あらん限りの力で吠えた。『ついて来るな』と。我の吠えに怯んでその場に崩れ落ちるフウカ。彼女を背にし、我は振り返らずに駆け出した。

     羽ばたくワシボンの群れや走るニューラ、逃げ惑うグレイシアとイーブイの親子とすれ違い、胸騒ぎが強くなる。
     嫌な予感程当たるものである。
     血潮のように赤い空の下、黒煙を上げ――――村が、燃えていた。
     フウカを置いてきて正解であったという安堵と、もっと村の異変に早く気づくべきだったという後悔が入り混じりつつ、燃える家々の間を走る。焼ける熱気と煙に苦しみながらも我の持つ氷を操る力で霰を降らし、少しでも火の勢いを収めるべく助力する。焼けていく村内を回る中、疑問が生じた。
     村の者の姿が、見えない?
     先程から焼ける住家の中取り残された者がいないか順に巡っているのだが、住民の姿が一向に見つからない。人も、人と暮らす生き物も、誰も見つからない。
     嫌な予感は、当たってしまう。
     村の者とはかけ離れた荒々しい声が聞こえる。それは、野蛮な者の声だった。
    「とうとうおいでなさったか! 神の使い様よ!」
     そう声を荒げた男は、嘗め回すような視線をこちらへ向けてくる。その視線に違和感を覚えたのも束の間、周囲にいた賊だと思われる若造らのはしゃぎ声に思考を遮られる。賊どもは黒い爬虫類たちを従えていた。ヤトウモリと呼ばれた小柄な爬虫類どもが家屋に向けて火を噴いている。この火の原因は奴らの仕業か。村の者たちは一か所に集められていた。村の者と暮らしていた生物たちは、力尽き地に伏している。火を噴いていたヤトウモリ達が、頭であろう男の手持ちのエンニュートという名の、ヤトウモリ達より一回り大きな爬虫類指示に従い、我へ向かい身構える。
    「野郎ども、ヘドロ爆弾だ!」
     放たれる毒爆弾を我は凍てつく光線で薙ぎ払う。爆炎の後、煙が上がった後、すかさず身を翻し雪の中へ隠れた。そんな我の行動を見て賊の頭はこう言った。
    「逃げるのかキュウコン? そうやって隠れているのなら……そうだな、俺らにも考えってものがあるぜ?」
     そのわざとらしい気持ちの悪い声に悪寒が走る。
     我は別に、麓の者どもに好意を抱いているわけではなかった。しかし、共生関係をすることを望んだぐらいには、彼らに気を許していたのかもしれない。この山を守るのが我の使命。そう、麓とは言え、同じ山に棲むものには変わりはない。だから彼らを守るのもまた、我の使命なのかもしれない。
     そして何よりフウカの仲間だ。彼らに何かあったら彼女が悲しんでしまう。
     嫌な予感は、的中する。
     奴は一人の女の髪の毛を引っ張り、差し出すように前へと連れてくる。
    「三十秒だ。それまでに出てこないのならば、この女の綺麗な肌が焦げちまうかもしれないな?」
     女が、肩を震わせている。奴の言葉の意味を察せぬほど、我は馬鹿ではなかった。我は雪影から姿を現す。そうせざるを得なかったことに口惜しさを覚えた。
     村の女が解放され、我が賊ども連れられそうになったその時。
     望まない出来事は重なる。

     何処からともなく投げられた雪玉が男の顔面に当たった。それから聞き覚えのある、声が我を呼ぶ。
    「キュウコン!」
     毛が逆立つとは、この事を指し示すのかというくらい全身が恐怖で震える。
     やめろ。来るな。やめろ。来るな。やめろ。来るな、やめろ。来るな。
     雪に生える赤の袴を見て、頭の中が、それらの感情でぐるぐると回る。
     やめてくれ、来ないでくれフウカ。フウカ。フウカ。来てはいけない。フウカ、来てはいけない。
     来てはいけない!!
    「待っていて、今助けるから!」
     彼女は我のために必死なって、
     怖いだろうに力を振り絞って、
     不安にさせまいと笑みを湛えて――
    「やれ」
     ――我が駆け寄る前に、エンニュートの毒爆弾をその身に受けてしまった。

      * * *

     それから後の事は、正直よく憶えていない。ただただ、後悔の念が付きまとっているのだけは、憶えている。
     反射的に氷の礫を放っていた。エンニュートは間一髪でかわしたが、エンニュートの後ろに居た手下の男の肩が、えぐり取られた。
     悲鳴を上げる手下。ふむ、案外脆い。何故我は、村の人間如きを人質にとられ躊躇していたのだろうか。フウカが傷つけられる以上の何が恐ろしかったのか。今ではよく分からない。昔の我の選択が理解できないし、したくもない。ただ言えるのは、我はやはり馬鹿であったということだけだ。
     怯んだヤトウモリの一匹に、もう一つ氷の礫をくれてやる。ヤトウモリとそれを従えていた賊どもが怯えて散り散りになる。怯えているのは、賊どもだけでなく、村民たちもであったが、この際それはどうでもいい。
     一方で頭とエンニュートは、冷静であった。エンニュートはすぐさま煙を焚き、姿を暗ませる。逃がすものか、と吹雪で煙を払ったものの、既に彼らの姿は消え失せていた。
     
     放心しながら、一歩一歩フウカへと歩み寄り、辿り着く。顔を覗くと、彼女は虚ろな目で天を見つめていた。傷口は、見るに堪えないほど酷かった。その姿を見て、人とは脆いものだということを改めて痛感した。そして、我が彼女を守れなかった事実を思い知らされた。
     うなされ苦しんでいるフウカの顔に、昔の彼女を重ねる。ただあの時と違うことは、彼女を助ける見込みがないということ。
     謝っても謝り切れない情けなさが襲う。せめてフウカにしてやれることがないか思案する。だが、言葉をかけてやることすら出来ずにただただ見つめるしか出来なかった。
     いや、我は神の使い。お前の魂を神のもとへ連れていく事は出来た。
     だが、小娘一人守れないで何が神の使いだ。今の我に神の使いである資格はない。
     それならフウカ、いっそ我もお前と共に……。
    「きゅうこん」
     打ちひしがれる我の耳に、かすれ声が聞こえる。顔をそちらへ向けると、彼女のおぼろげな眼が我の姿を捉えていた。
     フウカは力を振り絞り、我にこう囁いた。
    「きゅうこんはわたしがまもるから」
     我の考えを見透かした、遠回しな呪い。
     それが、彼女の最期の言葉だった。

      * * *

     自分でも何をしているのか、分からなかった。
     我は冷たくなったフウカを連れ、山を出ていた。我は神の使いとしての役目を放棄し、神のもとへ彼女を連れていくことを、拒んだ。我は彼女の憧れた海に、彼女を連れていくと決意したのだ。
     連中の狙いが我だということもあり、あの雪山に留まっていたらまた犠牲を出すかもしれない。だから山を出ようと考えた。否、それは口実にすらなっていない。本当は麓の村の者どもなど、どうなっても構わないと考えていたに違いない。だから神の使いという雪山を守護することを辞めたのである。
     なけなしの木材から作られた棺にフウカを入れ、それを引きずりひたすら南を目指した。腐敗せぬように冷気を操っているとはいえフウカ、やはりお前重くなっただろう。そう念じても返事は無かった。
     山の方から下りてくる冷風も次第に遠のいていく。棺を狙い襲ってくるヤミカラスどもを追い払い、いくつもの夜を超え、身も心も満身創痍になっても歩みを止めることはなかった。そして我は蒼の彼方へと至る。

     辿り着いたときはちょうど暁が昇る時刻だった。薄紫色の空の下吹くその風は生暖かく、潮の香りがした。朝の陽ざしと風に包まれながら、それまで凍っていた心が溶かされていくような気がした。
     息を吸い込むと、鼻の奥と口の中が塩味で満たされていく。それはしょっぱいという感覚だった。棺を海の望める丘に埋め、海岸線で途方に暮れていると、忘れがたいあの気配が近づく。
    「ようやく見つけたぜ」
     奴らに我は心底興味なさげに振り向いてみせる。しばらくぶりに見るが、やはり彼らは薄汚い恰好をしていた。手下どもは我に警戒していた。だが頭の男だけは怯むそぶりを見せず、我をまっすぐ見ていた。その目を見てようやく、襲撃事件の時に感じた違和感の正体が、分かる。
     おそらく我は、彼を知っているのだ。
     男は棺を埋めた丘を一瞥する。そして我を見てこう言った。
    「神の使いよ、お前は神を信じるか」
     その問いに我は、首を縦にも横にも振らず、目を細めた。頭の男は、続ける。
    「俺は信じてはいない。むしろ信仰だとかしきたりだとか、そういったものを憎んでいるし、それらを信じている奴らも憎んでいる。ぶっ壊したいと思っている」
     男は視線を丘の方へやり、語る。
    「まだ幼いころ、俺には惚れた女がいた。そいつは体が弱いのに、奴らに巫女にされ、山奥にたった一人で暮らさなければならなくなった。当然そいつは環境に耐えきれず死んじまった。それでも村の奴らは巫女を送り出し続けることを止めなかった――キュウコン、あんたの仕える神の怒りを買わないために。あいつらは何時までも同じ過ちを繰り返し続けるだろうよ。何人もの巫女が犠牲になっても、自分達の生活を守るためだと目を逸らしながらのうのうと生きていくだろうよ」
     その言葉で、見覚えは確信へと変わる。そうか……あの時の少年だったのか。
     彼にここまでさせ、この結果を招いたのは……先代の巫女、彼の思い人に救いの手を差し伸べなかった我の怠慢が招いたこと、か。今になって、彼の怒りを理解することができた自分が忌まわしかった。
     彼は再び、我へと眼差しを向ける。
    「あんたが村の奴らを庇おうとしたのは意外だった。自ら山の外に出たのも。俺の狙いには気づいていただろ。標的があんただと見せつけたうえで村人を一人一人殺していく。あんたが隠れられないように、逃げられないように、居場所をなくすように追い詰める。そうやってあんたを山から追い出す。そのためには犠牲が必要だった。その嬢ちゃんを選んだのは、たまたまだということだ」
     名も知らぬ彼は、虚しさを込めた声で、我に問いかけた。
    「つまりは俺の目的は果たされているということだ。だが、俺は、お前を討つことで、更に神を否定する。キュウコン、あんたはどうする? 俺を殺して嬢ちゃんの敵を討つか?」
     その問いかけに、我は首を横に振った。既に我はフウカを守れなかった時点で、もう何もかもどうでもよかった。彼女と一緒に海にも来ることができ、未練もなかった。もちろん彼の言う巫女制度を静観して彼女らを救わなかった責任感もないと言ったら嘘になる。しかし、彼には悪いが逆に我にとって都合がいいと思ってしまっていた。彼が幕引きをしてくれるのなら、誰も守れなかった我を裁いてくれるのならば……願ったりかなったりだった。
    「そうか」
     彼は短くこぼした後、エンニュートに指示を出す。そうして、エンニュートとヤトウモリの炎が我へと襲いかかった。
     我は瞳を閉じて歴代の巫女のことを思い抱いていた。彼女らの姿を一人一人思い出していき、最後にフウカの笑顔を思い浮かべる。
     フウカ、我はお前を死なせた神を信じ切ることはできない。だから神のもとを去った。だが神よ、まだ我を見放さないでいてくださるのなら、我の魂をフウカのもとへ。我の生に終わりを。
     そう願うと、海原から誘うような潮風が吹いた。

      * * *

     しかし、いつまで待ってもその終わりはやってこなかった。
     熱気は感じているのに、不思議と痛くはなかった。瞼を開ける。そこには驚いた表情でこちらを見ている彼らの姿と、我の目の前で二つに裂けた炎の壁があった。炎が消え去った後、怪訝そうにしている我に彼は訊ねる。
    「あんたの仕業じゃないのか?」
     慌てて首を横に振る。すると、背後の海から強烈な風が、水面を叩くほどの強風が吹き荒れる。小柄なヤトウモリは風に飛ばされ、それを彼の手下どもは風に押されながらも追いかけていった。不安定な足場に吹き荒れる砂の嵐が彼とエンニュートを襲う。しかし波打ち際に居た我には、風は一切攻撃する気配はなかった。彼とエンニュートが膝をつくと、風は緩む。しかし風は、いつでも彼らに砂を叩きつけることが出来ると警告しているような唸り声を上げていた。
     彼は痛みを堪えつつ、恐怖に震えつつ……笑った。
    「これが、神風か。恐ろしいな、神の加護ってやつは」
     どうやら彼はこの風を神の仕業だと思ったようだ。しかし、我は得心がいったように、再び首を横に振る。もし我が人語を話せたとしても、この風の正体は、彼には理解できないだろう。
     それから我は、深く頭を垂れた。彼には悪いが、どうやら我はまだ死ねないらしい。それを伝えるための、一度きりの謝罪だった。
     我は彼に背を向け、海岸線を歩み始める。彼は我を追いかけようとする。だが風に遮られ、とうとう遠くなる我の姿を見ていることしかできなかった。
     じゃじゃ馬のような潮風が、いい香りを連れて我の隣を流れていく。我は久方ぶりに、笑みをこぼした。
     仕方がない。そこまでするのならば、もう少しだけ生きながらえてやろうと『フウカ』に告げると、風になった少女は嬉しそうな風音を立てた。
     そして我は、いつも彼女が歌ってくれていた懐かしい旋律を頭の中に描きながら歩いた。
     どこまでも、どこまでも、風と一緒に歩み続けた。


      [No.4039] 炎煙霰月 投稿者:まーむる   投稿日:2017/09/20(Wed) 00:47:34     44clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    煙炎霰月



     半月が夜を微かに照らす。
     その微かな明かりの中を何かが飛んでいたのか、黒い羽が一つ、空から落とされた。
     一つだけの黒い羽。
     重力と、微かな風に従ってゆらりゆらりと落ちていく。
     真下に広がる町には喧噪が広がっていた。
     酔っ払いが大声で叫び、車の迷惑そうな警音が鳴り響く。ポケモンの鳴き声も負けじと響けば、その身から放たれる力がどこかへ飛んで行った。
     その中に一つ、その喧噪を、外部との関わりを全て拒絶するかのような建物があった。
     屋根も無く、音も無く、電灯なども無い。しかし、暗闇ではなかった。
     鬼火が七つ、八つ、いや、消えたり増えたりしながら明かりとして漂っている。
     様々な表情を見せながら、しかし例外なく雅やかさを備えつつ、怪しげに、妖しげに、ゆらりゆらりと舞っていた。
     人々が、ポケモン達が、その微かな明かりの中で一様に座っている。
     誰も彼もが、芸術と言うものを知らない者でさえも、芸術と言うものを知り尽くした者でさえも、まだ一年も生きていない者でさえも、人間より遥かな年月を過ごした者でさえも、何も言わなかった。身じろぎさえしなかった。
     その建物の中の観客の目の全ては、一点に集中していた。
     ぽつ、ぽつ、と鬼火に照らされたその場所。
     その舞台に、一匹のポケモンが居た。
     尾の一つ一つが、揺蕩う水のように、ゆら、ゆらりと、もしくは風になびく草木のように、さら、さらと、かと思えば燃え盛る炎のようにどうどどうと、途切れる事無く、一様に留まらずに移り変わる。
     鬼火。時には観客の頭上にまでゆらゆらとふらふらと移ろい、その尾が揺れたと思えば鬼火も揺れ、色も変わる。
     気付けば消えており、気付けばその尾の先からまた、一つ、二つと増えていた。
     鬼火は散り散りな場所にあるのに、それと月しか明かりは無いのに、その舞台に立つ、九つの尾を持つポケモンの存在だけが、この空間に居るその他全ての生物を釘付けにさせていた。
     音もなく、万象の全てをその身と鬼火で現しながら舞うそのポケモン。
     顔が見えなくなる事もあった。
     姿の殆どが消える事さえもあった。
     それでも、観客の目が離れる事は無かった。
     千年の時を生きると言われるそのポケモンは、短く太く生きる人間ではどう足掻こうとも何を犠牲にしようとも得られはしないものを身につけていた。
     技術でもない。経験でもない。悟り、というものが一番近いだろうか。
     その舞は、ここに居る全てを魅了していた。
     羽が、ひらひらと落ちて来る。
     それは鬼火に包まれ、誰も気づかず、消えた。

     ふつ、ふつ、と鬼火が数を減らしていく。暗闇が濃くなろうとも、そのポケモンから誰も目を離す事は無かった。
     鬼火が二つ、一つとなろうとも。誰もが魅了、いや、洗脳されたかのようにまで、その舞から目を離さなかった。離せなかった。
     殆ど暗闇であろうとも、瞬きをする事すらも躊躇われる。
     しかし、誰もが記憶しようとも思ってもいなかった。ビデオカメラに収めようとも、記憶の内に収めようとも、この舞の全てを収める事は出来ないだろう。
     この瞬間、刹那が過ぎていく連続の全てが舞を構成していた。
     誰もが気付いていない要素でさえも。気温や湿度、月やそれを時偶隠す雲も、どこから吹くのか分からない風、もしかしたら、落ちて来た羽でさえも。
     月が曇り、完全な暗闇になり。
     暫くして、月明かりが戻ったその後には、焦げた羽が一枚、舞台の上に落ちているだけだった。



     くぁ、と欠伸をするその様は、単純に疲れた様子だった。
     仕事を終えた人間のように。肉体労働を終えた格闘タイプのポケモン達のように。ポケモンバトルで賞金を稼ぐトレーナーとポケモン達のように。
     徐々に我を取り戻しながら喧噪の続く現世に戻る観客を建物の中からこっそり眺めつつ、そのポケモン、キュウコンはゆっくりと休息に浸っていた。
     かり、と時々、渋味と甘味のする木の実を食べながら、力を抜き、眠気も隠していない。
     人間よりも遥かに長い時間を過ごしている身であろうとも、その姿はただのポケモンとなっていた。何者も魅了する幻想めいた姿は、今は無い。
     後ろでは、さら、さらと静かに尾の手入れをする二匹の狐が居た。
     正座をし、手に持った櫛で毛を梳き、埃を払う狐。黒い姿に赤い髪を持つその狐は、種族をゾロアークと言った。丁寧に、夢中に毛を梳いていた。
     胡坐をし、指で筋肉を解していく狐。赤と黄の姿に耳から多くの毛を生やすその狐は、種族をマフォクシーと言った。持前の念動力も使いながら、荒めに、けれど正確に疲れた尾を解していた。
     その二匹のポケモンは、生まれた場所も違い、またこのキュウコンに仕える為に生まれて来た訳でも、特別な理由がある訳でもない。
     仕えたいから仕えている。気に入っているから仕えさせている。

     時代は流れていく。それをこの体でずっと眺めて来た。
     こうして外を眺めるだけでも様々な事が変わっている。喧噪の音も変わった。臭いも変わった。見かけも変わった。雰囲気も変わった。
     目を閉じれば、ぼやけきった記憶しか無いが。
     人間なんかより長い、永い年月を過ごす身だと言うのに、記憶に関しては人間達と大差ない能力しか持っていない。
     体は数百年の間、もう、強くなる事も、衰える事も全く無い。ずうっと老いる事も無く生きているのに、その記憶はこうして元気に活動出来ている間の半分の半分、更にその半分も鮮明ではない。
     体は若者のように動くのに、こうしてここで過ごす前にどこをどう生きて来たかも、もう大して覚えていないのだ。
     時々、思う事がある。
     記憶が多く保てないなら、長く生きているのも短く生きているのも変わらないのではないか。
     記憶の無い時間は、死んでいると言っても良い。生まれていないのとも大して変わらない。
     何度、友を喪ったのか、何度子を為して、その子が今どこで何をしているのか、もう殆ど覚えていないし、知らないのだ。
     子や孫、自分が血を分けた者と会おうとも、全く分からない、嫌な自信さえもあった。
     覚えているだけ生きて、死ねるというのは、この身からすると、羨ましくなる事もあった。
     しかし、記憶はどこかへ消えようとも、感覚は残る。体に積もった経験も残る。
     それらのおかげで今こうして数日に一度舞うだけで、美味い食べ物も安全な寝床も、従者達の分まで与えられる。
     けれど、そうして安全と贅沢を得られるとしても、不安に押し潰されそうに何度もなる。
     自分は、千年生きるという。どれだけ生きて来たか、分からない。どれだけ後、こうして元気で居られるのかも分からない。
     ずっと変わらないこの体は、寿命を察する事も出来なかった。

     毛を梳き終わり、揉み終わった。舞をしている最中は意識もしない疲れは、凝り固まって表に出て来る。
     でもこうして、特に尾を揉んで貰えると、疲れが次の日には大半が消えている。
     感謝は伝えきれないが、これまで同じようにしてくれた、仕えてくれた者達の事も忘れてしまっている。
     このマフォクシーとゾロアークの前が誰だったかも、思い出すのに時間が掛かった。
     建物の中の方を窓まで行って覗き込む。そこでは、人間達やポケモン達が掃除をしていた。細かな埃などを掃いている。
     ここで莫大な利益が生まれている事を知っている。その九割九分以上が自分達三匹ではなく、その人間達のものになっている事も知っている。
     それでも良かった。いや、そんな事はどうでも良かった。
     自分の長きに渡る不安を癒してくれるものは、どこを探しても無い。いや、ある筈が無い。
     この世界で一番繁栄している人間は、過去の記憶を失いながら生きたりしない。自分が欲するものは、繁栄の内に暮らす人間には到底要らないものだったから。
     建物の外を見た。
     ぼうっとしている人間やポケモンが未だに多くそこに居た。その、自分がそうさせた姿を見せても、羨ましさが湧き出て来る。
     そうして、ただ見惚れて、その余韻に浸って。何も考えないで居られる時間というものはそんな自分にとって、とても欲するものだった。しかし、そう言う機会も自分にはそう大して無かった。
     自分の生きて来た常しえを投げ売るかのように、ただただ舞だけをしている時間。
     それと、もう一つ。
     櫛から毛を捨てているゾロアークに体を向けて、唐突に押し倒した。
     驚いたゾロアークは、けれど受け入れて、自分と舌を交えた。



     言葉で意志疎通を出来るポケモンは少ない。
     自分は、口を使って喋る事は勿論出来ない。
     テレパシーも使えない。
     この、長生きし過ぎる身にとって、言葉を使った意志疎通が出来ない事はとても辛い事だった。
     人間の言葉を何年も、何十年、いや何百年という単位で聞いている内に、人間の言葉は完全に理解出来るようになっている。
     自分の思考も人間の言葉を使った、より鮮明なものになった。
     なのに、自分は人間の言葉を使って喋る事は出来ない。テレパシーでも、だ。幾ら時間が経とうとも、どれだけ長生きしようとも、自分は出来なかった。
     それは、時間の問題ではなく、素質の問題だった。
     テレパシーを使って人間と会話出来るポケモンと言うのは、大抵の種類のポケモンで稀に居る。種族に関わらず、エスパータイプの技を覚えていなくとも、覚えられる素質さえあれば出来るポケモンも居た。
     結局のところ、自分にはその素質は無かった。それだけだ。シンプルに、残酷に。

     目が覚めると、薄暗い早朝だった。
     ゾロアークは隣で寝ていて、畳や自分とゾロアークは汚れたままだった。
     舞をしようとも、交わろうとも、一時の間だけ気を紛らわす事ができるだけ。いつものように、衰えも成長もしない体がここにある。何年、何百年と過ごしてきたか分からない体がここにある。
     マフォクシーは、どこにも居なかった。自分とゾロアークが交わり始めてからどこかへ行ったきりだった。
     水場で体を洗い流していると、ゾロアークも入って来て、身を洗い流した。
     子は、偶に出来ている。けれど、ゾロアークと子を為しても、生まれて来るのはゾロアだけだ。ロコンは生まれて来ない。
     その事実を思うと、どうにもやりきれない時もあった。同じ雄であるマフォクシーも、同じような思いをする事はあったのだろうか? それも知る事は出来ない。
     ただ、ロコンとして生まれて、そして進化してしまったら、こうして千年もの間だらだらと生きなければいけないのだから、それはそれで良いかとも自分は思う。
     死にたくはない。いや、自分が恐れているのは、死そのものではなかった。
     いつ、それが訪れるか全く分からない事だった。
     そんな生き方をしなくてはいけないのは、少しで良い。少なくとも自分は耐えられているが、皆が耐えられるかは、全く分からない。

     まだ人通りが少ない外へ出る。
     声を掛けられる事は少ない。この町に住み着いてから暫くしない内に、自分は敬われるようになった。
     良さげな寝床を見つけ、何か食い物でも恵んで貰おうかと思って舞ってみたらそこから一気にここまでの事になった。
     人間のルールに従おうとしていたら、気付けばその中に取り込まれていたと言う感じでもあるが、不快感は無い。
     そうして暮らす事自体は、別に劣っている事でも何でもない。
     本当におぼろげな記憶だが、人のポケモンとして生きていた時期もあった。まだ、モンスターボールと言う物も無かった時代に、自分の意志でだ。
     ロコンからキュウコンになった時も、確かその時だった。
     ただ、ロコンからキュウコンになったのが、自分の意志だったのか、その人間の意志だったのかまではもう、覚えていない。その人の顔も、その人と暮らしていた時の感情も、何もかもを覚えていない。
     楽しかったのだろうとは思うけれど。
     前で掃き掃除をしていた人間が頭を下げた。尻尾を振って、軽く返した。
     何度か、人間が自分の事に関して強制しようとしてきた事があった。別に、整えてくれるのは勝手にされた事で、路上で舞うよりそっちの方が良さげだった。寝床も用意された方がより好きだった。
     だからと言って、無闇に外を歩かないで欲しいとか、もっと恭しくしてくれとか、舞の頻度を増やしてくれだとか言われる筋合いはない。
     追っ払っていれば来なくなったが。
     長生きしている事は、楽しい事ではない。ただ、少なくとも役に立つ事ではある。

     太陽が昇って来る頃、マフォクシーが前から歩いて来た。
     腕に木の実やら様々な食べ物を抱えていた。
     甘苦い木の実を咥えて食べながら、互いに帰路へ着く事にした。
     食べながら、曲がり角を何度か曲がる。
     ぶらぶらと当ても無く歩く散歩の帰り道は、近道を。
     そこは宿が立ち並ぶ場所だった。安い宿から高い宿までぱらぱらと散らばっている。自分の舞を見に来るのは、大抵が高い宿に泊まっている人達だった。
     高い金を取っているのだろう。
     元々、良い食べ物を貰おうとしてした舞が、ここまでの事になるとは思わなかったが。
     ここを気紛れに出て行ったらと言う事も思ったりする。自分の舞に勝手にでかい旨みを作り出した人間達が嘆く様を想像するのは結構楽しい。
     追いかけて来た奴等をこんな町中でやれない程に思う存分返り討ちにするのを想像するのも。
     何も考えないでいられる時間ではないが、戦って甚振る事も好きだった。
     そんな欲求が湧いて来たのを察されたのか、マフォクシーが木の実を渡してきた。渋みの強い、落ち着く木の実だった。
     好き好んでいるからと言って、自分から仕掛ける程じゃない。
     受け取って齧っていると、ふと、妙な視線を感じた。
     純粋な羨ましさとか、身勝手な恨み、トレーナーの力量を見定める目や、はたまた珍しさとか、そういう良く感じるものではなく、気になるというような。
     もじもじとしているような姿が頭に浮かぶ。
     気になって見回してみれば、その視線は切れてしまった。



     帰れば、昨日汚した畳は綺麗になっていた。ゾロアークが雑巾か何かを絞る音も聞こえた。
     臭いは多少残るが、そう気になる程でもない。自分の臭いだからかもしれないが。
     自分の肉欲を受け入れられない雌も居なかった事は無い。ただ、そういう従者はそう長く自分と共にしないから、どの位居たのかももう、ほぼほぼ覚えていない。あるのは、短い間だけ居たという記憶だけ。
     ゾロアークと言う種族を従者にするのは初めてだったが、行為はかなり気持ちが良い。マフォクシーは雄だから無理だが、その内その種族とも行為をしてみたいとは思う。
     この体が衰えない内ならば。

     マフォクシーが持って来た木の実や人間の食べ物を腹が満たされるまでぼちぼちと食べていると、湿気が増えてきて、涼しい風が窓から吹いて来た。適当にぶらぶらしようかとも思っていたけれど、雨が降るのでは余り行く気にはならない。
     風が強くなって、雲が増えて来たと思うと、そのすぐ後に、ぽつ、ぽつぽつ、と雨が降って来た。
     一気に大雨になった。
     出店も閉まり、そこから出て来る煙や湯気と共に運ばれて来る良い匂いも消えてしまう。
     窓を開けていると、多少雨も入って来るが、そのままにしておく。
     雨自体は、こうして屋根のある場所で見る分には嫌いじゃない。屋根の無い住処で全く、ではなく出来るだけしか防げない雨水を身に受けるのは最悪だが。
     ただ、そうだからと言って、自分の力で雨を晴らす事はしない事に決めていた。そうして、悲惨な事になった時があった。
     一つの住処に長く住んでいた時。雨を凌げる場所ではない場所を住処としていて、雨が降る度に自分の力でさっさと晴らしていた時。気付けば、乾燥に弱いポケモンが多く死んでいた。食いもしないのに。
     他の様々なポケモンや人間も弱っていた。
     その時既に、自分はとても力の強い存在になっていたから討伐もされずに、また雨降らしの特性を持つポケモンを別に呼んでも自分の力を上書き出来ずにいた。
     弱ければ害獣として駆除されていただろう。強かったから駆除されずにいたが、過ちに気付いてから自分に出来る事は何も無く、嫌な思いをされながら、そこを去る事しか出来なかった。
     嫌な思い出は、何故か強く覚えているままだ。
     大きく息を吸って、吐いた。
     思い出した時は、そうするしか出来ない。
     償いなんて、あの時どうすれば良いか聞けたとしても、死ね、と言われるだけだろう。
     そんなポケモンが今、人々を舞で魅了させている。
     ……キュウコンというポケモンは、千年も生きると言うからか、色々な事を人間達に噂される。
     尻尾を触ったら末代まで呪われるだとか、人を洗脳させて好きなように操るだとか。人の胆を好んで食うだとか。馬鹿らしいところでは美女に変身するという事も噂されているようだった。
     自分はそんな高尚なものでも、好き好んで人の不吉を招くようなものでもない。
     長い寿命を持て余して、たらたら生きているだけのポケモンだ。取り返しのつかない馬鹿な事をして、それを隠しながらこうして高尚そうに生きている様なんてそこらの人間ともそう変わらない。
     旨みを握っている人間が、こんな過ちを犯して生きているポケモンだと知ったらどうするだろうか。きっと知らなかった振りをして祀り上げたままだろう。
     人間もポケモンも、そう大して変わらない。
     そう言えば、元々人間とポケモンは同じだったとかいう話もあった。
     似ているのも当たり前か、と思っていると、耳が変な音を捉えた。
     雨の音に混じって、硬い音が少しずつ混じり始めている。
     不思議に思っている内に、その硬い音が増え始めて、その正体が分かった。
     雨が、冬でもないのに霰に変わりつつあった。
     これは疑いようも無く、ポケモンの仕業だった。



     誰かがポケモンバトルでもやっているのかもしれない、と思ったが、それにしては長く降り続いていた。
     霰は大粒ではなく、戦いで使うような攻撃的なものでもなかった。当たっても痛くはない程度のものらしく、人々は単純に珍しがっていた。
     雨は自然に来たもので、それを誰かが霰に変えたのだろう。
     ただ、この辺りでこんな広範囲に霰を降らせられるポケモンは見た事が無い。
     そういう力を持つポケモンでも、度合いが違うのだ。
     自分も、長く生きている内に日照りの力を持つようになったが、最初は周りがちょっと温かくなる程度のものだった。
     それが、雨を避けるようになり、雲を消し去るようになり、今では夜でも疑似的に昼のように照らす事が出来る。
     悪く使えば、人もポケモンも皆平等に干からびさせる事の出来る力だ。今のこの、文明とやらが発達したこの時代じゃ、そうする前に捕えられるだろうけれど。
     雨なら、全てを腐らせる事も、洪水を起こす事だろうと出来るだろう。
     砂嵐なら、この町を土に埋もれさせる事さえも出来るかもしれない。
     そして、この雪や霰なら。
     人の話で聞いた事がある。森の主を怒らせた、ある小さな集落が夏なのに全員凍死していたとか。
     自分がそれ程怒る事は、何かあるだろうか?
     ……あるな。
     二匹の従者を見て、そう思った。
     何度も代わって来て、何度も別れて、そしてもうこの前の従者でさえ思い出し辛くとも、大切なのには変わりない。
     霰は、穏やかにぱらぱらと降り続いている。
     これは、怒りではない。

     霰が好きかと言われればそうでもない。
     数百年の間生きて来たとは言え、年に一度見るか見ないか程度の珍しいものだ。ただ、だからと言って外に出て泥濘のある地面に足をつける気にまではならない。
     雨と同じく、眺めているだけで、目と耳で感じているだけで丁度良い。
     砕けた氷が地面に敷き詰められて行く。溶けるよりも先に、積もって行く速さの方が速い。
     雨とは違う煩さが耳に鳴り響く。硬質なそれは、雨よりはやや耳障りだった。
     でも、偶には良い。
     目を閉じて耳を澄ませば、砕けずに屋根を転がる氷の粒が聞こえる。砕けて、そのまま屋根にしがみつく氷があるのも分かる。
     耳障りだが、雨に比べて色々と音も多様だった。
     耳障りだが、目を閉じれば眠くなってくる。まだ老いていないのに、いや、老いているのかもしれないが。
     舞の後に、交わりもして、意外と体はまだ疲れているのかもしれなかった。
     目を開いても、自然と瞼が閉じていくのを感じて、体を丸めた。
     悪くはない。少なくとも、雷雨よりはましな音だったし、こういう音を聞きながら眠るのも、覚えている限りじゃ記憶にもない。
     外に行く気にならなかったのも、気分と言うよりかは疲れているのもあったのかもしれない。
     いや、やっぱり泥濘に足をつけるのも嫌だ。
     尻尾で顔を隠すと、どちらかの欠伸が聞こえた。

     ごーん、ごーん、と音が鳴って目が覚めた。
     昼の鐘だ。
     目を覚ますと、煙ったい臭いと相変わらずの霰の音が未だに鳴っていた。
     体を起こすと、木の枝に火を付けて煙草のように咥えているマフォクシーが見えた。
     窓縁に肘を着いて、ぼうっと外を眺めている。
     ゾロアークは、いつの間にか子を連れて来ていた。外を眺めれば、外でも数匹じゃれ合っているのが見えた。
     全部、自分の子でもあるけれど、こう見ても余り実感が湧かない。
     酷い親なのだろうか。人里と自然をぶらぶら行き来しながら生きて来たからか、もう、自分はどちらにも染まる事もない。
     気分次第でぶらぶら変わる。
     自分が起きたことに気付くと、子供の一匹がこっちにやってきた。
     気分を窺っているような目をされて、頭をわしゃわしゃとしてやった。毛繕いもしてやっている間、自分が少し傷付いているのに気付いた。
     あんな目をされる親、か。
     父親という自覚を持った事が、この今まで生きて来てあっただろうか。
     ……あった気がする。
     気がするだけだった。確信は全く出来なかった。
     この子の毛繕いをしていても、自分の子を見る目や感情に、大して特別なものは無かった。慈しみを持っていない自分が自覚出来ていた。
     子も、それを察しているのだろう。毛繕いが終わると、そそくさと母親のゾロアークの元へ戻って行った。

     霰は、段々と弱くなり始めていた。
     弱くなり始めた頃には、音に対しては耳障りと言うよりかは、もう慣れて、大して気にならなくはなったと言う方が近かった。
     月が曇り空の隙間から姿を現し始めて来ていた。
     ざらざら、と言うよりかは、ぱらぱらと荒い粒の音がする。止むまでにそう時間は掛からないだろう。
     これまで降って来た一つ一つを一秒としたら、降った数は自分の寿命に匹敵するだろうか。
     人間の知識を借りれば分かるだろうが、流石に文字まではそう大して読めない。平仮名と片仮名と、後、漢字を少し。
     その位。それに、文字をひたすら追って頭を熱くしてまで知りたいほどの事でもない。

     建物の中、舞台を見れば、氷の粒で塗れていた。冷気も充満し始めているようで、湿った毛皮からも冷えが感じられた。
     今日も、舞おうか、と思った。
     自分の為に整えられている舞台も砕けた氷だらけで舞うのにも苦労しそうだが、それでも、雨でも無く、雪でもなく、こういう珍しい時に舞うのは楽しそうだとも思う。
     二日連続でやる事はこれまで数回あったかどうか。
     毎日舞う事が無いのは、それでも食っていけるし、それ以上に面倒だから、という理由の方が強かった。見せる為よりかは、食っていく為という方が強い。食っていく為にも、こんな事を態々する必要もないが。
     ただ、ここまで心地良い生活の為に、偶に舞うだけで良いというのは、とても割りが良い。
     今日一日寝て食って、たらたらと過ごしていた体を、背伸びをし、尻尾をゆらゆらと動かして、起こし始める。
     尾のそれぞれから、ぽつ、ぽつ、と鬼火を出した。
     感覚は変わらない。窓から外へ出て、氷の欠片で満たされた地面に降り立った。
     人は、来るのか。食う為にやっているとは言え、来なかったらやっぱり寂しい。
     そう思いながら、入り口の方を見た。
     …………驚いた。



     部屋の中からでは見えなかった、その門の場所に青白い体をしたキュウコンらしき何かが居た。
     色違い、じゃない。色違いのキュウコンにも会った事は無いけれど、それだけははっきり分かる。
     性質がどう見ても炎じゃない。
     この距離でもその身から漏れ出ていると分かる冷気は、氷タイプを想起させた。霰を降らせていたのも、このキュウコンだ。
     毛も自分のふさふさなものと違い、さらさらとした、まるで絹のような軽さを持っていた。
     瞳は、青色。
     多分、雌。
     昨日、ここで自分の舞を見ていたのだろうか? 気付かなかったが。
     目が合って、そのキュウコンが近付いて来た。
     宿場で感じた妙な目線も、このキュウコンだった。どういう理由でそんな視線を飛ばしていた?
     自分の目の前まで歩いて来ると、じっと目を合わせて来た。
     漏れ出ている冷気が、自分の湿っている毛皮に触れて凍り付く。それ程に強い冷気だった。
     敵意は無い。ただ、見定められているようなそんな視線が多少不快だった。
     お前は、キュウコンなのか?
     どれ程生きているんだ?
     疑問は聞けないまま、目の前のキュウコンは額を合わせて来た。ひんやりした体は、意外と硬くはなかった。
     それから、入り口の方へ振り返って去ってしまった。
     ……何だったんだろうか。そのキュウコンが視界から消えると、霰は終わりを迎え始めた。

     霰が降り止み、雲も失せ、空に月が光り始める。
     降り積もった氷の欠片に月の光が乱れながら反射していた。きらきらと光る様は、何百年と生きて来たこの身でも中々美しいものだと感じた。
     舞台の中央に座り、少しだけ積もっていた氷を払った。
     自分が今日も舞うつもりだと気付いた人間達が、慌てて入場の準備を始めた。外の音はここには入り辛いが、宣伝もしているだろう。
     どの位の金を取っているのか、ここに入って来た人間が呟いていたのを小耳に挟んだ限りじゃ、一回舞っただけでも全部自分のものになったら一年は軽く過ごせる位だった。
     まあ、こんな大層な建物を建てるのにはそれ以上の金が掛かっているのだろうが。
     いつ出て行くか分からないような自分に良くもまあ、こんな金を掛けたもんだとも思う。

     人がすぐに入り始める。
     いつもはどういう人やポケモンが来るのか大して気にしないが、今日は注意深く観察した。
     老若男女、様々な地域のポケモン。ロコンも居た。自分の子のゾロアも居た。
     窓の一つからは、ゾロアークとマフォクシーが眺めている。自分の舞を何度も見ても飽きないものなのかとはちょっと思う。
     別の窓からは、所謂ヴィップとか言うらしき高貴な人間も見えた。連れているポケモンも、それらしい風貌をしていた。
     どこで見るのが一番自分の舞を堪能できるのか、大して考えた事は無いが、それは窓より一番前の方なんじゃないか。
     あんな場所から見るより目の前に来ればいいのに。
     今は席も濡れているけど。

     人が入り始めて暫くしても、その氷タイプらしきキュウコンはやって来なかった。
     宿に泊まっていたという事は人と一緒に居ると思ってはいたが、モンスターボールに収まっているんだろうか。
     まあ、もうそんな事を思う時間も無くなってきた。
     軽く呼吸を整えて、尻尾をゆら、ゆらりと動かし始める。ざわついていた人達が収まって行く。
     こんな場所を用意されようとも、やる事は一緒だ。ただ、意識を奥深くに沈めて、自分の身体の記憶を巡るだけ。
     何百年と生きて来たこの自分の軌跡は、今考えている自分という自我よりも、身体そのものの方が良く分かっている。
     一つ、二つ、意識を沈めながら尾の先から鬼火を出して行く。
     目を閉じ、暗闇の中で自分という自我を身体に預ける。
     意識があるようでないような、そんなあやふやな感覚。
     三つ、四つ。炎に身を包むように。
     五つ、六つ。身体と世界が直接繋がるような感覚。何もかもが自分となり、何もかもが世界となる。
     七つ、八つ。生きているのか、死んでいるのかさえあやふやな、そんな目で自分を見る。
     九つ。目を開けた。



     しゃり、しゃり、と氷を優しく砕く音。
     晴れたその空から届く光は、氷が砕ける度にまた、弾けた。
     一瞬の煌めきは、共存しないはずの乱雑さと精緻さが混じり合わせたようだった。
     冷えるこの場所で、吐息が白く立ち上る。
     観客にとっては、それすらも邪魔だった。寒いのに、身体は不調を訴える事さえ許さないように何もかもを舞へ強制させる。
     月明かりが金色のそのポケモンをより一層際立てた。乱れて反射したその光が、時にその姿を時に輝かしく、また一瞬にして虚ろになるように更に表情を変えて映し出す。
     川が流れるように途切れ無く、時に滝へ落ちるように激しく。そして、時に凍りついたように止まる。
     森の中へと道は開けた。
     風を受けてゆらゆらと揺れ、空を飛び立ち舞い散る枯葉のように。息を潜め、獲物を狙う獣のように。気付かず、草を食む獣のように。
     日々を謳歌する全てのように。命尽きる全てのように。
     気付けば、鬼火で優しく溶けた氷が暗闇の中に薄らと霧を立てていた。
     所々で立ち上るその霧は白い吐息と重なり、視界が更に曇った。しかし、それはもう、観客にとって不快ではなかった。
     月明かりはまるで太陽のようだった。そのポケモンそのものが見えなくても、舞は成り立っていた。
     鬼火が舞う。尾が舞う。身体が舞う。世界がくるくる舞う。
     それらが作り出す空気の流れが舞としてまた、全てを魅了していた。
     妖美な炎がくるくると渦を巻き、弾ける音を立てた。金色の尾が捻じれて戻った。
     舞は、いつの間にか激しさを纏っていた。静まった自我の中で微かにぶれが起きていた。

     霧が晴れた時、人々は一瞬、自我を取り戻した。
     舞台に居るポケモンは、一匹、増えていた。姿は等しく、輝く金色と静かな水色の二匹だ。
     しかし、こんな事は初めてだったのにも関わらず、その二匹はまるで生まれた時から一緒だったように、互いに呼応していた。互いの舞が全く別々なものを表現していても、それは光と闇のように、白と黒のように、太陽と月のように、有と無のように、現実と夢のように、決して交わらぬ二つのような関係を持っていた。
     人々が取り戻した自我は、また、一瞬で消えた。
     空は明るく、そして霰を撒き散らす。
     しかしそれは観客に当たらず、熱で霧散する。
     炎の舞と氷の舞が、優しく、激しく、捻じれて解けて、また固まり、一つとなった。
     霧がまた立ち上り始めた。しかし、それは熱をもって、冷気をもって、意志を持っていた。その二匹を強調し、また、隠し。それは舞でありながら戦いに移り変わり、そして対話へと、交わりへと、別れへと、再会へと、より様々な表情を見せ始めた。
     人々は、呼吸する事さえも忘れた。
     心の根が動いていなくとも誰も気付かない。外で何が起ころうともこの世界は崩されない。
     ぱき、ぱき、と氷が弾ける音がする。ぼう、ぼう、と炎が立ち上る音がする。
     固まった二つの舞が、解け始める。
     炎と氷の舞が、また、離れた。
     氷が弾け、炎が受け止めた。炎が弾け、氷が受け止めた。
     捻じれを失い、また、別々となる。
     それは、完全に相反するものとなり、そして崩壊していく。
     世界の終わりのように。恐怖さえ覚えた。絶望し、涙を流す者さえ居た。
     そして、弾けて、最後に残ったものは、一つの鬼火に包まれた氷の塊だった。
     とろ、とろと溶けて、それは水となった。



     自分の身体の奥深くに沈めた自我は、舞の記憶もおぼろげだ。
     部屋に戻る最中に自我が完全に戻る。後ろには、その、遠方から来たキュウコンが居た。
     おぼろげな中で、色々な事を理解していた。
     このキュウコンは、遥か南で暮らしていた。トレーナーに捕らえられて、ここまで来ていた。このキュウコンの舞は、このキュウコンの歴史そのものだった。自分にとってもそれは同じなのかもしれない。
     互いに舞える者同士、一緒に舞うと言う事は、互いの身体を、歴史を覗く事に等しかった。

     そして、もう一つ。
     階段の窓から見える人々は、いつもより長い時間、虚ろなままになっていた。
     疲労も激しい。自分達以上に。
     ゴーストタイプのポケモンのように生命力を吸い取っている訳でもないが、老人がこの自分達の舞を見たとしたら、そのまま衰弱死してしまいそうだとも思えた。
     自分の疲労はそう、いつもと大差はない。この氷のキュウコンが乱入して来たのにも、驚く事さえしなかった。自我が目覚める程の事では無かった。
     舞は続けられた。そうであれば、舞に対しては何も問題は無かった。
     ただ、自分として大した自覚が無くとも、より人々を深淵にまで誘ったらしい。
     まあ、これからこのキュウコンと合わせて舞う事になろうとも、自分にはそう関係の無い事だ。そこ辺りの事は、人間達が勝手にやってくれるだろう。

     階段を登り切る。一足先に自我を取り戻していたゾロアークとマフォクシーが自分と後ろのキュウコンを出迎えた。
     後ろで、キュウコンが立ち止った。
     振り返ると、何故か泣きそうな顔をしていた。
     窓から、巨大な鋼の足が突っ込んで来た。

     メタグロス。その鋼の足が一直線に自分目掛けて飛んで来た。
     殴り飛ばされ、壁へ叩きつけられる。
     部屋が一瞬で氷に包まれた。霰を降らすその力が、この部屋の中で濃く発せられた。
     メタグロスが、応戦し始めたマフォクシーの炎とゾロアークのシャドーボールで怯み、氷のキュウコンの周りには氷の槍が大量に生成された。
     自分は日照りの力で炎を纏い、それらを溶かした。
     鼻血が出た。身体がやや痛む。でも、それだけだ。大した傷じゃない。
     モンスターボールからポケモンが出て来た音がした。
    「ルガルガン、アクセルロック」
    「メタグロス、思念の頭突き」
     冷淡な二つの声。
     ぞくぞくと身体が震えて来る。殺意を身に受けたのは久しぶりだった。
     しかもそれは、単純な殺意じゃない。相手が格上だと分かっている、挑戦者の殺意だった。
     尾を逆立てる。日照りの力を一気に放つ。氷で包まれていた部屋が一瞬で燃え盛る。味方を優しい炎で包みながら、一気に敵を青い炎で包み込んだ。
     メタグロスの身体が耐え切れずに溶け落ちていく音が聞こえた。
     ルガルガンがそれでも耐えながら突き進んで来た。牙を剥き出しにした所へ炎を流し込み、そのまま焼け落ちた。
    「キュウコン! 何をしている!」
     氷で炎に対抗出来ると思ったのか。
     物体が停止すれば終わりの氷に対して、幾らでも熱を与えられる炎に勝てると思っていたのか。
     その氷のキュウコンは伏せて、必死に自分の身を守っていた。
     それしか、させない。
     今思えば、このキュウコンは、自分に警告しようとしていた。攻撃も一番先に奇襲出来る位置に居たけれど、全て一足遅れていた。
     岩タイプや鋼タイプ。自身の弱点を突けるポケモン達に囲まれ、捕えられてからも抗えなかったのだろう。その身でありながら、自分を襲う事をどうにか拒絶しようとしていた。襲わなければいけない事を伝えようとしていた。
     破壊光線が背後から飛んで来る。先に気付いたマフォクシーがそれを微かに捻じ曲げた。それは、崩れ落ち、既に息絶えていたルガルガンを粉々にした。
    「……メタグロス、大爆発」
     その掛け声の直後、ゾロアークとマフォクシーに近寄る。マフォクシーと自分が念動力と神通力で壁を張り、ゾロアークが闇の力を身から放って、壁を後ろから強く押した。
     どろどろと溶けていたメタグロスが一気に弾け飛ぶ。
     炎に包まれる中、氷のキュウコンが吹っ飛んだのが見えた。

     メタグロスのはじけ飛んだ鋼の肉体が壁にぶつかり、溶けて貼り付く。
     ゾロアークでは力が足りず、壁が押されていく。燃え盛る建物と爆風で建物が崩れ落ちている。異変に気付いて自我を取り戻した観客達が必死に逃げる声が聞こえた。
     床が抜け落ちた。落ちていく最中、その背後にポリゴンzが居た。二度目の破壊光線、今度は自分の神通力で捻じ曲げ、そのまま返した。
     ポリゴンzはどこかへ吹っ飛んで消えた。
     がらがらと瓦礫が落ちて来る。瓦礫を全て灰としながら、前へ進んだ。
     受けた殺意に対し、自分の底からも殺意が湧いて来る。抱いたのはいつ振りの事だろうか。
     光球が空に作り出される。それは、長年生きて身に着いた、全てを干からびさせる程の日照りの力だ。水は全て、消え失せる。
     人は複数。ポケモンはその人数の六倍。
     それでも負ける気はしない。建物の外に出ると、目に付く場所に元凶のトレーナーが数人見えた。新しくモンスターボールを複数投げて来た。だが、トレーナーへも神通力の届く範囲だ。
     トレーナーを捻じ折り、捨てた。
     それだけで、ボールから新たに出て来たポケモンは戦意を失った。
     殺意を向けられるのは嫌いじゃない。殺意に対しては、思う存分に殺意を以て返せるから。
     長生きしてきたのは楽しい事ではないが、役に立つ事だ。殺意を返せるだけの力量は、長生きしている間に十二分に身に着いている。
     不意打ちの先制は食らってしまったが、それ以上食らうつもりは無かった。
     これでも捕えようとしたつもりなのだろう。
     殺意を以て、更に疲れた所に不意打ちまでして挑まないと捕える事も出来ない、と思ったのは正解だ。
     ただ、それでも何百年という時間を馬鹿にしている。
     あの氷のキュウコンの歴史は、自分より確実に浅かった。人間よりは長く生きてはいるだろうが、この物量に押し負ける程度だ。
     百年も生きていないポケモンや人間が束になった所で、何百年と生きて来た自分に負ける筈はない。



     姿の見えない残ったトレーナーはポケモンにどこかからか逃げる指示を出して、一様に自身も逃げようとしていた。
     させるものか。
     残っていたポケモンを神通力で無理矢理振り向かせ、目を合わせた。
     瞬時にとろん、と目が虚ろになり、そこから洗脳を仕掛ければ、好戦的な目になってトレーナーの元へ走って行く。
     トレーナーに逆らえないのは、正気な時だけだ。
     後はもう何もしなくて良い。主人を一心不乱に殺した後で、茫然として終わる。
     振り返れば、自分の為に作られた建物と舞台が燃えていた。巻き込まれた人々やポケモン達が、少なからず死んでいた。
     無関係の人やポケモンまで死んだのは、自分のせいというより、メタグロスに大爆発を指示したトレーナーのせいだろう。
     あれで炎が一気に広がった。
     ただ、少なくともその炎は、自分が撒き散らしたものだった。
     日照りを収めれば、消防や警察やらがやって来るのが聞こえた。

     気絶していた、氷のキュウコンの元へ歩いた。大分弱っていたが、生きていた。
     このキュウコンは、あのトレーナーに付いて来たのではなく、連れて来られていた。
     力及ばず負けて、か。
     もう、縛り付けていたトレーナーは居ない。モンスターボールを壊せば、完全に自由だった。
     ……ただ。
     自分はもう、ここには居られなかった。
     相手が殺意さえも以て自分を捕えに来たとしても、返り討ちとしてそのトレーナーとポケモンを容赦なく殺害した。
     無関係の人もその巻き添えにした。
     ここは、人間の場所だ。人間のルールで動いている場所だ。どんな理由があろうとも、殺しは最もやってはいけない事の一つだった。
     人間至上のルールに従うのは別に良い。ただ、従わされるのは御免だ。
     起こすと、疲れた目で自分を見て来た。

     自分にとっての幸せとは、日常を謳歌出来る事だ。
     自分にとっての日常とは、様々な場所を渡り歩き、時々こうして留まり、そしてこうしてどこかへ去って行く事だ。
     眩しい太陽と優しい月を毎日眺めながら。
     心地良い晴れの日に日光を浴び、眠る前に月光を眺め、時折降る雨を鬱陶しく思いながら。
     春の桜を眺め、夏の暑さをこの身で感じ、秋の滅びを見届け、冬の忍びの中で眠る。
     こうして狙われる事も多々あった。間違いも何度も犯してきた。何の悪でも無い生物をこうして気付かず殺した事もあった。
     そうした全てが、自分の日常だった。幸せでもあった。
     無関係の人々やポケモンを結果として殺してしまった事にも、大して後悔はない。自分にも悪い点はあるのだろうが、自分が率先して殺した訳でもなく、運悪く死んだ程度の事だ。
     ただ、それは自分だけの日常だった。自分だけの幸せだった。
     異国に連れて来られ、トレーナーに従わされるだけの日々。それも、この氷のキュウコンにとっては悪くなかった可能性だってある。一緒に舞い、互いの歴史を覗き見たとは言え、詳しい事は分かっていない。
     自分が勝手に自由にしたとも言える、この氷のキュウコンがこれからどうするべきか、それは自分が決める事ではない。
     自分と同じくきっと、人間や並のポケモンより、遥かに長い、永い年月を過ごす事になるのだから。
     どう過ごし、どう生きるか、それは己自身でゆっくりと決めていかなければいけない。
     取り敢えず、自分は南に行こうと思う。そう、首で指し示すと、氷のキュウコンは目を閉じた。
     その仕草が意味するのは、ここに留まるという意志だろう。
     どうしてかは分からない。自分がトレーナーを容赦なく殺した事さえもまだ分かっていないかもしれないし、もしかしたら何となく察しているかもしれない。
     少なくとも分かる事は、自分と道を共にする気は無いという事だ。

     振り返り、マフォクシーとゾロアークを見る。
     どうやら、ゾロアークもここに留まるようだった。
     そうか、と思い出した。思い出す程度の事だった。
     自分は父親だった。ゾロアークは母親だった。
     自分の日常には、父親という部分は無かった。もう、自分は日常を過ごす事しか出来ないし、そこから外れようとも思っていない。
     長い永い年月を過ごす内に、自分は自分の敷いた道の上しか歩かなくなっていた。それで多少後悔や嫌な目に遭おうとも、外れようとも思わなかった。
     死を恐れる事も、そして父親にならない事も、もう、自分の日常だ。
     マフォクシーだけを連れて、歩き始める。
     ゾロアークはキュウコンの隣に座って、やってくる人々を待ち始めた。
     月は、立ち上る煙で隠れつつあった。



     やって来る人間達をのらりくらりと躱しながら、町の外まで出た。
     実力では敵わない事を知ってか、無理に止めようとする人間は居なかったし、それはそれで幸いだった。
     煙が収まって来ると、次第に霰が降り始めた。

     何年か過ごした町を振り返って、空を見た。
     星が、月が、隠れていく。
     何を思っていたのか、これからどうしていくのか。これからこの町がどうなっていくのか。
     分かりはしない。分かろうとも思わない。
     ゆらゆらと生きるだけの自分が、またこの町を訪れる事があるかどうかさえも。
     後悔はある。もっとこうすれば良い道はあっただろうと思う事もある。
     考えれば、色んな道が開けて来る。実際それをすれば、もっと良い世界が開けて来る事もあるだろう。
     けれど、そういう事は、永い年月を生きる自分には合わない事だ。
     それすらも許容して、いつ来るか分からない死を恐れながら、待ち続ける。
     それが自分の生き方だ。変える事はもう、きっと無いだろう。
     ただ。
     息を吐いて、頭を下げて、思う。
     今日はちょっと、疲れた。


      [No.4038] 竜と短槍.12 投稿者:まーむる   投稿日:2017/09/19(Tue) 23:38:59     63clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

     耳鳴りがする。何も音が聞こえない時に聞こえるアレだ。
     それ以外、何もない。尻尾は固定されて動かせない。目隠しをされて何も見えない。手足も動かせない。体を少し、捩れるだけ。
     ただ、それだけ。
     真っ暗だった。ただただ、真っ暗だった。
     死は、こんな感じなんだろうか。真っ暗。何も無い。いや、私はある。私は。私さえもが無くなるのが死だ、これは死ではない。
     私は、生きている。私は考えている。
     でも、それだけだ。こんな所で、拘束されている。
     ……あのダイケンキは、どうして私にこんな事をするのだろう。私は、死んでも良いと思っていた。ダイケンキはどうしてか、私を殺したくはなかったみたいだ。あの男を危険に晒したのに。ポカブを連れ去ったのに。色々と、人間にちょっかいを出したのに。人間にとって、私は悪なる存在なのに。どうして。
     …………あ、駄目だ。
     この暗闇の中で動けないと、何も出来ないと、思考を止めてしまうと、何か、駄目になる気がする。駄目だ。何か考えなきゃ、何か。とても怖い。
     エンブオー……私は結局、何をさせたのだろう。呪いが掛かっている事を自覚させて、そしてその呪いに打ち勝てるか見たかったのか。エンブオー……あれは、呪いに打ち勝てなかった。後ちょっとの所で。そして、死んだ。死んだ。私に殺させるように仕向けて、死んだ。
     あの目を、私は忘れる事は出来ないだろう。見てしまったあの目。ただただ、悲し気で、悲し気な、悲し気な目。絶望、恐怖、諦め、そんな先にあるような、虚ろな目。あのまま生きるより、死ぬ事を選んだ。エンブオー。
     兄に、生きている意味を聞いた事がある。そんな事、兄は考えたりしなかったようだった。享楽的に生きている兄。羨ましかった。私は、この呪いを背負ったまま生きたくなかった。あのクソの父親が荒らしたここら一帯から逃げる事は、出来なかった。忘れる事は出来なかった。
     私を殺そうとした母。壊れてしまった母。私に父親の面影を感じ、逃げる野生の獣達。私は……、私は……負けたくなかった。でも、勝つ方法が分からなかった。ずっと、ずっと、そして、今も。
     勝つ方法は、きっと、無いのだろうとも思う。忘れる事も出来ない。逃げる事も出来ない。その父親はもうとっくに死んでいる。
     多分、私はこれまで、いつか、この呪いに打ち勝てると思っていたのだろう。打ち勝てないと思ってしまった今、それを突きつけられてしまったような今、私は、もう本当に、呪いに負けてしまった。
     この呪いと一生付き合っていく覚悟なんて、出来ない。したくない。
     ああ……。…………。駄目だ、考えなきゃ、考えなきゃ。
     やだ、でも、死ぬのは、嫌だ。こんな真っ暗の中、消えたくない。
     嫌だ。消えたくない。……死にたくない。死にたくない。あんな死んでからも見せしめのような骨になるのは、嫌だ。死ぬなら、ちゃんと死にたい。何か、してから死にたい。私はまだ、何もしてない。
     何か、何か、何をしたいんだ、私は。ああ、そうだ。私は、何をしたいかなんて、呪いに打ち勝ちたい以外、何も考えて来なかった。私は、私は、他に、何かしたい事は、あるんだろうか。
     私は、何をしたい?
     私は。

    *****

     獣同士の会話を聞く事は出来ない。どこかにそんな力を持つ人間が居るとも聞いた事があるが、俺はそんな特別な人間じゃない。特別な力なんて、何一つ持っちゃいない。獣の扱いだって良くない。
     ただの、一般市民だ。獣を家畜として扱えるという点だけが、取り得の。
     寝ていると、父とダイケンキがやってきた。
     ダイケンキは心なしか、怒っているように見えた。
    「こいつが、リザードンとサザンドラと話してきた。あのリザードン、生きる気力を失くしているみたいでな、こいつが目も耳も塞いで体も縛って、暗い場所に一匹で閉じ込めた」
    「……随分とした事を」
     それは、ポカブを泥棒しようとした人間や獣にやる罰だった。一日でも閉じ込めておけば、もう本当にげっそりとする程に、衰弱しきる。
     何もされない。何も出来ない。
     それによるストレスは、とてつもなく大きいものらしい。
    「それで、サザンドラは別の場所でまあ、普通に監視している。
     ……リザードンに一番接していたのはお前だろう。お前にとってあいつは、どういう奴か分かるか?」
     そう、唐突に聞かれて、少し悩んだ。
     けれど、あの死んだサザンドラに対して執着をしている事、そして悩みも抱えている事は分かっている。
    「賢い、とても賢い奴で、そして、それ故に、あの死んだサザンドラに対して強い悩みを抱え続けている」
     そこまで言って、その悩みを解消する為に、今回のような事を起こしたのだろうとも、何となく思った。
     ダイケンキは、俺の返答に対して、否定するような素振りは見せなかった。
    「そうか。……ダイケンキは、リザードンを試しているんだと思う。
     あれをされても、死にたいかどうか。
     そうなのか?」
     ダイケンキは軽く頷いた。歯が抜け落ちても、体が皴々でも、肉体が衰えても挙動には一つ一つ、芯がある。きっと、死ぬまでそうなのだろう。
    「それで、だ。
     その後、どうする?」
    「もう、そのまま返す訳にもいかない、か」
     人的被害も物的被害も、意外なほど少ない。けれど、こうして色々と仕掛けてきたのだからそのまま黙って野に返す訳にもいかない。
    「……やっぱり、その専門の竜使いに渡すしかない気がする。
     俺達家族、それにこの村の誰も、あの二匹を抑え込めはしない」
     ダイケンキは、俺の事をじっと見ていた。
    「……嫌なのか?」
     ダイケンキは、反応しなかった。俺の事をじっと見たまま。
     ただ、それは肯定と大体同じだった。
     その時、父がおもむろに口を開いた。
    「……俺達は・・・そうするしかないんだ」
     ダイケンキが、父の方を向いた。
    「……小さい頃から、長い付き合いだったな、お前とは。けれど、お前があの二匹に対してどう思ってるか、長く深く付き合って来た俺でも分からないし、そしてお前にとって、それ以上の最善があるのかもしれない」
     ダイケンキは、最善じゃない、というように首を振った。
    「良いんだ、別に。お前の意志を俺は理解出来ない。
     それに、あの20年前から、ずっと思ってたんだ。お前に助けられた事はあっても、お前を助けた事は無いな、って。
     そんな事、お前は気にしてないかもしれないが、俺は、ずっと気にしていた。ありがとうとか、そんな言葉だけじゃ、貸しを返せない。そう思ってた。
     ……お前がしたい事があるなら、してもいいさ。俺が全て責任を持つ。
     そんな事が、貸しを返す事になるか、分からないが」
     ダイケンキは、何度か瞬きをして、そして一足先に部屋を出て行った。
    「……父さん」
     父は、何も答えなかった。
     無言のまま、暫く立っていた。それから一言、寝るか、と言って出て行った。
     骨折の痛みも、タブンネの癒しの波導である程度は和らいでいる。俺の隣のエレザードが寝ぼけまなこで、俺を見ていた。
    「…………」
     何か問いかけようと思ったが、何も問いかけられなかった。
     頭を撫でて、蝋燭を消した。
     月明かりが、窓から差し込んでいた。
    「…………賢いって、嫌だな」
     ふと呟いたそれが、誰に対しての事なのか、俺自身分からなかった。


      [No.4037] 竜と短槍.11 投稿者:まーむる   投稿日:2017/09/19(Tue) 23:38:17     83clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

     タブンネの癒しの波導でも、骨折となると中々治らなかった。しかも、折れたのは腿の骨だ。ひと月位は安静にしておいた方が良いだろうと言われた。
    「何があったんだ?」
     父にそう聞かれるが、俺は、事実をそのまま説明するしか出来なかった。それが何を意味するのかは、獣同士でしか分からないだろう。
     エレザードは俺の上で丸まっている。リザードンに気絶させられた事すらも覚えていないようで、けれど何かに怯えるように目を閉じていた。
     鳥獣使いがそれからやってきた。
    「サザンドラを倒したんですってね」
     そう言うと、ラッキーだった、というような安堵とも、不満とも言えるような顔をした。
    「……俺達が戦いを挑んでも、殺意を向けて来なかった。あいつは、時間稼ぎに徹しようとしていた。
     そこを突けただけだ。
     本気で殺そうとしてきてたら、どうなったか分からない」
     そんな事言いながらも、鳥獣使いにもピジョットにも、傷は殆ど無かった。
    「俺の仕事はこれで終わりかな?」
    「……ええ、そうですね」
    「あの二匹はどうするんだ?」
    「……正直、分かりません。20年前のサザンドラとは全く違う。人間を分かっている。人間を殺していない。
     被害は、ポカブ数匹と、豚舎の壁と、俺の骨折だけ。
     捕えられたなら、殺すまでも無いかと思ってます。……それに、殺すのは勿体ないとも」
     あのチャオブー、エンブオーに殺されそうになったとは言え、それの原因がリザードンだとは言え、リザードン自身は人間には危害を加えようとは思っていなかったし、それをさせないように振る舞っていた。
    「同感だ。
     でも、もし手が余るようだったらこちらで引き取ろう。良い竜使いを数人知ってる」
    「……分かりました。ありがとうございます」
     そう言うと、去って行った。

    *****

     色んな考えが頭の中をぐるぐると渦巻いていた。
     腕も足も口も縛られて、兄と一緒に暗い場所に閉じ込められた、その間、ずっと。
     兄が幾ら解こうとしても、全く解ける気配はなかった。私の爪も、完全に縛られてどこかの紐を切る事も出来無さそうだった。
     殴られた頭が、頬が、じんわりと痛かった。とても、重い痛みだった。
     私は、私は……。
     その時、がらがら、と目の前の扉が開いた。入って来たのは、数匹のダイケンキと、一人の男だった。エレザードを連れていた男をそのまま老いたようにしたような。父か、祖父といったところだろう。
     兄が怯えた。その前足に収められている脚刀に対してだろう。
     私は、未だに、自分の命すらもどうでも良くなっていた。
     老いたダイケンキが、脚刀を抜いた。老いていても、その脚刀は刃毀れ一つも無かった。
     それで、私の口を縛っていた紐を切った。怯える兄のも切った。
     ――……目的は、ある程度察しはつくが。一応聞く。何でこんな事した?
     私は答えた。
     ――家畜として生きて来て、真実を知ったポカブの生きる姿を見たかった。
     ――何故?
     ――そうすれば、私がどうするべきか、それが掴めるかと思ったから。
     ――それで、そのサザンドラは?
     ――私の、腹違いの兄。
     ――……そうか。
     口が自由になっただけで、手足は縛られたまま。そして、数匹のダイケンキが私達の周りを囲んでいた。脚刀もそれぞれ抜いていた。
     ――それで、どうしてエンブオーを殺したんだ? どうして、その後逃げなかったんだ? 聞くところによれば、その兄を助けようとも、逃げようともしなかったようじゃないか。
     兄は、それを聞いて驚いていた。
     ――……。エンブオーは、壁を破壊して、ポカブ達を助けようとしたんだけれど、でもポカブ達は壁を壊して入って来たエンブオーを見て怯えて、誰も逃げようとしなかった。エンブオーを、味方と誰も思わなかった。それに絶望して……エンブオーは自殺した。
     ――自殺? お前が殺したんじゃないのか?
     ――自殺だった。あれは。
     殴って来た。二度も、三度も。そして、私はもう、エンブオーが狂ってしまったと思った。
     そして、尻尾の炎で怯ませ、そのまま爪で首を切り裂いた。
     切り裂いた、その瞬間、エンブオーの顔が見えた。その顔は、その目は、狂っていなかった。
     悲し気で、悲し気で。
     純粋にただ、それだけだった。
     ――……なんか、分かっちゃった。生まれついた呪いは、ずっとまとわりつくんだと。忘れるとか、無視するとか、解消するとか、そういうのが出来なかったら、ずっとずっと、その呪いを背負って生きていかなきゃいけないんだと。その呪いに負けたら、もう、死ぬしかないんだと。…………嫌だなあ。
     ――……。
     ――私を、殺すの?
     ――……いや。どうやら、それは無い。
     ――そう。
     ――他人事みたいに言って。
     ダイケンキは、怒ったように言った。
     ――死んだら、終わりなんだ。何もかもが終わるんだ。その先に何が待っているかなんて、誰も知らない。死ぬっていうのは、永遠の暗闇に放り込まれるようなもんだ。ずっと、ずっとだ。入り口があっても出口は無い。戻る事も出来ない。そんな完全に真っ暗な、闇だ。そこに自分から入りに行くのか?
     ――完全な、闇……。
     ――ああ、そうか。お前は知らないな? その炎があるからか?
     ――なら、味わわせてやるよ。完全な闇をな。それでも死にたかったら、殺してやるよ。おい、サザンドラは別の所へ連れて行け。それで、目隠しと、口も耳もだ。
     目隠しがされて、耳をふさがれた。
     私はただ、それを黙って受け入れていた。
     目隠しをされる寸前、兄の顔が見えた。こんな私の身を心配そうに案じている顔だった。

    *****

     動けないまま連れ出された。
     ――あんたが、あのダイケンキか。
     ――あの、というのはお前の父親を殺した、でいいのか?
     ――ああ。
     まじまじと見てみれば、もう生気も欠けているほどに、老いている。けれども、老いていても、衰えていない、そんな印象がある。
     ――恨みはあるか?
     ――無いね。妹のように俺は生きていない。……それで、俺と妹はこれからどうなるんだ?
     一番気になるのはそれだった。そもそも、負けるつもりなんて全く無かった。それなのに、あの鳥と人間に、訳の分からない内に抑えられてしまった。
     ――ま、高い可能性で、あのピジョットのようになるね。
     ピジョット……あの鳥の事だろう。確認すれば、その通りだった。
     ――あのピジョット、か……。あんなの見たことなかった。……まあ、ああいうのも悪くはないかな……。
     ――そういうものか?
     ――そういうもんさ。
     ――それで、こっちからも質問だ。お前もサザンドラ、お前の父親もサザンドラ、なのにどうしてああも違う? いや、お前の父親は、何だったんだ? どうしてあういう生き方をしてたんだ?
     ――単なる先祖返りだよ、あれは。
     元々、サザンドラという種族は、全部あんな生き方をしていた。誰もが好き勝手に全てを破壊しながら生きていた。けれど、獣と人間が結託して、反撃し始めて、一気に数が減って行った。
     生き残ったのは、賢かった、恐怖した、珍しかった気性の穏やかな、ほんの僅かなサザンドラだけ。今生きているサザンドラは全て、その僅かなサザンドラ達の子孫である。
     ――俺達の種族にだけ言い伝えられている、大昔の話さ。
     ――人間の中でも言い伝えられてないが、本当か?
     ――俺も聞いただけだ。本当かは知らない。でも、ああして実際に居たんだ。俺は信じている。
     ――……分かった。じゃあ、そろそろ、な。私ももう、とうに寝る時間を過ぎている。
     そう言って、俺の口はまた、縛られた。
     何も出来ないまま、連れて行かれる。殺される事は多分無いにせよ、全く何も出来ないというのは、恐怖だった。
     けれど、会話が終わり、俺も別の場所に連れて行かれる時に一番案じた事はやはり、妹の事だった。
     妹は……どうなるのだろう。俺は妹でもないし、妹の思っている事など、誰も分かる訳ではない。エンブオーが自殺した、とはどういう事だったのだろう。
     あいつは、呪いを解こうとして、もしかしたら新しい呪いを身に受けてしまったのかもしれない。
     そんなの……辛過ぎる。


      [No.4036] 竜と短槍.10 投稿者:まーむる   投稿日:2017/09/19(Tue) 23:37:38     71clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

     走る俺に対し、チャオブーは迎え撃とうとか動かなかった。顔面に向けて槍を突き出し、後ろに跳んで躱される。二度、三度と槍を突き出すものの、後退して全て避けられた。
    「どうした? 助けたくないのか?」
     半ば勝手に口から言葉が出て来る。余裕から出て来る言葉ではなく、緊張から出て来る言葉だった。
     追い打ちを仕掛けようと、足を更に前に出す。
    「ごほっ」
     その時、咳が唐突に出た。急に息が苦しくなってきていた。
     ……スモッグだ。
     足が止まったのを見て、チャオブーが体に炎を纏って突進して来た。ニトロチャージ、槍を構え直す時間はあった。
     けれどチャオブーはそのまま突っ込んで来た。突き出した槍は、腕で受け止められた。
     ……妙に硬かった。チャオブーは突進して来たというのに、骨にまで突き刺さった感触が全く無かった。
     そのまま槍を払われ、体が前につんのめった。槍の感覚は、肉が少し切れただけだった。
     チャオブーは、俺の懐に潜り込んだ。咄嗟に片腕で胸を守った。
     飛び出した肉弾が、その片腕に容赦なくぶつかった。
     ぼきり、と音がした。
    「っあっ、ぐっ」
     弾けるような痛み、着地したチャオブー。
     歯を食いしばった。死にたくない。殺されたくない。
     折れていない方の腕で握り締めたままの短槍で、チャオブーを殴りつけた。けれど怯まなかった。俺の腿が突っ張られた。みしぃ、と骨が軋む。俺がもう一度槍で殴りつける前に、更に、腿を殴られて、足が折れた感覚がした。
     膝を付く、眼前にチャオブーの顔がある。加えて殴ろうとするそのチャオブーの蹄に、何か物が挟まっているのが見えた。
     それは、見た事があるものだった。そして、さっきの違和感でそれの正体が、分かった。顔面に向けられた蹄を何とか避けた。その蹄に挟まっている物を、短い槍で弾いた。
    「進化の輝石……」
     片腕と片足が折れた。酷く痛い。それも、一番最初、チャオブーが妙に硬かったのが原因だ。
     妙に硬かったのは、この石のせいだ。
     進化前の獣が持つと、何故か硬くなる石。焦ったチャオブーの腹に、槍を突き刺した。

     深くは、突き刺さらなかった。けれど、反撃に殴られたその力はとても弱っていた。
     槍が抜けた腹から血がだらだらと流れ出す。チャオブーも膝を付いた。そして、びくびくと震えはじめた。
     ……? 毒なんて塗ってない。
     嫌な予感がした。心臓が竦み上がった。
     ……リザードンは、戦いそのものに手を出さなかったとしても、チャオブーがここまで来れるようなお膳立てはしたはずだ。
     その目的なんて分からないが、ポカブからチャオブーに進化もしていた。
     進化の輝石なんてものも与えていた。
     けれど、そこで終わりじゃなかったとしたら。 チャオブーの進化形のエンブオー……その顎髭は常に燃え続けていて、非常に目立つ。わざと進化してなかっただけだったら。
     槍をもう一度突き刺そうとして、その槍を掴まれた。強い力で引っ張られ、奪われた。
    「あ、あ……」
     まだ、助けは来ない。祖父や父が村の人達を連れて来るよう言っていたのに、まだ。まだ。
     めきめきと大きくなるその姿。突き刺した腕と腹の傷はみるみる小さくなった。膝をついている俺と同じ大きさだったのに、一気に倍以上に大きくなった。
     足と腕は、人間ではとても太刀打ち出来ない太さになった。
     エンブオーは、槍を折って投げ捨てた。
     燃え盛る顎髭に照らされたその顔は、俺への憎しみで満ち溢れていた。拳が握られて、頭が真っ白になった。
     けれど、いつまで経っても俺の意識はまだ、あった。

     ――何故止める! 殺させろ!
     ――駄目だ。
     リザードンは、その拳を止めていた。
     ――どうして!
     ――人間を殺すって事は、それ以上の報復が待ち受けているからだ。
     口が詰まったエンブオーに、リザードンは続けた。
     ――それに、もう時間が無いぞ。そろそろ他の人間達が来る頃だ。
     ――……。
     エンブオーは、渋々と言ったように、また壁を壊し始めた。
     強くなった肉体では、壁はそんな苦労せずに壊れ始めた。みしみし、と音を立て始め、支柱が裂ける音がし、そして、壁が壊れた。
     エンブオーは叫んだ。
     ――助けに来たよ、みんな!
     中は、狂乱している、ポカブ達だけだった。
     ――みんな……? みんな、僕だよ! 助けに来たよ! 助けに来たってば!
     けれど、その言葉に誰も、反応しなかった。ただ、その壁を破って来たエンブオーに怯えて、中には狂ってしまったポカブもいた。
     ――どうして……? どうして! みんな、逃げてよ! ここに居たらみんな食べられちゃうんだ! だから! みんな、逃げようよ! はやく、ねえ、外に出れるんだよ! ねえったら!
     必死に話しかけても、誰も耳を貸そうとしない。そもそも、ポカブ達は言葉を解せなかった。エンブオーがそれに気付いた時、リザードンが破れた壁の後ろで、言った。
     ――人間達がもうすぐ近くまで来てる。逃げないとマズい。
     エンブオーは、それを聞いて震えはじめた。
     ――う、う、う……。ああ、ああ! なんで、どうして! あああああああ! ああああああああっ! ああああアアアアッ!
     エンブオーは叫んだ。豚舎さえもが震えるほどに。
     そして、止まった。
     リザードンがその腕に触れようとして、エンブオーはそれを思い切り払った。
     ――どうして、どうして……。
     涙を流しながら、エンブオーは、狂ったように腕を振り回し始めた。すぐ側に居た、リザードンに向って。
     ――おい……。
     リザードンの呼びかけは、通じなかった。滅茶苦茶に振るわれる拳、そして炎も吐こうとしていた。
     リザードンの後ろには、動けない男が居た。
     ――…………。
     エンブオーは、止めようとしなかった。リザードンの頭に、一発、拳が入った。二発、三発。
     それでも、エンブオーは止めようとしなかった。
     ――…………。
     リザードンは身を翻した。尻尾の炎がエンブオーの目の前を通り過ぎる。
     びくっ、とエンブオーは一瞬、震えた。
     その次の瞬間、リザードンは回転した勢いで、爪をエンブオーの首に振り下ろしていた。
     血が、噴き出した。
     エンブオーは膝を付いて倒れ、そして呆気なく、動かなくなった。リザードンは力なく、座った。

     その後ろ姿は、とても悲し気だった。
     何をしたかったのか、それは結局分からないままにしても、リザードン自身、こんな結末を迎えるとは予想していなかったのだろう。
     項垂れて、尻尾の炎も小さくなっていた。
     そしてやっと、人がやってきた。
    「おい、大丈夫か? ……そいつは!」
    「…………大丈夫だ、こいつは人間には危害を加えない。
     とにかく、俺と、屋上で気絶してるエレザードだけ、運んでくれ。
     俺、今動けないんだ」
    「あ、ああ。って、動けないって何があった」
    「そこで死んでるエンブオーにやられたんだ、リザードンじゃない」
    「そのリザードンが助けた、のか?」
    「……何と言うかな、そうとも言えるし、そうとも言えない」
    「なんだそれ」
     人が多くやって来ても、リザードンはそこから動かなかった。
     眠り粉を掛けられようとも、全く動かなかった。自暴自棄になっているように。
     倒れて、眠ったのを確認されてから、どうする? と聞かれる。
    「……どうするか。
     そう言えば、サザンドラは?」
    「あの鳥獣使いが抑え込んだよ。殺してはないみたいだが」
    「そうか……。そうだな、こいつも殺さないでおいてくれ」
    「……ああ、分かった」
     縛られて、俺とエレザードと一緒に、連れて行かれる。
     そして、壁の応急的な修復が始まろうとしていた。ポカブ達は、誰も外へは出なかった。誰も、逃げなかった。


      [No.4035] 竜と短槍.9 投稿者:まーむる   投稿日:2017/09/10(Sun) 12:54:34     72clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

     一気に目が覚めた。激しい爆発音。震えるガラス。窓の向こうには、ちりちりと燃え始める牧場の草地と、その炎で見えるどでかいクレーター。
    「何だ!?」
     寝巻のまま階段を駆け下り、エレザードを呼ぶ。短槍を持ち、外に出た。
     月明かりだけの夜。町では火が焚かれ始めていた。
     何が居る、誰が居る? リザードン? そんな訳ないだろう。あいつが訳も無くこんな事をするとは思えない。
     その時、眩い光が新たに視界に入った。
     次第に縮んで行くその光は、更に輝きを増していく。その光の正体は、サザンドラだった。
    「サザンドラ……?」
     出て来た父と祖父も、唖然としていた。
     何故? どうしてこんな時間に? 何をしに?
     その全てが分からない。光が、飛んで来た。唖然としている俺達家族の、その隣に。
     爆発して、耳がイカれそうになる。体が思わず吹き飛びそうだった。着弾した場所は、耳がイカれない、体が吹き飛ばない、けれど、絶妙に恐怖を感じる、そんな場所だった。
    「おかしい……」
     父が呟いた。俺も、祖父も、そう思った。
     サザンドラは、狙ってこの場所に破壊光線を撃った。外した訳じゃない。
     その時、空から人がやって来た。ピジョットに乗った鳥獣使いだ。
    「リザードンじゃないな?」
    「驚いてます……。でも、リザードン同様に、恨みを買わないようにしている節があります。
     そうじゃなきゃ、俺達はもう、死んでいる」
     隣のクレーターを見て、俺はそう言った。
    「何か目的があるな」
    「そう思います」
    「リザードンもこの近くに来ていると想定して良いだろう」
    「……まさか」
     小屋、豚舎を狙っている? 頑丈に作ってあるとは言え、獣の強力な技に耐えられるようにまで耐えられるようには出来てない。壊されるとしたら、時間の問題だ。
     ……いや、だったら。どうして、あのサザンドラが豚舎を破壊しないんだ? あの破壊光線を一発当てれば、豚舎なんて弾け飛ぶ。
     くそ、分からない。
     鳥獣使いが口を挟んだ。
    「問題は、俺は、獣をこいつしか持っていないって事だ。対象は一体、そう聞いていたから、俺が寄越されたし、この状況は俺も想定していない。
     どうする? これは俺が決めるより、雇い主であるあんたらが決める事だろう」
     父と祖父と、話し合った。父も祖父も、戦える獣を持っていない。祖父はもう、自分の相棒とも死に別れ、新たに組む事をしていない。父の相棒は、死にゆく間際だ。新たな相棒はまだ、作っていない。
     そして俺のエレザードは、そう強くない。俺自身も。
     それでも、俺達家族は、決めなければいけなかった。
    「……サザンドラの対処を、お願いします」
     サザンドラのしている事は、陽動、そして、豚舎へ行かせない事だろう。何をするにせよ、サザンドラを抑えなければ、俺は何も出来ない。
    「分かった」
     そう言って、ピジョットに乗って、鳥獣使いは空へ飛んで行った。宙で光に包まれ、その次の瞬間、ピジョットの姿が変化していた。
    「あれがメガシンカ……」
     一際大きくなり、体色の変化、トサカが変貌。羽ばたきによる強烈な風が、ここまで届いて来る。
     サザンドラが再度、破壊光線を放った。それは、メガピジョットのすぐ脇をすり抜けて行った。脅しは、もう意味を為していなかった。
     ……驚いている暇はない。
     俺も、行かなければ。
     リザードンは一体、何をしようとしているんだ?
     とにかく、それを知らなければ何も始まらない。

     松明も持たずに、ひっそりと豚舎に近付いて行く。リザードンの尻尾の炎は見えない。
     ただ、音は聞こえて来た。ドン、ドン、壁を強く叩く音だ。
     牛舎狙いである事は間違いない。ただ、どうしてサザンドラの破壊光線で壊そうとしないのか、それが分からない。
     ……。
     サザンドラとピジョットの方を見た。
     三つの口から放たれる火炎放射を高速移動で躱し、そしてその翼から象られる暴風が、サザンドラを包み込んだ。
     鳥獣使いが言っていた事を思い出す。
    「メガシンカするとこいつは、一切の攻撃を躱せなくなり、そしてこちらの攻撃が全て当たるようになる。
     とにかく、敵に一直線になっちまう訳だ。
     それを、俺がサポートする。上に乗って、俺が敵の動きを読んで、こいつの体に直接指示する。そうすれば、こいつは敵の攻撃を躱し、そしてこちら側からは一方的に攻撃を当てられるようになる」
     それが、単純に実行されていた。命懸けでなければ出来ない事を、淡々と。
     聞いた時から違う生物だ、と何となく思った。あんな、専門家とは俺は全く違う。
     顔を前に戻す。相変わらず、リザードンの尻尾の炎は見えない。そして、叩いている音は相変わらず聞こえる。
     かなり強い音だ。中のポカブ達の悲鳴も聞こえる。
     サザンドラは、リザードンの仲間だろう。だとしたら、リザードン以外にも仲間が居る? だとしても、おかしい。豚舎を破壊する事そのものは、一番の目的じゃない?
     だったら、何だ。
     訳が分からない。
     豚舎にこっそり、こっそり近付いて行く。月明かりだけの中、段々と叩いている誰かの輪郭が見えて来た。
    「……チャオブー?」
     何故、ここに。
     リザードンが、生かしていた? それ以外に余り考えられない。野生のポカブはここ辺りに居ないし、脱走した形跡も無い。
     だとしても、チャオブーに助けさせる事に何の意味があるんだ。何もかも、分からない。

     豚舎まで辿り着いた。壁に張り付き、槍を握り直す。ポカブ達の悲鳴が、耳を支配している。角の向こうで、チャオブーが、ポカブ達を助けようと壁を壊そうとしている。
     手に、短槍に汗が滲んでいた。狩りをした事は、一応ある。一応だ。この手で、屠殺でなく、単純に獣を殺した事は、一応ある。その程度だ。
     面と向かって戦闘なんてほぼした事ない。槍術も、一応身に付けている程度だ。
     でも、こっちにはエレザードも居る。電撃が使える。それなら、問題はない。問題はない。
     暴れたポカブとそんなに変わらない。四つ足じゃないから、動きも鈍いはずだ。大丈夫、大丈夫だ。チャオブーを止めるのには、何の問題も無い。
     ぎゅっ、と短槍を握り直した時、後ろから唐突に押された。
    「えっ?」
     後ろには、いつの間にかリザードンが居た。片手にエレザードの首を握っていた。エレザードは気を失っていた。
     ポカブ達の悲鳴のせいで、全く気付けなかった。
     俺は、チャオブーの目の前に出された。

     チャオブーは、俺を恨みの籠った目で見て来た。壁を叩く音は、失せた。
     俺の腰位までしかないその高さで。格闘の気が入り、筋肉質になったその体で、俺に激しい憎悪を向けて来た。
     リザードンの羽ばたきの音が聞こえて、屋根に座ったのが見えた。エレザードも掴んだまま。
     チャオブーがリザードンを見る。何かしら会話らしきものをしたらしいが、どうやら、リザードンは手出しはしないようだった。
     戦わせる事が目的だった? どうして、何故。
     ただ、そんな事を考えている余裕はなかった。心臓が高鳴っている。
     虚勢を張るように、俺は言った。
    「殺してみろよ。助けたかったらな」
     そんな事を言おうとも、緊張は収まらない。心臓は静まらない。でも、腹を括った。殺さなければいけない。俺の為に。俺達家族の為に。
     そして俺は、悪役だ。紛れも無く、チャオブーから見たら、悪役だ。
     利益の為に相棒にもなれる獣を、育てて殺して食べている。そんな事をしている以上、それで飯を食っている以上、こうなる可能性だってちゃんと分かっていたはずだ。
     短槍を一回しし、腰を落として、構えた。
     チャオブーが息を吸いこんだ。俺は、走った。


      [No.4034] 桃=マッシブーン太郎 投稿者:砂糖水   投稿日:2017/09/09(Sat) 21:37:14     207clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
    タグ:マッシブーン

    むしゃくしゃして書いた。
    にっかさんのこれ(http://fesix.sakura.ne.jp/contest/2017/alola/041.html)が好きなんです。
    流血表現?があります。



     昔々あるところにおじいさんとおばあさんがいました。
     ある日おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。
     おばあさんが洗濯をしていると、川上からどんぶらこどんぶらことそれはそれは大きなモモンの実が流れて来るのが見えました。
     それを見たおばあさんは突然ハッスルすると、その大きなモモンを川から拾い上げ、家に持ち帰ってしまいました。
     さてその大きなモモンをぱっかーんと割ると中からなんと、

     それはそれは立派な筋肉! マッスル!!
     そう、マッシブーン(ミニ)が出てきました。

     たしかに立派な筋肉! たくましい体! でしたが、いかんせん生まれたばかりですからまだまだ未熟な筋肉です。マッシブーンは、子どものいなかったおじいさんおばあさんに養育されることになりました。
     マッシブーンは人間と違って全身が赤かったり(まさに赤子ですね!)、四本足であったり、背中に羽が生えていたり、鳥のようなとがった口を持っていたりしましたが、まあ些事です。立派な筋肉! の前にはすべては些事です。
     マッシブーンはモモンから生まれたので、桃=マッシブーン太郎と名付けられました。
     ムキッ! お祝いのフロントダブルバイセップス!(腕を肩の上でムキッ! として上腕二頭筋をアピールするポーズ)

     桃=マッシブーン太郎はすくすくと成長し、赤光りする筋肉! 素晴らしく鍛え上げられた体!!! となりました。
     桃=マッシブーン太郎はひたすら己を鍛え上げ、ムキムキのマッスル!! を手に入れましたが、そうすると今度はこの筋肉! マッスル! そして溢れるパッション!! を誰かにぶつけたいと思うようになりました。己の全力をぶつけそして互いを高め合う相手を見つけたいのですが、生憎桃=マッシブーン太郎の住む場所は山奥でありそんな相手が見つかるはずもありませんでした。

     そんなある日、所用でおじいさんと人里に下りた桃=マッシブーン太郎は、あちこちで悪さをする「鬼」の話を耳にしました。
     マッスル溢れる桃=マッシブーン太郎には難しいことはわかりませんが、その鬼とやらであればこの筋肉! マッスル! そして溢れるパッション! をぶつけてもいいだろうということは筋肉! マッスル! でわかりました。
     ですので桃=マッシブーン太郎は鬼退治に行くことにしました。
     おばあさんは桃=マッシブーン太郎のためにおにぎりを握って持たせてくれました。
     おじいさんは桃=マッシブーン太郎のために立派な陣羽織や刀を用意してあげようかと思いましたが、赤光りする筋肉! 鍛え上げられた肉体美!! を見て、そのままがいいと思ったのでそれはやめました。
     おじいさんとおばあさんに見送られ、意気揚々と桃=マッシブーン太郎は筋肉! マッスル! 出発しました。
     信じるは筋肉!! そして鍛え上げたこの筋肉!! 恐れるものは何もありません。
     ムキッ! やる気全開のモストマスキュラー!(体をやや前傾にし、下ろした腕をムキッ! とするポーズ)

     しばらく歩いていると、向こうからそこそこ大きなもふもふで橙色の犬がやってきました。
     桃=マッシブーン太郎はとても大きな筋肉! マッスル! なのでそこそこの大きさに見えましたが、普通の人間からしたらとても大きな犬です。というかぶっちゃけウインディです。
     ウインディは突然現れた桃=マッシブーン太郎の異様さに恐怖し、思わず襲いかかってしまいました。
     しかし、その瞬間。
     筋肉!! 咆哮!! 轟音!!
     ウインディのすぐそばの地面が抉れました。ウインディはあまりの恐怖に情けない声を上げ、尻尾を隠してガクガク震えました。
     マッスル溢れる体を持つため難しいことはわからない桃=マッシブーン太郎ですが、生き物を粉砕し辺りが血の海になるとおじいさんおばあさんが悲しそうな顔をするので極力しないようにしていたのです。
     ですからウインディは命拾いしました。
     あまりの出来事にウインディは盛大に下から漏らしていましたが、桃=マッシブーン太郎はそれに構わず先へ進むことにしました。
     ムキッ! 口ほどでもない(?)のサイドチェスト!(体をやや斜めから見せるようにし片手でもう片方の手首を軽く握りムキッ! とするポーズ)

     さてまたしばらく歩いていると、今度は"よがぱわー"溢れる小さな猿が、桃=マッシブーン太郎の前方にいました。
     桃=マッシブーン太郎はとても大きな筋肉! 鍛え上げられたとても大きな筋肉! なので、それと比較すると小さな猿でしたが、実際はやや小柄程度の猿です。というか、ぶっちゃけチャーレムです。
     チャーレムは溢れる"よがぱわー"により、どう考えても桃=マッシブーン太郎には敵わないことがわかったので、気配を察知するや否や木の上に逃げ出し、がたがた震えて盛大に失禁していました。
     そこにやってきた桃=マッシブーン太郎。
     筋肉! マッスル! が何かいると彼に囁いていましたが、同時に些事であることも伝えてきたので、鍛え上げられた肉体美!!! を何かに見せつけるように、ムキッ! と、よくわからんがとりあえずバックダブルバイセップス!(体の後ろの筋肉! を見せるポーズ。腕は肩の上でムキッ!)のポージングだけしておきました。
     どうにかチャーレムは命拾いしました。
     そのときチャーレムはあまりの出来事に気を失っていましたが、桃=マッシブーン太郎はそれに気づくこともなくそのまま先へ進みました。

     さてまたしばらく歩いていると、今度は赤く流れるような冠羽が特徴的ないかにも勇ましい鳥が現れました。ぶっちゃけオスのケンホロウです。
     ケンホロウは、桃=マッシブーン太郎のことを遠くから見つけ、タイプ相性よしと見なすや否や、桃=マッシブーン太郎を打ち倒すべく力を溜めて攻撃態勢を取っていました。あんなに恐ろしい存在は生かしておいてはいけないと思ったのです。
     そんなケンホロウが待ち受けているところへ桃=マッシブーン太郎はやってきました。
     今だ! とばかりにケンホロウは桃=マッシブーン太郎へ突っ込みました。渾身のゴッドバードです。
     しかし、その瞬間。
     筋肉!! 咆哮!! 轟音!!
     哀れケンホロウは木っ端みじんになり、周囲を赤く染め上げました。
     たしかに桃=マッシブーン太郎はおじいさんおばあさんが悲しそうな顔をするので、むやみに生き物を粉砕することはほとんどありませんでしたが、これは正当防衛なので何の問題もありません。
     真正面から血を浴びたため、血も滴る素晴らしく鍛え上げられた筋肉!!! でしたが、血は乾くとカピカピになるので、桃=マッシブーン太郎は血を洗い流すべく川を探しました。
     体を洗った川を赤く染め上げたので、周囲のポケモンたちは桃=マッシブーン太郎の存在に震え上がりましたが、まあ些事です。
     ムキッ! 体を洗ってすっきりのアブドミナル・アンド・サイ!(腕を頭の上で組んでムキッ! とするポーズ)

     さてまたしばらく歩いていると、海が見えてきました。海を見やると、おぼろげに島が見えました。
     そう、鬼が住むという鬼ヶ島です。
     ようやく見えた鬼ヶ島に、桃=マッシブーン太郎の溢れるパッション!!! は通常の三倍ほどにもなり、その勢いで桃=マッシブーン太郎は海へと飛び込みました。とうとう好敵手に会えるというものですから、まあ仕方のないことです。
     桃=マッシブーン太郎が泳ぐのは初めてでしたが、そこは筋肉! マッスル! が泳ぎ方を囁いてくれるので何の問題もありません。それはもう見事なバタフライ泳法で水をかき分け鬼ヶ島へ突き進んでいきました。

     さて鬼ヶ島側から見ると、得体の知れない何かが猛烈な勢いで水しぶきを上げて迫ってくるものですから、鬼たちは大慌てです。
     桃=マッシブーン太郎が鬼ヶ島へ上陸すると、わらわらと小さな鬼が桃=マッシブーン太郎を取り囲みました。ちまたでは腕利鬼(わんりき)と呼ばれるその鬼ですが、まあぶっちゃけワンリキーです。
     ワンリキーは小さな体ですが、大人の人間を百人投げ飛ばすほどの力を秘めている鬼です。しかしながら、桃=マッシブーン太郎の前では赤子同然です。いくら取り囲もうとも腕の一振りであっという間に追い払われてしまいました。
     そうこうしているうちに、今度は剛利鬼(ごうりき)――まあぶっちゃけゴーリキーです――がやってきました。ワンリキーよりも骨はありますが、桃=マッシブーン太郎としてはまったくもってもの足りません。筋肉! マッスル! で、ちぎっては投げ、ちぎっては投げ、我が筋肉に勝るものなし!! とばかりに桃=マッシブーン太郎は突き進んでいきます。
     やがてワンリキーもゴーリキーも現れなくなり、筋肉! マッスル! で難しいことはわからない桃=マッシブーン太郎も、さすがにおや? と思いました。
     しかし、桃=マッシブーン太郎の鍛え上げられた筋肉!!! はこの先に強敵がいると囁いています。桃=マッシブーン太郎は臆することなく突き進みました。

     そうしてしばらくすると怪利鬼(かいりき)と呼ばれる鬼――まあぶっちゃけカイリキーです――が桃=マッシブーン太郎の前に姿を現しました。しかも、四人もいます。今までの鬼たちよりも強敵の気配がします。
    「やい、あやしい赤筋肉達磨め! 我ら鬼ヶ島四天王が成敗してくれる!」
     四天王と名乗るからにはきっと強いのでしょう。
     四天王たちは各々、フロントダブルバイセップス、サイドチェスト、バックダブルバイセップス、アブドミナル・アンド・サイといったマッスルポーズをとりました。桃=マッシブーン太郎も負けじと、ムキッ! とフロントラットスプレッドのポーズをとりました。(腕を軽く下ろしつつムキッ! とするポーズ)
    「まずは東を司る私が相手だ」
     一人のカイリキーが前へと出てきました。
     桃=マッシブーン太郎はそのカイリキーと組み合うと、筋肉! マッスル! に軽く力を入れ、ぽいっとカイリキーを投げ飛ばしました。
     ご大層なことを言う割にたいしたことはありません。これには桃=マッシブーン太郎もがっかりです。
    「ひ、東のおおおおおおおお!!!!!!!!」
    「ククク……所詮、彼奴は我ら四天王の中でも最弱……」
    「お空、きれい」
     どうにも言っていることはバラバラですが、まあ構いません。まとめて投げ飛ばせばいいだけですから。筋肉! マッスル! で難しいことはわからない桃=マッシブーン太郎にだって、そのくらいはわかります。
     そういうわけで桃=マッシブーン太郎は前へと一歩踏み出しました。
     四天王(笑)たちは、ひっ、と小さく悲鳴を上げて後ずさりました。
     しかしそのとき、四天王の一人が首をぶんぶんと横に振り叫ぶように言いました。
    「ええい、恐れる必要はない! 西の! 北の! 同時にやるぞ! 複数で行けばやつも対処できまい」
     複数で襲いかかる時点で怖がっている証のような気もしますが、まとめ役らしい南の四天王が声をかけると、他の二人も我に返り、たちまち桃=マッシブーン太郎へ襲いかかります。
     しかし、その瞬間。
     筋肉!! 咆哮!! 轟音!!
     桃=マッシブーン太郎は飛びかかってくるカイリキーたちを鍛え上げた素晴らしい筋肉! で投げ飛ばしました。さすが四天王を名乗るだけのことはあり、気絶こそしていましたが、どうやら大きな怪我を負うようなことはありませんでした。
     さてそのときです。筋肉! マッスル! たくましい体! が強敵の気配を察知しました。
     桃=マッシブーン太郎はそれに歓喜し、見る者もいないのにムキッ! ムキッ! とフロントダブルバイセップスのポーズをとりました。(腕を肩の上でムキッ! として上腕二頭筋をアピールするポーズ)
     さあ、いよいよです。胸を高鳴らせ、桃=マッシブーン太郎は進みました。

     果たしてそこには、先ほどいた四天王のカイリキーたちよりも一回りも二回りも大きなカイリキーがいました。桃=マッシブーン太郎に負けず劣らずの筋肉! マッスル! 鍛え上げられた筋肉!
     もはや言葉などは不要。すべては筋肉! マッスル! で語り合うのみ。
     桃=マッシブーン太郎は二本の腕、カイリキーは四本の腕。桃=マッシブーン太郎は不利でしょうか? いいえそんなことはありません。
     真正面からがっぷり組み合うと、両者一歩もそこから動きません。
     そう、鍛え上げられた筋肉! 上腕二頭筋! 前腕筋! 三角筋! 僧帽筋! 広背筋! 腹筋! 大臀筋! ありとあらゆる筋肉! がうなりを上げます。
     彼らに迷いはなく、信じるは筋肉!! そして鍛え上げたこの筋肉!! 筋肉!! 筋肉!! そして筋肉!!
     やがて均衡は崩れました。
     筋肉!! 咆哮!! 轟音!!
     土煙が消えたとき、そこに立っていたのは、桃=マッシブーン太郎でした。
     我が筋肉に勝るものなし!! とばかりに桃=マッシブーン太郎は勝鬨(かちどき)を上げます。
     フロントダブルバイセップス! サイドチェスト! バックダブルバイセップス! アブドミナル・アンド・サイ! そして渾身のモストマスキュラー!
    「さあ、首を持って行け」
     鬼たちの頭(かしら)であるカイリキーは地面に倒れ伏しながらそう言いました。しかし。
    「何を言っている、我が好敵手(とも)よ!」
     キェェェェェアァァァァァァァ!! シャ、シャベッタァァァァァァァァァァ!!!(ry
     なんと桃=マッシブーン太郎が口を開きました。
    「これから我らはここで筋肉! の楽園を作るのだ。そしてこの筋肉! マッスル! をともに鍛え上げるのだ!」
     マッスル! ムキッ! と赤光りする筋肉! をアピールしつつ桃=マッシブーン太郎は言いました。
     たしかに頭のカイリキーは桃=マッシブーン太郎に負けましたが、ここまで桃=マッシブーン太郎と渡り合える存在はそうはいません。桃=マッシブーン太郎はとても嬉しかったのです。楽しかったのです。
    「好敵手(とも)よ、さあ立て」
     桃=マッシブーン太郎は頭のカイリキーに手を差し出しました。頭のカイリキーはしばし見つめると、その手を取りました。
     エンダアアアアアアアアアア(※違います

     さてその後。桃=マッシブーン太郎は鬼たちがこれまで人々から奪ったものをすべて返却させました。筋肉! を鍛えるのに邪魔になるからです。
     足りない分は体で返させました。つまり力仕事で。桃=マッシブーン太郎も素晴らしい筋肉! で手伝いました。
     それらの作業がすべて終わると、あとはそう、トレーニングです。筋肉! という筋肉! を鍛えに鍛え上げるのです。
     マッスル! ムキッ! マッスル! ムキッ! マッスル! ムキッ!
     桃=マッシブーン太郎は鬼たちとともに筋肉! マッスル! を鍛え上げ、さらなるたくましい体! を作り上げ、ときには鬼たちと力比べをし、溢れるパッション! を発散し、幸せに暮らしました。


     それはそれとして世界はダムの底に沈みました。
     しかしまあ、筋肉ではどうしようもありません。


     めでたしめでたし。

    ――
    (たぶん)夏コミ前に途中まで書いて放置していたのを、むしゃくしゃしたので続きを書きました。
    もう本当にね、にっかさんのあれが好きで。
    三次創作?
    でも、あれはやはりあの短さだからこそいいんだなとしみじみ思いました。
    あと語彙力のなさがつらい。

    正直これを読むと、これ書いたやつは馬鹿なんじゃないか?と思うけど、書いたのはわたしなのでつまり、ええ。

    鬼の名称は鳩さんが青の器(http://masapoke.sakura.ne.jp/stocon/novel36.html)で使ってたりするのをお借りしました。
    マッスルポーズ?はこちらのサイトを参考にしました。
    https://kintorecamp.com/bodybuilding-poses/

    これを書いてる間は楽しかったです。
    それダムはいいぞ。


      [No.3896] 電気食堂 投稿者:小樽三郎   投稿日:2016/02/28(Sun) 16:37:58     129clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
    タグ:デデンネ】 【ポケモンの食事

     最近ニンゲンの間で「すまほ」とかいう機械が流行ってるだろ。たいてい縦長の長方形をしていて薄っぺらい、手でいじくりまわすアレだ。あいつは遠くの人間と話をしたり、互いの機械の中でしか見えない手紙を送りあったりできるシロモノらしい。どういう仕組みかはよく分からん、ただ不思議とそういうことができるんだと。ポケモンの世界じゃ、手紙はペリッパーだのキャモメだのの郵便屋さんが時間をかけて運んできてくれるモノと相場が決まっている。ましてや遠くにいる相手の声を聴くなんて、言い伝えにしか出てこないようなポケモンがやっと使えるくらいで、ふつうのポケモンには縁がない。ニンゲンには腕っぷしの強さも不思議な力も備わっていないが、ときどきこういう摩訶不思議なことをやってのける。何か負けたような気がして癪な気もするが、単純にうらやましい気がしたりもする。

     話が逸れた。ニンゲンの話をしたかったんじゃない。そもそも「すまほ」の話も本題じゃない。あの「すまほ」に必ずと言っていいほどくっついている「もばいるばってりぃ」とかいう小箱、こいつだよ。こいつは俺たちデデンネのようなでんきタイプには最高のごちそうでね。ひげなりしっぽなり触覚なりをうまいこと突っ込むと、あそこからビビッと来るわけだ、「ごちそう」がな。「すまほ」とやらは凄まじい仕事をする分、食い散らかす電気の量も馬鹿でかいんだと。そりゃそうだわな、ポケモンも誰しも働けば腹が減る。ましてや「すまほ」は遠くのニンゲンの声や手紙を届けたりするんだからな。とにかく、ふつう「すまほ」は家で食事をさせてから持ち歩くらしいが、それでもあっという間に腹をすかせる困ったちゃんだから、ニンゲンは電気を蓄えられる小箱、「もばいるばってりぃ」を持ち歩いて――長ったらしいやつだな、「もばってりぃ」と呼んでやろう――、「すまほ」がぴいぴい泣き出したらご飯をくれてやるらしい。ニンゲンやポケモンが遠出するときにお菓子やらきのみやらを持ち歩くのと似ているな。つまり「すまほ」あるところ、ほぼ必ず「もばってりぃ」がともにあると言っても差し支えない。大事なのはここからだ。「『もばってりぃ』あるところ俺たちの食事あり」、これだよ、これ。

     こいつはいい! 言うなれば「もばってりぃ」は移動式食堂だ、歩くレストランだ。しかも「ごちそう」のほうからがやってくるなんて、こんな夢のような時代が想像できたか? 俺たちが食事をするときは家でも工場でも電気が食べられるところを探さなきゃならんが、そういうところはたいてい他のポケモンも目を付けていて、食事をするにも順番待ちの連続で一苦労だ――ニンゲンにも教えてやりたいもんだな、食事時に行列を作っているのが自分たちだけだと思ったら、そいつは大間違いだってな――。劣化して被膜の破れた「けえぶる」なんぞを見つけてみろ、次の日からは毎日のように「団体御一行様」状態だ。それを思うと、そこらじゅうに「もばってりぃ」がうようよふらふらしているのは実に都合がいい。工場なんかの電気と違って弱いのが玉にキズだが、そいつに十分目をつむれるくらいにはありがたい。ニンゲンどもの知恵は、ポケモンが有効活用してやらなくちゃな。

     ところで「もばってりぃ」の野郎も、俺たちポケモンみたいにいろんな姿かたちをしていて、蓄えられる電気の量も違うらしい。ちょっと電気を拝借(盗むんじゃない、拝借するだけだ。一生な)しただけで干からびちまう軟弱ものもいれば、腹を膨らせる程度には電気を蓄えているやつもいる。俺も何度か「拝借」したことがあるがな、噂に聞いたとおり確かにいろいろと違う。まあ、そんなにまずくはない。ちょいと街に出かけて、小腹を満たすくらいにはなるな。
     そんな出張シェフの「もばってりぃ」にも欠点がないわけじゃない。問題がひとつある。それはたいていニンゲンは「もばってりぃ」を「肌身離さず」携帯しているってことだ。こいつが想像以上に厄介だ。なにせ常時離さないわけだから、食べるスキがない。正攻法で攻めれば当然追い払われるし、かといって「もばってりぃ」ごと「拝借」できるような状態じゃない。ここだけの話、俺の知識を伝授してやるとな、あいつはニンゲンが油断して机の上に放り出したり、鞄の中からちょろりとしっぽをのぞかせたときに頂戴するのが最適じゃないかと思うよ。



     ん? ここまでして「もばってりぃ」で腹を膨らせるやつはいるのかって?
     鋭いね。実に鋭い。そういう着眼はお前さんにいずれ何らかの成果をもたらすよ。
     結論から言うとな、まあほとんどいない。だって考えてもみろ、ふつうに警戒の手薄なコンセントからおまんまを頂戴したほうが早いし手間いらずだろ? いくら「もばってりぃ」が鴨がネギ背負ってくるみたいだとは言っても、今じゃコンセントのある建物なんぞは掃いて捨てるほどあるからな、そっちのほうが確実だ。そういうわけで、今日も電気の食べられる場所はレストラン状態、千客万来満員御礼、御一行様どうぞこちらへ、ってなわけだ。

     さあて、こんな話をしていたら俺も腹が減ったな。ちょいと一時間ばかし、不注意な「もばってりぃ」を探しに街をうろつくかな。俺は混んでるところで食事をするのはどうにも嫌いでね。それにニンゲンの知恵を有効活用してやらなくちゃな、ニンゲンさまの知恵に驚かされっぱなしじゃ、なんとなく癪な気がするってもんよ。だから俺たちが有効に味わってやるのさ。知ってたか? ニンゲンの知恵は食べると林檎の味がするんだぜ。――本当かって? そいつは自分で試してみるんだな。あばよ、お前さんもうまいこと昼飯にありつくんだぜ。


      [No.3757] Re: 焚火とナイフ 投稿者:おひのっと(殻)   《URL》   投稿日:2015/06/02(Tue) 04:00:49     45clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    知らない人と焚き火かこんでふるまいメシ! 旅してる感がたまりません。
    こうして料理とか食事の具体的な描写があると、登場人物がその世界で生きてるって感じられますね。マトマスープおいしそう。
    「ナイフは冒険するものの命である」とは『冒険手帳』P137の言葉ですが、そこにツクモ神とヒトツキをからめてくるあたりさすが鳩さんだって思いました。


      [No.3756] 焚火とナイフ 投稿者:No.017   《URL》   投稿日:2015/06/02(Tue) 00:38:33     151clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
    タグ:フォルクローレ的何か】 【だいたい殻さんのせい

    ■焚火とナイフ

     時折ぱちぱちと爆ぜる焚火は青年が手に握るモモンを橙に照らしている。藍色の空にはとうに月が昇り、昼間は青く燃えていた山々は黒い輪郭が見えるのみであった。
    「うまいもんだねえ」
     橙に燃える焚火の向こう側、煙が向かう方向で山男が言った。
     煙男。焚火を囲うとなぜか煙に好かれ、煙を引き寄せてしまう者がいるもだが、彼はまさに煙男であった。
     青年は左手でモモンの実を回す。右手に持つナイフはその薄い皮を途切れることなくはぎとってゆく。
    「トレーナーになってさ、ナイフの扱いはだいぶうまくなったつもりだけど、未だに皮むきだけはだめなんだ」
     そのように漏らす山男は焚火の上でことことと音を立てるコッフェルの中身ををかき混ぜる。三徳の上に置かれ、下から炎にあぶられたコッフェルが湯気を吐き出す。あたりにはマトマ特有の食欲をかき立てる匂いが漂っていた。
     野山を旅をしていると前に通った者の痕跡を見つける事がある。特に竈の跡はその主たる例で、通ったトレーナーがまた同じ場所で焚火をしていくうちにそこは決まったポイントになる。だから時としてそんなポイントでトレーナー同士が鉢合わせになることもよくある事だった。
     そんな時、決まって彼らは食べ物を出し合い、会話に花を咲かせ、一時の邂逅を楽しむのである。
    「コンソメをありがとう。切らしてて参ってたんだ」
     山男がそう言うと、いえ、ご馳走になりますから、と青年が答えた。
     モモンの皮をむき終わった青年はそれを半分に割ると中の大きい種を取り出した。実を一切れ切り出して、肩で羽毛を膨らませる小さな鳥ポケモンに差し出した。ぱっと素早い動きで鳥ポケモンがそれをついばんだかと思うと、もう切れ端は青年の指先から姿を消していた。緑色の玉ようなそのポケモンはその一切れで満足したらしく目を細めてまどろみ始める。
     青年は残りのモモンもう何分割かして、自身のコッフェルに集めると、湯気を吐き出すコッフェルにそっと入れた。山男がそれをおたまで押し潰し、更にかき混ぜる。マトマはとても辛い。だからこうして他の木の実を入れ、味を整えるのがスープ作りのコツなのである。
     青年は刃についた汁を拭き取ると鞘に入れ、リュックのポケットに収納した。
    「そういえば君のナイフは何由来なの?」
     相変わらずコッフェルをかき混ぜながら山男が尋ねてきて、
    「エアームドだと聞いています」
     と、青年は答えた。
     それは九歳の時に父親から買い与えられたナイフだった。まだ早いだろうと母は言ったが、十歳になれば旅立つ子もいるんだから、今から人並みに使えるようにしておかなければ恥ずかしい、と父は譲らなかった。将来学者になるにしろ、トレーナーになるにしろ、ナイフの扱いは必要な技術だから、と。
     トレーナーズショップでナイフを購入したその日、父子は近くの河原での野宿を敢行した。そうして彼らは木の実の皮をむいた。父の持つナイフの刃先からするすると長細い皮が下に伸びるのが少年には不思議だった。ほとんど形の同じナイフを使っているというのに彼の手からはたっぷりと果実を残した皮の破片が落ちるばかりであったからだ。
     換羽した鎧鳥が落した羽。それを熱し、打って作ったナイフ。父と自分でこんなに差が出るのは落とし主のエアームドのレベルが違うからではないか。かつての少年は幼心にそんな事を考えたものだ。
    「俺のナイフはね、元はハガネールの一部だった」
     今度は山男がナイフを見せてくれた。ベルトに装着したナイフを引き抜くと彼は語った。ぱちっと焚火が爆ぜる。男の両手の上のナイフを橙に照らしている。
     サバイバルナイフ。それは父がトレーナーとして旅立つ子に贈るプレゼントの定番だ。野外での料理、竈や寝床を作るための木材の加工、時には野生ポケモンから身を守る道具として。ナイフは旅するトレーナーに欠かせないアイテムの一つである。
     特に鋼ポケモンを構成する鉄から作ったナイフは値こそ張るものの、錆びにくく、手入れも簡単だと言われ根強い人気がある。
     そして何より、人々はポケモンの生命力をナイフに投影しているのである。換羽したエアームドの羽、親の相棒だった今は亡きボスゴドラの角、あるいはクチートの牙。人々はもとは生きていた何かにある種の神性を見出すのだ。
     七匹目の手持ち。
     世界の名だたる山を歩き回った偉大なレンジャーが愛用のナイフをそう称したのは有名だ。
     青年のそれより一回り大きい山男のナイフは何かのポケモンの皮で作ったと思しき鞘がついている。持ち手と刃の間にある丸いピポットピンは光沢のある青い素材で出来ていて、洒落ているなと青年は思った。鞘に納めた時にその部分が見えるよう、わざわざ穴が開いているのだ。
    「俺の出身はシンオウでね、鋼鉄島というところには野生のハガネールが生息する洞窟があるんだ。ハガネールが通るとまれに突起の一部が欠ける事があってね、それをハガネールのおとしもの、という。それを拾った曾祖父がナイフに加工したんだ」
     以来、メンテナンスと改造とを繰り返しながら子から子へとナイフは受け継がれてきたのだと山男は語った。
     焚火が躍る。山男は手の中でくるりとナイフを回転させた。軍手をしたごつく大きな手がナイフの持ち手を握る。山男は何とも愛おしそうにナイフを見つめる。
    「曾祖父の顔なんて見たこともないし、祖父も俺が旅立って二、三年で死んじまった。だがこいつは未だに現役ってわけよ」
     やがて山男は焚火からコッフェルを下ろし、地面に置いた。中の半分を小さなコッフェルに移し替えると、立ち上がり、熱いから気をつけてな、と青年の足元に置いた。
     いただきます、と青年は応え、コッフェルの熱さを指先でつつきながら確認し、持ち上げる。肩で丸まる緑の小鳥を落とさないよう気を付けながら、彼は赤いスープを啜った。辛いマトマのスープがみるみる身体を温めていく。コッフェルから口を離して、ふうっと息を吹くと白かった。暦の上ではもう春だとはいえ、まだまだ夜は冷える。緑玉は結局肩からずり落ちてきた。受け止めて、膝の上に下ろしてやる。
     焚火の煙は相変わらず山男が好きらしく、ずっと彼にまとわりつき、離そうとしなかった。当の本人の顔は少しすすけていたが、もう慣れっこなのだろう。気にするでもなく手元のナイフを眺めている。
    「……これは俺が駆け出し頃の話なんだが」
     山男はぼそりと語り始めた。
    「シンオウも飽きたんでジョウトを旅してた時期があった。そこで運悪く穴持たずのリングマに出くわしてしまった」
     穴持たず。それは冬でも冬眠せずに動き回るリングマの事である。身体が大きすぎて、良い冬眠場所がないとか、秋に十分食べられなかったとか考えられる理由はいくつかあるのだが、よく言われるのは冬に食糧を得なければいけない彼らはえてして凶暴で、力も強い事であった。
    「手持ちのポケモンはみんなやられた。これ以上戦ったら死んでしまうくらいの重傷を負って、もはや出す事が叶わなかった。その時に助けてくれたのがこいつだよ」
     山男は膝の上にナイフを立てるようにして見せ、言った。
     一本のナイフ。野外での料理、木材の加工、時には野生ポケモンから身を守る手段として――。青年は脳裏にリングマに立ち向かう体格のいい男の姿を浮かべた。九死に一生、火事場の馬鹿力。男はナイフワークをもってしてリングマを退けたのだと。ポケモンより強いトレーナーはごくたまにだが存在する。
     だが、山男が語ったその先は青年の予想とはだいぶ違っていた。
    「刺し違える覚悟で俺はこいつを手にとった。だが、俺がリングマに突撃する前に、勝手にこいつが手から抜けて、穴持たずの目を刺しやがったんだ」
     青年は一瞬、その意味を理解する事が出来なかった。男が投げるでもなく、ナイフがひとりでに手から抜けてリングマを刺したというのか。
     だが、男の持つナイフの丸く青いピポットピンがぱちぱちと瞬きをした時、瞬時にその意味をを理解したのであった。
     青いそれはピポットピンではなかった。それはポケモンの眼であった。
    「……ヒトツキですか」
     青年は声を上げた。
    「お、珍しいな。めったに起きないのに」
     山男もまた声を上げた。
     ヒトツキ、刀剣ポケモン。海の向こうのカロスではよく知られるゴーストポケモンだ。その姿は西洋の騎士が持つ剣の形が一般的だが、ごく稀に槍の形をしたものや、レイピア、日本刀などの形をしたものもいるという。
     二人のやや興奮した挙動を察知したのか、寝息を立てていたネイティが目を覚ました。ナイフのヒトツキが鞘からやや刀身を出したのを見て、赤いアンテナのような冠羽をピンと立てた。
     付喪神。青年はそんな単語を呟いた。
     百年を経た道具には魂が宿るという。ヤジロン、コイル、ビリリダマ、チリーンといった付喪神的なポケモンはたくさんいるが、青年の知る限り彼らの多くはタマゴから生まれている。生粋の付喪神としてのポケモンに出会う事はめったにない。それどころかそういう存在を認めない学者も多いのだ。彼らがポケモンである事はボールを使えば証明できる。だが、モノからポケモンへ変化したと証明するのは難しいからだ。
    「穴持たずに出くわしたその年が百年目だったんですかね」
     青年はやや刀身を見せた山男のナイフを見据え、言った。
    「さあ、九十年くらいだったんじゃないか。案外いい加減なものだと思うよ。それこそのっぴきならぬ状況だったから、仕方なく、じゃないのかな。こいつ普段は眠ってるんだ。ほとんどの時間はナイフに徹してるんだよ」
     今夜はどうしたんだろうな。
     不思議そうに山男が言った。青年はただ笑みを浮かべるだけであった。ピンと冠羽を立てるネイティをなだめるように撫で続けるうちに緑玉はまたうとうととし始め、合わせるようにしてヒトツキもその刀身を再び鞘に納めたのだった。それでもしばらくは青い眼が見つめていたが、途端に瞳がすうっと消え、元のピポットピンに戻ってしまった。
     ナイフは七匹目の手持ち。青年はその言葉を今、実感を持って受け止めていた。
     藍色の空の下、橙に燃える焚火が二人のトレーナーを照らしている。そこから生まれる煙は相変わらず山男にまとわりついている。炎はぱちぱちと音を立て、念鳥を撫でる青年の影を揺らしていた。







    -----------------------------
    殻さんが冒険図鑑とか冒険手帳とか紹介するから、こんな話が出来てしまった。
    お納めください。

    参考文献:
    冒険図鑑、冒険手帳、森で過ごして学んだ101のこと、慟哭の谷―The devil’s valley


      [No.3613] Re: ポリゴンと冷蔵庫 投稿者:小樽   投稿日:2015/02/22(Sun) 23:43:31     41clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    こんにちは。こちらではご無沙汰しておりました。

    人間が「ポリゴンは生物と見なせるか否か」を論じる小説はよく見かけますが、人間以外の場合はめずらしいですよね。しかも今回はその人物(人?)たちが家電。斬新でした。冷蔵庫くんにちゃんとオチがついてたのもクスッとしてしまいました。
    ポリゴン自身は話や回想以外に出てこないところも却って想像の余地があるなあと感じます。
    あと炊き立て白ごはんが食べたくなりました。自分は時間まで炊き上げた後かき混ぜて蒸らす派です(きいてない


      [No.3612] Re: ポリゴンと冷蔵庫 投稿者:逆行   投稿日:2015/02/22(Sun) 19:23:16     37clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    いやっほう! 感想ありがとうございます。

    ポリゴンがポケモンなら、家電達もこういう考えをもつのではないのかと思い書きました。

    こういう話はなかなか書いたことなかったので、どういう反応がくるんだろうと思っていましたが楽しんでいただけたようで幸いです。

    言われてみればキャベツとにんじんは元々生き物ですね。
    すいませんミスりましたw(どんなミスだよ)

    改めて感想ありがとうございます!


    > シュールすぎます。何って全てが。炊飯器と冷蔵庫が意思持ってやがるww喋ってやがるwwとその時点で笑えます。
    > でもそうですよね、ポリゴンがポケモン扱いなら家電製品だって生物でいいじゃんって納得しました。
    > 冷蔵庫さんのウザ可愛さがツボです。
    > 個人的に家具よりは食品たちのが生物扱いに疑問はわきませんかね。だって元は植物か動物ですし。
    > キャベツとニンジンは両方生き物でいいんじゃないですかね。
    > すごい楽しかったです。終始フフッてなれる話でした。


      [No.3611] Re: ポリゴンと冷蔵庫 投稿者:焼き肉   《URL》   投稿日:2015/02/22(Sun) 18:54:58     44clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    シュールすぎます。何って全てが。炊飯器と冷蔵庫が意思持ってやがるww喋ってやがるwwとその時点で笑えます。
    でもそうですよね、ポリゴンがポケモン扱いなら家電製品だって生物でいいじゃんって納得しました。
    冷蔵庫さんのウザ可愛さがツボです。
    個人的に家具よりは食品たちのが生物扱いに疑問はわきませんかね。だって元は植物か動物ですし。
    キャベツとニンジンは両方生き物でいいんじゃないですかね。
    すごい楽しかったです。終始フフッてなれる話でした。


      [No.3610] Re: 呪われた村 投稿者:焼き肉   《URL》   投稿日:2015/02/22(Sun) 18:48:15     59clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    個人的な好みなんですが、単純に好きかどうかで言わせていただくと、ものすごく好きなタイプの作品です。
    老婆の教えてくれる呪文の意味が全部名ゼリフって感じです。
    ポケモンは基本的に存在が示唆されている程度なのに、最後の終わり方でしっかりポケモンしてるという。
    何か汚れた心がザバザバ洗われたような気がしました。
    シェイミ映画好きなのもあって、物語の仕掛けそのものもヤバイくらいツボです。
    タイトルに騙されました、すごいいい意味で。


      [No.3609] 呪われた村 投稿者:GPS   投稿日:2015/02/21(Sat) 22:46:42     99clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    昔々、シンオウ地方の片隅に位置していた一つの村の話である。

    その村は、毎年冬には厳しい寒波と豪雪に襲われ夏には激しい冷害に見舞われた。そのため作物は育ちにくく暮らすにも向かず、しかし当時は色濃く残っていた身分差別を受けていた人々が他に行く当ても無く住んでいたのだ。
    僅かに採れるきのみの種は乏しく、何とか実った野菜や養蚕によって村の暮らしは支えられていた。が、そのような過酷な状況で生きる人やポケモン達の心は荒み、村には土地柄に依るものだけではない、冷えきった空気がいつだって充満していた。そこには笑顔が無く、交わされる感情は悪意だけ、聞こえる言葉は必要最低限の事務的なものばかり。たまにやってくる商人や役人は、言い知れぬ居心地の悪さと嫌悪感を覚えたと口を揃えて言った。

    自分が生きるのに精一杯で、他人を憎み、嫌って過ごす者達の住まうその村。周囲の地域に住まう人々は差別意識も手伝って、『あそこは呪われた村なのだ』とまことしやかに語っていた。


    さて、その村から続く道を一人の青年が歩いている。
    森へと伸びる道には雑多に草が伸び、好き放題に繁る木の枝が彼の行く先を塞いでいた。薄ら寒い灰色の空は雲に覆われ太陽の光もまともに見えず、どこからともなく聞こえてくるヤミカラスの鳴き声や、むしポケモンの足音などがひたすらに不気味であった。
    だが、青年はそれに尻込みする気配も見せず、目の前を遮る枝を淡々と退けながら進み続ける。時折苛立ったような舌打ちを木々の間に響かせる彼が身に纏った服は、冷えた昼下がりに着るにしては随分と薄く、所々がほつれて汚れていた。ポケモンは連れておらず、武器代わりなのか片手に握った農具の刃物の他には碌に荷物も持っていない。進むごとに暗さが増していく道はもはや森に差し掛かっていたが、草や果実を採りに来たという風体にも見えなかった。
    青年の顔は険しく、暗い。進み先を睨みつけるような目元は翳っていて、この世の全てを厭っているようにさえ感じられる。青白く痩せた頬に伝う汗を拭い、口許を歪めながら歩く彼は足下の雑草をわざと踏み潰すように森へと入っていった。

    「……本当にいるんだろうな」

    薄暗い、道無き道をしばらく進んでいた彼が忌々しげに声を漏らす。目を凝らした視界はさらに暗さを深くして、来た道など既にわからなくなっていた。しかしそれでも、青年は引き返す素振りも見せずに舌打ち混じりに歩いていく。

    その時だった。


    「…………っ!!」


    影になって見えない枝の間から突如飛び出してきた、数匹のゴーストに青年が顔を引きつらせる。咄嗟に振りかざした鎌はゴーストの身体を確かに捉えたが、ガス状のそれは傷一つつかず、青年を嘲笑うように揺らぐだけであった。
    ケタケタと笑う鬼面に四方を取り囲まれた青年が、血色の悪い顔に冷たい汗を流す。立ち往生する彼を愉しげに見やったゴースト達があげる薄気味悪い声と、冷たい風とが頬を撫でていった。紫色の靄に浮かぶ大きな口が青年に向かって開かれ、次に来るであろう何らかの衝撃を予想した彼は思わず目を閉じる。

    「何しとるんだね、こんな辺鄙な所で」

    が、彼の身に痛みや異変が走ることはなかった。いつまで構えても起きない衝撃と、聞こえた声に目を開けた彼が見たのは森の奥へと慌てて逃げていくゴーストの姿と、地面に散乱する葉っぱや蔓であった。それはどれも青々と綺麗な緑色をしており、どちらかというと枯れかけたものの多い、薄く気の抜けた茶に染まった森の植物の中で違和感を醸し出していた。

    「そんな棒きれ一つで森に入るだなんて、今時街の輩でもやらないよ。ポケモンもいないのかい? 随分と度胸があることだ」

    呆れたような、溜息混じりの声。しわがれているようにも聞こえるようなそれはしかし、木々のざわめきにもポケモンの鳴き声にも負けないで、不思議と森の空気によく通っていた。背後からしたその声に青年が振り返ると、いつの間にそこにいたのか、声の主は「怖いもの知らずなのは褒めてやりたいがね」と肩を竦めた。
    皺だらけの顔と、不敵に光る硝子玉のような瞳。腰まではありそうな長い髪は、暗い森と同化しそうな蔦色だ。それらをまとめて覆い隠している黒く分厚いマントは森の中だからこそ溶け込んでいるように見えるけれど、人里であれば酷く浮くに違いない。フードと前髪によって影を落とした目元を細めて、その老婆はふん、とひしゃげた鼻を鳴らした。
    全身から不気味さを漂わせる彼女に見据えられ、目を見開いていた青年は一瞬だけ躊躇するように息を止める。が、すぐに表情を剣呑なそれに戻し、鋭い視線で以て老婆のことを睨み返した。

    「お前だな。間違いない」

    口を開いた青年の不躾な言葉に老婆は眉を顰める。何がだい、と尋ねた彼女に青年は苛立ったらしい、「惚けるんじゃねえ」と乱暴な足取りで老婆との距離を詰めた。

    「西の森に住む魔女は、村に呪いをかけたって話だ。お前のことなんだろう、この『魔女』ってのは」

    早口でまくしたてる青年は、件の村の者であった。恵まれない土壌と村人達の尋常ならぬ険悪さによって、呪われた地と揶揄される村ではその不幸は魔女のせいであると噂されていたのである。誰が言い出したのかはもうわからないが、日頃から他人を恨んでいる村人達はより一層強い憎悪を、諸悪の根源である『魔女』に向けていた。
    それはある種、辛い環境下で生きなくてはならない村人達に与えられた、数少ない救済でもあったのかもしれない。村の者は皆、厳しい状況を凌ぐために『魔女』を初めとする他者への悪意を動力としていた。その一人である、青年もまた然りだ。

    「お前が村に、呪いをかけたんだろ」

    無遠慮に詰め寄る青年が勢いに任せて老婆の襟首を掴もうとする。しかし彼女は怯む様子も無く、呆れたような顔で何かを呟いた。と、先程ゴースト達が逃げていった際に地面に散らばっていたような、若々しい草葉が旋風を纏って青年の眼前に飛来したのである。
    まるで牽制するかのような草葉の動きは、老婆によって操られたのであることは火を見るよりも明らかであった。彼女が只者では無いことを示すその事実に、だけど青年は脅える素振りも見せない。それどころか、彼女が『魔女』である裏付けが取れたとばかりに、表情に刻む確信の色を強くする。

    「やっぱりお前じゃないか。こんなことが出来るなら、呪いだって使えてもおかしくない」

    痩せた顔に浮かぶ、血走った目で自分を睨みつける青年に、老婆は二度目の溜息をついた。やっぱり度胸はあるね、とある種の感嘆を含んだ声でひとりごちた彼女は、「それにしたってさ」といくらか声色を明るくして言う。

    「私が魔女だったとして、あんたはどうするつもりなんだい? 私を探しにここまで来たんだろ、あの『呪われた村』からさ」

    憎たらしい魔女を、故郷のために倒そうとでも言うつもりかい。どこか楽しげにそう尋ねた老婆だったが、青年の返事は「いや、」と否定の意を示していた。
    口元を歪めた、暗い笑みを青年は浮かべて老婆と向き合う。意外であった返答に眉を僅かに動かした老婆は、じゃあ何か、と聞き返した。ロクな武器も無く、ポケモンもいないのにこんな所まで来るならそれなりの理由があるんだろ。村を呪う代わりに救って欲しいとか、そういう類かい? そう続ける老婆の言葉を青年は鼻で笑い飛ばし、「そんなお目出度いことじゃ無い」と吐き捨てる。

    「俺は呪いの力を手に入れたいんだ。今のままじゃ気が済まねぇ、あんな馬鹿げた村、まるごとぶっ潰されるくらいの呪いをかけられたって構わないからな」

    だから呪いを知ってる魔女に使い方を教わりに来たんだ、と青年は話す。その台詞を老婆は黙って聞いていたが、やがて「ふん」と鼻を鳴らして青年を見上げた。雲と枝の隙間から僅かに漏れる太陽の輝きを反射して、丸い瞳が不敵に光る。

    「面白い奴だね」

    口の端から笑い声を漏らし、老婆は青年をまじまじと見つめた。得体の知れないその眼光を受けても尚、彼の様子は変わることなく濁った目をしてそこに立ったままである。揺らぐ気配を見せない青年から不意にくるりと背を向けて、老婆は「いいだろう」と彼に言った。

    「ついてきな。教えてあげるよ、その『呪い』を」

    不思議と通る声と、地に落ちた枝切れや枯葉を老婆が踏む音が混ざり合う。森のさらに奥へと歩き始めた老婆の後に続いて、青年もまた進み出した。二人分の足音はしばらく続いていたけれど、やがて冷たい風に掻き消されて聞こえなくなった。



    「…………何の真似だ」

    不機嫌を隠そうともせず、青年が棘に満ちた声で言う。目の前ある、湯気を立てているきのみのスープはとても美味しそうで、もう長いこと満足な食事をしていない青年の腹を刺激してはいたけれど、まだ苛立ちの方が勝っていた。

    「まあ、そう怒るもんじゃないよ。ここまで遠かったろうし、腹も減ってるんだろう? いいから食べな」

    スープを出した張本人である老婆は、やはり青年の剣呑な雰囲気に怯むことなく言いのける。彼女について青年が森を進んだ先にあったのは、偶然かそれとも人為的なものなのか、木が生えていない場所に建てられた小さな家だった。老婆の住居だというその場所はかなりの年季を感じさせるものだったが、青年や、青年の村の者達が暮らすそれよりも上等であると彼は思った。
    着いた時には既に夜になっていて、老婆と出会った所よりもよく見える空には月が浮かんでいた。森のポケモン達も眠っているようで、優しい明かりの灯った部屋は穏やかな空気に包まれている。が、それを一気に打ち破るような勢いで、青年が木製のテーブルを強く叩いた。

    「そんなことしてられるかよ!? 俺は一刻も早く、あんな腐った村を潰したくて仕方ねぇんだ。いいからさっさと呪いを教えやがれ!!」

    怒鳴り声にスープが波打つ。しかし老婆には驚いた様子も無い、ただ静かな声で「そんな焦っても仕方ないさ」と言っただけだった。

    「あんたは習得すんのに時間がね。かかりそうだからね。とりあえず今日はもう休みな」

    「そんなこと言ったって−−すぐ出来んじゃないのか? 呪文を言ったらもう使えるもんじゃ、」

    「『ありがとう』」

    唐突に言われたそれに、青年は「は」と呆けたように口を開ける。そんな彼に構うことなく、涼しい顔で老婆は「だから『ありがとう』さ」と何事も無い風に続けた。

    「これが『呪文』だよ。あんたが知りたがってる『呪い』のね」

    そう言った老婆に、青年はせせら笑う。何言ってんだよ、と馬鹿にしたような声色は微かな怒りを含んで部屋の空気を揺らした。嘲笑であった笑いはすぐに消え失せて、苛立ったそれへと変わっていく。

    「俺のことからかってんのか? それは呪文なんかじゃねえだろ、そんなの知ってるよ。誰だってわかる、常識最低限の言葉じゃねえか」

    「でも、あんたは使えないじゃないか」

    青年の声を、老婆の言葉が遮った。は、と眉を寄せた青年に老婆は畳み掛けるように言う。

    「そうだ。あんたの言う通り、確かにこの『呪文』はみんなが知ってるようなものだ。これだけじゃない、私が教える全部がそう。誰でも知ってる『呪文』、誰でも使える『呪い』。私も、あんたも、あんたの村の奴らも誰だって出来るんだよ」

    だけどね、と老婆は青年の眼をじっと見据えた。

    「あんたはそれを忘れちゃってんだ。『呪文』ってのは知識だけがあっても仕方ない、自分の中にしっかり存在していないと意味が無いものなんだけどね。あんたや、あんたの村にいる奴らはそれを無くしてる。心から唱えるべきものなのに、心の中にはもう無いんだよ」

    だから咄嗟に唱えられないのさ、と老婆が鼻を鳴らして言う。青年から一度視線を外した彼女が見ている窓の向こうに広がる森は、先程ゴースト達から守られた青年が、礼の一つも言わなかった場所に繋がっているだろう。黙りこくったままの青年に、老婆はさらに話を続けた。

    「『呪文』は、ただ唱えればいいものじゃない。どういう力があるのかを理解して、それをふまえて心から言わないと何の役にも立たないのさ」

    尚も黙ったままの青年へ、老婆が目線を戻して向き直る。それでも、という言葉を紡いだ老婆の声は湯気と溶け合うみたいに柔らかかった。

    「あんたは出来るんだよ。本当は、あんたにだって使えるんだよ。今は忘れちゃってても、本当はね」

    「…………俺がもし、それを使えるような奴だったら、今あんたとこんな話してるわけねぇだろ」

    老婆に向けた、というよりは独り言のように青年が絞り出すように言った。それに対して老婆は何か言葉を返すこと無く、代わりに「いいから食べな」と先程の台詞を繰り返す。しばらくテーブルの上で拳を握り締めていた青年も、やがて観念したようにスプーンを手に取って食べ始めた。
    よほど腹が減っていたのだろう、一口すするなり小休止も挟まず、スープを貪り食う青年の様子を老婆は黙って見ていた。食べる前に唱える『呪文』は知らないのかい、と口を挟むタイミングは、果たして逃してしまったようである。
    ま、ゆっくりやっていこうじゃないか。老婆のそんな言葉を、食べるのに夢中な青年はどうやら聞いていないようだった。


    「おや、おはよう」

    与えられた一室、自宅のものよりも大分上等に感じられるそこで目を覚ました青年は、昨日のことは全て夢だったのではないかと寝起きの頭で考えた。しかしいつもと比べて随分と柔らかなベッドも、窓から見える森の木々も、普段ならば聞こえてくるはずの家族による耳障りな言い争いが全く無いことも、それが違うということを伝えていた。
    なるほど夢では無かったようだ、と結論づけた青年は古びた階段を降りて外へと出る。家の周りに植えられた野菜や花の手入れをしていたらしい老婆を見つけた彼が、彼女から最初にかけられた言葉はそんなものであった。

    「早いね、もっと寝ててもいいんだよ」

    「生憎、俺にはそんな暇が無いんだ」

    さっさと呪いを教えろ、と付け加えたいところではあったけれど、昨夜老婆に言われたことを思い出すとそうは言えなかった。自分にはまだ使えない、と告げられたそれを教わろうとしたところで意味が無いのは明白である、文句を言ったってどうしようもない。どこかから聞こえてくるムックルの囀り声が、青年の耳にはうるさいものとして捉えられた。
    他の、例えば自分やゴーストに使われたような別の呪いを教えろと言ってみようか。そんな思いが青年の頭の中に過る。しかし彼が何か言うよりも前に、老婆が「ほら」と採ったばかりの薬草を片手に振りながら促すように口を開いた。

    「そんなんじゃなくて。何か、もっと先に言うべきことがあるだろうに」

    「……昨日は、ただ言うだけじゃ駄目だって話してたじゃないか」

    老婆が何を言わせようとしているのかを察した青年が、胡乱な目を相手へ向ける。しかし老婆は臆することも無く、わかってないねぇ、と大袈裟に肩を竦めてみせた。

    「初めは意味なんてわからなくても、呪文ってのは唱えてみないと身につかないんだよ。それにさ、この『呪文』は対になるべきものなんだ。私があんたに投げかけたんだから、あんたがそれを返してこそ、呪いはより強い効果になる」

    やってみな、と老婆は青年に言う。彼は相変わらず眉を顰めた、不機嫌そうな表情を崩すこと無く保ってはいたけれども、観念したように老婆に向かって口を開けた。

    「おはようございます」

    「うん、おはよう」

    平坦に言いながら軽く頭を下げた青年に、にっこり笑った老婆がもう一度『呪文』を唱える。顔を上げた先に見た笑顔も、今言ったばかりのその言葉も、どちらもひどく久方ぶりのものに思った青年は数秒、ぼんやりと扉の前に立ち竦んだままだった。少しの間を置いてはっと我に返った彼が、微かに緩んだ空気に「なあ」と問いかける。

    「この『呪文』には、どんな効果があるってんだ?」

    呪文は一つ一つ、それぞれ違う効果があるという老婆の話を青年は思い出す。ならば今口にした『呪文』は、一体どのような力を持っているというのだろうか。冗談半分ではあったけれど、疑問に思ったのもまた確かである青年のその問いに、老婆はにっと笑ってこう答えた。

    「今日の世界が明るくなってしまう。今日を笑って過ごせるようになってしまう」

    高く聳える木々の隙間に、木漏れ日となった日光がきらめく。昇っていく太陽の輝きは、一日の始まりを告げるものだ。その光に目を細めながら、老婆は穏やかな声で青年へと言う。

    「今日一日が素敵なものになると思えて仕方なくなってしまう。そんな呪いを、相手にかけるための『呪文』なのさ」



    「いただきます」

    今摘み取ってきたばかりの野菜で作ったサラダと、焼き立てのパンに向かって手を合わせる老婆が『呪文』を唱える。それを真似するように合掌の形を作り、同じことを口にした青年を見やってから、フォークを手に持った老婆は言った。

    「次の生命へ巡ってしまう。幸せな転生を遂げてしまう。美味しく、最後まで味わわれてしまう。そんな『呪い』さ」



    「おかえり」

    暖炉へくべるための枝を集めて帰ってきた青年に老婆が『呪文』を唱える。仏頂面で頷く青年から枝を受け取り、家の中に迎え入れながら老婆は言った。

    「自分の暮らす場所が楽園にも思えてしまう。明日もここに帰りたい、と感じてしまう。外での疲れが吹き飛んでしまう。そんな『呪い』さ」



    「ごめんよ」

    梯子から足を踏み外して怪我をした青年の手当てをしながら、老婆が『呪文』を唱える。木が腐っていたのに気がつかなかったせいで、と頭を下げた彼女に、落ちたのは自分の不注意だと言おうとする青年をそっと制して老婆は言った。

    「痛みも悲しみも苦しみも、寂しさだって半分になってしまう。辛いことがゆっくり溶けていってしまう。暗くなった世界が少しだけ明るくなってしまう。そんな『呪い』さ」



    「ただいま」

    森にきのみを取りに行っていた老婆は、夕方家に帰ってきて『呪文』を唱える。扉を開けて待っていた、沈みかけた太陽の光を浴びて赤く染まった青年にきのみの詰まったバスケットを渡しつつ、老婆は言った。

    「家の中が温かくなってしまう。おいしいご飯を用意したくなってしまう。すぐにでも一緒に机を囲みたくなってしまう。そんな『呪い』さ」



    「ごちそうさま」

    老婆に教わりながら青年が作ったきのみのスープを、それは美味しそうに食べきった老婆が手を合わせて『呪文』を唱える。同じように両手を重ねていた青年が照れ臭そうに目を伏せたのをじっと見つめて、スプーンを置いた老婆は言った。

    「次に生まれ変わる行先が、素敵なものになってしまう。料理を作ってくれた人を、思わず笑顔にしてしまう。ご飯を食べれるその幸せが、どれだけのものなのかわかってしまう。そんな『呪い』さ」



    「おやすみなさい」

    ある夜、暖炉の前で本を読んでいた老婆に青年が声をかけた。聞こえた『呪文』に老婆は一瞬だけ目を丸くしたものの、すぐに笑顔になって「おやすみ」と返す。会釈をして階段を上っていく青年の背中を眺めながら、半ば独り言のような声で老婆は楽しそうに言った。

    「明日も素敵な一日になってしまう。明日が楽しみになってしょうがない。きっといい夢が見れるはず。そんな『呪い』さ」




    「あんたはもう、完璧に『呪い』を使えるようになったね」

    何度も太陽が昇り、何度も月が沈んだある日。老婆は青年にそう言った。数少ない荷物をまとめ、村に帰る支度を済ませた彼は「でも」と不安気に言葉を濁す。

    「本当に出来るのかわからない。あの村に、『呪い』なんて通用しないんじゃないか? だって、誰も言ってるの見たこと無いんだよな……」

    「大丈夫さ」

    声色を暗くした青年に、老婆は明るく言い切った。硝子玉のような目が不敵に、同時に頼りがいのありようを存分に示すように光る。

    「本当は、みんな使えるんだ。誰でも『呪い』の力を持ってるんだよ。それを、今は忘れてしまってるだけ。あんたは思い出させてやるだけなんだ」

    だから、大丈夫。にっと笑った老婆に、青年も笑い返して「そうだよな」と言った。

    「ありがとう。俺に『呪い』をおしえてくれて…………いや、」


    「思い出させてくれて、ありがとう」

    「あんたと過ごすのは楽しかったよ。私の方こそ、ありがとうね」


    そう言い合った二人はしばし笑い合う。冷たい風が吹いているはずのそこは、揺らぐことの無い温かさに満ちていた。
    名残惜しそうにしつつも、片手を上げて去っていく青年の背中が遠くなっていく。それがすっかり見えなくなってしまうまで扉の前に立っていた老婆は、綺麗な青に澄んだ空を見上げ、これが一番強い『呪い』さ、と歌うように呟いた。


    「唱えられた者をどうしようもなく笑顔にしてしまう。逃げられない幸せで包んでしまう……」


    蔦色をした老婆の髪が、風に煽られて外れたマントから覗いて揺れる。


    「今ここにいる喜びをひたすらに感じてしまう」


    そんな『呪い』さ、と頷いた老婆は、満足気に笑いながら空を見上げていた。



    そして青年は村に帰った。急に姿を眩ました自分が現れたら、村人達はどんな顔をするだろうかと彼は考えていたのだが、それは無為なものであった。驚くべきことに、老婆の家でしばらく暮らしていたにも関わらず、村に戻ってみれば時間はたった半日ほどしか経っていなかったのである。
    不思議なこともあるものだ、と思いながら青年は自宅の扉を開けた。出てきた時と寸分変わらない、不和な喧騒が響くそこから顔を覗かせた青年の母親は、彼が覚えている限りではいつでもそうだったように不機嫌極まりない表情で以て、青年を睨みつけていた。

    「どこほっつき歩いてたんだい、あんたがサボったせいで今日の夕飯は豆だけだよ。本当、とんだ馬鹿息子だ。私の子なのか疑うね」

    吐き捨てられたそんな台詞に、以前の青年であったら同じだけか、或いはそれ以上の悪意を向け返していただろう。
    しかし、今は違う。

    『呪い』を知った彼は、笑顔で『呪文』を唱えてみせた。


    「ただいま、母さん」


    息子が口にした、言うはずも無いと予想すらしていなかったその一言に母親が、いや、後ろで口論を続けていた父親や青年の兄までもが驚いて目を見開いた。その言葉は長らく誰からも聞いていないものだったし、自分もまた言っていないものだった。
    忌々しいものだと、無駄なものだと思って忘れていたその『呪文』と、『呪い』。本当ならば自分にだって使えるのに、使う必要が無いと思い込んで、いつしか捨てていたものであった。


    「急に出かけたりして、ごめんね」


    それを取り戻した、使えるようになった青年は、『呪文』を唱え続ける。誰でも使える、誰にでもすぐに効く、誰もが知ってる、その『呪文』を。


    「晩飯、作ってくれてありがとう」


    青年はにっこり笑ってみせた。『呪い』を知る、『呪い』を使えるものが出来る笑顔だった。

    しばらく面食らっていた青年の家族だが、どうにか母親が「……おかえりなさい」と小さな声で返した。おかえり、と父親と兄も続く。そう口にした瞬間、彼らは自分達の家の中がほっと明るくなったかのような感覚に襲われた。消えかけたランプも、薄汚れた壁や床も、ひび割れた食器や僅かな食事も変わらない。しかし、何かが確実に変わっていた。何かが、自分達を、温かく包んでいた。
    青年は笑う。それにつられて、青年の家族もわけもわからずに笑ってしまう。まるで誰かに操られたように……呪いでも、かけられたかのように。


    「うん、ただいま」


    『呪文』が、村に響き出した。



    そして、青年の家族を発端として、村には徐々に『呪い』が蔓延していった。初めのうちは『呪文』を唱えられるだけで嫌悪感を剥き出しにする者も多かったのだけど、少しずつ、少しずつ広まっていったのだ。青年から、青年の家族から、その近隣の家の村人から、やがては村中に。『呪い』は確かに、村を包んでいったのである。
    それと同時に、村は段々明るくなっていった。不思議なことに、『呪い』によって変わったのは村人達の間に漂う空気だけでは無かったのだ。笑顔が村に増えていけばいくほど、作物はよく実ったし、ポケモン達は育つようになったし、厳しい寒さも以前に比べて和らいでいるようにさえ思えてきた。活気と笑みを絶やさなくなってきたその村は、周辺地域や他の街でも噂となって評判となり、訪れる商人や旅人も増えていった。

    村は、随分と幸福に満ちていた。
    その変わりようたるや、まるで魔法か魔術か手品か、そうでなければ……。

    そんなことを、以前の村を知っている者達は楽しそうに語り合っていた。


    さて、青年はあの後に、村のことを伝えるために老婆を訪ねようと思い至った。自分の家で採れた、採れるようになったきのみや野菜、特産品であるシルクのショールなどを持って、あの森の奥へと出発したのである。
    しかし、そこには老婆の家など、さらには深い森すら存在していなかった。
    生い茂る木々を抜けた先にあるのは、見渡す限りの花畑だったのだ。色とりどりに咲く花は、今まで青年が見たことも無いほど綺麗なもので、彼は目を奪われてしばし立ち竦んでしまった。
    そんな青年の足元で、何かが揺れる気配と微かな物音がした。はっと視線を落とした青年の視界の隅に、柔らかな若草色の毛並みが揺れたように思えた。
    咄嗟に追いかけようと走り出そうとして、しかし、青年は踏み出しかけた足を止める。その代わりに彼がとったのは、今ではすっかり口に馴染んだ『呪文』の詠唱だった。


    「ありがとう」


    そう言った青年の耳に、同じ言葉が聞こえた気がした。言い知れないほどの、幸福感と、温かさ。それを感じた彼が、先程見た若草色が老婆の髪のそれにどこか似ていることに思い至ったのは、村へと戻った後であった。


    一面の花畑の中の一輪、いっとう美しいものとして彼の目に映った、紅色に咲き誇る大きな花を、青年はそっと持って帰った。村へと渡ったその花は種を残し、その種からまた花を咲かせ、やがて村いっぱいにその花びらを揺らすようになった。
    今、シンオウ地方の片隅に位置するその村は観光地として有名だ。笑顔の絶えない住民と、厳寒地域特有の食べ物と、冬に出来るようになる雪遊びと。もう一つ、美しい紅の花が世界中から人気を集めている。

    その花は、学術的には「グラデシア」と分類されているのだけれども、この村では少し変わった名前をつけられている。いつか昔に、村がまだ貧しかった頃にいたという村人の一人が言ったのがきっかけで、その花はこう呼ばれている。


    呪われた村に咲く、『呪いの花』。


    唱えられた者をどうしようもなく笑顔にしてしまう、逃げられない幸せで包んでしまう、今ここにいる喜びをひたすらに感じてしまう。

    そんな、『ありがとう』の呪いを司る花は、今でもシンオウ地方の風に吹かれて優しく揺れているのだ。


      [No.3608] ポリゴンと冷蔵庫 投稿者:逆行   投稿日:2015/02/21(Sat) 00:37:06     92clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

     最近、隣にいる冷蔵庫があーだこーだうるさい。しかも言っている内容が意味不明だ。
     冷蔵庫は、自分は生物なんだと言い張っていた。
     この家には、ポリゴンがいた。ポリゴンは、この家の家族に飼われていた。父親が、ゲームコーナーの景品で取ってきたとか言っていた気がする。
     ポリゴンというポケモンは、人工的に作られたポケモンだ。すなわち、自然に発生したポケモンではないということだ。だからポリゴンは本来生き物でないという方が正しい。けれども、この家の人たちは皆、ポリゴンを生き物として扱った。ポリゴンはちゃんと生きているような振る舞いをする。だから生き物なのだと言っていた。
     このポリゴンが家に来てから、冷蔵庫が変なことを言い始めた。
    「ポリゴンさんが生物であるなら、この俺も生物だろ」
     僕にはさっぱり意味が分からない。


     僕は炊飯器だ。一般家庭用の、五合まで炊ける普通の炊飯器だ。
     炊飯器は、米を炊き上げるまでに少々時間がかかる。しかしこの家には食べ盛りの子供がいて、その子たちが「ごはんまだ炊けないの」としきりに聞いてくるものだから、母親は、炊き上がるまで後五分なのに蓋を開けてしまう。一年前は、後一分で開けていた。それからちょっとずつ、開けるタイミングが早くなっていった。
     だんだん許容範囲が、広くなっていったのだろう。炊き上げるまで後一分だけどもういいや、と一回思ってしまって、そこからずるずると許容範囲が広がって、後五分でもいいやと今ではなってしまった。
     許すか許さないかの境界線。それは、必ず太いものでなくてはいけない。後一分までなら構わないというあまりにも細い境界線では、境界線の意味をもはやなさない。炊き上がるまで、という太い境界線をなくすと破綻してしまうのだ。
     このように、勝手に許容範囲を広げる人がいる。そして、この冷蔵庫もまた、
    「なんでお前は俺を生物と認めないんだ」
     自分で勝手に、生物だと定義できる許容範囲を広げていた。
    「だからお前は違うじゃん。電化製品じゃんただの」
    「ポリゴンさんだって電化製品みたいなものだろ」
    「全然違うだろ。あんなに動きまわる電化製品見たことあるか」
    「電化製品じゃないにしても、人工的に作られたものじゃん。俺と一緒じゃん。だから俺も生物」
    「その理屈はおかしい」
    「なんでだよ」
    「ポリゴンさんは、お前にできないことできるからね。生物じゃないとできない様々なことが、ポリゴンさんはできる」
    「俺ができないことって例えばなんだよ。具体例を言えよ具体例を。お前の話は具体的じゃないんだよ」
    「例えば、この間父親が昔を思い出したいって言ったとき、ポリゴンさんは父親のアルバムを押し入れから取り出してきた。父親はそのアルバムを見て『懐かしい』って喜んでいた。ポリゴンさんはこうやって、人の気持ちを読んだ行動ができる」
    「俺だって、俺の体の奥の方に腐ったものを眠らしておいたんだ。母親がそれを取り出したとき、『懐かしい』って笑ってたぞ」
    「お前は何もしていないじゃないか。それは使い手のうっかりが転じた結果だろ」
    「他には?」
    「他には、母親と子が喧嘩して気不味い雰囲気になったとき、その雰囲気を察して母親の背中をとんとん叩いて和ませたり」
    「俺だって気不味くなった雰囲気を察して、『ブブブ』って音鳴らして場を盛り上げられるぞ」
    「それは気不味くなったときだけじゃないだろ。しかもあのむしろ気不味くなるし」
    「もういいよ具体例は。例えばの話をしてもしょうがない」
    「お前が具体例だせって言ったんだろう」
    「とにかく、俺はポリゴンと一緒で生物なの」
    「うわついに呼び捨てになった」
    「同じ地位だからね」
     もう自分は面倒臭くなった。
    「分かったよ。認めればいいんだろ認めれば。人間達がどう思うかはともかくとして、俺個人としては、お前のこと生物だと思っているよ」
    「『個人としては』とかそういうの止めてくれない。そうやって反論を未然に防ごうとするのは卑怯だよ」
    「えーじゃあ。俺はお前のこと生物だと思う」
    「『思う』とか言うのも好きじゃないなあ。ちゃんと言い切らないと。自分の意見を言うときに逃げ場を作るのはダメ。ちゃんと言い切って、反論も受け止めて。じゃないと成長しないから」
     本当に面倒臭いなこいつは。こいつが頼んできたのに、なんでこんなに偉そうなんだ。
    「お前は生物だ。これでいいか」
    「うーん。いいでっ、しょ」
    「……」


     翌日。

    「聞いてくれよ。昨日の夜中大変だったんだ」
     冷蔵庫が、疲れた声で話しかけてきた。
    「何があったし」
    「俺の中にいる食品たちに、俺は生物なんだって自慢したの。そしたら、食品たちが口々に、じゃあ自分も生物なんだって騒ぎ始めたの。しまいには、野菜室のキャベツとにんじんが喧嘩して。『俺は生物だけど、お前は違う』なんてことを言い合ってて。最後にはお互いの特徴を罵倒し合ってた。うるさくて眠れやしなかった」
    「それは、お前の自業自得だよ」
     僕は、呆れて溜息を付きたかった。溜息の変わりに蒸気を出した。もうすぐ米は炊き上がる。


     

     
     


      [No.3607] ここにシビルドンがいっぱおるじゃろ? 投稿者:No.017   《URL》   投稿日:2015/02/19(Thu) 01:11:02     102clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
    タグ:シビルドン

    全部わしのじゃ。

    ここにシビルドンがいっぱおるじゃろ? (画像サイズ: 577×906 146kB)

      [No.3456] 負の味 投稿者:WK   投稿日:2014/10/17(Fri) 15:52:46     59clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

     以前、あまりにもカゲボウズ達が大食いなので、健康に悪いと思い少しの間食事の量を減らしたことがあった。彼らが食べる物は、普通のポケモンフーズではなかった。あんな粉っぽい物食べてらんねー、と五匹の中の一匹が叫んだのを覚えている。
     私の周りのゴーストタイプは皆美食家だった。不味い物はどんなに安くても、またそれしか食べる物が無くても決して口に入れようとはしなかった。そして、大衆が群がるような店よりも、自分で見つけた美味しい店の料理を好んで食べることが多かった。私も幾度か連れて行ってもらったが、非常に美味だった。
     彼らは食事だけではなく、甘味も大好きだ。カゲボウズは負の感情を食べるポケモンとして知られているが、実際に美味しいのかと聞くと、甘いのだという。特に長年降り積もった感情は少し嗅いだだけで全身が融けるのではないか、というくらい甘い香りがするとか。少し気になったが、人が嗅いでも不快な気持ちになるだけだから、と言われたのでやめておいた。
     彼らは言う。人は毎日のように負の感情を抱く機会に恵まれるけど、何処かで必ず発散しているのだという。それは人によって様々で、無自覚に発散している場合もあれば、さあ、今から発散するぞと気合を入れる場合もあるらしい。
     そんな人間の感情は、たとえ負でもあまり甘くないらしい。短い時間の合間に大量に発散するからだそうだ。
     反対に狙い目なのは、真面目な人や自分の思ったことを上手く口に出せない人間。そういう人間は普段は大人しくても、ある時不意に爆発するのだという。それはまさに、ポップコーンの飴玉版みたいだという。弾けるのはコーンではなく、飴玉。それを我先にと口でキャッチして食べるらしい。それもまた、娯楽のようで楽しくて良いという。
     そんな話を聞いた数ヵ月後、突然カゲボウズ五匹だけが私の群れから姿を消した。私はいつものことだろうと思い、そのまま日常を過ごしていた。彼らは何か大きな餌を見つけると、それを他のカゲボウズに取られないようになるべくその本人の近くに潜伏する。そして帰ってくる時は、あの角付きの頭がこれでもか、というくらいに膨れ上がっている。下のひらひら部分はそのままなのに!
     太る部分が違うのだろうか。しかしこれは……。
     
     それからたっぷり一ヶ月経って、彼らは帰って来た。意外と顔の形は変わっていなくて、私は意外に思った。どうした、と聞くと凄い物を見た、と帰って来た。
     その女性はとにかく人の悪口を言うのが大好きだったらしい。テレビを見ても芸能人の悪口を言うし、陰口はもちろんのこと、トイレに立った同僚の悪口を一緒にいた同僚に吐くのだという。
     コンプレックスが強い人間は、他人を落とすことで自分を上げようとするという。彼女もその一人だったのかもしれないが、赤の他人である私はどうでもよかった。
     彼女には誰もがうんざりしていたようで、その念も相まって職場は凄まじく甘い匂いに包まれていたという。各地からカゲボウズ達が集まってきており、どれだけ甘くなった時に齧り付けるかの駆け引きの場になっていたという。
     しかし、その女性の感情の熟すスピードはあまりにも速かった。
     そろそろか、と先に齧りついた数匹が、吐き出した。不味い。とても食べられた物じゃない。
     見れば、彼女の体は腐りかけていた。人の目には、普通に人間の姿に見える。しかし彼らには、熟しすぎて腐り落ちて行く姿が見えたという。
     負の感情を抱きすぎて、自らがその塊へと変貌し、とても食べられた物ではない腐りかけ――『悪』になってしまったのだと彼らは言った。だから、職場の感情だけ食べてきたという。
     そちらは普通に美味だったらしい。
     
     青すぎるのも不味いが、熟しすぎても不味い。
     彼らはその丁度良い境目を見極めるために、今日も程よい人間を探している。


    ――――――――――――――
     一応レディ・ファントム視点のつもり。
     そして彼女を生み出してから既に四年近くが経過していて驚く。


      [No.3455] 【一粒万倍日企画】 シロガネ携帯獣記 炎馬の王・前編 投稿者:ラクダ   投稿日:2014/10/17(Fri) 03:24:46     187clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
    タグ:一粒万倍】 【元ネタ・シートン動物記】 【逃げ足ギャロップ】 【雷火】 【長いです】 【カタいです】 【お暇な時にどうぞ

     
     ジョウトとカントーに跨る霊峰、シロガネ山。数多の強者がひしめくこの地に、一際名を轟かせる猛者がいた。
     彼の名はライカ。シロガネの麓に生息するギャロップの中で、歴代最も大きな群れを率いた長である。
     大地を駆ける音、雷の如く。たなびく赤焔のたてがみ、猛火の如き気性を表す。
     畏敬と賞賛の念を持って、人々は彼をこう称した。
     誇り高き炎馬の王、シロガネ平野を統べる主――そして、彷徨う孤独な炎馬の王、と。
     
     これは、栄光と自由の中に生きた一頭のギャロップの物語である。


     まだ幼い仔馬の頃から、彼はすでに王者の頭角を現していた。輝く炎を纏う美しい容姿もさることながら、その年に産まれたポニータの中で一番足が速く、また気性も荒かった彼はあっという間に仔馬たちのリーダー格に納まった。子分を従えて颯爽と走り回る様は微笑ましくもあり、同時に将来有望である事を予感させるものだった。
     独り立ちを迎え群れを出た後は、同じく所属を持たない若い雄馬達を纏め上げて新たな集団をつくり、互いに争うことで自分の能力を磨き上げた。天性の俊足に加えて、戦闘での立ち回り方や仲間内での優劣のつけ方を学んだ彼は、数年後、小さな群れを率いる長へその座をかけた闘いを挑むことになる。
     燃え盛るたてがみから激しい火花を散らしつつ、二頭の雄馬が対峙する。甲高いいななきで相手を牽制し、前足を踏み鳴らし地を掻いて自らの力を見せつけ、睨み合ったまま有利な位置取りを探してぐるぐると歩き回る。互いに一歩も引かないことを悟った彼らは、ついに雄叫びを上げて相手に突進した。
     首筋を狙って食らいつき、身を翻して後足を蹴り出し、棹立ちになって前足を叩きつけ、ごうごうと音を立てて燃えるたてがみや尾を打ち振るう。両者の闘いは互角に見えた。年長の雄馬には豊富な経験と技量があり、若い雄馬にはがむしゃらに突き進む体力と気力があった。
     何度もぶつかり合い、退き、またぶつかる内に、やがて群れの長に疲労の色が見え始めた。動きに僅かな躊躇いとふらつきを見て取った彼は、ここぞとばかりに相手を攻め立てた。とうとう決定的な後足の一打が相手の胸に叩き込まれ、長は悲鳴を上げてくるりと背を向けた。
     走り去る敵を、彼は追わずに見送った。勝敗は決した、群れの長との激しい戦いに打ち勝って見事その座を手に入れたのだ。
     野性の世界は厳しい。弱肉強食の理の中で暮らす生き物達は、本能的に強い者を求める。雌馬達は自分と仔を生かす為、老いた統率者より力を示した若き挑戦者を選び、自ら進んで頭を垂れた。座を追い落とされた古き長は失意のうちに群れを去り、代わって新しい長が誕生した。
     自分の群れを手に入れた彼は、それを守るために全力で戦った。幼い仔馬を襲うリングマに真っ向から立ち向かって撃退し、縄張りを巡って他の群れと争い、虎視眈々と最高位の乗っ取りを狙う雄馬達を蹴散らし。全てにおいて優位を保った彼の元にはその強さを慕った雌馬達が集まり、また強力な庇護の下で産まれた仔馬たちは、外敵の脅威にさらされることなくすくすくと育った。時が経つほどに群れは栄え、いつしかシロガネ平原に住まう者の中で一大勢力を誇ることとなった。
     しかし、彼に注目していたのは同族のみならず。野生ポケモンの最大の敵――人間もまた、この強く逞しいギャロップに深い関心を示したのである。
     野を疾駆する彼の姿を見た者は、その速さに舌を巻いた。敵と対峙する彼を目の当たりにした者は、凄まじい気迫に度肝を抜かれた。燃えるたてがみを振りたてて誇らしげに歩く様は、見る者全てを魅了した。
     大地を駆ける音、雷の如く。たなびく赤焔のたてがみ、猛火の如き気性を表す。その素晴らしいギャロップの噂はシロガネ山から遥か離れた土地まで轟き、いつしか人々の間で『シロガネ平野の炎馬王ライカ』として知られるようになった。
     噂が噂を呼び、ライカはますます神格化されて語られる。比類なきギャロップと称されたその内容は、残念ながら欲深な人間達を引き付けるに余りあるものだった。
    「その足の速さはレースに使える、きっと優秀な成績を収めるだろう」
    「いや、それほど力のある馬なら戦わせるべきだ」
    「何を言う、美しい姿を活かしてコンテスト用に仕立てなければ」
     各々の目的の為に、彼を手に入れたいと願う者は沢山いた。そんな人間が大挙して押し寄せ、基地とされたシロガネの麓は黒く染まった。無数に蠢く人間達を警戒し、恐れをなしたポケモン達は山の奥地や洞窟の中に身を隠したが、しかし彼の群れは逃げも隠れもしなかった。欲望にぎらつく二本足どもを横目に、悠々と草を食み野を駆ける。
     ギャロップ達は知っていた。群れが戴く長は賢く力のある者で、どんな脅威からも守ってくれるのだと。
     けれどギャロップ達は知らなかったのだ。人間がいかに狡賢く、執念深い生き物であるかを。

     当初、狩人たちは個別にライカに挑んで玉砕するという流れを繰り返していた。彼と彼の群れの逃げ足は速く、生半可なポケモンでは追いつくことも難しい。かといって速いポケモンをけしかけると、先行しすぎて孤立し返り討ちにあってしまう。ライカの反撃は激しく、重傷を負ったり命を落とすポケモンも珍しくはなかった。
     やがて一人ではどうにもならないと悟った彼らは、数人ずつチームを組んでギャロップの群れを追い始めた。各自が速力に優れたポケモンに跨り、できるだけ接近してから俊敏なポケモンを繰り出して先制攻撃を仕掛ける。この方法で群れを分断することに成功したが、取り残されるのは後方を走る一部のギャロップのみで、ライカを含む最も足の速い一群は彼方へ駆け去ってしまう。彼らの目標はあくまで炎馬王であり、老いたり弱った者は眼中に無かった。パニックを起こして暴れるギャロップ達は進路を塞いで邪魔なばかりか、それらの相手に手間取ると、態勢を立て直したライカが猛然とこちらへ突っ込んでくるのだ。
     賢いライカは、周囲で牙を剥いて威嚇するポケモンになど目もくれなかった。狙うは人間を乗せたポケモンのみ、俊足を活かしてその横腹目がけて突進し、力を込めて突き倒す。悲鳴を上げて横転する騎獣達の背から、次々に人間が振り落とされていく。襲い来る戦闘用のポケモンを飛び跳ねて躱し、踏みつけ、周囲を炎の渦に巻き込んで目くらましと進行を阻む壁を作り出す。そうして指揮を失って混乱に陥った隙を突き、その場に取り残されていた仲間をまとめて一目散に走り去る、というのが彼のやり方だった。
     本来ギャロップが苦手とする水、岩、地面の技を操るポケモンさえ、ライカは軽々といなしてみせた。わざと鼻先を掠めるように走り抜けて挑発し、怒らせて技を乱発させては軽快な動きでそれらを躱してまわる。躱し損ねてかすり傷でも負おうものなら、彼の炎はますます明るく燃え上がり、目は闘志に満ちてぎらぎらと輝いた。ぎりぎりまで攻撃を引きつけ、技を放つ瞬間に敵の眼前を横切って同士討ちに追い込むなど、その悪知恵と脚力は空恐ろしいほどだった。
     執拗に攻撃を誘っては逃げ、とうとう相手が疲弊し決定打を失うと、からかうように周囲を回っていななくなど憎らしい程の余裕を見せつける。狩人が使い物にならなくなった手持ちを回収し、新手を出す頃には、すでにライカは手の届かぬところへ去っているのだ。
     なお悪いことに、騎獣が雌のギャロップであった場合、彼の大立ち回りに魅せられてしまうのか、主を振り落としたまま野生の群れと共に駆け去ってしまうことがあった。相手を捕らえるどころか逆に手持ちを奪われ、虚仮にされたと感じた狩人たちは怒り狂った。それぞれ腕に自信のあるポケモン使いなだけに、受けた屈辱は相当のものだっただろう。
     追い立て、囲いこみ、罠、眠り薬を入れた餌。何を試しても報われず、こちら側の被害が増えるばかりとあって、次第に彼を追う人々の間にも疲労と動揺が見え始めた。どうあっても炎馬王を捕らえてやると息巻く者もいたが、これ以上損害を出さない内に手を引くと宣言する者、あれはただのギャロップなどではなく魔性のモノだと恐れる者もいた。個々のグループは揉め始め、最終的に当初の半分以上のポケモン使いがシロガネ山を去って行った。
     
     だが引き上げる者とは対照的に、ごく少数ながらも新規にギャロップ狩りに参加する人々がいた。その中に、特徴的に曲がった鼻から“鷲鼻爺さん”と呼ばれている老人がいた。彼はポケモンの生け捕りを主とする狩人で、百戦錬磨の猛者だった。ライカの名声と悪評に比例して彼の興味の度合いも高くなり、ついにはこの目で実物を見てやろうと山奥の住処からはるばるやってきたのである。
     そうして、一目ライカを見た鷲鼻爺さんはすっかりこのギャロップに惚れ込んでしまった。人を寄せつけぬ荒々しく美しいこの雄馬を、必ず手に入れて御してやると固く心に決めたのである。
     彼はまず、魔性のギャロップを追いまわす人々から話を聞いて回った。ライカだけでなく、彼の有する雌馬と仔馬の数、群れの行動パターンや危機に対する反応の仕方などさまざまな情報を集め、また自身も野に出て遠くから群れを観察した。その間、ライカを狩りに出かける人々から何度も誘いがあったが、鷲鼻爺さんは頑として同行を拒否した。たった一人で何ができると嘲笑されると、一人の知恵は大勢の無駄足に勝るのだ、と返して不敵にニヤリと笑うのだ。これを聞いて憤る者もいたが、どのチームとて何の成果もあげられない現状に、言い返す言葉が見つからないのだった。
     ギャロップの観察と並行して、爺さんは密かに人間達の見極めも行っていた。誰がチームのリーダーか、どの程度の発言力があるか、自分が事を起こした時に賛同してくれるか否か。用心深い爺さんは、自分の求める全ての条件が揃うまで辛抱強く待ち続けた。
     その甲斐あって絶好のチャンスがやってきた。もはや何度目かも分からない挑戦が大失敗に終わり、疲れ苛立った人々の間に険悪な空気が流れ始めたのだ。あちこちで言い争いや揉め事が頻発し、結果、山を下りたり追われたりする者が増えた。また予想以上の長期戦に装備が尽きて去る者も多かった。残ったのは執念深い古参と諦めきれない新参者が一握りといったところだろうか、初期に集まった人数に比べるとあまりに僅かである。
     鷲鼻爺さんはこれを好機とみた。捕獲計画の人手をどう集めるかが問題だったが、今や有象無象の群れがふるいにかけられ、しぶとく強かな者だけが選りすぐられたのだ。彼らを使わない手はない。
     そこで以前から目をつけていたリーダー格を狩小屋に呼び集め、自分の練った作戦を披露して説得に当たった。始めは半信半疑の顔で聞いていた彼らも、話が進むにつれ次第に真剣になっていった。
     作戦はごく単純だった。まずシロガネ平野を区画分けし、各所へ人員を配置する。各自乗用のポケモンに跨って待機し、持ち場に馬群が現れたら一斉に飛び出して別の区画へ追い立てる、ただそれを繰り返すだけだという。手持ちの足の速いポケモンは全て乗用や勢子役に回して、戦闘に特化したものはボールから出さず待機させておく。ここで、爺さんは絶対に攻撃を仕掛けず追い立てるだけだと強調した。これまでの失敗の大半は中途半端に攻撃してライカを刺激した事と、チームメンバーの連携が取れていなかった事だと見抜いていたのである。餌場である草地などに近寄らせず補給を断ち、昼も夜も走らせ疲弊させたなら必ず群れを追い詰める事ができる、と爺さんはきっぱり言い切った。いつの間にか話に引き込まれていたリーダーたちは納得した顔で頷いたが、一人が最大の疑問を、つまり狩りが成功したとして一頭しかいないライカは誰が得るのか、と尋ねた。早い者勝ちか、一番功績をあげた者か?
     この問いに鷲鼻爺さんは笑って答えた。むろん炎馬王はわしのものだ、決まっているじゃないか、と。
     場に飛び交う怒号を黙ったままでやり過ごし、皆が罵り疲れるまで静かに待つ。馬鹿馬鹿しいと席を立つものが出始めた時になって、爺さんはようやく口を開いた。
     お前たちはライカ以上の物を手に入れるかもしれんのだぞ、という言葉に数人が足を止める。怪訝そうな彼らを絡め取るように、爺さんは滔々と語り聞かせた。

     奴は確かに頂点に君臨しているが、考えてもみろ、今後何年その状態を保てるか。今は良くとも時が経つ程に体力も気力も衰えて、いずれ若い馬に座を蹴落とされる時が来るだろう。どんな豪傑も結局若さには勝てんのだ。
     さて、その将来有望な若駒はどこにいる? お前たちは奴の群れの仔馬をよく見たか? あれらは父親に似て素晴らしい資質を持っているぞ。これから鍛えればレースでもバトルでもコンテストでも、思うがままだ。
     もちろん母親だって捨てたもんじゃない。あの雌馬たちはライカに付き従い、シロガネ平野を駆け巡ってきた強靭なギャロップだ。おまけに腹には卵を抱えているときた、それが誰の種か知らないわけじゃあるまい。気難しい野生馬も、孵ったばかりの仔なら調教しやすかろうよ。
     どうだ、宝の山じゃあないか。わしにライカ一頭を譲ってくれたら、後の奴らは好きに山分けするといい。参加した者それぞれに、費やした時間と資金に見合うだけの戦利品があると約束しよう。
     この年になると欲の形も少々変わってくるもんでな、わしは将来の財産より今ある名誉が欲しいんだ。炎馬王を捕らえたという唯一の名誉、それだけでいい。
     さあどうする? わしと協力して資産を得るか、一人で身を擦り減らすか……お前たちはどちらを選ぶ?

     重い沈黙が立ち込めた。といっても否定のそれではなく、皆それぞれに顔を見合わせ互いの肚を探り合っている。ライカは欲しい、しかし捕らえられもしない名誉を追い回すより……そう、爺さんの言う通り、資産を確実に手に入れる方が遥かに旨みがある。もう十分時間も金もつぎ込んだ、そろそろ見返りがあってもいい頃だ。忌々しい魔性のギャロップは爺さんにくれてやる、自分はその子孫で将来大きなアタリを引く方に賭けようじゃないか。
     一人、また一人と席を立ち、鷲鼻爺さんの元へ来て手を差し出した。協力を約束する彼らの手を握り返し、わしと組めば必ずや望むものが手に入るだろう、と爺さんは明言した。自信満々のその態度につられて狩人たちの士気も上がり、小屋の中には気勢を上げる男たちの声が響き渡った。
     こうして、鷲鼻爺さんを頭に人間たちは結束した。ライカを慕うギャロップたちと同じ――いや、それ以上の情熱と欲望を持って寄り集まった。
     作戦決行は二日後に決定し、爺さんから細かな指示を受けた狩人たちがそれぞれの仲間の元へ散っていく。皆ライカに劣らぬ闘志を燃やし、これから手に入れる報酬について声高に話し合っている。気の早い者は将来の計画について捲し立て、自分がギャロップの新時代を切り開くのだと息巻いていた。
     そんな男たちを見送りながら、鷲鼻爺さんは薄く笑みを浮かべていた。これで魔性の炎馬を追い詰める下準備ができたと、第一関門を意外にあっさり通過できたことを喜びつつ、これからが本番だと気を引き締める。
     雌馬も仔馬もくれてやる。お膳立てしてやった分、わしが確実にライカを手に入れられるよう、存分に働いてもらおうじゃないか。
     そう一人ごちて、狩小屋に背を向ける。眼前には青々とした草をなびかせる平原が広がっていた。このどこかをあの不屈の雄馬が駆けている、誇り高きあの炎馬が遠からぬ内にこの手に落ちる、そう考えると爺さんの体に熱い震えが走った。
     
     何も知らないギャロップ達は野を駆け、草を食む。後に史上最大規模とされるギャロップ狩りが、ついに始まろうとしていた。






    ――――――――――――――――――

     砂糖水さんの企画に参加させていただきました。http://masapoke.sakura.ne.jp/lesson2/wforum.cgi?no=3368&reno= ..... de=msgview
     前編完成、後編に続く。
     とり急ぎここまで。読了いただき、ありがとうございました!

     感想をくださった逆行さん、砂糖水さん、焼肉さんに大感謝を捧げます。嬉しすぎて小躍りしましたよもう! お返事は後編でさせていただきます、もうしばらくお待ちください。


      [No.3311] 昔の話をしようか 投稿者:マームル   《URL》   投稿日:2014/07/01(Tue) 23:07:41     177clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
    タグ:オーダイル】 【ゾロアーク

    結構前に気分転換に書いてpixivに投稿したものですが、中々良い気がするのでここに投げてみます。
    それ以降もちょこちょこ書いてるけど、中々良くならない。



    --------------------------

     さて、昔の話をしようか。
     昔と言っても、むか〜しむかしの話じゃなくて、数十年前の、私が子供の頃の話だけどね。

     ここから南に、普通の人なら半日歩いて行ける所に大きい湖があるだろう?
     そこには主が居た、というのを知っているかい? そう、今は居ないんだ。
     分かってるって? ああ、その主というのは、私がポケモントレーナーとして旅をするキッカケであり、私の目標だった。
     私がまだポケモントレーナーでもない、幼い頃の話だ。
     私と同じ、幼いゾロアを籠に乗せて、自転車でその南の湖に行った事があるんだ。歩きで半日掛かる位のかなり遠い距離だったから、行ってみたいとは思っていたけれど、それまでは行った事は無かった。
     親に頼んでも、何にも無い、名も忘れられているような湖に行ってくれる程、子供の好奇心を広めてくれる親でもなかったしね。
     行く最中、ゾロアが過ぎ去っていくポケモン達に変化して遊んでいたのを、数十年経った今でも私は良く覚えている。私にとって、それはたった一人での初めての遠出だったんだ。
     かなり、わくわくしていた。
     途中、何度か休憩を挟んで、覚束ない命令で偶に野生ポケモンとも戦いながら、昼前にその湖に辿り着いた。
     ゾロアにモモンの実とオレンの実、それと好きだったカイスの実を食べさせながら、私はただ、その湖を見ていた。何も考えずにね。
     何というんだろうかね。初めて海を見た時の衝撃と同じような衝撃を、私はその時味わっていたんだ。
     静かで、音と言えばゾロアが木の実を食べる音と、風の音だけ。
     とっても、神秘的だった。
     私は、持って来たパンを食べて、木にもたれ掛かってぼうっとただ湖を眺めている事にした。湖には近付きもしなかったし、……いや、まだその時は寒い春で、冷たい水に態々触り行く事は馬鹿みたいだった事の方が大きいか。とりあえず、私はただその見ているだけで満足だった。
     ゾロアも木の実を食べ終えてからは、私の膝の上でゆっくりとしていたしね。

     気付くと、私は寝てしまっていたようだった。
     そして、目の前にはその湖の主、オーダイルが居たんだ。……いや、私が勝手に主だろうと思っていただけなんだけどね、どうしても主としか思えなかったんだ。
     ゾロアは、まだ寝ていた。
     湖の中に居たんだろう、オーダイルの体は濡れていて、ぽたぽたと水滴が地面に垂れていた。
     私は、その時寝ぼけていたんだろうね。怖いとも余り思わなかったし、かと言って格好良いとか自分の状況を全く無視した感情も抱いていなかった。ただ、その時私はぼうっとオーダイルを眺めていたんだ。
     2m以上ある巨体で、その気になればがぶりと私を食いちぎれる力も持っているのにね。
     そんなぼけっとしていた私を、オーダイルはじっと見つめていた。観察されているかのようだった。食い物として美味しいかどうかだったのかもしれないけれど、聞く事は出来なかった。私にとってはもう、どうでも良い事だ。
     オーダイルはぼうっとしている私の頭をがしがしと掻いてから、大きな尾を揺らしてまた湖の中へ戻って行った。
     はっきり目が覚めてから、その事を思うと背筋が凍りもしたけれど、それ以上に目標が出来た。
     あのオーダイルをゲットしたい。
     それが、私のポケモントレーナーとしての旅の最終目的になった。あのオーダイルは私の憧れでもあった。
     ゾロアを起こして帰る頃には、もうポケモントレーナーになってすぐにでも旅に出たい欲求が頭の中を渦巻いていたよ。

      そして、私は数年のポケモントレーナーとしての旅をして、帰って来た。……その時の話はまた後でするよ。この話よりもかなり、長いけれどね。ゾロアはゾロアークになり、また、フライゴン、ギガイアス、ギャロップ、ムクホークが私の信頼出来る仲間となっていた。
     友からは、どうして5匹なんだい? と良く言われたよ。
     私はその度にこう答えた。6匹目、それが私の目標だ、って。
     そして、実家に帰って来て、数日経ってから私はその湖に行く事にした。ゾロアーク、フライゴン、ギガイアス、ギャロップ、ムクホーク。彼ら全員を連れて行ったが、私はゾロアークだけを使う気しかなかった。
     一対一で、私は彼を仲間にしたかった。
     その目標は、私にとってのチャンピオン戦だった。
     その時と同じように、自転車に乗って私はその湖に向った。ゾロアークが勝手にボールから出て来て、ゾロアに変身してあの時の事を思い出させたのは、感動したね。
     今まで、目標という言葉は言っていたけれど、明確にはその目標の事は誰にも話していなかった。そして、私は湖に着いてから、ゾロアークに言った。
     あの時、私の目標がここで出来た。その目標と、戦ってくれるかい? と。
     ゾロアークは頷いてくれた。
     それはオーダイル。平均身長は2.3m、平均体重は88.8kg。ワニノコの最終進化系。

     そして、時が経ち、オーダイルは水の中から出て来た。
     私は笑った。オーダイルも笑ったように思えた。そして、戦いが始まった。
     やはり、そのオーダイルは強かったと私はすぐに確信したよ。四つん這いで素早く陸の上を走る事が出来るとは知っていた。ただ、ゾロアークよりは遅いと思っていた。彼の速さも一級品だったからね。
     けれど、オーダイルは一瞬にしてゾロアークに肉薄していた。後ろ脚の力で、跳ぶようにしてゾロアークに突っ込んでいた。
     ゾロアークは私が指示をするよりも前に躱してくれた。一撃でも食らったら、アウトだった。
     ゾロアークは躱しざまにシャドーボールをすぐに放ち、オーダイルはそれを腕で弾いた。
     私はゾロアークにナイトバーストで視界を妨げろと命令した。オーダイルは力も、防御も、速さも途轍もなかった。
     残念だが、正攻法では勝てない。私はすぐにそう判断した。
     けれど、ゾロアークはそれに従わなかった。
     ああ、そうかと私は思った。ゾロアークは、私よりバトルセンスがあった。偶に強敵と出会い、興奮している時は私の指示よりも自分の思考を優先させた。ポケモントレーナーとしてどうかとも思うかもしれないが、私はそうなってしまった時はゾロアークにその場を譲った。私の指示は、ゾロアークの動きに追いつけなかった時もあったというのもあるが、私の指示を聞かなくなった時、ゾロアークは心から楽しんでいたからだ。
     私のゾロアークは所謂、戦闘狂だった。
     そして、ゾロアークはオーダイルを強敵と認め、本気で戦おうと思っていた。私の入る余地はもう殆ど無くなった。
     しいて出来る事と言えば、ゾロアークの視界の助けをする事位だ。
     オーダイルの攻撃をゾロアークは何度も寸前で躱し、何度も火炎放射を放っていた。
     ゾロアークはまずオーダイルを火傷にしようと思ったみたいだった。私は短時間で決着を付けようと思ったけれど、ゾロアークは長期戦に持ち込みたかったみたいだった。まずは攻撃力から削ごうと思っていたんだろう。
     そして、オーダイルは火傷をした。けれど、ゾロアークはその代価以上に疲労していた。スタミナはそんなにある方じゃなかった。
     どうして長期戦に持ち込もうと思ったのか、私は少し混乱していた。
     そして、すぐにその理由は分かった。
     ゆっくりとゾロアークはオーダイルに近付いて行った。ナイトバーストを目前で仕掛けるつもりだと、私はこれまでゾロアークの戦いぶりを見て来て分かっていた。
     火炎放射は保険だった。一撃攻撃を食らってしまっても、踏み止まれるように。
     そして、ナイトバーストでオーダイルの視界を防ぎ、至近距離で決着をつけるつもりだ。スタミナを消耗してでも、ゾロアークは保険を掛けておきたかったんだろう。
     ただ、1つだけ懸念があった。オーダイルはまだ、技を3つしか使っていない。かみくだく、アクアテール、アクアジェット。もう1つは何だ?
     ゾロアークもそれに気付いている筈だ。
     ナイトバーストを、ゾロアークは繰り出した。オーダイルをも包み込んで真っ暗な空間が現れる。
     威力も高く、ゾロアーク特有の必殺の技だ。だが、オーダイルは倒れないだろう。
     そして、1発、鈍い音がした。
     
     暗闇が開けると、ゾロアークは混乱していた。
     みずのはどう……じゃない? ゾロアークの体は濡れていなかった。1発の鈍い音はシャドーボールだったみたいで、オーダイルの背中には黒い痣が出来ていた。オーダイルも、そのダメージは大きかったらしく、大きく息を上下させていた。
     そして、私は1つの結論に至る。
     オーダイルのもう1つの技は、いばる、か、おだてる、だ。
     ゾロアークはふらふらとしていた。スタミナが殆ど切れてしまっている性か、今にも倒れそうだった。ダメージを負っていなくても、あれでは火傷の状態でも、1発食らったら負ける。そして、オーダイルは攻撃姿勢に入っていた。四つん這いになり、アクアジェットを仕掛けるつもりだ。
     飛べ! とオーダイルがアクアジェットを繰り出す寸前に私は叫んだ。
     オーダイルがアクアジェットを繰り出し、ゾロアークに向っていく。
     私はゾロアークが跳ぶ前に、次の指示を出していた。
     真下にシャドーボール!
     混乱していても、上下だけは確実に分かる。自分を痛めてしまう心配も少ない。私はそれに賭けた。
     そして、シャドーボールは見事、オーダイルに直撃した。

     それが、私のチャンピオン戦だった。ゾロアークは疲れ果てて、それでも私に笑ってから、私がここに子供の頃に来た時にもたれ掛かった木に同じようにもたれ掛かり、休み始めた。
     私は、倒れたオーダイルに歩いて行き、言った。
     ずっと憧れだった。……仲間になってくれるかい?
     オーダイルは認めてくれたのか、諦めたのか、分からなかったが、目を閉じた。
     モンスターボールに入れるのは後で良いだろうと私は思い、オーダイルにモーモーミルクとチーゴの実を渡した。そして、頭を撫でた。
     それが、私のポケモントレーナーとしての、一括りだった。

     ……人間ってのは、長生きだよ。うんざりする程に。
     ゾロアーク、フライゴン、ギガイアス、ギャロップ、ムクホーク、オーダイル。彼らと過ごす日々は最高に楽しかった。
     そして、彼らが寿命を迎えていくのはとても悲しかった。
     ああ。私は、彼らの話を、彼らの息子にも聞かせるつもりだよ。
     とても、強く素晴らしいポケモン達だったと


      [No.3167] 小説21 道祖神の詩 投稿者:道祖神   投稿日:2013/12/11(Wed) 18:44:33     111clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
    タグ:鳥居】 【道祖神】 【若さってなんだ】 【振り向かないことさ

    道祖神の詩(うた)です。
    道祖神とはミクリの言う通りに正しい道に導いてくれる神様と言われていますが、旅の神様でもあるんですね。
    また、境界線を示す神様でもあり、神様の住む世界と人間の住む世界をわけていると言います。鳥居と性質は似ています。
    大人のトレーナーにしか思えないこと、それが本当に今の人生でよかったのか、今までの事はよかったのか、今は正しいのかという反省です。
    彼らにも突っ走ってポケモンに夢中だった時があったはず。でもその結果は本当によかったのか。正しかったのか。
    本当に正しいならなぜ今の位置にしたのか。

    ポケモンで最も神秘的な街だと思ってるルネシティ。音楽もホウエン地方の他の街と比べてジャズワルツになっています。グラードンカイオーガが目覚める祠もありますし、ルネの住民が全ての生命はおくりび山で終わり、目覚めの祠から出て行くというセリフ、そして飛ぶか潜るかしないと行けない地形などから、ルネシティは独自の自然信仰がありそうだなと思い、このような形にしました

    そしてなぜミクダイなのか。
    手にしたミクダイにとても感動し、こういう形で彼らが生活している基盤をかけないかとかきだしていたら自然とまとまりました。

    最後に。
    詳しい方はすぐ解ると思いますが、道祖神は男女の性交も司ってるんですよね。だけどダイゴはそうじゃない。だからどうしてこの道(ミクリが好きだという現状)に行かせたのかと恨みを抱き、どうにもならない心を必死で隠そうとします。


    (ミクリの対戦相手がカチヌキ一家の長男。彼もまたここまで後悔も振り返りもせず突っ走って来たんだろうなあ)


      [No.3027] 天衣無縫 投稿者:きとら   投稿日:2013/08/10(Sat) 22:54:46     62clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

     ーーでは、時間までごゆっくり!ーー
     ーーくれぐれも気をつけてくださいねーー

     職員から再三の注意を受けてようやく出発することができた。
     太陽の光がキラキラと反射する青い海。雪と呼ばれる白いものに覆われている山頂。外から見る地球はこんなにも美しかったんだ。

     ーー現地の人に接触してはなりませんーー

     現代は地球になんて誰も住んでない。月からじっと眺めるだけの、手の届かない存在。
     ある時、イッシュと呼ばれる地域でポケモンと人を切り離そうっていう運動があったらしい。
     それで切り離すことには成功したんだけれど、強大な力を持つポケモンを誰も制御できなくて、人類は本当隅に追いやられた。
     その煽動した人は反逆者と呼ばれて殺されたんだって。
     生き残った人たちは月に逃げた。数少ないパートナーとしてのポケモンを連れて。

     ーー現地のものに触ってもいけません。ポケモンもですーー

     やっと人間の文化が戻って来て、時間を越えられる道具も発明された。
     この時間を越える道具でポケモンと人を切り離す前に戻れればよかったんだけど、そうも行かないみたいね。
     なんでもこの歴史を変えようとしても第二、第三の扇動者が現れて結局は変わらないんだって。細かいところは変わっちゃうみたいだけどね。
     だからその最初の扇動者が誰だったのか、今じゃ誰も解らない状態。私が聞いた話と友達が聞いた話で違うなんて当たり前。
     でもその科学力を生かして時間を越えて接触しなければ個人的にどこでも行けるようになった。
     だから、あたしはここを選んだ。

     ーーとても古い年代のため、科学なんてものはなく突然攻撃される恐れもありますのでーー

     モンスターボールなんてなかった時代、コンクリートなんてなかった時代。
     電気なんてなかった時代。
     そんな時代をあたしは選んだ。
     時間を越える機械に身を包んで、サイボーグみたいに自由に飛べる。
     海を越え、山を越え、人里でポケモンと人間が仲良く暮らしているのを雲に隠れながら見た。
     こんなにいい時代があったんだ。なんであたしはこの時代に生まれて来なかったんだろう。

     ーー絶対に見つからないようにお願いしますーー

     腕についている時間を見た。この時代にいられる残りだ。
     一通り見飽きてしまった。まだたくさん時間はある。
     少しくらいなら大丈夫だろう。それに人が少ない砂浜がある。
     人が来ないのを確認してそっと降り立った。柔らかい砂の感触が足の裏に伝わる。
     あたしはそっと機械を脱いだ。
     体を伸ばすと、潮風が体に入って来る。穏やかな波にそっと足をつけた。とても冷たい。
     初めての海。テレビの中にしかなかった海。
     あたしはさらに進んだ。本当に冷たくて気持ちいい。
     全身に海を感じた。

     もうそろそろ時間だ。あれを着ていないと転送してもらえない。
     海から上がって機械のところに行くと、一人の男性がそれを持っていた。
     現地の人と話してはいけない。接触してはいけないことを忘れてあたしは詰め寄った。
    「返してください。それはあたしのです」
    「これが貴方のだという証拠はあるのですか?」
     身につけている翻訳機のおかげで言葉は通じるけれど、この男は返す気がないようだ。
     けれどもう時間だ。あれを返してもらわないとあたしは月に帰れない。
    「そこに月で作られたって書いてあるでしょう?」
     といってもこの男に文字が読めるわけがない。男はふしぎそうに覗き込むが疑わしそうな目で見ている。
    「……では月での舞を披露します。月では夫となる男性だけに見せるものです。それをつけないとできません。返してください」
     必死になって頭を下げたら、男はしぶしぶ渡して来た。すぐさま機械を装着すると、宙に浮かぶ。
     約束だもの。夫となる男性だけに見せるのは嘘だけど。
     あたしのキレイハナが踊る花びらの舞みたいなのを飛びながらやってみせた。花びらはないけれど、何度も真似していたから覚えてる。
     ピピピ、とアラームが鳴った。帰る時間がやってきた。



     ヨシノシティというところに、天から来た美しい女性の話がある。
     細かいところは少しずつ違うけれど、きっとあの男はあたしのことを天女だと思ったんだろう。
     

     月より来ぬ乙女、天へ帰りし
     天女の衣かけし吉野の夕浜



    ーーーーーーーーーーー
    鳥居に出そう出そう出そう出そうーーーーとして忘れました。
    モロ星新一まんまだから迷っていたのすら忘れてせっかくだし書き上げようってことになりました。


      [No.3026] 記事31ラムの木のお城プレゼン 投稿者:普通のリーフィア   投稿日:2013/08/10(Sat) 22:09:22     67clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    ここは記事部門もいいのでしょうか?記事部門31、ラムの木のお城です。

    読めば解る通り、世界ふしぎ発見の番組構成を真似て書いてみました。
    元になった世界ふしぎ発見は海外の歴史や教科書に出て来ない文化などを紹介してくれることが多く、かなり好きだからです。
    なのでリポーターの女性と、案内人の会話で進めました。

    元になった話はありません。
    ツタに覆われた古城を見て思いついたものです。
    名前も実際にある東欧の国の言葉を元にしました。
    イメージもその辺りの国ということになっています。

    なので、作中で話が展開していくスピードが少し遅かったかなと思います。
    最後に玉座でリーフィアと思われる植物に会ったのはもっと早くてよかったかも、とも。
    祭りのシーンはもう少し長くした方がよかったかなあとも思ってます。

    異国の埋もれた歴史と文化という、少し変わったところを狙ってかきました。


      [No.3025] あ、あまり深く考えていませんでした 投稿者:MAX   投稿日:2013/08/09(Fri) 10:12:18     63clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    瀬戸大将ですか、妖怪についてwikipediaで調べた際に付喪神の一覧で名前を見た、程度ですね。頭が土瓶のようになっている印象があったんですが違った様子……。
    言われてみれば確かに付喪神ですが、思い起こせばこれを書いているときに「付喪神」という単語は頭にまったく浮かばなかった……。
    ただ「エアームドの羽根が刃物に使われていた」という記述を逆転させて「使われていた刃物がエアームドの羽根になった」とばかり考えていました。それに平家の落人伝説をあわせて相成ったわけです。
    物騒と言えば割れ物の破片も皮膚を切る程度には鋭いですけどね!

    コメントありがとうございました。


      [No.3024] 絵師さん向けテンプレートの配布を開始しました 投稿者:No.017   投稿日:2013/08/09(Fri) 01:13:28     91clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
    タグ:フォルクローレ

    遅くなりました。
    鳥居トップページにフォルクローレ絵師さん向けのひな形をアップしました。
    横長の大きさになります。
    イラストはこの大きさ、350dpiで作成して下さい。
    CMYK形式に変更の上、提出下さい。
    変換出来ない、意味が分からない場合はこちらで行いますが、色味が変わる事があります。

    合同誌の経験がある方はわかると思いますが、
    やった事が無い場合は一度相談いただくのがいいと思います。

    またメインのイラストの他に簡単なカット等を依頼する事がございます。


      [No.2880] こうかんノート 投稿者:WK   投稿日:2013/02/14(Thu) 10:57:56     105clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
    タグ:ポケモン】 【今の子もやるのかねこういうの

     『こうかんノート』って、ご存知ですか?仲の良い友達同士で書いて交換しあう、秘密の日記帳のようなものです。
     書く内容は様々。昨日観たテレビの内容、最近あった出来事、遊ぶ約束。決して他の子には見せてはならない、内緒の話。
     今思えば大して秘密にしても意味がない内容ばかりでしたが、当時の私達はその甘美な響きに憧れ、お互いにノートを交換しあったものです。
     そう、決して他人に見せてはいけないような言葉たちも――。


     あれは七年前のことです。当時私は小学六年生。中学受験を控え、人間関係に揉まれ、ストレスフルな日々を送っていました。
     私の通っていた学校はカントーはマサラタウン寄りの場所にあり、全校生徒は約四十名。教職員の方々を入れても五十に満たない、小さな学校でした。
     私の学年は全部で十四名。その中の八名が女子で、私はその一人。
     皆、良い意味でも悪い意味でも子供という言葉をそのまま表したような子でした。特に女子は。

     事の始まりは小学五年の時。私はMちゃんと一緒にこうかんノートをしていました。彼女とは私が引っ越して来てから、ずっと仲良くしてきた友達でした。天然パーマがコンプレックスで、最近ストレートにしたばかりだったと思います。
     彼女とのノートは四年生の時から始まり、六、七冊目くらいにかかっていました。内容は前述した通り。たわいも無い話ばかりです。ですが、時々こんなことを書く時もありました。

    『○○うぜー てんこうしろ』
    『マジ寄らないで欲しいんだけど』

     言わずもがな、他人の悪口です。誰かと秘密を共有し合う、その『秘密』の中に、他人への嫌悪感も混ざっていました。あの子と嫌いな子が一致している。それだけで妙な高揚感に包まれたものです。
     その○○とは、クラスで嫌われていた男子でした。たった十四人の生徒の中にいじめが発生するのか、と疑問に思うかもしれませんが、子供は残酷です。無自覚ゆえ、他人を傷つけても平気でいられるのです。
     もしかしたら、あなたも経験があるかもしれませんが……。

     さて、風が変わったのは六年の後半からです。私と仲良くしていたMちゃんが、急に冷たくなりました。こうかんノートがあまり返って来なかったり、返ってきたと思ったら全然書いていなかったり。
     当時彼女はジャニーズにはまっていました。同じクラスの女子―― ここではYちゃんとしておきましょう―― といることが多くなり、私とはあまり一緒にいてくれなくなりました。
     私はジャニーズより、今流行っているポケモンやトレーナーに夢中でした。なので仕方がないことなのかもしれませんが、私達の間に大きな溝ができていきました。
     私はその二人に相手にしてもらいたくて必死でした。でも二人は私を除け者にしました。寂しくて、泣くことも数多くありました。
     そんな時でした。彼女が私の領域に入ってきたのは。

     彼女はTちゃんといいました。気が強く、ちょっとした言動で相手を傷つけ、泣かしてしまうことがありました。そのためかあまり周りの子とは馴染めず、特にこの時期は一人でいることが多かったように記憶しています。
     彼女は私に『こうかんノートをしよう』と持ちかけてきました。今の私の手にすっぽり収まってしまうような、ミニノートです。表紙は当時流行っていたキャラクターもの。ピンクの熊とも言えないような不思議な生き物が、天使の格好をしているイラストでした。
     私はそれに同意し、彼女とのやり取りが始まりました。Mちゃんに相手にされない悲しみを、ここで晴らせるならそれでもいいと思ったのです。
     イラストや遊ぶ約束など、一ページに沢山詰め込んでは向こうに渡しました。その間にもMちゃんとYちゃんは自分たちの世界で遊んでいました。班で給食を食べていたとき、彼女らは私に見せつけるように、

    『やっぱり○○はいいよねー』
    『ねー』

     今思えば子供ならではの安堵感を求めていたのでしょう。ですが当時の私は不快になるばかりでした。

    『班変えてくれないかな』

     Tちゃんがそっと耳打ちしてきました。それに同意してしまったのも無理はないと思います。まあ、彼女らの前で耳打ちするなんてあまり意味がないと思いますが。
     その時、私はふと彼女らの影に違和感を感じました。蛍光灯に照らされる彼女らの影は、普通は黒色です。
     しかし、気のせいでしょうか。その時見た影の色は、濃い藍色をしていたように思えました。おまけに何かがうぞうぞ蠢いているような……。
     不意に、影の中にある奇妙な色の汚れが目に入りました。少しでもMちゃんに良い印象を与えたかった私は、『ゴミが落ちてるよ』と言いながらそれを拾おうとしました。
     ですが。

    『ギャアッ!』
    『ひっ』

     不意に影が飛び出してきました。私はバランスを崩し、後ろにこけてしまいました。影はそのまま暖房が効いていない廊下の方へ走り去っていきました。
     先生が慌てて教卓から走ってきました。当時Mちゃんとの関係が上手くいっていないことを察していたのでしょう、その目には焦りの色が見てとれました。

    『大丈夫か』
    『は、はい』

     先生に助けてもらって立ち上がった私は、右手に何かぬるりとした物を感じて手を開きました。
     そこには血のような、体液のような液体が付着していたのです。
     私は廊下の方を見つめました。しかしもうそこには、何もありませんでした。


     それから時は過ぎ、三学期になりました。私は受験を終えて、かなり軽い気分を味わっていました。向こうも同じだったのでしょう。Mちゃんも受験組でしたが、見事に合格。ずっと止まっていた私達のこうかんノートも、スムーズとはいかなくても少しずつ回るようになっていました。
     当時『シンオウ地方』という場所がちょっとしたHOTワードになっていました。女性で初めてのチャンピオンが誕生したということで、マスコミでも大騒ぎになりました。私もその様子はテレビで観ましたが、素敵だと思いました。
     このことを誰かと分かち合いたいと思い、まず私はTちゃんとのノートに書きました。しかし彼女はポケモンにあまり興味を示さず、むしろ今度はいつ遊ぼうか、とか、○○ってマジ死ねばいいのに、などと私に同意を求めるような質問ばかりを書いてくるだけでした。
     一方Mちゃんはその時の気分で左右されるものの、その話に乗ってくれました。テレビで紹介されたこの地では見れないポケモンの話もしてくれ、また前と同じようなたわいも無い話ができるまでに関係は修復されていきました。
     受験から開放されたことを知った他の子達とも大分話すようになりました。放課後一緒に帰ったり、同じ受験組の子とはどんな問題が出たかを面白おかしく話しました。
     そんな様子を彼女が面白くないと思ったのは、ある意味当然かもしれません。

     受験が終わって二週間くらい経ったある日、私はTちゃんから久々にこうかんノートを渡されました。そういえば随分久々だな、この前はどんな話を書いてたんだったっけな、と思いながら軽い気持ちで私はページを開きました。そしてすぐ閉じました。
     私は彼女の横顔をそっと眺めました。気のせいか少し虚ろな顔をしています。目の下に隈ができ、髪は少し傷んでいるようでした。
     私は深呼吸してから、もう一度開きました。内容は変わりませんでした。

    『どうしていつもひとりで帰っちゃうの?いっしょに帰ろうって約束したじゃん。この前はRといっしょに帰ってたし。言ったじゃん前に。RはKのことウザいって言ってたんだよ?YもMもKのこといやだって言ってたんだよ?どうして分かってくれないの?
    Kのいちばんの友達は私だって言ってくれたじゃん』

     うろ覚えですが、こんな感じで延々と三ページくらいにわたって綴られていました。以前にもこんなことがありましたが、ここまでではありませんでした。
     最後の言葉は読んだ時に思い出しました。一回目の彼女の追求があまりにも激しくて嫌気が差したので、ご機嫌取りのつもりで書いたのです。
     私はこう書いて、彼女に渡しました。

    『世の中には知らなくていいこともある』

     確かこの前にもう少し書いた記憶もありますが、覚えていません。当たり前ですが彼女がそれで納得するはずもなく、渡してから二分くらいでこんな一文が返ってきました。

    『何?おこんないから、教えて』

     受験が終わったことで多少のトラブルは笑って対処できるだろう、という意味の分からない自信が私の中にありました。
     私はこう書いて、彼女に渡しました。

    『ごきげん取りだよ。Tちゃんがあまりにもしつこかったから』

     その後の彼女の顔を、私は知りません。


     私は五時間目に熱を出し保健室で寝ていたことで、放課後に目が覚めました。先生は職員室に行ってしまったようで、部屋には誰もいませんでした。私は薬臭くなったトレーナーを脱ぐと、一階にある教室へと鞄を取りに行きました。
     夕暮れの光が廊下へ伸びていて、既に四時半くらいであることが分かりました。何だか急に不安な気分になり、早く帰ろうと私は教室に入ろうとしました。
     ビクリとしました。Tちゃんが、私の机の前に立っているのです。何もせず、つっ立っているまま。

    『……Tちゃん?』

     Tちゃんがこちらを向きました。今度こそ、私の全身を悪寒が襲いました。足元からじわじわと這い上がってくるようです。
     彼女の目には光がありませんでした。なのに、なのに、彼女の影の中には――!

    『Tちゃん!』

     私は無我夢中で彼女の肩を揺さぶりました。彼女が糸の切れたマリオネットのように床に崩れ落ちました。
     私はふと彼女の右手を見ました。何か黒い物を掴んでいます。そっと指をほぐして取ると、それはあのノートでした。
     表紙を見て―― 私はぞっとしました。あの綺麗な青と可愛いキャラクターで彩られていた表紙は、黒いマーカーか何かで真っ黒に塗りたくられていたのです。

    『くすくす』
    『あはは』

     ハッとして私は後ろへ下がりました。未だに彼女の影の中には彼らがいました。そう、前にMちゃんの影に取り付いていた、彼らが。
     その中から一匹が私の持っていたノートに飛んできました。驚いてノートを取り落としたところへ、彼らは一斉に群がり、そのまま何かを食べるかのように首を動かしはじめました。

    『やめて!』

     彼らは一斉に上へと飛び上がりました。私はノートを持ったまま、閉じられていたカーテンを思い切り引っ張りました。
     夕方の太陽の光が、教室を照らしました。窓を開け、私は叫びました。

    『こんなもの!』

     私の手から放られたノートは、くるりと弧を描き、金網の外へ消えました。


     その後、私の叫ぶ声に驚いた先生達が教室へ来て、私は少しお咎めを受けました。本当のことは話しませんでした。おそらく話してもきっと信じてはもらえなかったでしょうから。
     Tちゃんはあの後、病院で軽い処置を受けた後目を覚ましました。私との一件のことは覚えていても、あの影にいた者たちのことは何一つ知りませんでした。
     それでもいくらかは収まったようで、少し大人しくなりました。

     あれから、七年の時が過ぎました。当時あれほどくっついていたMちゃんとYちゃんは、中学へ行った途端疎遠になり、今では連絡のれの字も取っていないそうです。反対に私とMちゃんは時々ですが連絡を取り合ったり、一緒に遊びに行ったりします。
     当のTちゃんは、高校に行った後に地元のハンバーガーショップでバイトを始めたようですが、今ではどうなっているかは分かりません。
     そして彼らは――

     一度ホウエン地方に遊びに行った時、彼らの正体を知ることができました。
     彼らは、カゲボウズ。人の恨みや妬みを餌とし、時には脅かして遊ぶこともある。
     何故ホウエンのポケモンがカントーにいたのかは、今でも分からないままです。誰かが持っていたのが野生化したのか、それとも勝手に何かに紛れて来てしまったのか。
     Tちゃんの念はどんな味がしたのでしょうか。あんなに群がっていたのだから、きっと彼らにとっては美味しいものだったのかもしれません。
     誰かが胸糞悪くなるような物でも、誰かにとっては素晴らしい物に感じる。彼らはその典型的な物かもしれません。

     そして最後に、あのこうかんノートについて。

     結局Mちゃんとのノートは十冊目に行かずに終わってしまいました。中学へ行っても、もう誰もやる人などいませんでした。
     私が投げ捨てたあのノート、卒業式の日に探してみましたが、不思議と何処にも見当たりませんでした。用務員さんに聞いてみても、あそこは掃除してもポイ捨ての瓶や缶ばかりで、ノートなんて見当たらなかったというのです。
     この前、久々にMちゃんとのこうかんノートを発掘しました。七代目くらいでしょうか。幼い字と絵に、遊ぶ約束。プリクラにシール。

     こんな物を楽しんでいたのかと、今でも私は不思議に思うのです。
     


      [No.2742] 朝霧 投稿者:No.017   投稿日:2012/11/22(Thu) 22:29:33     97clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
    タグ:クジラ博士のフィールドノート

     真っ白だ。
     頭が真っ白なわけではなく、視界が真っ白なのだ。
     航路が見えない。進む先が見えない。
     道の半ばで男は問う。自問する。

     私はどこに行く?
     どこに向かって走っている?


     出張でジョウト地方に行ったことは数え切れぬほどあったのだが、ホウエンは初めてだった。
     ホウエン地方キナギタウン、海に浮かぶ町。アクセスはカイナシティから船で南下、あるいはミナモシティから北上が一般的だ。
     どの民家も海上に浮かび、波でゆらゆらと揺れている。移動もまた海に浮かぶ筏(いかだ)のようなものを渡り歩く。歩くたびに少し海に沈むから、足がよく海水に浸かった。だからこの町ではビーチサンダルが必携だった。
    「お前さん、道に迷っているね」
     海に浮かぶ町の一角に木造、茅葺(かやぶき)屋根の家があり、そこに二人の男女の姿があった。よく言えば、風情があり、悪く言えばオンボロの建物――いや、浮かび物。いかにも近代化の波に取り残されたという風のその小さな家の中で、占い師の老婆が言った。
     視線の先には一人の男。白髪まじりの髪の男は洒落っ気の無い眼鏡をかけており、背はそこそこ高かった。男は不服そうな顔をして老婆をじっと見つめていた。
     お世辞にも美人とは言えないその老婆の後ろの窓からは、碧い碧い海が見えた。その先に続くのは131番水道。船の通り道、海の道だった。南下してミナモに近づく度に、水道は130、129と名前を変える。
     老婆は男に背を向けると、窓の外を見て、言った。
    「ふうむ、今日も見えないねぇ」
     何のことを言っているのかさっぱり分からなかった。
     いや、この町の人間、それにこの町そのものが男には理解できなかった。
     この町は特殊だ、と男は思う。
     船着場はれっきとした陸地である隣の島にあり、町に入るには、隣の島から筏を飛ぶようにして渡って来なければならない。しかも南国にありがちな台風で、よくそれらは流されるという。そのたびに性懲りも無く、町の人々は筏の道を渡し直すのだという。
     誠に不合理じゃないか、と男は思う。なぜそうまでして、その場所にこだわるのか。隣の島ではだめなのかと思う。けれど彼らは先祖代々この場所を守り続け、住み続けているのだった。尤も今はそういったもの珍しさもあり、その存在自体が、観光資源足りうるから単純に不合理とは言えない側面もあるのだが……。
     さらに、この男がこの風変わりな町に来たのは、言うなればたまたまだった。大学の学生が講堂に放置していた旅行会社のパンフレットを拾ったのだ。「南国を満喫! ホウエン四泊五日の旅!」というキャッチコピーであったと彼は記憶している。
     春休みが近かった。男の勤めるその場所はこの国の最高学府、優秀な学生達は非常に研究熱心だった――……とはいえ、相手はやはり大学生だ。しかも時間のある一、二年生。夏より長いその長期休暇を前にして大学生達は浮かれていたのだろう。
     普段なら見向きもせずゴミ箱に放り込まれたであろうそのパンフレットだったが、その表紙に載っていた写真が妙に男の心を捉えた。写真に写っていたのは今、男が立つこの場所、海に浮かぶ町、キナギタウンだった。
     後になって男は言う。気まぐれだったのだ、と。
     が、春休みに入り学生が減ったこともあって、時間をとるのは割合容易かった。研究室に残る学生や研究生達にしばらくの不在を告げ、教授職の男はホウエンへと旅立った。

     海に浮かぶ町キナギは、豊富な海産物に恵まれる海女の町であり、人気観光地でもあった。
     海産物の料理を食べ歩き、海女が案内するダイビングツアー等々にかまけるうちにすっかり日が沈み、男は宿舎に戻ることにした。
     町の先端には宿泊用の宿舎がいくつも浮いていて、そこは洋上ホテルとなっている。空を闇が包み星が瞬きだした頃、各々の宿舎に灯りが灯りだした。そのオレンジの灯が揺れる海に投影されてゆらゆらと揺れる。それはまさに幻想的という言葉がぴったりであり、非日常の演出であった。
     灯りに照らされた筏の道を男は渡っていく。両手には町の海女達が採った貝の、その串焼きやバター焼きをたっぷりと盛った皿を持っていた。落とさないように、慎重に一歩一歩渡っていく。男はやがて「321」と番号の書かれた宿舎へ入っていった。
    「あ、博士、お帰りなさい」
     ほのかに灯りの灯った宿舎に入ると、ルームメイトが待っていた。彼はベッドに横になり、するりと長い獣のポケモンと戯れていた。十歳に二、三を加えた年齢だろうか。白いシャツからよく焼けた小麦色の腕が伸びている。男の相部屋になったのはポケモントレーナーだと言う少年だった。名はヨウヘイと言うらしい。
     男はカタンと部屋の中心にあるテーブルに皿を置く。ヨウヘイとじゃれていた縦縞のポケモン、マッスグマが顔を上げ、ふんふんと鼻を鳴らした。
    「やらんぞ」
     男は素っ気無く言うと、貝の串にかぶりついた。
    「わ、わかってますよー」
     ヨウヘイはマッスグマを抱いたまま言った。
     男はもりもりと貝の料理を口に運んでいく。カントーで食べたそれより味が濃く、美味しかった。
    「昨日も食べてましたね、それ」
     ヨウヘイが笑う。うるさいな、と男はつぶやいた。
     やがて皿は空になって、貝殻と串だけが残された。殻だけになった貝殻は窓から捨ててしまった。貝を食べた後の殻は捨ててもいいということになっていたからだった。
     ちゃぽん、とぽんと小さな音を立てて、それは暗い海に沈んでいった。
    「貝を海に捨てるのって、シンオウの昔話みたいですよね」
     ヨウヘイが言う。
    「なんだそれは」
    「え、知らないんですか? カスタニさんって、本当にタマムシ大学の博士?」
     ヨウヘイは意外だという目を向けてきた。少年は言う。ポケモントレーナーになる前、まだ学校に通っていた頃に、国語の教科書に載っていたのを見たのだと。それは食べたポケモンの骨をきれいにきれいにして水の中に戻してやると、また肉体をつけて戻ってくる、というものだった。
     カスタニは言った。博士ってのは何でも知ってるわけじゃあない。専門以外はからっきしだったりするものさ、と。
    「残念ながらそっちの方面は専門じゃないからな。詳しくないんだ。携帯獣文学史のオリベ君あたりだったらわからんがな」
     男は言った。自分の専門はポケモンの医療だの、医療機器だの、栄養学だのそっちのほうの研究だと。だから伝説だの昔話の類には弱いのだと。
     この町に来て二日が経っていた。初日の夜にルームメイトの少年といろいろ話してしまったものだから、かなり素性がバレてしまった。こんなに饒舌になったのは久しぶりだ。旅先だからかもしれない、と男は思う。あるいは……
     あるいは誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。自分の人生のこと。何を思い生きてきたのか。その片鱗を聞いて欲しかったのかもしれなかった。旅先にいる、自分の地位や利害関係とは関係ない誰か。そういう人物を彼は求めていたのかもしれなかった。
     ――そうか。私が旅に出たいと思ったのはそういう理由だったのか。
     ふと天から降ってきた答えに男は頷いた。
     だから、男は――カスタニは、少年に徐々に話していった。自分の生い立ち、今日に至った過程、時にくわしく、時に端折りながら、話して聞かせていった。
    「私はね、孤児だったんだ」
     部屋の上で揺れるオレンジの灯を見ながら彼は言った。海に浮かび波に揺られる宿舎。テーブルを挟む形で、それぞれのベッドに横になる。カスタニの独白が始まった。

     思い出せる最初の記憶というのが親戚達の囁きあう声だった。
     どうするのよ。どうするって。誰が引き取るのよ。俺はいやだよ。私だって嫌よ。
     誰が何を言っていたのかなどの詳細はともかく思い出せないが、幼かったカスタニにも概要だけは伝わった。ようするに彼らが話しているのは自分に関してのことで、この人たちは自分をよく思っていないし、存在を望んではいない。邪魔者、厄介者だと思っていて、できることなら知らないふりをしたい。関心が無い。あの時はうまく言葉にして表現できなかったけれど、それはともかくそういうことだった。詳細は知らないのだが、自分の親だった人間は両方とも死んでしまったか、行方不明らしかった。
     気がついたらシオンタウンの養護施設に入れられていて、そこで生活していた。そこから学校に通うようになって、より多くの言葉を覚え、字が書けるようになった時、彼は明確にそういう表現が出来るようになった。
     別段いじめられたりした訳ではなかったけれど、なぜか孤独がつきまとっていた。
     自分は「普通の」彼らと違う。存在する場所が違う。まるで自分だけ別の次元に立っているように、クラスメイト達から見えない壁一つで隔てられている感覚をカスタニは覚えていた。
     誰にも言ったりはしなかったけれど、少年は何度も同じ事を思った。
     施設には様々な事情で身を寄せている子ども達がいたけれど、皆多かれ少なかれ同じ思いを抱えていたのではないだろうか。
     カスタニは今、海に浮かぶベッドに横になり、その時をこう表現する。
     いつもいつも同じ事を思っていた。
    「俺達は顧(かえり)みられない存在だ。世間ってやつは俺達を世界の隅っこに隔離して、見ないことに決めているらしい」
     施設の寮生活は様々な制約がついていた。毎日何時には帰寮しないといけないと決まっており、十歳になっても自らのポケモンを持つことは許されなかった。学校の学年が上がっていくにしたがって少しずつそれは緩和されていったが、やはり「普通の」子ども達に比べると制約がつきまとっていたように思う。
    「だから羨ましかったよ。同級生でポケモン何匹も飼ってる奴らがさ」
     今となっては逆によかったと思う部分もないではない。ようするにカスタニには飢えがあった。自由やポケモンへの飢えというものが。それは爆発的エネルギー足り得るものだった。
     そうして、もう一つ……
    「そういえば博士、ミチルさんのところには行ったの?」
     話が遮られた。
     思い出したかのようにヨウヘイが聞いてきた。
    「ミチル……ああ、あの町の隅っこに住んでいる婆さんか」
    「うん」
    「行ったとも。お前がうるさく会ってみろって言うから仕方なくな。まぁ適当なことしか言われなかったよ。お前さん道に迷ってるどうこうってさ。占い師なんてそんなもんだ。当たり障りの無いことしか言わん。ああいう人種は好かん」
    「博士にはぴったりだと思ったんだけどなぁ」
    「とんだ時間の無駄だった」
    「でも凄腕らしいよ? 海の神様の『声』が聞こえるんだって。なんとかって会社の社長さんとか、どっかの地方のジムリーダーとかこっそり彼女のアドバイス聞きにくるらしいよ。だから俺、えらい人も迷うんだなーって思ってさ」
    「あんな窓の外ばかり見てる婆さんのどこがいいんだか」
     カスタニは蒸し暑い昼の暗い部屋を思い出し、言った。
    「ああ、あれはね、探してるんだよ」
    「何をだ?」
    「何だと思う?」
     カスタニが尋ねると、ヨウヘイはじらすようにそう返した。
    「わからないから聞いてるんじゃないか。しかし婆さんのことだからな、若かりし頃に海の向こうへ旅立ったまま帰らない恋人の船とかそんなもんだろう」
    「ハズレ」
    「なんだ。つまらん」
     カスタニは残念そうに言った。婆さんが水平線の向こうに探すものときたら絶対そんなもんだと相場が決まっているのに。
    「だいたいミチルさんには息子さんがいるし」
    「お前、旅行客のくせにずいぶん詳しいんだな」
    「何度も来てますから。ここは第二の故郷みたいなもんです。なんか、知らない土地ではない気がするんですよね。来やすいっていうか」
    「……来やすいか? 海のど真ん中だぞ?」
    「だってベクトルがいますもん。こう見えてもね、ベクトルは泳ぎが得意なんですよ」
     ヨウヘイは寝息を立てるマッスグマ、ベクトルの長い体を撫でた。背中を走る茶色は額まで伸び、先端で矢印のような模様になっている。まるで行き先を示すように。
     少年は言った。ベクトルの得意技は波乗りだ。この大きな長い体にまたがって俺は海を渡ることが出来るのだ、と。
    「今回キナギに寄ったのはここで捕まえたいポケモンがいるからなんです。ベクトルもがんばってるんだけど、なかなかうまくいかなくて……ああ、話がそれましたね。何を探してるかはミチルさんに聞いてみるといいですよ」
     続けざまにヨウヘイは言った。
    「また行くのか」
    「暇なんでしょ?」
    「……私は暇などではない」
     カスタニはそのように反論したが、自分の普段の多忙さをいくらこの少年に説明しても無駄だと思い、それ以上弁解するようなことはしなかった。
     いい時間だったので、灯りを消した。穏やかな波がいい具合に彼らのベッドを揺らして、やがて二人は共に眠りに落ちていった。


     ……。

     カスタニ君、カスタニ君。
     どこからか懐かしい声が聞こえた。
     気がつくと、若き日のカスタニはどことも知れない場所に立っていた。
     周りは白い。その白い場所、白い大地にカスタニは一人で立っており、ここがどこなのかもわからない。ただ声だけが聞こえた。
     けれど声は聞こえど、姿が見えなかった。

     少し、寒いな。
     そう思ってカスタニが目を覚ますと海の宿舎の窓からは、ぼんやりとした朝日が差し込んでいた。
     体を起こし、隣を見ると少年、そして少年に抱きつかれたマッスグマはまだ寝息を立てていた。カスタニはビーチサンダルの紐に足の指を通すと、ドアを開き、宿舎を出る。
     ドアの向こうに広がった光景を見て、カスタニは驚いた。
     眼前には夢で見たのに似た白い光景が広がっていた。
    「霧か」
     と、カスタニは呟いた。白い霧が発生して海を覆っていた。海に浮かぶたくさんの宿舎群。少し離れた場所にある宿舎はそのシルエットだけが見え、カスタニの立つ位置から遠くになるにつれ、だんだんと白に飲まれ、ぼやけていく。
     そして風景には色が無かった。その世界からは光の三原色が消え失せてしまい、まるで水墨画のようであった。
     どおりで寒いわけだと彼は思う。霧は水蒸気が冷やされて発生する。ようするに成り立ちは雲と同じものだった。その違いは地に接しているかいないかの定義の違いでしかない。
    「これじゃあ、水平線は見えないだろうな」
     昨日、窓の外を見ていた老婆を思い出し、カスタニはそう呟いた。
     すっかり目が覚めてしまい、二度寝をする気も起きなかったので、昨日の夕食の皿を持ち、宿舎を出た。とにかく視界が悪いので、方向と足元を確認しながら、慎重に進んでいった。
     まだ人のいない食堂の窓口に皿を返却する。腕時計を見ればまだ短針が「5」を指していた。
     二十代、三十代だった昔と比べるとずいぶん早起きになったものだとカスタニは思う。歳のせいかもしれない。二月ほど前に五十の誕生日を迎えた彼は、日の出と共に起き出し、日の入りと共に眠るという人間本来のサイクルに身体が戻りつつあった。灯りというものが開発されて人間の活動時間は変わってしまったが、本来人はそのように出来ているのだ。
     にわかにどこかでシュゴッという奇妙な音が聞こえた。
    「む?」
     と、彼は声を上げた。ポケモンだろうか、と。あたりを見回すが、何せ霧に包まれているからわからない。たぷんという音と共に何かが潜ったような気もしたが、ちゃぷんちゃぷんと波が建物や筏に当たる音とあまり区別がつかなかった。気のせいかもしれない。
     人々が起き出してくるにはまだ時間がありそうだった。カスタニは周囲を散策してみることにした。
     食堂の浮いている大きな筏には案内板が取り付けられていたが、あえてそれは見なかった。
     まだまだ霧は濃い。くれぐれも道を踏み誤って海に落ちないよう、カスタニは足元を確認しながら歩いた。何度かの分岐を選択し、ビーチサンダルと足先を海水で濡らしながら進んでいく。朝の海水は冷たかった。
     そうしてしばらく歩くうちに、霧の向こうから小さな陸地が現れた。海に浮く筏が島に繋がっている。
     おや、船着きの隣島に来てしまったのだろうか。
     一瞬カスタニはそう思ったが、どうも違うようだった。うまく説明できないのだが、なんとなく雰囲気が違う。霧のせいも手伝ってか、島を包む空気は独特なものだった。
     カスタニは上陸を果たす。島の土を踏み、その中へ入っていった。霧の中で大きな葉のクワズイモやトゲの葉を持つアダン、南国の植物が生い茂っていた。
     しばらく歩くと死んだ珊瑚を積み上げた石垣にぶち当たった。カスタニはそれに沿って歩いていく。数十歩ほど歩いただろうかところで石垣が途切れた。カスタニは頭上を見る。まるで招き入れるかのように途切れた場所に鳥居が立っていた。粗末な木の板が石垣にもたれかかっていて、「喜凪神社」と書かれていた。鳥居を潜ってカスタニは進んでいく。
     粗末な神社がそこにはあった。拝殿の前まで近寄ってみる。もうずっと手が入っていないのだろうか、平戸が斜めに傾いて、今にも崩れそうだった。
     突如、頭上でがらがらと鈴が鳴って、カスタニは驚いた。見るといつの間にかカスタニの横で小さな男の子が縄を揺らし、鈴を鳴らしているところだった。男の子は、ぱんぱんとかしわ手を二度叩くと、礼をした。頭を上げた男の子の顔を見て、カスタニはまた驚いた。
    「ヨウヘイ?」
     と、カスタニは思わず声を上げた。年齢や身長はあきらかに小さいのだが、男の子の顔はヨウヘイにそっくりだった。無論、男の子は怪訝な表情を浮かべた。
    「ヨーヘイ? わいは岬(みさき)丸(まる)さかい」
     今度はカスタニが怪訝な表情を浮かべる番だった。「丸」とはずいぶんと古風な名前である。
    「おっさん、見かけない顔やなあ。なんや着てる服もけったいやし」
    「観光客なんでね」
     カスタニは答えた。それにしても早起きの子どもがいたものである。それにしたって変な子だと彼は思った。早起きなのはもちろんだが、来ている服も麻と思われる布で出来た粗末なもので昔風だし、履いているのも草鞋(わらじ)だった。
    「カンコウキャクっつーのはなんだ」 
    「旅をする暇な人種のことだ」
     服装のことには言及せず、カスタニは答えた。
    「なんじゃい。おまんも本土の商人(あきんど)かなにかか」
     岬丸はまるで敵を見るように睨み付けてきた。
    「いや、旅の途中だよ。ここで商おうとは考えておらん」
    「ふん、どうだか」
     岬丸は尚も怪しいやつと言った風な目を向けてきたが、少しばかり気を許したようにも見えた。
    「おめー、名は?」
    「カスタニだ」
    「ふん、やはり本土もんはけったいな名じゃ」
     名前を聞いて、岬丸はそう言った。
    「ところでお前、何を願ってたんだ」
     今度は逆にカスタニが問うた。こんな朝霧の出る早朝に神社に詣でるのだから、相当な願いがあったのではないかと考えたからだ。こんな時間に神社周辺をふらつくものがあるとしたら自分か神職あるいは巫女くらいのものであろうとカスタニは考えた。
    「喜凪が元に戻るように」
     岬丸はそう答えた。
    「元に戻る?」
    「でも今日は違う」
    「じゃあ、今日はなんだ」
    「宝(たから)丸(まる)のおっかあが無事に天に行けるように」
    「タカラマル?」
    「わしの友達じゃ。この前、あいつのおっかあが死んでしまっての」
    「死んで……」
     カスタニは反芻(はんすう)した。その言葉に思い出すものがあった。
    「島はここんとこおかしいんじゃあ。誰か死んでも弔おうとせんし、宝丸のおっかあも放っておいてばかりじゃ。ちゃんと弔ってやるんが決まりじゃったのに。だからわし、祈りに来てたねん。タカラマルのおっかあさ、天ばいけるようにとな」
    「そうか」
     とカスタニは答えた。
    「皆わいのことを頭おかしいと言うねん。けんど、おかしいのはあいつらじゃあ。いっつもいっつも潜りの海女まで連れ出して船ば出しおって、昔はあんなんじゃなかったのに……みんな油でおかしゅうなってしもたんじゃ。なぁカスタニ、おまんはどう思う? 死者ば弔うんはおかしいと思うか」
    「いや」
     と、カスタニは答えた。
    「死者を弔うというのは、死んだ者はもちろん、残された者にとってこそ必要だと、私はそう思うよ。少し前、旧い知り合いが死んでね……葬式があった。その時になんとなく分かったんだ。お別れは残された者にとってこそ必要だ……とね。だからお前のいう皆という者達がおかしくなってしまったとすれば、弔いをやらなかった所為かもしれん」
    「そうだよ。そうだよな? 俺は間違っていないよな?」
     確認するように岬丸は訪ねた。
    「ああ、そうとも。お前の信じた道を行くといい」
     カスタニが言う。
    「ありがとうカスタニ。何だか元気ば出たわ」
     岬丸の顔がぱあっと明るくなった。
    「そんなら俺、戻るばよって」
    「ああ」
     岬丸は手を振ると、駆け出した。そうして霧の向こうに消えていった。
    「変な子だったな」
     と、カスタニは呟いた。

     カスタニは島を出る。筏の道をしばらく歩いているとその間に少しだが霧が晴れてきた。時計の針が「6」を指して、日の光もだいぶ明るく、暖かくなったのがわかった。
     またシュゴッという謎の音が聞こえた。音の方向に振り返る。たぷんと海の中に何かが沈んだのがわかった。やはりその正体までは掴めなかったものの、ポケモンだな、とカスタニは確信した。
     歩くたびに筏が沈む。カスタニは進んでいく。見覚えのある建物――浮かび物が目に入った。粗末な戸が開く。老婆が出てきたのがわかった。
     なんだ、あの占いの婆さんじゃないか。そうカスタニが気がついたのとほぼ同時に老婆――ミチルもカスタニに気がついたようだった。
    「なんじゃ。ずいぶん早いなぁ。お前さんが来ることはわかっていたが」
     とミチルは言った。
    「寒くてね、目が覚めてしまったんです」
     カスタニが答える。
    「ずいぶん霧が出ていたようだね」
    「ええ、ずいぶん出ていました。今はだいぶ晴れたけれど五時ごろはかなり濃くて」
    「うむ。お陰で海が見えんでな、難儀しておったところだがようやく見えそうだよ」
     ううむ、と唸って水平線を老婆は望む。海の向こうに目を凝らした。そうして、
    「だが今日も期待できそうにないねぇ」
     と、言った。
    「何を見ているんですか」
     カスタニが尋ねる。昨日から疑問だったことだ。それにヨウヘイが言っていた。直接聞いてみたらいい、と。
    「島だよ」
     と、ミチルは答えた。
    「島?」
    「そう、島だ。我々キナギの人間は幻(まぼろし)島(じま)と呼んでいる」
    「まぼろしじま、ですか」
     ああ、そうだよ。とミチルは答えた。
    「めったに見えない島でね。だから幻島と言うんだ。この方角で海を見ると見えることがあるらしい。らしいというのは私は見たことが無いからだ。私の父や祖母は二、三度見たらしいのだが、私自身はからっきしでね。見た者が出たという時に限って、出払っていたり、海が見れない時だったり、そんなんばっかさ。どうやら『声』が聞ける分だけ、そう天分には恵まれていないらしい。死ぬまでに一度くらいは見たいんだがね」
     おしゃべりだな、とカスタニは思った。少し聞いただけでこうもべらべらとしゃべるのは女というものの特性かもしれない、と。が、直後に考えを改めた。それを言うのなら昨晩の夜自分だって頼まれもしないのに語ったではないかと思い出したからだった。人にはある。話を聞いてほしい時、タイミングというものがある。
    「あんた、どうして私達が海の上に住んでいるか知っているかい?」
     と、ミチルが言った。
    「いいえ」と、カスタニは答える。
    「遠い昔ね。ここにはちゃんと陸地があったんだよ」
     ミチルは語り聞かせるように言った。
    「キナギに伝わる昔話さ。遠い昔ここには陸地があって、漁をしながら私達のご先祖様は暮らしていたというね」
    「じゃあ、なぜ陸地は無くなったのですか」
    「海の神様との約束を破ったから、さ」
    「約束?」
    「そう、約束。玉(たま)宝(だから)には絶対に手を出さない。それがキナギの漁民が海の神様に誓った約束だった。だが、約束は反故にされた。怒った海の神様はキナギの陸地を取り上げてしまったんだ」
    「ああ、いかにも昔話ですね」
     カスタニは感想を述べる。玉宝、というのがわからなかったが、欲深い漁民の誰かが海の神様の宝物に手を出したということなのだろう。
    「話はもう少し続く。その陸地ってのはね、泳いでいなくなってしまったと言うんだ」
    「泳いで?」
    「そう。鰭(ひれ)と尾をつけてな。はるか沖合いへ泳いでいなくなってしまった。まるで海のポケモンみたいにな。だけど時々かつて自分のいた場所をそっと見に来ることがあるらしい。だからごく稀にここから海を見るとその島が見えることがあるそうなんだ。だからそれを幻島って言うのさ」
     老婆はそう語りながら再び海を見た。そして、やはり見えないと呟いた。
     正直、荒唐無稽(こうとうむけい)だとカスタニは思う。いや昔話の類にリアリティを求めても仕方ないのだが。
     しかし、なんとなくわかった気がした。キナギの人々が海に住処を浮かべている理由が。ここは彼らの土地なのだ。たとえ、陸地が失われたとしてもここは彼らの土地であるのだ。傍から見れば滑稽かもしれない。けれどキナギの人々はこの洋上こそが自分達の土地だと考えているのだ。
     海の向こうに旅立った恋人を探している――。海を見る老婆に対し、昨晩カスタニはそう発言し、そしてハズレだと言われた。が、それは中(あた)らずとも雖(いえど)も遠からずだったのではないだろうか。
     彼らは期待しているのかもしれない。いつの日か泳ぎ去った陸地が戻ってくると。そうでなくても島が見にきたときに場所がわかるように、と。そう考えているのではないだろうか。
     それは海の向こうに旅立ってしまった恋人を待つ女、それと似てはいないだろうか。
     懸命に水平線を見つめる老婆を見て、彼はそんなことを思ったのだった。


     ジリリ、ジリリ、と黒電話が鳴る。
     男に報らせが届いたのはチョコレートの季節を過ぎた頃だった。あの講師や教授はいくつ貰っただの、あれは義理だ本命だなどという話題が下火になってきたころだ。
     カントー地方、タマムシ大学。
     この国における最高学府と言われるその大学に教授として籍を置くその男宛てに珍しい人物から電話が入ったのはそんな頃だ。電話の主は懐かしい苗字を名乗った。男にとってはもう三十年ほど聞かぬ名だったが、たしかに聞き覚えのある名前だった。
    「おお、カスタニ? カスタニか?」
     受話器を取ると聞こえてきたのは、懐かしい声、声質そのものはどっしりとしているのに落ち着きの無いしゃべり方は昔のままで、ああ間違いないと彼は思った。
    「おう俺だ。久しぶりだな」
     かつての「同郷」にカスタニは挨拶をする。
    「よかった。お前、忙しいってウワサで聞いてたからよ。電話通じないんじゃないかって心配したんだ。受付のおねーちゃんにもかなり怪しまれたしな」
    「で、なんだ。三十年ぶりにかけてくるくらいだからよほど重要な話なんだろ?」
     カスタニは問う。彼はいつだって結論を急ぐ男だった。論文は結論から書け。日ごろ面倒を見ている学生達にカスタニがしつこく教えてきたことだ。
    「ああ、それがよ」
     と、電話越しの声が曇る。
    「一体なんだ」
     急かすようにカスタニは言った。
    「おう、あのな、落ち着いて聞けよ。ミヨコさんが亡くなったそうだ」
    「…………ミヨコさんが?」
     少しの沈黙の後、彼は確認した。
    「ああ。なんでも一年前くらいから入退院繰り返してたらしいんだがな、今朝自宅で亡くなったんだと。喪主は息子さんで、通夜の場所はシオンさくらホール」
    「施設の隣のあそこか」
    「そう。あそこ。まあ昔はボロっちかったがな。今は改装されててきれいなもんだぜ」
    「通夜の日時は?」
    「明日夜だ」
    「……そうか」
     カスタニは少しばかり思案する様子を見せたが、やがて結論を伝えた。
    「すまない。せっかく教えてもらったのに。俺は行けないよ」
    「仕事か?」
    「ああ、はずせない仕事がある。ジョウトに出張なんだ。二日掛かりでな」
    「なんとかならないのか。だってお前……」
    「残念だが」
    「そうか……」
    「本当にすまない。電報を打とう。香典と花を届ける。ご遺族と同期にはよろしく伝えてくれ。ああ、それと」
    「それと?」
    「伝えてくれて感謝している」
     カスタニはその後、二、三の挨拶をして受話器を置いた。
     本当にいいのか、と彼は聞いた。いいんだ、もういいんだと答えた気がする。
    「だってお前、ミヨコさんのこと……」
    「いいんだ。昔のことだよ」
     結局、カスタニは出張を選んだ。それは仕事優先の精神だったのか。あるいは意地だったのか。
     今になって思う。あの時、仕事を反故にしても駆けつけるべきだったのだろうか、と。
     しかし彼女とは高校を出て以来会っていなかった。今更と言えば今更だ。
     けれど、霧の朝、彼は言った。お別れは残された者にこそ必要だ、と。それこそが答えだったのではないか。
     結論は、出ない。


    「あの婆さんに会ってきた」
     夜になって宿舎に戻り、カスタニはヨウヘイにそう報告した。
     テーブルには昨日と同じ貝料理を置いている。
    「なんて言ってた?」
    「キナギの漁民は約束を破って、島に逃げられたんだと。玉宝とかいうものに手を出して」
     カスタニは答える。
    「おもしろいよね、その話」
    「おもしろい? そういう類の話は嫌いだね。昔の人間ならともかく、今もその話にキナギ民が囚われているとしたら少し違うとは思わないか」
    「そうかなぁ。俺はロマンがあっていいと思うけどなぁ。俺も見てみたいな、幻島」
    「ふん、バカらしい」
     カスタニは吐き捨てるように言った。
    「そういえば、今日の朝は霧が出てたんだってね」
     思い出したようにヨウヘイは聞いた。
    「ああ、そりゃあ、もくもくと出てたぞ。雲みたいにな」
    「俺も見たかったなぁ」
    「いつまでも寝ているからだ」
     まったく、最近のガキはとでも言いたげにカスタニは返した。
     今朝のことを思い出す。ヨウヘイはマッスグマを抱き枕にして眠りこけていた。あれなら寒くて目が覚めるということもないかもしれない。寄り添う者がいるということは幸せなことであると思う。
     カスタニは貝を一口、口に運ぶ。バターの風味が口に広がった。
    「ねえ博士、昨日の続き話してよ」
     ヨウヘイがせがんだ。
     貝を咀嚼して飲み込む。殻を海に還した後に、今夜もカスタニの独白が始まった。

     できるだけ早く、ここを出よう。
     高校に入った直後だった。若き日のカスタニはそう決心した。どちらにしろ、高校まで出たらそうなる決まりではあったが、出来るだけ早いほうがいいと思った。
     ここには庇護はあるが、自由が無い。自由を手にするためにはさっさと独立したほうがいい。ここにいる限り、世界の隅っこに取り残されたまま、無視され続けることになるのだと。
     幸い高校まで上がったなら門限はずいぶんと緩和される。カスタニはいくつものバイトを掛け持ちした。そうして学年が一つあがるころになって目処がつき、彼は退寮した。
     今までお世話になりました。自分はここを出て行きます。そのように言って。
     カスタニは決めていた。次のステップを。奨学金をとって、大学へ行く。できればそう、学費が安くかつ一番いいところがいい。
    「今となってはずいぶん無理したと思う。まぁ若かったから出来たことだな」
     カスタニは語った。
    「博士はどうしてそう決心したんだろう」
    「そう決心した理由は、主に二つある」
     一つ目は、昨日話した理由からだった。
     カスタニを含む施設の子ども達は世間から隔絶された存在だったから。いや、正確にはカスタニ自身がずっと省みられない存在だったからだろう。だから見返してやりたいという気持ちがあったのだろうと彼は語った。
     それは自分を引き取ろうとしなかった親戚達、空気のように扱ったクラスメート達へのあてつけ、反発のようなものだった。もう会う機会などなかったろうが、後悔させてやりたいという気持ちがあった。あの時はもったいないことをした。逃した魚は大きかった、と。
    「だがもう一つあった。どちらかといえばこちらが大きい」
    「どういう理由?」
    「単純な話だよ。高校に入って、好きな人が出来たんだ」
     するとベッドからヨウヘイが身を乗り出した。
    「おお! 青春!」
    「うるさいな」
     と、カスタニは牽制する。昔のことだよ、と強調した。
     まったく、人っていうのはどうして恋のことになると急に関心の度合いが上がるのか。
     だが、話をはじめてしまった以上ここでやめるというわけにもいかなかった。
    「名前をミヨコと言った。美人かといえば中の少し上くらいだったが、やさしい子でな。誰とも分け隔てなく接するというのか、とにかくことあるごとに声をかけてくれたよ。いや、別に私だけじゃなかったんだけどな」
     いわゆる「普通の」人々に距離感を感じていたカスタニだったが、それで距離が縮まった気がした。なんとなく、だが。
     自分を隅に隔離し、無視していた世界で、彼女は声をかけてくれた。
     たとえば、学校の前で会った時、朝の教室で会った時。
    「おはよう、カスタニ君」
     と、彼女は言った。名前までつけて。
     カスタニは世界が開けた気がした。急に朝日が差したように明るくなって、世界に受け入れられたような気がした。
    「だからな。彼女と対等になりたかったのさ。世界の片隅に庇護されている私ではなく、この世界の一員としての私として彼女に接したいと、そう思ったんだ」
    「彼女に告白するために?」
     ニヤニヤしながらヨウヘイは聞いてくる。
    「いちいちうるさい奴だな! ……まぁでも、そんなところだと思ってもらっていい」
     それでカスタニは努力した。なるべくお金を稼ぎ、早く寮を出る。そうして彼女に向き合おうと。あの頃は食べ盛りだったのに、ランチはモーモーミルクの小瓶一本とメロンパン一つだけだった。その大事なメロンパンをピジョンに盗られ、子のポッポ達に食われてしまってからというもの、ポッポが大嫌いになったとも話した。
    「それですっかり奴らが嫌いになった私だったが、ポケモンが稼げると知ったのもこの頃だ」
    「稼げる?」
    「バイト先で困ってるのがいてな」
     と、カスタニは続けた。
     ウインディを飼っている叔母が、腰を悪くしてしばらく入院することになった。その間に運動不足になるといけないからボールから出して散歩するように依頼された。が、頼まれた本人は犬型ポケモン恐怖症だった。だから、バカでかいウインディなどとてもだめだと言って泣きついてきたのだという。
    「そこで私が散歩、世話全般を引き受けることにしたのさ」
     幸いその家には数々の飼育書が用意されていたからやりかたは分かった。当初は言うことを聞かなかった巨大な赤犬だったが、カスタニもだんだんと扱い方に慣れてきて、退院してきた依頼主からはお行儀がよくなったと褒められたくらいだった。
    「報酬を受け取って、後でこっそり開いた時には驚いたね」
     と、カスタニは語った。それでバイトをそういった方面に切り替えた。依頼主の紹介もあって、いい具合に稼げるようになった。当時はポケモン関係の法整備や支援システムも遅れていたから、そういう穴場でそれなりに稼ぐことが出来たのだ。
     もちろん勉学において手を抜くわけにもいかなかった。仕事の合間合間を縫ってカスタニは必死に勉強した。全国テストで優秀な成績をとれば、奨学金が手に入る。カスタニにはそのお金が必要だった。
     問題は大学に入ったとして、どの分野を選考するかだったが、ポケモン関係だろうとはおぼろげに思っていた。
     そうして彼の進路を決定的にする事件は起きた。
     いや、事件といっても人が死んだり、怪我をしたりしたわけではない。けれどカスタニにとってそれは事件だった。
     ある日、偶然に学食で一緒になったミヨコが言った。
     ひさびさに恋人が帰ってくる。長いトレーナーの旅から帰ってくる、と。
    「うわぁ、撃沈」
    「うるさいな」
     カスタニは悪態をついた。
     チャンスだ。想いを伝えるために待ち合わせの約束を指定してしまおう。そう考えていたカスタニは見事に撃沈した。
     できることならば今すぐにでもトレーナーになってそいつを打ち負かしてやりたかった。が、カスタニはポケモンを持っていない。施設で育ったカスタニはポケモンを持つことが許されず、トレーナーになる為のことは何もしていない。それにもう自分は適齢期を過ぎている、そう思った。絶対ではないにしろ、小さい頃からやっていたほうがトレーナーの才能は開花しやすい。それは統計的な事実であった。
    「そうなんだ。よかったね」
     顔は笑っていたカスタニだったが、腸(はらわた)が煮えくり返っていた。
     その男の素性も何も知らなかったが、対抗意識がめらめらと湧いた。
     トレーナーと言うからにはポケモンバトルの頂点を目指すのが宿命だ。ならば自分は違うポケモン分野から、頂点を目指してやる。決してお前なんかには負けない、と。彼はその時そう決心したのだ。
     ああ、やっと対等になれたと思ったのに。
     この女性(ひと)にとっても、自分はなんでもなかったんだ。
     まだだ。足りないんだ。対等になるだけじゃだめなんだ。
    「そのときに、見返したい奴らのその中にミヨコが加わったんだ」
     カスタニは語った。
     その後カスタニは勉強を重ね、この国の最高学府、タマムシ大学の難関区分に合格した。理系で最も難しいといわれる、医者なども目指せる区分だ。カスタニは迷わずポケモン――携帯獣を学べるコースを選択した。成績はすこぶる優秀だった。そして彼は着実に成果を上げ、教授職にまでのし上がることになる。
     まるで、かつて自分を捨てた彼らに見せつけるかのようにカスタニは結果を出していった。
     高校時代のアルバイトからカスタニが学んだ通り、この時期に爆発的な躍進を遂げた携帯獣研究は成果を出せば儲かった。さらには国の支援制度がそれを後押しした。特に医療分野がその筆頭だった。
     カスタニは若き研究者達にアイディアを与えてやり、共同研究という形で面倒を見てやった。そのリターンは後々になって何倍、何十倍にもなって返ってきた。
     様々なプロジェクトを同時進行し、ポケモンに関する技術において数々の特許を取った彼には多額の金が流れ込み、同時にそれは学科を潤すことにも繋がった。今や携帯獣学で名を知らぬものはいまい。挙げた成果からも、影響力からしても、次期学部長の座が確実視されるまでに至った。
    「そんな私に電話が入ったのはつい一月ほど前だった」
     カスタニは語りの速さとトーンを落として言った。
    「施設の同期が教えてくれた。ミヨコが病死したと」
     カスタニは静かに続ける。
    「……私は葬儀に出席しなかった。ジョウトに出張があって行くことができなかった。電報を打って花と香典は送ったがな」
     カスタニはごろりと、向きを変え、ヨウヘイに背を向けた。
    「その時から何か分からなくなってしまった。私はどこを目指して、どこを向いて生きてきたのか」
     葬儀に出なかったからなのか、彼女が死んだからなのかは分からなかった。だがそれ以来、妙に生きた心地がしないというのがカスタニの感じるところであった。張り合いがないとでもいうのか。ホウエンの長期旅行なんて気まぐれを起こしたのもそういう為だろうと彼は思う。
     だが、言葉にすることでカスタニの中で散らかっていた何かが少し片付いた気がした。通路に落ちた紙くずを拾い、床から積み上がった蔵書を本棚に戻す。そうやって、人が一人通れる通路を確保した程度には。
     ――お前さん、道に迷っているね。
     今ならばミチルの言っていた事が受け入れられる気がした。
    「辛気臭い話をしてしまったな」
     と、カスタニは言った。返事は無かった。
     目を閉じる。ヨウヘイが返事に困っているのか、あるいは眠りについてしまったのかにはあまり興味が無かった。ただ、吐き出したことで少しだけ肩の荷が降りたような気がした。


     一夜が過ぎ、次の日も寒さで目が覚めた。
     テーブルを挟んだ反対のベッドを見ると、やはりヨウヘイはマッスグマを抱き枕にして眠っていた。昨日と違ったのはマッスグマの頭が入り口に向いていたことか。額の矢印がこっちだとでも言うようにドアの方向を指していた。ドアを開く。寒さの為か今日も霧が立ち込めていた。
     今日は一段と濃いな、あたりを見回しながらカスタニは思う。
     カスタニは昨日と同じように筏を渡り、食堂に皿を返却した。時計を見る。昨日と同じで短針が「5」を指している。ふうむ、どうするか。またあの神社にでも行ってみるか。そう思ってカスタニは霧中に身を投じた。
     二回目というものは慣れるもので、さほど時間をかけずに彼は島に到着した。
     まっすぐ歩いていくと珊瑚の石垣があって、今度はそれに沿って歩く。ほどなくして鳥居のシルエットが姿を現した。すると突如、がらがらという鈴の音が耳に響いた。
    「岬丸か?」
     霧中でカスタニは声を発す。するとすぐに、声が返ってきた。
    「その声、カスタニか」
     霧の中で何かが動いた。ぼんやりとしたシルエットしか見えなかったが、声は確かに岬丸だった。
    「久々だの。もう別の場所に旅立ったのかと思っていたが」
     霧の中で岬丸が言う。
    「何を言ってる。昨日会ったばかりじゃないか」
     怪訝な表情を浮かべ、カスタニは答えた。だが岬丸は言い張った。
    「阿呆なこと抜かすな。わしとおまんが会ったんは一月前じゃろうが」
     意味が分からなかった。
    「……? まあそういうことにしておいてもいいが……」
     やはりおかしな子どもだ、とカスタニは思う。
     カスタニは霧中を通り、岬丸に近づいていく。あいかわらず粗末な着物を身に着けた姿だった。だが……
    「お前……少しやつれたんじゃないか?」
     と、カスタニは思わず尋ねてしまった。霧中から浮かび上がった岬丸は昨日とはまったく別の顔つきになっていた。一ヶ月だと岬丸は言ったが、どちらかといえばその数字が正しいように感じられた。
    「カスタニ……」
     と、岬丸は口を開いた。
    「カスタニ、わしの友達が……宝丸が死んだ」
     彼は力なく言った。
    「……死んだ?」
    「いや違う。殺された。宝丸は漁師達に殺されてしもうた」
    「何があったんだ」
    「もうこの島はおしまいだ。大人達は善悪の区別がつかなくなっちまった。油欲しさに狂っちまったんだ。そりゃあ、わしだって宝丸のおっかあは仕方ないと思ったさ。宝丸のおっかあはでかくなって玉宝じゃあなくなったんだ」
     声がわなわなと震えていた。
    「じゃがあ宝丸は違う! あいつはまだ玉宝なのに、やつら見境無く銛(もり)で突きやがったんだ! 玉宝に手をかけてしもた! この島はもうおしまいだ!」
    「落ち着けよ」
     カスタニはしゃがむと視線を合わせるようにした。そうして両腕で岬丸の肩をつかむ。小さな肩はがたがたと震えていた。
    「宝丸だけじゃない! 宝丸の兄弟や友達もみんなみんな死んじまった。殺されちまった。玉宝には手を出さないのが約束だったのに、約束を破っちまった。油欲しさに約束を破っちまったんだ!」
    「…………」
     カスタニには理解が出来なかった。岬丸が何を言っているのか。理解ができなかった。
     ただ一つだけ引っかかった点がある。「玉宝」だ。
     何かの宝物……文化財的なものかと勘違いしていた。だが、岬丸の言葉から推察するにそれは生き物――おそらくはポケモンだ。玉宝だったという宝丸。その母は大きかったということだから、それはおそらく進化系なのだろう。
     それなりに大きいポケモンで、油の取れるポケモン……カスタニは持てる知識を搾り出した。だが……。
     ああ、いけない。と、彼は恥じた。
     ここはホウエン地方。カントーとではポケモンが違う。何の目的も無いまま、何も考えずにぶらぶらと来てしまったものだから、生息ポケモンなどろくに調べていなかった。滑稽なことだ。何が次期携帯獣学科学部長だ。「専門外」にはことさら弱い。
    「カスタニ、」
     岬丸は震えながら声を発した。
    「昨晩、わしの夢枕に海神様がお立ちになった。そして海神様が言われたんじゃ」
    「何と言った?」
    「明日の火(ひの)午(うま)の刻が終わるまでに島を出ろ。海中に振り落とされたくなければ、と」
    「海中に振り落とされる?」
    「今日、わしがここに来たのは許しを乞うためじゃ。けんどとても許してもらえる気がせん」
     尚も震えながら岬丸は言った。
    「だからカスタニ、お前も早く島を出ることじゃ。わしともここで別れじゃ。おまんとは短い間だったが……」
     岬丸は肩に手をやって、それを掴むカスタニの手を握った。小さな手はひどく冷たかった。
    「どうか、達者でな」
     そう言って岬丸は、するりとカスタニの手を離れてしまった。そうしてぱたぱたと鳥居に向かって駆け出した。ふっと霧に混じるようにその姿は消えてしまい、追いかけたけれど見つからなかった。
     直後、ぐらりと島が揺れた。
    「地震か?」
     カスタニはそう呟いた。そうして途端に、自分は立ち入ってはいけない場所にいるのではないかとふとそんな気がした。そう思った途端に無性に恐ろしくなって、駆け出していた。
     彼は夢中になって海に向かい走っていった。海に行き着くと、飛び石から飛び石へと跳ねるように筏を渡り、なるべく島から離れようとした。海の水を踏みながら、彼は霧中を夢中で走ってゆく。あやうく海に落ちそうになりながら、それでも彼は走ってゆく。
     同時に記憶が駆け巡った。
     自分を見捨てた親戚達の事、疎外するクラスメート達の事、世界の隅に追いやった世間の事、顔も知らぬトレーナー男の事、そしてミヨコの事……駆けるカスタニの頭に走馬灯のようにそれが蘇った。彼らを見返してやりたくて、この道を駆けてきた。一心不乱に駆けてきた。
     彼らは見ていたのだろうか。自分の生き様を。後悔させてやる。見せ付けてやる。そうやって虚勢を張って生きてきたこの五十年を。
     カスタニは駆け足で、時に急ぎ足で筏の道を波打たせ渡っていく。徐々に視界が開けてきた。霧がだんだんと晴れていくのがわかった。
     気がつくとカスタニは、キナギの占い師、ミチルの家の前に立っていた。
    「……また来ちまった」
     カスタニは悪態をついた。
     ミチルはまだ起きてはいないのだろうか。粗末な家の粗末なドアは閉ざされていた。
    「ふう。まあ、ここまでくれば……」
     訳の分からない恐怖に支配されていたカスタニはほっと一息をついた。情けないものだ、と思う。もう五十になる自分はたいていのことに驚かない自信があったのが、と。
     そうして気が緩んだカスタニであったから、誰であっても追い討ちをかけるのは簡単であった。
     シュゴッ。ブシュウウウウウウウ!
     途端にカスタニのすぐ後ろで海水が吹き上がったものだから、振り返ったカスタニは腰を抜かした。
     吹き上がる謎の水柱。海水は3メートルほど吹き上がると、10秒ほどその高さを保っていたが、次第に勢いを失って、落ちていった。
    「な、な、な……」
     何が起こったんだとあっけにとられるカスタニの目の前には揺れる海面があった。直後に海面が盛り上がり、水がざあっと落ちていく。そこから大きな丸い生物が顔を出した。直径にして2メートルはあるだろうか。藍色の肌、クリーム色の腹のポケモンだった。丸い身体の中心からすこし前方に二つの穴があいている。
     シュゴッ! 穴が鳴って、霧状の水が吹き出した。
    「これだったのか!」
     カスタニは叫んだ。
     昨日の朝、霧の中で何度か聞いた謎の音。その正体は今自分の目の前に突如現れたこのポケモンの仕業だった。浮かび上がったポケモンがしてやったりという風にずらり並ぶ歯を見せて、口角を上げ、にんまりと笑みを浮かべた。玉のような丸い身体。絵で描いたたら間違いなく点を打って終わりのつぶらな瞳。とりあえずどこまでが顔なのだろう、カスタニは非常に迷ったと後に語る。
     だが、何より最初に思ったのは「でかい」ということだった。直径にして2メートルはある玉の体は、まるで小さな浮島だ。波乗り用のポケモンにしたなら大いに役立つことだろう。
    「なんだい、朝っぱらからうるさいねぇ」
     腰を抜かすカスタニの後ろでドアが開く。
    「おや、あんたは」
     出てきたのはやはりというかミチルだった。
    「お、ホエルコじゃあないか。なんだいお前さん、情けないねぇ。ホエルコに脅かされたのか」
    「ホエルコ?」
    「そうだよ。このへんじゃあ時たま見かけるね。昔話の玉宝っていうのはこのホエルコのことさ」
     ミチルはしょうがないねぇという風にカスタニを起こして言った。
    「しかし男のくせに情けない。こんなんじゃあホエルオーに遭遇した日にゃあ、気絶だよ。気絶」
    「ホエルオー? もしかしてこれの進化系か何かですか?」
     カスタニが問う。
    「ご名答。進化するとね、これがもっとでかくなるんだよ」
    「4メートルくらいですか?」
     とりあえず倍の数字を言ってみる。
    「うんにゃ。14メートル」
     がくり、とカスタニは脱力した。それはもはやポケットモンスターではないと思うのだがいかがであろうかとカスタニは問う。いや、そういえば聞いたことがあったかもしれない。ホウエンにはとてつもなく大きなポケモンが生息していると。
     けれど、カントーで、それも一般家庭やトレーナーがよくバトルに出すポケモンを扱っていた所為か海の、しかもホウエンのポケモンはノーマークだった。
     世界の隅から脱出した気になっていた。だが所詮、狭い世界に生きていたのではないか。今更にカスタニは自身の無知を恥じた。
    「まぁ尤もこのへんじゃあ見かけないがね。奴らよほど外洋にいるのか、キナギで見かけるのはホエルコばかりだよ。このあたりにもすごく昔はいたらしいけどねぇ。いなくなってしまったんだと。捕り過ぎたのさ、油目当てにね」
     ミチルはそのように説明した。
     そうして、ああ、そうかとカスタニは理解した。岬丸の語った友達――宝丸の正体はホエルコだったのだと。だから宝丸のおっかあというのはおそらくホエルオーだ。岬丸もでかいと言っていたし、間違い無いだろう。
     ホエルオーか、とカスタニは頭の中で反芻した。せっかく来たのだ。ホウエンの土産に見ておくのもいいかもしれない。
    「……そのホエルオーとやら、どこに行けば見れますかね」
    「さあ、めったに見れないからね。ごくたまに129番水道にいると聞いたが。確証はないよ」
    「129番ですか」
     それならミナモシティ行きの船だな。カスタニは検討をつける。いつもミチルが海を見ているその方向そのものだった。
     シュゴッ! ホエルコがまた潮を吹いた。それが別れの挨拶だったのか、満足げに笑うどこまでかわからない顔が海中に沈んでいった。
    「ああ、それとミチルさん」
     カスタニは老婆の名を呼んだ。
    「なんじゃい」
    「この町に神社はありますか。喜凪神社ってところなんですけれど」
     カスタニは尋ねる。
     冷静さを取り戻した彼は、ある確認をしたいと思った。
     岬丸は言っていた。「島」はもうおしまいだ、早く「島」を出ろ、と。
     そしてもし、「島」というのが自分の思っている通りだとすれば――

    「ここだよ。ここが喜凪神社だ」
     ミチルに案内されてカスタニが立ったのは、キナギタウンの南端にある、六畳間ほどの小さな筏の上だった。その中心にまだ真新しい小さな社があった。高さはカスタニの身長にも満たない。拝殿と本殿が一体になった簡素なものだった。
    「他の町は歴史ある神社が多いのだけどねぇ。なにせ台風の度に飛ばされたり、沈んだりするものだから、その度に立替えさ」
     と、ミチルが言った。
     カスタニは拝殿に近寄ると腰を屈め、パンパンと二度かしわ手を打った。鈴は無かったから鳴らさなかった。

     ――どうか喜凪が元に戻りますように。
     ――どうか宝丸のおっかあが天に行けますように。

     ――どうか海の神様が許してくださいますように。

     ――どうか……

     カスタニは思う。かつて陸があった頃の拝殿にそのように岬丸は祈ったというのだろうか。自分が霧の向こうに見た、ホエルコと友達だと語った男の子は。
     もう行くことも無いのだろうと思った。たぶん島はもうあるまい。すべては晴れた霧の向こうに消えてしまったように思われた。
     カスタニは目を閉じ、ずいぶん長い間頭を下げていた。
     この町は自分に似ているのかもしれない、と彼は思った。
     見返してやろうと走り続けた自分。そして、鰭をつけ、尾を生やして泳ぎ去った島を待ち続ける町。
     ここは報われない場所なのかもしれない。台風の度に流されて、何度直したところで、もう島は帰ってこないのかもしれない。復讐したかった者達に顧みられなかった自分と同じように。だが、それでも町は続いていく。やがて時は移り、観光という新たな価値を生み出して。
     それを否定する気にはなれなかった。自分の歩いた道もまた同じように。
    「何を願ったんだい」
    「……岬丸と宝丸がもう一度会えるように」
    「ミサキ……誰だい? それは」
     ミチルは不思議そうな顔をした。ずいぶん古風な名前だと思ったに違いない。
    「昔ここに住んでたらしいです。たぶん」
     カスタニはしれっと答えた。
     直後、二人の後ろからぎしぎしと振動が伝わってきた。
    「博士ー! ミチルさーん!」
     二人が振り向くと、ヨウヘイとマッスグマのベクトルが筏を飛び跳ねながら向かってくるところだった。
    「こら! あんまり揺らすんじゃないよ。縄に負担がかかるだろ」
     ミチルがたしなめる。
    「よお、お前今日はずいぶん早いじゃないか」
     カスタニが言った。
     ヨウヘイとベクトルは社の建つ筏に踏み入ってくる。
    「実は、ビッグニュースがあって」
    「ビッグニュース?」
     へへへ、とヨウヘイは笑った。小麦色によく焼けた顔が笑っている。岬丸が成長したらこんな感じだろうかとカスタニは思った。岬丸と初めて会った時もそう思ったが、二人の顔はよく似ている。
     そうして、老婆とカスタニの前にヨウヘイは何かを差し出した。
    「じゃーん!」
     少年が突き出す両手に丸い丸いボールが輝いていた。
    「そのボールがどうしたっていうんだ」
     カスタニは尋ねる。
    「ああ、もうテンション低いなぁっ」
     ヨウヘイが察してよと言いたげに声を上げた。
    「ホホウ、もしや狙いの獲物をゲットしたか」
     今度はミチルがそう言って、ヨウヘイの目はキラキラと輝いた。
    「そーなんですよ! ベクトルが顔しつこく舐めるんで仕方なく起きたんです。それに外に出てみたら、ね!」
     少年は興奮気味に早口で説明した。要約するとマッスグマに起こされて宿舎の外に出たらホエルコが二、三いた。勝負を挑んだところ一匹が乗ってきて、三十分ほどのバトルの末にゲット出来た、とそういうことらしい。
     すでにカスタニは出払っていて、真っ先にミチルに伝えに行ったなら、カスタニと南に行ってしまったとミチルの息子が言うので、筏を渡り歩いて探していたのだという。
     なるほど、狙っていたのはホエルコだったのか。通りで陸生のマッスグマが苦戦するはずだ。カスタニは納得した。
    「キュウッ」
     ベクトルが得意そうに声を上げた。あんたが主役、とでも言うように額の矢印がヨウヘイを指していた。


    「じゃあね! 博士」
     海上からホエルコに乗ったヨウヘイが手を振り、ベクトルが尻尾を振った。
     ミナモ行きの船がプアーッと鳴って出発を告げている。
    「おう、元気でな」
     カスタニもまた船尾から手を振った。
     船が出発し、波を裂いた。ヨウヘイの姿が小さくなる。ついに豆粒大になり、キナギの町も遠ざかって行った。
     海風が身体に当たる。カスタニは昼間を回想した。

    「行くのかい」
     出発の前の昼に昼食を共にしながらミチルは言った。
    「夕方の便で出るつもりです」
     カチャカチャとフォークとナイフを使って、大きな貝を切り分けながらカスタニが言う。この町の貝料理は大変に気に入っていたので、これと別れるのは少々惜しいと思った。
    「……出口は見つかったのかい」
    「まだです。けれどここに居るべき時は過ぎた。そんな気がします」
    「ふむ。それでいい」
     貝を口に運びながら、頷き、ミチルが言った。
    「それは凄腕占い師の勘ですか」
    「まぁそんなところだね。時々海の神様からのお告げがあるんだよ。『声』がね、聞こえるんだ」
    「海の神様の?」
    「そうさ。まぁ、私が勝手にそう思っているだけなんだけどね」
     カッカッカ、とミチルは笑った。よく焼けた顔だったから少し出た白い歯がひときわ目立った。
    「で? 海の神様はなんと」
    「『南に進め。そしてよく目を凝らせ』」
    「……えらく抽象的な」
    「まぁまぁいいじゃないか。お前さん、ミナモ行きに乗るんだろ? ならば方角は一緒だ。私はね、『声』が聞こえたときは外したことが無いのが自慢なんだ」
     ミチルは再びカカカッと笑う。
    「…………」
     やはり占い師の類は適当だ。信用できないとカスタニは思った。

     日は沈みやがて夜になった。満天の星の空を仰ぎながらミナモ行きの船は進んでゆく。キナギを離れてずいぶん時間が経っていた。
     船内のまずい飯を食べ、もう船室の毛布に包まって寝るかとカスタニは思い始めた。明日は129番水道に入る。ミチルは可能性は低いといっていたが、運がよければホエルオーが見られるかもしれない。
     だが、カスタニはそのように考えを巡らしている時、船内に放送が入った。
    「お客様にお知らせいたします。朝方より本便は129番水道に入りますが、霧の発生可能性が高いとの予報。その場合、到着予定時刻より大幅に遅れる場合があります。海上の安全を期する為、何卒ご了承をいただけますようお願いいたします」
    「ええー」
    「ついてないなぁ」
     船内から失望の声が漏れた。
     また霧か、とカスタニは思う。急ぎの用もなかったから到着時刻など割合どうでもよかった。ただ、それだと海がよく見えないだろうな、ホエルオーは諦めるしかないかもしれない、とも思った。
     カスタニはさっさと船室に戻ると、毛布に包まって寝息を立て始めた。食事は不味かったが、キナギの宿舎よりは上等な毛布で、カスタニは心地よい眠りに誘われていった。


     ……カスタニ君、カスタニ君。
     どこからか優しい声が聞こえた。
     心地よい春の日差しの中、昼食を終えたカスタニは昼休みの机に突っ伏して眠っていた。
     疲れていた。連日のバイト、そして勉強で。
     暖かい。今しばらく寝かせて欲しい。
    「カスタニ君、起きて」
     眠い。だが、声は尚も語りかける。
    「起きて、カスタニ君。今起きないと見られなくなっちゃう。だから起きて」
     見られなく? カスタニは眠い頭の中にはてなマークを浮かべた。
     何を言っているんだい。なぜそんなことを言うんだい。ミヨ……

     はっとカスタニは目を覚ました。
     ベッドの脇に置いておいた眼鏡を拾い、かける。
     何かにせかされるように起き上がった。
    「ミヨコさん……?」
     と、彼は口に出した。まったく、未練がましいものだと思う。
     カスタニは洗面台に立つと顔を洗った。
    「そういえば、霧が出てるって話はどうなったのだろうか」
     カスタニは階段を駆けていく。上の階に上がって甲板に出る重い扉を開いた。夜間は出入り禁止の甲板だったが、すでに鍵は外れていた。
     びゅうっと冷たい風がカスタニの身に染みた。やはり朝は冷え込む。
    「すごい霧だな……こりゃあ下手に進めないぞ」
     と、カスタニは呟いた。事実、船は様子見をしているのかこの場に留まっていて、視界は白く、進む先はまったくと言っていいほどに見えなかった。カスタニは甲板へ出る。船の先頭へやってきて、真近の海を見た。
     ふむ、とカスタニは声に出した。やはり、ごく近くであればおぼろげに見ることが出来る。
     身に染みる寒さを感じながら、海面を観察する。
     冷やされた水蒸気の漂う中、色の無い波がゆらゆらと揺れている。
    「期待しても仕方ないか」
     カスタニはこぼした。
     が、その直後、ざばんという大きな音が耳に入ってカスタニは視線を音の方向に移した。
     黒い海の中、巨大な飛行船フォルムの生物が半分ほど身体を出し、洋上を移動していた。
    「もしや」
     霧中に彼は目を凝らす。黒い水面を航行する飛行船は海水という名の雲から身体を持ち上げ、ジャンプした。
     次の瞬間、彼が見たのは大きな音と共に上がる大きな水飛沫であった。
    「おお……」
     カスタニは感嘆の声を上げる。
     大きい。何が大きいって、スケールが大きい。
     目測でもその大きさはゆうに10メートルを越すと思われた。
     ――遭遇した日にゃあ、気絶だよ。気絶。
     ミチルの言葉を思い出す。
     キナギで出会ったホエルコは大きかった。だがその大きさもこれの前には霞んでしまう。
     ホエルコが小さな浮島ならば、この生物は島だった。れっきとした一つの島。きっと人が暮らせてしまうほどの。
    「間違いない……ホエルオーだ! こいつが、こいつが……そうなんだ!」
     カスタニは叫んだ。それはもういつが最後だったか思い出せないワクワク、ドキドキという胸の高鳴りだった。
     そして、カスタニは気が付いた。海の中にいるのは一匹だけではないということに。一匹を見つけたことで芋蔓式にもう一匹、さらにもう一匹が見つかっていく。Y字の尾があちらこちらに覗いた。玉のようなホエルコには無い特徴。それは霧の中でも分かりやすいシルエットだった。
     群れだ。ホエルオーの群れだとカスタニは確信した。霧中にあってその全貌は掴めない。だが全体に二十や三十はいるのではないかと思われた。
    「おや、」
     全体を見通して、カスタニは妙なことに気がついた。霧の向こう、シルエットが見える見えないのぎりぎりのラインに大きな島が見える。……ような気がする。
     だとすると航行ルートは危うくないだろうか、とも思った。今は留まっているようだから構わないが。
     そんなことを考えながら眺めていると、にわかにそのシルエットが動いたような気がした。
     そうして彼は見た。
     白く濃い霧の向こうでホエルオーのそれと同じ巨大なY字が揺れたのを。
    「……、…………」
     状況が飲み込めず、カスタニはしばし無言になった。

     かつて、約束を破ったキナギの漁民は土地を取り上げられるという海の神様の罰を受けたという。
     玉宝――ホエルコには手を出さない。その禁を破ってしまって。
     だから島は水平線の彼方に泳ぎ去った。鰭と尾をつけて、泳ぎ去った。

     カスタニは記憶の断片をほじくり返した。
     ミチルは確か、一言も言ってはいなかった。それがホエルオーだった、とは。
     だが……だがしかし……。
    「……まぼろし、じま…………」
     ぼんやりと霞む巨大なシルエット。それはやがて霧中へ消えて、もう二度と見えることがなかった。
     カスタニは霧中の甲板に突っ立ったまま呆然としていた。
     いつまでもいつまでも、カスタニはただ立ち尽くしていた。










    朝霧 了


      [No.2601] 冷蔵庫に保管=ナマモノ 投稿者:ラクダ   投稿日:2012/09/04(Tue) 01:07:58     96clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

     博士がケースの中身を弔う(処分する)場に謎の人物が襲撃、それを奪取し博士を口封じ。
     一年後、とある地方の片隅で不気味な噂が囁かれ始める。
     闇に蠢く謎のポケモン。それを作り出した者の意図とは――――。

     初めまして、ラクダと申します。
     どうしても、某ゾンビ映画のウイルス奪取、あるいは某恐竜映画の胚強奪の場面が浮かんでしまいこんなことに。
     例えば、ポケルスの悪性変異株(ただし博士が持ち出した物は不完全で無害)、または遺伝子操作した既存のポケモンの胚(これも未完成のまま)の情報を、部下の研究員の一人が襲撃者とその背後に流して奪わせ、自分はちゃっかり新部署に勤めつつ頓挫した計画の再構築を目論む、とか。
     襲撃者側はテロ目的か兵器用のポケモンを手に入れるため狙っていた、とか。
     要は狂暴化して手の付けられなくなったポケモンの話です。
     主人公はトレーナーか、はたまた危険に巻き込まれた一般住民か……。

     意味深な切り方に、ああでもないこうでもないと想像するのが面白かったです。
     続編を楽しみにお待ちしております。


      [No.2600] 捕獲屋Jack Potの日常 番外編1p 投稿者:NOAH   投稿日:2012/09/03(Mon) 00:26:08     111clap [■この記事に拍手する] [Tweet]


    「困りましたぁ……。」
    「ばにぃ……。」
    「しかし、客が集まらんことにはなぁ……。」

    ヒウンアイス。
    2年前、ヒウンシティで大人気だったアイス。
    私はそこの売り子で、この2年間、ここで働いて来ましたが
    最近はお客さんが減っちゃいまして……。

    今でも買ってくれる人と言えば、近所の捕獲屋さんと
    ワルビアルとエルフーンを連れた男性と子連れの家族。
    あとは各町のジムリーダーさんが時々買って
    それにあやかって誰かが買って行くくらい……。

    「やっぱりぃ、バニラ味だけじゃダメなんですよぉ
    チョコレートとかぁ木の実とかぁ、いろいろ使って
    味を増やして客受け良くしないとダメですよぉ!」
    「それは構わんが……アイデアがあるのか?」
    「…………。」
    「何も考えてないのね……。」

    うー…申し訳ない……。

    「すみませーん!」
    「!!」

    この声……まさか!!

    「シュロさああん!!」
    「うおおっ!!?」
    「シュロさん助けてえええ!ウチのアイス屋のピンチなんですぅぅ〜!!」
    「わかった!わかったから落ち着け!!首、くびが、しま、る……っ!!」


    **************


    「新商品?」
    「そうなんです……今、うちの店に来る人は
    シュロさんとスリムストリートにある捕獲屋の皆さんと
    子ども連れの方ぐらいで……。」
    「なるほど、客層を増やす為に
    味のバリエーションを増やしたいと。」

    それから、彼は腕を組んで考え込む
    その横では、ワルビアルの膝の上で、エルフーンが
    この上なく幸せそうな表情で、アイスを頬張っていた
    ヤバイ、可愛い。超和む。

    「……こういうのはどう?イメージング・シティアイス。」
    「はい?」
    「簡単に言えば、イッシュ各地の街のイメージを
    アイスにしてみてる……っていうの何だけど。」

    イッシュの街を……イメージしたアイス……!?

    「それです!さすがシュロさん!ありがとうございます警部どの!」
    「警部って……確かに俺刑事だけど……
    今それ関係ないよね?って、聞いてる?おーい。」

    こうしちゃいられない、急いで案を練らなきゃ!!
    あ、そうだ!!

    「シュロさん!ありがとうございます!今日はお代いらないんで!!」
    「あ……ちょっと!……行っちゃったよ……。」

    ―くいっ

    「んー?もういいのか?……なら、行こうか。」
    「ガウガ?」
    「お代?そりゃ置いてくよ、なんか悪いし……
    それにしても彼女、いつもながら行動が素早いね。」
    「わぅ……。」
    「確かに、呆れるな……まあでも、そこが
    看板娘である彼女のいいところなんだから
    ……新商品、楽しみにしようぜ。」

    それから二週間後。

    ヒウンアイス、新商品のおかげで、前よりも
    お客さんが増えました!!

    今日も大忙しですぅ♪

    *あとがき*
    今回は番外編です。
    番外編版の主人公登場です。
    私の運営してる小説サイトのメイン主人公ですが
    ここでは時々登場します。

    捕獲屋の皆さんとも絡ませる予定。
    彼のワルビアルとエルフーンは、父親と幼い娘みたいな関係です
    基本、番外編は彼とワルビアルとエルフーンとアイス屋の看板娘と
    彼女のバニプッチ+シュロの他手持ちで進んで行ったり。

    【書いてもいいのよ】
    【描いてもいいのよ】
    【寧ろ書いて(描いて)下さい】
    【批評してもいいのよ】


      [No.2599] 【ポケライフ】ポケウッド映画 予告編 投稿者:神風紀成   投稿日:2012/09/01(Sat) 20:55:50     82clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    ※何かちょっとマニアックなので苦手な方はバックプリーズ











    (お馴染みのポケウッドのマークが現れる。数秒後、画面に赤い文字で一つ一つ文字が打たれていく)

    ――全ての始まりは、二つの新聞記事からだった

    (何者かによって瀕死の重傷を負わされたサブウェイマスターと、ライモンシティの路地でボロボロの白衣を着て倒れていた科学者の記事が映し出される。センセーショナルな話題に騒ぎ立てるマスコミ。『逆恨みの犯行か』『腹いせか』と見出しが躍る)

    難航する捜査と、被害者から紡がれた『情報』

    (意識を取り戻したノボリに、会議室で警察官達が電話で話を聞いている。そこへミドリがマイクを奪い取る。イラッとするヒメヤと、やれやれと笑うサクライ。ミドリの質問に、ノボリがゆっくりと答える。
    『目が―― 真っ赤だったのです』)

    そして敵の毒手は、強いトレーナー達に伸びていく

    (ユエが路地裏で敵と対峙している。彼女を守るように立つのは、闘争心むき出しのバクフーン。
    ユエの右手に、鉄パイプが光る)
    (海中に作られた部屋の中で、レディ・ファントムがコートを脱ぎ捨てる。外ではブルンゲルと相手のポケモン達が戦っている。それを一瞥した後、日本刀を相手に向ける。
    相手の拳には、メリケンサックが光る)

    交わるはずのない、二つの事件。その『目撃者』が目覚める時、衝撃の事実が明らかに――

    (血煙に巻かれて沈んでいくレディ)
    (短髪になったユエが、片腹を押えながら何処かの病室の入り口に現れる)
    (事件現場で、何かを見つけるミドリ)
    (事件を報道するビジョンを見上げ、カクライが帽子の鍔を下げてクスリと笑う)

    ポケウッド最新作、劇場版WKコレクション、『G−愛する者へ−』 ○月○日公開!


    (先ほどの殺伐としたイメージとは裏腹に、柔らかい、切ないイメージを植えつけるようなピアノ曲が流れる。机の上に置かれた、一枚の手紙。誰かの手がそれを取る)


    ――純粋なる愛がもたらす結末を、貴方は目撃する――

    以下、監督や脚本家、主演者の名前が表示される

    ――――――――――――――――――――――

    紀成『……っていう話を来年の映画に所望するんだが、どうする?』
    全員『知るか』


    映画の予告を思い出しながら書いた。実は二年近く前から温めてるネタだったり。てか一度書いたんだけど、収集がつかなくなって途中で止まってる。
    ところでこの話に繋がる物を既にこの掲示板にアップしてるんだが、分かる方はいるかしら?
    分かったら教えt(ry

    【突っ込み受け付けます】
    【何をしてもいいのよ】


      [No.2598] Re: 【ポケライフ】捕獲屋Jack Pot の日常 *ヒウンアイス* 投稿者:NOAH   投稿日:2012/09/01(Sat) 16:10:11     78clap [■この記事に拍手する] [Tweet]


    ヒウンシティ。
    イッシュ南部に位置する、世界と繋がるビジネス街。
    その街の中央にあるセントラルパークに繋がる大きな通りが4つある。

    その中の1つ、スリムストリート。人通りがまばらな狭い道。
    そこに、名のある捕獲屋(ハンター)や密猟者(裏ハンター)達が
    「風雲児」 とも、「最強」 とも呼び恐れ敬う、サザンドラのシルエットが目印の
    人気No.1の「捕獲屋Jack Pot」があるのだ。


    「ただいま戻りました。」
    「るまー♪♪」

    気温30度を越える中、アイスを買いに行った青年が戻って来た。
    出かけたときのまま、クルマユを腕に抱いていて、そのクルマユは
    行きとは違い、にこやかな表情でアイスの入った紙袋を持っていた。

    「おお、アズキ。お帰り。」
    「……あれ?リラ姐さんだけ?」
    「ああ、ヴィンデとウィルはうちに喧嘩吹っかけてきたバカ共の粛清。
    イズナは帰って来たルルーメイとポケモンバトルの特訓。
    特訓組はともかく、喧嘩組はすぐ帰ってくるよ……何もなければだけど。」
    「ああー…じゃあ、先に選びます?」
    「……ロイヤルブラックティー&モカ。」
    「わかってますって。」

    小さな机の上に乱雑してるカードを片付けて、アズキの腕の中のクルマユが
    アイスの入った紙袋を机の上に置いた。

    「ヒウンアイスか。久しぶりに食べるな。」
    「本当ですね……そういえば、期間限定のフレーバーもありましたよ。」
    「あー、あれだろう。新人ジムリーダーの3人をイメージした。」
    「ええ、それです。詳しいのはこれに書いてますよ?」
    「……それはあとでいいから。アイスが溶ける。」
    「はいはい。」

    紙袋から取出した、アイスの入ったバラエティーボックスを机に置き
    ふたを開けて、アズキはリラ姐さんがリクエストした、紅茶とカフェモカがミックスされた
    1つのカップアイスと、備え付けのスプーンを彼女に渡した。

    「やっぱりこれが一番でしょう。」
    「姐さん、紅茶好きですもんね……あ、だから手持ちも紅茶の品種なのか。」
    「そういうこと。ほら、他の連中が帰って来る前にさっさと選んで冷凍庫に入れとけ。」

    彼女に急かされて、アズキは1つ選んで残りを冷凍庫に入れると
    クルマユと半分ずつ食べながら、他のメンバーの帰りを待つことにした


    *あとがき*
    どうも、NOAH です。捕獲屋の話ですが基本的にほのぼのしてます。
    ヒウンアイスは彼らの好物なので、必ずどこかで入れるつもりですが
    フレーバーの名前があまり思いつかないので大変です。

    今回は2人+クルマユのみ。
    クルマユの鳴き声これであってたっけ?

    【書いてもいいのよ】
    【描いてもいいのよ】
    【批評してもいいのよ】


      [No.2597] ゲノセクトか?ゲノセクトなのか!? 投稿者:NOAH   投稿日:2012/09/01(Sat) 14:30:32     86clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    話の流れ的にゲノセクトだと思うのは私だけ?

    ゲノセクトをP2ラボに連れて来た時に出会った博士が
    この男の人だとしたら、プラズマ団に襲われ強制連行されて
    ゲノセクト復活。その後行方不明。

    で、見知らぬトレーナーが彼の元にゲノセクトを連れて来る
    そんな流れな気がします。
    ……あくまで私的展開ですが。

    でも、No .017さんのイメージも素敵だと思ってますので
    あくまでたくさんあるイメージの1つと捉えて下さい。
    ……それでも誰かが書いて下さったら光栄です。

    【書いてもいいのよ】


      [No.2596] これはどう見ても事故フラグ 投稿者:No.017   投稿日:2012/09/01(Sat) 12:29:52     88clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    いやこれ絶対事故るでしょ。この後。
    夜道で野生のポケモンにあってハンドル回して事故るね。
    そして死体を養分にして研究成果が実体になって出てくるね。

    で場面は一転、
    どっかの街から主人公の旅が始まる。

    研究成果と主人公がどこで出会うかはまた後の話

    【誰か書いていいのよ】


      [No.2595] Re: 実質的な初小説、これを見てどんな続きを想像する? 投稿者:コマンドウルフ   投稿日:2012/08/30(Thu) 23:10:37     96clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    初めての投稿になります、いつもはチャットの方で顔を出しているコマンドウルフといいます、よろしくお願いいたします。
    ちなみに、過去にマサポケにノリで1回投稿したことがありますが、あれはノーカウントということで。

    あまり長い文章や細かいところまで書く技量はないので余地のある構成にしてみました。
    自分の中である程度設定は決めた上で書いてみたのですが、これだけでどんな続きが想像できるものなのでしょうか。
    今のところまだ続きは頭の中を漂っていますが、参考にさせていただきたいと思います。


      [No.2594] 実質的な初小説、これを見てどんな続きを想像する? 投稿者:コマンドウルフ   投稿日:2012/08/30(Thu) 23:00:38     103clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    研究施設の一角で行われるこじんまりとした送別会
    私がリーダを勤めていた研究チームが今月末を持って解散することになったのだ。
    前々からその気配はあったが、それに気づいたころにはどうすることも出来なかった。
    解散が確定した時点で私は研究者から身を引くつもりでいた、部下からは惜しむ声もあったが
    肩の荷が下りたような気持ちになり、その流れで辞表を出し受理された。
    そして、今日が研究者として最後の日だ、そう、チーム解散と私の送別会である。

    夕方からソフトドリンクを飲みながら談笑、時間は夜20時を回ったところだろうか
    「さて、そろそろお開きにしようか」と、私は皆に声をかけ閉めの言葉を述べ始めた、
    「今まで世話になった、我々の研究は最終的に評価されることは無かったが、
    極めて価値のある研究であったと自身を持っている、これからもそのつもりだ。
    それぞれ違う部署と研究につく事になるだろう、特に健康には気をつけて生活してほしい…
    短いが以上だ、諸君らの健闘を祈る。」
    うっすらと目に涙を浮かべる研究員もいるなか、片付けが始まる。
    そう、価値のある研究だった、しかし何も残らなかった、成果も記憶も。
    唯一残っていた研究チームも今月末を持って解散となる。
    資料は電子化され保管されるが、引継ぎは無い、数少ない残った機材も破棄される、
    もう誰の目にも触れることはないだろう。
    研究員の一人が声をかけてくる「あの・・・博士、これも破棄ですか・・・」
    それは冷蔵庫のようなものといえば判り易いだろうか、中身は研究の成果物である。
    私は少し考え、この研究のケジメとして自分の手で弔うことにした。
    博士「これは私が処理しよう、研究者として最後の仕事にするよ。」

    成果物を冷蔵庫から輸送用ケースに移し変え、私は施設を後にした。
    本来持ち出しなどできないものだったが、セキュリティの人間とも長い付き合いだ、
    中身と理由を説明をしたら目を瞑ってもらえることになった。

    後ろのトランクにケースを入れ、車は走り出す、静まり返る夜の道へと吸い込まれるように。


      [No.2592] 【ポケライフ】捕獲屋Jack Pot の日常 投稿者:NOAH   投稿日:2012/08/30(Thu) 20:28:16     114clap [■この記事に拍手する] [Tweet]


    Jack Pot(ジャックポット)とは

    ギャンブルにおける大当たりのこと
    ただし、何を以ってジャックポットとするか
    という明確な基準は存在しない。

    語源には諸説あるが、ポーカーに
    由来するとする説が良く聞かれる
    転じて、日常生活においては
    大成功という意味としても使用される
    (出典・ウィキペディアより)


    小さなテーブルを囲む4つの影。
    1人は、黒い髪の少年。
    1人は、その少年の兄と思われる青年。
    1人は、紫の髪に、鋭い金色の目の少年
    1人は、オレンジの髪に赤渕の眼鏡をかけた青年

    そして、彼らの手にはトランプが握られ
    4人の側にはそれぞれ、エネコ・クルマユ・ブラッキー・コロモリの姿

    そのすぐ近くに、紫の髪の少年そっくりの
    桃色の目の少女とエーフィがいた。

    「……いいか、てめえら。」
    「うん。いつでもどうぞ!」
    「俺も大丈夫。」
    「ボクもOKだよ。」
    「……わかってんな?これに負けたヤツは
    ヒウンアイス全フレーバーを自費で買ってきやがれ。」
    「……ただパシリ決めんのに大げさだな、お前ら。」

    鋭い金色の目の少年が、荒々しい口調で
    顔色を全く変えずに罰ゲームの内容を告げた。
    少女の皮肉を無視して、紫の少年は目線を合わせると
    全員、異議無しと頷き、彼の合図でカードを出した。

    「フルハウス!」
    「ボクもフルハウス!!」
    「げ……2ペアだ。」
    「ヴィンデは?」
    「…………。」

    ヴィンデと呼ばれたのは、先ほどから仕切っていた紫の少年だ。
    にやりと笑うと、カードを降ろした。

    「ロイヤルストレートフラッシュ……俺の勝ちだ。」


    ******************


    「あっちぃ……。」

    カードで負けた黒髪の青年は
    クルマユを抱えて、人で溢れるヒウンの中心街である
    モードストリートを歩いていた。

    「ヴィンデのヤツ……あの場でロイヤルストレートフラッシュって……
    リラ姐さんといいヤツといい……さすが双子の悪魔。強運姉弟……。」

    ぐちぐちと人込みの合間をすり抜けて
    青年はアイスの販売ワゴンについた。
    最近、客足が減ったのか、前ほどの賑わいは
    あまりなかった。(買いやすくはなったが。)

    クルマユは早くしろと言わんばかりに
    青年の腕を無言でべしべしと叩いていた。

    「ぼたん、大人しくしろ、財布取辛いから。」
    「…………。」
    「よし……すみません。」
    「はぁーい!」
    「全フレーバーのヒウンアイスをセットで。」


    *あとがき*
    今回はわが子を出しました。
    リラとヴィンデは、だいぶ前から
    皆さんの前に出したかったキャラです。

    ポケライフつけて書いてみたけど
    これからは関係無しに書くかも
    もしかしたら続くかも。

    とりあえず、今回はこれにて。

    【書いてもいいのよ】
    【描いてもいいのよ】


      [No.2591] father 投稿者:神風紀成   投稿日:2012/08/29(Wed) 13:18:54     85clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    「……何があったの」

    午後十時十分前。もうじき今日の開店時刻は終わるというところ。店内もお客の姿はまばらで、隅っこでゼクロムを飲んで粘っているサラリーマンしかいない。
    従業員、バイトがユエと目の前のカウンター席に座っている少女を交互に見つめる。その目が周りの同じ立場の人間に向かって『おいどうなってるんだよ』『おいお前聞けよ』『やだよお前が行けよ』と会話している。
    バクフーンが『やってらんねー』と彼らを見て大あくびをした。

    「目元が腫れてる。右頬に部分的に赤い跡」
    「……」
    「どうせまた、お父さんと喧嘩でもしたんでしょ」
    「ユエさん!」

    少女が顔を上げた。男性陣がおお、と顔を歓喜の色に染める。彼女はとんでもない美少女だった。
    イッシュには珍しい黒い髪と瞳。肌はぬけるように白く、染み一つない。これで泣き顔でなければもっと美しく見えるだろう。
    男達の視線を一瞥して、彼女ははっきり言った。

    「格闘タイプ使いが、悪タイプ使うのって、いけないことでしょうか」
    「……は?」

    気の抜けた声を出したのは、男達だった。周りの女性達の射抜くような視線に、強制的に『ちいさくなる』を使うハメになったが。

    「別に私は良いと思うけど」
    「ですよね!格闘タイプだけじゃ勝てない相手もいますよね!」
    「エスパータイプとかね」

    たとえ相手に有利なタイプの技を持っていたとしても、得意不得意がある。それに相手のタイプが有利だということは変わらない。例外もあるが、それでも相手の苦手な技を出したが耐えられて逆に返り討ちにされました―― なんて話も少なくない。
    話を聞いていたバイトの一人が、少女に声を掛けた。

    「ねえねえ、貴方は悪タイプが好きなの?」
    「え…… あ、はい」
    「どうして?」
    「えっと…… 好きな物に理由なんていりますか」

    変な所でしっかりしている子だ。バイトがおののく。ユエは話しても大丈夫?と彼女に促した。
    頷いたのを見て、周りに説明する。

    「この子はミユ。お父さんが有名な格闘タイプ使いで、幼い頃から格闘タイプ使いになるように言われてきたの。でも最近悪タイプに興味を持ち始めて、それで時々お父さんと喧嘩してここに来るようになったのよ」
    「初めまして。マコト ミユと申します。マコトは真実の真です」

    腰まである長い髪が揺れる。男達の頬が緩んだのを女性陣は見逃さなかった。顔が般若のそれになる。
    バクフーンはポケッターをやっている。

    「悪タイプに興味を持ち始めたのは六年生の時で…… 偶然、テレビでジョウト四天王のカリンさんのバトルを見たんです。それがすごく素敵で、バトルの仕方だけでなく使うポケモンもかっこよくて……
    私もああなりたいって」
    「それは、カリンさんみたいな女性になりたいってこと?」
    「え?……いえ。私は悪タイプ使いになりたいな、と」
    「あ、そうなの」

    『ああ良かった』『ほんとに』『アンタ達何を想像してんのよ』という会話を無視し、ユエは続ける。

    「それで、こっそりモノズを捕まえて育てていたんだけど、お父さんにバレちゃったのよね」
    「モノズは餌代が結構かかって…… それで自分のお小遣いで買う薬やフーズだけでなく、家に置いてあるミカルゲ用の餌も少し拝借してたら、ある日見つかっちゃって」
    「何でミカルゲ?」
    「従姉妹がホウエン地方にいて、しばらく預かってるんです」

    ペナルティは三時間の正座と同時進行のお説教。ただひらすら嵐が過ぎるのを待っていたミユだったが『あのモノズは知り合いのブリーダーに引き取ってもらう』と言われた途端、反撃した。いきなり動いたため足が吊ったが、それでも口は動かしていた。
    結果、道場が半壊する惨事になった。

    「でもよくモノズなんて捕まえられたね」
    「リオルに手伝ってもらいました」
    「格闘タイプも持ってるんだ?」
    「この子だけですが」

    そう言って出したリオルは、普通のより少し小さかった。聞けば幼い時に脱走してしばらく病気だったことが原因だという。

    「塀がその日来た嵐で一部壊れてて……」
    「随分大きい家みたいだけど」
    「はい。母屋と離れ、そして庭園があります」

    サラリと言う辺り、自慢している様子はない。住む次元が違うと言うことが痛いほど分かる。
    リオルはバクフーンの気配に気付いたのか、裏からカウンター下へ回っていった。数秒後、『グエッ』というガマガルの断末魔のような声が聞こえた。

    「結局モノズだけは死守して、育てられることになったんですけど……」
    「良かったじゃない」
    「でも私は悪タイプ使いになりたいんです!出来ることなら悪タイプのパーティで旅もしたいし、……そう、チャンピオンにだってなりたい!」
    「……」

    沈黙の渦が店内を包む。それを破ったのは、ドアに取り付けられているベルの音だった。いらっしゃいませ、と言いかけたユエの口が止まる。ミユが立ち上がった。

    「父上」
    「え!?」

    今度こそ男性陣は驚いた。が、目の前の男に一睨みされてズササササと後ずさりする。
    男がユエに頭を下げた。

    「ご迷惑をおかけしました」
    「いえいえ。とんでもない」
    「ミユ、帰るぞ」

    だがミユはカウンターに突っ伏したまま動かない。痺れを切らした男がミユの腕を引っ張った。

    「迷惑だということが分からんのか!」
    「いやー!」
    「はいはい騒ぐなら外に行ってくださいね」

    流石カフェのマスター。そこらへんはキチンとしている。そして容赦ない。


    「……そこまで悪タイプを使わせたくない理由ってあるんですかね」

    親子が帰った後、バイトの一人がぽつりと呟いた。ユエが掃除しながら答える。

    「ミユのお母さんは、ミユがまだ小さい時に、捨てられて野生化したヘルガーに火傷を負わされて、それが原因で亡くなったの」
    「そんな重度の火傷だったんですか」
    「ヘルガーの吐く炎には微量だけど毒素が含まれていて、火傷するといつまでも疼く。……授業でやらなかった?」

    たとえ軽い事でも、場合によっては何を招くか分からない。ミユの母親は、その犠牲者になった。

    「それが元であの子のお父さんは悪タイプを嫌っている、と?」
    「嫌っているかどうかは分からないけどね。彼だって一応大人よ。全ての悪タイプがそういうことを招くわけじゃないってことは、理解していると思うわ」
    「じゃあどうして」
    「……」

    淀んだ空気が、夜のライモンシティを包み込む。
    夜明けはまだ遠い。


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