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「いやー美味しいですねえ!おかわりもう一杯!」
とあるポケモンセンター横の定食屋。一人の少女が平らげたどんぶりを左手に掲げた。
「よう食うな嬢ちゃん……ここいらじゃ見ないなりだが、旅のトレーナーかい?」
店主は少しひきつった笑みを浮かべながら、追加のどんぶりを渡す。
いつもお客さんに対する笑顔を絶やさない店主がそんな表情になっているのは、まず少女の前には既に3杯の器が積まれていてまだ食べる気だということ。
そして──少女の腰の左側に、玩具やレプリカにしては精巧に過ぎる拵(こしらえ)の鞘とそこに収まる刀がついていたからだ。
別段刀や武器に詳しくなくてもわかる、いわゆるよく使いこまれた年季を感じさせつつも手入れはしっかりされているそれだ。
少女はいったん食べる手を止めて、ちょっと悩んでから答える。
「旅はしてるけど、トレーナーって言われるとどうですかねー。最高の仲間が一匹いるだけで、ポケモンを捕まえたりジムやリーグに挑戦するわけじゃないですし」
まあ道行くトレーナーとバトルして路銀を稼いではいますけどね! と屈託なく笑うその顔は、まだ幼さが残っている。薄青色の浴衣のような旅装は、まるで子供が祭りで法被を着ているようだった。だからこそ、腰の刀が不自然で危ないものに見えた。
その視線は少女にも察してとれたのか、軽く苦笑して言う。
「これは旅に出るときに刀鍛冶のおじいちゃんに貰ったんですよ。女の一人旅は危ないからもってけーなんて……今時ポケモンと旅して野生のポケモンとも戦うのに男も女もないし! まあ、軟派が寄ってこないのでお守りのようなものですかね!重たいのが玉に瑕ですが!」
少女は右手で柄に手をかけ、鯉口を切って刃の一部を見せる。その煌めきは本物で、少なくとも達人が振れば目の前に積まれたどんぶりをまとめて真っ二つにすることくらいは容易いだろう……感覚的に、店主はそう思った。
店主は目の前の少女にはできるのか? 聞こうとしたが、直前で止めた。
それは、変装した狼に対してどうしてあなたの口はそんなに大きいの? と尋ねるのと同じことのように思えたからだ。
「なるほどな。うん。で、そんだけ食うってことはもうどっか出かけるのかい?」
無難に話を逸らす店主。旅するトレーナーが出立前にひたすら好きなものを食べるのは珍しくない。とはいえこの少女は食べすぎだが。
「この先にある森って結構長いらしいじゃないですか? 一回森に入るとやっぱ美味しいものって食べられないですし」
美味しくなかったら別の店はしごするつもりでしたが、大満足のお味です!!と店主を褒める少女。
が、褒められたにも関わらず店主の顔は浮かなかった。
「あー……いや、嬉しいんだがよ。そりゃやめといた方がいい。あの森は今、性質の悪い賞金稼ぎがいるらしいんだ」
「その話詳しく」
一気に真顔になった少女に店主は面食らう。
「さっき嬢ちゃんも言ったがトレーナー同士のバトルの後は賞金のやり取りすんのが慣例なんだろ? だが、そいつは戦った相手の金を根こそぎ持って行っちまうっていうんだ。何匹もごっつい進化したポケモン持ってるやつも、被害にあったらしい」
「ポケモンやトレーナーに被害は?」
「戦闘不能にはされてたが、別に死ぬほどじゃねえな。トレーナーの方も体に枝が刺さったり怪我はしてたが……まああの森は針葉樹やらが多くて慣れねえ奴が歩いてりゃ枝やら葉が刺さるのは当然だ。ともかくとして、命に別状はねえと聞くぜ」
「警察が動いたりは……まあ、あまりしてないでしょうねえ。トレーナー同士のバトルで渡す金額に明確な規定はない。バトルしてあくまでお金だけ持っていくなら……悪行ではあるけど、法に触れるとは言い難いし」
「お、おう……そんなところよ。一応見回りなんかは行われてるそうなんだが……関係者曰く、大規模な捜索とか取り押さえができるような事案じゃねえ、だそうだ」
「わかりました! それにしても、ずいぶん詳しくご存知ですねえ?」
少女の問に、店主は一瞬言葉に詰まった。何か、見えない言葉の刃を喉元に突き付けられたような感覚がしたからだ。
「……嬢ちゃん、こういう商売してるとな。別に自分から聞いたりしなくてもお客さんが色々喋ってくれるし酒飲んでるとほんとは言っちゃあいけねえような仕事の事情とかも聞こえちまうもんなのさ」
「確かにこのお店の料理めちゃくちゃ美味しくて繁盛してそうですし! 勉強になりました!ご馳走様!」
「ああ、ありがとよ。またいつか元気に顔出してくれや」
「はい、是非とも!」
いつの間にか追加を平らげていた少女はお金をぴったり出し、元気よく店を出る。
「お待たせ。それじゃあ出発しよっか、ニテン!」
店の外には白い人型のポケモン、エルレイドがずっと待っていたらしい。少女とポケモンが仲良く歩いていくのを見ながら。店主の目に映るのは少女の腰の刀とエルレイドの両手に備わる刃だった。
「いったた……」
森に入ってしばらく。指先に刺さった木の棘を抜いてわずかに流れた血を舐めとる。
「さすが、あのおじさんが言ってた通り……なんですけど、ちょっと面倒だし手袋でも用意しとけばよかったですかね」
歩いているだけで、とにかくありとあらゆる植物が刺さる。木に寄り掛かればごつごつの木肌が痛いし枝を手でよけようとすれば棘が刺さるし、草むらに入れば茂みがまるでペーパーナイフのように肌を裂く。
そこに違和感はあったが、まあ見知らぬ土地だからそういうこともあり得るだろう、と思うほかなかった。
「ニテンは大丈夫? 傷薬はいらない?」
エルレイドはずっと少女の後ろをついて歩いている。その姿はまるで貴族の傍らに控える従者のようで、問いかけにも一つ頷くだけで返した。
基本ポケモンは人間より丈夫で、自分の後ろを歩いてきているので少女も問題ないだろうとは思っていたが……そこは相棒への気配りである。
「そっか。じゃあ……一勝負お願いしても大丈夫ですかね」
エルレイドがすっと少女の前に出て、少女が左手でそっと切れないようにエルレイドの右手を握る。。それは二人の間で勝負をするときのサイン。
少女の視線の先には、やたら分厚いコートを着込んだ長身の青年向こうはまだこちらに気が付いていない。
「お兄さん! あなた、ポケモントレーナーですよね! 私とバトルしましょう!!」
突然かけられた声に、青年の肩がびくりと跳ねた。少女はエルレイドを前にぐいぐいと足を進めて青年の前に対峙する。
「……わかった。ルールはシングルバトルでいいか?」
「なんでもいいですよ! どのみち私のポケモンはこのエルレイド一匹だけですし。ダブルバトルがしたいというなら、どうぞ二体出してくれても構いませんし! まとめて切り伏せちゃいますから!」
「すごい自信だな……とはいえ、こっちもポケモンは一匹だけだ。出てこいジュカイン」
青年はモンスターボールを上に投げると、ボールが開き密林の王者、ジュカインが出てくる。腕には鋭い葉っぱの刃が備わっているのが見て取れた。
「では一対一の真剣勝負ですね! 私の名前はルチカ!いざ尋常に……ニテン、『サイコカッター』!」
「真剣勝負、か……俺はツバギク。ジュカイン、『リーフブレード』」
お互いのポケモンが、腕の刃を交差させる。エルレイドの腕の表面には見えない念力の刃が覆われ、ジュカインの腕には鋭さを増した葉が鎖のように連なってお互いの切れ味を受け止めた。
だが、膂力はこちらの方が勝る──たたらを踏んだジュカインにさらに刃を押し込むエルレイドを見てそう判断した少女、ルチカは次の手を命じる。
「ニテン、『燕返し』!」
エルレイドの念力は直接刃になるだけではなく、草木を削って『リーフブレード』を使うこともできれば岩を削って『ストーンエッジ』として放つこともできる。『燕返し』によって生み出されるのは、そこらの空気の流れを操ることによって発生する大気の刃。
エルレイド自身の刃の動きとは無関係に飛んでくるそれは回避不可能であり、草タイプであるジュカインを大きくのけ反らせた。
「接近戦じゃ分が悪いな……ジュカイン、距離を取れ。『タネ爆弾』だ」
「『サイコカッター』で弾き飛ばして!」
トカゲのようなするすると通り抜けるような動きで木の上に逃げたジュカインが、口から種子の弾丸を放つ。
遠距離攻撃といえど、単純な攻撃であれば防ぐ方法などいくらでもある。再び念力の刃をまとったエルレイドがいともたやすく、種が弾ける前に切り飛ばす。
ただ、その斬り飛ばした種の一部が。ルチカの肩を掠めようとしたので彼女は軽く身を避けた。直撃したところで大けがを負うほどではない、あくまで余波だ。
むしろ、その避けた先に。ついさっきまでルチカが認識していなかった木の枝が彼女の二の腕を刺した。
「っ……!」
「大丈夫か? この森の草木は鋭いからな……」
完全に想定外の痛みに腕を抑えてうずくまるルチカ。相手のツバギクは遠くから心配するような声をかける。
「ええ勿論。この程度で音を上げていては旅なんてできませんし! ……毒でもあったら危ないところですけどねえ?」
「……まさか」
「ないですよね! お兄さんこの森には詳しそうですし一応聞いてみてよかった!」
そう笑顔で答え、腕から血が流れるのにも構わずルチカはすぐさま戦況を分析する。
ジュカインは密林の王者。すなわち森の中ではもとより早い動きがまさに縦横無尽となるだろう。
エルレイドのサイコカッターで一帯の木を切り倒してしまうという手もないではないが、一ポケモンバトルのためにむやみやたらと自然を破壊することはよいことではない。
「……ニテン、『ストーンエッジ』!」
さして有効な手が思いつかないので場当たり的に近くの岩を削って刃として放つ。当然のように木々を伝って逃げられるが、向こうの遠距離攻撃も今のところさして脅威とはいえない。
「『タネマシンガン』だ」
今度は放射状に種子をばらまく。しかし、はっきり言ってエルレイドにダメージを与えるどころかルチカでさえ軽く身をひねって躱すことが出来る程度のものだった。むしろ、反射的に躱した時に刺さる野草や樹木の枝の方が痛い。エルレイドも、かなり煩わしそうに腕を振るっている。
「ずいぶん、巨体のわりにちょこまかと……『燕返し』!」
「……躱して『タネ爆弾』」
近くで打てば見えない刃で必中の真空刃も、離れすぎていてはただの直線的な攻撃に過ぎない。ターザンのように蔦を握って大きく移動しながら、さらなる種子の弾丸を投擲してくる。
その度に、逃げるジュカインの方を向くたびに体を動かすたびに、ポケモンの技とは無関係にルチカの体を傷がついていく。傷跡から流れる血が連なり、法被のような服が赤く染まっていく。
そんなお互いに決定打を与えられないやり取りを何度か繰り返した後、ルチカは納得したように血の止まらない手を叩いた。
「ああ、なるほど。これがあなたの戦術でしたか」
「……なんて?」
「とぼけるのはよしてください。普通のポケモンバトルを装い、ジュカインの特性を利用して逃げ回りながら相手にこの森の鋭い樹林で……いえ、それさえも時間をかけてジュカインが作り出したのでしょうし? ポケモンそのものよりトレーナーに傷を負わせ、満身創痍になったところで畳みかけるか降参を促してお金をふんだくっているのでしょう? 追剥さん」
ジュカインは密林の中を自由に動けるほか、背中に樹木を元気にする種をいくつも持っている。それを時間をかけて森全体に与えてやれば、森全ての木々、草むらががジュカインにとって無数の刃。他のトレーナーは歩いているだけで、ジュカインの姿を追いかけるだけで傷つき、体力も気力も尽き果て持ち金を奪われる。
「……」
青年は、しばし沈黙した。だが、観念したように息を吐く。
「……その言い方だと、噂になってるのか。この森もそろそろ引き上げ時だな」
「おや、意外とあっさりですねえ。もっと豹変するなり激昂するなりすると思いましたが。知られたからには生かして帰さないーとか」
「殺しは犯罪だろ……というか、そんな簡単に人を殺す気になんかならないって……」
面倒くさそうにため息をつく青年。彼の言葉は見せかけではなく、本当に殺意がなさそうにルチカには見えた。
「追剥もどきはいいのですかね?」
「法には触れてない。ポケモンバトルで地形を利用するのは珍しくないし、それでトレーナーを殺しているわけでもない。あくまでバトルに勝った『賞金』を頂いているだけ。この森の鋭さをジュカインが作ってることを見抜かれたのは驚いたけど……それだけだ。そのエルレイド一体じゃ、俺のジュカインは捉えられない。あんたも、お金だけ置いていなくなってくれよ。こんな追剥相手に傷跡が残るまで戦うとか……嫌だろ、普通」
「ええ嫌ですね! ですが、負けるのはもっと嫌ですし! 文字通りタネが割れたところで──反撃と行きましょう!!」
ルチカが右手で腰の剣を抜き、その刀身が輝く。その煌めきはエルレイドと共鳴し、攻撃力と素早さを大きく上昇させたメガエルレイドとなる。
「だから、ポケモンがいくら強くても無意味だって……どんなに素早いポケモンでも、この森の中じゃジュカインを捉えられない」
「それはどうですかね? 確かにあなたのジュカインの動きは早い。でも、今はこの森そのものがジュカインの力によって鋭くされたもの。ならば……ニテン、『ドレインパンチ』!!」
裂帛の気合を込めて、大地に己が刃を突き立てるエルレイド。本来『ドレインパンチ』はポケモンに当てて相手のエネルギーを吸い取りつつ打撃を与える技だが。
今この状況、森のすべてがジュカインの力で満ちた環境で大地に腕を突き刺せば、森に浸透したポケモンの力そのものを吸い上げる剣として機能する!
「……黙ってみてるわけにもいかないか。頼むからじっとしてろよ……『ハードプラント』」
ジュカインが大樹の上から直接蔦を操り、巨大化させてルチカと大地に剣を突き刺すエルレイドを閉じ込めようとする。エルレイドは、大地からジュカインのエネルギーを吸い上げるので精いっぱいだ。
「エルレイドの刃もあんたの大層な腰の刀も使えないしこれで出られないだろ。とりあえず閉じ込めるけど数時間くらいで出られるようになると思うから……じゃあな。もう二度と……」
「いいえ、逃がしませんよ! まだ、私たちの刃は残ってますし!」
ザクッ!!と音を立てて巨大な蔦の一部が断ち切られる。自分たちを封じ込めた蔦から這い出た血濡れた少女は、驚愕に固まる青年の喉元に。
ずっと左手に持っていた、バトル前にエルレイドから渡された『サイコカッター』を突き付けた。
「……参ったな。金なら渡すよ。警察に突き出すならそれでも構わない。ただ……」
「もちろん、殺したりしませんよ! あなた、優しい人ですし!」
「は……?」
喉元に刃を突き付けられたこと以上に驚いたような、困惑したような胡乱な目で青年はルチカを見つめる。
ルチカは確信を持った様子で青年に言った。
「だって、ただ殺さないようにするだけならもっと手っ取り早くトレーナーを昏倒させる方法なんていくらでもあるはずですよねえ。直接威力の高い攻撃を浴びせるとか……それこそ、草に毒でも塗っておけば人間くらい簡単に気絶させられるでしょう?」
「いや、そういうの面倒くさいから……死なさないように調整するのがさ……」
「いいえ、『ハードプラント』だってそうですよ。人間を殺したくないだけなら、直接ニテンを狙って戦闘不能にすればいいんです。そうすれば、私の刃一本じゃ防ぎきれずに私たちの負けでした。それに何より……ニテンには、刃を交えた人とポケモンの気持ちがわかるんですよ」
エルレイドが地面からジュカインの力を吸い上げる際にくみ取った思いは、可能な限り人やポケモンを傷つけたくないという思い。有り金全部持っていくも、一人当たりからもらう量が多い方が余計な戦いをしなくて済むからなのだろうと、エルレイドから意思を受け取ったルチカは感じていた。
「はあ……まあ、そうまで言うなら否定しないけどさ。もし俺が優しくなかったら……」
「もっと早くにあなたの首は飛んでましたね! ぶっちゃけ、いくらジュカインが早くてもあなたは突っ立ってるだけで隙だらけだったのでその気になればイチコロです! 」具体的には私に殺気を向けたら殺すつもりでした! この見えない刃でザクッと!」
エルレイドとルチカの腰の刀を見れば、誰でもその刃が危険だと思う。だが、本当に恐ろしいのは。何も持っていないように見える左手に持つ念力の刃と、それを感じさせない少女の狡猾さ。
そしてツバキクの優しさは……そんな少女とバトルしてなお、お互いのまともに傷つくことなく戦いが終わっているところだろう。ポケモンに至っては最初の一撃以外ダメージが発生していない。
「ああ……面倒なのに捕まった……」
億劫そうに嘆く青年と、血を流したまま楽しそうに話す少女。この後二人はなんやかんや一緒に旅をすることになるのだが、それはまた別の話。
ラプエルと申します。素敵な企画をありがとうございます。
ゲンガーVSエネコロロで一作書かせていただきました、ご意見ご感想等ありましたら遠慮なくTwitter《@lapelf_novel》までお願い致します。(バトル書き苦手なので厳しい意見お待ちしております!)
《ベスト・タクティクス》
「ヘドロばくだんが炸裂ッ! 赤コーナー、挑戦者のニンフィア、健闘するもここでダウンです! 勝利の女神は、青コーナーに微笑みましたぁあああ!」
暑苦しくも張りのある実況で、活気溢れるストリートがより一層賑やかになる。赤いフィールドから指示を出していたトレーナーは悔しそうにニンフィアをボールに戻し、バトルを観戦している観衆の人波に飲まれて消えていった。
ここはとある街のメインストリート沿い。空き地となっていた場所をとあるトレーナーが野良試合に使ったのが始まりで、今では街一番のバトルフィールドとして栄えている。休日ともなればその盛況ぶりは益々加速し、今日もその例に従って絶え間なくトレーナーがフィールドに立つ――のだが、忙しなく人が入れ替わる赤コーナーとは対照的に、青コーナーに立つトレーナーはもうずっと変わっていない。
「どうしたどうしたそんなもんか?! この街には俺たちに敵うやつは一人もいねえのかッ!」
マイク実況にも負けないその大声の主は、バッジ集めの途中でこの街に立ち寄った旅のトレーナー。腕組みしながら豪快に笑うその傍では、彼の相棒であるゲンガーが同じく腕組みして鼻を鳴らしていた。ここでのバトルルールは1VS1の一本勝負にして負け交代制なので、このゲンガーは相当の数のバトルをこなしているはずなのだが、まったくダメージや疲れを感じさせない出で立ちであった――が、その表情はお世辞にも明るいと言えるものではない。
「次、私が挑戦します」
ガヤに掻き消されそうなほどに細い声とともに、赤コーナーに一人の少女が立った。新たな挑戦者の登場に、俄かに観衆が沸き立ち、ボルテージは再び最高潮を迎える。青コーナーの男はまだ僅かに幼さすら感じさせる少女を前にして小さく失笑し、「嬢ちゃんが俺に挑むのかい? 負けて泣いたって知らないぞぉ?」と戯けた。ヒールめいた言動に観衆が湧いたりブーイングを飛ばしたりする中、少女は細く淡々と、けれどもしっかりと耳に届く声で言った。
「だいじょうぶ、ポケモンをトレーナーの言いなりにしてる人に負けるほど、私は弱くないわ」
「なにぃ? 言ってくれるねえ、後悔すんなよぉ?」
「そのセリフ、そのまま返すわ。行くわよ――出ておいで、コロ」
少女が宙に放ったボールが煌めき、光の奔流が飛び出す。ぱっと輝いた光の中から現れたのは、コロ――“おすましポケモン”のエネコロロ。優しい目をたたえる柔らかな表情に一瞬、誰もが癒しに包まれ――そして我に返る、「え、エネコロロ?!」誰もが驚きを隠しきれなかったが、無理もないだろう。
エネコロロ、ノーマルタイプ単色。個体数が少なく珍しい“エネコ”に、これまた希少アイテムの“つきのいし”を使うことで進化した、まごう事なきレアポケモンである。その美しい毛並みの艶やかさ、見るものを癒す愛くるしさ、住処を汚さない綺麗好きっぷりから非常に人気が高いのだ――バトル“以外”では。
愛玩ポケモンとしては一級品のエネコロロではあるが、バトルとなるとそうもいかない。華奢ゆえに耐久力に乏しく、同じくして攻撃力も貧相。タイプも耐性の少ないノーマルタイプであり、覚える技も癖が強いものばかり。それに加えて、このポケモンで出来る事は、もっと打たれ強く攻撃力も兼ね備えたポケモンで代用できるのである。言葉が悪いが、要するにエネコロロはバトルにおいては他種族の“劣化”に過ぎないのだ。
そのエネコロロが今、強豪トレーナーの連れているゲンガーと相対している。
連戦連勝の相手を前に少しも怖じることなく、おすまし顔を崩さず、まっすぐ、ただまっすぐに。
「本気かよ……だがここまで啖呵切ってんだ、心置きなく全力でやらせてもらうぜ!」
「もちろんよ、やりましょう」
「さ、さあ大変なことになってきましたァーっ! 連戦連勝のゲンガーに挑戦するのは、可憐で華奢なエネコロロぉ! 一体どんなバトルが繰り広げられんでしょうかぁーッ?!」
実況の煽りに釣られ、観衆のボルテージが徐々に盛り上がっていく。呆気にとられていた顔が、口角が釣りあがっていく。
向かい合ったゲンガーとエネコロロ、大男と少女。瞬間、視線がぶつかり――
「一本勝負ッ、はじめェエエっ!」
「先手必勝おにびッ!」
ゲンガーの目が大きく見開き、紅く光る。ケケケと笑い声愉しげに響かせ、黒い炎がフィールドを滑る。「力押しだけかと思ったか、搦め手だってお手の物だぜッ!」と大男の声が響くが、炎はエネコロロに近付くなり勢いを潜め消滅した。よくよく見ると、どくまひやけど――あらゆる状態異常を打ち払う“しんぴのまもり”がいつのまにかエネコロロを包んでいる。大男はほうと唸った。
「あの一瞬でよく捌いたなッ」
「私のコロ、冷静なのよ……みやぶる!」
エネコロロの円らな瞳が煌めき、見えない眼光がゲンガーの霊体を射抜く。“みやぶる”というおよそ一般にバトルでは用いられない技に大男とゲンガーが躊躇する間にエネコロロ、ちらと後ろを振り返ってアイコンタクトのウィンク。少女の表情が僅かに綻び、エネコロロは地を蹴って距離を詰める。
「10まんボルト!」
「ッ……シャドーボール!」
エネコロロが放つ強烈な電撃。一瞬遅れたが、ゲンガーも足元の影を塊に変えて応戦する。両者の強烈な技、あと数秒とせずして激突する――大男はにやりと笑う。
――ノーマルタイプのエネコロロにシャドーボールは通用しない、使うとしたらこんな風に技を相殺するくらいにとどまる……だが、シャドーボールは衝撃すると影が拡散して目眩しになるッ! 影を自在に動けるゲンガーに死角はないぞッ!
センターラインを境に、10まんボルト、シャドーボール、両者勢いよく迫り、丁度真ん中あたりで衝撃――せずに、“すり抜けた”。
「はァッ?!」
呆気に取られる男をよそに、強烈な電撃がゲンガーの身体を激しく撃つ。バリバリと甲高い雷撃音が響き渡り、観客がわあっと湧き上がる。よろめいたゲンガーがなんとか踏みとどまったのを確認し、大男はすぐさまエネコロロに視点を向けた――
「――ッ!」
わかっていたことではあったが、当然ながらエネコロロはノーダメージ、《こうかがないようだ》った。ノーマルタイプにゴーストタイプの技をぶつけても、その技はポケモンをすり抜けるようにして消えてしまう――バトルをするなら必須知識のタイプ相性だ、トレーナーならば誰でもそんなことは知っている。
だが。
「何故だ?! なんで技同士がすり抜けて、なんでゲンガーにだけダメージが入るッ?!」
「よく思い出してごらんなさい、私のコロのこと」
「――あッ、“みやぶる”かッ! あの技で俺のゲンガーにだけダメージが入るようにしたのかッ?!」
少女はくすりと笑う。
「半分正解よ。でもそれじゃまだ足りないわ、シャドーボール!」
「ッこっちもシャドーボールだ!」
エネコロロの頭上に、ゲンガーの顔先に、黒い影の塊。同一タイプの利があるゲンガーが一手先に技を完成させて放つ――そしてようやく過ちに気付く、「しまった、これじゃさっきの二の足か、相手の技に釣られちまったッ」悔いてももう遅く、お互いのシャドーボールはフィールド赤コーナー寄りでまたもすり抜け、遅れてゲンガーに影の塊が迫る――
ど、と僅かに鈍い音。気圧され倒れるも、すぐに起き上がるゲンガー。
何食わぬ顔のエネコロロ。やはり《こうかがないようだ》。
「す、素晴らしい技の応酬ーッ! 連戦連勝の猛者であるゲンガーを前にして一歩も引かないエネコロロぉーッ! 適切な技の選択、撹乱、素晴らしいバトルセンスッ! 直撃したシャドーボールの《こうかはばつぐん》だーッ! 青コーナー、体勢を立て直すことはできるんでしょうかッ?!」
「……いや、違う、何かおかしい」
起き上がったゲンガーと大男の目が合う。10まんボルトとシャドーボール、立て続けに高威力の技を受けたのにそれほど堪えていないのは、単純にエネコロロの火力が不足しているだけのようには思えなかった。
――そもそも、今のシャドーボール……本当に《こうかはばつぐん》だったのか?
エネコロロは堂々とした風体で、その場を動かない。可憐な見た目には不釣り合いなその圧力に、ゲンガーはただ恐れ怯えるばかり。だがそれはトレーナーも同じであった、正体の掴めない相手にただ不安が募るばかりである。
このままでは押し負けてしまう、何かカラクリがあるはずだ。自身の傲慢さは百も承知ではあるが、ここまで旅を続けて鍛錬を重ねてきたのは伊達じゃない――大男は必死に頭を回転させ、目の前に鎮座するエネコロロの知識を引っ張り出す。脳内の引き出しの奥の奥、隅の隅、どこかに叩き込んであるはずだ、エネコロロのカラクリ――
「あッ!」
脳の片隅に置いてあった、バトルではマイナーなポケモンに関しての知識。それを大男が見つけた時、全ての合点がいった。
「“ノーマルスキン”……ッ!」
「その通り、正解よ。私のコロはノーマルスキンの特性を持ってる。やっと悩まなくて良くなったわね」
ノーマルスキン。
この特性を持つポケモンが出す技は、その技のタイプに依らず、全てノーマルタイプへと変わる。その技の威力は特性によって上昇補正がかかり、更にエネコロロ自身とも同一タイプとなるため追加で上昇補正がかかる。火力に乏しいエネコロロのようなポケモンでも、バトルにおいて必要十分な火力を得ることができるのだ。
タイプが強制的にノーマルタイプへと変わるので、シャドーボールのようなゴーストタイプ技とは相殺し合わず“すり抜ける”。そして、ゴーストタイプの“ポケモン”にノーマルタイプの技が当たるようになる“みやぶる”によって、ゲンガーだけがダメージを受けてしまう――これが先程までの技の応酬のカラクリである。
全てを理解し、大男は歓声をかき消すほどに大声で笑った。
「わかっちまえばどうってこたぁねえ、火力を補正したところで、能研の出したエネコロロの特殊火力指数は確かDランクだったはずだッ! 同じDランクのポケモン――ローブシンやナットレイが特殊技で攻めてきたところで怖いか?! 小細工のタネが割れた以上ッ! もう負けないぜッ!」
“ポケモン能力研究所”――通称“能研”は、ポケモンの種族ごとにHPや攻撃力、素早さなどがどの程度優れているのかを研究しており、逐次トレーナーに向けて情報を公開している。
大男は、能研のデータを入念に調べていたこともあって、エネコロロというバトルではマイナーなポケモンの能力を把握していた。
そして、“みやぶる”と“ノーマルスキン”の作戦――彼に言わせれば“小細工”のタネも把握した。
バトルは相手に手の内を悟られないことが重要である、種族間に明確な能力値の優劣があるのならば尚更のことだ。マイナーがメジャーに勝つためには、能力差を覆すだけの策が必須である、が――
「いくぞゲンガーッ、メガシンカ!」
全てが明るみに出てしまえば、もはやマイナーに勝機はない。
大男の右腕に巻かれた“メガバングル”と、ゲンガーの持つメガストーン――“ゲンガナイト”が呼応し、ゲンガーの身体が虹色に渦巻く光に包まれ、そして――
「おおーッ! 青コーナーのゲンガー、なんとメガシンカによりメガゲンガーへと姿を変えましたッ! 赤コーナーエネコロロにとっては厳しい展開、この戦力差をひっくり返すことは、果たしてできるのかぁーッ?!」
額に現れた第三の眼を輝かせ、ゲンガーはぐにゃりと歪んだ表情。腕は溶けてしまったかのように変形し、胴体から下は異次元空間の中にすっぽり覆われていて、その中を窺い知ることはできない。
まるで“別物”に変わってしまったメガゲンガーを前に、少女の顔が曇る。
「……そんな、メガシンカが使えたなんて」
「ふッ、俺のゲンガーはメガゲンガーへと“変わった”、どういう意味かわかるなッ?!」
「くッ……みやぶ」
「遅いッ10まんボルトォ!」
“みやぶる”の体勢に入るより早く、メガゲンガーの放つ雷のような電撃がエネコロロに迫る。指示を待たずして冷静な判断を下したエネコロロもなんとか10まんボルトを放って応戦する――
相手と同じ技が使えるなら、その技を使って応戦するのはバトルの基本的知識とされている。異なる技を使って応戦した場合、仮に自分の技の威力が相手を上回っていた場合でも、ぶつかり合いによって技が弾け飛び、自身がダメージを受けてしまう場合があるからだ。大男はその癖に則り“シャドーボール”を指示していたし、エネコロロも普段のバトルでの経験則からこの行動を選択した。
だが、通常通りの技のぶつかり合いの場合、その勝敗とダメージの程度は、純粋な戦力差を示すことになる――
「だめっ!」
少女の悲痛な叫びが、雷撃音に一瞬でかき消される。フィールドに立ち込める土煙、一陣の風に吹かれたその先には、四足でなんとか地に踏ん張る痛々しいエネコロロの姿。
「青コーナー強烈な10まんボルトォ! 赤コーナーも10まんボルトで応戦しましたがァ、メガシンカから来る圧倒的なパワーに押し負けて手痛いダメージを負ってしまったッ!」
戦局の大きな動き。観客が盛り上がり、大男は腕を組んで豪快に笑う。
今この場で盛り上がれず苦悶の表情を浮かべているのは、エネコロロと少女だけであった――
「……メガシンカは一時的ながらも“進化”だ、進化すればこれまでの状態はリセットされる――エネコロロの“みやぶる”の効力は切れた、ノーマルスキンでダメージを与えるためにはかけ直しが必要だがッ! メガシンカでパワーもスピードも上がったゲンガーはそんな暇を与えないッ! 勝敗は決したぞッ!」
「く……やるわね、かなり苦しくなってきたわ」
「嬢ちゃんのバトルセンス、正直言ってかなりのモンだ、それは認める……だがな!」
男は腕組みして叫ぶ。
「使うのがそんな“弱い”ポケモンじゃあッ! いくらトレーナーが優れていたって勝てるかよおッ! 抑もエネコロロをバトルで使うなら特性は“ミラクルスキン”一択だろうよ、そこを疎かにしてるようじゃあ俺には勝てねえッ!」
悪役、と片付けるには余りに行き過ぎた、過度な対戦相手批判――ひいては、マイナーポケモンの批判、否定。オーディエンスは賛否両論真っ二つに割れ、バトル狂いは同調し、エンジョイ派はブーイングを浴びせる。両派の賑わいぶりはヒートアップして、バトルフィールドは更なるボルテージアップを見せる――
「……そう、思った通りね」
それは、一人静かに呟く少女も。
「確かに、それは一理ある」
おすまし顔で佇むエネコロロも。
「でも私は、あなたには負けないわ」
例外なく、同じことであった――!
「ッ言ってくれるぜ! ならやってみろッ、10まんボルトォ!」
メガゲンガーの虚ろな瞳が光り、もう一度電撃が起こる。バヂバヂと耳を刺激する雷撃音に観衆が沸き立つ、先の蓄積ダメージから鑑みるに、これを受けてしまうとエネコロロは間違いなく戦闘不能であろう。大見得を切った少女の命運がかかったこの一撃に、誰もが興奮を隠し切れない。
――さあどうする、さっきみたいに10まんボルトで対抗したところで火力差は圧倒的だ! いい加減わからせてやる、優れたトレーナーが優れたポケモンを扱ってこそ、バトルに勝てるってことを!
男の口角が上がる。
電撃がエネコロロへと迫る。
命運が、決する――!
「でんじは!」
「何ッ?!」
エネコロロの頭部がわずかに帯電し、自身の斜め前方へと“でんじは”が放たれ、そして――
「なんだとッ?!」
電撃――10まんボルトはそのでんじはに釣られて軌道を曲げられ、エネコロロとはまるで違う地点に着弾した、観衆が湧きたち実況がマイクを握りしめる――!
「これは素晴らしい展開だぁッ、赤コーナーエネコロロ、でんじはを誘導に使いッ! 火力に勝るメガゲンガーの10まんボルトを、見事にいなしたーッ!」
「く、くそッ、まさかそんな技でそんな手を……」
「“ノーマルスキン”はでんじはのような補助技でさえもノーマルタイプに変えてしまう……でも、タイプが変わっても相手を“まひ”させることは変わらないように、“わざ”としての性質は変わらないのよ。電気を誘導して照準を外すことだって出来ちゃうのよ、私のコロ」
「……ならば今度こそこれで終わりだッ、小細工の通用しない、メガゲンガーの最大火力ッ! ヘドロばくだんッ!」
メガゲンガーの表情が少し険しく歪み、眼前には猛毒のヘドロの塊が出現した。シャドーボールの効かないエネコロロに対して、メガゲンガーが放つことのできる紛れも無い最高火力のわざ――これまで何度も赤コーナーの挑戦者にとどめを刺してきた“切り札”的存在の技に、観衆のボルテージ、テンションは最高潮を迎えた!
べちょべちょと恐怖を感じさせる不気味な音を発しながら、メガゲンガーの全力を乗せたヘドロばくだんがエネコロロへと迫る、ああ、このままでは今度こそ、火力で押し返せないエネコロロは――!
「まもる!」
「ッ!」
前方に出現した薄いレンズのようなシールドが、エネコロロをヘドロばくだんの猛攻から完全に防ぎ切った。眼前で汚いヘドロが“まもる”によってかき消えていく様を見て、綺麗好きなエネコロロは小さく安堵の溜息を漏らした。
決まり手、切り札的存在の技を防いだエネコロロにわっと場内が湧いたが、そんな中大男は白けていた。チッと舌を打ち、そして閃く。
「その技……火力に乏しいエネコロロが耐久型と戦う時、“どくどく”と組み合わせて粘るためにでも準備してたんだろう……ノーマルスキンがあれば、ゴーストタイプも毒状態にできるからな」
「……あなたのゲンガーはそもそも“どくどく”が効かない毒タイプが入ってるから、その手は使えないけど、ご明察よ」
「……フン! ならば火力だけじゃなく、そういう搦め手でも俺のゲンガーが優れていることを教えてやるッ! おにび!」
「っ?!」
メガゲンガーの表情がぱあっと明るくなり、まるで悪戯っ子のような悪意を含んだ笑顔とともに恐ろしい炎を放った。「まだ“しんぴのまもり”が……」と言いかけた少女の眼前でエネコロロを覆っていた“しんぴのまもり”が解け、悲鳴をあげる間も無くエネコロロは地獄の業火に焼かれた――そう、常にダメージを受け続ける状態異常である“やけど”にされてしまったのだ。
「ヘッ、俺が“しんぴのまもり”の持続時間を把握してないとでも思ったかよッ! 一度やけどにしてしまえば、もう解除する手立てはないぞッ!」
「くっ……みやぶるっ!」
火傷で全身を震わせながらも、エネコロロは懸命にメガゲンガーに視線を飛ばす。メガゲンガーに出せる最高火力が“ヘドロばくだん”であるのなら、エネコロロに出せる最高火力――言わば切り札である技は“ふぶき”。ポケモンが扱うことのできる技の中でもトップクラスの威力を誇る“ふぶき”ならば、メガゲンガーとて対処は困難なはずであるはずだが今の“ふぶき”はノーマルタイプ――メガゲンガーには当たらない。なんとしてもまず“みやぶる”を決めなくてはならない、技を撃った直後の隙である、今この瞬間に――
だがそれは、全くもって甘い考えであった。
「まもるッ!」
「――!」
「おーっと、今度は青コーナーメガゲンガーが守りの体勢に入りましたぁーッ! 先程は赤コーナーエネコロロが身を守ったこの技をッ! 今度は赤コーナーがッ! これは宛ら技の意匠返しと言ったところでしょうかぁーッ!」
“みやぶる”を受け止めたシールドの向こう側から、メガゲンガーの心底楽しそうな顔が覗く。少女はしてやられたわねと悔しがりながらも、なぜかメガゲンガーを見つめながら少しだけ微笑んでいた。
「さあ今度はこっちの番だッ、ヘドロばくだんッ!」
「う……ま、まもるっ!」
守りの体勢を解いたメガゲンガーは再び戦闘姿勢をとり、渾身の力を込めたヘドロばくだんを放り投げる。火傷に身を灼かれるエネコロロは必死でシールドを貼ってその攻撃を防ぎきったが、もはや身体がヘドロに汚れなくてよかったなどと安堵している余裕はない。
“まもる”は相手の攻撃を防ぎきる、単純明快にして非常に強力な防御技である。デメリットとして連発すると高確率で失敗するリスクを抱えてこそいるものの、単純にその場を凌いだり時間を稼いだりするためには非常に使い勝手のいい技なのだ。
そう、時間を稼ぐのに使い勝手がいい。
つまり――
「ここから俺のゲンガーと力比べをしたところでッ! 交互に技を撃ち合いながら“まもる”の応酬になりッ! “やけど”でじわじわと体力を奪われて嬢ちゃんの負けだッ!」
「……苦しいわね」
「ゲンガーは攻めだけが能じゃねえッ、一対一じゃなけりゃあ“ほろびのうた”も“みちづれ”なんかも使える芸達者なんだよッ、読みきれないだけの手があってそれでいてハイスペック――本当に“強い”ポケモンってのは、こいつみたいなことを言うんだよーッ!」
大男のセリフに、メガゲンガーは本当に嬉しそうに笑う。腕組みして得意げに笑う。男とゲンガーは本当に仲がいいらしい、心と心が通い合っているらしい――?
――いいえ、少しだけ違うわ。でもその誤り、もうすぐ私が正してあげるから――
少女はくすりと微笑む。その企んだような表情に、大男もメガゲンガーも、これまでのバトルで敷かれた策を思い起こされて少し強張る。
「……そろそろコロのダメージは限界、このまま撃ち合いをしたところですぐに倒れてしまう――だから次が、“私たち”の最後の攻撃よ」
「ほおッ、ならばそれをいなして俺たちが勝つッ! 撃ってこいッ、こいッ!」
「さあいよいよバトルも佳境を迎えたーッ!赤コーナーはこれが最後の攻撃を宣言ッ、青コーナーメガゲンガーが使うであろう“まもる”を攻略しッ! 打ち倒すことができるのかーッ?!」
実況の煽りも受け、観衆が、フィールドが震えるほどに大熱狂する。クライマックスを迎えたゲンガー対エネコロロの異色カードは、間違いなく今日一番の盛り上がりを見せていた。じわじわと嬲ってくる“やけど”のスリップダメージに追われながら、如何にしてメガゲンガーを沈めるのか――誰しもが、大声で熱狂しながら、エネコロロをじっと見つめる。
「行くわよコロ――“どろばくだん”っ!」
「な、何ッ?!」
エネコロロが最後の力を振り絞って使った技は、じめんタイプの“どろばくだん”。メガゲンガーの扱う“ヘドロばくだん”と比べると少々小ぶりではあるが、十分な威力を持った立派な爆弾技であり、直撃すれば《こうかはばつぐん》で大ダメージが期待できる――が。
「血迷ったかッ、嬢ちゃんのエネコロロはノーマルスキンッ! その“どろばくだん”はノーマルタイプで、“みやぶる”を解除したゲンガーには《こうかがない》ぞッ! 抑もこうするから当たりもしないがなッ、“まもる”ッ!」」
メガゲンガーは“まもる”を繰り出し、前方にシールドを貼って防御姿勢に入った。これでもう、メガゲンガーに通常の攻撃技は通じなくなった。通じるのはこれを解除できる“フェイント”や“ゴーストダイブ”などの一部の技だけだが――生憎、エネコロロはそのどれも使うことはできない。
「勝ったッ! やはり甘かったなッ、変化技を回避できる“ミラクルスキン”のエネコロロにしていればこの消耗戦は避けられただろうにッ! 攻撃のために“みやぶる”の一手間を必要とするノーマルスキンの個体を選んだのはッ! バトルに対しての甘え――勝利することへの冒涜だッ!」
「……いいえ、それは違うわ。だって私、この子と一緒に力を合わせて勝ちたいんだもの、個体がどうとかそんな話じゃないのよ――!」
これまでよりも更に覇気の篭った力強い声とともに、少女は腕を交差させてその場で一回転し、右掌を力強く地面に叩きつけた。聖なる儀式を模したポーズに呼応して、左手首に付けていたリングが輝き、放たれた一陣の光がエネコロロに纏われ、究極の力――“Zパワー”がその身に宿った――!
「な、なんだとッ?!」
「受けてみなさい、私とコロで作ったゼンリョク――どろばくだんZ、“ライジングランドオーバー”っ!」
少女と心を重ねたエネコロロの身体にZクリスタルの紋章が浮かびあがり、可愛らしくも力強い声で雄叫びをあげる。直後、エネコロロから守りの体勢を取っているメガゲンガーに向かって一直線に地割れが起こり、強烈な衝撃を起こす、メガゲンガーの“まもる”が揺らぐ――!
「ま、まずいッ! Z技は、ノーマルスキンの威力補正がかからない代わりにッ! タイプがその技に依存したまま放たれるッ!」
「――それに加えて、Z技は“まもる”を打ち崩すのよ! 威力はかなり下がるけど――でもっ!」
防御姿勢を完全に崩されたメガゲンガーが宙を舞う、埋まっていた下半身を異次元空間から引きずり出されて――。エネコロロは姿勢を低くとってから勢いよく跳びだし、強烈な錐揉み回転を加えてゼンリョクで突撃する――
「手負いになったあなたのメガゲンガーを倒すには、十分すぎる火力よ! いっけぇーっ!」
少女のゼンリョクを受け取ったエネコロロのゼンリョク、一人と一匹分のZENRYOKU技が炸裂し、フィールド上空で大爆発を起こした――煙の中から優雅にエネコロロが飛び出して華麗に着地し、一足遅れてメガシンカが解除されたゲンガーが地に堕ちる。両目をぐるぐると回しているその姿は、勝負の決着が付いたことを示すには十分すぎた――
「な、なッ! なーんということでしょぉーッ! 連戦連勝百戦錬磨の青コーナー、メガゲンガーは戦闘不能ッ! よってこの勝負ーッ! 赤コーナー、エネコロロの勝ちぃーッ!」
耳が割れんばかりの大歓声が起こり、少女は小さく右手を握り、エネコロロは得意げにおすまし顔でそれに応えた。そして小さく振り返ったエネコロロに少女は左腕のリングを見せつけ、エネコロロはみゃおうと嬉しそうな声をあげた。
大男は無言のまま悔しそうにゲンガーをボールにしまい、フィールドの中央に向かってとぼとぼと歩く。「コロ。よく頑張ってくれたわ、立派だったわよ。おつかれさま」少女は労いの言葉をかけてからエネコロロをボールにしまい、同じくフィールド中央に向かう。
「くそッ……まさかこんな形になるとはな……悔しいが力及ばずだ。強いな、嬢ちゃん」
「ありがとう」
「……だが恥ずかしい話まだ納得がいかない、いくら策が優れていたところで、ゲンガーとエネコロロとじゃあ力量差が圧倒的だ……どうして、なぜ負けたんだ、俺たちは?」
「……ポケモンをトレーナーの言いなりにしてる人に、私は負けない。そう言ったわね」
「ああ……だが、確かに俺はバトルに勝つことこそが至上であり、より強い種族が上位互換として存在するなら、そのポケモンを使わないのは勝利することを冒涜している、そんな風に考えている……だが、俺はゲンガーをぞんざいに扱ったり言いなりにしたりなどは断じてしていない、こいつの強みを活かして勝とうとしているんだ、どうして負けたんだ、何が間違っているんだ?!」
「……ねえ、あなたのゲンガー、ちょっとボールから出してくれないかしら」
「? ああ」
大男はボールの開閉スイッチを押し、満身創痍のゲンガーを繰り出した。少女は体力を回復する効力を持つ“オボンのみ”をそっと差し出し「さっきはごめんなさい。いい勝負だったわね」と優しく話しかける――が、ゲンガーはそのきのみを半ば引っ手繰るように取って、大男の陰に隠れてしまった。やっぱり、と少女が呟く。
「あなたのゲンガー、きっと“おくびょう”なのね」
「あ、ああ……性格が“おくびょう”なポケモンは物理戦が苦手な代わりに足が速い――ゲンガーの強さを引き出した戦い方をするには、この性格が一番のはずだッ」
「……確かにそれは合っている、でも少し違うの……ポケモンには性格だけじゃなくて“個性”があるのよ。“イタズラがすき”とか、“ものおとにびんかん”とか。あなたのゲンガーはきっと、おくびょうで足が速いけど――相手に攻撃をするのはあまり好きじゃない」
「な、なぜそんなことが言えるッ?!」
「ゲンガーを相手にして、向かい合って戦ってた私にはよく見えたのよ――攻撃技を使うときと補助技を使うときとで、ゲンガーの表情は全く異なっていたわ」
「な……」
「“10まんボルト”を使うとき、ゲンガーは虚ろな瞳をしていたわ。“ヘドロばくだん”を使うときは、苦しそうに表情を歪めていたわ――反面、“おにび”を使うときは楽しそうにケケケって笑ってて、“まもる”が成功したときは心底楽しそうにしてたわ」
「……」
「あなた、トレーナーとしてゲンガーの傍にいるのに、いつも後ろからしか見てあげてないのね……だから気付けないのよ。本当にトレーナーとして自分のポケモンを活躍させたい、勝ちたいのなら、きちんと正面から見てあげなきゃダメなのよ」
自分の足元に隠れるゲンガーを、大男は申し訳なさそうな視線で見つめる。ゲンガーは少し恥ずかしそうにもじもじとしていたが、「ゲンガー……お前、攻撃よりも絡め手で戦ってる方が好きだったのか……?」と聞かれると、少し俯きがちにこくりと頷いた。大男の耳が朱に染まる、「俺は、そんなことにも気付いてやれてなかったのかッ」図体に似合わない細い声が喉から絞り出される。
「……“エネコロロ”をバトルで勝たせたいのなら、確かにミラクルスキンの方が汎用性が高いし、攻めよりも絡め手で戦った方が賞賛は大きいわ。でも私はエネコロロで勝ちたいんじゃない、この子――コロを勝たせてあげたいのよ」
「……」
「だからこの子の“れいせい”な性格と、“おっちょこちょい”な個性と、産まれ持った“ノーマルスキン”を最大限に活かして戦う――“れいせい”さゆえに少し足が遅いけども、パワーに差があるのに同じ“10まんボルト”で戦おうとしちゃう“おっちょこちょい”なところがあるけど、“ノーマルスキン”のせいでゴーストタイプやはがねタイプと戦うのに一工夫必要だけども。それでも全部一長一短、悪いところもあればいいところだってあるの。だから私はそのいいところを伸ばし、活かしてやりながら戦う――それが本当の“トレーナー”の役割だから。そうやって一緒に戦ってるから、勝敗に関わらず、私とコロは輝くのよ」
「……力及ばず、どころではないッ……俺たち、いや俺の完敗だ――」
少女の語るトレーナーとしての在り方と、これまで自分がゲンガーと共に歩んできた道のり。その両方を比べてみて、その差に愕然とした大男は力なく肩を落とす、「俺とゲンガーは、これからちゃんとやっていけるんだろうか……」歓声に掻き消されそうなほど小さな声でつぶやく大男に、少女は言う。
「あなたとゲンガーは絆をエネルギー源とする“メガシンカ”が使えた、それは間違いなくあなたたちの絆が深く結びついていたからなのよ――そう、あなたとゲンガー、戦い方を間違っているだけで、決して悪い仲じゃない……寧ろベストコンビよ。戦い方を改めれば、きっともっともっと高みへと登れるわ」
「……ははっ、ありがとな、嬢ちゃん……俺、ゲンガーとまた頑張ってみるよ。そしてごめんな、もうマイナーなポケモンを貶したり見くびったりするのはやめだ――そのポケモンの特徴や性格、個性を最大限に引き出した戦い方を、俺は尊敬する」
「そう言ってもらえて良かったわ。……私も、あなたみたいな明るいトレーナーを目指してみようかしら――機会があればまたバトルしましょう」
「勿論だ、そのときは負けないぞッ」
両者はがっちりと握手を交わす。「素晴らしいバトルでしたッ、両者お見事でしたぁーッ!」実況を合図に、観衆全員が二人に惜しみない拍手を送った。大男がゲンガーに突き出した右手にゲンガーが右手で応えたとき、その拍手は更に激しくなった。
かくして、この日の激闘は幕を閉じたのである――
☆☆☆★★★☆☆☆
爽やかな風の吹くとある地方都市の町外れ、腕試しを競うトレーナーたちが集うストリートバトルフィールドは休日の大賑わいを見せていた――どこの街へ行っても、こういう野良バトル場は賑わっていて楽しそうね。今日はもうこの街を出るから、私は参加するつもりはないんだけども。
わいわいがやがやとした観衆を横目に、私は都市間道路へと歩いていく。そよそよとした風が気持ちいい、随分と伸びてしまった髪を揺らしながらバトルフィールド際を通り過ぎようとしたとき――興味深い会話が耳に入ってきた。
「くそーっ、またアイツのゲンガーに勝てなかった!」
「なかなかしぶとくて倒せないんだよなあ、いなされちまう!」
「ああいう絡め手するくせに、あのゲンガーすげえ楽しそうな顔するんだよなあ、ちくしょう!」
まさかと思い、人波をかき分けて最前列へと出る――すると、そこには。
「決まったーッ! 青コーナーのポリゴン2、じわじわとダメージを稼がれてここでダウンですッ! 赤コーナーのゲンガー、またも勝利ーッ! “くろいヘドロ”と“どくどく”“まもる”を合わせた耐久戦でッ! 驚異的な回復力を誇る相手を見事に撃破しましたッ、これにて赤コーナーは本日五連勝を達成ーッ!」
「やったぜッ!」
赤コーナーでハイタッチを交わすゲンガーとトレーナーは、間違いなくあの日戦ったコンビであった。実況や周囲の人の話から察するに、どうやらゲンガーの個性を強く活かしたバトルスタイルを確立しているらしい――うふふ、嬉しくなっちゃうなあ。まさかこんな遠い街で、こんなに久しぶりに、また会えるなんてね!
腰についたコロのモンスターボールが揺れている、うふふ、あなたも? 奇遇ね、私も彼らと戦ってみたくてうずうずしてるの、行きましょ!
「次! 私が挑戦します!」
青コーナーに躍り出た私を見て、赤コーナーの彼が、ゲンガーが、びっくりして目を見張った、やっぱり覚えててくれたのね!
「嬢ちゃん……いやもう立派なお姉ちゃんだな、久しぶりッ!」
「お久しぶり。まさかまた会えるなんて思わなかったわ、すっかり戦い方も変わったみたいね」
「おうよッ、もう以前の俺たちだと思うなよッ!」
「ふふっ、私たちだって成長してるんだもの、負けないわよっ!」
思わず笑みがこぼれちゃって、たまらず私はボールを放る。現れたコロの姿を見てみんな「エネコロロでバトルするのか?!」ってびっくりしてるけど――すぐに別の意味でびっくりさせてあげるわ。ね、コロ!
「さーあ続いて青コーナーに立った挑戦者、使うのはなんとエネコロロッ! 五連勝中の赤コーナーのゲンガーを打ち負かすことは、果たして出来るのでしょうかッ?!」
コロもゲンガーも、私も彼も、バッチリ戦闘体勢。“本当の戦い方”になった彼ら相手だと、パワーもスピードも負けているコロで戦うのは正直大変ね――でも、そういう相手だからこそ、尚更燃えてくるのよね!
「柄にもなく燃えてきたわ、行くわよ!」
「そうこなくっちゃね、行くぜッ!」
こんなにわくわくするバトルなんていつぶりだろう、勝てるかわからないからドキドキしちゃう。でも精一杯やりきって見せるわ、それが私とコロのバトルだから――!
「それではッ! はじめぇえッ!」
行くわよ、私とコロの力、見せてあげるわっ!
お早いスレ立てたいへんありがたく! バチュルVSオーダイルのカードです
――――
「くっつきポケモン」の名前の通り、キキョウのトレーナースクールへ行く時も帰りの道でもバチュルはいつも僕の頭の上にくっついている。その黄色い身体が目に入ると、ポッポやホーホーはそれだけで逃げていく。一度イトマルと間違われたのか食べられそうになっていたけれど、得意の電気を帯びた糸で撃退したらそれきり近寄ってこなくなった。
そのいつもの重みが、ふっと頭の上から消える。
「バチュル?」
名前を呼んで辺りを見回しても、夕暮れの今じゃ暗くてさっぱりわからない。街灯もそれほどたくさんは立っていない道だ。おまけにバチュルは小さい。今見つかっている800種類以上のポケモンの中でも一番と聞いた時はずいぶんびっくりした。
だから見つける手がかりになったのは、普段から聞いている鳴き声だ。ジジッと、虫の羽音と電気の走る音の間くらいの。それが丁度後ろの方から聞こえてきたから、慌てて振り返る。
「もう、どうしたんだよ! ほら、急いで帰るぞ!」
ただでさえもう暗くなっている。今からきちんと帰ってさえ、ヨシノの家に着く頃にはとっぷり日が暮れて母さんのガミガミが待ってるに決まっているのに。そりゃあうっかり宿題を家に忘れて居残り授業になった僕が悪いんだけど。
そう思って呼んでもバチュルは寄ってこない。それどころか、後ずさってそのまま逃げてしまった。あの黄色は暗い中ではよく目立っていて、点みたいな身体が木の上目がけて一目散に登っていくのだけがよく見えた。
うっかり潰してしまったらと思うと他のポケモンみたいに飛びついて捕まえるなんてこともできないし、何よりもうバチュルは木の上だ。普通のポケモンならボールに戻せば済むところだけど、バチュルは無理矢理ボールに入れると後々すごい勢いで怒る。前にやった時は家のコンセントをショートさせて停電になり、家族中が大騒ぎになった。
そうじゃない時は本当に大人しくて穏やかだし無理矢理じゃないならボールにも入ってくれる。タマゴのうちから家にいたから、一緒に暮らす方法をちゃんと分かっているのだ。突然変なことをして困らせるようなやつじゃないはずなのに。
「バーチュールー!!」
こっちも苛立ってきて、大声で名前を呼ぶ。バチュルは出てこない。こんなことをしていたら本当に夜になってしまう。ただでさえもう太陽は地平線の向こうに半分以上隠れていて、真っ暗闇になるまでそんなに時間はないのに。
木の上に隠れたポケモンを落とすには揺らすのがいいらしい。ポケモンの頭突きが一番いいらしいけど、人間が揺らしてもバチュルくらいなら。
そう真剣に考えていたところに、びちゃびちゃと水の音がする。もちろん木とはまったく違う方向から。木から一旦視線を外してさっき音が聞こえた方向に顔を向ければ、そこには通り過ぎようとしていた池があった。そこから、何か大きなものが顔を出している。
ポケモン、だろう。人はあんなに大きくないし、そもそも頭に真っ赤なトサカなんて生えていない。シルエットだけでもそれが人じゃないのだとはっきりわかる。
だけどぱっと見て、それが一体何なのかはわからなかった。全身を見たら、そうじゃなくてもせめてもっと明るければまた違っただろう。でもその段階でわかったのは見慣れないやつということだけだ。
ただそれだけでも、十分焦る理由にはなる。見慣れているポケモンだろうとこちらもポケモンがいないと危険で、知らないポケモンならもっと危ない。
幸運なのはどうも、素早そうなポケモンではなさそうだということくらいだった。水中から顔を上げるその動きを見ているだけでもいかにものっそりとしていて、感じとしてはヌオーに近い。ヌオーだったとしてもバチュルはうまく相手ができないだろうし、そもそもシルエットが全然違うから別のポケモンだろうし、そっとしておくに越したことはないのだけど。
木の上のバチュルに視線を戻して、ほらほらと水から上がってくるポケモンを指す。
お前がいないと困るんだって。ほら一緒に帰ろう。そんな心の声はやっぱり、エスパータイプでもないバチュルにはわからないみたいだった。まったく反応もなく、僕は困ってまた大きなポケモンの方を向いた。一歩木の方に後ずさりながら。
ごつごつした強そうな手が池の縁に置かれて、あれが地上へ上がろうとしているのがわかった。その動きもかなりゆっくりで、それを見ながら僕はいざとなったらバチュルを置いて走って逃げようという決心を固める。ヨシノへ帰るならまだまだ遠いけど、キキョウに引き返すなら思いっきり走ればギリギリ大丈夫かもしれない。ポケモンを置いていって大丈夫なのかとか、その後どうするかは考えられないけど。
そう思っていた矢先に、ゴロロロ、とでも言うような。バチュルが走らせる電気よりももっともっと強い、雷みたいな音がして。
「えっ、」
本当に電気――バチュルを怒らせた時にもらう感じのバチッとしたやつが身体に走って、
「は、」
僕はちょっと宙に浮いて、
「――――!!!」
その下を、弾丸みたいにあのポケモンがすり抜けていった。
バクバクうるさい心臓のあたりを押さえながら、木の上でバチュルとともに息を潜める。巣を作っていたらしいホーホーがばたばたと飛び立って逃げていくのを振り返る余裕はなかった。
バチュルがとっさに糸でここまで吊り上げてくれなかったらとっくに死んでいただろう。それかバチュルは、こいつがいることにもう気付いていたのかもしれない。突然頭の上から逃げ出したあの時から。
ここから相手の全身を見てようやく、それが何なのか理解する。オーダイル、おおあごポケモン。
このジョウト地方で最初にもらうポケモンの一つ、ワニノコの最終進化形。何にでも噛みつくワニノコよりももっと凶暴で、進化している分力も強いこと。元々水の中のポケモンなので地上では這って動くこと。這って動いていても、脚の力が強いから実はものすごく動きが速いこと。トレーナーが連れているとむしろ這っていることの方が多いけど、本来の姿ということで図鑑のイラストとしては立って描かれることが多いこと。
全部、スクールで読んだポケモン図鑑に書いてある通りだった。
例えばこれが先輩トレーナーの連れているオーダイルだったら、怖々しながら眺めて図鑑に書いてある通りに動くことにびっくりしたり感動したりしただろう。でも今この木の真下できょろきょろしているのは、まぎれもなく僕達を探して喰おうとしている凶暴な、野生のポケモンだ。
野生のオーダイルの生息地はもうこの地方にはないはずだ。これも図鑑で見た知識でしかないけれど、こんなのがたくさん棲んでいたらポケモンだって怖くてそこには棲めないだろう。自分が同じくらい強いわけでもない限り。
でもオーダイルは間違いなく目の前にいて、見ている限りトレーナーどころか、周りには人っ子一人見当たらない。こんな時間に、しかも野生のポケモンがいる郊外を通る人はほとんどいないのだ。
暗くならないうちに早く帰ってきなさい、なんてお母さんがガミガミ言っていたけれど、意味を分かった頃には遅いのだ。実物を見てからわかるポケモン図鑑の文章がそうなのと同じように。
見下ろす先のオーダイルは、獲物が突然どこかへ行ってしまってきょろきょろと辺りを見回している。丁度さっきバチュルを探していた僕を上から見ればこんな感じだろうか。
どうかこのまま諦めてどこかに行ってくれ――探される側になった僕の必死の祈りが、まるで声になって聞こえたかのように。暗い中でぎらりと光るオーダイルの目と、僕の目が合う。
……気付かれた!!
震えたのは僕だけじゃない、木も同じだった。あのごつごつした前脚が力任せに思いっきり木を殴りつけて、ミシミシと音を立てて木が揺れる。バチュルの糸が帯びていた電気で痺れる両腕に思いっきり力を込めて揺れをこらえる。
僕の頭から胸元に居場所を移していたバチュルも、同じく服にぐっと爪を食い込ませて落ちないように耐える。少しの間なかっただけの固い爪の感触は、嬉しいけれど頼りきれるものでもない。
『旅先で危険なポケモンに出会ったら、すぐに逃げなさい。そういう時に逃げることは恥ずかしいことでも何でもない。
ポケモンは時に人を殺しうる。トレーナーの監督がない、野生で生きてきたポケモンならなおさらだ。
命あっての物種! ちゃんと君たちと手持ちのポケモンが生きていられることの方が、かっこいいことや強いことよりずっと大切だ』
いつかの授業の時に先生が言っていた言葉も同じように。
これを聞いたその時は、ただ単純にそうなんだと思った。全然他人事で、むしろここまではっきり言い切ってしまうことの方にびっくりした。野生のポケモンとどんどん戦って自分の手持ちを強くすることは、旅するトレーナーには欠かせないことだと思っていたからだ。
でもこんな状況になったら、逃げる方が先だなんて言われなくたってわかる。ただそれと、実際に逃げられるかどうかは全然別の話だ。
オーダイルは完全に僕を見つけてしまっていて、木を登ってこそ来ないものの今も二打三打とあの大きな脚と太い爪を木に叩きつけ続けている。ここから諦めて帰ってくれるなんてことはまず有り得ない。バチュルの糸で縛って動けなくしようとしても、あの力ならラクラク糸を引きちぎってしまうだろう。動けなくしてその間に逃げる、ということもできない。
なら最後の手段は、バトルだ。普段この辺りにいる野生のポケモン相手にやっているように、あのオーダイルを負かすこと。
相手は水タイプだから、電気タイプのバチュルなら有利。そう相性だけで考えられるほどこちらが強いとはどうしても思えなかった。
もし立ち上がったら、あのオーダイルは僕よりももっと大きいだろう。実際に並ばなくても見ただけで分かってしまうほどその差ははっきりしていた。そして頼りのバチュルは僕の頭に載ってしまうほど小さくて、僕でもたまに潰してしまいそうになるのだ。あんな大きなポケモンと戦わせるなんてトレーナー同士のバトルなら絶対やらないだろう。手加減さえできないかもしれないからだ。
でも今は、バチュルに戦ってもらわないと話にならない。この小さな家族の一員があの大きな脚に潰されてしまうかもしれなくても、あの大顎で丸飲みにされてしまうかもしれなくても。
「……頼む」
ジジッ、とバチュルが小さく鳴いた。きっとバチュルもこの状況を分かってくれている。そう信じるしかなかった。
今の状況でいいことを数えるとするなら、まず僕のカバンとその中身は無事なこと。僕がついていてやれる限り、あるだけの道具を使うことができる。そしてバチュルがものすごく小さくてあんなに大きなポケモンに勝てなさそうに見えるのも、もしかしたらそうなのかもしれない。
バトルはする。オーダイルを負かさないときっと僕たちは生きて帰れない。ただそれは、相手を倒すことじゃなくてもたぶんいい。逃げ出すくらいまでダメージを与えて、喰うのを諦めさせれば僕らの勝ちだ。そう考えるなら、元々強そうに見えるより豆粒みたいな相手が実は強い、という方がびっくりして逃げ出す確率は高いかもしれない。
僕がするのは、しなきゃいけないのは、その「実は強い」を本当にすることだ。どうやって? どうやったって!
両足を太い幹にしっかり絡めて、落ちないようにカバンを自分とお腹の間に挟みそのまま開ける。胸元のくっつきポケモンの背中越しに見るカバンの中身は暗さでよく見えなくて不安が募る。体勢のせいでオーダイルが木を殴る衝撃がどすんと、まるで自分が殴られているようにダイレクトに感じるのもそうだ。
ぼやけてきた視界を一度拭って、輪郭しかわからないカバンの中をもう一度見てみる。ノートも参考書も空のモンスターボールも、今はオーダイルを怒らせることくらいにしか使えない。
役に立ちそうなのはきずぐすりのスプレー、それに。
「! バチュル!」
小さな声で呼ぶと、バチュルはするするとカバンの方へ下りていった。カバンの中に手を突っ込んで、目的のものを掴んで両手で開ける。
カプセル状になった容器の中に粒タイプの薬がたくさん入った、ポケモンの能力を一時的に上げるアイテム。スペシャルアップ、ヨクアタール、プラスパワー、種類によって色々な名前がついた薬品。作っている会社の人が来て授業をした時におまけとしてもらったものだった。
パッケージは明るい水色。それが何の能力を上げるんだったか思い出せない。でもきっとどれでも、今使わないよりはずっとマシなはずだ。
揺れる木の上、そのカバンの中でバチュルは薬を少しずつ食べているようだった。オーダイルみたいな大きなポケモンならカプセルごと丸飲みにできそうな薬でも、バチュルには一粒一粒が抱えて食べるほどもある。どうしてもかかってしまうその時間がたまらなくもどかしい。
オーダイルは疲れる様子を見せずに、まだ木を叩き続けている。揺れでちぎれた葉がカバンの中にも何枚か入り込んできていた。それに幹にずっと近いこの体勢は、聞こえたくないものまで聞こえてしまう。ゴロゴロという雷のような、待ち構えるオーダイルのうなり声。ミシミシと木にひびの入る音。きっともう、いつこの木が折れたっておかしくないのに。
「ヂュッ」
そんな状況の中なのに、一鳴きしたバチュルの声が意外なくらいはっきり耳に入った。カバンの中から素早く駆け上ってきて、あっという間に頭の上まで進んでしまう。その重みがまた消える。それで頭のてっぺんに意識を向けたその時ふと、いやに静かになったことに気付いたのだ。いろんな音が聞こえ続けていたさっきからすると、どう考えてもおかしいくらいに。
感じるのはふっと浮くような感覚。風も振動もないのに動いた葉が頬に当たる。自分の身体の真ん中が傾く感じ。
いや、今しがみついている幹が。その、根元から、傾いていて。
風を切ってどんどん加速していく中でもう折れてる幹を離せなくてただめちゃくちゃに身体に力を入れてしがみついても何の意味もなくてだってもうこの木は折れてて下にはあいつが あいつが
「うわあ――――っ!!!!」
上げたとも気がつかなかった自分の声は、木の葉が立てるバサバサという音と一緒に耳に入ってきた。思いっきり打ちつけた背中がズキズキ痛んでいて、目をぐっと瞑ってその痛みに耐える。
痛みが音と一緒に降って湧いたのと同じように、瞼の裏の真っ暗なところから引き戻されたのも音のせいだった。ただそれはオーダイルのうなり声でも、牙をガチガチ慣らす音でも、何かを噛んでいる音でもない。
ジジジジジジジジと続く、ものすごくうるさい虫の羽音。夏休みにホウエンへ行った時に聞いたテッカニンの羽音と火花のバチバチを混ぜたようなその音を、僕はよく知っている。
バチュルだ。いつもバトルで上げている、庭で練習して家族にうるさいって怒られる、いやなおと。それを思いっきり鳴らしているんだ!
目を開けても空は真っ暗で何も見えない。散らばった枝と葉っぱの上に手をついて起き上がろうとして、肩と肘に痛みが走って思わず体勢を崩しまた寝転がる。その間も音は鳴り止まない。大きなものが大地を踏み締める、どすん、という衝撃が地面を伝わるのを感じる。
オーダイルだ。そうだ、起きないと。動かないでいたら喰われてしまう。僕かバチュルか、それかどっちもが。
逆の腕を怖々とついてみる。大丈夫だ。最初思ったとは逆の方へ、バチュルの立てる音に背を向ける形で身体を起こして、それから振り返る。
大きな影は完全に僕に背を向けているようで、まず目に入ったのはこちらを向いた太い尻尾だ。いやなおとは僕からゆっくりと遠ざかっているようだった。それを追いかけているオーダイルも同じように。
オーダイルは音がよっぽど気に入らないみたいで、こっちに振り返る素振りなんて全然ない。僕のことなんか完全に忘れてしまったようで、水辺から上がった時のようにのっそりと、じりじりとバチュルの方へ近づいている。僕にも姿が見えない、どこにいるかは音でしかわからない、それくらい小さなポケモンの方へ。
その様子を見て、ひとつ思い浮かんだことがあった――今なら、追いかけてこないんじゃないか。薬も使ったけれど、相手を逃がせば勝ちだけれど、やっぱり他のトレーナーを頼った方がいいんじゃないか。
僕だけでもキキョウへ走って戻って応援を呼んでくる。ポケモンセンターには誰かしらトレーナーがいるはずだし、先生たちだってポケモンを持っている。あのオーダイルに勝てるような人がいるかはわからないけど、もしいなさそうなら何人でも呼んでくればいい。
向かい合う二匹を見て改めて感じた。やっぱりこんなの無茶だ。バチュル一匹で勝てるわけない。もし野生のバチュルが群れで立ち向かったら勝てるかもしれないけど、一匹で戦う相手じゃない。
そんな思いで一歩、足を引く。尻尾はまだこちらを向いている。二匹はにらみ合いを続けている。何も気付かれていない。それが安心の材料になって、背を向ける。
二匹の姿が見えなくなって、視線の先には道。なだらかに登っていった先に遠く、街の入り口ゲートに灯る明かりが見える。
あとはそのまま掛け出してしまうだけだ。走るために力を入れて、腕を振る。肩と肘がずきりと痛んだ。でも、動けるくらいの痛みだった。
そう思うと、自然と足が止まっていた。それは痛いからじゃなかった。
バチュルは、動けるくらいの痛みで済むんだろうか。
生まれてからずっと人間と一緒にいたポケモン。野生で暮らしたことがない、タマゴ生まれのポケモン。
野生のポケモンはものによってはあんなに凶暴で、トレーナーのいるポケモンみたいに手加減なんかしてくれない。もちろん戦ったことはあるけど、こんなに強くて容赦がないのと戦ったのは初めてだ。
もしもバチュルが一回でも攻撃されることがあったら、その時はケガだけじゃ済まないかもしれない。今の僕と違って動けなくなってしまうかもしれない。
そうしたら、トレーナーを呼んでも意味なんかなくなるだろう。
先生だって言っていた。『ちゃんと僕たちと手持ちのポケモンが生きていられることの方が大切だ』。ポケモンとトレーナーは、セットなんだ。
帰ってきたここに潰れたバチュルがいたら。それかバチュルが、これっきり見つからなかったら。
そんなのは嫌だ。絶対に嫌だ。
そう決心して、脚に力を込めてぐるりと振り返る。前方から聞こえてくるジジジジ音はもっと遠ざかっている。オーダイルの影が少し小さくなったように見えるのは気のせいじゃなさそうだ。
万一でもオーダイルに気付かれないように、でもバチュルをひとりにしておく時間ができるだけ短くなるように。足音を抑えた大股で、できるだけ早く。
そうして近づいた先で。前触れもなく、大きな影が跳ぶ。
「バチュル!!」
思わずそう叫んでしまったのは、それが僕の方に向かっているんじゃなかったからだ。図鑑で読んだ、後ろ脚で地面を蹴って前へ跳ぶ動き。水辺から上がってきて僕を狙った時の動きを、もう一度目の当たりにすることになる。
息を呑んだのは、叫んでしまった――僕がいることを教えてしまったのに気付いた後。そして、あのジャンプに合わせて一度乱れ途切れたいやなおとがまた始まったことに気付いた後。
大丈夫。バチュルは大丈夫だ。どうやって助かったのかはともかく、まだ戦える状態ではある。心配しなきゃいけないのは僕自身の方だ。
尻尾だけが見えていたオーダイルのシルエットがゆっくりと立ち上がり、横顔になる。長く伸びた顎が大きく開いて、闇の中に浮かぶのはずらりと揃った真っ白で長い牙。光る眼がぎょろりと横目で僕を見る。
それだけで全身が強張った。見せつけられたそれにかみ砕かれる想像が頭を離れなくなって、まだ起きてもいない痛みと恐怖に震える。
「あ……ああ…………」
目を見開いたまま動けなくなる僕を現実に引き戻したのは、暗くなった中に走る光だった。
まるで首輪をつけたみたいに、目の前にある巨体の首回りに細い光の筋が走る。同時にオーダイルは叫び声を上げて、爪で首元をガリガリ掻きむしる。
それがバチュルの得意な電気を帯びた糸だと分かった時、僕はとっさにオーダイルの顎が向いているのと逆の方向へ地面を蹴った。そのまま大ワニの横を大きく回り込んで、その巨体の向こう側をようやく覗き込む。真っ暗な中で草むらの一箇所が小さく光っていて、ようやくバチュルのいるところが分かった。
バチュルだってあの小さな身体で必死に戦っている。いや、木が折れてからずっとひとりで戦ってくれていた。なのにそれよりずっと大きい僕が怖がってどうするんだ。バチュルはもっと怖いかもしれないのに。
邪魔が入ったせいかオーダイルは僕がいた方に振り向くのを諦めて、再びバチュルと向き直る。ガチガチと顎を開け閉めして牙を鳴らす様子は今にもお前を喰ってやるぞと言わんばかりだ。そのまま低く構えて前脚を大きく振り回し、鋭い爪が草むらを刈り取っていく。
ずん、ずん、と太い後ろ脚が地面を踏み締める度バチュルとの距離は縮まっていって、隠れている草むらそのものが小さくなる。にもかかわらずバチュルは動かない。
何やってるんだよ、と言いそうになった時、見つめる先の光る点はようやく動き出した。その光が残像になって残ったかと思うくらいの、普通じゃ考えられないくらいの速さで。苅られに苅られて小さくなった草むらを一目散に出て行って、僕のいる方にある違う草むらに収まる。
糸をどこかに絡めて飛び移るならともかく、バチュルはあんなに早く動けないはずだ。でもさっきの動きからすると間違いなくバチュルは地面を歩いている。それを目の当たりにしてすぐにはその原因を思いつかなかったけれど、振り返ってみれば原因なんてひとつしかない。
木の上でバチュルに食べさせた、あの薬だ。
あれはポケモンの素早さを上げる薬だったんだろう。ちょっと前にオーダイルのジャンプ攻撃を避けたのも、この速さがあったからに違いない。
起こったことにようやく納得しながら、足元から視線を上げる。少し離れた大きな影はまたも緩慢な動きで方向を変え、こちらを向こうとしている最中だった。真っ直ぐ飛びかかってくる時はあんなに速かったのにと思ったが、逆だ。あいつが速く動けるのは、真っ直ぐに進む時だけなのだ。
ならバチュルのスピードでぐるぐる周りを動きながら戦うか。いや、僕があの速度についていけない。あいつがバチュルを追いかけるのに飽きた瞬間、それか僕がついていけないのがバレた瞬間、僕の方が狙われて食べられてしまう。
この速さを使って逃げるのもたぶん同じことになる。それにもうオーダイルは完全に僕たちをロックオンしていて、逃げようが何だろうが追いかけてくるに違いない。そのままキキョウの入り口ゲートに突っ込んだら大変なことになってしまう。
そう考えている間に、もう大顎はこっちを向き終えていた。その巨体が身を縮めたのを見た瞬間、同じ事をする。
両足で強く地面を蹴って横っ飛び。大きなものが飛び込んでくる音がしたのは、僕が草むらに突っ込むよりも前だった。うまく地面に手がつけなくて、今度は木から落ちる時打ったのと逆の肩が強く痛んだ。
痛みに耐えて両肘をつき、少しだけ身体を起こす。そのまま首だけ動かして元来た方を見る。
この体勢で見ると草が邪魔をして、バチュルが無事かどうかまでははっきりわからなかった。けれどオーダイルの、それも高さからして四つん這いになっている姿は遠く見える。
見えなくても、バチュルはいるはずだ。大丈夫なはずだ。一度、同じ動きを避けているんだから。
息を吸い込むだけで広がった胸が痛い。でも吸い込まないと、バチュルに声が聞こえないんだ。
「バチュル! あいつの背中に飛び移れ!」
それはあの低い姿勢を見て、そして自分も同じ姿勢になってみて、とっさに思いついたことだった。
バチュルのジャンプ力は身体の大きさからするととんでもないものだ。バチュルの何倍も大きい僕の頭にだって、机からなら当たり前に飛び上がって乗ってしまうほど。
だから四つ脚になった相手の背中に飛び乗るくらいなんでもないだろう。それに、今のバチュルは普段の何倍も速いんだから邪魔だってできないはずだ。
視線の先で飛び跳ねる小さな光の点が見えた。それは難なくオーダイルの背中に着地しそこにあるトサカをするする登り先っぽにしがみついて、その真っ赤な色を明るく照らし出す。
嫌いな電気を出すものにへばりつかれて、オーダイルは目に見えて慌てていた。表情が見えなくてもその動きだけを見ていれば難なく分かるくらいに。身体を何度も大きく揺すり、それで落ちないと分かれば腕を大きく後ろに引いて何とか邪魔なものを落とそうとしている。でも腕や肘のつくりのせいなのか、どう見てもそこに手は届きそうになかった。
チャンスは今しかない。もう一度大きく息を吸い込んで、ひときわ声を張り上げる。
「腕めがけて『エレキネット』!」
聞こえるが早いか、光る点からぶわっともう一個の光が撃ち出される。見る間にそれは広がって、それを出した点をまるごと包み込めるほど大きくなる。それは何とか背中に向けようとしていたオーダイルの片腕に絡みついて、またそこに張り付く。
ねばねばした上に電気と一緒の取れない糸が増えて、オーダイルはどう見てもカンカンに怒っていた。蚊に刺された時みたいにもう片方の腕で糸がついた辺りをガリガリ引っ掻いて、それでも足りないようで腕を力任せに近くの地面へこすりつけて、何とか糸を取ろうとしている。もうどう見たってバチュルどころじゃない。
そろそろ逃げられるかとも思ったけれど、考え直す。オーダイルはまだまだあれだけ暴れられるほど元気なのだ。ここで逃げたらやっぱり追いかけてくるだろう。
もう一箇所。もう一箇所に電気を。できれば絶対に動いてほしくない、それにオーダイル自身も危ないと思うところ。
ガチガチと動いていた顎や牙、それにあの超スピードの出せる後ろ脚。もし当たれば一撃で引き裂いてしまいそうな鋭い爪。思い浮かぶ可能性を消していく。そこを狙えば逆にバチュルがやられてしまうかもしれない。
その心配がないところ。そしてこの体勢で狙いやすいところ。
「頭の方に移動して、あいつの目を固めるんだ!」
叫んだその指示に抵抗がなかったかと言うとそんなわけはない。もしこれがトレーナー同士のバトルなら絶対に出さない命令だ。でも今はそうじゃない。トレーナーがいたならあいつは僕たちを喰い殺そうなんて考えないだろう。それと同じだ。
バチュルの動きにも迷ったようなところは全然なかった。トサカから背中へ駆け下りて、そのまま素早く頭の方へ向かう。頭のトサカの谷へしがみついて、さっきと同じようにもうひとつの光点を生み出し、放つ。
グオオオオオと地鳴りのようなオーダイルの叫び声。伝わる振動は大きな後ろ脚で踏む地団駄だろうか。その様子をもっとはっきり見るために、力を込めて上半身を起こし、立ち上がる。全身のケガから伝わる痛みのせいで滲んでくる涙を汚れた袖で拭う。
そこで目に入ったのは、大暴れしている巨体だった。
オーダイルはぶんぶんと強く頭を振り回して、その上にいるバチュルを振り落とそうとしている。その揺れ具合は背中にいるのを落とそうとしていた時とは段違いで、頭へ移ったのはまったくの間違いだったと僕に教えているようだった。それでも光る点はまだ何とか頭の上にくっついている。あの青い爪を必死に立てて落ちないよう堪えているに違いない。
何か。どうにかしなきゃいけない。いけないんだ。だけど何を言っていいのか、何を言えば今この状況から抜け出せるのかわからない。
言うべき指示が思い浮かぶよりも前に、光点がふっと宙に投げ出された。残された光の残像に見えるものは、しかし残像にしてはおかしな軌跡を描いているように見えた。
そうか、あれはバチュルの糸だ。あれを伝って何とか戻れるように、バチュルはトサカに糸の始点をくっつけておいてくれたのだ。頭上から吹っ飛ばされたバチュルは重力に従って落ち始めていて、たるんだ糸はすぐには引けそうになかった。
その時オーダイルの光る眼が落ちていく小さな影をはっきり捉えていると見えたのは、その糸とバチュル自身が放つ光のせいだった。それから起きることを目の当たりにしたのも。
閉じていた大顎がばっくりと開く。金色の眼はまだバチュルを追っている。開いたままの顎が滑らかに動き出す。自分では動けない空中のバチュルに向かって。白い牙と口の中に広がる赤色が見えた。顎が閉じ始める。その中には光る点がある。牙の白が逆光のせいで正反対の色に見え始めた。そのうち光は、牙の隙間から漏れ出るばかりになっていって。
目の前で、ぱくりと、口の中へ消えた。
「バチュル!!!」
悲鳴のような叫び声がどうか聞こえていてくれと願うばかりだった。オーダイルにだってそれはどう考えても聞こえていたけれど、光る眼はぎょろりとこちらを向いただけで何もすることはなかった。まるで僕一人じゃ何もできないのを、あっちだって分かっていると言うようだった。
もごっと口を動かしてオーダイルが口の中のものを一噛みした。その時だった。
バヂンッ、と籠もった音。それと同時にオーダイルが頭をもう一度思いっきり振る。口を少し開けてのその動きの後に、小さな何かが吐き出される。
それが落ちた辺りをじっと見つめて、オーダイルはそろそろと数歩後ずさった。見つめる先の地面に一瞬小さな光が灯った。それを見ればオーダイルはさらに下がって、点から遠ざかっていく。後ろ向きで進んでいく先には、オーダイルが元来た池。
尻尾が水面に触れた瞬間、大ワニはそのまま素早く水の中へ潜ってしまった。その身体に見合わず静かに、まるで隠れるように。
残されたまま、僕は呆然と水面へ目を向けていた。何もいないように静かだった。
その鼻先に風が伝えてきた、焦げ臭いにおい。それでやっと僕は我に返る。
「バチュル! どこ!? バチュル!!」
その名前を呼びながらオーダイルが見つめていた方へ、においのする方へ歩いていく。よく足元に目を凝らしながら、さっきのオーダイルよりもゆっくりと。そうでもしないと今度こそバチュルを踏み潰してしまうかもしれなかった。
声には何も答えがない。その代わりに、さっきと同じ光が一瞬光った。その中心に、小さな影。
「バチュル!」
数歩で近づける距離を務めて大股で。しゃがんで呼んでみても変わらずバチュルが応じることはなかった。その身体を覗き込んで愕然とする。暗い中でも分かる。胴体に大きな穴が空いて、なんだかわからない汁が漏れだしている。
震える手で触れても、軽くなった身体を持ち上げても、バチュルはぴくりとも動かない。
早く、早くポケモンセンターに連れて行かないと。
その一心で、両手でバチュルを抱えたまま僕は走り出した。両腕のことも背中のことも、痛みなんてぽんと頭から抜けていた。
ボロボロのバチュルを連れて、しかも真っ暗な時間に飛び込んできた僕を見て、センターに泊まっていたトレーナーもただごとじゃないと分かってくれたらしい。すぐにジョーイさんを呼んで、急患だと説明してくれた。
カバンごとモンスターボールを置いてきてしまったせいで、バチュルはそのまま連れて行かれることになった。僕はそのまま事情を話した。たまたま帰りが遅くなってしまったこと、いるはずのないオーダイルに襲われたこと、逃げられなくなってしまったこと、何とかオーダイルと戦おうとしたこと、相手は逃げていったがバチュルは大ケガをしてしまったこと。
話を聞くとジョーイさんは、今日はセンターへ泊まっていくよう言ってくれた。家への連絡もしておいてくれること、オーダイルを何とかするよう泊まっているトレーナーに頼むことやゲートの見張りを強化するよう警察へ連絡することも約束してくれた。
そして。
「あなたが生きていて本当に良かった」
まず言ってくれたのは、そのことだった。
「例えばトレーナーに捨てられたり、何かあって元のすみかから追い出されたり、本来棲んでいるところから離れて迷い込んでしまったり。そういう理由で本来棲んでいるはずのないところにポケモンがいる。それはみんなが思っているよりも多いことだし、そうしたポケモンにばったり会って亡くなってしまう人やポケモンも同じだから。
そのオーダイルも、そうしてあそこにいたのかもしれない。くらやみのほらあなは真っ暗で、誰が何をしているかわからないし。フスベシティの強いポケモンが棲んでいるエリアとも繋がっているから……たまにそういうことがあるの」
トレーナーとして旅をすることは危ないことだらけなんだと、いろんな大人達が言っている。でもそれを身にしみて感じたのは、これが初めてだった。
アニメやゲームや本の中のトレーナーはいつでも強くてかっこいい。それに親戚や友達のお兄さんやお姉さん、そんなトレーナーとして旅に出た経験のある人はいろんな話を聞かせてくれる。その中にはすごく危ないものもあったけど、むしろそれを乗り切って帰ってきたってだけですごくそれに憧れた。
きっと今日僕が体験した話だって、昨日の僕が聞いたら目を輝かせて聞いただろう。ケガの話に顔をしかめながら、オーダイルの怖さに身を震わせながら。でもその中にはどうしたってワクワクがあって、つまりそれは聞いてるだけでしかなかった。他人事だったのだ。
今自分がその真ん中に置かれてみて、ワクワクなんて欠片もあるわけがない。ただただ、死ぬのが恐ろしかった。僕が。バチュルが。そしてそれは今もまだ続いているのだ。
「……バチュル、元気になりますよね」
そう聞くとジョーイさんは少し笑いかけてくれた。元気を出して、と言うように。その後きゅっと口元を引き締めるのを見て、あまりいい話は待っていないのだろうと分かった。
「つらい話をするけれど、よく聞いてね。
あのバチュルは、内臓まで達する大ケガをしているの。心臓とか、傷つくとすぐに死んでしまうようなところは無事だったけど、油断はできない。
それに……問題は、電気袋が大きく傷ついていることなの。話を聞いている限り、そこをケガした時に溜まっていた電気が一気に出てきて、それでオーダイルは戦意をなくして逃げていったんだと思うけど……
もちろん、出来る限り手は尽くします。今はコガネの大きなセンターへ連絡して、イッシュ地方のポケモン治療の専門家を応援に呼んでいるところなの。
それでも、バチュルが元通り生活できるようになるかはわからない。バトルをできるようになるかどうかも」
今まで通りに暮らせないかもしれない。命が助かっても。家のコンセントにくっつくバチュルの姿が、ご飯を出すと喜んでテーブルに飛び乗るバチュルの姿が、手から肩、僕の頭に登ってくるバチュルがいなくなってしまうかもしれない。
やっぱり立ち向かったのは間違いだったんだろうか。そんな思いが頭を塗りつぶす。でも立ち向かわなかったらきっと死んでいたのだ。じゃあどうすればよかったんだ?
うまくオーダイルの上を取ったあの時、このまま攻めなければいけないと思った。派手な電気の出せないバチュルなりに電気で戦って、きっと勝てると思った。でも結果はこのザマだ。あれは間違いだったのか?
頭の中ばかりがぐるぐる回るくせに、その中身はさっぱり言葉になりそうもなかった。からからの口はそのまま永遠に張り付いてしまうようで、下げた視線の先にある膝に置いた手がだんだんと滲んでいく。それを見かねたのか、ジョーイさんが口を開く。
「こんな話をした後に勧めるのはおかしいかもしれないけど。
今日は早く休んだ方がいいわ。あなただってたくさんケガをしているし、疲れてる。
皆、自分のポケモンほどじゃないって言うけど。それが本当でも、あなたの疲れやケガがなくなるわけじゃないの」
その声を受けて眺めた顔もやっぱり滲んでいて、汚れた袖で涙を拭う。その向こうに現れた表情は毅然としていたけれど、不思議ととても優しかった。
そのままふっと頬を緩めて、また笑顔を向けてくれる。どんな顔をして向き合えばいいのかわからなくて、僕はまた膝の上へ視線を落とした。
「バチュルを元気に迎えてあげてね」
諭すような声。顔を上げられないまま、僕ははいとだけ返した。
――――
・1対1のバトルは対比で作ることが多いので一番対照的な体格のこの組み合わせで
・「この組み合わせでバチュル視点、どうやって戦うんだ?」はトレーナーが一番思っているでしょうということで、執拗に「敵うのか…?」「いや逃げるか…?」「なんでもありじゃないか…?」という話をしています 「バトル描写」の書き合い会という点からは若干外れたかなと思って反省しているところもある
・書いている側も「どうやったらまともな戦闘が成立するんだ?」とはかなり思っているので、じゃあどうするかを考えた時に、能力アップアイテムってぜんぜん使われないよねという話を思い出したので使いました
・そういうアイテムを持っているのは誰か? ということを考えた時、ゲーム中のトレーナースクールで説明を聞く印象が強かったのでトレーナーはじゅくがえりに。そこから机上の学習、聞きかじった話と実戦は違うよねという流れにしたくて野生のオーダイルに登場してもらいました(野生ポケモンの戦いをぜんぜん書いたことがなかったので挑戦したかったのもある)
・この組み合わせで書くんだって弟に言ったらしばらく沈黙された後「……バチュルが途中でデンチュラに進化するのはルール的にアリなの?」と聞かれた(たぶんアリだろうと思ったが、じゃあ別ルートを行ってやろうということになった)
エネコロロvsゲンガーで参加させていただきました!
本文の8割は戦闘してます。トウカの森壊れる。
▼ ▼ ▼
風の噂を聞いた。
「トウカの森に強すぎるトレーナーが現れた。森の中の荒廃していた空き家を買い取って、そこに住んでるらしい」
ホウエン地方を横断し、また違う浅瀬に波打つ音が聞こえるこの地にまで吹いてきた風は、強いに違いない。時期外れに半ば押し付けられた長期休暇。それを持て余しミナモデパートのフードコートでシークアーサーを啜っていた僕のすぐそばで、若手トレーナーがそれを口にした。これはツイている。僕はシークアーサーを飲み干し立ち上がると、透明なプラスチック製の容器をくしゃりとつぶしてトラッシュボックスに放り投げた。
人ごみをかき分けながら、胸ポケットからポケナビを取り出し立ち上げる。時間はあるのだ。豪勢に船旅を楽しみつつ行こうじゃないか。熱いバトルの未来図を胸に抱きながら、期待と共にポーチに入った6つのボールをなぞった。
*―*―*
俺は退屈していた。場所が悪かったのかもしれない。近場にふたつのジムがあるから猛者も集まるだろう、という安易な理由で赴いたことを後悔して眠った夜は4回過ぎた。挑んでくる奴は大概なんてこともないのでもう面倒くさい。いっそ旅に出てしまおうか。カビ臭い部屋でひとり、俺はインスタントコーヒーを飲み干した。
「たーのもー!」
誰かの大声が鼓膜を鳴らす。その声が木々に阻まれ減衰して消えていくのを最後まで聞いてから俺は席を立った。机の上に転がろしていたひとつのボールを手に取り、靴を履いてヒビの入った玄関の扉を押して外に出る。少しひらけた場所で、生い茂る木の葉の隙間から差し込む淡い太陽光に照らされた声の主は、俺の姿を見るににやりと笑った。短い茶髪に小奇麗に整った顔立ち。そういえば、と俺は思い出す。鏡を持ってくるのを忘れていた。嫌な予感がして上唇の上を指でなぞると、やはりというべきか、そこにはそこそこ伸びた髭の感覚があった。もしかしたら俺は原始人のような恰好になっているのかもしれない。
「貴方が強いひと?」
「さあ? ――確かめてみろ」
俺の言葉で確信したのか、そいつは瞳を大きく広げて笑いながらポーチのボールに手を伸ばした。俺もそれにならってボールを投げる。2つのボールが宙に舞い、中から2匹のポケモンが姿を現す――。
にしても、俺が答えた途端に茶髪の端正な顔が愉しそうに歪んだのを見て、なんとなく関わりたくない気持ちも出てきた。あれは完全に――実際に見たことがあるわけではないが――ヤクをやってる顔だった。
2人の間に出てきたのは、俺のゲンガーと相手のエネコロロ。俺と戦うためにここに来た奴としては、かなり珍しい手持ちだ。エネコロロという種族は能力的に中の下か、下の上。舐められているのだろうか。
「1on1。道具の付与なし。制限時間はなしで、どちらかが瀕死になった時点で即終了。いいな?」
「いいよ。そういえば、名乗っていなかったね。僕はサカエ。貴方は?」
「俺はカロク。さあ、お前の先制だ」
このような野良バトルにおいて、ルールの確認はとても重要だ。誤解があれば亀裂を生み、望むバトルから逸脱していく。それはお互いに望まないだろう。
俺に挑戦してきたサカエは、先制を貰ってもすぐに攻撃はせず、俺とゲンガーを値定めるように見つめていた。ポケモンバトルにおいて、トレーナーができることは的確な指示をポケモンに届けること。それには自身の知識、経験、そして相手と自分を注意深く観察することで精度を増していく。彼を見るに、先手を貰ったことで喜び勇んで突っ込んでくる自称感覚派の名人さまではないようだ。少しだけ期待が膨らんできた。
エネコロロとゲンガー、タイプ相性的には微妙。ノーマル技はゲンガーに効かず、ゴースト技はエネコロロに効かない。その影響で俺のゲンガーの技のうち、1つが潰されてしまった。残りの3つの技で俺とゲンガーはエネコロロを仕留めなければならない。だがそれはエネコロロも同じことのはずだ。――目線が変化した。来るか。
「Bだ!」
サカエの言葉にエネコロロはうなずいてゲンガーの方へ駆けだした。技名は言わないか。食えない奴だ。ゲンガーはそんなエネコロロを迎え撃つかのように構える。
ゲンガーとの距離は10メートルを切った。そこであろうことかエネコロロは歩みを止めて地面を蹴って後ろに跳んだ。そして口元で電流で球を編み、それを飛ばす。恐らく『電撃波』だろう。その技の選択のやりにくさに、俺は思わず下唇を噛んだ。確か『電撃波』は必中といわれるほどの命中精度を誇るものの、威力は控えめの特殊電気技だったはず。
「木の陰に逃げろ」
ゲンガーというポケモンは影に潜むことができる。しかもここは森の中。影なんていくらでもある。ゲンガーはケケケ、と笑うと足元の陰に潜んだ。遅れて『電撃波』がその地面に爆ぜるも、そこにゲンガーはいない。すでに影の中を移動している。薄い砂埃が舞う中、サカエは不用意に視線を周囲に向けず、ただ俺の視線だけを観察しているようだ。中々賢い。だが、そんなことは対策済みだ。
「『催眠術』」
「っ! 周りの木々に近すぎないように飛び回って!」
このバトルフィールドは円形にひらけており、左右は木々が生い茂っている。そのせいで左右は日中でも少し薄暗い。影として潜むならそこを疑うだろう。しかしそれは当たるだろうか。俺はゲンガーにピンポイントな指示をしていないが、どこに隠れていそうなのかは何となく分かっていた。ほら、視界の隅でゲンガーの耳が地面から出て――。
「――! 近くの砂埃の陰だ! 距離を取って『電撃波』!」
「ッチ! 『そういうこと』かよ! 『シャドーパンチ』で弾き飛ばして距離を詰めろ!」
影から出てきたゲンガーにエネコロロの『電撃波』が一直線に向かっていく。それをひきつけたところで、ゲンガーは『シャドーパンチ』で打ち返し『電撃波』はそのまま明後日の方向へ飛んで爆ぜた。距離を取るエネコロロにゲンガーは影と同化してスイスイ迫っていく。
「俺のゲンガーが物理型ってのはバレてんだな」
「コロちゃんが突然ゲンガーと距離を空けて『電撃波』を打ったとき、貴方は唇を噛んだ! 近寄らせないで! 『電撃波』!」
ゲンガーというポケモンは特殊攻撃に秀でていることから、主に特殊技を使用するもが大多数だ。ゆえに基本的には中・遠距離を維持しながら戦うことになる。近距離に詰められてはまずいのだ。しかし、俺のミスのせいでサカエに『距離を取られると不都合がる』ということを知られてしまった。さらに『電撃波』を特殊技で相殺すればいいものの、1on1で隠れるなんてリスキーな選択をしているのだ。まともなトレーナーならゲンガーが型破りの物理型だと推測できるはず。悔しいが俺が未熟だった。さらに『催眠術』がフェイクであることは勘付かれているかもしれない。だが、『催眠術』を除く4つの技が出ていない以上、確信には至れないはずだ。物理・特殊の中に『催眠術』のような状態異常技などは含まれず、採用する可能性は低くないのだから。
背後へ飛びつつ『電撃波』でけん制していくエネコロロに、ゲンガーは『シャドーパンチ』で弾いて対抗するも距離は縮められない。このままではじり貧だ。ならば、作戦を変えるまで。
「へっ! 『サイコキネシス』!」
「なっ! とりあえず『電撃波』を撃ち切って――」
物理型だと露見したゲンガーに、メジャーな特殊技の指示。サカエは一瞬で先ほどまでの俺の行為がミスリードを誘うフェイクだったと判断したようだ。『サイコキネシス』は名の通りエスパータイプのエネルギーで、直接触れずとも物体を動かせたりできる技。捕まればその間自由を奪われることになる。さらに強い『サイコキネシス』だとそのままダメージも受けてしまう。そうなってしまう前に、ダメ元であるが『電撃波』でゲンガーの体勢を崩そうとしつつ、距離を取って『サイコキネシス』の射程圏外まで逃げようとしたのだろう。が、甘い。何せ俺のゲンガーは完全な『物理型』なのだから。
『電撃波』が発射される直前、ゲンガーは高速でエネコロロの背後に回っていた。サカエはそのからくりに気づくがもう遅い。『不意打ち』は攻撃技に対して先制できる技。両腕から振り降ろされた『不意打ち』がエネコロロにヒットし、そのまま吹っ飛び地面に叩きつけられた。狙い通り。『サイコキネシス』などの特殊攻撃技のエスパータイプ技を指示した場合、それを『不意打ち』として処理するよう教えておいたのだ。さすが俺のゲンガー! 賢い。
「たたみかけろ! 『瓦割り』!」
「ッ! 『アイアンテール』で迎え撃て!」
倒れたエネコロロに上から『瓦割り』を仕掛けるゲンガー。いち早く『不意打ち』の攻撃から復帰し起き上がり、尻尾に『アイアンテール』を展開するエネコロロ。しかし間合い、手数、タイプ相性からゲンガーが有利なのは明らかだ。
右腕から振り下ろされたゲンガーの『瓦割り』を『アイアンテール』で弾くエネコロロ。その衝撃に耐え、負けじと左腕の『瓦割り』を振り下ろすゲンガーだが、それは空を切った。エネコロロは『瓦割り』との相殺で生じた衝撃を利用し、背後へ跳び去っていたのだ。エネコロロはそのまま軽い動作で4本足でしっかりと着地し、迎撃に備え『アイアンテール』を展開する。ゲンガーも両腕に『瓦割り』を展開し、構えたままにらみ合った。
エネコロロの後ろ足が半歩下がる――同時にゲンガーがエネコロロに飛び掛かった。エネコロロはそのまま迎撃の構えを取り、ゲンガーはそのままエネコロロの背後に着地する。その着地を狙ったエネコロロが体を横に一回転させて勢いをつけた『アイアンテール』をぶち込んだ。しかし、それがゲンガーにあたることはなくそのまま空ぶった。そこにゲンガーの姿はない。直後、エネコロロは激痛と共に空中へ打ち付けられた。
「コロちゃん! 下の影からだ! 『電撃波』!」
エネコロロの『アイアンテール』がさく裂する寸前、ゲンガーはすでに着地と同時に地面の影に潜んでいた。ここが森の中であること前提の行動。そのままエネコロロ空振りしたあと、不意をついて影から飛び出し『瓦割り』を打ち付けた。エネコロロは空を隠す木の枝や葉にぶつかりそうな高度まで飛ばされるも、負けじと歯を食いしばり『電撃波』を真下のゲンガーに向かって放った。
「『シャドーパンチ』!」
真上から放たれた『電撃波』を『シャドーパンチ』で難なく弾く。エネコロロは飛ぶ技術は持ち合わせていない。つまり、エネコロロが空中にいる限り、必ず地上へ落ちてくる。そこを迎撃すればいいのだから、必要以上に動く必要はない。俺も落下するエネコロロを見てタイミングを狙っていた。
「ここだ! 『瓦割り』! 振り下ろせ!」
ゲンガーは両腕に『瓦割り』を展開する。エネコロロは尻尾に『アイアンテール』を展開する様子はない。このまま叩きつけて、そのまま瀕死までラッシュをかければ勝利だ。ゲンガーの両腕が落下してきたエネコロロに振り下ろされる――。
「そうはならないさ! コロちゃん!」
一瞬、エネコロロが白く光った気がした。直後、ゲンガーの『瓦割り』がさく裂する。が、そのエネコロロだったものはあろうことか煙と共に消えてしまった。刹那、その煙の裏から伸びてくる影が――。
「『アイアンテール』!」
エネコロロの『アイアンテール』の奇襲が見事ゲンガーに命中し、そのまま吹っ飛ばされた。何度か地面をバウントしながら数メートル飛んだところでゲンガーは何とか止まり、立ち上がる。恐らくあれは『身代わり』。ゲンガーの『瓦割り』がエネコロロを襲う寸前、エネコロロの体が一瞬だけだが光った気がした。その時点で『身代わり』を発生させ、本体は後ろに隠れたのだろう。そしてそのまま『身代わり』を攻撃させ、その後の隙を狙ってきたわけだ。攻撃はもらってしまったが、これで相手の手の内は全て知れたようなもの。技構成は『電撃波』『身代わり』『アイアンテール』と、タイプ一致だがゲンガーには無力の『ノーマル技』。『電撃波』をかいくぐって接近戦に持ち込めば完全にこちらに分がある。
「ふふ……」
「……」
俺が勝利への道を捜索していると、不意にサカエが笑い出した。怪訝に思って俺は彼に目線を向ける。
「どうやら、まだ天に見放されてはいないようだ……。勝つよ、コロちゃん!」
サカエの掛け声に、威勢の良い鳴き声で応えるエネコロロ。俺は1人と1匹から注意をそらさず考える。
奴は先の戦闘で勝ちを引き寄せる何かを見いだせたらしい。その言葉のタイミングからして、『身代わり』で防御したあたりから『アイアンテール』でゲンガーを吹っ飛ばした間のことだろう。その間に起った何かがサカエの自信に火をつけた。模索しろ、試算しろ。どこかにヒントがあるはずだ。『身代わり』には体力を削らなければいけないという制約がある。それを払い、さらに攻撃を防御できたことによって生じる何かがあったのか。それとも『アイアンテール』のヒットに何か布石を置いたのか。『アイアンテール』の追加効果はたまに被弾させた相手の防御の能力値を一時的に下げるものだ。それを引き寄せたのか。だから『天に見放されていない』と判断したのか。いいや違う。これまでの勝負からして、サカエの戦術はとても整っていた。防御を下げたところで勝ちを見いだすほど楽観視はしないはず。しかし何かが彼を奮起させたのだ。どれだ、どこのどんな要因だ……?
「コロちゃん! D!」
エネコロロは彼の言葉を聞いて再び駆け出した。今度はDときたか、俺は内心で舌打ちしてエネコロロの動向を予測する。
サカエには俺のゲンガーが物理型の近距離タイプであることがばれている。すなわち、接近戦を仕掛けてくるということは勝つための決定打を持っているということ。見る限りそれほどの決定打は『まだ』持っていないとみえる。つまり、Dと銘打っているが恐らくBのように接近戦を仕掛けるフェイントをしつつ、実際は遠距離を行うパターンだろう。それにBよりも踏み込んだフェイントとみた。ならば、それを逆手に取ろう。引く前提の接近など、知ってしまえばただのカモだ。
「『シャドーパンチ』!」
「!」
俺の考えは相棒と密接にリンクしている。ゲンガーはこの指示を待っていたに違いない。白い歯を見せて相変わらず不気味な笑顔で『シャドーパンチ』を放つ。はたから見て不気味な笑顔でも、俺にとっては世界一かっこいい笑顔だ。
『シャドーパンチ』という技。そのパンチと名付けられている技の実態は射程無視、伸縮自在の影を使った『第三の手によるパンチ』だ。命中精度は『電磁波』や『燕返し』と並び、必中と謳われるほど。ゴーストタイプのエネルギーで実体化した影を第三の拳として飛ばし、それをパンチとして利用する。
ただ、『シャドーパンチ』はゴーストタイプ。ノーマルタイプのエネコロロにはダメージを与えられない。ではなぜそれを放ったのか。それは攻撃のためではない。
ゲンガーの『シャドーパンチ』がエネコロロの体を貫通する。貫通、というよりも『すり抜けた』という表現の方が正しいかもしれない。その拳はエネコロロをすり抜けた後も伸び続け、後ろの根に近く太い木の枝をつかみ取った。これが目的だった。しっかりと掴むとゲンガーは地面を蹴る。同時に『シャドーパンチ』の伸縮性を利用して、伸びていた部分を縮めることにより体は掴んだ枝に向かって急加速した。これはつまり、掴んだ枝の位置はエネコロロの真後ろなため、エネコロロへ急接近したと同義である。踏み込んだフェイントを仕掛けようとする中、思いがけない急接近に対し満足に対応できるとは思えない。
多少は狼狽するだろうかと俺はサカエを見た。そして目を見開く。彼は狼狽えてなどいなかった。――笑っていた。
「そうくると思っていたさ」
「……」
「貴方のゲンガーの技は要所では使わない『催眠術』と他は物理技しかない。貴方が勝つためには接近戦に持ち込むしか手はなかった。だから『こうくると思っていた』」
「――ッ! そのままたたみかけろ!」
『催眠術』がフェイクなのはばれていたか。そして今更退くにしても遅すぎる。ここでの最悪の結末は無駄に退いて体勢を崩し、そこを押し込まれて取り返しのつかない状況に陥ることだ。それに、まだ策はある。ただこれにはタイミングが重要であり、そう迂闊には使えない九死に一生を得る『反撃』だ。
勢いと共にラリアットのようなかたちで右腕の『瓦割り』をエネコロロに仕掛けるゲンガー。しかしエネコロロはそれを身をかがめてかわし、すぐさま横から『アイアンテール』をぶち込んだ。響いたのは高い音。ゲンガーは『アイアンテール』を食らう瞬間、左腕の『瓦割り』でそれを防いでいたのだ。その衝撃で横に軽く吹っ飛んだゲンガーは2本足で確かに着地し、エネコロロへ飛び掛かる。
「距離を空けるな! 『瓦割り』!」
「――ここだっ!」
太陽を背に飛び掛かったゲンガーに対し、エネコロロの右の前足が淡い水色に光る。同時にサカエのポーチの中にある何かが同じ色で光った。――直後、ゲンガーが攻撃するよりも少しだけ早く放たれた無数の透明なつぶてがゲンガーを地面に叩き落とす。『氷のつぶて』。確かにそれは『氷のつぶて』だった。倒れこんだゲンガーにエネコロロは空中に跳んでくるりと一回転し勢いをつけて『アイアンテール』を繰り出す。ゲンガーは寸でのところで起き上がり、俺の方へ逃げて距離を取った。対象を失った『アイアンテール』は地面にあたり、地面が削れて土の破片が宙に舞う。
俺はエネコロロと向かい合うゲンガーがよろけるのを隅で見て、ダメージの蓄積を感じていた。しかし、彼の手の内はもう理解した。今回は悪運とまではいかないものの、運を勝ち取りきれなかったようだ。ありえない『5つ目の技』によって、自分で種明かしをしてしまったも同然。ノーマルタイプ特有の技の多様性、それを利用したかったのだろうが、まさか2回目で地雷を踏むことになろうとは。運はこちらに向いている。
「小賢しいな。『猫の手』で遅延か」
「バレちゃったか」
エネコロロの体力を吟味してみる。いいや、するほどでもないか。『身代わり』のコストはかなりのものなはず。威力が低い『氷のつぶて』を受けたとしてもゲンガー優位には変わりない。だが、問題はエネコロロが使った『猫の手』だ。
『猫の手』は手持ちのポケモンの持ってる技をランダムで繰り出すギャンブル技。それは6匹以下の場合にのみ発動でき、それよりも多くのポケモンを持ち歩いている場合は発動しない。だから、今の状況で『猫の手』から繰り出されるであろう技の種類は、多く見積もって20。ゲンガーにタイプ相性で効果がなかったり、技の重複や『猫の手』で繰り出せない『指を振る』や『ミラーコート』などの技を考慮するともっと少なくなる。もしも、あえて『猫の手』で選ばれることのない技を持つポケモンを手持ちに入れることで、繰り出されるであろう技をあらかた推測できる構成にしていることもありえる。『身代わり』、『氷のつぶて』。これだけでは判断しにくい。『火炎放射』や『10万ボルト』などのメジャーな高威力で安定性のある技が選抜されていないことが気になる。ただ繰り出されなかったのか、それともそのような技を持つポケモンを持っていないのか。後者だった場合、『猫の手』で出る賽の目が自分有利に働く可能性が高い。『猫の手』のために組まれたパーティ構築をしている可能性がある。とても奇妙で珍しいが、こいつだったらやりかねないような気がする。
サカエのポケモンの手持ちを推測するにしても、それにはもっとヒントがいる。しかし、それを得るためには『猫の手』をもっと使わせないとろくに推測ができず、本末転倒だ。ここは賭けるしかない。先ほどサカエは、天に見放されてはいない、とそう言った。どうしてそう言ったのか。それはあの状況を突破できる可能性が僅かだったから。つまり『身代わり』やその他の『状況を切り抜けられる技』が出ない可能性の方が高かったということ。俺は考える。奴の手持ちは『猫の手』を中心に考慮して選ばれているものではない、と。
「一気に叩く! 『瓦割り』!」
「またそれかあ。同じ味ばっかだと見栄えしないじゃないか、『猫の手』」
駆け出したゲンガーに対し、エネコロロは『猫の手』を振りかざす。
ここで『猫の手』か。俺は『電撃波』で距離を取って戦うだろうと思っていた。駆け出し距離を縮めていくゲンガーに対し、その判断を下すとは余程『猫の手』を信頼しているのだろうか。となると、もしかしたら本当に『猫の手』専用のパーティを組んでいるのかもしれない。悪趣味な奴だ。
エネコロロの腕が今度は緑色に光った。同じくサカエのポーチの中のもの――恐らくポケモンが入ったモンスターボール――も呼応するように緑色の光を放つ。
一瞬、大地が揺れ動いた気がした。刹那、エネコロロを中心に地面から複数の大きな根っこが這い出してきて、鞭のようにゲンガーへ向かって繰り出された。――『ハードプラント』。ここで草タイプの大技を引くとは、なかなかどうして天に見放されてはいないというのもうなずける。しかし勝敗を分けるのに必要なものは運だけではない。ゲンガーの視線を一瞬だけ感じた気がした。運なんてもの、単純明快な力量で押しつぶしてやろうじゃないか。なんとなく伝わってきた相棒の心意気に、自然と口元が緩む。
「突っ切れ!」
ゲンガーを真上から襲う根に、ゲンガーはあえてジャンプして近き、『瓦割り』でそれを引き裂いた。そして引き裂いたその僅かな隙間から根の上へ飛び出し、根の上に着地して駆け出す。そう簡単にはさせないとゲンガーが乗った根に対し、うねりくるほかの根が下から叩きつけた。衝撃によりゲンガーは空中へ投げ出される。そして空中に漂うゲンガー目掛けて2つの根が左右から押しつぶすかのように迫った。ゲンガーは愉快そうにケケケと笑うと、『シャドーパンチ』で先ほどまで乗っていた根を抱え、そこ目掛けて急発進する。ゲンガーを逃がした2つの根は双方正面衝突し、お互いの矛先をぶち抜いてそのまま動かなくなった。それによって飛び散った木片が降る中、ゲンガーは再び駆け出す。が、先ほど下から叩きつけた根も、ゲンガーを乗せている根の表面をグルグルと螺旋状につたいながらゲンガーを追ってきていた。そして不意をつくようにゲンガーの背中目掛けて直進する。けれども、後ろから轟音をばらまきながら近づく根にゲンガーが気づかないはずがなかった。ゲンガーは背後からの直進してきた根をジャンプしてかわし、『シャドーパンチ』で先端を捉えてそこに降り立つ。その根はそのまま直進してエネコロロのすぐ隣の地面に突き刺さった。ゲンガーはその衝撃をあえて利用し、真上へ飛び出して下にいるエネコロロを見据える。――エネコロロの硬直は未だ解けていない。ニヤリと口を半円に緩めながらゲンガーは『瓦割り』を展開し、エネコロロへ落下の勢いと共に振り下ろした。
しかし、その『瓦割り』がエネコロロに届くことはなかった。エネコロロのそばに突き刺さった根が再び動き出し、地面を削りながら横へ移動し始めると、そのままエネコロロを掬って投げ出したのだ。当然『瓦割り』はその根を裂き、投げ出されたエネコロロの硬直は空中で解けてそのまま着地した。同時に複数の根は力なくその場に崩れ落ちる。
俺は乱雑に乱れまくったフィールドを見て、ふと後始末のことが頭に浮かんだが、すぐさま取り払った。とりあえず今は嫌なことは後回し。今必要なのはこいつをどうするか、だ。
「貴方のゲンガーの動き、素晴らしいね! あの大技が出れば大概は勝負つくのに……」
「ふん。そこらのやつの一緒にするな」
「そうだね、『猫の手』」
「させるか! 『不意打ち』!」
再び己の右前足に光を灯すエネコロロ。それに向かって地面にある影に溶けて急接近し、背後を取ったゲンガー。エネコロロもそれに気づき、その振り向いて右足をかざして迎撃の体勢を取る。が、少なくても俺とゲンガーはこの時点で何かがおかしいことに気づいていた。
『不意打ち』は攻撃技に対して先制できる技。しかし相手が技を繰り出せなかったとき、あるいは攻撃を介さない補助技を繰り出したときには失敗してしまう。ここで今の状況をみてみると、ゲンガーの先制するはずの『不意打ち』がエネコロロに読まれてしまっている。振り向いて、今にも返り討ちにされそうな立ち位置だ。――エネコロロに対し先制できていない。これより導き出せる結論は、『猫の手』によって選ばれた技は攻撃技ではないということ。
≪――ッ!!≫
エネコロロの白く光った足から不協和音が飛び出してきた。ゲンガーは驚いて体勢を崩し、耳を抑えながら地面に落ちてしまう。エネコロロも発信源である右足をできるだけ遠くまで伸ばし、目を閉じて反対の左足で左耳をふさいでいる。唄とも演奏ともにつかない、黒板を爪で思いっきり引っ掻いた音をライブ会場の爆音で聞いているかのような、しかもそれには一定のテンポが刻まれている。これは、確か。
「『滅びの歌』……ッ! ここで引いちゃうか……!」
歯ぎしりと共にサカエが小さく呟いた。
『滅びの歌』、これを聞いたポケモンは一定時間が経過すると『瀕死』になってしまうという。しかもそれは相手だけでなく、発した自分にさえ襲い掛かる。ポケモンを入れ替えればその効果を打ち消せるのだが、この勝負は1on1。入れ替えは許されない。これらが示すのは、
「コロちゃん! 『電撃波』!」
「ゲンガー! 『瓦割り』!」
――効果がくるよりも先に相手を倒す。『滅びの歌』が響き渡る最中で両者が動けないにも関わらず、俺たちは叫んでいた。
このまま持久戦を持ち込んでは引き分けという何の面白みのない結果になってしまう。純粋なポケモントレーナーとそのポケモンは、少なくても俺は、それを一番嫌う。多分ゲンガーも同じだ。証拠に、俺が指示を出すよりも先に、耳を塞ぎながらも一歩前に踏み出していた。
『滅びの歌』が響き終わる。それを合図にゲンガーはエネコロロへ向かって駆け出し、エネコロロはゲンガーに向かって『電撃波』を放った。ゲンガーは地面にある影の中に身を潜めると『電撃波』はゲンガーを見失い地面に爆ぜた。ゲンガーは地面や根の上にできた影をつたってエネコロロへ迫っていく。
「くそッ! 『猫の手』!」
サカエが『猫の手』を指示した。この状況において『猫の手』のギャンブルは限りなく危険であることを知っての苦渋の決断だろう。今までのサカエの言葉や表情から分析するに、彼の『猫の手』は完全に運任せの博打。自分のパーティも『猫の手』を中心に組まれたものではない。ここで『猫の手』を繰り出すことが、どんな影響をもたらすのか。エネコロロの右前足は淡い瑠璃色の光を放っていく――。
ついにゲンガーがエネコロロのもとにたどり着き、エネコロロの影から飛び出して『瓦割り』を繰り出した。しかしそれは豪快な羽音と共に空振りに終わる。ゲンガーが上を見上げると、そこには半透明な翼が背中に生えたエネコロロが空を停滞していた。――『空を飛ぶ』。
「まさかここでこれを引いてくれるとはね! 『電撃波』!」
「ッ! 根を使え!」
俺は『空を飛ぶ』が選ばれたのは初めて見たので、まさか実際に翼が生えるとは思いもしなかった。しかし、見る限りエネコロロは鳥ポケモンほど翼を扱いきれていない。叩けば落とせる。
エネコロロが背中の羽をぎこちなく羽ばたかせながら『電撃波』の球を込めている隙に、ゲンガーは『ハードプラント』により発生した大きな根を使って上へ上へと上がっていく。それを狙って『電撃波』が放たれるも、空中でろくに効かないコントロールと入り組んだ根の残骸でそれはゲンガーには届かない。
一番高度が高い根の先まで到着したゲンガーはそのまま飛び出して、エネコロロを上から攻める。
「『瓦割り』!」
「――『アイアンテール』!」
空中でふらふらしているエネコロロに、回避という行動をとらせるのはいささか不安があったのか、サカエは迎撃する選択肢をとった。エネコロロは何とかバランスを取り、上から飛び掛かってきたゲンガーの『瓦割り』に対して『アイアンテール』を合わせる。が、勢いをつけて振り下ろす『瓦割り』には勝てない。衝撃は和らげたものの、そのまま押し負けて地面へ落下した。ゲンガーはエネコロロと少し離れたところに着地し、そのまま駆け出した。エネコロロも体力を振り絞りながらなんとか立ち上がる。
「終わりだ! 『瓦割り』!」
「『猫の手』!」
この際まだ『猫の手』に頼るのか。しかし一見頼りない選択肢だが、無視できない爆発力があるのは確かだった。エネコロロの足が再び光を放つ。それは深い藍色に輝きを持ち、そして――。
「ゲンガー! 下がれ!」
とてつもない気迫。俺の直感がこれはやばいと赤ランプを点灯させた。ゲンガーは慌てて足を止め、地面を蹴って後退しようとする――寸前、何かがゲンガーの頬をかすってそのまま横たわっている大きな根を破壊した。
俺とゲンガーは突如破壊され、砂埃があがった根を見据えた。先ほどまでいた場所からエネコロロは姿を消している。恐らく、いや、十中八九これはエネコロロが『猫の手』で引いた技の何かだ。『猫の手』の爆発力、これはまさにそれだ。ここにきて爆発させてきた。俺は噛みしめる。ゲンガーも身構えなおした。――来る。
破壊された根の付近で巻き起こっていた砂埃が、蒼い嵐で一蹴される。その中には燃えるような蒼いオーラをまとうエネコロロがいた。これは『逆鱗』。ドラゴンタイプの中でも追随しない暴力性をはらんだ技。威力はさきのを見て知っての通りだ。これをまさかこのタイミングで引き当てるとは侮れない。
動悸が荒くなっていく。無意識に、自分が震えていることに気づいた。それは武者震いなのか、武者震いだったらどれだけよかったか。どうする、あの技をどうやって攻略する。震える手を無理矢理握りしめ、何とか考えようとした。それでも焦燥ばかりが前に出てきて何も考えられない。額に汗が流れる。
"――ッ"
突然、ゲンガーが吠える。その声が俺の中にあった不安や焦りの霧をすべて掃きだした。俺がゲンガーを見ると、彼はこちらを向いてニヤリといつものようにケケケと笑ってみせた。その笑顔を見て、俺は思い出す。俺の相棒は負けを恐れず勝ち取るすごい奴であると、そう確信したあの日の興奮を。
「あぁ……そうだ。まだ、いけるな?」
ゲンガーは自信満々にうなずいた。彼も分かっていた。まだ俺達には『反撃』の手段が残されていることを。
「いいね……! 唄がくるまでに、決着をつけようか! 『逆鱗』!」
「ああ! 望むところだ! ゲンガー!」
サカエの声に呼応したエネコロロが咆哮する。そして、蒼いオーラで地面を抉りながらゲンガーに向かい駆け出した。ゲンガーは自分から飛び掛かることなく、ただエネコロロを見据えて構えた。その対面する瞬間まで。
最初にゲンガーを襲ったのはエネコロロの突進。それをゲンガーは左に滑って避け、エネコロロを視界から外さぬように振り向くもそこに姿はない。
「上だ!」
俺の声に呼応したゲンガーはあえて上を見ず、そのまま後ろへ飛び去り、上から飛び掛かってきたエネコロロの隕石のような『逆鱗』による突撃をかわした。苔の生えた岩もろとも砕くその威力に、地面はなすすべなくえぐり取られて破片が宙に舞う。しかしそれだけでエネコロロの猛攻は止まらない。
後ろに飛び去ったゲンガーに追いつくほどの速さで、エネコロロは地面を沈没させるほどに蹴って、さらに距離を詰めていく。ゲンガーに追いついたエネコロロの放った右足がゲンガーの頬をかすり、衝撃で多少吹っ飛んだ。なんとか倒れずに地面を滑りながらも堪えて立ちなおしたゲンガーの目の前には、すでにエネコロロの回し蹴りが迫っていた。さらにゲンガーは身を反らしてそれをかわし、その勢いで後ろに下がっていく。――が。
その下がった先で、ゲンガーの背中が何かにあたった。そこには『ハードプラント』によって出現した根が横たわっていた。エネコロロはここに誘導していたのだ。何もないところで全力をぶつけるよりは、相手が逃げられない空間に追い込んで確実に当てる。背後に逃げ道を失ったゲンガーの目の前には、『逆鱗』を宿したエネコロロの突進が迫っている。それは今までとは比べ物にならないほどのスピード。それは――
「『逆鱗』!」
一縷の青い光のように一直線にゲンガーへ激突した。ゲンガーは腕で防御しようにも、強すぎる力にあっけなく押されていく。
「ゲンガー!」
ゲンガーをつたって後ろにあった大きな根が音を立てながら壊れていくほどの威力。砂埃がその場から逃げるように去っていった。しかし、その中でもゲンガーはまだ耐えている。蒼く暴力的な美しさをも感じさせるオーラを前に、ゲンガーは未だ立っていた。そして、いつもと変わらずに唇を緩ませるのだ。
「『カウンター』!」
「――」
叫びと共にゲンガーの拳が赤く光る。それにはエネコロロによる猛攻以上の破壊力が見込めるほどの『反撃』。全てを凌駕する熱気がそれには込められていた。エネコロロの『逆鱗』が徐々にゲンガーに押し返されていく。そしてエネコロロの吐いた一瞬の緩み。その刹那が勝負を変えた。
ゲンガーはエネコロロを押し飛ばした。エネコロロは『逆鱗』の効果時間も解けてそのまま宙に放り出される。重力に従って落ちるエネコロロ。この瞬間が俺にはスローモーションのように感じられた。そのエネコロロ目掛けてゲンガー渾身の『カウンター』による掌底打ちが繰り出される。――未だ瞳に闘気の光が宿っているエネコロロに向かって。
「『猫の手』!」
「ぶちかませ!」
瞬刻のうちは何が繰り出されたのかはわからなかった。ゲンガーの『カウンター』がエネコロロに命中する。一拍遅れてその威力さながらの爆発が爆音を引き連れて巻き起こる。その爆風によって周囲の木々は乱れ、俺とサカエの両者は腕で目をカバーするほどに強烈な砂埃が舞った。その中でも俺はうっすらとその中心を見据えていた。この勝負の行方は、凱歌をあげることになるのは果たして――。
***
「おい、そっちの根っこ」
「あっ、うん」
すでにヨルノズクの姿が垣間見える満月の下。俺とサカエは滅茶苦茶にしてしまったトウカの森の修復作業を行っていた。こういう公式なフィールドではない場所でバトルを行い、フィールドを破損させてしまった場合はその管轄のジュンサー連盟に報告して元来の姿に戻す義務がポケモントレーナーには課せられている。自然環境やポケモンの生態系を崩さないようにという処理であり、これをしないと問答無用で罰せられても文句はいえないほど重要な作業だ。これをせずに大地を増やそうやら海を増やそうやら企む集団がいるものだから、身の程知らずだなあとため息が出る。
ちなみにフィールドを滅茶苦茶にしてしまった一番の理由は『ハードプラント』で発生した根っこである。俺のポケモンが出した技ではないのだが、いやはやポケモンバトルをしていたのはサカエと俺であり、勝負で出てしまった損害である以上当然俺にも半分責任がある。俺とサカエで半分半分。これが正しいかたちだ。
最初はサカエのポケモン達にも後始末を手伝って貰っていたのだが、残念なことに日が沈むまでに終わらなかった。そこで今日は一旦お開きということで、俺の家で皆で仲良くごはんを食べたて寝ようという話になったのだが、俺の手持ちはゲンガー1匹しかおらず、今回の後始末に俺1人ではあまり貢献できていないことになんか負い目を感じていた。故に夜中抜けだして1人で作業をしていたところに、サカエもやってきて2人で作業をすることになったのだ。そして今に至る。
「にしても、結局どっちが勝ってたんだろうな」
巨大な根っこを少しずつ切り刻んで小さくしたあと、地面に埋める作業をしながら、ぽつりと俺は呟いた。
ゲンガーの『カウンター』がさく裂したあと、辺りは砂埃にまみれた。その後、ゲンガーとエネコロロの両者の反応が見られず、一旦バトルを中断して見に行ったところ、どちらも戦闘不能の状態で倒れていたのだ。これならばゲンガーの『カウンター』でエネコロロが倒れ、その後『滅びの歌』の効果でゲンガーが倒れた、というゲンガーの勝利で終われたのだが、おかしな点がひとつ。
あれほどの攻撃を食らったはずのエネコロロは吹っ飛ばされず、ゲンガーとエネコロロはすぐそばでお互い倒れていたのだ。このことから、両者とも『カウンター』が十分に発動する前に『滅びの歌』で倒れたのか、それともサカエが最後に指示を出した『猫の手』で何かの技が出て、ゲンガーを倒したのちにエネコロロが『滅びの歌』で倒れたのか、まったく見当がつかなかった。ちなみに戦闘不能となった2匹はすぐさまトウカのポケモンセンターに運んで、今は両者とも手元にいない。
「ま、十中八九どちが勝ったかは分かってるけどね」
「お、マジ? 実は俺も」
手を止めて笑みを浮かべて言うサカエに、俺も笑ってうなずいた。さすがは俺とゲンガーに善戦させただけはある。見る目があるということか――。
「俺のゲンガーの勝ちだな」
「僕のコロちゃんの勝ちでしょ」
「……」
「……」
間違えた、見る目ねぇよこいつ。
綺麗なほどに平行する意見が飛び交いながらも、いつも通りトウカの森の夜が更けていった。
エネコロロはゲンガーが大好きです。
二人の出会いは偶然でした。ある日、エネコロロはいつものように、人間と一緒に暮らしている家を抜け出して、町外れの森に遊びに行きました。ひらひら舞い踊るアゲハントの群れを追いかけるのが面白くて、うっかり森の奥深くまで足を踏み入れてしまったことに気がついた時には、夕暮れの空に三日月がほっそりと白く浮かんでいました。夜になって道に迷ってしまっては大変と、慌てて森の中を走り回っていたエネコロロは、うっそうと茂る木々の中にぼろぼろの屋敷を見つけました。その屋敷の主が、ゲンガーだったのです。
古びた屋敷には、昔はお金持ちの人間が住んでいたのでしょうが、今はゲンガーの他にもたくさんのゴーストポケモンたちが住みついていました。エネコロロは最初ちょっと怖がりましたが、彼らが気さくに話しかけてくれたり、屋敷の中を案内してくれたり、帰り道を教えてくれたりしたので、すぐにみんなと打ち解けました。中でもゴーストポケモンたちのリーダーとして、口数は少ないけれど仲間たちを優しく見守っているゲンガーのことが、エネコロロは大好きになりました。ゲンガーもまた町から来たエネコロロの話を聞くのが楽しいようで、いつでも喜んでエネコロロを屋敷に迎えてくれました。
ですからその日もエネコロロはいつものように、人間と一緒に暮らしている家を抜け出して、町外れの森の一番奥にある古びた屋敷に遊びに行きました。もうすぐゲンガーに会えると思うと嬉しくて仕方ありません。おしゃべりしたいことが山ほどあって、何から話そうかしら、と考えながら森の小道を駆けていると、
「ネコチャン!」
ゲンガーが道の向こうで手を振っていました。ネコチャンというのは、屋敷のゴーストポケモンたちがエネコロロを呼ぶ時の愛称です。本当はエネコロロには人間に付けてもらったエリザベスという名前があるのですが、ネコチャンと呼んでもらうのも気に入っているので内緒にしています。
「ゲンガー! ゲンガー!」
エネコロロはぴょんぴょん跳ねながらゲンガーの側に寄りました。
「今日は何して遊ぼう! 聞いて聞いて! この間ね、町の広場で外国から来た人間がショーをしていたの。大きな玉の上に立ったり、ポケモンと一緒に輪っかを次々空に放り投げたり、すごかったんだよ! だから今日はみんなでショーごっこしない?」
今にも待ちきれない様子で屋敷に走りだそうとするエネコロロに、しかしゲンガーは黙って首を振りました。エネコロロはちょっと意外に思いましたが、それじゃあ、とすぐに話題を変えました。
「例の開かずの部屋、今日こそ開かないか挑戦しよう! みんなはいいよ、壁をすり抜けられるから。でもアタシだって中で一緒に遊びたいもん。なんとかして扉を開けてみようよ!」
けれどもゲンガーは、やっぱり黙って首を振りました。エネコロロは不思議そうに目をぱちくりさせましたが、すぐに元気よく言いました。
「じゃあ、何して遊ぶか屋敷に着いてからみんなで決めよう。それならいいよね?」
そして歩きだそうとしたエネコロロの前にゲンガーが立ちふさがりました。押し黙ったまま、細い三日月のような口を黒い体にゆらりと浮かせているゲンガーの姿に、エネコロロもただならぬ気配を感じてこくんと唾を飲みました。
「ど……どうしたの、ゲンガー?」
「屋敷には、行かない。ネコチャンは、ここで、ワタシと、バトル!」
ぎん、とエネコロロを見据えたゲンガーの目は、今までに見たことのない黒い光をたたえていました。エネコロロは足がすくんで動けなくなります。
屋敷の仲間たちはバトルが好きで、ゲンガーも指南役としてよく相手をしてやっていました。でもエネコロロはいつも見ているだけ。人間といる時も、ゴーストポケモンたちといる時も、エネコロロはバトルなんてやったことがないのです。
「ゲンガー! アタシはバトルなんてできないよう!」
大きな声で訴えますが、ゲンガーはにやりとゆがめた口の形を変えないまま、両手の中に影の玉を作りました。それは見る間に頭ほどの大きさになって、勢いよくエネコロロに向かってきました。エネコロロは思わず「にゃあ!」と悲鳴を上げてぎゅっと目を閉じます。ぶわりと凍えるような冷気に包まれて、全身の毛が逆立ちました。
どうしてゲンガーはこんなことをするのでしょう。ゲンガーは確かに無口ですが、いきなり乱暴するようなポケモンではありません。きっと何か理由があるはずです。
エネコロロは目を開けました。ゲンガーが黙ったまま、口に弧を描いて、エネコロロを見つめていました。
「もしかしてアタシにバトルを教えたいの、ゲンガー? みんながバトルしている間、アタシがひとりぼっちだから。でも、それなら心配いらないよ。アタシはみんなのバトル見てるだけで楽しいんだもの!」
勘違いをしているゲンガーに思いが伝わるように。エネコロロは愛らしい毛玉がついたしっぽをぶんぶんと機嫌良く振って、精一杯の気持ちを込めました。
しかしゲンガーの返答は、二発目の影の玉でした。またしても冷たい闇に飲みこまれて、エネコロロはぶるると体の奥底から身震いします。痛くもなんともありませんが、どうも愉快な感覚ではありません。
ひょっとするとゲンガーは、エネコロロのためにバトルがしたいのではなく、自分のためにバトルがしたいのでしょうか。エネコロロ自身はバトルにあまり興味がないので、以前屋敷に住むサマヨールにバトルの何が面白いのか尋ねたことがあります。
「そうだなあ。自分の力がいろいろな技の形になるのが面白いってのもあるけど……」
サマヨールは屋敷の庭を眺めて思いあぐねました。そこではカゲボウズやヨマワルやゲンガーたちがバトルをしていました。幼いゴーストポケモンたちがせがむので、ゲンガーが相手をしてやっているのです。子供らが放つ影玉はまだへろへろの軌道で、バトルとは呼べないくらい避けるのも弾くのも簡単にできてしまうのですが、ゲンガーはなんだかいつにも増してにこにこしているように見えました。技の打ち合いが終わり、彼らがじゃれて笑い始めた頃、サマヨールは答えました。
「バトルって一人じゃできないだろ。ぶつかり合う力と力を通じてだけ、相手と感じられる何かがあるんだ。それが何なのかオレにもよく分からないけど。」
サマヨールの言葉が本当なら、ゲンガーはバトルを通じて「何か」を感じたいのかもしれません。それが何なのかもちろんエネコロロにもよく分かりませんが。
ゲンガーは目にらんらんと黒い光をたたえ、エネコロロを見つめています。わずかに体を揺らしながら、相手の出方を伺っているようです。
エネコロロはゲンガーが大好きです。だからお互いのことをもっとよく知れたらと思います。今まではおしゃべりをすることや一緒に遊ぶことこそがその方法だと思っていましたが、ゲンガーにはゲンガーなりの方法があるのかもしれません。もしゲンガーが「何か」を感じるためにこのバトルを仕掛けてきたのだとしたら。それに応えたいという強い願いが自分の中でむくむくと形になるのを、エネコロロは感じました。
「ゲンガーがどうしてもアタシとバトルしたいっていうのなら……」
正直に言って自信は全然ありませんでした。おしゃべりをするための言葉や一緒に遊ぶための元気ならたくさん持っていますが、バトルをするための力なんて自分に備わっているのか分かりません。上手くできないかもしれません。でも、それでも、ゲンガーのためならば。エネコロロの勇気に火が付きました。
「アタシだって、技を使ってみせるよ!」
エネコロロの内側が、かっと熱くなりました。瞬間、熱は一気に体の外に出て輝く大きな星を形作ります。頭上でこうこうと光を放つ塊を見て、これがアタシの力、とエネコロロが思った直後、ぱんと高い爆発音が響いて光が破裂しました。
「にゃあ!?」
まばゆい光で視界が真っ白になり、エネコロロはそのままひっくり返って倒れてしまいました。「ネコチャン!」と叫ぶゲンガーの声に続いて、遠くから別の声が重なりました。
「おーい! ゲンガー! ネコチャーン!」
「うわあ、やってるやってる!」
「バトルだバトルだー!」
「ボクたちも混ぜてー!」
くらくらしながらエネコロロが起き上がると、助け起こそうと側に来たゲンガーの姿と、その向こうから小道を飛んでくる屋敷のゴーストポケモンたちの群れが目に入りました。
ぴゅーんと最初に側にやって来たのは三人のカゲボウズです。カゲボウズたちはきゃっきゃと笑いながら小さな影玉をぽいぽい落としました。続いて到着したヨマワルは、目玉をちかちか怪しく光らせて飛び回ります。サマヨールは鬼火をいくつも宙に浮かべています。あっちのポケモンと打ちあったり、こっちのポケモンの影に潜ったり、みんなで技の比べっこです。いつもの屋敷でのバトルと違って、開放的な森の小道では技の調子も異なるのか、みんなはいつにも増して夢中で力を見せあいました。
エネコロロは頭の上を横切った影の玉に「ひゃあ!」と驚いたり、もくもくわいた黒い霧の中で「にゃあ!」と声をあげたり、大忙しです。けれども先ほどゲンガーに向かって放とうとした光が思ったよりも体を温めていたのか、エネコロロはすったもんだの真ん中でも上手に技をかわしていました。それに気がついたゴーストポケモンたちも、エネコロロの思いもよらぬ身のこなしに目を丸くしました。
「わあ、ネコチャン、技を避けるの上手だね。」
「ボクのシャドーボール、ちっともきいてないや。」
「ネコチャン、すごい!」
誉められれば悪い気はしません。エネコロロは「えへへ」と目を細めました。
それからやっと尋ねることができました。
「でも、どうして今日はこんなところでバトルなの? いつもは屋敷で遊ぶのに。」
「ああそうだ、すっかり忘れてた! 屋敷の準備ができたから、みんなで二人を迎えにきたんだ!」
「準備って、何の?」
「いいからいいから! 早く行こうネコチャン!」
不思議そうに首をかしげるエネコロロの背中を、カゲボウズたちが並んでぐいぐいと押します。ゲンガーのほうを見ると、ゲンガーは黒い体に赤い目玉と三日月の口を浮かべて、黙って微笑んでいるだけでした。その目からはもう、相手を射すくめる黒い光は消えていました。
屋敷に着いた時、エネコロロはうわあっと声を上げました。
「これ、全部、みんなが飾りつけたの!?」
屋敷の一面に、数えきれないくらいの花が生けられていました。いいえ、花だけではありません。金色のきのみや真っ赤な石のかけらなど、いろとりどりの装飾が屋根に、窓に、ひび割れた壁に取り付けられていて、しかもそれが周りに何十個も浮かぶ鬼火に照らされているのです。古びた屋敷は、どんな大富豪だって住むことができない、虹色の豪邸に様変わりしていました。
「その通り! だって今日は、ネコチャンがこの屋敷に来た日と同じ形のお月様が、初めて空に浮かぶ日だからね!」
「ネコチャンとボクたちの友達記念日だよ!」
「ハッピームーンナイト、ネコチャン!」
夕暮れの空に三日月がほっそりと白く浮かんでいました。
エネコロロの言葉は、驚きと喜びでいっぱいになった胸につかえて出てきませんでした。でも、きらきら揺れる瞳とふるふる震える頬を見ただけで、エネコロロの気持ちはその場にいた誰もに伝わりました。友達記念日のサプライズが上手くいって、ゴーストポケモンたちも嬉しそうです。
「ネコチャンにびっくりしてもらえて良かった!」
「飾りつけが完成するまで、ゲンガーに『ネコチャンを森の小道で止めておく係』になってもらった甲斐があったね。」
「バトルでもしとけばいいんじゃない? って言ったけど、その通りだったね! ネコチャンがあんな身軽だなんて知らなかったよ。」
ゴーストポケモンたちが口々に言います。それでエネコロロにも、どうしてゲンガーがいきなりバトルを仕掛けてきたのか理由が分かりました。
ゲンガーはエネコロロの隣に立ち、黒い体に細い三日月を浮かべ、黙って微笑んでいました。その顔は、目に黒い光を燃やして影の玉を投げつけてきた時とは全然違います。でもあの時のゲンガーの表情は、バトルを通じなければ知らないままだったとも思うのです。
あのね、とエネコロロはゲンガーにささやきました。
「今度、アタシにも、バトル教えてね。」
ゲンガーはちょっぴり意外そうに目を開きましたが、すぐに優しくうなずきました。
「ネコチャンが出した光。あれはネコチャンの、とっておき。もっと上手に、使えるようになると思う。ワタシも、手伝う。」
それはエネコロロが今まで横からしか眺めたことのなかった、バトルの先生の顔でした。初めて正面から見たその目に自分の姿が映っているのが、くすぐったくて心地よくて、エネコロロは耳をぴこぴこ動かしました。
屋敷の中からユキメノコがみんなを手招いています。なんだかきのみ料理のいい香りがするようです。きっと屋敷の外だけでなく中も、友達記念日のための特別な準備がされているのに違いありません。ぴゅーんと一番にユキメノコのもとに飛んでいったカゲボウズ三人組が、ゲンガーとネコチャンも早くおいでよ! と二人に向かって叫びました。
エネコロロとゲンガーは顔を見合わせて笑い、仲良く並んで屋敷に入っていきました。
私の管理する庭園に、エルレイドとサーナイトを連れた夫婦が来ていたのを憶えている。
夫婦とポケモンたちは、ある常緑小高木樹に咲いた花を眺め歓談していた。
小さなオレンジ色の夜空の星を連想させる花。その花は独特のいい香りを放っていて、アロマなどでも好まれるものだった。私も好きな花だ。
微笑ましく思っていると、奥さんが私を見つけて尋ねてくる。
「あの、すみません。この花の名前を知っていますか? 星みたいで綺麗だなって思って、知りたくて……」
……ネームプレートがちゃんとかかっていなかったか、直さねば。
同じ印象を持ってくれた嬉しさに笑みを浮かべ、彼女の質問に答える。すると彼女はその名前を愛しむように口にし、礼を言って夫のもとへ戻って行った。
この時に名前を教えた花にまつわるエピソードは、もう少しだけ続く。
* * *
数年後。
庭園の裏へと続く林を、慎重に進む男とエルレイドの姿があった。
周りを警戒し歩みを進めていくふたり。しばらくするとエルレイドが2つの“感情”の存在に気づき、男の腕をつかむ。
「……どこにいる?」
男が小声で聞くと、エルレイドは前方斜め上を見上げる。それらは鬱蒼とした木々の上にて、男たちの動きを伺っているようだった。
「見つかってしまったか“庭師”に」
“庭師”とは、庭園の管理をしている、あるポケモントレーナーの通り名であった。
庭園の守護者である“庭師”は、庭の植物を奪おうとするものに容赦はない。発見されたが最後、最悪切り刻まれるという噂を男とエルレイドは聞いていた。
一時撤退の意思を確認し合い、引こうとするふたり――しかし先程まで前方に居たはずの“庭師”たちの気配が、気をそらした次の時、既にふたりの背後に回り込んでいた――
「早い?! エルレイド!」
振り向きざまにまずふたりが見たのは小柄な女性の姿。そして、ふたりののど元に突きつけられた『リーフブレード』の刃。それからその新緑の両手の刃を構えるジュカインの姿だった。
女性は何とも言えない表情で、男とエルレイドに尋ねる。
「奥方とサーナイトは元気か? 旦那さん」
男とエルレイドには“庭師”たちに見覚えはなかった。むしろ何故相方たちのことを知っているのかということに面を喰らっていた。警戒心を削がれた男は目を伏せ、“庭師”の問いに答える。
「……ふたりとも去年亡くなったよ。俺たちを残して」
「そうか、失礼した。して、何故このようなところに」
「花を、妻とサーナイトの墓に花を供えたくていただきに来た……いや、それだけじゃねえな」
男は一息吐いた後、理由の全貌を明かす。
「息子に、名前の由来になった花をやりたかったんだ。昔みんなで見たあの花をあげてやりたかった」
彼の白状に“庭師”は質問を重ねる。
「あんた、名前は」
「ヴィクトル」
「奥さんは」
「ステラ」
「息子さんは」
「オリヴィエ」
「なるほど。花と星で、あの小さな星の花の名前か……」
「さすが“庭師”。名前だけで分かるのか」
「わかるとも。しかしオリヴィエなら他でも手に入れる手段はあるだろう? 捕まったらどうするんだ。関心はしないね」
「ああ。ああ。でもあいつに欲しいとねだられた時、ここの花じゃないとダメな気がしたんだ――だから俺は捕まらない」
男……ヴィクトルが言い切ると同時に、会話中じわじわと伸ばしていたエルレイドの手が彼に触れる。
瞬間、彼らの姿が“庭師”とジュカインの後方へとワープしていた。
“庭師”もジュカインもたいして驚くような素振りも見せず、背を向けたままヴィクトルとエルレイドに威圧をかける。
動けば切るぞ、と言わんばかりにジュカインは両刃を輝かせ、“庭師”は言葉をゆっくり紡ぐ。
「『テレポート』……障害物の多い中よくやるね。危なっかしくて見ていられない――――オーケー、提案だ」
提案という単語に呼吸のタイミングを掴み損ねていたヴィクトルは大きく息を吸う。そして次の“庭師”の言葉を待った。
「私としても、戦いの余波で庭園がめちゃくちゃになることだけは避けたい。だから提案だ、ヴィクトル。私たちとあんたたちで賭け試合をしよう。条件は……あんたたちが勝ったらオリヴィエの花枝をやる。私たちが勝ったら大人しく息子さんを連れて庭園に連れてきな」
「それは……」
「それでいいかい? というかいいね? 断ったら……切り刻むよ?」
「あ、ああ!」
ヴィクトルの返事を聞いた“庭師”は仕方なさげに笑った。その笑顔の内の感情にエルレイドは少し萎縮していが、自らを鼓舞するために両手で頬を軽く叩いた
* * *。
「審判はいない。どちらかが負けを認めるまでだ。言っとくけど手加減はしないから、全力でかかってきな――――試合開始だ」
“庭師”の言葉を皮切りに、ジュカインとエルレイドはお互いを目指して直進した。それから二人と二体は、お互いがほぼ同じ構えを取っていることに気づく。
だからといって、お互いともそこで引く理由はなかった。
二人の指示を出す声が、被る。
「「『つばめがえし!!』」」
まず切り下ろす二体の腕の刃が交わる。次に切り上げる返し刃が交わり火ぶたは切って落とされた。
「畳みかけな、ジュカイン」
「そのまま応戦だ、エルレイド!」
バックステップで距離を取り合った後、『リーフブレード』を携えて再びエルレイドに突撃するジュカイン。エルレイドは『つばめがえし』の構えのまま降り注ぐ新緑の斬撃をひとつ、またひとつさばいていく。一見完璧な防衛のように見えたが、押されているのはエルレイドの方だった。ジュカインの攻撃の速さに意識を持っていかれ、対応するのに精一杯だった。
「っ、距離を取れ『テレポート』」
ヴィクトルの判断は早かった。近距離戦から遠距離戦へと誘導させるために、エルレイドに『テレポート』を使わせる。しかし、距離を取るということは、相手のジュカインもまた自由に動ける時間が確保できるということでもあった……。
エルレイドがテレポートで木の上までたどり着いた時、ジュカインは姿を暗ましていた。
「どこだ……?」
「ここからが正念場だよ、お二人さん……いくよジュカイン!」
“庭師”が髪留めを取り、その飾りに付いていたキーストーンを胸元に掲げ口上を述べる。
危機を察知したヴィクトルとエルレイドは、目視と感情の探知を利用してジュカインを捜していく。
「我ら“葉”の印を預かる守護者……其の深緑の生命力を以てして、すべてを切り刻む! メガシンカ!!」
“庭師”の背後の草陰へと集まり爆発するエネルギー。
ふたりがその地点に居たジュカインの姿を捕らえた時、メガシンカを終え鋭さをました姿へと変化したメガジュカインは……既に鋭利な尾をエルレイドに向けていた。
「来るぞエルレイド! 『サイコカッター』で切り抜けてくれ!」
「……『リーフストーム』!」
尾の先端から発射された鋭い葉の塊が、空気の渦を逆巻きながらエルレイドに向かい飛ぶ。
エルレイドが放った念動力で圧縮された刃が葉の塊の端の方に当たり、間一髪塊の軌道を上へとそらした。
「上手い!」
「いやまだだね。嵐ってものは、降り注ぐものだ。そう、こんな風に」
“庭師”が指をはじくと上空へ向かっていた葉の塊が弾けた。吹きすさぶ風を纏った鋭利な葉の雨が辺り一帯に突き刺さる。
葉の刃の雨を一身に受けてしまったエルレイドの身体は、バランスを崩し地面に叩きつけられる。
「エルレイドっ!!」
エルレイドに駆け寄るヴィクトル。なんとか立ち上がるエルレイド。今の一撃は直撃ではないとはいえ大きかった。
『リーフストーム』は放てば放つほど特攻が大きく下がる技。けれど手を緩める彼女達ではなかった。
ジュカインの尾に、再度葉が生え始める……。
このままでは今度こそあの『リーフストーム』の直撃をエルレイドは受けることになる。
ヴィクトルはエルレイドに確認を取る。
「エルレイド、まだ行けるか?」
エルレイドが大きく頷くのを見て、彼も腹を括った。
自身の身に着けていたチョーカーの飾りの中のキーストーンを掴むヴィクトル。
エルレイドもメガストーンを握りしめ、構える。
「己の限界を超えろ、メガシンカ……すべては守るべき光の為に!!」
白いマントと鋭い兜から騎士を連想させる姿へとメガシンカしたエルレイド、否メガエルレイドは、その両足で地をしっかりと踏みしめた。
メガジュカインの二度目の『リーフストーム』が、発射される。逆巻く嵐の塊がメガエルレイドへ直進する。
防ぐのは、難しい。弾いても、範囲が広がってしまう。『テレポート』で避けたとしても、範囲外には逃れられない。
どん詰まりの中で、彼らは選択をする。
「螺旋の『サイコカッター』!」
メガエルレイドの両腕から放たれた螺旋を描き回転する『サイコカッター』が、『リーフストーム』の回転とぶつかり合い、勢いを相殺した。
舞い落ちる木の葉の中を突っ切り突進するメガエルレイド。
メガエルレイドが大技を仕掛けてくると予想した“庭師”とメガジュカインは、相手の出方を見極める。
お互いの斬撃が当たる間合いに、入った――――
「『みきり』だ」
「『インファイト』ぉ!!」
――――仕掛けたのはメガエルレイドの『インファイト』。メガジュカインの懐に潜り込んで、拳を連打。だが、襲いかかる複数の拳をメガジュカインはすべて見切り、的確にかわし、いなしていく。
「まだだ、エルレイドもう一度!」
「こちらもだ」
一切の守りを捨て、再び『インファイト』を行うメガエルレイド。それに対して二度目の『みきり』で対処するメガジュカイン。しかし徐々にその攻撃も、その回避や防御も疲労からかだんだんスピードが下がっていく……。
息が荒くなっていく二体を見て、3度目はないとヴィクトルも“庭師”も感じていた。
このぶつかり合いは、次の行動次第で決着がつく。そう全員が察していた。
メガエルレイドの『インファイト』の最後の拳が振り切り、大きな隙が生まれる。
その瞬間を“庭師”とメガジュカインは見逃さない。
“庭師”の指示の前からメガジュカインは既にその構えに移行していた。
指示と同時にメガジュカインの『リーフブレード』が、振り下ろされる……直前。
ヴィクトルの指示がメガエルレイドに伝わっていた。
「伸ばせえっ!!!」
エルレイドの肘についている刀が、試合開始からこの瞬間まで伸ばされていなかった刀身がここにきて伸ばされ、『リーフブレード』を弾き、メガジュカインの意表を突く。
その決着の瞬間、メガジュカインと“庭師”は効果など抜きに、一時だけ怯んでしまった。
まったく怯まない精神力と紅い双眼をもって相手を見据え、伸ばしてない方の刀を淡々と切り上げるメガエルレイドに、怯んでしまっていた……。
『つばめがえし』と叫ぶ男の声が、森の中にこだました。
* * *
「……で、母ちゃんもジュカインも負けちゃったの?」
あの出来事からしばらく。機会があったので息子にこんなエピソードがあったのだよと、私は話していた。
今まで語った話の流れから、息子が少し残念そうに聞いてくる。会話に合わせてくれているだけかもしれないが、少々嬉しくもあった。
「負けたよ。悔しかったねえ。約束通り、オリヴィエの花枝を渡してやったさ。でもそれだけじゃ気が済まないからね……」
「な、なにをしたのさ」
「一回そのヴィクトルの家を訪ねて、ジュカインにも手伝ってもらってね、庭に苗木を植えて行ったのさ。その息子さんが成長した時いつでも花を眺められたらいいなと思ってね。上手く育っているかは知らんがね」
「おおう。思い切ったことを。そういえばオリヴィエ君とやらには会えたのかい?」
「ちらっとだけね。ラルトスを抱っこしていたよ。ラルトスはあのサーナイトとエルレイドに、オリヴィエ君はヴィクトルとステラさんに似ていたよ。将来はどっちに進化させるかは知らないけど、手合わせすることがあったら……敵討ち頼むよ、あんたたち」
「荷が重いなあ」
「頼んだよ」
面倒くさそうにする息子に、念を押しつつ、私は今日も庭園の手入れに行く。
手入れをするのは見てもらってこそのモノだと思うから。
見てもらってこそ花は綺麗になれると思うから。
いずれ訪れる来客者の為に今日も頑張ることにした。
あとがき
今回の技構成は
ジュカイン つばめがえし リーフブレード リーフストーム みきり
エルレイド つばめがえし テレポート サイコカッター インファイト
でした。あまりからめ手や特性を生かしきれなかった……。でも『せいしんりょく』だけはねじ込みました。
今回も第三視点から書いたので、なかなか心理描写を入れるのは難しいなと感じました。
ヴィクトルの口上の「すべては守るべき光の為に」の光は、星。ステラさんとサーナイト、オリヴィエ君とラルトスのことを指しています。
オリヴィエ君のラルトスがどっちに進化するかは、今回はご想像にお任せする、ということで締めくくります。
お疲れ様ですー!
エネコロロVSゲンガーで書かせていただきました!
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「じゃあ行ってくるから。留守番よろしくな、エネ」
あの日あたしは、顔も見ずに尻尾を振って見送った。
『――先月24日、オツキミ山に登山に出かけたまま連絡が取れなくなっていたタマムシシティの20代の男性が28日、頭部のない遺体の状態で見つかり……』
テレビはそっけなくあいつが「帰ってこない」ことを告げた。くるくる変わる事件のニュース。小さな事件としてすぐに流れてしまった。でも当事者たちにとっては小さくなんかなくて、さらに遡ってその数日前。ポケモンレンジャーはこう言った。
『実は時々、似た事件が起こるのです。頭部は見つかりませんでした。残念ですが、これ以上の捜索は……』
その時あたしは、ポケモンレンジャーの言葉を呆けた顔で聞いていた。隣で聞いていたあいつの奥さんの顔は、あまりよく覚えていない。だいたいあたしと同じ顔をしていたと思う。花が枯れるように、二度と笑顔を見せなくなった。物もロクに食べなくなって、いつも綺麗だった家は荒れるようになって、あたしが鳴いても何も言わない。
仕方ないから、あたしは重い腰を上げた。本当は清潔で、気持ちよい場所でのびのび生活したいけど。あいつの“頭”を探してこない事にはどうにもならない気がしたのよ。
暗くて、湿っぽい洞穴の道を進む。昼とも夜ともつかないオツキミ山中――あたしは、記憶を辿るように道を選ぶ。あの馬鹿に引きずられて化石掘りに付き合ったのは、1度や2度ではない。少年時代の旅だって、あたしが一番長い付き合いなのだ。あいつの性格上、どの道をどう通ったかくらい見当はつく。
遺体は偽物だ! なんて言うつもりはない。遺体の手首に赤色のバンダナが結んであった。あいつは自分も含めて全員に色違いのバンダナ結ぶのが趣味なのよ。「戦隊ものみたいで格好いいよな!」って馬鹿丸出しの理由で。あたしの体にも鈴付きのピンクのバンダナが巻いてある。自宅で奥さんを慰めてるサーナイトには緑のバンダナ。馬鹿についてったはずのヤドランには黄色のバンダナ。青色のバンダナは募集中。
冷やりとしたものが体に触れた。
驚き振り返るが何もいない。気のせいかしら。洞窟の中だから寒いのは当たり前だが、どうにも気色の悪い感じだ。捜索隊が入った場所はとうに抜けた。夜目が利くとはいえ、わずかな光も射さない洞窟の中は危険だ。周囲を警戒して岩壁に背をつけた。ひえっ! 冷たい何かが背中を掠めた。飛び上がって勢い振り返る。誰もいないし何もない。無言の岩壁に見返されただけだ。
……何よ今の。全身鳥肌が立っていた。早々にここを離れた方がいいと直感し駆け出した。
暗闇から視線を感じる。間違いなく何かがあたしを見ている。背中で鈴がシャラシャラと鳴った。突き刺すような無数の視線は何なのだ。ズバットに目はない。イシツブテは餌と強さにしか興味はない。ピッピは自身に見惚れてる。人間は夜目が利かない。だったら誰が?
視界の端に青いバンダナが映った。
足を止めた。思い出す。見つかった遺体は青いバンダナを持っていなかった。
「4匹目の仲間を見つけた時のために」
って、いつもポケットに入ってたのに。その癖、気分で付け替えることもあった。
「俺がリーダーだ!」
って言い張るときは赤いバンダナ。
「クールな2枚目……俺は冷静沈着な男」
って格好つけるときは青いバンダナ。
きっとどっちでも良かった。4匹目の仲間が格好良ければ赤いバンダナを。美しいと思えば青いバンダナを。似合いの方を贈るつもりだったのだろう。
氷のように冷たい遺体に、燃えるような赤いバンダナはずいぶんと不釣り合いだった。
あの遺体は本当に彼だったのだろうか。疑問が頭をもたげる。誘うように、青いバンダナはいまだ視界の端をちらついている。追いかけるが近づけば遠のき、遠のけば近づく。必死に追いかけるあたしを笑ってる。深海に潜るように体温が暗闇に溶けていった。鈴の音だけがここが陸だと教えてくれる。走るほどに寒く感じた。あたしは青いバンダナを追いかけて、海溝にでも落ちてるんだろうか?
青いバンダナがあちらへ、こちらへ。追うほどに体がずんと重くなる。
バンダナには決して追いつかない。あたし、足は速い方だと思ってたのに。どうして。
ねぇ、そのバンダナを持ってるのはあんたなの?
あの赤いバンダナをつけていたのは別の知らない人で、本当は青いバンダナを腕に巻いていたの?
怪我した誰かに巻いたの?
早く帰ってきなさいよ。みんな待ってるのよ。ヤドランだって、そろそろ近所の川が恋しい頃じゃない。
痺れたように足がもつれた、手足がかじかんで棒のようになってしまった。
うまく動かない足を前に出して飛ぶように暗闇を駆ける。不思議と息切れはしなかった。ただ締めつけるような苦しさがあった。走る音もズバットの鳴き声も自身の息遣いも、聞こえなくなっていた。焦燥感が全身を這いまわる。誘うような青いバンダナに追いつけない。逃げていくばかりであたしは泣きそうだった。走っているのに、止まっているような気さえしてくる。駄目だ。涙が出そうだ。泣いちゃ駄目だ。駄目だ。
あたしの願いを聞き届けたのか、青いバンダナが止まった。
それは姿を現した。見覚えのあるシルエットが近づいてくる。でもあたしは動けなかった。体が鉛のように重くて、顔なんて上げられない。あいつが笑ったのが分かった。今、目の前にいるあいつにはちゃんと首があった。やっぱりあの遺体はあいつじゃなかったのだ。あれは偽物で、本当は生きていた。
あたしは鳴き声をあげようとした。文句の一つも言わなくては。馬鹿、スカタン、なんで早く帰ってこなかったのよ。驚いたことに声どころか息もできなかった。息苦しさに喘いだだけだ。意図を察したらしくあいつはにっこりと笑いかけてきた。
連絡をしなくて済まなかった。まだ戻れそうにない。
あたしの頭を困惑が占める。言葉の意味が分からない。考えようとしたが上滑りするばかりだ。とぷとぷと単語の羅列が思考の海に浮かぶだけで全然くっつこうとしない。マダモドレソウニナイ。何、それ? ぐるぐるするあたしを前にあいつの言葉が続く。
エネコロロ、お前も一緒に来てくれると嬉しい。
あたしを見つめる赤い瞳はゆるく弧を描いていた。あいつが手が差し出してきた。あたしは口を開いた。ヤドは? あいつは一瞬止まったが、すぐに返答があった。ヤドランなら向こうで待ってるよ。ふっと、安心して息をついた。あぁ、そう……。体に力を込めるが動けない。冷え切った四肢はいうことを聞いてくれそうになかった。手を伸ばしたいのに。今すぐ懐かしいその腕に飛び込みたかった。ここはとても寒くて、心がとても寂しくて仕方がないから。あいつの手が近づいてくる。
不意に温かいものが首筋を掠めた。かすかな鈴の音――思考の霧が薄らいだ。滑るように言葉が口をついてでた。
なんであたしのこと、“エネ”って呼ばないの?
返答はなかった。あいつは肩を震わせていた。泣いているのかと思ったけど違った。あいつは笑っていたのだ。だんだんとくぐもった笑い声は大きくなっていく。聞き馴染んだはずの声が別人の声のように聞こえる。こんな笑い方聞いたことがない。あいつは口をゆがめて叫んだ。ああ、ああ。可哀そうに。気がつかなければ良かったのに!! あと少しだったのに! でもね――
もう遅い。
あいつはぐにゃりと姿が変えた。三日月よりも鋭い口元が引き伸ばされて哄笑がこだまする。生ぬるいような、冷たいような感触が全身を舐め上げた。恐怖に駆られて体を必死に動かそうとするけど全然動かせない。これは現実なの? それともあたしは本当は暖かい家のベッドにいるの? とんでもない悪夢だ! あたしは足を動かそうとする。痺れていて動かない! あたしは頭を動かそうとする。ぼんやりしていて働かない! やめて、やめてよ――!!
弾いたような鈴の音が、大きく鳴り響いた。
音が悪夢の闇を切り裂いた。“眠り”から一気に意識が覚醒する。あたしの両眼に広がる闇。だが先ほどまでと違い現実感を伴っていた。夜目が闇に輪郭を与えていく。無限に続く暗闇などなかった。ぽっかりと開けた空間に大小のボールのようなものがたくさん転がっていた。そして自身を抱きしめる大きな影も。あたしは力を振り絞って影を振り払い、その場を飛びのいた。距離をとり、大きな影――ゲンガーを睨みつける。ゲンガーの赤い双眸がにやりと歪んだ。
あと少しだったのに。
不愉快な笑みを浮かべてゲンガーは闇に姿を溶かした。逃げたわけじゃない、気配を感じる。でも居場所は分からない。闇全体から嫌な空気を感じた。敵の体内にいるかのような不気味な感覚だ。加えてこの場所全体に満ちている鼻を突く腐敗臭にくらくらする。頭を横に振った。考えろ、相手の居場所をつかむ方法を。ぐにゃりと視界が歪みかけた。体を震わせバンダナの鈴を鳴らす。“癒しの鈴”が響き、ぐらつきかけた意識が清明に戻る。ゲンガーの舌打ちが聞こえた。
その鈴、嫌いだなぁ。そんなバンダナ捨てちゃいなよぉ。
イラついた声。よく言う。この鈴がなかったらあたしは悪夢に囚われてじわじわと殺されていたことだろう。
あんたこそ、その青いバンダナ似合ってないわよ。
あたしは言い返した。相手の声はあちこちから響いてきて、居場所はつかめそうにない。ゲンガーはゴーストタイプだ。けれど物理攻撃の時、混乱している時は実体化する。不定形の状態のままでは、相手もあたしも攻撃はできない。なんとかして相手の実体化を誘わなければ。機を見計らっていると、ゲンガーはバンダナをひらひらと振って見せた。
ホントは赤いバンダナが欲しかったんだけど駄目なんだって。
駄目? もしかして奪ったのではなく、バンダナはあいつからもらったのか? そんな馬鹿な。あいつは野生のポケモンには絶対にバンダナを贈らない。サーナイトもヤドランもあたしも、みんな仲間になってからもらったのだ。仮に本当にもらったのだとしたら、こいつは――
うふふ。馬鹿だよね。“ゲットしたら友達”なんて、本気で思ってたのかなぁ。
大きなボールが蹴られて転がってきた。いなくなったのは数日前で、元の顔が失われるには十分な時間だ。大きなボールは他にもたくさんあった。それらはすでに薄汚れた白だった。小さなボールの中は見えない。開閉スイッチの壊れたボールは何も言わない。
でもね、君のことは気に入っちゃった。もうメロメロだよ。胸がドキドキするんだ。
好きな相手を攻撃するの?
違うよ。ずっと一緒にいてもらおうと思っただけさ。
上ずった声が返ってきた。馬鹿馬鹿しい。何度も“舌で舐める”をしたから、メロメロボディにあてられただけだ。
普通は愛しい相手を攻撃しない。こいつは愛しい相手だから攻撃する。転がっている無数のボールはこいつの過去の遊び相手だ。忘れ去られた恋人たちのなんて多いことだろう! だが今だけは恋人ごっこに付き合ってやってもいい。息を吐く。可愛さ折り紙つきのエネちゃんが外道に愛を囁いてあげる。
あたしのこと、好き?
大好きさ!
だったら、ちゃんと唇にキスして頂戴。
……!!
ゲンガーが息を呑んだのが分かった。あたしは目を閉じる。メロメロが効いているのなら必ず来る。ゲンガーの気配が動いた。あたしは四肢と尻尾に力を込めた。相手がどこにいるのか分からないのなら誘い出すしかない。キスしようとするなら実体化しなくてはならない。
うふ、怖いなぁ。
その声はすぐ後ろからだった。“背後”からゲンガーはあたしに覆いかぶさった。四肢をがっちりと抑え込み羽交い絞めにしてくる。あたしの小さな肩に大きな影がかぶさった。
“ふいうち”か“だましうち”狙ってたんでしょ。怖い怖い。
体を震わせるとゲンガーはくすくす笑った。いくら技を放とうとしても四肢が抑えられていれば抵抗できない。その通りだ。唇を噛む。だがあたしだって、抑え込まれる可能性くらい考えていた。
――だから“仲間”に賭ける!
背後に向って尻尾を振った。“猫の手”が“この場の仲間”の技を借りて光りだす。慌ててゲンガーが手を放した直後。あたしの尻尾から“サイコキネシス”が放たれた。至近距離で強い念力がゲンガーに直撃する。絶叫が響き渡った。拘束が解けた直後、振り向きざまゲンガーを蹴りつけた。手応えあり。ゲンガーは悲鳴をあげてボールに頭から突っ込んだ。動揺する声にあたしの口角が持ち上がる。
こんなもんじゃ済まさない。
足もとに無数に転がる何処かの誰かも。あたしも、あたしたちも、あいつに置いてかれた彼女の悲しみも、こんなもんじゃ到底釣り合わない!
絶対逃がしたりしない。追いかける。“猫の手”で尻尾が光り、今度は“水の波動”が飛び出した。無数のボールが巻き込まれゲンガーに襲いかかる。叫び声は水流に呑み込まれた。あたしはぐったりとしたゲンガーに向かって走った。全身に力をこめて“だましうち”を放――
三度目の鈴が鳴った。
誰かに、止められたような気がした。
びた、と動きを止めた。息を吸って、吐いて、気持ちを落ち着ける。ぴくりともしないゲンガーに近づくと、一応生きていた。ゆら、と自身の尻尾が動く。手を出してはいけない、“これは命令だ”。理性で抑え込み、攻撃の代わりにゲンガーの耳に囁いた。
次はない。
短い悲鳴。死なない程度にその頭を思いっきり踏みつけた。ばったりと動かなくなった。今度こそ気を失ったようだ。
青いバンダナを奪い取り、ボールの山に取り掛かった。見覚えのあるやつの入った小さなモンスターボールが見つかった。中を覗き込むと瀕死のヤドランがいた。バンダナにあいつの頭とボールを入れて、口と前足で包み込む。ピンクのバンダナも使って何とか体にくくりつけた。振り返る。気がつくと、ゲンガーは消えていた。
重い体を引きずって、あたしは帰途へとついた。
『――の男性の頭部が発見されました。発見者は男性のポケモンであるエネコロロで、調査の結果、ほかに複数の頭部とポケモンの遺体が……』
――目を覚ました。ニュースは相変わらず、くるくると変わっていく。小さな事件はすぐに埋もれて消えてしまう。だけど当事者の日常は大きく変わって叩き落されて、そこから少しずつ、元の場所を探すのだ。
奥さんは家事も行えるようになってきた。サーナイトや、たまにあたしも手伝って少しずつ日常を取り戻しつつある。ヤドランが回復して帰ってきたときには、ささやかなお祝いをみんなでした。
けれど夜にはわずかな物音にも怯えてしまうから。サーナイトが寄り添って、あたしが物音を確認しに行く。ヤドランは……寝てる。たいていはただの風の音だけど、その日は違っていた。玄関口に大きなポケモンが浮いていた。真っ赤なひとつ目に黒っぽい体で足はない。大きな胴体に金色の模様が入っていて、顔のようで不気味だった。サマヨールだ。
やぁやぁ、こんにちは。
灰色の見た目に反して陽気な挨拶をしてきた。はぁ、どうも。何の用ですか。返答するとサマヨールは手を振った。
用というか、お礼に参ったのです。貴女のお陰で、久しぶりにたっぷりと食事が摂れました。
食事?
先日、ゲンガーを見逃されたでしょう。あのゲンガーは随分と被害者を出していたようで、無数の魂がまとわりついていました。ニュースを見てすぐにオツキミ山に行きましたよ。
大きな腹を満足そうに揺すった。意図を察して、あたしが身を強張らせると慌てて両手を横に振った。
ご心配なく。私はゴーストなど、さまよえる魂しか食べません。ただ、食べた魂から一部始終を知りまして。どうしてあなたが殺さなかったのか不思議に思ったのです。
それは……。
“彼”を見て、納得しました。そんなに睨まないでください。何もしません。
サマヨールは何もない空間に話しかけていた。ぽかんとするあたしを横目に、ぺこりとお辞儀をする。
ではこれで。あなたも長居はいけませんよ。
ざぁっと、夜に消えていく。止める暇もなく。
動けなかった。最後の言葉の半分は、あたしではない人物に向けられていた。だからあたしも虚空に向って鳴いた。「エネ」と名前を呼ばれた気がした。風とも木々ともつかない懐かしい音が囁いた。
「ありがとう」
バンダナの鈴が、チリンと鳴った。
Twitterで突発的に行った【バトル描写書き合い会】の作品投下スレッドです。
指定されたポケモン同士のバトルを約10日間で書き、各々が描くバトル描写にどのような違いが出るかを楽しむ企画です。
ルール
・バチュルVSオーダイル、エルレイドVSジュカイン、エネコロロVSゲンガーの中から選び、書く。
・シングル1VS1のバトルを描く(このバトルはトレーナー戦に限らず、野生ポケモン対トレーナーやポケモン同士のバトルでも可)
・執筆期間は10日前後
※「主役は遅れてやってくるぜ! (遅れての参加)」や飛び入りも可
最近になってのぞみ野と名を改め、真新しい住宅が並んでおりますこの土地は、かつて草木も碌に生えぬ荒野でありました。
しかしその前。さらに時代を遡ると、それはそれは緑豊かな森が広がっていたのです。
それは昔。人々がポケモンたちへの畏敬の念を忘れ始めた頃のお話です。
豊かな森のほど近くには村が一つありました。
ある日、一人の僧がその土地を訪れますと、何やら村人たちは大層困った様子で何事かを話し合っておりました。僧が如何したのかと声をかけると、村人たちは顔を見合わせて何か言葉を交わしました。やがて一人の村人が進み出て、事の次第を説明し始めたのでした。
曰く、村の近くにある森の主が狂ってしまったというのです。なんでも、昔からこの村では森から恵を頂いて生活してきたのだと言います。それはもちろん、森の主の許しを得てのことであり、時には供物を捧げ、森の主とは長い間うまくやっていたのだということでありました。
しかし近頃、村人が森へ足を踏み入れるだけで、森の主が襲ってくるのだというのです。あわや命を落とすところだったものもおりますが、けれど森へ入らねば日々の薪にも、食べるものにも事欠きます。
それで村人たちは困り果てていたという話でした。
僧は何か心当たりはないかとお尋ねになりましたが、村人は首を横に振りました。突然のことで何もわからず、さらには直接尋ねようにも、こちらの姿を見るだけで怒り狂い、襲ってくるので、どうしようもないということでした。
そうして、村人たちはこんなことを頼んできたのでした。
もしかしたら、森に何か異変があるのかもしれない。一度、森の主を森の外へと連れ出してはくれないだろうか。森の外へと出たなら、森の主も落ち着いて話ができるだろうし、それが叶わなくとも、森へ入って原因を調べることができるだろう、と。
僧はその言葉にしばし考え込んだあと、相わかったと仰せになりました。
その昔、僧というのは知恵者であり、さらにその中でも旅僧は優れた操り人、すなわち優秀なポケモントレーナーでもありました。
人里を一歩でも離れますと、そこはもう人の世界ではございません。獣たちの世界を通るには、同じく獣の力を借りる他ないのです。故に長く旅を続ける旅僧ほど優れた操り人であることが多く、それを見込んで村人たちは僧に頼み事をしたのでした。
さて、僧がそのまま一人で森へ入った時のことです。森へ入って幾許もしないうちに、僧は何か妙だと思い首を傾げました。
森が静かすぎるのです。獣一匹おりません。もしかしたら森の主を恐れて皆、逃げ出したのかもしれませんが。
しかし本当にそれだけだろうか。そんな疑問を抱えつつも、僧の足は止まることはなく、奥へ奥へと進み続けました。
静かな森の中を進んでいきますと、やがて、おおう、おおうと唸り声のような人ならざる声が聞こえてきました。
声のする方へ、奥へ奥へと進みますと、それはそれは大きな緑の蔓の山が蠢いておりました。どうやらこの蔓の山が声の主のようでありました。
そう、そこにいたのは大蔓主(おおつるぬし)と呼ばれる、今で言うモジャンボでした。小屋ほどはあろうかという巨体を震わせ、大蔓主はまるで泣いているかのように声を上げ続けていました。
けれど、それも束の間のことでした。すぐそこに僧がいることに気がつくと、大蔓主は耳を塞ぎたくなるような一際大きな金切り声を上げ、その蔓でできた腕を僧へと振り落としました。
あわや、という時です。何処からか梔色(くちなしいろ、黄色のこと)の雷獣が現れますと、その尾で蔓を叩き落としました。
僧は少しも慌てた様子もなく、大蔓主へと呼びかけました。
何故(なにゆえ)人を襲うのだと。
けれど大蔓主はそれに答えず、殺した、殺したと譫言(うわごと)のように繰り返すのみ。何を殺したと尋ねても、答えの代わりに返ってくるのは、無数の蔓だけでありました。
僧は、なるほど確かに正気を失っているようだと思いました。幾度呼びかけてもまともに答えがないとなれば、一度力を削いで落ち着かせたいところです。
しかし、森から力を得る大蔓主は強力無比の存在。振るわれる蔓を切り落としたとしても、瞬く間に蔓は蘇り、力を削ぐことは並大抵のことではありません。そうであるならば村人の言うとおり、森から一旦引き離し、その力を幾分か弱めることが必要です。
雷の力は草の獣には効きづらく、まともに戦ってもこちらが不利なのもあり、僧は雷獣と共に駆け出しました。事前に、西に開けた場所があることを聞いていた僧は、そこへ大蔓主を誘導することにしました。
とはいえ、ここは森の中。先ほども申し上げたように、森は大蔓主にとっては己に力を与え、また家も同然の勝手知ったる場所であるため、正気を失っていようともやすやすと動き回ることができます。しかし人間にとっては碌な道もなく足元も悪いですから、思うように走るのは中々難しい話でございました。
おまけに大蔓主は容赦なく幾度も腕を振るっては、数多の蔓をしならせ襲いかかってくるのです。厄介なことに時折岩を飛ばしてくる上、さらには幾度かの後に突然大蔓主の動きが早くなり、また振るう力も増したように思われました。
これらをいなしながらとなると、その苦労たるや筆舌に尽くしがたいもの。しかしながら、僧と雷獣は見事それを成し遂げたのでございます。
襲いくる無数の蔓や岩を、雷獣は鋼鉄の如く硬くした尾や、あるいは雷撃で弾き返し、そうしてようよう森の外れまで辿り着きました。
僧がちらと外へと目を向けますと、そこには村人たちが待ち受けていました。ええ、話をすると言っていたのですから、そこにいてもおかしくはありません。おかしくはありませんが、けれど僧は、おや、と思いました。
いつ出てくるかわからない大蔓主を、わざわざ大勢で待ち受ける必要があるのでしょうか。待ちきれなかった、ということも考えられますが。それに何故だか大量の荷物があるように見えました。大蔓主に捧げる供物でありましょうか。いえ、供物というには何かがおかしいようにも思えました。
そうは思いましたが、大蔓主が僧の後を追ってきているので、あまり長い間外に気を逸らしているわけにもいきません。また、奇妙だからといって、もはや止まることもできません。そのまま僧は森を飛び出しました。
森の外は平地でしたので、先ほどまでと異なりとても走りやすく、あっという間に森から十分に離れることができました。そして傍らを走る雷獣が体勢を整えたのを横目で確認すると、僧はここで初めて、雷獣へ攻撃を命じました。
雷獣は僧の言葉に答えるように、ばちばちと雷の力を纏わせ、身を翻したかと思うと、瞬く間に真正面から大蔓主に突進しました。
無我夢中で僧たちを猛追していた大蔓主は、避けることも出来ずまともに雷獣とぶつかります。
大蔓主と比べ小さな体躯の雷獣は無数の蔓に埋もれてその姿は隠れてしまい、まるで大蔓主に飲み込まれたかのように思われました。
しかし、すぐに大きな音がしたかと思うと、大蔓主はたたらを踏んで二歩、三歩と後ずさり、そうして大きな体をぐらり、ぐらりと揺らします。
寸の間の静寂の後。どう、という音と共に大蔓主は倒れました。
雷獣はというと、たちどころに蔓の間から抜け出し、主人である僧の元へと戻ります。耳がひしゃげ、頭から血を流していた雷獣はふるり、と身を震わせるといつの間にかその姿を消していました。
それを確認した僧はそのまま村人たちの元へと向かいます。
ふと村人たちを見れば、幾人かが弓を持っており、そして、村人たちの背後には火が灯っているのが目に映りました。草の獣にとって大敵である火が、何故ここに。
村人の幾人かが、何かを投げると、それは僧の背後へと飛んでいきました。ぷんと油の匂いがしたかと思うと、あ、と思う間もなく、ひゅんひゅんと何かが、ああ、火が、火矢が、飛んでいきました。僧が止める間などありませんでした。
ぼう、と大蔓主は燃え上がりました。耳をつんざくような凄まじい悲鳴が響き渡りました。炎の勢いは時とともに増すばかりであり、そしてまた、大蔓主が暴れるものですから近づこうにもどうにもなりません。
僧はすぐに火を消し止めるように怒鳴りましたが、村人たちは笑って首を横に振りました。やっと化け物を殺せるのに、何故消さねばならないのです、と。
大蔓主は転げ回っています。そしてその途中途中で、叫んでいました。
殺した! お前達が殺した! 返せ! 我が子を、一族を返せ!
僧はそれで、森の中がやけに静かだった理由を悟りました。大蔓主以外の獣の姿がなかったのは、大蔓主を恐れて逃げ出しただけではないということです。
やがて大蔓主は声を上げることも、動くこともなくなりました。
大蔓主は死んだのです。
人々は、僧を除く人間たちは、歓喜の声を上げました。
何故このようなことを、と僧が村人の一人に詰め寄りますと、村人はこのように述べるのでした。
昔から森からの恵みを得て暮らしてきた。大蔓主には感謝を捧げてきた。
しかしこの数年、森から恵みを得ようとしても、大蔓主はだめだだめだと言って、思うように採らせてくれなくなった。村では人も増え、薪も食べ物も入用(いりよう)なのに。
だからわからず屋の大蔓主の子である蔓の子を攫って脅した。けれどそれでも言うことを聞かないから、蔓の子を殺した。蔓の子は賢くなかったので、簡単におびき出せたから、幾度も幾度も、子を攫っては殺した。
しまいには殺せる蔓の子もいなくなり、森に人が入るだけで、大蔓主が襲ってくるようになった。
それで困っていたが、それも今日で終わり。これからは自由に採れる。
それを聞いた僧は諦めたように、報いはすぐに来るだろう、と告げました。そうして、大蔓主のために経を読むと、あとはもう何も仰せになることはなく足早に去っていきました。
さて、それからの数年は、森からの多くの恵みで村は潤いました。けれど、いつの頃からか薪も食べ物も手に入りにくくなりました。以前は少し探しただけで、どっさり手に入ったというのに。
やがて、探しても探しても、思ったような量が得られなくなったのです。それで人々は、以前と同じ量を得るために森の中を歩き回りました。
ふと気がつけば、森は姿を変えておりました。
あれだけ生い茂っていた木々は、今や疎ら(まばら)にあるばかり。辛うじて残っている木も、実をつけることはほとんどありません。残っている木は枯れかけているものばかり。茸も見当たりません。草花も疎らです。獣の姿もありません。
目に見える茸も野草も木の実も採り尽くし、食べるものがないからと木の皮さえも剥ぎ、薪に使える枝が落ちていないからと木を切り倒し、手当たり次第何でもかんでも採っていったからです。
それで人々はようやく、自分たちが採りすぎたことに気がつきました。
かつて森は大蔓主やその子らが世話をしていました。木を切ったあとには苗を植え、茸や野草や木の実も、採り尽くしてしまわぬよう、気を配っていました。
人々は、そんな風に森を守り育てる大蔓主に感謝を捧げ、敬っていたのです。けれど、いつしか人々はそれを忘れてしまっていたのです。
もしここで全ての人が己の行動を悔い、省みていたならば、あるいは違った未来もあったのかもしれません。しかし人々は恵みの減った森から全てがなくなってしまう前にと、我先に何もかもを奪い尽くし、ついには森は完全に失われたのです。
森からの恵みを得られなくなった村から、人々は一人、また一人と姿を消し、そうして荒れ果てた土地だけが残りました。
かつてここは荒れ果てた土地でありました。
けれど、そのずっと前は、緑豊かな森がありました。森には大蔓主と、その子らが住み、近くに住む人々は森から恵みを得、大蔓主に感謝を捧げて暮らしておりました。
それは、ずっとずっと昔のお話。
さて、この話に限らず昔話ではよくポケモンが喋りますね。
特に、古い古いお話ではその傾向が強く、人と変わらない扱いであることもしばしばあります。シンオウ地方では人もポケモンも同じ、という古い言い伝えが残っているほどです。
しかしながら、時代が下るにつれ、ポケモンが喋ることは減っていきます。光宙法師のお話は、その過渡期に当たるとも言われ、この時代を境に言葉を使うポケモンのお話も一気に減っていきます。
その辺りのことを頭に入れて昔話を聞くのも面白いかもしれません。
ところで、各地を行脚していた光宙法師智史(こうちゅうほうし ちし)が連れていた雷獣に関しては、話によってその記述がまちまちなのも相まって、現在でも大変な議論の的となっています。
一般に有名なのは、児童書の表紙にもなったピカチュウでしょう。
このお話で雷獣が大蔓主に使った技は、スパークや、あるいはとっしんなどの技が考えられますが、もしピカチュウであったなら、ボルテッカーかもしれませんね。
機会がありましたら、また光宙法師のお話をいたしましょう。
――
いえーい、何年ぶりでしょうか、光宙法師シリーズ第三弾です。
前のお話が2015年投稿ということで…ええ…(白目
本当は去年のうちに出そうと思ってたんだけどなー…(遠い目
昔、一粒万倍日スレに出したと思ったけど見つからなくて、おそらく以前、精神的にアレになって消したと思われる。
まあなので、いつ書き始めたかは定かではないんですけど、でもかなーり時間経っていると思われる。
書くの遅い…。
周回遅れになった挙句、ちょっぴりタイムリーになっている。
この話考えたときは鰻もそこまで話題になってなかったんですけどね…。
ていうかわりと軽い気持ちで書いてたんですよ。
ただ今回ちゃんと書くにあたって、厚みというかそういうのを出そうとした結果、まあこうなりましたよね。
ちなみに細かいとこつっこまれると大変厳しいので、大目に見てもらえると嬉しいです!
このシリーズ、地味ーに書いていきたい気持ちはあるのですが、いかんせんネタがないので、今回みたいに忘れた頃に突然出すことになりそうです。
もし書くなら、前回今回と人間が悪い!って話なので、次回は暴れるポケモンに困ったわ…みたいなの書きたいですね。
まあ予定は未定なんですけど!
収穫祭の日がやって来た。
朝、派手な祝砲が打ち上がり、それからカボチャの重さを競ったり、人間とポケモンが舞いを披露したりと、色々な催しが開かれている。
俺達家族は、もうやる事は無い。大忙しだった日は、俺が傷を治している内に終わった。
父と祖父が、豚舎の中のポカブを一斉に殺し、そして肉が傷まない内に全て加工した。俺が立ち上がれるようになった頃には、二人とも、寝ても寝ても寝足りないと言う程に疲れていた。
その肉を卸し、そして役目は終わった。例年よりも肉の量としてはとても多い。残っていた全てのポカブを殺して肉にしたのだから。
でも、肉質は良いものではなかった。
太陽の光をたっぷりと浴びて電気をため込んだエレザードでも、豚舎の中のポカブ達全てを即死させられる訳ではない。電気を全て吐き出しても生き残っていたポカブも居たし、それらの肉はとても不味かった。
そして、殺した数に比べて、シャンデラもいつも通りだった。強く燃える事も無く、その身に栄養として取り込んだ魂は、いつもと同じだったのだろう。
それから、その肉をどうするか悩んでいた所に個人的に残っていた鳥獣使いが来て、それを試食した。
「ああ、これ、都会の肉の味だよ」
……都会はやはり、そういう事なのだろう。
エレザードと一緒にぶらぶらと祭りを巡る。リザードンとサザンドラの痕跡は、ほぼほぼ無かった。バルジーナを相棒に持つ男の弓の腕前が更に増していたり、その位だ。暗い影はどこにもない。
あの二匹が残していったものに、後ろめたい精神的痕跡は全く無かった。殺されかけた俺を含めて。
豚舎の修繕も近い内に終わる。破壊光線で出来たクレーターも、日が経てばただの窪みに変わる。
肉を食う人達。ポカブを食う獣達。美味しそうに、口周りを脂で汚しながら食べている。この中に、ポカブを殺している現場を見て、それを食べられなくなる人達もきっと居る。
これは、罪なのだろうかと思った事は、若い頃は幾度となくあった。けれど、幾度とあったとしても、俺がこうして続けている以上、家業を継がなかった兄や弟達よりは少なかったのだろう。深刻に思わなかった。
こんな事があっても、俺はこの仕事を続けて行くのだと、当然のように俺は思う。それがある程度異常な事も、俺自身分かっている。
「……なあ、ポカブを殺した時、何か思ったか?」
エレザードは相変わらず答えない。その体と、その小さい頭には、リザードンやダイケンキほど物事を考えられる複雑さは無いようだ。
殺す、という行為。パートナーにもなれる、知性を持てる獣を殺すという行為。
それに対してエレザードが何を思っているのか、何も思っていないのか。
分かる事はやはり無いだろうが、俺と同じ側・に居るのは間違いない。
……いや、そもそも、その境界そのものも無いのかもしれないが。
「……良いな、お前は気楽で」
エレザードは、そうだよ、と言うように呑気に欠伸をした。
……まあ、俺も似たようなものだ。
俺は考える事はあれど、そこから先には行こうとしない。その理由を強いて挙げるとするならば、この体のどこかでとっくに納得しているからだろう。生まれた時点で、才能のように。
ダイケンキの二匹が、檀上で剣舞をしていた。華やかなものではなく、静かな舞だ。ある意味、恐怖を覚えるような、そんな舞だった。
……父のダイケンキは、本当に死期が近くなっていた。あの一件以降、力を使い果たしたかのように眠る時が多くなっていた。
*****
夜になり、月が出て来た。花火が数発打ち上がり、そして祭りは程なくして終わった。
鳥獣使いが、挨拶に来た。隣に眠たげにしているピジョットを連れて。
「明日、帰るよ」
「そうですか」
「良い町だったよ、ここは」
「何も無いような町ですけどね、それは良かったです」
「……恨んでないのか?」
……?
「あんたが殺されかけたのは、俺の責任でもあるだろうしな」
「ああ、その事ですか。別に何とも思ってはいませんよ。サザンドラが来た事自体、予想外でしたし」
「……そういうものか?」
「そういうものじゃないんですか?」
実際頼んだのは、サザンドラを制圧してくれ、だったし。
「……もっと早く倒せてればな、あんたの方にもすぐに行けたんだが。それにしても、あんた、死にかけたというのに随分けろっとしてるな」
「きっと、毎日のようにポカブを殺している身だからか、心の奥底でどこか、復讐に対して覚悟しているようなものがあるんだと思います」
「……辛くないのか? その仕事」
「辛かったら続けてませんよ」
「そういうものか」
「そういうものです」
それから、ふと気になった事を聞いてみた。
「ところで、サザンドラは手強かったんですか?」
「手強い、というよりしぶとかったな。殺意も無かったし、敵意も余り無い内に、仕留めに掛かったが、中々倒れてくれなくてな……」
そんな間に、豚舎での出来事は終わってしまったと。
あそこで鳥獣使いが間に合っていたらどうなっていただろう。俺は骨折せずに済んだかもしれないが、今よりも後味は悪い事になっていたような気がする。
ただの勘に過ぎないが。
「じゃあ、こちらからも最後に質問だ。
どうしてダイケンキはあんな事したんだ?」
「父から聞いた事ですが……、あの二匹はどうやら腹違いの兄弟だったようで。サザンドラの方が兄で、悩みを抱えている弟を助けようとしていたみたいです。それがどうしてあんな事をした結果に繋がったのかは、そのリザードンを間近で見た俺でも分かっていませんが。
……ダイケンキは、あのリザードンに何かを感じて、本当の意味で自由にしたかったみたいです」
「それが自身の場所を土足で踏み荒らされようとも?」
「踏み荒らされようとも、です」
「こういう時ほど、獣の言葉が分からずにもどかしい事は無いな、なあ? ピジョット」
ピジョットは立ちながらもう寝ていた。
「ああ、もう。で? そのリザードンは自由になれたのか?」
「そうみたいですね」
「じゃあ、もうポカブを荒らしに来る事も無いと」
「そうですね」
「それは断言か?」
「はい。あのリザードンがポカブを奪いに来た理由は、それが美味そうだったから、という理由よりも、殺された父親よりも優れている事を示したかったから、という事でしたし。
その悩みが解決された以上、敢えて人間にちょっかいを出しに来るとは思えません」
「理解、しているんだな。あのリザードンを」
「まあ、ある程度は、ってところですけどね……。間近で見てきましたから」
「でも、肝心なところは一つ、見逃しているようだ。
まあ、それは、リザードンを余り見たことの無いあんたにはしょうがない事だろうが」
「肝心なところ?」
「あのリザードンは雌だよ」
「えっ」
*****
朝から、何となく今日で終わりだな、と体が理解していた。
段々と、体が軽くなって行くような感覚がしている。死への恐怖は、受け入れるとか、受け入れないとか、そういう能動的なものではないようだった。
私には、余り無い。気付いたら、受け入れられていた。
何故なのか、それを考える時間ももう余り無いが、その一因に、あの二匹があるような気がしてならなかった。
相棒が、隣でずっと座っていた。
私が私自身の死期を悟ったように、相棒にも分かったのかもしれない。
「寿命が同じだったらいいのにな」
相棒がぽつりと、そう言った。
馬鹿らしい、と思った。あのリザードンと似ている、とも。
沢山のポカブを殺し続けて来た身だからこそ、自ら死を選ぶような事は馬鹿らしいと、より強く感じる。けれど、自ら死を選んでしまうような辛い出来事がある事もきっと事実だ。
相棒にとって、私の死はそれに近いのだろう。
馬鹿らしいとも思うが、嬉しくもあった。
昼が過ぎ、日が暮れていく。体が段々と軽くなっていく。重さを失っていくような感覚。
起き上がる事ももう、多分出来ない。眠気が段々と強くなってきた。
背中を撫でられるその手は、温かかった。淡いオレンジ色の空の色と、白い雲。広がる空っぽな牧場。私が殺したサザンドラの死体。町中で聞こえる賑やかな声、私の兄弟、そして、息子達。
ポカブを殺し続けた一生。
ゆっくり、ゆっくりと、走馬燈というものが流れていく。
自分の意志でなく、体が、そうさせている。
生きる意味さえもを見出させず、無知な幸せのままにポカブを殺し続けた私と、相棒をサザンドラから守り、そして自死を選ぼうとしたリザードンを助けた私が居る。
傍から見たら馬鹿げているのかもしれない。理解出来ないのかもしれない。
けれど、私自身、その背反した二つの私にどこか納得をしていた。理解は出来ていない、ただ、どちらかが無ければどちらかも無かったのだろうとは思う。
私は、空を眺めた。暗闇と、そして星が見え始める夜空。
そうだな、悪くない一生だった。
温かい手を感じながら目を閉じるのに、後悔はなかった。
まだ、誰も起きていない早朝。ゆっくりと起き上がり、そのまま音を立てないで外に出る。
暗闇がまだ濃い、夜明けの更に前の時間。
寝ていた時間はそう長くはない。体の疲れは色濃く残っていた。大して動いていないのに、だ。
死期は近い。けれどまだそれは、ぼんやりとした先にある。
四つ足でゆっくりと歩く。30年ほど、この町で暮らして来た。この町の外には、余り出た事はない。ただただ、ポカブを殺し続けた毎日。
その一生に意味があったかどうかなど、私自身にも分からない。誰かが、私が殺したポカブを美味そうに食う姿を見て、自分が自ら汚れ役を買っている、人や獣のより良い幸せを作る生業をしている、それが生きがいなのは間違いない。けれど、それが完全に、自分がポカブを殺す事を納得させる理由にはならなかった。
自分の奥深くに、今でも僅かに、しかし確かにそれ・・はある。
私がポカブを殺す姿は、全くもって無駄が無いとか、ある時には美しいとまで言われた事がある。
それは、集中しているからではない。その僅かなそれ・・を、無視する為にはそうならざるを得なかっただけの事だ。半ば機械的に。
生きがいが強かろうと、自分でその旨みを堪能しようと、僅かに残るそれ・・は、きっと無くてはならないものでもあったのかもしれない、と思い始めたのはいつだっただろうか。
先にサザンドラを起こしに行く。口と手足を縛っただけの、サザンドラ。閉じ込めている小屋の前で、腕が立つ方の私の子と、人間一人が見張りに立っていた。
――こんな早朝に何を?
――手伝ってくれるか?
――え、ああ、うん。
扉を開けて中に入ると、目を覚ましたサザンドラが私の方を見て来た。
口を縛っていた紐を解く。
「おいおい……」
人間が声を出すが、無視した。
――随分、早いな。
――そうだな。
――こんな早朝にどうするんだ?
その声には怯えがあった。まあ、普通、そうだろう。
――妹を迎えに行こうか。
サザンドラを昨日と同じように台車に載せて、子に引かせて、外に出た。
――俺だけじゃ重いよ。
――まあ、少しだ。踏ん張れ。
ずり、ずりと土に痕跡を残しながら、そのリザードンが居る小屋の方へゆっくりと進んで行く。
サザンドラが話し掛けて来た。
――……なあ、どうして俺達に優しくしてくれるんだ?
――優しく? まあ、確かにそうだな。殺した方が手っ取り早いし安全だしな。
脚刀を抜く振りをすると、より一層怯えた。
――……なら何故。
――あのリザードンに、無性に腹が立っていたんだな。毎日のようにポカブを殺し続けて来た私だからか、命を自ら無駄にするような奴は、腹が立って仕方なかった。
――……良く分からないが、まあ、ありがとう、とでも言えば良いのか?
――さあな。
あのリザードン次第だ。多分、あのリザードンが本当に死にたいのならば、私はこれから殺すだろう。
そして、それを見て怒り狂うであろうサザンドラも。
僅かながら、私は緊張、していた。
今まで殺すという事は、数えきれない程してきた。殺す事に緊張したのは、最初の頃だけだ。あのサザンドラを殺す事には緊張しなかった。
そして今、僅かに感じている緊張は、最初の頃の緊張とは全くの別物だった。
恐怖か、と私は思った。何に恐怖しているのか。殺してしまう事に? 何故?
答が出ない内に、リザードンが閉じ込められている小屋が近付いて来る。思ったのは、きっと、そのリザードンの命を私が、重く見ているからだろう、と言う事だった。家畜のポカブなんかよりもずっと。
扉の前には、モロバレルと女性。さっきと同じように無視して扉を開けた。
薄らと明かりが入る。リザードンは倒れていた。暴れようとした痕跡がいくつもあり、傷が沢山ついていた。
サザンドラを連れて来る前に、先に私が近付いて、頭の縛りを解いた。
――……起きてるか?
――…………ああ。やっと。
――……どうだった。
顔には、涙の痕もあった。
――暗闇に呑み込まれないように、必死に考え続けた。私は、私が何をしたいのか、分からなかった。……呪いが解けたとして、その先に何が待っているか、私が何をしたくて呪いを解こうとしているのか、分からなかった。……考えて、考えて、分かったんだ。呪いの正体が。それしか考えられなくなる事が、呪いだったんだ。……私は、エンブオーとは違う。……申し訳ないけど、私は、違う。今は、兄が、居る。私に優しくしてくれる兄が。……私は、もう、頑張らなくて良い。呪いは、解けたよ。私の中にずっとあったそれは、もう解けるようになってたんだ。兄という存在が見つかったから。私は、私だけで頑張らなくて良くなってたんだ。生きる理由を、私自身の中に置かなくて済んだんだ。私は、私は……私は、やっと、抜け出せた。
それは、半ば独り言だった。私自身、その独り言を全て理解出来た訳じゃない。
ただ、その一言一言には、重みがあった。光が見えた。前向きに進んで行こうとする光が。
子を呼んで、サザンドラを引っ張って来て貰った。
「ま、なるようになったみたいだ」
心配と安堵が入り混じる顔をしながら、サザンドラは妹のリザードンを見つめていた。
それを見て、私の中で、一つ合点がいった。
私自身がずっと生業にしてきた、ポカブを殺す事よりも、この二匹のような絆を守る事の方が、私にとって重かったのだ、と。私と相棒のように。
沢山の迷惑を被っても、越えてはいけない一線を、この二匹は越えなかった。だからこそ、守ろうと思えた。だからこそ、私はこんな事をしている。
リザードンの拘束を全て解き始める。
子が驚くが、それも無視した。
解き終えて、サザンドラの拘束も解いた。
「何というかな、仇を恩で返されたような、ちぐはぐな気持ちだが……本当にありがとう」
「さっさと行け。私の独断でやっているんだ」
そう言いながらも、ありがとうと言われた事に、私はかつてない程の充実感を得ている気がした。
兄が妹を立たせてそしてゆっくりと飛んで行く。倉庫の外へと出て行き、段々高く、遠くへと飛んで行く。
私も外に出る。人間とモロバレルが私を訝し気に見て来たが、無視して、飛んで行く二匹を眺めた。
冷たい風が体を撫でる。牧場の先へと飛んで行く。下にある、兄妹の父親の死体には目もくれず、飛んで行った。
粒程にしか見えなくなる頃、私の体から、力が急激に抜けていくのを感じた。
*****
目が覚めた頃にはもうとっくに、リザードンとサザンドラは、ダイケンキの手によって逃がされていたらしい。
タブンネの治療をまた受けたが、流石にその強い癒しの力を受けても一朝一夕で治るような傷ではなく、ベッドの上で寝たきりのまま。
気絶させられただけで傷なんてもともと無かったエレザードは、外に日光浴をしに行った。呑気な奴め。
眠気も全くない中、陽射しが入る窓を眺めながら、はぁ、と息を吐く。
結局、俺にとっては、迷惑を掛けられただけなんだよな、と思う。俺は殺されかけて、俺だけじゃなくて家族にとっても、あの鳥獣使いを長い間雇った事で金はかなり吹っ飛んで行ったし。でも、俺自身の事でさえ、どこか他人事で見ている自分が居る。こんな家業をしているからだろうか。
エンブオーに憎しみを籠った目をされようとも、殺されかけようとも、それを思い出す俺の心は、平静を保ったままだった。
きっと、俺はこれからもポカブを殺し続けるのだろう。感情を持たずに。
ポカブは殺され続けるのだろう。知らないままに。
俺は、完全に狂っているのだろうか? あのリザードンとサザンドラの言葉を聞けたならば、俺はダイケンキと同じ選択をしたのだろうか?
それは、どう足掻こうとも分からない事だ。人間には、獣の言葉は聞こえない。
獣の精微な感情を、人間は読み取る事が出来ない。
ドアが開く音がした。父が入って来た。
「今居るポカブ達、一気に殺しておくか。あの一件でやっぱり、少しざわつきが残ってる」
「……、俺もそうした方が良いと思う。エレザード、連れて行く?」
「ああ、今日は天気も良い。太陽の力も借りれば、放電で一気にやってしまえるだろうさ」
……ただ、聞けるようには、余りなりたくない。
潮風の香(しおかぜのかおり)
その少年の言葉は今でも憶えている。
体の弱い幼馴染の彼女を無理やり山の神の巫女にされることに反対した少年。
想いを寄せた彼女の身を案じて村の者に歯向かい、村から追い出された少年。
それでも、毎日こっそりと山の上の社に忍び込み彼女に会いに来ていた少年。
先代の巫女の彼女の心配をしていた彼の事が、いまでも脳裏にちらつく。
彼らの年代には、年頃の女子が体の弱い彼女しかいなかった。だが神の怒りを恐れた村の者は、神の怒りから村を守るためだという彼らの勝手な思い込みを彼女に言い聞かせて、無慈悲にも送り出す。
そしてある吹雪の日、彼女は高熱を出して倒れ、そして若くして亡くなってしまった。
彼女の死に一番早く気が付いたのは、少年だった。吹雪が収まってすぐに駆け付けた彼は、彼女の姿を見て崩れ落ちる。
それから半時ほどたって、捧げものをしに来た村の者に彼と冷たくなった彼女は発見された。その時の村人の反応は、確かこうだった。
「おいお前、何を寝ている! キュウコン様の御前だぞ! キュウコン様どうか、どうか怒りを鎮めなさってください……!」
少女がこと切れているのに村の者が気付いたのは、神の使いにひとしきり謝った後のことだった。
彼女は村を守る役目を果たしていた。だが、村の人々は彼女に文句を言いながら早々に葬り、急いで代わりの巫女を立てなければ、と駆けまわっていた。
病弱な彼女を誰よりも心配していた、みすぼらしい恰好の彼は鋭い目つきで皆に言った。
「俺は、神もお前らも絶対に許さない」
その言葉だけを残して、彼は山から、村から姿を消した。
それでも村の者は、神の使いである我の世話係に巫女を捧げることを止めなかった。
* * *
「ねえキュウコン、私この山の外に出たい。風のようにどこまでも飛んで行って、そして……海に行ってみたい」
少女の一言に、我は眉根を寄せて苦々しい表情を作る。彼女の願いは難しいものだった。我の表情から察したのか少女……フウカは我の胸毛に顔を埋めた。やめろ、と振り払おうとしたものの彼女の涙が我の体毛を湿らすのを感じて、思いとどまる。そしてどうしたものかと思案を巡らし始めた。
我はキュウコン。この神聖なる雪山に祀られている神の使いである。
そして我の胸毛をぐしゃぐしゃにして、頬を膨らませむくれている少女はフウカ。我の世話係をしている現在の巫女である。
我とフウカは雪山の奥の社で、山を見守るために人知れずひっそりと暮らしていた。我らはこの山の外に出たことはない。我もフウカもずっとこの深々と雪が降る山で日々を過ごしていた。
雪と見間違うほどの青白い体毛に九つの尾を持つ我は、昔から神の使いとして雪山の麓の村の者から崇められ、そして恐れられている。何でも、神の使いである我の怒りに触れると雪崩が起きるとか巷では言われていた。実際は雪崩の起きることを予見して麓の村の人々の前に姿を現し警告をしているのだが、なかなか理解を得られない。しかも彼らは我の機嫌を損ねないために世話係として村の娘を一人巫女として遣わせてくるときたもので、巫女が代替わりするたびに我は、何とも言えぬ憐れみを彼女たちに向けていた。
彼女たちは代々、我に深く干渉せずに黙々と身の回りの世話と祭事を行っていた。それが村の風習だった。彼女らは下手な言動はしない。何が我の逆鱗に触れるか分からないからだ。我はそれがずっと気に食わなかった。何を好んで気まずい思いをしなければならないのか理解できなかった。それに、世話係に任命された者は代替わりするまで我と暮らさなければならなく、時に過酷な環境に耐えられず命を落とすものも居た。フウカの先代も、巫女になったせいで若くして亡くなった。何故彼女たちの貴重な人生を、我の世話などに使わせなければならないのか疑問で仕方がなかった。我の機嫌を伺うのならばいっそもう放って置いてくれても構わないのに。もう、間近で怖がられるのにもうんざりしていた。
しかしフウカは違った。
フウカが我のもとに連れられてきたのは、彼女が九つの時であった。フウカは幼いながらも仕事はきちんとこなす巫女であり、よく出来た娘だと当時思ったのを憶えている。
それでも慣れない場で過ごすのに無理が出てしまったのか、冷え込みが特に激しい日、フウカが風邪をひいてしまう。彼女が倒れてしまったのは夕刻だった。外は吹雪いていたので村の者を呼ぼうにも難しい天候であった。先代の彼女のように死なれるのも嫌なので、我はひとりでフウカを看病した。布団だけでは寒かろうと九つの尾を毛布代わりにかけてやり、氷を生成しそれを袋に入れ彼女の額に当ててやる。水分を取らせるために、溶けやすい氷を作り焚き木の傍へ置いておくなど……とにかく出来る限りのことをした。長い夜が明け、村の者が供えものをしにやってくるまで、我はフウカを看ていた。
らしくもなく、妙に入れ込んでいるなと感じながらも、我は彼女の寝顔をじっと見守っていた。
それ以来だろうか、我はフウカにすっかり懐かれてしまった。それまでふたりの間にあった緊張は徐々に解けていき、今では馴染んだ。それまで築いたことのなかった人間との親密な関係に最初は戸惑いを覚えたが、それもだんだんと心地良いものへと変わっていく。
フウカはよく笑うようになった。彼女は我の毛繕いをするのが好きなようで、ご機嫌に歌を口ずさみながら、それでも丁寧に櫛でとかすのが日課である。毛並みがきれいに整うと、フウカは満足げに笑顔を見せた。また、フウカはお喋りだった。山で起こった小さな変化や、彼女が麓の村に暮らしていたころの話など、表情をころころ変えながら、身振り手振りも交えて我に話していた。こんなに話す娘だったのかと初めのうちは驚いていたが、今ではいつものことに変わっていた。フウカが小さい頃は我の背に乗せてやったりもしていたものだ。近頃は重くなってきたのでそれも難しくなったが。成長する年頃だから仕方がないとはいえ、フウカの重さに耐えかねて我が潰れてしまったときは、ふたりして落ち込んだ。まあ、それもつかの間のことで、今もよくもたれかかられたりのしかかられたりする。たまに我への敬いを忘れていないか? と思わなくもないが、寛大な心で彼女を許してやっていた。
……許す、などと表では偉ぶっていても内心は、フウカの分け隔てなく接してくれる姿勢がとても嬉しかった。それが叶わないと知りつつも、我はずっとフウカとこうして日々を過ごしていたかった。
フウカの様子が変わったのはここ最近のことだった。十四歳になった彼女はよく頂に上るようになったのだ。一人で行かせるのも不安なので、フウカが頂に行くときは我もその後を追った。
晴れているときの頂から見る地上の眺めは、我も好むものである。年中雪の積もるこの山の白さとは違う、茶色や緑の森や大地が見え、そして遥か遠方には蒼い水平線が見えた。
「風になりたい」
風に流される白い雲を見ながら、フウカは呟く。そのころからフウカの地上への焦がれる想いの片鱗はあった。しかし遠くに行きたいのならば何故運ばれていく雲ではなく、風なのだろうか。その謎は今も解けていない。
* * *
そしてとうとう、フウカは我に言った。
「キュウコン、私この山の外に出たい。そして、海に行ってみたい」
正直フウカがそう言い出す予感はしていた。だからこそ我は顔をしかめた。海とやらは、おそらくあの蒼い水平線のことを指し示しているに違いない。この山からだとかなり距離があるのは明白だ。フウカの足で彼方までたどり着けるのだろうか、それに道中に棲むものに襲われないとも限らない。彼らの領域は我の範囲を超えている。それに水と食料は大丈夫なのだろうか。考えたらキリがない。何より、フウカが山を出ようものなら麓の村人どもが黙ってはいないだろう。そして我は神に仕える身。神聖な領域を守るためにもこの山から出ることは叶わない。
よって、我はフウカの願いを聞き入れられない。本当は恩を返す意味でも叶えてやりたかったが、我は彼女の願いを聞き入れられる立場ではなかったのだ。フウカもそれは重々承知の上のようであった。だが頭では理解していても、心を抑えられずにいたのだろう。フウカは海に対する憧れを諦めきれず、我への話題に上げることで己の想いを忘れないようにしていた。
「海の風の香りはしょっぱいって、お母さんが言っていたよ。どんな感じなのかな」
妄想を膨らませるフウカの姿が深く印象に残っている。不意に、フウカは我に話を振った。
「キュウコンは、もし行けたら海、行ってみたい?」
その質問に、我は悩んだ。我は生まれてからこの山の外に出たことはないのだ。未知の場所への興味がないわけでもない。しかし、我は山に棲むものを守らなければならない。それが我が神に作り出された意味だからだ。
だが、本当にもし、もしも行けるのだとしたらの話だったらば――――彼女が誘ってくれるのなら、正直行ってみたい気持ちはあった。
フウカと共に、果ての海まで。
「そっか……いつか、いつかキュウコンと一緒に行けたらいいのにね」
彼女の描く絵空事に、我も仲間に加えられただけで、嬉しかった。それだけで十分だった。
それ以上は望まなかった。むしろこの時間がいつまでも続けばいいのに、否、巫女が代替わりするまでの間だけでも、フウカと一緒に居たい。フウカはどう思っているのかは分らぬが、それが我のささやかな願いだった。
そんな我の想いを知ってか知らないかは定かではないが、フウカは我に笑いかけてくれる。もし海に行けたのなら、もっと明るく笑ってくれるのだろうか。そんな邪な考えが浮かんでは、必死に頭の中から消していった。
* * *
終わりの始まりは唐突だった。
異変に気が付いたのは、不気味なまでに燃えるように赤い空をしていた夕時だった。山がざわついていたのを察知した我は、急ぎ麓に向かおうとするべく立ち上がる。
「キュウコン、どこへ行くの? ……何かあったの? 私も行くよ」
フウカが我の様子に気が付いたのか訊ねる。そして後に続こうとしてくるフウカに我は今まで見せずにいた、あらん限りの力で吠えた。『ついて来るな』と。我の吠えに怯んでその場に崩れ落ちるフウカ。彼女を背にし、我は振り返らずに駆け出した。
羽ばたくワシボンの群れや走るニューラ、逃げ惑うグレイシアとイーブイの親子とすれ違い、胸騒ぎが強くなる。
嫌な予感程当たるものである。
血潮のように赤い空の下、黒煙を上げ――――村が、燃えていた。
フウカを置いてきて正解であったという安堵と、もっと村の異変に早く気づくべきだったという後悔が入り混じりつつ、燃える家々の間を走る。焼ける熱気と煙に苦しみながらも我の持つ氷を操る力で霰を降らし、少しでも火の勢いを収めるべく助力する。焼けていく村内を回る中、疑問が生じた。
村の者の姿が、見えない?
先程から焼ける住家の中取り残された者がいないか順に巡っているのだが、住民の姿が一向に見つからない。人も、人と暮らす生き物も、誰も見つからない。
嫌な予感は、当たってしまう。
村の者とはかけ離れた荒々しい声が聞こえる。それは、野蛮な者の声だった。
「とうとうおいでなさったか! 神の使い様よ!」
そう声を荒げた男は、嘗め回すような視線をこちらへ向けてくる。その視線に違和感を覚えたのも束の間、周囲にいた賊だと思われる若造らのはしゃぎ声に思考を遮られる。賊どもは黒い爬虫類たちを従えていた。ヤトウモリと呼ばれた小柄な爬虫類どもが家屋に向けて火を噴いている。この火の原因は奴らの仕業か。村の者たちは一か所に集められていた。村の者と暮らしていた生物たちは、力尽き地に伏している。火を噴いていたヤトウモリ達が、頭であろう男の手持ちのエンニュートという名の、ヤトウモリ達より一回り大きな爬虫類指示に従い、我へ向かい身構える。
「野郎ども、ヘドロ爆弾だ!」
放たれる毒爆弾を我は凍てつく光線で薙ぎ払う。爆炎の後、煙が上がった後、すかさず身を翻し雪の中へ隠れた。そんな我の行動を見て賊の頭はこう言った。
「逃げるのかキュウコン? そうやって隠れているのなら……そうだな、俺らにも考えってものがあるぜ?」
そのわざとらしい気持ちの悪い声に悪寒が走る。
我は別に、麓の者どもに好意を抱いているわけではなかった。しかし、共生関係をすることを望んだぐらいには、彼らに気を許していたのかもしれない。この山を守るのが我の使命。そう、麓とは言え、同じ山に棲むものには変わりはない。だから彼らを守るのもまた、我の使命なのかもしれない。
そして何よりフウカの仲間だ。彼らに何かあったら彼女が悲しんでしまう。
嫌な予感は、的中する。
奴は一人の女の髪の毛を引っ張り、差し出すように前へと連れてくる。
「三十秒だ。それまでに出てこないのならば、この女の綺麗な肌が焦げちまうかもしれないな?」
女が、肩を震わせている。奴の言葉の意味を察せぬほど、我は馬鹿ではなかった。我は雪影から姿を現す。そうせざるを得なかったことに口惜しさを覚えた。
村の女が解放され、我が賊ども連れられそうになったその時。
望まない出来事は重なる。
何処からともなく投げられた雪玉が男の顔面に当たった。それから聞き覚えのある、声が我を呼ぶ。
「キュウコン!」
毛が逆立つとは、この事を指し示すのかというくらい全身が恐怖で震える。
やめろ。来るな。やめろ。来るな。やめろ。来るな、やめろ。来るな。
雪に生える赤の袴を見て、頭の中が、それらの感情でぐるぐると回る。
やめてくれ、来ないでくれフウカ。フウカ。フウカ。来てはいけない。フウカ、来てはいけない。
来てはいけない!!
「待っていて、今助けるから!」
彼女は我のために必死なって、
怖いだろうに力を振り絞って、
不安にさせまいと笑みを湛えて――
「やれ」
――我が駆け寄る前に、エンニュートの毒爆弾をその身に受けてしまった。
* * *
それから後の事は、正直よく憶えていない。ただただ、後悔の念が付きまとっているのだけは、憶えている。
反射的に氷の礫を放っていた。エンニュートは間一髪でかわしたが、エンニュートの後ろに居た手下の男の肩が、えぐり取られた。
悲鳴を上げる手下。ふむ、案外脆い。何故我は、村の人間如きを人質にとられ躊躇していたのだろうか。フウカが傷つけられる以上の何が恐ろしかったのか。今ではよく分からない。昔の我の選択が理解できないし、したくもない。ただ言えるのは、我はやはり馬鹿であったということだけだ。
怯んだヤトウモリの一匹に、もう一つ氷の礫をくれてやる。ヤトウモリとそれを従えていた賊どもが怯えて散り散りになる。怯えているのは、賊どもだけでなく、村民たちもであったが、この際それはどうでもいい。
一方で頭とエンニュートは、冷静であった。エンニュートはすぐさま煙を焚き、姿を暗ませる。逃がすものか、と吹雪で煙を払ったものの、既に彼らの姿は消え失せていた。
放心しながら、一歩一歩フウカへと歩み寄り、辿り着く。顔を覗くと、彼女は虚ろな目で天を見つめていた。傷口は、見るに堪えないほど酷かった。その姿を見て、人とは脆いものだということを改めて痛感した。そして、我が彼女を守れなかった事実を思い知らされた。
うなされ苦しんでいるフウカの顔に、昔の彼女を重ねる。ただあの時と違うことは、彼女を助ける見込みがないということ。
謝っても謝り切れない情けなさが襲う。せめてフウカにしてやれることがないか思案する。だが、言葉をかけてやることすら出来ずにただただ見つめるしか出来なかった。
いや、我は神の使い。お前の魂を神のもとへ連れていく事は出来た。
だが、小娘一人守れないで何が神の使いだ。今の我に神の使いである資格はない。
それならフウカ、いっそ我もお前と共に……。
「きゅうこん」
打ちひしがれる我の耳に、かすれ声が聞こえる。顔をそちらへ向けると、彼女のおぼろげな眼が我の姿を捉えていた。
フウカは力を振り絞り、我にこう囁いた。
「きゅうこんはわたしがまもるから」
我の考えを見透かした、遠回しな呪い。
それが、彼女の最期の言葉だった。
* * *
自分でも何をしているのか、分からなかった。
我は冷たくなったフウカを連れ、山を出ていた。我は神の使いとしての役目を放棄し、神のもとへ彼女を連れていくことを、拒んだ。我は彼女の憧れた海に、彼女を連れていくと決意したのだ。
連中の狙いが我だということもあり、あの雪山に留まっていたらまた犠牲を出すかもしれない。だから山を出ようと考えた。否、それは口実にすらなっていない。本当は麓の村の者どもなど、どうなっても構わないと考えていたに違いない。だから神の使いという雪山を守護することを辞めたのである。
なけなしの木材から作られた棺にフウカを入れ、それを引きずりひたすら南を目指した。腐敗せぬように冷気を操っているとはいえフウカ、やはりお前重くなっただろう。そう念じても返事は無かった。
山の方から下りてくる冷風も次第に遠のいていく。棺を狙い襲ってくるヤミカラスどもを追い払い、いくつもの夜を超え、身も心も満身創痍になっても歩みを止めることはなかった。そして我は蒼の彼方へと至る。
辿り着いたときはちょうど暁が昇る時刻だった。薄紫色の空の下吹くその風は生暖かく、潮の香りがした。朝の陽ざしと風に包まれながら、それまで凍っていた心が溶かされていくような気がした。
息を吸い込むと、鼻の奥と口の中が塩味で満たされていく。それはしょっぱいという感覚だった。棺を海の望める丘に埋め、海岸線で途方に暮れていると、忘れがたいあの気配が近づく。
「ようやく見つけたぜ」
奴らに我は心底興味なさげに振り向いてみせる。しばらくぶりに見るが、やはり彼らは薄汚い恰好をしていた。手下どもは我に警戒していた。だが頭の男だけは怯むそぶりを見せず、我をまっすぐ見ていた。その目を見てようやく、襲撃事件の時に感じた違和感の正体が、分かる。
おそらく我は、彼を知っているのだ。
男は棺を埋めた丘を一瞥する。そして我を見てこう言った。
「神の使いよ、お前は神を信じるか」
その問いに我は、首を縦にも横にも振らず、目を細めた。頭の男は、続ける。
「俺は信じてはいない。むしろ信仰だとかしきたりだとか、そういったものを憎んでいるし、それらを信じている奴らも憎んでいる。ぶっ壊したいと思っている」
男は視線を丘の方へやり、語る。
「まだ幼いころ、俺には惚れた女がいた。そいつは体が弱いのに、奴らに巫女にされ、山奥にたった一人で暮らさなければならなくなった。当然そいつは環境に耐えきれず死んじまった。それでも村の奴らは巫女を送り出し続けることを止めなかった――キュウコン、あんたの仕える神の怒りを買わないために。あいつらは何時までも同じ過ちを繰り返し続けるだろうよ。何人もの巫女が犠牲になっても、自分達の生活を守るためだと目を逸らしながらのうのうと生きていくだろうよ」
その言葉で、見覚えは確信へと変わる。そうか……あの時の少年だったのか。
彼にここまでさせ、この結果を招いたのは……先代の巫女、彼の思い人に救いの手を差し伸べなかった我の怠慢が招いたこと、か。今になって、彼の怒りを理解することができた自分が忌まわしかった。
彼は再び、我へと眼差しを向ける。
「あんたが村の奴らを庇おうとしたのは意外だった。自ら山の外に出たのも。俺の狙いには気づいていただろ。標的があんただと見せつけたうえで村人を一人一人殺していく。あんたが隠れられないように、逃げられないように、居場所をなくすように追い詰める。そうやってあんたを山から追い出す。そのためには犠牲が必要だった。その嬢ちゃんを選んだのは、たまたまだということだ」
名も知らぬ彼は、虚しさを込めた声で、我に問いかけた。
「つまりは俺の目的は果たされているということだ。だが、俺は、お前を討つことで、更に神を否定する。キュウコン、あんたはどうする? 俺を殺して嬢ちゃんの敵を討つか?」
その問いかけに、我は首を横に振った。既に我はフウカを守れなかった時点で、もう何もかもどうでもよかった。彼女と一緒に海にも来ることができ、未練もなかった。もちろん彼の言う巫女制度を静観して彼女らを救わなかった責任感もないと言ったら嘘になる。しかし、彼には悪いが逆に我にとって都合がいいと思ってしまっていた。彼が幕引きをしてくれるのなら、誰も守れなかった我を裁いてくれるのならば……願ったりかなったりだった。
「そうか」
彼は短くこぼした後、エンニュートに指示を出す。そうして、エンニュートとヤトウモリの炎が我へと襲いかかった。
我は瞳を閉じて歴代の巫女のことを思い抱いていた。彼女らの姿を一人一人思い出していき、最後にフウカの笑顔を思い浮かべる。
フウカ、我はお前を死なせた神を信じ切ることはできない。だから神のもとを去った。だが神よ、まだ我を見放さないでいてくださるのなら、我の魂をフウカのもとへ。我の生に終わりを。
そう願うと、海原から誘うような潮風が吹いた。
* * *
しかし、いつまで待ってもその終わりはやってこなかった。
熱気は感じているのに、不思議と痛くはなかった。瞼を開ける。そこには驚いた表情でこちらを見ている彼らの姿と、我の目の前で二つに裂けた炎の壁があった。炎が消え去った後、怪訝そうにしている我に彼は訊ねる。
「あんたの仕業じゃないのか?」
慌てて首を横に振る。すると、背後の海から強烈な風が、水面を叩くほどの強風が吹き荒れる。小柄なヤトウモリは風に飛ばされ、それを彼の手下どもは風に押されながらも追いかけていった。不安定な足場に吹き荒れる砂の嵐が彼とエンニュートを襲う。しかし波打ち際に居た我には、風は一切攻撃する気配はなかった。彼とエンニュートが膝をつくと、風は緩む。しかし風は、いつでも彼らに砂を叩きつけることが出来ると警告しているような唸り声を上げていた。
彼は痛みを堪えつつ、恐怖に震えつつ……笑った。
「これが、神風か。恐ろしいな、神の加護ってやつは」
どうやら彼はこの風を神の仕業だと思ったようだ。しかし、我は得心がいったように、再び首を横に振る。もし我が人語を話せたとしても、この風の正体は、彼には理解できないだろう。
それから我は、深く頭を垂れた。彼には悪いが、どうやら我はまだ死ねないらしい。それを伝えるための、一度きりの謝罪だった。
我は彼に背を向け、海岸線を歩み始める。彼は我を追いかけようとする。だが風に遮られ、とうとう遠くなる我の姿を見ていることしかできなかった。
じゃじゃ馬のような潮風が、いい香りを連れて我の隣を流れていく。我は久方ぶりに、笑みをこぼした。
仕方がない。そこまでするのならば、もう少しだけ生きながらえてやろうと『フウカ』に告げると、風になった少女は嬉しそうな風音を立てた。
そして我は、いつも彼女が歌ってくれていた懐かしい旋律を頭の中に描きながら歩いた。
どこまでも、どこまでも、風と一緒に歩み続けた。
煙炎霰月
一
半月が夜を微かに照らす。
その微かな明かりの中を何かが飛んでいたのか、黒い羽が一つ、空から落とされた。
一つだけの黒い羽。
重力と、微かな風に従ってゆらりゆらりと落ちていく。
真下に広がる町には喧噪が広がっていた。
酔っ払いが大声で叫び、車の迷惑そうな警音が鳴り響く。ポケモンの鳴き声も負けじと響けば、その身から放たれる力がどこかへ飛んで行った。
その中に一つ、その喧噪を、外部との関わりを全て拒絶するかのような建物があった。
屋根も無く、音も無く、電灯なども無い。しかし、暗闇ではなかった。
鬼火が七つ、八つ、いや、消えたり増えたりしながら明かりとして漂っている。
様々な表情を見せながら、しかし例外なく雅やかさを備えつつ、怪しげに、妖しげに、ゆらりゆらりと舞っていた。
人々が、ポケモン達が、その微かな明かりの中で一様に座っている。
誰も彼もが、芸術と言うものを知らない者でさえも、芸術と言うものを知り尽くした者でさえも、まだ一年も生きていない者でさえも、人間より遥かな年月を過ごした者でさえも、何も言わなかった。身じろぎさえしなかった。
その建物の中の観客の目の全ては、一点に集中していた。
ぽつ、ぽつ、と鬼火に照らされたその場所。
その舞台に、一匹のポケモンが居た。
尾の一つ一つが、揺蕩う水のように、ゆら、ゆらりと、もしくは風になびく草木のように、さら、さらと、かと思えば燃え盛る炎のようにどうどどうと、途切れる事無く、一様に留まらずに移り変わる。
鬼火。時には観客の頭上にまでゆらゆらとふらふらと移ろい、その尾が揺れたと思えば鬼火も揺れ、色も変わる。
気付けば消えており、気付けばその尾の先からまた、一つ、二つと増えていた。
鬼火は散り散りな場所にあるのに、それと月しか明かりは無いのに、その舞台に立つ、九つの尾を持つポケモンの存在だけが、この空間に居るその他全ての生物を釘付けにさせていた。
音もなく、万象の全てをその身と鬼火で現しながら舞うそのポケモン。
顔が見えなくなる事もあった。
姿の殆どが消える事さえもあった。
それでも、観客の目が離れる事は無かった。
千年の時を生きると言われるそのポケモンは、短く太く生きる人間ではどう足掻こうとも何を犠牲にしようとも得られはしないものを身につけていた。
技術でもない。経験でもない。悟り、というものが一番近いだろうか。
その舞は、ここに居る全てを魅了していた。
羽が、ひらひらと落ちて来る。
それは鬼火に包まれ、誰も気づかず、消えた。
ふつ、ふつ、と鬼火が数を減らしていく。暗闇が濃くなろうとも、そのポケモンから誰も目を離す事は無かった。
鬼火が二つ、一つとなろうとも。誰もが魅了、いや、洗脳されたかのようにまで、その舞から目を離さなかった。離せなかった。
殆ど暗闇であろうとも、瞬きをする事すらも躊躇われる。
しかし、誰もが記憶しようとも思ってもいなかった。ビデオカメラに収めようとも、記憶の内に収めようとも、この舞の全てを収める事は出来ないだろう。
この瞬間、刹那が過ぎていく連続の全てが舞を構成していた。
誰もが気付いていない要素でさえも。気温や湿度、月やそれを時偶隠す雲も、どこから吹くのか分からない風、もしかしたら、落ちて来た羽でさえも。
月が曇り、完全な暗闇になり。
暫くして、月明かりが戻ったその後には、焦げた羽が一枚、舞台の上に落ちているだけだった。
二
くぁ、と欠伸をするその様は、単純に疲れた様子だった。
仕事を終えた人間のように。肉体労働を終えた格闘タイプのポケモン達のように。ポケモンバトルで賞金を稼ぐトレーナーとポケモン達のように。
徐々に我を取り戻しながら喧噪の続く現世に戻る観客を建物の中からこっそり眺めつつ、そのポケモン、キュウコンはゆっくりと休息に浸っていた。
かり、と時々、渋味と甘味のする木の実を食べながら、力を抜き、眠気も隠していない。
人間よりも遥かに長い時間を過ごしている身であろうとも、その姿はただのポケモンとなっていた。何者も魅了する幻想めいた姿は、今は無い。
後ろでは、さら、さらと静かに尾の手入れをする二匹の狐が居た。
正座をし、手に持った櫛で毛を梳き、埃を払う狐。黒い姿に赤い髪を持つその狐は、種族をゾロアークと言った。丁寧に、夢中に毛を梳いていた。
胡坐をし、指で筋肉を解していく狐。赤と黄の姿に耳から多くの毛を生やすその狐は、種族をマフォクシーと言った。持前の念動力も使いながら、荒めに、けれど正確に疲れた尾を解していた。
その二匹のポケモンは、生まれた場所も違い、またこのキュウコンに仕える為に生まれて来た訳でも、特別な理由がある訳でもない。
仕えたいから仕えている。気に入っているから仕えさせている。
時代は流れていく。それをこの体でずっと眺めて来た。
こうして外を眺めるだけでも様々な事が変わっている。喧噪の音も変わった。臭いも変わった。見かけも変わった。雰囲気も変わった。
目を閉じれば、ぼやけきった記憶しか無いが。
人間なんかより長い、永い年月を過ごす身だと言うのに、記憶に関しては人間達と大差ない能力しか持っていない。
体は数百年の間、もう、強くなる事も、衰える事も全く無い。ずうっと老いる事も無く生きているのに、その記憶はこうして元気に活動出来ている間の半分の半分、更にその半分も鮮明ではない。
体は若者のように動くのに、こうしてここで過ごす前にどこをどう生きて来たかも、もう大して覚えていないのだ。
時々、思う事がある。
記憶が多く保てないなら、長く生きているのも短く生きているのも変わらないのではないか。
記憶の無い時間は、死んでいると言っても良い。生まれていないのとも大して変わらない。
何度、友を喪ったのか、何度子を為して、その子が今どこで何をしているのか、もう殆ど覚えていないし、知らないのだ。
子や孫、自分が血を分けた者と会おうとも、全く分からない、嫌な自信さえもあった。
覚えているだけ生きて、死ねるというのは、この身からすると、羨ましくなる事もあった。
しかし、記憶はどこかへ消えようとも、感覚は残る。体に積もった経験も残る。
それらのおかげで今こうして数日に一度舞うだけで、美味い食べ物も安全な寝床も、従者達の分まで与えられる。
けれど、そうして安全と贅沢を得られるとしても、不安に押し潰されそうに何度もなる。
自分は、千年生きるという。どれだけ生きて来たか、分からない。どれだけ後、こうして元気で居られるのかも分からない。
ずっと変わらないこの体は、寿命を察する事も出来なかった。
毛を梳き終わり、揉み終わった。舞をしている最中は意識もしない疲れは、凝り固まって表に出て来る。
でもこうして、特に尾を揉んで貰えると、疲れが次の日には大半が消えている。
感謝は伝えきれないが、これまで同じようにしてくれた、仕えてくれた者達の事も忘れてしまっている。
このマフォクシーとゾロアークの前が誰だったかも、思い出すのに時間が掛かった。
建物の中の方を窓まで行って覗き込む。そこでは、人間達やポケモン達が掃除をしていた。細かな埃などを掃いている。
ここで莫大な利益が生まれている事を知っている。その九割九分以上が自分達三匹ではなく、その人間達のものになっている事も知っている。
それでも良かった。いや、そんな事はどうでも良かった。
自分の長きに渡る不安を癒してくれるものは、どこを探しても無い。いや、ある筈が無い。
この世界で一番繁栄している人間は、過去の記憶を失いながら生きたりしない。自分が欲するものは、繁栄の内に暮らす人間には到底要らないものだったから。
建物の外を見た。
ぼうっとしている人間やポケモンが未だに多くそこに居た。その、自分がそうさせた姿を見せても、羨ましさが湧き出て来る。
そうして、ただ見惚れて、その余韻に浸って。何も考えないで居られる時間というものはそんな自分にとって、とても欲するものだった。しかし、そう言う機会も自分にはそう大して無かった。
自分の生きて来た常しえを投げ売るかのように、ただただ舞だけをしている時間。
それと、もう一つ。
櫛から毛を捨てているゾロアークに体を向けて、唐突に押し倒した。
驚いたゾロアークは、けれど受け入れて、自分と舌を交えた。
三
言葉で意志疎通を出来るポケモンは少ない。
自分は、口を使って喋る事は勿論出来ない。
テレパシーも使えない。
この、長生きし過ぎる身にとって、言葉を使った意志疎通が出来ない事はとても辛い事だった。
人間の言葉を何年も、何十年、いや何百年という単位で聞いている内に、人間の言葉は完全に理解出来るようになっている。
自分の思考も人間の言葉を使った、より鮮明なものになった。
なのに、自分は人間の言葉を使って喋る事は出来ない。テレパシーでも、だ。幾ら時間が経とうとも、どれだけ長生きしようとも、自分は出来なかった。
それは、時間の問題ではなく、素質の問題だった。
テレパシーを使って人間と会話出来るポケモンと言うのは、大抵の種類のポケモンで稀に居る。種族に関わらず、エスパータイプの技を覚えていなくとも、覚えられる素質さえあれば出来るポケモンも居た。
結局のところ、自分にはその素質は無かった。それだけだ。シンプルに、残酷に。
目が覚めると、薄暗い早朝だった。
ゾロアークは隣で寝ていて、畳や自分とゾロアークは汚れたままだった。
舞をしようとも、交わろうとも、一時の間だけ気を紛らわす事ができるだけ。いつものように、衰えも成長もしない体がここにある。何年、何百年と過ごしてきたか分からない体がここにある。
マフォクシーは、どこにも居なかった。自分とゾロアークが交わり始めてからどこかへ行ったきりだった。
水場で体を洗い流していると、ゾロアークも入って来て、身を洗い流した。
子は、偶に出来ている。けれど、ゾロアークと子を為しても、生まれて来るのはゾロアだけだ。ロコンは生まれて来ない。
その事実を思うと、どうにもやりきれない時もあった。同じ雄であるマフォクシーも、同じような思いをする事はあったのだろうか? それも知る事は出来ない。
ただ、ロコンとして生まれて、そして進化してしまったら、こうして千年もの間だらだらと生きなければいけないのだから、それはそれで良いかとも自分は思う。
死にたくはない。いや、自分が恐れているのは、死そのものではなかった。
いつ、それが訪れるか全く分からない事だった。
そんな生き方をしなくてはいけないのは、少しで良い。少なくとも自分は耐えられているが、皆が耐えられるかは、全く分からない。
まだ人通りが少ない外へ出る。
声を掛けられる事は少ない。この町に住み着いてから暫くしない内に、自分は敬われるようになった。
良さげな寝床を見つけ、何か食い物でも恵んで貰おうかと思って舞ってみたらそこから一気にここまでの事になった。
人間のルールに従おうとしていたら、気付けばその中に取り込まれていたと言う感じでもあるが、不快感は無い。
そうして暮らす事自体は、別に劣っている事でも何でもない。
本当におぼろげな記憶だが、人のポケモンとして生きていた時期もあった。まだ、モンスターボールと言う物も無かった時代に、自分の意志でだ。
ロコンからキュウコンになった時も、確かその時だった。
ただ、ロコンからキュウコンになったのが、自分の意志だったのか、その人間の意志だったのかまではもう、覚えていない。その人の顔も、その人と暮らしていた時の感情も、何もかもを覚えていない。
楽しかったのだろうとは思うけれど。
前で掃き掃除をしていた人間が頭を下げた。尻尾を振って、軽く返した。
何度か、人間が自分の事に関して強制しようとしてきた事があった。別に、整えてくれるのは勝手にされた事で、路上で舞うよりそっちの方が良さげだった。寝床も用意された方がより好きだった。
だからと言って、無闇に外を歩かないで欲しいとか、もっと恭しくしてくれとか、舞の頻度を増やしてくれだとか言われる筋合いはない。
追っ払っていれば来なくなったが。
長生きしている事は、楽しい事ではない。ただ、少なくとも役に立つ事ではある。
太陽が昇って来る頃、マフォクシーが前から歩いて来た。
腕に木の実やら様々な食べ物を抱えていた。
甘苦い木の実を咥えて食べながら、互いに帰路へ着く事にした。
食べながら、曲がり角を何度か曲がる。
ぶらぶらと当ても無く歩く散歩の帰り道は、近道を。
そこは宿が立ち並ぶ場所だった。安い宿から高い宿までぱらぱらと散らばっている。自分の舞を見に来るのは、大抵が高い宿に泊まっている人達だった。
高い金を取っているのだろう。
元々、良い食べ物を貰おうとしてした舞が、ここまでの事になるとは思わなかったが。
ここを気紛れに出て行ったらと言う事も思ったりする。自分の舞に勝手にでかい旨みを作り出した人間達が嘆く様を想像するのは結構楽しい。
追いかけて来た奴等をこんな町中でやれない程に思う存分返り討ちにするのを想像するのも。
何も考えないでいられる時間ではないが、戦って甚振る事も好きだった。
そんな欲求が湧いて来たのを察されたのか、マフォクシーが木の実を渡してきた。渋みの強い、落ち着く木の実だった。
好き好んでいるからと言って、自分から仕掛ける程じゃない。
受け取って齧っていると、ふと、妙な視線を感じた。
純粋な羨ましさとか、身勝手な恨み、トレーナーの力量を見定める目や、はたまた珍しさとか、そういう良く感じるものではなく、気になるというような。
もじもじとしているような姿が頭に浮かぶ。
気になって見回してみれば、その視線は切れてしまった。
四
帰れば、昨日汚した畳は綺麗になっていた。ゾロアークが雑巾か何かを絞る音も聞こえた。
臭いは多少残るが、そう気になる程でもない。自分の臭いだからかもしれないが。
自分の肉欲を受け入れられない雌も居なかった事は無い。ただ、そういう従者はそう長く自分と共にしないから、どの位居たのかももう、ほぼほぼ覚えていない。あるのは、短い間だけ居たという記憶だけ。
ゾロアークと言う種族を従者にするのは初めてだったが、行為はかなり気持ちが良い。マフォクシーは雄だから無理だが、その内その種族とも行為をしてみたいとは思う。
この体が衰えない内ならば。
マフォクシーが持って来た木の実や人間の食べ物を腹が満たされるまでぼちぼちと食べていると、湿気が増えてきて、涼しい風が窓から吹いて来た。適当にぶらぶらしようかとも思っていたけれど、雨が降るのでは余り行く気にはならない。
風が強くなって、雲が増えて来たと思うと、そのすぐ後に、ぽつ、ぽつぽつ、と雨が降って来た。
一気に大雨になった。
出店も閉まり、そこから出て来る煙や湯気と共に運ばれて来る良い匂いも消えてしまう。
窓を開けていると、多少雨も入って来るが、そのままにしておく。
雨自体は、こうして屋根のある場所で見る分には嫌いじゃない。屋根の無い住処で全く、ではなく出来るだけしか防げない雨水を身に受けるのは最悪だが。
ただ、そうだからと言って、自分の力で雨を晴らす事はしない事に決めていた。そうして、悲惨な事になった時があった。
一つの住処に長く住んでいた時。雨を凌げる場所ではない場所を住処としていて、雨が降る度に自分の力でさっさと晴らしていた時。気付けば、乾燥に弱いポケモンが多く死んでいた。食いもしないのに。
他の様々なポケモンや人間も弱っていた。
その時既に、自分はとても力の強い存在になっていたから討伐もされずに、また雨降らしの特性を持つポケモンを別に呼んでも自分の力を上書き出来ずにいた。
弱ければ害獣として駆除されていただろう。強かったから駆除されずにいたが、過ちに気付いてから自分に出来る事は何も無く、嫌な思いをされながら、そこを去る事しか出来なかった。
嫌な思い出は、何故か強く覚えているままだ。
大きく息を吸って、吐いた。
思い出した時は、そうするしか出来ない。
償いなんて、あの時どうすれば良いか聞けたとしても、死ね、と言われるだけだろう。
そんなポケモンが今、人々を舞で魅了させている。
……キュウコンというポケモンは、千年も生きると言うからか、色々な事を人間達に噂される。
尻尾を触ったら末代まで呪われるだとか、人を洗脳させて好きなように操るだとか。人の胆を好んで食うだとか。馬鹿らしいところでは美女に変身するという事も噂されているようだった。
自分はそんな高尚なものでも、好き好んで人の不吉を招くようなものでもない。
長い寿命を持て余して、たらたら生きているだけのポケモンだ。取り返しのつかない馬鹿な事をして、それを隠しながらこうして高尚そうに生きている様なんてそこらの人間ともそう変わらない。
旨みを握っている人間が、こんな過ちを犯して生きているポケモンだと知ったらどうするだろうか。きっと知らなかった振りをして祀り上げたままだろう。
人間もポケモンも、そう大して変わらない。
そう言えば、元々人間とポケモンは同じだったとかいう話もあった。
似ているのも当たり前か、と思っていると、耳が変な音を捉えた。
雨の音に混じって、硬い音が少しずつ混じり始めている。
不思議に思っている内に、その硬い音が増え始めて、その正体が分かった。
雨が、冬でもないのに霰に変わりつつあった。
これは疑いようも無く、ポケモンの仕業だった。
五
誰かがポケモンバトルでもやっているのかもしれない、と思ったが、それにしては長く降り続いていた。
霰は大粒ではなく、戦いで使うような攻撃的なものでもなかった。当たっても痛くはない程度のものらしく、人々は単純に珍しがっていた。
雨は自然に来たもので、それを誰かが霰に変えたのだろう。
ただ、この辺りでこんな広範囲に霰を降らせられるポケモンは見た事が無い。
そういう力を持つポケモンでも、度合いが違うのだ。
自分も、長く生きている内に日照りの力を持つようになったが、最初は周りがちょっと温かくなる程度のものだった。
それが、雨を避けるようになり、雲を消し去るようになり、今では夜でも疑似的に昼のように照らす事が出来る。
悪く使えば、人もポケモンも皆平等に干からびさせる事の出来る力だ。今のこの、文明とやらが発達したこの時代じゃ、そうする前に捕えられるだろうけれど。
雨なら、全てを腐らせる事も、洪水を起こす事だろうと出来るだろう。
砂嵐なら、この町を土に埋もれさせる事さえも出来るかもしれない。
そして、この雪や霰なら。
人の話で聞いた事がある。森の主を怒らせた、ある小さな集落が夏なのに全員凍死していたとか。
自分がそれ程怒る事は、何かあるだろうか?
……あるな。
二匹の従者を見て、そう思った。
何度も代わって来て、何度も別れて、そしてもうこの前の従者でさえ思い出し辛くとも、大切なのには変わりない。
霰は、穏やかにぱらぱらと降り続いている。
これは、怒りではない。
霰が好きかと言われればそうでもない。
数百年の間生きて来たとは言え、年に一度見るか見ないか程度の珍しいものだ。ただ、だからと言って外に出て泥濘のある地面に足をつける気にまではならない。
雨と同じく、眺めているだけで、目と耳で感じているだけで丁度良い。
砕けた氷が地面に敷き詰められて行く。溶けるよりも先に、積もって行く速さの方が速い。
雨とは違う煩さが耳に鳴り響く。硬質なそれは、雨よりはやや耳障りだった。
でも、偶には良い。
目を閉じて耳を澄ませば、砕けずに屋根を転がる氷の粒が聞こえる。砕けて、そのまま屋根にしがみつく氷があるのも分かる。
耳障りだが、雨に比べて色々と音も多様だった。
耳障りだが、目を閉じれば眠くなってくる。まだ老いていないのに、いや、老いているのかもしれないが。
舞の後に、交わりもして、意外と体はまだ疲れているのかもしれなかった。
目を開いても、自然と瞼が閉じていくのを感じて、体を丸めた。
悪くはない。少なくとも、雷雨よりはましな音だったし、こういう音を聞きながら眠るのも、覚えている限りじゃ記憶にもない。
外に行く気にならなかったのも、気分と言うよりかは疲れているのもあったのかもしれない。
いや、やっぱり泥濘に足をつけるのも嫌だ。
尻尾で顔を隠すと、どちらかの欠伸が聞こえた。
ごーん、ごーん、と音が鳴って目が覚めた。
昼の鐘だ。
目を覚ますと、煙ったい臭いと相変わらずの霰の音が未だに鳴っていた。
体を起こすと、木の枝に火を付けて煙草のように咥えているマフォクシーが見えた。
窓縁に肘を着いて、ぼうっと外を眺めている。
ゾロアークは、いつの間にか子を連れて来ていた。外を眺めれば、外でも数匹じゃれ合っているのが見えた。
全部、自分の子でもあるけれど、こう見ても余り実感が湧かない。
酷い親なのだろうか。人里と自然をぶらぶら行き来しながら生きて来たからか、もう、自分はどちらにも染まる事もない。
気分次第でぶらぶら変わる。
自分が起きたことに気付くと、子供の一匹がこっちにやってきた。
気分を窺っているような目をされて、頭をわしゃわしゃとしてやった。毛繕いもしてやっている間、自分が少し傷付いているのに気付いた。
あんな目をされる親、か。
父親という自覚を持った事が、この今まで生きて来てあっただろうか。
……あった気がする。
気がするだけだった。確信は全く出来なかった。
この子の毛繕いをしていても、自分の子を見る目や感情に、大して特別なものは無かった。慈しみを持っていない自分が自覚出来ていた。
子も、それを察しているのだろう。毛繕いが終わると、そそくさと母親のゾロアークの元へ戻って行った。
霰は、段々と弱くなり始めていた。
弱くなり始めた頃には、音に対しては耳障りと言うよりかは、もう慣れて、大して気にならなくはなったと言う方が近かった。
月が曇り空の隙間から姿を現し始めて来ていた。
ざらざら、と言うよりかは、ぱらぱらと荒い粒の音がする。止むまでにそう時間は掛からないだろう。
これまで降って来た一つ一つを一秒としたら、降った数は自分の寿命に匹敵するだろうか。
人間の知識を借りれば分かるだろうが、流石に文字まではそう大して読めない。平仮名と片仮名と、後、漢字を少し。
その位。それに、文字をひたすら追って頭を熱くしてまで知りたいほどの事でもない。
建物の中、舞台を見れば、氷の粒で塗れていた。冷気も充満し始めているようで、湿った毛皮からも冷えが感じられた。
今日も、舞おうか、と思った。
自分の為に整えられている舞台も砕けた氷だらけで舞うのにも苦労しそうだが、それでも、雨でも無く、雪でもなく、こういう珍しい時に舞うのは楽しそうだとも思う。
二日連続でやる事はこれまで数回あったかどうか。
毎日舞う事が無いのは、それでも食っていけるし、それ以上に面倒だから、という理由の方が強かった。見せる為よりかは、食っていく為という方が強い。食っていく為にも、こんな事を態々する必要もないが。
ただ、ここまで心地良い生活の為に、偶に舞うだけで良いというのは、とても割りが良い。
今日一日寝て食って、たらたらと過ごしていた体を、背伸びをし、尻尾をゆらゆらと動かして、起こし始める。
尾のそれぞれから、ぽつ、ぽつ、と鬼火を出した。
感覚は変わらない。窓から外へ出て、氷の欠片で満たされた地面に降り立った。
人は、来るのか。食う為にやっているとは言え、来なかったらやっぱり寂しい。
そう思いながら、入り口の方を見た。
…………驚いた。
六
部屋の中からでは見えなかった、その門の場所に青白い体をしたキュウコンらしき何かが居た。
色違い、じゃない。色違いのキュウコンにも会った事は無いけれど、それだけははっきり分かる。
性質がどう見ても炎じゃない。
この距離でもその身から漏れ出ていると分かる冷気は、氷タイプを想起させた。霰を降らせていたのも、このキュウコンだ。
毛も自分のふさふさなものと違い、さらさらとした、まるで絹のような軽さを持っていた。
瞳は、青色。
多分、雌。
昨日、ここで自分の舞を見ていたのだろうか? 気付かなかったが。
目が合って、そのキュウコンが近付いて来た。
宿場で感じた妙な目線も、このキュウコンだった。どういう理由でそんな視線を飛ばしていた?
自分の目の前まで歩いて来ると、じっと目を合わせて来た。
漏れ出ている冷気が、自分の湿っている毛皮に触れて凍り付く。それ程に強い冷気だった。
敵意は無い。ただ、見定められているようなそんな視線が多少不快だった。
お前は、キュウコンなのか?
どれ程生きているんだ?
疑問は聞けないまま、目の前のキュウコンは額を合わせて来た。ひんやりした体は、意外と硬くはなかった。
それから、入り口の方へ振り返って去ってしまった。
……何だったんだろうか。そのキュウコンが視界から消えると、霰は終わりを迎え始めた。
霰が降り止み、雲も失せ、空に月が光り始める。
降り積もった氷の欠片に月の光が乱れながら反射していた。きらきらと光る様は、何百年と生きて来たこの身でも中々美しいものだと感じた。
舞台の中央に座り、少しだけ積もっていた氷を払った。
自分が今日も舞うつもりだと気付いた人間達が、慌てて入場の準備を始めた。外の音はここには入り辛いが、宣伝もしているだろう。
どの位の金を取っているのか、ここに入って来た人間が呟いていたのを小耳に挟んだ限りじゃ、一回舞っただけでも全部自分のものになったら一年は軽く過ごせる位だった。
まあ、こんな大層な建物を建てるのにはそれ以上の金が掛かっているのだろうが。
いつ出て行くか分からないような自分に良くもまあ、こんな金を掛けたもんだとも思う。
人がすぐに入り始める。
いつもはどういう人やポケモンが来るのか大して気にしないが、今日は注意深く観察した。
老若男女、様々な地域のポケモン。ロコンも居た。自分の子のゾロアも居た。
窓の一つからは、ゾロアークとマフォクシーが眺めている。自分の舞を何度も見ても飽きないものなのかとはちょっと思う。
別の窓からは、所謂ヴィップとか言うらしき高貴な人間も見えた。連れているポケモンも、それらしい風貌をしていた。
どこで見るのが一番自分の舞を堪能できるのか、大して考えた事は無いが、それは窓より一番前の方なんじゃないか。
あんな場所から見るより目の前に来ればいいのに。
今は席も濡れているけど。
人が入り始めて暫くしても、その氷タイプらしきキュウコンはやって来なかった。
宿に泊まっていたという事は人と一緒に居ると思ってはいたが、モンスターボールに収まっているんだろうか。
まあ、もうそんな事を思う時間も無くなってきた。
軽く呼吸を整えて、尻尾をゆら、ゆらりと動かし始める。ざわついていた人達が収まって行く。
こんな場所を用意されようとも、やる事は一緒だ。ただ、意識を奥深くに沈めて、自分の身体の記憶を巡るだけ。
何百年と生きて来たこの自分の軌跡は、今考えている自分という自我よりも、身体そのものの方が良く分かっている。
一つ、二つ、意識を沈めながら尾の先から鬼火を出して行く。
目を閉じ、暗闇の中で自分という自我を身体に預ける。
意識があるようでないような、そんなあやふやな感覚。
三つ、四つ。炎に身を包むように。
五つ、六つ。身体と世界が直接繋がるような感覚。何もかもが自分となり、何もかもが世界となる。
七つ、八つ。生きているのか、死んでいるのかさえあやふやな、そんな目で自分を見る。
九つ。目を開けた。
七
しゃり、しゃり、と氷を優しく砕く音。
晴れたその空から届く光は、氷が砕ける度にまた、弾けた。
一瞬の煌めきは、共存しないはずの乱雑さと精緻さが混じり合わせたようだった。
冷えるこの場所で、吐息が白く立ち上る。
観客にとっては、それすらも邪魔だった。寒いのに、身体は不調を訴える事さえ許さないように何もかもを舞へ強制させる。
月明かりが金色のそのポケモンをより一層際立てた。乱れて反射したその光が、時にその姿を時に輝かしく、また一瞬にして虚ろになるように更に表情を変えて映し出す。
川が流れるように途切れ無く、時に滝へ落ちるように激しく。そして、時に凍りついたように止まる。
森の中へと道は開けた。
風を受けてゆらゆらと揺れ、空を飛び立ち舞い散る枯葉のように。息を潜め、獲物を狙う獣のように。気付かず、草を食む獣のように。
日々を謳歌する全てのように。命尽きる全てのように。
気付けば、鬼火で優しく溶けた氷が暗闇の中に薄らと霧を立てていた。
所々で立ち上るその霧は白い吐息と重なり、視界が更に曇った。しかし、それはもう、観客にとって不快ではなかった。
月明かりはまるで太陽のようだった。そのポケモンそのものが見えなくても、舞は成り立っていた。
鬼火が舞う。尾が舞う。身体が舞う。世界がくるくる舞う。
それらが作り出す空気の流れが舞としてまた、全てを魅了していた。
妖美な炎がくるくると渦を巻き、弾ける音を立てた。金色の尾が捻じれて戻った。
舞は、いつの間にか激しさを纏っていた。静まった自我の中で微かにぶれが起きていた。
霧が晴れた時、人々は一瞬、自我を取り戻した。
舞台に居るポケモンは、一匹、増えていた。姿は等しく、輝く金色と静かな水色の二匹だ。
しかし、こんな事は初めてだったのにも関わらず、その二匹はまるで生まれた時から一緒だったように、互いに呼応していた。互いの舞が全く別々なものを表現していても、それは光と闇のように、白と黒のように、太陽と月のように、有と無のように、現実と夢のように、決して交わらぬ二つのような関係を持っていた。
人々が取り戻した自我は、また、一瞬で消えた。
空は明るく、そして霰を撒き散らす。
しかしそれは観客に当たらず、熱で霧散する。
炎の舞と氷の舞が、優しく、激しく、捻じれて解けて、また固まり、一つとなった。
霧がまた立ち上り始めた。しかし、それは熱をもって、冷気をもって、意志を持っていた。その二匹を強調し、また、隠し。それは舞でありながら戦いに移り変わり、そして対話へと、交わりへと、別れへと、再会へと、より様々な表情を見せ始めた。
人々は、呼吸する事さえも忘れた。
心の根が動いていなくとも誰も気付かない。外で何が起ころうともこの世界は崩されない。
ぱき、ぱき、と氷が弾ける音がする。ぼう、ぼう、と炎が立ち上る音がする。
固まった二つの舞が、解け始める。
炎と氷の舞が、また、離れた。
氷が弾け、炎が受け止めた。炎が弾け、氷が受け止めた。
捻じれを失い、また、別々となる。
それは、完全に相反するものとなり、そして崩壊していく。
世界の終わりのように。恐怖さえ覚えた。絶望し、涙を流す者さえ居た。
そして、弾けて、最後に残ったものは、一つの鬼火に包まれた氷の塊だった。
とろ、とろと溶けて、それは水となった。
八
自分の身体の奥深くに沈めた自我は、舞の記憶もおぼろげだ。
部屋に戻る最中に自我が完全に戻る。後ろには、その、遠方から来たキュウコンが居た。
おぼろげな中で、色々な事を理解していた。
このキュウコンは、遥か南で暮らしていた。トレーナーに捕らえられて、ここまで来ていた。このキュウコンの舞は、このキュウコンの歴史そのものだった。自分にとってもそれは同じなのかもしれない。
互いに舞える者同士、一緒に舞うと言う事は、互いの身体を、歴史を覗く事に等しかった。
そして、もう一つ。
階段の窓から見える人々は、いつもより長い時間、虚ろなままになっていた。
疲労も激しい。自分達以上に。
ゴーストタイプのポケモンのように生命力を吸い取っている訳でもないが、老人がこの自分達の舞を見たとしたら、そのまま衰弱死してしまいそうだとも思えた。
自分の疲労はそう、いつもと大差はない。この氷のキュウコンが乱入して来たのにも、驚く事さえしなかった。自我が目覚める程の事では無かった。
舞は続けられた。そうであれば、舞に対しては何も問題は無かった。
ただ、自分として大した自覚が無くとも、より人々を深淵にまで誘ったらしい。
まあ、これからこのキュウコンと合わせて舞う事になろうとも、自分にはそう関係の無い事だ。そこ辺りの事は、人間達が勝手にやってくれるだろう。
階段を登り切る。一足先に自我を取り戻していたゾロアークとマフォクシーが自分と後ろのキュウコンを出迎えた。
後ろで、キュウコンが立ち止った。
振り返ると、何故か泣きそうな顔をしていた。
窓から、巨大な鋼の足が突っ込んで来た。
メタグロス。その鋼の足が一直線に自分目掛けて飛んで来た。
殴り飛ばされ、壁へ叩きつけられる。
部屋が一瞬で氷に包まれた。霰を降らすその力が、この部屋の中で濃く発せられた。
メタグロスが、応戦し始めたマフォクシーの炎とゾロアークのシャドーボールで怯み、氷のキュウコンの周りには氷の槍が大量に生成された。
自分は日照りの力で炎を纏い、それらを溶かした。
鼻血が出た。身体がやや痛む。でも、それだけだ。大した傷じゃない。
モンスターボールからポケモンが出て来た音がした。
「ルガルガン、アクセルロック」
「メタグロス、思念の頭突き」
冷淡な二つの声。
ぞくぞくと身体が震えて来る。殺意を身に受けたのは久しぶりだった。
しかもそれは、単純な殺意じゃない。相手が格上だと分かっている、挑戦者の殺意だった。
尾を逆立てる。日照りの力を一気に放つ。氷で包まれていた部屋が一瞬で燃え盛る。味方を優しい炎で包みながら、一気に敵を青い炎で包み込んだ。
メタグロスの身体が耐え切れずに溶け落ちていく音が聞こえた。
ルガルガンがそれでも耐えながら突き進んで来た。牙を剥き出しにした所へ炎を流し込み、そのまま焼け落ちた。
「キュウコン! 何をしている!」
氷で炎に対抗出来ると思ったのか。
物体が停止すれば終わりの氷に対して、幾らでも熱を与えられる炎に勝てると思っていたのか。
その氷のキュウコンは伏せて、必死に自分の身を守っていた。
それしか、させない。
今思えば、このキュウコンは、自分に警告しようとしていた。攻撃も一番先に奇襲出来る位置に居たけれど、全て一足遅れていた。
岩タイプや鋼タイプ。自身の弱点を突けるポケモン達に囲まれ、捕えられてからも抗えなかったのだろう。その身でありながら、自分を襲う事をどうにか拒絶しようとしていた。襲わなければいけない事を伝えようとしていた。
破壊光線が背後から飛んで来る。先に気付いたマフォクシーがそれを微かに捻じ曲げた。それは、崩れ落ち、既に息絶えていたルガルガンを粉々にした。
「……メタグロス、大爆発」
その掛け声の直後、ゾロアークとマフォクシーに近寄る。マフォクシーと自分が念動力と神通力で壁を張り、ゾロアークが闇の力を身から放って、壁を後ろから強く押した。
どろどろと溶けていたメタグロスが一気に弾け飛ぶ。
炎に包まれる中、氷のキュウコンが吹っ飛んだのが見えた。
メタグロスのはじけ飛んだ鋼の肉体が壁にぶつかり、溶けて貼り付く。
ゾロアークでは力が足りず、壁が押されていく。燃え盛る建物と爆風で建物が崩れ落ちている。異変に気付いて自我を取り戻した観客達が必死に逃げる声が聞こえた。
床が抜け落ちた。落ちていく最中、その背後にポリゴンzが居た。二度目の破壊光線、今度は自分の神通力で捻じ曲げ、そのまま返した。
ポリゴンzはどこかへ吹っ飛んで消えた。
がらがらと瓦礫が落ちて来る。瓦礫を全て灰としながら、前へ進んだ。
受けた殺意に対し、自分の底からも殺意が湧いて来る。抱いたのはいつ振りの事だろうか。
光球が空に作り出される。それは、長年生きて身に着いた、全てを干からびさせる程の日照りの力だ。水は全て、消え失せる。
人は複数。ポケモンはその人数の六倍。
それでも負ける気はしない。建物の外に出ると、目に付く場所に元凶のトレーナーが数人見えた。新しくモンスターボールを複数投げて来た。だが、トレーナーへも神通力の届く範囲だ。
トレーナーを捻じ折り、捨てた。
それだけで、ボールから新たに出て来たポケモンは戦意を失った。
殺意を向けられるのは嫌いじゃない。殺意に対しては、思う存分に殺意を以て返せるから。
長生きしてきたのは楽しい事ではないが、役に立つ事だ。殺意を返せるだけの力量は、長生きしている間に十二分に身に着いている。
不意打ちの先制は食らってしまったが、それ以上食らうつもりは無かった。
これでも捕えようとしたつもりなのだろう。
殺意を以て、更に疲れた所に不意打ちまでして挑まないと捕える事も出来ない、と思ったのは正解だ。
ただ、それでも何百年という時間を馬鹿にしている。
あの氷のキュウコンの歴史は、自分より確実に浅かった。人間よりは長く生きてはいるだろうが、この物量に押し負ける程度だ。
百年も生きていないポケモンや人間が束になった所で、何百年と生きて来た自分に負ける筈はない。
九
姿の見えない残ったトレーナーはポケモンにどこかからか逃げる指示を出して、一様に自身も逃げようとしていた。
させるものか。
残っていたポケモンを神通力で無理矢理振り向かせ、目を合わせた。
瞬時にとろん、と目が虚ろになり、そこから洗脳を仕掛ければ、好戦的な目になってトレーナーの元へ走って行く。
トレーナーに逆らえないのは、正気な時だけだ。
後はもう何もしなくて良い。主人を一心不乱に殺した後で、茫然として終わる。
振り返れば、自分の為に作られた建物と舞台が燃えていた。巻き込まれた人々やポケモン達が、少なからず死んでいた。
無関係の人やポケモンまで死んだのは、自分のせいというより、メタグロスに大爆発を指示したトレーナーのせいだろう。
あれで炎が一気に広がった。
ただ、少なくともその炎は、自分が撒き散らしたものだった。
日照りを収めれば、消防や警察やらがやって来るのが聞こえた。
気絶していた、氷のキュウコンの元へ歩いた。大分弱っていたが、生きていた。
このキュウコンは、あのトレーナーに付いて来たのではなく、連れて来られていた。
力及ばず負けて、か。
もう、縛り付けていたトレーナーは居ない。モンスターボールを壊せば、完全に自由だった。
……ただ。
自分はもう、ここには居られなかった。
相手が殺意さえも以て自分を捕えに来たとしても、返り討ちとしてそのトレーナーとポケモンを容赦なく殺害した。
無関係の人もその巻き添えにした。
ここは、人間の場所だ。人間のルールで動いている場所だ。どんな理由があろうとも、殺しは最もやってはいけない事の一つだった。
人間至上のルールに従うのは別に良い。ただ、従わされるのは御免だ。
起こすと、疲れた目で自分を見て来た。
自分にとっての幸せとは、日常を謳歌出来る事だ。
自分にとっての日常とは、様々な場所を渡り歩き、時々こうして留まり、そしてこうしてどこかへ去って行く事だ。
眩しい太陽と優しい月を毎日眺めながら。
心地良い晴れの日に日光を浴び、眠る前に月光を眺め、時折降る雨を鬱陶しく思いながら。
春の桜を眺め、夏の暑さをこの身で感じ、秋の滅びを見届け、冬の忍びの中で眠る。
こうして狙われる事も多々あった。間違いも何度も犯してきた。何の悪でも無い生物をこうして気付かず殺した事もあった。
そうした全てが、自分の日常だった。幸せでもあった。
無関係の人々やポケモンを結果として殺してしまった事にも、大して後悔はない。自分にも悪い点はあるのだろうが、自分が率先して殺した訳でもなく、運悪く死んだ程度の事だ。
ただ、それは自分だけの日常だった。自分だけの幸せだった。
異国に連れて来られ、トレーナーに従わされるだけの日々。それも、この氷のキュウコンにとっては悪くなかった可能性だってある。一緒に舞い、互いの歴史を覗き見たとは言え、詳しい事は分かっていない。
自分が勝手に自由にしたとも言える、この氷のキュウコンがこれからどうするべきか、それは自分が決める事ではない。
自分と同じくきっと、人間や並のポケモンより、遥かに長い、永い年月を過ごす事になるのだから。
どう過ごし、どう生きるか、それは己自身でゆっくりと決めていかなければいけない。
取り敢えず、自分は南に行こうと思う。そう、首で指し示すと、氷のキュウコンは目を閉じた。
その仕草が意味するのは、ここに留まるという意志だろう。
どうしてかは分からない。自分がトレーナーを容赦なく殺した事さえもまだ分かっていないかもしれないし、もしかしたら何となく察しているかもしれない。
少なくとも分かる事は、自分と道を共にする気は無いという事だ。
振り返り、マフォクシーとゾロアークを見る。
どうやら、ゾロアークもここに留まるようだった。
そうか、と思い出した。思い出す程度の事だった。
自分は父親だった。ゾロアークは母親だった。
自分の日常には、父親という部分は無かった。もう、自分は日常を過ごす事しか出来ないし、そこから外れようとも思っていない。
長い永い年月を過ごす内に、自分は自分の敷いた道の上しか歩かなくなっていた。それで多少後悔や嫌な目に遭おうとも、外れようとも思わなかった。
死を恐れる事も、そして父親にならない事も、もう、自分の日常だ。
マフォクシーだけを連れて、歩き始める。
ゾロアークはキュウコンの隣に座って、やってくる人々を待ち始めた。
月は、立ち上る煙で隠れつつあった。
十
やって来る人間達をのらりくらりと躱しながら、町の外まで出た。
実力では敵わない事を知ってか、無理に止めようとする人間は居なかったし、それはそれで幸いだった。
煙が収まって来ると、次第に霰が降り始めた。
何年か過ごした町を振り返って、空を見た。
星が、月が、隠れていく。
何を思っていたのか、これからどうしていくのか。これからこの町がどうなっていくのか。
分かりはしない。分かろうとも思わない。
ゆらゆらと生きるだけの自分が、またこの町を訪れる事があるかどうかさえも。
後悔はある。もっとこうすれば良い道はあっただろうと思う事もある。
考えれば、色んな道が開けて来る。実際それをすれば、もっと良い世界が開けて来る事もあるだろう。
けれど、そういう事は、永い年月を生きる自分には合わない事だ。
それすらも許容して、いつ来るか分からない死を恐れながら、待ち続ける。
それが自分の生き方だ。変える事はもう、きっと無いだろう。
ただ。
息を吐いて、頭を下げて、思う。
今日はちょっと、疲れた。
耳鳴りがする。何も音が聞こえない時に聞こえるアレだ。
それ以外、何もない。尻尾は固定されて動かせない。目隠しをされて何も見えない。手足も動かせない。体を少し、捩れるだけ。
ただ、それだけ。
真っ暗だった。ただただ、真っ暗だった。
死は、こんな感じなんだろうか。真っ暗。何も無い。いや、私はある。私は。私さえもが無くなるのが死だ、これは死ではない。
私は、生きている。私は考えている。
でも、それだけだ。こんな所で、拘束されている。
……あのダイケンキは、どうして私にこんな事をするのだろう。私は、死んでも良いと思っていた。ダイケンキはどうしてか、私を殺したくはなかったみたいだ。あの男を危険に晒したのに。ポカブを連れ去ったのに。色々と、人間にちょっかいを出したのに。人間にとって、私は悪なる存在なのに。どうして。
…………あ、駄目だ。
この暗闇の中で動けないと、何も出来ないと、思考を止めてしまうと、何か、駄目になる気がする。駄目だ。何か考えなきゃ、何か。とても怖い。
エンブオー……私は結局、何をさせたのだろう。呪いが掛かっている事を自覚させて、そしてその呪いに打ち勝てるか見たかったのか。エンブオー……あれは、呪いに打ち勝てなかった。後ちょっとの所で。そして、死んだ。死んだ。私に殺させるように仕向けて、死んだ。
あの目を、私は忘れる事は出来ないだろう。見てしまったあの目。ただただ、悲し気で、悲し気な、悲し気な目。絶望、恐怖、諦め、そんな先にあるような、虚ろな目。あのまま生きるより、死ぬ事を選んだ。エンブオー。
兄に、生きている意味を聞いた事がある。そんな事、兄は考えたりしなかったようだった。享楽的に生きている兄。羨ましかった。私は、この呪いを背負ったまま生きたくなかった。あのクソの父親が荒らしたここら一帯から逃げる事は、出来なかった。忘れる事は出来なかった。
私を殺そうとした母。壊れてしまった母。私に父親の面影を感じ、逃げる野生の獣達。私は……、私は……負けたくなかった。でも、勝つ方法が分からなかった。ずっと、ずっと、そして、今も。
勝つ方法は、きっと、無いのだろうとも思う。忘れる事も出来ない。逃げる事も出来ない。その父親はもうとっくに死んでいる。
多分、私はこれまで、いつか、この呪いに打ち勝てると思っていたのだろう。打ち勝てないと思ってしまった今、それを突きつけられてしまったような今、私は、もう本当に、呪いに負けてしまった。
この呪いと一生付き合っていく覚悟なんて、出来ない。したくない。
ああ……。…………。駄目だ、考えなきゃ、考えなきゃ。
やだ、でも、死ぬのは、嫌だ。こんな真っ暗の中、消えたくない。
嫌だ。消えたくない。……死にたくない。死にたくない。あんな死んでからも見せしめのような骨になるのは、嫌だ。死ぬなら、ちゃんと死にたい。何か、してから死にたい。私はまだ、何もしてない。
何か、何か、何をしたいんだ、私は。ああ、そうだ。私は、何をしたいかなんて、呪いに打ち勝ちたい以外、何も考えて来なかった。私は、私は、他に、何かしたい事は、あるんだろうか。
私は、何をしたい?
私は。
*****
獣同士の会話を聞く事は出来ない。どこかにそんな力を持つ人間が居るとも聞いた事があるが、俺はそんな特別な人間じゃない。特別な力なんて、何一つ持っちゃいない。獣の扱いだって良くない。
ただの、一般市民だ。獣を家畜として扱えるという点だけが、取り得の。
寝ていると、父とダイケンキがやってきた。
ダイケンキは心なしか、怒っているように見えた。
「こいつが、リザードンとサザンドラと話してきた。あのリザードン、生きる気力を失くしているみたいでな、こいつが目も耳も塞いで体も縛って、暗い場所に一匹で閉じ込めた」
「……随分とした事を」
それは、ポカブを泥棒しようとした人間や獣にやる罰だった。一日でも閉じ込めておけば、もう本当にげっそりとする程に、衰弱しきる。
何もされない。何も出来ない。
それによるストレスは、とてつもなく大きいものらしい。
「それで、サザンドラは別の場所でまあ、普通に監視している。
……リザードンに一番接していたのはお前だろう。お前にとってあいつは、どういう奴か分かるか?」
そう、唐突に聞かれて、少し悩んだ。
けれど、あの死んだサザンドラに対して執着をしている事、そして悩みも抱えている事は分かっている。
「賢い、とても賢い奴で、そして、それ故に、あの死んだサザンドラに対して強い悩みを抱え続けている」
そこまで言って、その悩みを解消する為に、今回のような事を起こしたのだろうとも、何となく思った。
ダイケンキは、俺の返答に対して、否定するような素振りは見せなかった。
「そうか。……ダイケンキは、リザードンを試しているんだと思う。
あれをされても、死にたいかどうか。
そうなのか?」
ダイケンキは軽く頷いた。歯が抜け落ちても、体が皴々でも、肉体が衰えても挙動には一つ一つ、芯がある。きっと、死ぬまでそうなのだろう。
「それで、だ。
その後、どうする?」
「もう、そのまま返す訳にもいかない、か」
人的被害も物的被害も、意外なほど少ない。けれど、こうして色々と仕掛けてきたのだからそのまま黙って野に返す訳にもいかない。
「……やっぱり、その専門の竜使いに渡すしかない気がする。
俺達家族、それにこの村の誰も、あの二匹を抑え込めはしない」
ダイケンキは、俺の事をじっと見ていた。
「……嫌なのか?」
ダイケンキは、反応しなかった。俺の事をじっと見たまま。
ただ、それは肯定と大体同じだった。
その時、父がおもむろに口を開いた。
「……俺達は・・・そうするしかないんだ」
ダイケンキが、父の方を向いた。
「……小さい頃から、長い付き合いだったな、お前とは。けれど、お前があの二匹に対してどう思ってるか、長く深く付き合って来た俺でも分からないし、そしてお前にとって、それ以上の最善があるのかもしれない」
ダイケンキは、最善じゃない、というように首を振った。
「良いんだ、別に。お前の意志を俺は理解出来ない。
それに、あの20年前から、ずっと思ってたんだ。お前に助けられた事はあっても、お前を助けた事は無いな、って。
そんな事、お前は気にしてないかもしれないが、俺は、ずっと気にしていた。ありがとうとか、そんな言葉だけじゃ、貸しを返せない。そう思ってた。
……お前がしたい事があるなら、してもいいさ。俺が全て責任を持つ。
そんな事が、貸しを返す事になるか、分からないが」
ダイケンキは、何度か瞬きをして、そして一足先に部屋を出て行った。
「……父さん」
父は、何も答えなかった。
無言のまま、暫く立っていた。それから一言、寝るか、と言って出て行った。
骨折の痛みも、タブンネの癒しの波導である程度は和らいでいる。俺の隣のエレザードが寝ぼけまなこで、俺を見ていた。
「…………」
何か問いかけようと思ったが、何も問いかけられなかった。
頭を撫でて、蝋燭を消した。
月明かりが、窓から差し込んでいた。
「…………賢いって、嫌だな」
ふと呟いたそれが、誰に対しての事なのか、俺自身分からなかった。
タブンネの癒しの波導でも、骨折となると中々治らなかった。しかも、折れたのは腿の骨だ。ひと月位は安静にしておいた方が良いだろうと言われた。
「何があったんだ?」
父にそう聞かれるが、俺は、事実をそのまま説明するしか出来なかった。それが何を意味するのかは、獣同士でしか分からないだろう。
エレザードは俺の上で丸まっている。リザードンに気絶させられた事すらも覚えていないようで、けれど何かに怯えるように目を閉じていた。
鳥獣使いがそれからやってきた。
「サザンドラを倒したんですってね」
そう言うと、ラッキーだった、というような安堵とも、不満とも言えるような顔をした。
「……俺達が戦いを挑んでも、殺意を向けて来なかった。あいつは、時間稼ぎに徹しようとしていた。
そこを突けただけだ。
本気で殺そうとしてきてたら、どうなったか分からない」
そんな事言いながらも、鳥獣使いにもピジョットにも、傷は殆ど無かった。
「俺の仕事はこれで終わりかな?」
「……ええ、そうですね」
「あの二匹はどうするんだ?」
「……正直、分かりません。20年前のサザンドラとは全く違う。人間を分かっている。人間を殺していない。
被害は、ポカブ数匹と、豚舎の壁と、俺の骨折だけ。
捕えられたなら、殺すまでも無いかと思ってます。……それに、殺すのは勿体ないとも」
あのチャオブー、エンブオーに殺されそうになったとは言え、それの原因がリザードンだとは言え、リザードン自身は人間には危害を加えようとは思っていなかったし、それをさせないように振る舞っていた。
「同感だ。
でも、もし手が余るようだったらこちらで引き取ろう。良い竜使いを数人知ってる」
「……分かりました。ありがとうございます」
そう言うと、去って行った。
*****
色んな考えが頭の中をぐるぐると渦巻いていた。
腕も足も口も縛られて、兄と一緒に暗い場所に閉じ込められた、その間、ずっと。
兄が幾ら解こうとしても、全く解ける気配はなかった。私の爪も、完全に縛られてどこかの紐を切る事も出来無さそうだった。
殴られた頭が、頬が、じんわりと痛かった。とても、重い痛みだった。
私は、私は……。
その時、がらがら、と目の前の扉が開いた。入って来たのは、数匹のダイケンキと、一人の男だった。エレザードを連れていた男をそのまま老いたようにしたような。父か、祖父といったところだろう。
兄が怯えた。その前足に収められている脚刀に対してだろう。
私は、未だに、自分の命すらもどうでも良くなっていた。
老いたダイケンキが、脚刀を抜いた。老いていても、その脚刀は刃毀れ一つも無かった。
それで、私の口を縛っていた紐を切った。怯える兄のも切った。
――……目的は、ある程度察しはつくが。一応聞く。何でこんな事した?
私は答えた。
――家畜として生きて来て、真実を知ったポカブの生きる姿を見たかった。
――何故?
――そうすれば、私がどうするべきか、それが掴めるかと思ったから。
――それで、そのサザンドラは?
――私の、腹違いの兄。
――……そうか。
口が自由になっただけで、手足は縛られたまま。そして、数匹のダイケンキが私達の周りを囲んでいた。脚刀もそれぞれ抜いていた。
――それで、どうしてエンブオーを殺したんだ? どうして、その後逃げなかったんだ? 聞くところによれば、その兄を助けようとも、逃げようともしなかったようじゃないか。
兄は、それを聞いて驚いていた。
――……。エンブオーは、壁を破壊して、ポカブ達を助けようとしたんだけれど、でもポカブ達は壁を壊して入って来たエンブオーを見て怯えて、誰も逃げようとしなかった。エンブオーを、味方と誰も思わなかった。それに絶望して……エンブオーは自殺した。
――自殺? お前が殺したんじゃないのか?
――自殺だった。あれは。
殴って来た。二度も、三度も。そして、私はもう、エンブオーが狂ってしまったと思った。
そして、尻尾の炎で怯ませ、そのまま爪で首を切り裂いた。
切り裂いた、その瞬間、エンブオーの顔が見えた。その顔は、その目は、狂っていなかった。
悲し気で、悲し気で。
純粋にただ、それだけだった。
――……なんか、分かっちゃった。生まれついた呪いは、ずっとまとわりつくんだと。忘れるとか、無視するとか、解消するとか、そういうのが出来なかったら、ずっとずっと、その呪いを背負って生きていかなきゃいけないんだと。その呪いに負けたら、もう、死ぬしかないんだと。…………嫌だなあ。
――……。
――私を、殺すの?
――……いや。どうやら、それは無い。
――そう。
――他人事みたいに言って。
ダイケンキは、怒ったように言った。
――死んだら、終わりなんだ。何もかもが終わるんだ。その先に何が待っているかなんて、誰も知らない。死ぬっていうのは、永遠の暗闇に放り込まれるようなもんだ。ずっと、ずっとだ。入り口があっても出口は無い。戻る事も出来ない。そんな完全に真っ暗な、闇だ。そこに自分から入りに行くのか?
――完全な、闇……。
――ああ、そうか。お前は知らないな? その炎があるからか?
――なら、味わわせてやるよ。完全な闇をな。それでも死にたかったら、殺してやるよ。おい、サザンドラは別の所へ連れて行け。それで、目隠しと、口も耳もだ。
目隠しがされて、耳をふさがれた。
私はただ、それを黙って受け入れていた。
目隠しをされる寸前、兄の顔が見えた。こんな私の身を心配そうに案じている顔だった。
*****
動けないまま連れ出された。
――あんたが、あのダイケンキか。
――あの、というのはお前の父親を殺した、でいいのか?
――ああ。
まじまじと見てみれば、もう生気も欠けているほどに、老いている。けれども、老いていても、衰えていない、そんな印象がある。
――恨みはあるか?
――無いね。妹のように俺は生きていない。……それで、俺と妹はこれからどうなるんだ?
一番気になるのはそれだった。そもそも、負けるつもりなんて全く無かった。それなのに、あの鳥と人間に、訳の分からない内に抑えられてしまった。
――ま、高い可能性で、あのピジョットのようになるね。
ピジョット……あの鳥の事だろう。確認すれば、その通りだった。
――あのピジョット、か……。あんなの見たことなかった。……まあ、ああいうのも悪くはないかな……。
――そういうものか?
――そういうもんさ。
――それで、こっちからも質問だ。お前もサザンドラ、お前の父親もサザンドラ、なのにどうしてああも違う? いや、お前の父親は、何だったんだ? どうしてあういう生き方をしてたんだ?
――単なる先祖返りだよ、あれは。
元々、サザンドラという種族は、全部あんな生き方をしていた。誰もが好き勝手に全てを破壊しながら生きていた。けれど、獣と人間が結託して、反撃し始めて、一気に数が減って行った。
生き残ったのは、賢かった、恐怖した、珍しかった気性の穏やかな、ほんの僅かなサザンドラだけ。今生きているサザンドラは全て、その僅かなサザンドラ達の子孫である。
――俺達の種族にだけ言い伝えられている、大昔の話さ。
――人間の中でも言い伝えられてないが、本当か?
――俺も聞いただけだ。本当かは知らない。でも、ああして実際に居たんだ。俺は信じている。
――……分かった。じゃあ、そろそろ、な。私ももう、とうに寝る時間を過ぎている。
そう言って、俺の口はまた、縛られた。
何も出来ないまま、連れて行かれる。殺される事は多分無いにせよ、全く何も出来ないというのは、恐怖だった。
けれど、会話が終わり、俺も別の場所に連れて行かれる時に一番案じた事はやはり、妹の事だった。
妹は……どうなるのだろう。俺は妹でもないし、妹の思っている事など、誰も分かる訳ではない。エンブオーが自殺した、とはどういう事だったのだろう。
あいつは、呪いを解こうとして、もしかしたら新しい呪いを身に受けてしまったのかもしれない。
そんなの……辛過ぎる。
走る俺に対し、チャオブーは迎え撃とうとか動かなかった。顔面に向けて槍を突き出し、後ろに跳んで躱される。二度、三度と槍を突き出すものの、後退して全て避けられた。
「どうした? 助けたくないのか?」
半ば勝手に口から言葉が出て来る。余裕から出て来る言葉ではなく、緊張から出て来る言葉だった。
追い打ちを仕掛けようと、足を更に前に出す。
「ごほっ」
その時、咳が唐突に出た。急に息が苦しくなってきていた。
……スモッグだ。
足が止まったのを見て、チャオブーが体に炎を纏って突進して来た。ニトロチャージ、槍を構え直す時間はあった。
けれどチャオブーはそのまま突っ込んで来た。突き出した槍は、腕で受け止められた。
……妙に硬かった。チャオブーは突進して来たというのに、骨にまで突き刺さった感触が全く無かった。
そのまま槍を払われ、体が前につんのめった。槍の感覚は、肉が少し切れただけだった。
チャオブーは、俺の懐に潜り込んだ。咄嗟に片腕で胸を守った。
飛び出した肉弾が、その片腕に容赦なくぶつかった。
ぼきり、と音がした。
「っあっ、ぐっ」
弾けるような痛み、着地したチャオブー。
歯を食いしばった。死にたくない。殺されたくない。
折れていない方の腕で握り締めたままの短槍で、チャオブーを殴りつけた。けれど怯まなかった。俺の腿が突っ張られた。みしぃ、と骨が軋む。俺がもう一度槍で殴りつける前に、更に、腿を殴られて、足が折れた感覚がした。
膝を付く、眼前にチャオブーの顔がある。加えて殴ろうとするそのチャオブーの蹄に、何か物が挟まっているのが見えた。
それは、見た事があるものだった。そして、さっきの違和感でそれの正体が、分かった。顔面に向けられた蹄を何とか避けた。その蹄に挟まっている物を、短い槍で弾いた。
「進化の輝石……」
片腕と片足が折れた。酷く痛い。それも、一番最初、チャオブーが妙に硬かったのが原因だ。
妙に硬かったのは、この石のせいだ。
進化前の獣が持つと、何故か硬くなる石。焦ったチャオブーの腹に、槍を突き刺した。
深くは、突き刺さらなかった。けれど、反撃に殴られたその力はとても弱っていた。
槍が抜けた腹から血がだらだらと流れ出す。チャオブーも膝を付いた。そして、びくびくと震えはじめた。
……? 毒なんて塗ってない。
嫌な予感がした。心臓が竦み上がった。
……リザードンは、戦いそのものに手を出さなかったとしても、チャオブーがここまで来れるようなお膳立てはしたはずだ。
その目的なんて分からないが、ポカブからチャオブーに進化もしていた。
進化の輝石なんてものも与えていた。
けれど、そこで終わりじゃなかったとしたら。 チャオブーの進化形のエンブオー……その顎髭は常に燃え続けていて、非常に目立つ。わざと進化してなかっただけだったら。
槍をもう一度突き刺そうとして、その槍を掴まれた。強い力で引っ張られ、奪われた。
「あ、あ……」
まだ、助けは来ない。祖父や父が村の人達を連れて来るよう言っていたのに、まだ。まだ。
めきめきと大きくなるその姿。突き刺した腕と腹の傷はみるみる小さくなった。膝をついている俺と同じ大きさだったのに、一気に倍以上に大きくなった。
足と腕は、人間ではとても太刀打ち出来ない太さになった。
エンブオーは、槍を折って投げ捨てた。
燃え盛る顎髭に照らされたその顔は、俺への憎しみで満ち溢れていた。拳が握られて、頭が真っ白になった。
けれど、いつまで経っても俺の意識はまだ、あった。
――何故止める! 殺させろ!
――駄目だ。
リザードンは、その拳を止めていた。
――どうして!
――人間を殺すって事は、それ以上の報復が待ち受けているからだ。
口が詰まったエンブオーに、リザードンは続けた。
――それに、もう時間が無いぞ。そろそろ他の人間達が来る頃だ。
――……。
エンブオーは、渋々と言ったように、また壁を壊し始めた。
強くなった肉体では、壁はそんな苦労せずに壊れ始めた。みしみし、と音を立て始め、支柱が裂ける音がし、そして、壁が壊れた。
エンブオーは叫んだ。
――助けに来たよ、みんな!
中は、狂乱している、ポカブ達だけだった。
――みんな……? みんな、僕だよ! 助けに来たよ! 助けに来たってば!
けれど、その言葉に誰も、反応しなかった。ただ、その壁を破って来たエンブオーに怯えて、中には狂ってしまったポカブもいた。
――どうして……? どうして! みんな、逃げてよ! ここに居たらみんな食べられちゃうんだ! だから! みんな、逃げようよ! はやく、ねえ、外に出れるんだよ! ねえったら!
必死に話しかけても、誰も耳を貸そうとしない。そもそも、ポカブ達は言葉を解せなかった。エンブオーがそれに気付いた時、リザードンが破れた壁の後ろで、言った。
――人間達がもうすぐ近くまで来てる。逃げないとマズい。
エンブオーは、それを聞いて震えはじめた。
――う、う、う……。ああ、ああ! なんで、どうして! あああああああ! ああああああああっ! ああああアアアアッ!
エンブオーは叫んだ。豚舎さえもが震えるほどに。
そして、止まった。
リザードンがその腕に触れようとして、エンブオーはそれを思い切り払った。
――どうして、どうして……。
涙を流しながら、エンブオーは、狂ったように腕を振り回し始めた。すぐ側に居た、リザードンに向って。
――おい……。
リザードンの呼びかけは、通じなかった。滅茶苦茶に振るわれる拳、そして炎も吐こうとしていた。
リザードンの後ろには、動けない男が居た。
――…………。
エンブオーは、止めようとしなかった。リザードンの頭に、一発、拳が入った。二発、三発。
それでも、エンブオーは止めようとしなかった。
――…………。
リザードンは身を翻した。尻尾の炎がエンブオーの目の前を通り過ぎる。
びくっ、とエンブオーは一瞬、震えた。
その次の瞬間、リザードンは回転した勢いで、爪をエンブオーの首に振り下ろしていた。
血が、噴き出した。
エンブオーは膝を付いて倒れ、そして呆気なく、動かなくなった。リザードンは力なく、座った。
その後ろ姿は、とても悲し気だった。
何をしたかったのか、それは結局分からないままにしても、リザードン自身、こんな結末を迎えるとは予想していなかったのだろう。
項垂れて、尻尾の炎も小さくなっていた。
そしてやっと、人がやってきた。
「おい、大丈夫か? ……そいつは!」
「…………大丈夫だ、こいつは人間には危害を加えない。
とにかく、俺と、屋上で気絶してるエレザードだけ、運んでくれ。
俺、今動けないんだ」
「あ、ああ。って、動けないって何があった」
「そこで死んでるエンブオーにやられたんだ、リザードンじゃない」
「そのリザードンが助けた、のか?」
「……何と言うかな、そうとも言えるし、そうとも言えない」
「なんだそれ」
人が多くやって来ても、リザードンはそこから動かなかった。
眠り粉を掛けられようとも、全く動かなかった。自暴自棄になっているように。
倒れて、眠ったのを確認されてから、どうする? と聞かれる。
「……どうするか。
そう言えば、サザンドラは?」
「あの鳥獣使いが抑え込んだよ。殺してはないみたいだが」
「そうか……。そうだな、こいつも殺さないでおいてくれ」
「……ああ、分かった」
縛られて、俺とエレザードと一緒に、連れて行かれる。
そして、壁の応急的な修復が始まろうとしていた。ポカブ達は、誰も外へは出なかった。誰も、逃げなかった。
一気に目が覚めた。激しい爆発音。震えるガラス。窓の向こうには、ちりちりと燃え始める牧場の草地と、その炎で見えるどでかいクレーター。
「何だ!?」
寝巻のまま階段を駆け下り、エレザードを呼ぶ。短槍を持ち、外に出た。
月明かりだけの夜。町では火が焚かれ始めていた。
何が居る、誰が居る? リザードン? そんな訳ないだろう。あいつが訳も無くこんな事をするとは思えない。
その時、眩い光が新たに視界に入った。
次第に縮んで行くその光は、更に輝きを増していく。その光の正体は、サザンドラだった。
「サザンドラ……?」
出て来た父と祖父も、唖然としていた。
何故? どうしてこんな時間に? 何をしに?
その全てが分からない。光が、飛んで来た。唖然としている俺達家族の、その隣に。
爆発して、耳がイカれそうになる。体が思わず吹き飛びそうだった。着弾した場所は、耳がイカれない、体が吹き飛ばない、けれど、絶妙に恐怖を感じる、そんな場所だった。
「おかしい……」
父が呟いた。俺も、祖父も、そう思った。
サザンドラは、狙ってこの場所に破壊光線を撃った。外した訳じゃない。
その時、空から人がやって来た。ピジョットに乗った鳥獣使いだ。
「リザードンじゃないな?」
「驚いてます……。でも、リザードン同様に、恨みを買わないようにしている節があります。
そうじゃなきゃ、俺達はもう、死んでいる」
隣のクレーターを見て、俺はそう言った。
「何か目的があるな」
「そう思います」
「リザードンもこの近くに来ていると想定して良いだろう」
「……まさか」
小屋、豚舎を狙っている? 頑丈に作ってあるとは言え、獣の強力な技に耐えられるようにまで耐えられるようには出来てない。壊されるとしたら、時間の問題だ。
……いや、だったら。どうして、あのサザンドラが豚舎を破壊しないんだ? あの破壊光線を一発当てれば、豚舎なんて弾け飛ぶ。
くそ、分からない。
鳥獣使いが口を挟んだ。
「問題は、俺は、獣をこいつしか持っていないって事だ。対象は一体、そう聞いていたから、俺が寄越されたし、この状況は俺も想定していない。
どうする? これは俺が決めるより、雇い主であるあんたらが決める事だろう」
父と祖父と、話し合った。父も祖父も、戦える獣を持っていない。祖父はもう、自分の相棒とも死に別れ、新たに組む事をしていない。父の相棒は、死にゆく間際だ。新たな相棒はまだ、作っていない。
そして俺のエレザードは、そう強くない。俺自身も。
それでも、俺達家族は、決めなければいけなかった。
「……サザンドラの対処を、お願いします」
サザンドラのしている事は、陽動、そして、豚舎へ行かせない事だろう。何をするにせよ、サザンドラを抑えなければ、俺は何も出来ない。
「分かった」
そう言って、ピジョットに乗って、鳥獣使いは空へ飛んで行った。宙で光に包まれ、その次の瞬間、ピジョットの姿が変化していた。
「あれがメガシンカ……」
一際大きくなり、体色の変化、トサカが変貌。羽ばたきによる強烈な風が、ここまで届いて来る。
サザンドラが再度、破壊光線を放った。それは、メガピジョットのすぐ脇をすり抜けて行った。脅しは、もう意味を為していなかった。
……驚いている暇はない。
俺も、行かなければ。
リザードンは一体、何をしようとしているんだ?
とにかく、それを知らなければ何も始まらない。
松明も持たずに、ひっそりと豚舎に近付いて行く。リザードンの尻尾の炎は見えない。
ただ、音は聞こえて来た。ドン、ドン、壁を強く叩く音だ。
牛舎狙いである事は間違いない。ただ、どうしてサザンドラの破壊光線で壊そうとしないのか、それが分からない。
……。
サザンドラとピジョットの方を見た。
三つの口から放たれる火炎放射を高速移動で躱し、そしてその翼から象られる暴風が、サザンドラを包み込んだ。
鳥獣使いが言っていた事を思い出す。
「メガシンカするとこいつは、一切の攻撃を躱せなくなり、そしてこちらの攻撃が全て当たるようになる。
とにかく、敵に一直線になっちまう訳だ。
それを、俺がサポートする。上に乗って、俺が敵の動きを読んで、こいつの体に直接指示する。そうすれば、こいつは敵の攻撃を躱し、そしてこちら側からは一方的に攻撃を当てられるようになる」
それが、単純に実行されていた。命懸けでなければ出来ない事を、淡々と。
聞いた時から違う生物だ、と何となく思った。あんな、専門家とは俺は全く違う。
顔を前に戻す。相変わらず、リザードンの尻尾の炎は見えない。そして、叩いている音は相変わらず聞こえる。
かなり強い音だ。中のポカブ達の悲鳴も聞こえる。
サザンドラは、リザードンの仲間だろう。だとしたら、リザードン以外にも仲間が居る? だとしても、おかしい。豚舎を破壊する事そのものは、一番の目的じゃない?
だったら、何だ。
訳が分からない。
豚舎にこっそり、こっそり近付いて行く。月明かりだけの中、段々と叩いている誰かの輪郭が見えて来た。
「……チャオブー?」
何故、ここに。
リザードンが、生かしていた? それ以外に余り考えられない。野生のポカブはここ辺りに居ないし、脱走した形跡も無い。
だとしても、チャオブーに助けさせる事に何の意味があるんだ。何もかも、分からない。
豚舎まで辿り着いた。壁に張り付き、槍を握り直す。ポカブ達の悲鳴が、耳を支配している。角の向こうで、チャオブーが、ポカブ達を助けようと壁を壊そうとしている。
手に、短槍に汗が滲んでいた。狩りをした事は、一応ある。一応だ。この手で、屠殺でなく、単純に獣を殺した事は、一応ある。その程度だ。
面と向かって戦闘なんてほぼした事ない。槍術も、一応身に付けている程度だ。
でも、こっちにはエレザードも居る。電撃が使える。それなら、問題はない。問題はない。
暴れたポカブとそんなに変わらない。四つ足じゃないから、動きも鈍いはずだ。大丈夫、大丈夫だ。チャオブーを止めるのには、何の問題も無い。
ぎゅっ、と短槍を握り直した時、後ろから唐突に押された。
「えっ?」
後ろには、いつの間にかリザードンが居た。片手にエレザードの首を握っていた。エレザードは気を失っていた。
ポカブ達の悲鳴のせいで、全く気付けなかった。
俺は、チャオブーの目の前に出された。
チャオブーは、俺を恨みの籠った目で見て来た。壁を叩く音は、失せた。
俺の腰位までしかないその高さで。格闘の気が入り、筋肉質になったその体で、俺に激しい憎悪を向けて来た。
リザードンの羽ばたきの音が聞こえて、屋根に座ったのが見えた。エレザードも掴んだまま。
チャオブーがリザードンを見る。何かしら会話らしきものをしたらしいが、どうやら、リザードンは手出しはしないようだった。
戦わせる事が目的だった? どうして、何故。
ただ、そんな事を考えている余裕はなかった。心臓が高鳴っている。
虚勢を張るように、俺は言った。
「殺してみろよ。助けたかったらな」
そんな事を言おうとも、緊張は収まらない。心臓は静まらない。でも、腹を括った。殺さなければいけない。俺の為に。俺達家族の為に。
そして俺は、悪役だ。紛れも無く、チャオブーから見たら、悪役だ。
利益の為に相棒にもなれる獣を、育てて殺して食べている。そんな事をしている以上、それで飯を食っている以上、こうなる可能性だってちゃんと分かっていたはずだ。
短槍を一回しし、腰を落として、構えた。
チャオブーが息を吸いこんだ。俺は、走った。
タグ: | 【マッシブーン】 |
むしゃくしゃして書いた。
にっかさんのこれ(http://fesix.sakura.ne.jp/contest/2017/alola/041.html)が好きなんです。
流血表現?があります。
昔々あるところにおじいさんとおばあさんがいました。
ある日おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。
おばあさんが洗濯をしていると、川上からどんぶらこどんぶらことそれはそれは大きなモモンの実が流れて来るのが見えました。
それを見たおばあさんは突然ハッスルすると、その大きなモモンを川から拾い上げ、家に持ち帰ってしまいました。
さてその大きなモモンをぱっかーんと割ると中からなんと、
それはそれは立派な筋肉! マッスル!!
そう、マッシブーン(ミニ)が出てきました。
たしかに立派な筋肉! たくましい体! でしたが、いかんせん生まれたばかりですからまだまだ未熟な筋肉です。マッシブーンは、子どものいなかったおじいさんおばあさんに養育されることになりました。
マッシブーンは人間と違って全身が赤かったり(まさに赤子ですね!)、四本足であったり、背中に羽が生えていたり、鳥のようなとがった口を持っていたりしましたが、まあ些事です。立派な筋肉! の前にはすべては些事です。
マッシブーンはモモンから生まれたので、桃=マッシブーン太郎と名付けられました。
ムキッ! お祝いのフロントダブルバイセップス!(腕を肩の上でムキッ! として上腕二頭筋をアピールするポーズ)
桃=マッシブーン太郎はすくすくと成長し、赤光りする筋肉! 素晴らしく鍛え上げられた体!!! となりました。
桃=マッシブーン太郎はひたすら己を鍛え上げ、ムキムキのマッスル!! を手に入れましたが、そうすると今度はこの筋肉! マッスル! そして溢れるパッション!! を誰かにぶつけたいと思うようになりました。己の全力をぶつけそして互いを高め合う相手を見つけたいのですが、生憎桃=マッシブーン太郎の住む場所は山奥でありそんな相手が見つかるはずもありませんでした。
そんなある日、所用でおじいさんと人里に下りた桃=マッシブーン太郎は、あちこちで悪さをする「鬼」の話を耳にしました。
マッスル溢れる桃=マッシブーン太郎には難しいことはわかりませんが、その鬼とやらであればこの筋肉! マッスル! そして溢れるパッション! をぶつけてもいいだろうということは筋肉! マッスル! でわかりました。
ですので桃=マッシブーン太郎は鬼退治に行くことにしました。
おばあさんは桃=マッシブーン太郎のためにおにぎりを握って持たせてくれました。
おじいさんは桃=マッシブーン太郎のために立派な陣羽織や刀を用意してあげようかと思いましたが、赤光りする筋肉! 鍛え上げられた肉体美!! を見て、そのままがいいと思ったのでそれはやめました。
おじいさんとおばあさんに見送られ、意気揚々と桃=マッシブーン太郎は筋肉! マッスル! 出発しました。
信じるは筋肉!! そして鍛え上げたこの筋肉!! 恐れるものは何もありません。
ムキッ! やる気全開のモストマスキュラー!(体をやや前傾にし、下ろした腕をムキッ! とするポーズ)
しばらく歩いていると、向こうからそこそこ大きなもふもふで橙色の犬がやってきました。
桃=マッシブーン太郎はとても大きな筋肉! マッスル! なのでそこそこの大きさに見えましたが、普通の人間からしたらとても大きな犬です。というかぶっちゃけウインディです。
ウインディは突然現れた桃=マッシブーン太郎の異様さに恐怖し、思わず襲いかかってしまいました。
しかし、その瞬間。
筋肉!! 咆哮!! 轟音!!
ウインディのすぐそばの地面が抉れました。ウインディはあまりの恐怖に情けない声を上げ、尻尾を隠してガクガク震えました。
マッスル溢れる体を持つため難しいことはわからない桃=マッシブーン太郎ですが、生き物を粉砕し辺りが血の海になるとおじいさんおばあさんが悲しそうな顔をするので極力しないようにしていたのです。
ですからウインディは命拾いしました。
あまりの出来事にウインディは盛大に下から漏らしていましたが、桃=マッシブーン太郎はそれに構わず先へ進むことにしました。
ムキッ! 口ほどでもない(?)のサイドチェスト!(体をやや斜めから見せるようにし片手でもう片方の手首を軽く握りムキッ! とするポーズ)
さてまたしばらく歩いていると、今度は"よがぱわー"溢れる小さな猿が、桃=マッシブーン太郎の前方にいました。
桃=マッシブーン太郎はとても大きな筋肉! 鍛え上げられたとても大きな筋肉! なので、それと比較すると小さな猿でしたが、実際はやや小柄程度の猿です。というか、ぶっちゃけチャーレムです。
チャーレムは溢れる"よがぱわー"により、どう考えても桃=マッシブーン太郎には敵わないことがわかったので、気配を察知するや否や木の上に逃げ出し、がたがた震えて盛大に失禁していました。
そこにやってきた桃=マッシブーン太郎。
筋肉! マッスル! が何かいると彼に囁いていましたが、同時に些事であることも伝えてきたので、鍛え上げられた肉体美!!! を何かに見せつけるように、ムキッ! と、よくわからんがとりあえずバックダブルバイセップス!(体の後ろの筋肉! を見せるポーズ。腕は肩の上でムキッ!)のポージングだけしておきました。
どうにかチャーレムは命拾いしました。
そのときチャーレムはあまりの出来事に気を失っていましたが、桃=マッシブーン太郎はそれに気づくこともなくそのまま先へ進みました。
さてまたしばらく歩いていると、今度は赤く流れるような冠羽が特徴的ないかにも勇ましい鳥が現れました。ぶっちゃけオスのケンホロウです。
ケンホロウは、桃=マッシブーン太郎のことを遠くから見つけ、タイプ相性よしと見なすや否や、桃=マッシブーン太郎を打ち倒すべく力を溜めて攻撃態勢を取っていました。あんなに恐ろしい存在は生かしておいてはいけないと思ったのです。
そんなケンホロウが待ち受けているところへ桃=マッシブーン太郎はやってきました。
今だ! とばかりにケンホロウは桃=マッシブーン太郎へ突っ込みました。渾身のゴッドバードです。
しかし、その瞬間。
筋肉!! 咆哮!! 轟音!!
哀れケンホロウは木っ端みじんになり、周囲を赤く染め上げました。
たしかに桃=マッシブーン太郎はおじいさんおばあさんが悲しそうな顔をするので、むやみに生き物を粉砕することはほとんどありませんでしたが、これは正当防衛なので何の問題もありません。
真正面から血を浴びたため、血も滴る素晴らしく鍛え上げられた筋肉!!! でしたが、血は乾くとカピカピになるので、桃=マッシブーン太郎は血を洗い流すべく川を探しました。
体を洗った川を赤く染め上げたので、周囲のポケモンたちは桃=マッシブーン太郎の存在に震え上がりましたが、まあ些事です。
ムキッ! 体を洗ってすっきりのアブドミナル・アンド・サイ!(腕を頭の上で組んでムキッ! とするポーズ)
さてまたしばらく歩いていると、海が見えてきました。海を見やると、おぼろげに島が見えました。
そう、鬼が住むという鬼ヶ島です。
ようやく見えた鬼ヶ島に、桃=マッシブーン太郎の溢れるパッション!!! は通常の三倍ほどにもなり、その勢いで桃=マッシブーン太郎は海へと飛び込みました。とうとう好敵手に会えるというものですから、まあ仕方のないことです。
桃=マッシブーン太郎が泳ぐのは初めてでしたが、そこは筋肉! マッスル! が泳ぎ方を囁いてくれるので何の問題もありません。それはもう見事なバタフライ泳法で水をかき分け鬼ヶ島へ突き進んでいきました。
さて鬼ヶ島側から見ると、得体の知れない何かが猛烈な勢いで水しぶきを上げて迫ってくるものですから、鬼たちは大慌てです。
桃=マッシブーン太郎が鬼ヶ島へ上陸すると、わらわらと小さな鬼が桃=マッシブーン太郎を取り囲みました。ちまたでは腕利鬼(わんりき)と呼ばれるその鬼ですが、まあぶっちゃけワンリキーです。
ワンリキーは小さな体ですが、大人の人間を百人投げ飛ばすほどの力を秘めている鬼です。しかしながら、桃=マッシブーン太郎の前では赤子同然です。いくら取り囲もうとも腕の一振りであっという間に追い払われてしまいました。
そうこうしているうちに、今度は剛利鬼(ごうりき)――まあぶっちゃけゴーリキーです――がやってきました。ワンリキーよりも骨はありますが、桃=マッシブーン太郎としてはまったくもってもの足りません。筋肉! マッスル! で、ちぎっては投げ、ちぎっては投げ、我が筋肉に勝るものなし!! とばかりに桃=マッシブーン太郎は突き進んでいきます。
やがてワンリキーもゴーリキーも現れなくなり、筋肉! マッスル! で難しいことはわからない桃=マッシブーン太郎も、さすがにおや? と思いました。
しかし、桃=マッシブーン太郎の鍛え上げられた筋肉!!! はこの先に強敵がいると囁いています。桃=マッシブーン太郎は臆することなく突き進みました。
そうしてしばらくすると怪利鬼(かいりき)と呼ばれる鬼――まあぶっちゃけカイリキーです――が桃=マッシブーン太郎の前に姿を現しました。しかも、四人もいます。今までの鬼たちよりも強敵の気配がします。
「やい、あやしい赤筋肉達磨め! 我ら鬼ヶ島四天王が成敗してくれる!」
四天王と名乗るからにはきっと強いのでしょう。
四天王たちは各々、フロントダブルバイセップス、サイドチェスト、バックダブルバイセップス、アブドミナル・アンド・サイといったマッスルポーズをとりました。桃=マッシブーン太郎も負けじと、ムキッ! とフロントラットスプレッドのポーズをとりました。(腕を軽く下ろしつつムキッ! とするポーズ)
「まずは東を司る私が相手だ」
一人のカイリキーが前へと出てきました。
桃=マッシブーン太郎はそのカイリキーと組み合うと、筋肉! マッスル! に軽く力を入れ、ぽいっとカイリキーを投げ飛ばしました。
ご大層なことを言う割にたいしたことはありません。これには桃=マッシブーン太郎もがっかりです。
「ひ、東のおおおおおおおお!!!!!!!!」
「ククク……所詮、彼奴は我ら四天王の中でも最弱……」
「お空、きれい」
どうにも言っていることはバラバラですが、まあ構いません。まとめて投げ飛ばせばいいだけですから。筋肉! マッスル! で難しいことはわからない桃=マッシブーン太郎にだって、そのくらいはわかります。
そういうわけで桃=マッシブーン太郎は前へと一歩踏み出しました。
四天王(笑)たちは、ひっ、と小さく悲鳴を上げて後ずさりました。
しかしそのとき、四天王の一人が首をぶんぶんと横に振り叫ぶように言いました。
「ええい、恐れる必要はない! 西の! 北の! 同時にやるぞ! 複数で行けばやつも対処できまい」
複数で襲いかかる時点で怖がっている証のような気もしますが、まとめ役らしい南の四天王が声をかけると、他の二人も我に返り、たちまち桃=マッシブーン太郎へ襲いかかります。
しかし、その瞬間。
筋肉!! 咆哮!! 轟音!!
桃=マッシブーン太郎は飛びかかってくるカイリキーたちを鍛え上げた素晴らしい筋肉! で投げ飛ばしました。さすが四天王を名乗るだけのことはあり、気絶こそしていましたが、どうやら大きな怪我を負うようなことはありませんでした。
さてそのときです。筋肉! マッスル! たくましい体! が強敵の気配を察知しました。
桃=マッシブーン太郎はそれに歓喜し、見る者もいないのにムキッ! ムキッ! とフロントダブルバイセップスのポーズをとりました。(腕を肩の上でムキッ! として上腕二頭筋をアピールするポーズ)
さあ、いよいよです。胸を高鳴らせ、桃=マッシブーン太郎は進みました。
果たしてそこには、先ほどいた四天王のカイリキーたちよりも一回りも二回りも大きなカイリキーがいました。桃=マッシブーン太郎に負けず劣らずの筋肉! マッスル! 鍛え上げられた筋肉!
もはや言葉などは不要。すべては筋肉! マッスル! で語り合うのみ。
桃=マッシブーン太郎は二本の腕、カイリキーは四本の腕。桃=マッシブーン太郎は不利でしょうか? いいえそんなことはありません。
真正面からがっぷり組み合うと、両者一歩もそこから動きません。
そう、鍛え上げられた筋肉! 上腕二頭筋! 前腕筋! 三角筋! 僧帽筋! 広背筋! 腹筋! 大臀筋! ありとあらゆる筋肉! がうなりを上げます。
彼らに迷いはなく、信じるは筋肉!! そして鍛え上げたこの筋肉!! 筋肉!! 筋肉!! そして筋肉!!
やがて均衡は崩れました。
筋肉!! 咆哮!! 轟音!!
土煙が消えたとき、そこに立っていたのは、桃=マッシブーン太郎でした。
我が筋肉に勝るものなし!! とばかりに桃=マッシブーン太郎は勝鬨(かちどき)を上げます。
フロントダブルバイセップス! サイドチェスト! バックダブルバイセップス! アブドミナル・アンド・サイ! そして渾身のモストマスキュラー!
「さあ、首を持って行け」
鬼たちの頭(かしら)であるカイリキーは地面に倒れ伏しながらそう言いました。しかし。
「何を言っている、我が好敵手(とも)よ!」
キェェェェェアァァァァァァァ!! シャ、シャベッタァァァァァァァァァァ!!!(ry
なんと桃=マッシブーン太郎が口を開きました。
「これから我らはここで筋肉! の楽園を作るのだ。そしてこの筋肉! マッスル! をともに鍛え上げるのだ!」
マッスル! ムキッ! と赤光りする筋肉! をアピールしつつ桃=マッシブーン太郎は言いました。
たしかに頭のカイリキーは桃=マッシブーン太郎に負けましたが、ここまで桃=マッシブーン太郎と渡り合える存在はそうはいません。桃=マッシブーン太郎はとても嬉しかったのです。楽しかったのです。
「好敵手(とも)よ、さあ立て」
桃=マッシブーン太郎は頭のカイリキーに手を差し出しました。頭のカイリキーはしばし見つめると、その手を取りました。
エンダアアアアアアアアアア(※違います
さてその後。桃=マッシブーン太郎は鬼たちがこれまで人々から奪ったものをすべて返却させました。筋肉! を鍛えるのに邪魔になるからです。
足りない分は体で返させました。つまり力仕事で。桃=マッシブーン太郎も素晴らしい筋肉! で手伝いました。
それらの作業がすべて終わると、あとはそう、トレーニングです。筋肉! という筋肉! を鍛えに鍛え上げるのです。
マッスル! ムキッ! マッスル! ムキッ! マッスル! ムキッ!
桃=マッシブーン太郎は鬼たちとともに筋肉! マッスル! を鍛え上げ、さらなるたくましい体! を作り上げ、ときには鬼たちと力比べをし、溢れるパッション! を発散し、幸せに暮らしました。
それはそれとして世界はダムの底に沈みました。
しかしまあ、筋肉ではどうしようもありません。
めでたしめでたし。
――
(たぶん)夏コミ前に途中まで書いて放置していたのを、むしゃくしゃしたので続きを書きました。
もう本当にね、にっかさんのあれが好きで。
三次創作?
でも、あれはやはりあの短さだからこそいいんだなとしみじみ思いました。
あと語彙力のなさがつらい。
正直これを読むと、これ書いたやつは馬鹿なんじゃないか?と思うけど、書いたのはわたしなのでつまり、ええ。
鬼の名称は鳩さんが青の器(http://masapoke.sakura.ne.jp/stocon/novel36.html)で使ってたりするのをお借りしました。
マッスルポーズ?はこちらのサイトを参考にしました。
https://kintorecamp.com/bodybuilding-poses/
これを書いてる間は楽しかったです。
それダムはいいぞ。
フォルクローレおよび鳥居の向こうの件で業務連絡です。
白色野菜さん、リナさん、もし掲示板を見ていたらNo.017 あてにメールをください
「鳥居の向こう」「フォルクローレ」配本の件でご連絡があります。
連絡先
pijyon@fk.schoolbus.jp
どうぞよろしくお願いいたします。
読みました。
「夏の終わりに」はホワイティ杯へ投稿頂いた内容からさらに加筆されたことで、主人公の心情がより分かりやすくなったと感じました。姉妹達とのやり取りもコミカルで微笑ましかったです。あと、部屋の中をコロコロ転がってそうなタマザラシたちがカワイイです。
「秋の始まりに」は、一線を超えた後の二人の様子が丁寧に描かれていて、二人の信頼というかいやむしろ愛情というか、そういった良い関係が伝わってくるお話でした。さりげなく新ポケであるナマコブシの特性が混じっていたりして、ちょっとクスッと来たりもしました。
10歳になると旅立つ、といったところを含む社会制度に関する設定は、私がお話を書くときに使っているものと近しいながら細部に違いが見られて、なるほどこういう解釈もあるのか、と勝手に納得したりしていました。この辺り、自分のお話でももっと掘り下げてみたいと思いました。
手短ですが、以上となります。お話を投稿頂きありがとうございました(*'ω'*)
タグ: | 【語り】 |
みなさまお久しぶりです。ホワイティ杯に投稿した作品の完全版がやっと完成しました。2000文字くらいは今日の午前1時から4時までに書いたものでろくに見直してないので間違いがあったらすみません。見つけ次第直します。
ここではあとがたり的な感じで色々語ろうかなあと。
この話の発端は586さん主催のホワイティ杯です。大会の話が出たとき私はとあるカップリングに夢中で他の話に時間を取る余裕も無かったのですが、夏の終わりってことは夏休みの宿題ネタは定番だろうなあとぼんやりと考えていたら、なんか降ってきたので即書きました。アイスのタマザラシはアイスの実モチーフで、仮面企画ならタマザラシ食っときゃバレないだろうという思考ですが、分かる人には分かっていたようです。
ホワイティ杯スタート直後に投稿し、その短さと異質さで話題をかっさらいましたが結果は最下位。ですが皆様の評価自体は悪くはなく、7年やってきただけはあるなあと成長を実感しました。
話の全体像を考え始めたのはホワイティ杯しめきり後。例のカップリングも一段落したので落ち着いてがっつり書くことにしました。
では本編の話に。
暁陸太、月影海人という名前はホウエンとアローラの伝説ポケモンから。時期的にぴったりだと思いました。
過去作品と繋げる案はわりとすぐに出てきました。昔のあの話と繋げればタマザラシを無理なく出せますし、世界観を一から考える必要もない。あの話も夏の終わりだし、丁度クーラー壊れてるし。一線を越えた彼らに対してはあたたか〜く見守ってやってほしいなという思いから腐女子一家に。父親に唯一無二の相手がいて、母親が腐女子ならあり得なくはないはずです。父と母のなれそめはきっと、仲良しの男性ふたりを見守りたいという母の想いからでしょう。
せっかく腐女子が3人揃ってるんだから姉は王道タイプ、妹はマイナータイプ、母はリバ推奨タイプに。母は強しです。
彼らの仲良しっぷりも最初から考えていました。ただのダチではなく、唯一無二の大切な人だからこそ一線を越えたことに悩む。深い絆で繋がっていることが分かるように描写には気を使いました。
家族構成も陸太に合わせる形で決まりました。陸太に姉と妹がいるなら海人はひとりっこ。ならさみしがりやだろうし、家が隣なら毎日泊まりに来れる。合法化するために両親の帰りが遅い設定に。
アローラの情報でナマコブシが登場した時に、これは是非出したいとねじ込むことに。同時にしめきりがサンムーン発売までに設定されました。
ポケモン要素が少ないと指摘されていたので、出来るだけ取り入れようと努力しました。あのポケモンバトルに出ていた水色ツインテールはグレイシアです。主人公は基礎の基礎は習っているのでホウエンのメジャーなポケモンは分かりますが、他地方のポケモンは知らないだろうなあと。
ここからは後編の話です。
一応名前の読みを出すのと、約束のシーンを入れるために冒頭で夢を出しました。どちら視点かは分かりませんが、彼らのことだから同時に同じ夢見てても不思議じゃないです。
トレーナーになるならないの話はポケモン要素を出そうと入れた物なので、本当の問題点は性の違いということになります。
問題になる性の話って大体同性愛者じゃないですか。いつまで入り口で立ち止まってるんですか。正直見飽きてるし、うんざりなんです。だから海人はバイセクシャル、陸太はデミセクシャルです。
流石に説明しますがデミセクシャルとは、簡単に説明すると『性別は関係なく、深く愛しあった者にのみ欲情する』という物です。分かりやすく言うと、エロ本やAVがオカズにならないということらしいです。デリケートな話ですし、もし間違ってたらすいません。ですが私はこれに計り知れない尊さを感じました。
男だからではなく、お前だからというテンプレを裏付けてるんです。この存在を知った時、私は神に感謝しました。深く愛しあった者のみに体を許す……尊いです、すこぶる尊いです。以後私の作品にはデミセクシャルのキャラが出てくるようになりました。
海人は陸太といつも一緒です。作中では文字数の都合で書けませんでしたが、当然行動や思考も似てくるはずです。大切な人と同じということが安心材料になるでしょう。ですがもしも、どうしようもない部分が違ったとすれば……違うことに不安を覚え、精神的に不安定になってもおかしくありません。でも陸太はそんなこと気にしません。彼にとってはどれだけ違おうが、海人であることに意味があるのです。だから優しく抱き締めて、大丈夫と背中を撫でるのです。彼らの未来が明るい物であることを願います。
……寝起きなのでこれ以上頭が働きません。まだまだ語りたいことはありますが、ひとまずこの辺りで。
最後に、この作品を生み出すきっかけになったホワイティ杯主催の586さん、評価してくださった皆様、リバだといいぞやれと背中を押してくださったGPSさん。本当に、ありがとうございました!
タグ: | 【サクラは犠牲になったのだ】 |
めっちゃ派手にやられたwwwww
というかイメージ画像wwwwwwwww
個人的には空気がぴしろと音を立てた時に周りがホワイトアウトして、
リョースケが、自分が氷づけにされる幻を見る、というのもよいかもしれないと思いました。
で、あれ、大丈夫だ、と思って前見たらサクラアアアア! みたいな。
まあそれはおいおい考えておきましょう。
感想ありがとうございますー!
> 例のアプリ発表から作品までの速さ……さすがきとかげさん……!
ネタに走ると速い体質です!
> 「アプリ」の出現から世界が塗り替えられていく描写が丁寧でぞくぞくします。
> でもこれ、きっかけが本当に「アプリ」とは書かれてないんですよね……。
> > 息子がスマホ片手に、しきりに虚空を掻いていた。
> 冒頭のこの時点ですでに息子にとってポケモンは「アプリ」の中の存在ではないですしね……。
いえいえ、もしかしたらとってもすごいVRやARかもしれませんよ……?(虚空を撫でながら)
> 落ち着きを取り戻したあたりで、「アプリ」の介助が必要なくなったということでしょうか?それって言わば次のステージへ進んだってことなのでは……。
> もしかしてこの医者の真の目的はそれだったのでは(考えすぎでは
いえいえ、もしかしたら本当に重度の中毒だったのかも(虚空を撫でながら)
冗談はさておき、アプリ中毒専門の医者というのもそういうことなのかも……? なんて感想を読みながら思いました。ネクストステージ……
> そもそも、この「アプリ」を作ったのは何者なのか……目的は何なのか……。考えるのも野暮かもしれませんが気になりますね……。
書いておいてなんですが、ブラックボックスですねえ、そこらへん。アプリの機能はその内に実現しそうではありますが、若干オーバーテクノロジーですしね……
> とりあえず自分はこれ読んで例のアプリ入れることを決めました(
ありがとうございます( これはこれとして、アプリの方も面白そうです……! 多分虚空なでなで機能はないと思いますが……思いますが……?
> そして部屋に引きこもりから謎の廃屋へ(違う
母さんの一人称が俺に(そこじゃない
しかし実際こんな状況が続いたら、謎の廃屋行きでしょうね……。
> レイヤーワールドがじわじわ拡がっていて久方さんは楽しいです(
広がるレイヤーワールド……! 私も非常に楽しませてもらってます(
感想ありがとうございました! あっ、餌の時間(何もないところを見つめながら)
拝読させていただきました!
例のアプリ発表から作品までの速さ……さすがきとかげさん……!
「アプリ」の出現から世界が塗り替えられていく描写が丁寧でぞくぞくします。
でもこれ、きっかけが本当に「アプリ」とは書かれてないんですよね……。
> 息子がスマホ片手に、しきりに虚空を掻いていた。
冒頭のこの時点ですでに息子にとってポケモンは「アプリ」の中の存在ではないですしね……。
お医者さんの対処も効果ないですしね……そもそもいわゆる中毒ではないでしょうから当然かもしれませんが……。
> その内に息子も落ち着きを取り戻し、宿題も言えばきちんと取りかかるようになった。
> 時々、床近くの空気を手で掻いていたが、私が見ているのに気づくと、すぐにやめた。
> 医者いわく、「アンインストール後の手持ち無沙汰を埋める行為」だそうだ。これも、時間が経てばなくなっていくのだろう。
もうこの時点で、「アプリ」は必要なくなってるんですよね……。
落ち着きを取り戻したあたりで、「アプリ」の介助が必要なくなったということでしょうか?それって言わば次のステージへ進んだってことなのでは……。
もしかしてこの医者の真の目的はそれだったのでは(考えすぎでは
そもそも、この「アプリ」を作ったのは何者なのか……目的は何なのか……。考えるのも野暮かもしれませんが気になりますね……。
とりあえず自分はこれ読んで例のアプリ入れることを決めました(
> 私には見えないだけで、車道を危なく横断するポケモンがいて、山の中でしか捕まえられないポケモンがいて、遠くのマグマ溜まりでは伝説のポケモンが眠っている。
> そう言われても、どれだけ世の中のニュースが書き換わっても、私には、ただのアプリしか見えないまま。
そして部屋に引きこもりから謎の廃屋へ(違う
レイヤーワールドがじわじわ拡がっていて久方さんは楽しいです(
素敵な作品を読ませていただきありがとうございました!!
(前書)
久方小風夜さま作「存在しなかった町」(http://masapoke.sakura.ne.jp/lesson2/wforum.cgi?no=3670&reno= ..... de=msgview)、「薄膜の上の誰かへ」(http://masapoke.sakura.ne.jp/rensai/wforum.cgi?no=1322&reno=4 ..... de=msgview)、586さま作「#142790 「置き換えられた記憶」」(http://masapoke.sakura.ne.jp/rensai/wforum.cgi?no=1235&reno=1 ..... de=msgview)に影響されました。これらも面白いので是非に。
どちらかのバーチャル
息子がスマホ片手に、しきりに虚空を掻いていた。
「こうすると喜ぶんだ」と言う彼のスマホには、この前捕まえたポケモンが映っているのだろう。
山に行きたい、と急に言われた時はどうしたんだと思ったものだが、リリースされたポケモンアプリのお陰らしかった。そこに行かないと好きなポケモンを捕まえられないとかで、山道の途中で、はしゃいでスマホをトントンして捕まえたそうだ。きっかけはどうあれ、インドア派な息子が少しは外で遊ぶ気になって、古臭い親心ではあるが、やはり嬉しい。
しゃがんでメールをいじっていた息子が立ち上がった。
「ユウちゃんたちと公園で遊んでくる」
門限までに帰るよう、言い含めて見送った。なんでもポケモンバトルは外でやったほうが迫力があって楽しいとかで、息子の約十年の人生で外に出た回数を考えると、ポケモンアプリさまさまである。
**
「コイツ、散歩すると喜ぶから」
そう言って息子はよく外出するようになった。
そしてその度、私は同じ注意をすることになった。
「スマホばっかり見て歩いたら、危ない」と。
息子は、それはもう、通い慣れた通学路でも、楽しそうに歩く。隣にソイツがいるのだと言って、頻繁にスマホ画面でソイツの姿を確かめながら。
「危ないから、やめなさい」
「でも、コイツが車道に出て轢かれてたりしたら」
息子の心配事に、私は思わずふき出した。
「アプリが轢かれるわけないでしょう」
息子はちっとも納得しなかった。
「ユウちゃん、コラッタが轢かれたの見たって」
それはきっと、アプリが車が映ったのを判断して、そういう演出を入れたのだろう。リアルは結構だが、やりすぎではないだろうか? 苦情を入れるべきだろうか。
苦情は後で考えることにして、息子のほうは、歩きスマホをするならスマホを取り上げる、と脅して、やっとやめさせた。
それでも息子は気になるのか、しょっちゅう立ち止まっては、アプリを起動して、ポケモンの姿を確認しているようだった。
**
「アプリ中毒?」
人は色んな物に中毒する。アプリ中毒はスマホ中毒に似ているが、違うらしい。
「ええ、ユウくんもアプリ中毒で大変なんだって。ポケモンの様子が気になるって、スマホを手放さないし」
噂好きのママ友は声を低めた。
「スマホを取り上げたら、すっごい大声出して暴れるんだって。ユウくんいい子だったのに、いやねえ」
いやと言うわりには、彼女の顔は舌なめずりでもしそうになっている。うちの子もハマってて、心配だわと付け加える声が空々しい。
そうそう、最近はアプリ中毒専門のお医者さんもいるらしいわよ。ハマり始めに早めに対処したほうがいいんだって。ママ友はそんな情報を置いて去っていった。
**
もう学校から帰ってきているはずだ。子供部屋のドアをそっと開く。
息子は床に座りこみ、スマホを横目で確認しながら、指を空中に這わせていた。
その腕はなにかを抱える形に曲げられていて、息子にとって大切なものがそこにあるのだな、と見てとれた。
開いたままのドアを叩く。息子は口を丸く開けて私を見上げた。子供部屋のドアが開けられたのに気づかなかったらしい。
「宿題は?」
息子はバツが悪そうに目を伏せ、腕の中のなにかを下ろした。そして、机上に伏せたスマホを名残惜しそうに見てから、のろのろとノートを引っ張りだした。
**
「典型的なアプリ中毒ですね」と医者は言った。
頻繁にアプリを覗かないと落ち着かない、アプリを起動するとひとまず落ち着く、などが典型的な症状らしい。
これが重度になると、アプリの中のポケモンを優先したライフサイクルとなり、通常生活に支障をきたすそうだ。
「そうなると、患者をアプリから引き離す際にも、多大な苦痛を生じます」
医者は脅すように言う。
「そうならないために、どうすればいいんですか」
その言葉に、医者は申し訳なさそうに目を伏せて、でも、職業上こういった演技には慣れているといった風情で、
「アンインストールでしょう」
と言った。
診察用の椅子に乗せられた息子が青ざめた。
**
ポケモンが見えなくなるから嫌だ、と息子は言った。
アプリがなきゃ、餌をやる時間も餌のやり方もわからない、と息子は喚いた。
アンインストールのボタンをタップするのは、指先の電気が触れるだけというのもあって、とても呆気なかった。
**
それからしばらく、仕方ないと言えば仕方ないが、息子は元気がなかった。ポケモンの名前らしい単語を連呼して、家の中を探し回るようになった。
医者が言うには、時間が経てば元に戻るということなので、助言通り放っておいた。
その内に息子も落ち着きを取り戻し、宿題も言えばきちんと取りかかるようになった。
時々、床近くの空気を手で掻いていたが、私が見ているのに気づくと、すぐにやめた。
医者いわく、「アンインストール後の手持ち無沙汰を埋める行為」だそうだ。これも、時間が経てばなくなっていくのだろう。
**
リビングの入り口で、息子が見えないボールを拾い上げる真似をした。そして、新聞を読んでいる私を見て、「まずい」という顔をすると、自室に逃げ帰っていく。
なにがまずいのやら。後で暇があれば確かめよう。
めくった面の見出しに、私は眉をひそめた。
『収まらぬ火山活動 伝説のポケモン復活の兆候か』
新聞記者には重度のアプリ中毒者がいるようだ。ここの新聞はやめたほうがよいかもしれない。
テレビを点ける。新聞と同じ火山活動のニュースだが、そこにはポケモンのポの字も出てこない。やはり、この新聞はどこかおかしいのだ。
夕食を作るのに野菜が少ないので思い立って、外に出た。そこにはユウちゃんのアプリ中毒の話を美味しそうにしゃべくっていた、あのママ友がいた。
「こんにちは」
「こんにちは。噴火、怖いですねえ」
当たり障りのない世間話で幕を開ける。しかし、相手は「いい車を買っても、灰で汚れるから大変なんですって」とまたもや舌なめずりしそうな顔になる。いやはや、この人に息子のアプリ中毒がバレなくてよかったなあと心底思う。
ママ友は舌なめずりの顔のまま、「伝説のポケモンがいたって、いいことないんですのねえ」と言った。
「え、なんて」
私は聞き返した。
「ニュースでやってるでしょう」
相手は、私が非常識、と糾弾する調子で言った。
「そういえば」ママ友は話題を変えた。
「ユウくん、ポケモンと旅に出るんですってね。伝説のポケモンがいるような、危ないところには行ってほしくないわあ」
うちの子は旅なんて出ませんけど、と彼女は自慢気に言った。
**
「僕も、旅に出たいなあとは思ってるよ」
息子が言った。
「クラスの子も、旅に出る人多いし。ユウちゃんも行くって言ってるし」
バツが悪そうな顔をする息子の腕には、またもや透明なボールが抱きかかえられていた。
いろんな疑問を飛び越えて、私ができるのは、彼の行為の上っ面をなぞることだった。
「なんで今まで言わなかったの?」
そう問うと、息子は腕の中の透明なボールを見下ろし、私を見上げ、そして、目を伏せた。
「だって、お母さん、見えないみたいだし」
伏せたまつげに半ば隠れているのは、それは間違いなく私への憐憫だった。見えない、お母さん、かわいそう。そんな。
「それはアプリでしょう」と私が言った。
彼は悲しそうに、腕の中の空虚と“目を合わせた”。
**
夏休みに入る頃に、私は息子の背中を見送ることとなった。
学校の担任に相談しても埒が明かず、かえって事態は加速して、おたくの息子さん、トレーナーとしての才能がありますよ、旅に出ないなんてもったいない、ということになってしまった。
大きなザックを背負い、時折、見えない斜め下に向かって笑いかける息子が印象に残った。
私には見えないだけで、車道を危なく横断するポケモンがいて、山の中でしか捕まえられないポケモンがいて、遠くのマグマ溜まりでは伝説のポケモンが眠っている。
そう言われても、どれだけ世の中のニュースが書き換わっても、私には、ただのアプリしか見えないまま。
(後書)
ポケモンGOたのしみです。
せんだって Twitter にあげたミニスカート×ベトベター的なマンガをまとめました。
初出は2015年9月8日 https://twitter.com/ohinot/status/641206926064287746 以下です。
悪夢よりも悪夢かもしれない、羽沢親子入れ替わり事件勃発から二日目である。
悠斗は森田によるポケモンバトルレクチャーに知恵熱を出し、泰生は富田に連行されたカラオケボックスで行われたボーカル特訓(と言っても、身体的に染み付いた歌唱力は残っていたため問題はもっぱら泰生の妙な羞恥を突き崩すことだったが)の屈辱に夜、うなされた。もっとも本人達より安らかでいられないのは森田や富田の方であり――森田は胃薬をラムネ菓子のようなペースで摂取し、富田はイライラ対策のためにモーモーミルクを大量購入した。腹を下す体質では無いのだけが幸いである。
しかしどれだけ嘆いたところで、この現状がどうにかなるわけではない。元に戻るまではお互いのフリをしっかりこなすことが最優先だ。そんな決意を悠斗、泰生、森田、富田の四人はそれぞれの胸に宿して困難へと立ち向かう。
……その困難は、悠斗と泰生それぞれの知識があまりに偏っていたため、彼らが予想していたものよりずっと大きかったのだが。
「いいですか。くれぐれも、くれぐれも、くれぐれも! 芦田さんに怪しまれるようなこと言わないでくださいよ」
さて、そんな泰生と富田は本日も学生生活の真っ只中である。
今日の講義は学部の専門科目が二つ、テキストの漢字が読めなかったり一般常識の部類であろう語句を知らなかったりと、泰生のトレーナー一本ぶりに、昨日に引き続きうんざりを繰り返すことになったが、散々言い含めた甲斐もあり、余計な発言をすることだけは回避出来た。『若き旅トレーナーを狙う性犯罪問題をどう解決するか』という授業の最中に「普通にポケモンや自分を鍛えればいいのではないのか?」などと真っ直ぐな瞳で言いだした時には頭が痛んだが、昨日のように講堂全体に聞こえる声で言わなかっただけよしとする。
「三回も言うな。ドードリオやレアコイルじゃあるまいし、一回言えばそれでいいだろう」
「一回言ってわかってくれないから何度も言うんですよ。何ならポケモンミュージカル部にペラップ借りてきて、常に聞いていただきたいくらいです」
しかし今日の富田が声に棘を作るほど懸念しているのは、どちらかというと授業ではなく、この後にあるサークル活動の方だった。個人練であれば何とかごまかせそうではあるけれど、本日の羽沢悠斗の予定は学内ライブのセッション練なのだ。セッションの相手、一学年上である三年生のキーボード、芦田は当然この事態を知らない。
羽沢悠斗という人物に向けられた信用を崩壊させることなく、また要らぬ誤解を招くこともなく、芦田との練習を終わらせなくてはならないのだ。どうすれば一番安全かと思考を巡らす富田の隣から、泰生がつつつ、と離れていった。
「タツベイ……」
「え、え……何すか…………?」
廊下ですれ違った見知らぬ男子学生の肩に乗っていたタツベイに引き寄せられ、そわそわと近づいていく泰生に気づいた富田は「だから! だから三回言ったんですよ!」と青筋を浮かべて泰生の首根っこを捕まえた。いきなり近寄ってきた赤の他人、しかも呟かれた独り言以外は無言の仏頂面という怪しさに、何事かとヒいている学生に秒速で頭を下げる。「すみませんホント、何でもないんです」そんな富田の鬼気迫る様子に彼はさらに不審感を募らせたが、関わり合いになりたくないためタツベイを抱え、そそくさと去っていった。
はぁ、と重い溜息を吐いた富田が、辿り着いた部室の扉を前にしてもう一度言う。「本当頼みますからね。悠斗らしく、悠斗らしく、悠斗らしく、悠斗らしく、ですよ」
「……メタグロスか」
泰生の漏らした不平は無視して、富田はドアを開ける。
「お疲れ様です」「おっす羽沢、富田」「おつかれー」「ハザユー風邪大丈夫なの?」「あ、ただ疲れてたらしいです」「何でトミズキが答えるんだよ」「お前、そのニックネームわかりにくいって」口々に交わされる言葉が、各々の楽器が鳴らす音と共に響く部室を歩く。有原と二ノ宮は今は不在みたいだな、などと思いながら、富田と泰生は一台のキーボードの前まで進んだ。
「芦田さん、こんにちは」
「あ、お疲れ! 羽沢君、具合はもう平気なの?」
何やら携帯で連絡を取っていたらしい芦田は顔を上げ、人の良さそうな笑みを浮かべる。彼の質問に富田が泰生の脇腹を素早く突き、泰生は慌てて「ん」と頷いた。
その態度に富田はまたしても頭を抱えたくなったが、「まだ本調子じゃなさそうだね〜無理はしないでね」と、芦田は都合良く解釈したらしい。それに内心で胸を撫で下ろしながら、「守屋もお疲れ」と芦田の隣に座っていた同級生へ声をかける。「『も』は余計ですよ」冗談っぽく拗ねたような顔をして、守屋は軽く片手を上げた。彼の足元のマグマラシが富田達をちらりと見たが、すぐに、一緒に遊んでいたらしいポワルンの方へ視線を戻してしまう。マグマラシとポワルンは、それぞれ守屋と芦田のポケモンだ。芦田のポワルンは、何故か常に雨天時のフォルムをしていることでちょっと有名である。
「今日は悠斗と合わせでしたよね」 晴天の室内にも関わらず雫型のポワルンに興味津々の泰生は無視してそう尋ねた富田に、「そうだよー」壁にかかった時計を見ながら芦田は答える。「本当は横木くん達が使うはずだったんだけど、一昨日代わってくれたからね」対角線上でベースをいじっているそのサークル員、横木に感謝の合図をしながら、芦田がキーボードの前から立ち上がった。
「悠斗の具合が心配なので、俺もついていっていいですか」
そこでそう言った富田に、芦田はほんの一瞬不思議な顔をしたものの、「もちろん」と笑って頷いた。ちょうど時間だしそろそろ行こっか、そんな言葉と共に床の鞄を持ち上げた芦田に泰生と富田も続こうとする。
「樂先輩」
が、守屋が芦田の名前を呼んだため、彼は一度足を止める。「なに」言うことは大体予測がついているらしい芦田が、じっとりとした目を守屋に向けた。
「残念ながら、僕は樂さんにお供いたしませんので……」
「いいよ別にしなくて! 巡君には期待もしてないし! わざわざ言わなくていいよそんなこと!」
「むしろこの辺が片付いて、せいせいし……いえ、スッキリした気持ちになってます」
「言い直さなくていいから! アメダスのこと見ててね、じゃあね!」
守屋の軽口に呆れ混じりの声で返し、溜息をついた芦田は背を向けて歩き出す。「いってらっしゃいませ」と悪戯っぽく笑った守屋が手をヒラヒラと振り、芦田が座っていたキーボードを早速弾き始めた。
「まったく、巡君はいつもああだ」などと呻きながら部室を出た芦田の後ろを歩きつつ、まったくはこっちの台詞だ、などと富田は考えていた。有原と二ノ宮達といい、よくぞ毎回飽きないものである。自分のことを完全に棚に上げる富田の隣で、泰生はアメダス――芦田のポワルンを少し触らせてもらえばよかった、などとのんきな悔恨に駆られていた。
「うーん、なんか……」
部室から移動して、第一練習室。学内ライブでやる予定の曲を一通りやってみたところで、芦田がなんとも言い難い顔をした。「……やっぱり、羽沢君まだ調子悪い?」言葉を選ぶような声で問いかけられた泰生が「どういうこと……、ですか」と、ギリギリのところで口調を悠斗のものに直しながら問い返す。
芦田は「なんというか」「別にいつも通りと言えばそうなんだけど」と、グランドピアノと睨み合いながらしばらく首をひねっていたが、ややあってから顔を上げて泰生を見た。
「なんというか、ね。楽しそうな曲なのに、楽しそうじゃない、っていうか」
「…………そんなこと、」
とてもじゃないが楽しくなどない泰生は「そんなこと言われても困る」と言いたかったのだが、芦田の目には途中まで発されたその言葉が、不服を訴えるものに聞こえたらしい。慌てたように「いや、俺の気のせいかもなんだけどさ」と頭を掻いて、彼は「でも」と困ったような笑みを作る。
「羽沢君って、こういう歌を本当に楽しそうに歌ってたから。だからこれにしようって決めたわけだし……なんか違うような、そんな気がして……」
譜面台に置いた楽譜を見遣り、怪訝そうに言った芦田に何か弁明しようと富田が「あの」と口を開きかける。しかしそこで芦田の携帯が着信音を響かせ、「ごめん。ちょっと待って」彼は電話を取った。
「はい。はい、そうです。さっきの……ああ、そうですか……いえ、わかりました。はい。了解です」
電話の向こうの相手と短いやり取りをしていた芦田だが、数分の後に「失礼します」と通話を切る。どうしたんですか、と富田が尋ねると、彼は重く息を吐いて「学内ライブなんだけど」と力の無い声で答えた。
「日にちが一週間前倒しになっちゃって……昨日事務の人にそう言われて、どうにかしてくれないか頼んでみたんだけど……」
「そんな、じゃあ……」
「点検の日付を変えるのは無理だから、って。みんなに言わないとなぁ……」
苦い顔をして気落ちする芦田に、富田も歯噛みする。ただでさえ、元に戻るまでの諸々をごまかすのに必死なのに、ここに加えて本番までこられては大変まずい。一体どうしたものか、という思いを、芦田と富田はそれぞれ違う理由で抱く。
だが、泰生の反応はそれとは違った。「なぁ」携帯でサークルの者達に連絡を送っていた芦田が泰生に視線を向ける。
「なに、羽沢君?」
「どうして、そこでもっと抗議しないんですか?」
泰生からすれば純粋な疑問をぶつけたに過ぎないが、いきなりそんなことを言われた芦田は面食らったように瞬きを繰り返した。
「それは……まあ、したにはしたんだけどダメだって言われたし……学校の都合ならどうしようもないから……」
「何故です? 先に予定を入れておいたのはこちらなんだろう、なら、向こうは譲るべきなんじゃないんですか」
「僕だって同じこと思うよ。それはそうだ、羽沢君の言う通りだ……でも、しょうがない、じゃん」
「学校にそう言われちゃ、仕方ないよ」芦田がぽつりと言って、白と黒の鍵盤に視線を落とす。諦めたような顔が盤上に映し出された。
「しょうがない、って……」
しかし、泰生は違った。
その一言を聞いて、眉を寄せた彼は、両の拳を握り締める。
「そこでもっと言わないから、こういうことが起きるんじゃないのか? どうせ言うことを聞くから、と馬鹿にされて……だから後から平気で変えてくるんだ!」
「羽沢、君…………?」
「なんでそんな無理を言われるのかよく考えてみろ、そうやって、受け流すから見くびられるんだ。大学だか事務だか知らんが、そことの不平等を作っているのはこっち側なんじゃないか!」
「…………それ、は」
「これでまた、一つつけ上がらせる理由になったんだ……わかってるのか、これは俺だけじゃなくて、他の奴らにも関係あるんじゃないのか? こうして平気で諦めたことは、他の学生にも――」
「おい、羽沢――――」
「樂先輩」
見かねて口を挟んだ富田が何か言うよりも前に、そこで、泰生と芦田の間に割り込む声があった。
「赤井先輩が呼んでます、学祭の件で急用だって……」
携帯じゃ気づかないだろうから呼びに来ました、そう付け加えた守屋は、半分ほど開けたドアの向こうから三人を見ている。その足元と頭上それぞれで、マグマラシとポワルンが、何やらただ事では無さそうな雰囲気にじっと動かずにいた。
「あ、うん。わかった。すぐ行く」
一瞬、目をパチパチさせていた芦田が慌ててピアノの前から立ち上がる。「ごめん、羽沢君、富田君」そう言いながら簡単に荷物をまとめた芦田の様子は、少なくとも一見した限りでは普通のもので、富田は反射的に頭を下げる。彼に背中を叩かれた泰生も会釈したが、すでにその前を通りすぎていた芦田が気づいたかどうかはわからない。
「本当にごめん。戻れたら戻るけど、ここ六時までだから、駄目だったら次の人によろしく」
忙しない口調で告げて、芦田はドアの向こうに消えていく。「ありがとね」そう彼に言われた守屋が、芦田に軽口を叩くよりも前に、練習室の中を少しだけ見遣った。
何か言いたげな、探るような視線。が、彼が実際に発言することはなく、二人と二匹は慌ただしく廊下を走り去ってしまった。
残された泰生と富田は、閉まったドアの方を見てしばらく無言だった。が、やがて「俺は」と、泰生が口を開く。
「間違ったことを、言ったのか」
「悠斗、は――――――――」
毅然とした口調でそう問うた泰生に、しかし、富田の細い眼の中で瞳孔が開いた。
その瞳を血走らせた彼が、一歩踏み出して泰生の胸ぐらに掴みかかる。咄嗟のことで反応出来なかった泰生は怯んだように身を竦ませた。
表情というものを消し去って、富田の、握った片手が勢いよく振り下ろされる。
「………………悠斗は」
が、その拳が泰生を打つことはなかった。
思わず目を瞑っていた泰生が、おそるおそる目を開けると、肩で息をする富田が自分を黙って見下ろしていた。
時計の秒針が回る音だけが、彼らの間にうるさく響く。
「……すみませんでした」
その言葉と共に、富田は泰生を掴んでいた手を離す。急に解放された泰生は足をよろめかせたが、俯いてしまった富田がそれを見ていたかは不明だ。声を僅かに震わせていた富田の顔は、長い前髪に隠れてよくわからない。
それきり、富田は何も言わなかった。泰生も無言を貫いた。
結局六時を過ぎても芦田は戻らず、後で彼、および芦田を呼びつけたサークル代表の赤井から謝罪のメールが届いたが、それに対して富田が言及したのは「芦田さんが置いてった楽譜は僕が渡しておきますから」ということだけだった。
◆
そんなことがあった翌日――悠斗は、森田と共にタマムシ郊外の街中を歩いていた。
「悠斗くん、そんな落ち込まないでください。まだ三日目ですから、次に勝てるよう頑張りましょう」
「………………」
彼らは先ほどまでいたバトルコートから、近くの駐車場まで移動しているところである。地面を見下ろし、俯く悠斗に森田が励ましの声をかけた。しかし、悠斗は依然として肩を落としたままである。
数十分前、バトルコートで悠斗が負けた相手は別のトレーナープロダクションに所属している、しかし064事務所と懇意にしている壮年の男トレーナーだ。リーグも近いし練習試合を、ということで前々から約束されていた予定である。
そのバトルに、悠斗はまたしても負けてしまったのだ。今回は必要最低限の知識は入れていたし、少しは慣れたから惨敗とまではいかなかったが、それでも男トレーナーに怪訝な顔をさせるくらいにはまともな勝負にならなかったと言える。ある程度は予想のついていたこととはいえ、悠斗は度重なる敗北に少なからず傷心していた。
「相手方にはスランプで通していますから。それにですね、いくら泰さんのポケモンとはいえ、バトル始めたばかりの悠斗くんがそう簡単に勝てたら、エリートトレーナーも商売上がったりですよ」
「それはそうですが……」
「泰さんと互角の相手なんです、あの人は。負けるのもしょうがないです」
片手をひらひらさせた森田は「とりあえず、今日は帰るとしましょう」と歩を進める。「そうですね」悠斗も浮かない顔のままだが頷き、その後に続こうとした。
「おい、そこのお前!」
が、背中にかかった声に二人は反射で足を止める。
「お前、羽沢泰生だよな!?」
振り返った悠斗達の後ろにいたのは、半ズボン姿の若い男だった。年の頃は悠斗の元の身体とそう変わらないだろう、サンダースのような色に染めた髪やその服装から考えるに、悠斗や富田に多少のチャラさを足した感じである。
「俺は、たんぱんこぞうのヒロキ!」膝小僧を見せつける彼の始めた突然の自己紹介に、悠斗と森田は頭の上に疑問符を浮かべる。「森田さん、たんぱんこぞうって、中学二年生くらいが限度じゃないんですか」「ミニスカートとかたんぱんこぞうとかっていうのは、名乗るための明確な規定が無いからね……『小僧』が何歳までっていう線引きも無いし」「あ、ああ……?」小声で交わされる珍妙な会話は聞こえていないらしい、やけに真っ直ぐな目をした男は、人差し指を悠斗へ向けてこう言った。
「羽沢泰生! 俺と勝負しろ!」
「はぁぁ!? 駄目、だめだめだめ!!」
唐突なその申し出に反応したのは、悠斗ではなく森田だった。慌てたように冷や汗を浮かべた彼は、「そんなこと、出来るわけないでしょう!」ときつい調子で男を叱る。
「そう簡単にバトルを受け付けるわけにはいきません! 羽沢は今事務所に戻る途中なんです、お引き取り願います!」
「目が合ったらバトル、トレーナーの基本だろ!? エリートトレーナーだからって、それは同じじゃないのかよ!」
滅茶苦茶な理論を並べて森田に詰め寄る男に、悠斗は何も言えず立ち竦むしか無かった。ポケモンにもバトルにもとんと関わったことのない悠斗には縁遠い話であったが、しかし偶然、同じような状況を街で見かけたことがある。有名トレーナーを見つけ、無理を通してバトルを申し込む身勝手なトレーナー。最悪のマナー違反として度々問題となっているが、結局のところ、今までこれが解決したためしは無い。
そして、こういうものを煽る存在がいるのも原因の一つだ。「エリートのくせに、にげるっていうのかよ!」「いいから帰ってください!」騒ぐ二人の声に引き寄せられて、近くを歩いていた者達が次々と視線を向けてくる。
「え? なんか揉め事?」
「なぁ、あれって羽沢泰生じゃね!?」
「は!? マジで!? なになに、なんかテレビの撮影!?」
「バトル!? バトルするんだ!!」
「おい大変だ! 羽沢泰生の生バトルだぞ!!」
「やっべー! 次チャンプ候補じゃん、ツイッターで拡散……あとLINEも送ってやらないと……!」
人が人を呼び寄せ、その様子に興奮したポケモンがポケモンを呼び寄せ、気がつくと悠斗達はギャラリーに取り囲まれていた。人とポケモン専用の道路には、ちょうど、バトルが出来るくらいのスペースを残して群衆達が集まっている。「ここまできて、やらないってことはないよなぁ!」パシン、と膝を両手で叩き、男は挑発するような笑みを浮かべた。
「森田さん、これ、やるしかないよ」
「でも、悠斗くん……あっちにしか非はありませんし、ここは理由をつけて……」
「ううん。あいつなら、こういうのが許せないからこそ戦うんだろうし、それに」
「俺、勝つから」
小さく告げられたその言葉に森田が唇を噛む。一歩前に踏み出した悠斗の姿に群衆と男が上げた歓声が、中途半端な狂気を伴って、曇天の空に響いていった。
「やってこい! クレア!」
男が放り投げたボールから現れたのは、肩口と腰から炎を赤く燃え滾らせたブーバーンだった。アスファルトを震わせながら着地したブーバーンは、口から軽く火を噴いて悠斗の方を睨みつける。
「いけ、キリサメ!」
対して悠斗が繰り出したのは長い耳を揺らすマリルリで、雨の名を冠した彼は跳ねるようにボールから飛び出した。ギャラリーの中から「かわいー」と声が上がる。割とお調子者な傾向のある彼はその方へ視線を向けながら丸い尻尾を振ったが、すぐにブーバーンへと向き直り、丸い腹を見せつけるように胸を張った。
タイプはこっちの方が有利のはず。マリルリが覚えている技を急いで頭の中に思い出しながら、悠斗はそんなことを考える。今にも雨が降りそうな天気と、どんよりした湿気も手伝って、炎を使う技は通りが悪そうだ。ここはみずタイプの技で一気に決めてしまおう――そう決めて、指示をするため口を開く。
が、その一瞬が男に隙を与えた。悠斗が考え出した時には既に息を吸っていた男は、灰色の空を見上げながら、こう叫んだのだ。
「にほんばれ!」
彼の声にブーバーンが目を光らせた途端、その空に異変が起きた。重苦しい、分厚い雲の隙間に小さな亀裂が走ったと思うと、それはみるみるうちに広がりだし、瞬く間に文字通りの雲散霧消となってしまった。その向こうから現れたのは青く晴れ渡った天空と、強い輝きを放つ太陽である。
「なに――――」
こうなるかもしれないという予測どころか、てんきを変える技があることすらよく知らなかった悠斗は明らかな動揺を顔に浮かべる。「アクアジェット!」とりあえず言葉は発されていたものの、その狼狽がマリルリにも伝わってしまったらしい。完全に出遅れた彼が水流を放った時にはもう、ブーバーンは次の技に入っていた。
「クレア、ソーラービームだ!」
陽の光の力による目映い一撃が、マリルリに向かって一直線に放たれる。確かな強さを以たアクアジェットはしかし、弱体化していたこともあって、黄金色の光線によって呆気無く跳ね返されてしまった。
キリサメ、と悠斗が叫ぶ。成す術もなく宙を舞ったマリルリは、無様な音を立ててアスファルトへ墜落した。甲高い声がマリルリの喉から響く。
「もう一回アクアジェットだ!」焦ったように悠斗が言うが、マリルリが体勢を整え直すよりも前に男とブーバーンの攻撃が飛んでくる。「させるな! ソーラービーム!」繰り返される一方的なその技を何度も喰らい、マリルリはその度に多大なダメージを負っていく。にほんばれが終わらないうちに勝負をつけてしまおうという魂胆なのであろう、連続する攻撃は暴力的な勢いすら持ってマリルリを襲う。何発目かになるそれを腹部に受け止めた彼は、数秒ふらつく足を震わせていたものの、とうとうその身を横転させてしまった。
「キリサメ!」
地面に倒れ伏したマリルリに悠斗が叫ぶ。力無く横たわった彼は耳の先まで生気を失い、これ以上のバトルが出来るようにはとても見えない。
しかし、悠斗は叫び続けた。
「頑張ってくれ、キリサメ!!」
それはバトルに疎い、ポケモンの限界というものをよく知らない悠斗だからこそ言えた、突拍子も無い言葉なのかもしれない。普通だったらもう諦めて、ボールに戻してしまうところだろうに、それでも声をかけ続けるなどは決して賢いとは言えないであろう。無駄な行動だと一蹴されてしまうようなものだ。
だけど、少なくともマリルリにとっては、そうではなかったらしい。ぴくり、と、片耳の先端が小さく動く。勝利を確信し、マリルリを見下していたブーバーンの目が、何かを察知して僅かに揺らいだ。
その時である。
「クレア!?」
「…………キリサメ!」
突如、勢いよくぶっ飛んだブーバーンに、男が悲鳴に似た声を上げる。やや遅れて、悠斗が呆然とした顔で叫んだ。
ぐち、と奥歯でオボンを噛み砕きながら、マリルリは肩で息をする。ブーバーンの隙をついてHPを回復した彼は、ばかぢからをかました疲労をその身に抱えながらも、不敵な笑みを口元に浮かべた。
「キリサメ! よくやった……!」
悠斗の声を背に受けて、マリルリが二本の足でしっかり立ち上がる。彼を支援するようなタイミングで、技の効果が消えたのか、空が再び灰色に覆われていく。ブーバーンに有利な状況が一変し、急速に満ちる湿り気にマリルリは、可愛らしくも頼もしい鳴き声を空へと響かせた。
つぶらな瞳を尖らせたマリルリに、男は「まだいける! 10万ボルトだ!!」と狼狽えながらもブーバーンに指示を飛ばす。ブーバーンが慌ててそれに応えようと身体に力を溜めるが、マリルリはとっくに動き出していた。アクアジェット。湿気のせいで行使が遅れた10万ボルトなど放たれるよりも先に、重く激しい水流を纏った彼は、ブーバーン目掛けて突っ込んでいった。
「クレア!!」
地響きと共にブーバーンがひっくり返る。その脇に着地して、マリルリは自らの、力に満ちた肢体を見せつけるかのように、得意げな表情でポーズを決めた。
声も出せず、成り行きを眺めるだけだった悠斗が息を漏らす。「…………勝っ、た」呟きと言うべき声量で発されたそれは、やがて喜びの声へと変わっていく。
「勝った…………!!」
信じられない、という笑顔になった彼をマリルリが振り返り、キザな動きで片手を上げた。その様子に笑い返して、悠斗は全身に込み上げる高揚感に包まれた。
しかし――
「……………………」
「ねえ、今のってさぁ……」
「…………羽沢、だよな?」
「あの、アレ……」
喜ぶ悠斗とは対照的に、集まったギャラリーの反応は薄いものだった。相手トレーナーも、倒れたルンパッパをボールに戻しつつ渋い顔をする。
「さあ、行きましょうか」やけに落ち着いた声で森田が言い、悠斗の背を押すようにして促した。小声で広がるざわめき、怪訝そうに見つめる視線。おおよそ勝敗がついた際のものとは呼べないその状況が理解出来ず、悠斗は困惑しながらその場を離れた。
「どういうことですか」
駐車場に停めた車に戻り、シートに座ったところで悠斗は耐えきれずそう尋ねる。彼らの後をちょこちょことついてきたマリルリをボールへとしまってから運転席についた森田は、シートベルトを締めつつ「それは」と口ごもった。
数秒、車内に沈黙が流れる。
「泰さんの、戦い方というものがありまして」
呼吸を何度か繰り返した森田が観念するように口を開く。彼がかけたエンジンの音が響き、悠斗の身体が軽く揺れた。
「シンプル、かつ的確な指示。言葉自体は少なくても全力で通じ合う。ポケモンの様子をいち早く察知して、勝敗よりもポケモンが傷つかないことを最善と考え、結果的にそれが強さを呼ぶ――それが、羽沢泰生のバトルなんです」
「……………………」
「要するに、さっきのようなバトルとは真逆、ということです」
悠斗の指の先が小さく震える。
「ポケモンに任せきり、判断を仰ぐ……なんて、羽沢泰生、らしからぬバトルでした」普通を装った、しかし絞り出すかのような森田の声が鼓膜を掠めた。
「今までのは事務所内にしか見られてないのでスランプという形でごまかせましたが……プライベートなものとはいえ、衆人環視でのあれは少し痛いところでした。泰さんは気にしないと思いますが、やはり、エリートトレーナーともなるとイメージというものもありますから」
「俺は、…………」
「いえ、でも勝てたのは良かったんですよ! ここで負けてたらそれこそ大惨事ですし、悠斗くん的にも、ほら、快挙じゃないですか!」
無理に明るいと笑顔を声を作って森田が言った。「過ぎたことは過ぎたことですし、まあ今後は、ああいうのを控えてくれれば大丈夫ですから」ハンドルに手をかけて、周りをチェックする彼は笑う。「それに今回のは相手が強引でしたしね」
「でも、あれはあれで悠斗くんらしいと思いましたよ! ああいうバトルもいいものです」
そう言いながら車を動かし始めた森田の様子は、すっかりいつも通りに戻っていたが、乗車してから一度もルームミラーに映る悠斗を見ていない。そのことを悟った悠斗は、「そうですかね」と曖昧に返して窓の外を見る。
動き出した景色の中、路地でジグザグマとバルキーとでバトルをしている子供達を見つけ、悠斗はそっと目を閉じた。
◆
それから、家に帰った悠斗は母・真琴の剣呑な態度から逃げるように戻った自室で一人、ベッドに腰掛けて天井を見上げていた。
今日の夕方には、富田が連絡をつけてくれたという『専門家』のところへ行くことになっている。森田は一時事務所に戻り、雑務をやってから羽沢家に来るということだった。車で悠斗を送り届けた彼は、道中も、そして悠斗が降車する際にも何かを言うことは無かった。
ただ、申し訳無さそうな顔が頭に浮かぶ。泣きそうなその顔に滲み出る感情が、自分ではなく父に向けられているのは確かだった。森田はそんなことを一言足りとも口にはしないが、それでも、わかる。
自分が父に、羽沢泰生の名に泥を塗ったことは痛いほどに理解した。自分の無知が、意地が、愚かさが、父という存在を貶めることによって、父を慕う人達を傷つけることになる。忌み嫌い、目を背けていた父が自分のあずかり知らぬところでどれほど愛されていたのか。その側面を垣間見たような気がして、恐ろしいまでの後悔が襲ってきた。
(だけど――)
どうすればいいというんだ。壁に貼った、敬愛するバンドのポスターに問いかける。
どうしろというんだろう。三日三晩で作ったハリボテの人格を演じるだなんて不可能だ。しかも相手が、ずっと見ないようにしてきた父親である。どれだけ頑張っても埋められないことへの無力感と、憎むべき父のためにしなくてはならないことへの怒りが心の中でぶつかり合い、押し潰されそうだった。
「おい、悠斗」
そして間の悪いことに、父――自分の姿だが――がノックもせずに部屋へ入ってくる。そういえば今日は三限で終わるから帰ってきたのか、と思いながら「今話せる気分じゃないから」と、悠斗は泰生の顔も見ずにすげない言葉を返した。
しかし泰生はそれをまるで無視し、遠慮無い足取りで悠斗に近づく。迷惑だという気持ちを表すために悠斗は泰生を睨みつけたが、彼は動じる素振りも見せなかった。
「何の用だ」
「何の用だ、じゃない。おい、これはどういうことだ」
言いながら泰生がポケットから取り出したのは、別々にいる時には持ち歩かせることにした悠斗の携帯だった。だからそれがどうしたんだよ、そんなことを思いながらようやく立ち上がった悠斗に、泰生は唸るような声で言う。
「お前の知り合いから送られてきたんだ。『ツイッターで話題になってるけど、お前の父親大丈夫?』と、な。誰だか知らんが、お節介な奴もいるもんだ」
吐き捨てるように告げた泰生の差し出す画面を見て、悠斗は言葉を失った。
泰生の言う通り、ネット上で拡散されているらしいその動画は、先程悠斗が街中でやったバトルを撮影したものだった。あの中に正規のカメラマンがいるはずがないから、人混みからした隠し撮りであるのは間違いないが、駄目なら駄目でしっかり注意しなかったのが悪いとも言えるため口は出しにくい。何より、取り沙汰されたくないならば、森田が言うようにあんな場所でバトルをするべきではなかったのである。
有名トレーナーのプライベートバトルということで、動画はインターネットユーザー達の注目を集めていた。ただ、その注目の内容が問題だった。勝ったとはいえ、森田の言葉を借りるなら『羽沢泰生らしくない』戦い方は、大きな波紋を生んでしまったらしい。
『羽沢も落ち目だな』
『堅実だけが取り柄だったのに。今年は決勝までいけないだろ』
『つまらないバトルだけはするなよ』
まとめサイトに並ぶ辛辣なコメントに、悠斗は発する言葉も無く目を伏せた。
「こんなものはどうでもいい……しかし、お前は俺の代わりをするはずだっただろう。これではポケモンがあまりにも惨めではないか! トレーナーの無茶な言い分に……こんな戦い方、やっていいわけがない!」
「それは…………」
「どうしてお前はそんなこともわからないんだ! ポケモンの気にもなれ、こんな、自分本位な指示でまともに動けるわけがないだろう!? 考えればわかることだ、ポケモントレーナーとして発言するなら、もっと、ポケモンの心に寄り添おうと何故思わない!!」
「っ……そんなの、お前だってそうだろ!!」
怒鳴った泰生に、一瞬目を大きく開いた悠斗が叫ぶ。その大声に泰生が怯んだように言葉を止めた。
「ポケモンの気持ちを考えろ、ってお前はいつもそうだよ。ポケモンの心、ポケモンと通じ合う。言葉なんかじゃない。じゃあ……じゃあ、人間の気持ち考えたことあるのかよ!!」
「なんだと、っ……」
「いつといつも態度悪くてさ。自分本位はどっちだよ、ロクに気もきかないし愛想悪いし、母さんや森田さん困らせて! 人の気なんか、全然考えないんだもんな! ああそうだ、お前はいつだって勝手なんだ!」
一度頭に上った血はそう簡単に冷ないらしく、悠斗の口は止まらない。この、入れ替わったことによるストレスが積み重なっていたのもあって、溜まりに溜まった苛立ちがまとめて溢れ出ていくようだった。
「お前だって大変だろうから、言わないようにしようと思ってたけど」荒くなった息を吐き、悠斗は泰生の胸倉を掴みあげる。「お前、芦田さんに何言ったんだ」
「守屋からLINEきたんだよ――お前、あの人にどんなことしたんだ! 俺の顔で、俺の口で、なんてこと言ってくれたんだ!?」
「何も言ってない。ただ、当たり前のことを――」
「それが駄目だっつってんだよ!! いいか、お前はわからねぇかもしれないけどな、人はな、言われて嫌なこととか、言われてムカつくこととかあるんだよ。だから、言葉を選ばなきゃいけないんだよ、常識だろこんなの!」
「そんなの知ったことか……大体言葉を選ぶ……それは言い訳だ、どうせ本心を隠して影で笑って、嘘をついてるのと同じだ! だから人間なんて信用ならないんだ……人間なんて…………」
泰生も語気を荒げて悠斗に掴みかかる。が、悠斗は全く怖気つくことなく「『嫌い』だろ」と冷めきった声色を出した。
「いつもそうだもんな。お前。人間嫌い、人間は駄目だって。いつもいつも、そうだ」
せせら笑うように、据わった眼の悠斗は言う。
「そんなに人間が嫌いなら、どうぞ、ポケモンにでもなればいいんだ」
「っ!!」
泰生の瞳孔が開かれる。悠斗が口角を吊り上げる。
呼吸を止めた泰生の片手が固く握られ、後方へと振りかぶられた。それを察した悠斗も冷めた眼のまま同じように拳を固め、勢いよく後ろにひいたが――
「ちょっと。悠斗も、羽沢さんも、一回そこまでにして」
突如聞こえたその声と、ドアが開く音に、今にも双方殴りかかりそうだった悠斗と泰生は同時に黙り込む。向かい合って互いを睨む二人の口論を遮ったのは、無表情の中に苛立ちを滲ませた富田だった。
前髪の奥から羽沢親子を見ている彼の後ろには、気後れ気味に顔を覗かせた森田もいる。どうやら二人とも、取り次いでくれた真琴に促されてこの部屋に来たらしい。
勢いづいたところを中断されて、次の行動を図りかねる泰生に鋭い視線を向け、富田は言う。
「絶対こうなると思いましたけど。だから言ったんですけどね、余計なことを言わないでください、と」
「それはこいつが――」
刺々しい言葉に、泰生は反射で返す。が、富田の目を見て、途中で言葉を切ってしまった。
「悠斗くんも、あまり怒ったら駄目だよ」森田の、静かに、しかしはっきりした口調で告げられた言葉に悠斗も黙り込む。気まずい沈黙がしばし続き、やがて謝りこそしないものの、親子はお互いの胸ぐらを掴んでいた腕をそっと離した。
「じゃあ、行きますか」
そうして部屋に響いた富田の声は相変わらず淡々としていたが、先程のような不穏さは消えており、三者の緊張もふっと解ける。親子がそれぞれ顔を見合い、それぞれ軽い溜息をついてまた視線を外したのを見て、森田がほっとしたような表情を浮かべた。
その様子に、富田も僅かに目を細くする。「ちなみに、言っておきますけど」話題を変えた彼に、悠斗達三人は一斉に首を傾げた。「何を」言い含めるような語調に森田が問う。
「今から行くのは、無論『そういう問題』を扱う『そういうところ』ですから――」
一瞬の間を置いて、富田は平坦な声で言った。
「くれぐれも、驚かないようにしてくださいね」
◆
富田が案内した『専門家』は、タマムシ大学から徒歩二十分ほどの街中に事務所を構えているということだった。
街中といっても華やかなショッピング街や清潔感のあるオフィス街ではなく、タマムシゲームコーナーのあたり、要するに治安があまりよろしくない地区である。アスファルトの地面は吐き捨てられたガムや煙草の吸殻が所々に見られ、灰色のビル群もどこか冷たく無機質な印象を受ける。そのくせ聞こえる音はやたらとやかましく、誰かの怒鳴り声やヤミカラスの嬌声、スロットやゲームの電子音にバイクの騒音と、鳴り止まない音に泰生や森田は不快感を顔に示した。
そんな街並みの中を縫って進み、少しばかり裏路地に入る。ドブに寝ていたベトベターが薄目を開けて、並んで歩いてきた四人を迷惑そうに見た。ヤミ金事務所や怪しげなきのみ屋、開いているのか閉まっているのか判断出来ない歯医者などを横目にもうしばらく汚れた道を行く。
「ここだ、このラーメン屋の三階」
いくつかのテナントが複合するビルの一つを指し、先頭を歩いていた富田が足を止めた。何人か客の入っているらしい、ラーメン屋のガラス戸を横目に鉄筋で出来た非常階段を昇る。脂の匂いが路地裏に捨てられた生ゴミ、及びそれに群がるドガースの悪臭と混じり合うそこを進んでいく、二階のサラ金業者、そしてその上に目的地はあった。
「あ、あやしい」森田の率直な呟きが薄暗い路地に響いた。それも無理はないだろう。三階に入っているテナントは、『代理処 真夜中屋』といういかにも不審な業者名が書かれたぺらっぺらな紙一枚を無骨な金属ドアに貼っているだけで、他に何かを知れそうな情報は無い。泰生と悠斗もなんとも言えない顔をして、汚れの目立つ、雨晒しの通路に立ち竦む。
「ちょっと富田くん、本当にここで大丈夫なの?」
「失礼ですね。ここは表向きには代理処……便利屋稼業なんですけど、今悠斗達に起こってるみたいな、あまり科学的じゃない感じの問題も請け負ってくれるんです。そういうところ、なかなか無いんですよ」
「そうは言ってもさぁ、もう少し何というか……得体が知れそうなところというか……」
「得体なら知れてますよ。僕の再従兄弟の友達がやってるんで」
「瑞樹……それは他人と呼ぶんじゃないかな……」
「ミツキさーん、富田です、電話した件ですー」
悠斗のツッコミを完全に無視して、富田は平然と扉を開ける。ギィィ、と思い音を響かせて開いたその向こうは、ただでさえ日陰になっていて薄暗い路地裏よりも、輪をかけて暗澹と不気味だった。
森田が口角を引きつらせる。泰生の眉間のシワが深くなる。「なぁ瑞樹……」まだ陽が落ちていない外には無いはずの冷気が室内から漂ってきて、いよいよ不気味さに耐えられなくなったらしい悠斗が遠慮がちに呟いた。
「あー! 瑞樹くん、久しぶり!!」
が、その時ちょうど中から出てきたのは、そんな禍々しさからはかけ離れているほどにあっけからんとした雰囲気の男だった。
見た目からすれば、目元を覆うぼさぼさの黒髪によれたTシャツとジャージ、十代後半にも三十代前半にも見える歳の知れない感じとなかなかに怪しいが、そんな印象をまとめて吹き飛ばすほどにその男の声は朗らかで明るい。スリッパの底を鳴らしながらヘラヘラと笑うその様子はどう考えてもカタギの者では無かったが、しかし恐いイメージを与えるような者でも無かった。
「お久しぶりです」「半年ぶりくらいじゃん、学校近くなんだからもっと来てくれてもいいのに」「色々忙しくて」二言三言、言葉を交わした富田は悠斗達を振り返って口を開く。
「こちら、真夜中屋代表のミツキさん。ミツキさん、この人たちです。電話で話したの」
「どうも、ミツキと申します。こんな、かいじゅうマニアのなり損ないみたいなナリしてますけど一応ちゃんとしたサイキッカーなんですよ」
おどけた調子でそんなことを言ったミツキに、泰生が「ほう」と感心したように息を漏らした。サイキッカーという肩書きに反応したのだろう、『mystery』というロゴとナゾノクサのイラストというふざけたTシャツ姿に向けていた、不快なものを見る目が少し緩められる。「サイキッカー……」森田は森田で、超能力持ちトレーナーの代名詞でもあるその存在を目の当たりにして言葉に詰まっていた。
ただ一人、サイキッカーという立場の何たるかをほぼ理解していない悠斗だけが「はじめまして」と挨拶している。それに軽く一礼で返し、ミツキは数秒の間を置いて、「なるほどね」と前髪の奥にある垂れ目を光らせた。
「入れ替わったっていうのは、君と、あなたですか。なるほどなるほど、これは……大変だったでしょう」
「あれ。俺、誰と誰が、とまでは言ってないと思いますけど。わかるんですか?」
「流石にこのくらいなら、見ればね。あとは僕のカンもあるけど」
悠斗と泰生を交互に見遣り、同情するような顔をしたミツキは「まあ、立ち話もなんですから」と四人を扉の奥へと招く。
言われるままに室内へと足を踏み入れた悠斗達は、それぞれ思わず目を見張った。勝手知ったる富田だけが、破れかけた紅い布張りのソファーに早速腰掛けてリラックスしている。
「散らかっていて申し訳無いのですが」
決まり悪そうに笑いながらミツキは頭を掻いた。その足元には必要不必要のわからない無数の書類、コピー用紙、紙屑が散乱し、事務所らしき部屋の至る所には本だの雑誌だの新聞だのが積み上げられている。そこかしこに転がっているピッピにんぎょうや様々なお香、ヤドンやエネコの尻尾、お札の使い道は不明だが、ただ単にそこにあるようにしか思えない。唯一足の踏み場がある来客スペース、富田が座っているソファーには何故か、ひみつきちグッズとしてあまり人気の無い『やぶれるドア』が打ち捨てられている。
確かに酷い散らかりようだが、悠斗達の意識を集めているのはそこではない。室内のあちこち、そこかしこにいるゴーストポケモン、ゴーストポケモン、ゴーストポケモン。もりのようかんやポケモンタワーなどを2LDKに凝縮するとこうなる、といった様相だった。
「これは、一体……」
窓に所狭しとぶら下がるカゲボウズ、ガラクタに混じって床に転がるデスカーン。観葉植物用の鉢植えにはオーロットが眠っているし、壁を抜けたり入ってきたりして遊んでいるのはヨマワルやムウマ、ゴースの群れだ。ぼんやりと天井付近を漂うフワンテの両腕に、バケッチャがじゃれついてはしゃいでいる。
洗い物の溜まったシンクを我が物顔で占拠している、オスメス対のプルリルを見て、森田が呆けたように息を吐いた。
「このポケモン達は……全員お前のポケモンなのか?」
「いえ、違いますよ。みんな野生だと思うんですけど、ここが居心地いいらしくて。溜まり場みたいになってるんですよね」
切れかけた蛍光灯の上でとろとろと溶けているヒトモシを見上げ、どこかソワソワした様子(シャンデラの昔を思い出したらしい)で尋ねた泰生にミツキは答える。「僕のポケモン、というかウチの従業員はこいつだけです」
その言葉と共に台所の方から現れたのは、お茶の入ったコップを乗せたトレーを運んできたゲンガーだった。テーブルに四つ、それを並べるゲンガーにまたもや驚いている悠斗達を尻目に「僕の助手のムラクモです」とミツキが呑気に紹介を始める。
『本日はお越しいただきありがとうございます』
「え!? 喋った!? ゲンガーが!!」
紫色の短い腕でトレーを抱えるゲンガーの方から声がして、森田が仰天のあまり叫び声を上げる。富田の横に腰掛けた悠斗は仰け反り、泰生も両目を丸くした。
「違う違う、喋ってるわけではないですよ」面白そうに笑い、ミツキはゲンガーの隣にしゃがみ込む。トレーを持っていない方の手に収まっているのは、ヒメリのシルエットが描かれたタブレット端末だった。
「ムラクモは、これを使って会話してるんです。念動力で操作して」
『そういうわけです、驚かしてすみません』
「な、なるほど……いや、それにしてもびっくりですけどね……」
「だから言ったじゃないですか。『そういうところ』なんだって、ここは」
驚いたままの森田へと、何でもない風に富田が言う。泰生はもはや驚愕を忘れ、どちらかというとゲンガーを触りたくて仕方ないらしく(しかしそう頼むのは恥ずかしいらしく)チラチラと視線を送っていた。『本当、汚くて申し訳ございません。ミツキにはよく言って、はい、よく言って聞かせますから』小慣れた感じに操作されるタブレットが電子音声を再生する。
『よく言って』を強調させながら紅の瞳の睨みを効かせるゲンガーに、「も〜、悪かったってば! 次からちゃんとするから呪わないでよ」などとミツキが情けない声を出す。そんな、当たり前のように交わされるやり取りを眺め、悠斗がポツリと呟いた。
「ポケモンにも、色々いるんだな……」
親友が漏らしたその一言に、「ムラクモさんのアレは特別だと思うけど」と富田が言う。森田は散らかり尽くした台所から出されたお茶の消費期限を気にするのに忙しく、泰生はゴーストポケモン達に内心でときめくのにいっぱいいっぱいで気づいていないようだったが、ただミツキは聞いていたらしく、長い前髪を揺らして悠斗の方を振り向いた。
「そうだね」
嘘のように澄んだ瞳が悠斗をみつめる。
「ポケモンも、人間も。色々いるもんだよ」
それだけ言って、ミツキは「じゃあ本題に入りましょうかー」と話を変えてしまう。「ムラクモ、なんか紙取って紙、メモ取れるやつ」などと甘ったれるその声色は頼り無く、先ほど悠斗に向けられた、浮世離れした神秘を感じるものとは全くもって違っていた。『その辺のゴミでも使え』悪態を再生しながらも、ゲンガーは机に積まれた本の中からノートを探し出してミツキへ放る。そんな献身的な姿を見ていた森田は、どこか親近感を覚えずにはいられなかった。
ノートでばしばしと叩かれているミツキの方をじっと見たまま、悠斗は黙って動かない。そんな彼に声をかけようとして、しかし、富田はそうしなかった。
何か言う代わりに口をつけたお茶は不思議な香りを漂わせ、喉に流れると奇妙に落ち着くようだった。消費期限のほどは、大丈夫だったようである。
「…………それで、羽沢さんたちにかけられた、っていう呪いなんだけど」
悠斗達、依頼者の向かいに座ったミツキが言う。
「恐らくは、ギルガルドの力を利用したものだ」
「ギルガルド?」
ポケモンには疎すぎるほどに疎い悠斗が素直に問いかける。その発言に泰生はこめかみの血管を浮かばせ、森田は両手で頭を抱えたが、肝心の悠斗は気づいていないようだった。
しかしミツキは嫌な顔をすることなく、「ちょっと待ってね」と近くに散乱した本や資料を漁り出す。が、お目当ての物を彼が発掘するよりも先に『これ使え』と、何かを入力していたムラクモがタブレットを手渡した。「あー、ありがと、ありがと」ヘラリと笑い、ミツキはその画面を悠斗達へと見せる。
「ギルガルド、おうけんポケモン。ヒトツキからニダンギルに進化して、そのまたさらに進化したポケモンですね。はがねタイプとゴーストタイプの複合、バトルにおいてはかなり優秀な部類ですから、泰生さんは結構お目にかかっていらっしゃるのではないでしょうか」
「うむ。そうだな、何度も苦戦したもんだ」
過去のバトルを思い出しているのか、泰生が苦い顔をして頷いた。綺麗に磨かれた画面に映し出されているのは厳つい金色をしたポケモンで、貴族っぽい気品は感じるものの、それと同時にゴーストポケモン特有の不気味さも持ち合わせている。話に参加出来る知識が無いため無言で画面を覗いていた悠斗は、なんでこのポケモンは二種類の姿が表示されているのだろうか、という疑問と、どっちにしてもなんか気持ち悪いな、という失礼極まりない感想を抱いた。この場にギルガルドがいたら迷うことなくブレードフォルムとなるに違いない。
「なんでわかったの」富田がもっともなことを聞く。問われたミツキは「僕の千里眼と、あと、さっきムラクモにお二人の影にちょろっと入って調べてもらった」とさらりと答えて「それに、呪いの内容だよ」と、タブレットをタップして図鑑説明を表示させた。
「ギルガルドは、人やポケモンの心を操る力があるんだ。昔は王様の剣として、そう……直接的な戦いで力になることは勿論あっただろうけれど、国を治めるために、忠誠心を生み出すってこともしてたんだって」
「そんな恐ろしいことが出来るんですか!? そんな……それじゃあ、まるで独裁政治じゃないですか!」
「ごもっともです。まあ、実際のところ国一つ……というか、村一つの心を操るのもほぼ無理な話で、ギルガルドの主たる王によっぽどの力が無ければ大勢の心を操るなんてことは不可能ですよ。それに、それほど力を持った王様なら、ギルガルドの霊力など無くても統治出来ますしね」
ミツキの説明に、森田は「なるほど」と安心したようだった。が、ミツキは「でも、ですね」深刻そうな表情を前髪の影の下に浮かべる。
「それが、もし少人数だったら話は別です。……たとえば、二人、とか」
「………………」
「心を操るというのは、何も考え方を変えるというだけには留まりません。根底を折って廃人にしてしまうことも可能ですし、精神だけを異世界へと飛ばしてしまうなんてことも範疇です。それに、羽沢さん方のようなことも」
「……じゃあ、悠斗たちの心を入れ替えた犯人は、ギルガルドを使ってたってこと」
「そういうことになるね。呪いの対処が二人くらいなら、そんなに実力者じゃなくてもいいだろうから……しっかし不思議なんだよなぁ」
両腕を組み、ミツキは視線を上へ向ける。何がだ、と尋ねた泰生に『妙なんだよ』と答えたのはムラクモだ。
『ミツキの千里眼や俺の影潜り……人やポケモンを通して、そのバックボーンを調べると、大概呪いをかけた相手が多かれ少なかれ見えるはずなんだ。その人に思いを向けているヤツってことだな、感情の内容がわかれば普通、その主もわかる』
「でも、羽沢さん方は、その『思い』しか見えないんです。ギルガルドによる力だということしかわからない……呪いをかけた相手の顔が、全く感じ取れないんだ」
『多分、直接呪いをかけたわけじゃないんだ。そもそもお二人とも、呪術だの魔術だのが効くタマじゃないっぽいからな。覗くくらいなら出来るが、霊感が無さすぎて効果が消えるらしい』
「ノーマルタイプとか、かくとうタイプにゴーストの技が通じないみたいなものですね!」
ミツキによる例え話に、森田が「あー、あー」と納得したような声を出した。「やっぱり」と富田も一緒になって頷く横で、羽沢父子はなんとも言えない敗北感に面白くない顔をする。
それに気づいた森田が慌てて咳払いをし、その場を取り繕うように「で、でも」とわざとらしく発問する。
「直接っていうのは、ポケモンバトルの技みたいに、呪いをかけたい相手とかける方がダイレクトに繋がってるってことですよね。じゃあ、そうじゃないっていうなら、どういうことですか。間に誰かがいるってことですか?」
「誰か、というより感情の類です。祈ったり願ったり呪ったり……そういう、何か霊的だったり神的だったりする気持ちを媒介にすると、直接は無理な場合でも呪術が通じることがあるんですよ」
『もっとも、明るい感情はうすら暗い呪いにはほぼ使えないし、もっぱら負の感情になるが……一番手っ取り早いのが、五寸釘打たれたみがわりにんぎょうを使うアレだな。そこにこもった感情から本人にアクセスする呪い』
「どうです羽沢さん。ここ最近、何か呪いをしたことは」
「あるわけないだろう」
「んなバカなことするもんか」
「ですよね」
怒気を孕んだ二つの即答に、ミツキは「すみません」と謝りつつ肩を竦めた。会話を聞いていた森田と富田はそれぞれの心中で、まあそうだろうな、と同じ感想を抱く。泰生も悠斗も、呪いどころか可愛いおまじないでさえもまともに信じていないようなタチなのだ。宗教的なことを軽んじる人達では無いけれど、かといって自分からそういう行為をするなどあり得ないだろう。
行き詰まった問答に、一同はしばし黙り込む。最初に動いたのは「でも、一応手がかりは掴めたわけですから」と伸びをしたミツキだった。
「霊力自体は嗅ぎつけたんです。地道な作業にはなりますが、ここを中心に、カントー中、ひいては世界中の……まあ出来ればそうしたくないですが……ギルガルドを探し当てて、この力と同じものを探してやればいいんです」
『何、俺たちは探偵稼業もやってますからそういうのは得意なんですよ。ホエルオーに乗ったつもりでいてください』
「色々ありがとうございます。申し訳ありませんが、どうかよろしくお願いします……!」
「お、お願いします!」
「…………よろしく頼む」
「なるべく早く、ね。よろしく、ミツキさん」
四者による各々の頼み方に一つずつ頷いたミツキは、「任せてください」と微笑んだ。
何かあったら連絡してください、という言葉と共に彼が扉を開けると、陽はとっくに暮れていた。一階のラーメン屋の灯りだけが路地裏を照らす。手すりにぶら下がっていたズバットが、扉の隙間から急に差し込んだ光に驚いて飛んでいってしまった。
「ここのこととか、ムラクモのこととか、御内密に頼みます」「言いたくても言えませんよ……」「そりゃあそうか」気の抜けた会話を交わしつつ、悠斗達は非常階段へ続く外に出る。薄ぼんやりとした月が見上げられるそこで、いざ帰路につこうと彼らが背を向けたところで、真夜中屋のサイキッカーとその相棒は、揃ってイタズラっぽく笑ったのだった。
『そんな場合でも無いかもしれないが――』
「この際、思いっきりぶつかってみるのもいいと思いますよ」
無言で視線を逸らし合う親子にミツキが言う。「生き物だもの、ってね」なんとも微妙なアレンジが加えられたそれに、『パクんな』という電子音声が夜の空に響いた。
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