扉が開く。足音が響く中、ハンガーから1着の衣服が下ろされる。
「随分不用心なことだ、鍵をかけないとはな。しかし、これが落とし穴になるとは誰も思うまい。さて、最も安全な場所に隠すとするか」
「いくでぇ、これがうちの切り札や!」
ジムリーダーアカネはピッピを戻すと、次のボールを放り投げた。ボールは弧を描き、彼女の「切り札」を繰り出した。
「ん、あれは確か……ミルタンクか」
ダルマは「切り札」を図鑑で調べた。名前はミルタンク、ノーマルタイプ。このポケモンから取れるモーモーミルクは全国的にも有名で、ジョウト地方の西部には牧場がある。耐久、素早さ共に高く、回復技もあるため粘り強い戦いを得意とする。
「何はともあれ、あと1匹倒せば俺の勝ちだ。頼むぜスピアー」
ダルマはスピアーに声をかけた。スピアーは進化したばかりのためか、荒らぶっている。
「あんた、ミルタンクをピッピと同じだと思たら痛い目見るで」
「望むところですよ」
「ふーん、やったらええねんけど。ミルタンク、まずは電磁波や!」
ここにバトルの第二幕が下ろされた。先手を取ったミルタンクはスピアー目がけて電撃を放つ。
「なんの、ダブルニードル!」
スピアーは電磁波を避けることなく果敢に攻めた。新品同様の腕から2本の針を発射し、ミルタンクの腹にヒットさせた。ミルタンクは針を振り払ったが、直後に顔色が悪くなった。
「よし、毒が効いたな」
「ほんま、毒が好きやな。ま、それもここまでや。頭突き!」
ミルタンクは、電磁波を浴びてスピードの落ちたスピアーに近づいた。そし
て、自らの頭をスピアーに打ちつけ始めた。
「チャンスだスピアー、こちらも反撃だ!」
ダルマはスピアーに指示を送る。だが、スピアーは何かに取りつかれたかのように動かない。1回2回は耐えていたが、ミルタンクの執拗な攻撃の前に、スピアーは為す術なく地に伏せた。
「す、スピアー!」
「どや、これがミルタンクの力やで!」
スピアーをボールに戻すダルマとは対照的に、アカネはまさに左団扇である。ダルマは歯ぎしりをすると、次のボールを手に取った。
「こうなったら……頼むぞアリゲイツ」
ダルマは2つ目のボールを投げ入れた。出てきたのは、毎度おなじみのアリゲイツである。牙を剥き、ミルタンクを威嚇するが、ミルタンクは平気な顔をしている。
「ふーん、そいつがあんたの切り札か。随分弱そうやな」
「そ、そんなことはないですよ。こいつは、幾多もの戦いをくぐり抜けた相棒です」
「なるほどな……。ほなウチも本気でいかせてもらうってするで」
アカネは浴衣の袖をまくった。艶やかな腕が露わになる。周囲の男達の鼻の下が伸びたのは言うまでもない。
「うーん、これはちょっとまずいな。形勢は極めて彼に不利だ」
外野では、ボルトもニコニコしながら戦況を分析する。彼の鼻の下もまた、よく伸びている。ただ違うと言えば、鼻血が垂れていることだ。その横ではユミが右手を拭いており、ゴロウは彼女と距離を取ろうとしている。
「おっちゃん、ダルマはどれくらい不利なんだ?」
「お兄さんだ。そうだね、勝負が決まったと言えるくらいかな。さっきのスピ
アーの惨状を見ただろ? あれがアカネちゃんの強さの秘訣、『まひるみ』なんだ」
「まひるみとは、どのようなものなのですか?」
「……まひるみは、相手を麻痺させてからひるみ効果のある技で攻め立てるという戦術さ。麻痺せず、しかもひるまないで動かないといけないから、行動回数が著しく減る。ダメージを受けずに何回も攻撃できる、とも言えるね」
「でもよ、普通に攻撃していれば勝てるんじゃねえのか?」
「ああ、みんなそう言って彼女に負けるんだよ。君も彼女に挑むなら、まずはしっかり見ることだ」
ボルトが声を出して笑い上げた。ゴロウは再びバトルに目を遣った。
「まずは水鉄砲で様子見だ!」
先に動いたのはアリゲイツだ。手始めに水の弾丸を2、3発ミルタンクに撃ち込んだ。ミルタンクはこれを腕で受け止め、アリゲイツに接近した。
「逃がさへん、電磁波や!」
ミルタンクはスピアーの時と同じく弱々しい電気を、アリゲイツに浴びせた。アリゲイツは一瞬うずくまるものの、なんとか立ち上がる。
「隙あり、頭突き攻撃や!」
「負けるなアリゲイツ、水鉄砲を乱射してやれ!」
こうして激しい殴り合いが始まった。とは言うものの、実際はミルタンクの独壇場に近い。ミルタンクは何度も頭部を叩きつけるのに対し、アリゲイツはひるみと痺れで思うように攻撃ができていない。しかし、幸いにもスピアーの置き土産である毒がまわってきたようで、ミルタンクはアリゲイツから離れた。一時的に解放されたアリゲイツには脂汗がにじんでいる。
「く、くそ。毒が効いてくるの遅くないか?」
「んー、もしかしたらそれ、食べ残しのせいちゃう?」
「た、食べ残し? なんですかそれは」
「……これはびっくり、食べ残しを知らんトレーナーがおるとはな」
アカネは目を丸くしてダルマを眺めた。
「あのー、できれば教えてくれませんか?」
「うん、ええよ。食べ残しってんは、持たせたらちびっとずつ体力を回復できる道具や。これである程度毒のダメージを減らしとったちゅうわけや」
「な、なるほど。しかし、毒がまわってきていることに変わりはない。もうちょっとでこっちの勝ちだ」
「そらどないんちゃう? ミルタンク、休憩がてら一杯飲むんや」
アカネは勝ち誇った顔をした。ミルタンクは、どこからともなく白い液体が入ったビンを取り出し、それを気持ちよさそうに飲み干した。すると、ミルタンクの顔から疲れの色が抜けていくではないか。
「な、なんだありゃ? ミルタンク、体力回復しちまったぞ」
これに驚きを隠せないのは外野のゴロウである。ボルトは頭をかきながら説明した。
「そうなんだよ、あれがミルタンクのアイデンティティーとも言える技、ミルクのみだ。効果は至ってシンプルで、体力を回復する。多少毒がまわったところで、回復が追いついちまう」
「しかし、回復する時は攻撃のチャンスなのでは?」
「普通ならね。けど、今アリゲイツは麻痺しちゃってるだろ? これにより回復の隙ができる。アカネちゃんのミルタンクにはこういうカラクリがあるのさ」
「じゃ、じゃあダルマは……」
ゴロウは食い入るように戦況を見守る。しかし、見れば見るほどダルマが不利なのがはっきりしてくる。
「どない? うちのミルタンクは。強いやろ」
「ぐぐぐ……」
ダルマはぐうの音も出ない。周囲は決着がつくのを今や遅しと待っている。
「さて、ぼちぼち決めようか。頭突き!」
一息入れて体力を回復したミルタンクは、今一度アリゲイツに向かって歩を進める。
「く……こうなりゃやけだ。アリゲイツ、まもるだ!」
ミルタンクの前進に対し、アリゲイツは腕を交差して構えた。
「時間稼ぎなんて無駄や。そのまんまいてまえ!」
ミルタンクは強引に攻撃を加えた。アリゲイツは、歯を食い縛り必死に守る。
「あと少し……あと少しでなんとか……!」
ダルマは全ての神経を研ぎ澄ました。彼は勝機を見出だそうと、血眼になってバトルの行方を注視する。
その時である。ミルタンクの顔に、疲れが見え隠れしてきた。ここが勝負所と、ダルマは人差し指をミルタンクに突き付ける。
「もらった、ばかぢからだっ!」
「な、なんやって!」
ダルマの叫びに、アカネの表情が凍り付く。アリゲイツはミルタンクの攻撃をなんとかこらえ、鳩尾にあたる部分を全力で殴り付けた。この衝撃で、ミルタンクは一直線に吹き飛ばされ、アカネの足元で転がった。
「み、ミルタンク、しっかり!」
アカネの懸命の声かけも及ばず、ミルタンクの意識は遠退き、そして倒れこんだ。
「……はあー、勝ったー。もう駄目かと思った……」
勝利を確信したダルマは、思わずその場に座り込んだ。外野からは多くの悲鳴と少しの驚喜がこだまする。
「ダルマ!」
「ダルマ様!」
その騒ぎを縫うように避け、ゴロウとユミが駆け寄ってきた。その後ろからボルトがのんびり歩いてくる。
「ダルマ、中々やるじゃねーか。けど、あんな隠し玉あったんなら、なんですぐ使わなかったんだ?」
「ああ、ばかぢからは使うと能力が落ちるんだ。下手に使ったらかえって危ないと思ったからとっといたんだよ」
「それにしても、今のバトルは素敵でしたよ」
「はは、そりゃありがとう。けど、今回の勝利はアリゲイツのおかげだな」
ダルマは苦笑いしながらアリゲイツをボールに戻した。
「うーん、うらやましいねえ、こんな可愛い女の子にそんなこと言ってもらえるなんてさ」
「あ、ボルトさん。時間は大丈夫なんですか?」
「もちろん。今が6時だから、もう少しだね。さて、そろそろ例のものを受け取ったほうがいいんじゃないかな」
ボルトは軽く目配せした。ダルマはすぐ、何かを手に持つアカネに気付いた。
「あんたごっついな、こないな強いトレーナーは久しぶりや」
「あ、ありがとうございます」
「ちゅうわけで、これをプレゼント。レギュラーバッジ、大事にしてな」
アカネはダルマに、ジムバッジを手渡した。ダルマはそれをまじまじと見つめ、こう呟くのであった。
「……これで3個目。あと5個でポケモンリーグ、これからも頑張るぞ!」
・次回予告
ポケモンを回復させに空いている部屋を探していたダルマ。その時彼は、あるものを見てしまう。彼が発見したものとは一体? 次回、第29話「逆転クルーズ前編」。ダルマの明日はどっちだっ。
・あつあ通信vol.9
最近、中谷彰宏氏の「『!』は使わない」という言葉を意識して台詞を考えてます。いかに記号を使わずに表現するか。例えば、次回予告の最後の部分「ダルマの明日はどっちだっ」は、以前は「ダルマの明日はどっちだ!?」といった感じでした。気付いた方はいらっしゃるでしょうか?
ちなみに、同レベルで努力値無振りアリゲイツのばかぢからでは、防御特化ミルタンクの体力を、最大でも45%程度しか削れません。話通りにバトルをする時は、必ず毒を入れましょう。
あつあ通信vol.9、編者あつあつおでん