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「今日もお仕事お疲れ様、ビー君」
ヒンメル地方の王都、【ソウキュウシティ】の北側の外れ、丘の上に王城が見える林のそばのレストラン。
配達屋の仕事を終えたビー君に「お疲れ様」と言う。それが私の、ヨアケ・アサヒの最近の定型句となっていた。
私の言葉に生返事をするビー君……ビドー君とは最近共通の目的、私の幼馴染で指名手配中の“ヤミナベ・ユウヅキ”を捕まえるためにタッグを組んだ相棒である。
ビー君とは仲はそれほど悪いわけではないけど、親しいかと言われると疑問を覚える。そんな感じの関係だった。
ビー君は、今日はボールの外に出ている手持ちのリオルにじっと見られながら、携帯端末で何か調べていた。
それから「都合がよければ」と前置きをして遠慮がちに私に言う。
「ちょっとこのあと、近くで行きたい場所がある。付き合ってもらってもいいか、ヨアケ」
おや珍しい。いつもだったらわりとすぐ帰るビー君からのお誘いとは。
「いいよ。どこ行くの?」
「その、王宮庭園だ」
「庭園とは意外。お花見に行くの?」
「まあ……そんなところだ。実は見たい、そして見てもらいたい花があるんだ」
「ほうほうほうほう」
思わず身を乗り出す私とリオルの食いつきっぷりに引くビー君。ええー、そこまで言われたら気になるじゃん普通。
「どんなお花なの?」
「……俺の、名前の由来になった花」
「……ビドーって花?」
「違う……下の名前だ」
下の名前、ええと確か表札に書いてあったような。いつもビー君、ビー君、ビドー君って呼んでいたから、ぱっと思い出せない。リオルは私に軽くショックを受けている。ご、ごめん。
ビー君は、「まあ、仕方ないか」と少し寂しそうにその名前を告げてくれる。
「オリヴィエ。ビドー・オリヴィエ。それが俺のフルネームだ」
わりと綺麗な響きの名前だったっ。
「その、ずっと苗字であだ名付けていてゴメンね……」
「いや俺もお前を苗字で呼んでいるし……その方が……その方が助かる」
謝る私にビー君は助かると言った。何故彼がそういう風に言ったのかは、この時点の私は知らなかった。
微妙な雰囲気の中、「とにかくだ」と彼は言い、念じるように私を誘った。
「花を見に行こう。思い出の花を……一緒に見てほしい」
その気迫に、私は押し切られる。断る理由も、なかったんだけどね。
**
庭園までの道のりは徒歩で行くことに。歩幅を合わせて、一緒に林道を並んで歩く。
そうはいっても、3人とも足の長さは違うので、歩くスピードを合わせている、の方が正しかったかもしれない。
ビー君は、普段に比べて穏やかだけど、ほの暗い面持ち。そして懐かしそうに語り始める。
「王宮庭園は俺がリオルに出会うもっと前の小さい頃、一度だけ親父と来た場所だ」
「……お父さんとの思い出の場所なんだね」
「いや、一緒に行ったことはないが、母さんとの思い出の場所でもあるらしい」
妙な言い回しに不思議そうにしていたら、ちょっと気恥ずかしそうにビー君は説明してくれる。
「俺が生まれる前にふたりはその庭園でデートしたらしいんだよ」
おお。つまりはお花見デート。風情があるなあ。
あ……なるほど。
「そこで二人が出会った花が、ビー君の名前になったんだね」
「そういうことだ」
「へえ、どんなお花なんだろう」
「それは着いてからの楽しみ……にでもしておいてくれ」
少しだけ、彼の声が明るくなる。気を張っているのかもしれないけど、何故かは解らない。
感情の波導を受け取っているはずのリオルも、微妙な顔をしていた。
もしかしてビー君本人はそこまで気が進まないのでは? そう言おうかと思ったけど、やめた。
彼が見てほしいと望んだのだから、うやむやにしてはダメな気がしたから。下手な発言は控えようと思った。
お互い無言でしばらく道沿いに歩いて、歩いて、歩く。
ちらちら林の隙間から見える色とりどりのフラベベたちを眺めながら、歩いていく。
逆になんかここまで会話がないのも、珍しい気がする。
ビー君は緊張していて、それがリオルだけでなく私にも伝わってくる気がした。
「この辺……そろそろ着く頃だ。記憶が正しければ」
「そう……もしかして、あそこ?」
「だな。あそこだ」
白い塀が連なって見えてくる。結構広そうな庭園だ。
「人の気配が、しないな……ポケモンは結構いそうだけど」
確かに、彼の言う通り人気が少なさそうだった。ナゾノクサが塀の隅っこに並ぶようにして埋まっていた。思わず視線がそちらへ行く。
「引っこ抜いちゃだめだぞ」
「わ、分かっているって!」
受付に行くと、スボミーが窓越しにうたたねしていた。スボミーの手前の箱には、観覧料を入れる箱が入っていた。一応運営しているんだ……。
受付の横には、「花泥棒禁止!」と書かれた古びたポスターが大きく貼られていた。だいぶ前から居るのか花泥棒……。
「ドロボウもだめだぞ。怖い庭師に切り刻まれるからな」
「……もしや切り刻まれた過去でも?」
「親父がな」
「お父さんが?!」
お父さん無事だったのかどうかすごく気になるけど、触れていい部分なのだろうか?
心配していると、ビー君は少し可笑しそうに口角を歪ませた。
「半分冗談だ。ドロボウに入ってひどい目を見たのは確かだが」
「半分しか冗談じゃないよっ。ひ、ひどい目……どんな目……?」
「親父は花を持ち帰るまでは成功したそうだが、庭師に家まで押しかけられてその花の苗木を庭に埋められ育てさせられたんだ」
「ええっ、それで?」
「大事に育てるんだと念を押されて、生涯手入れを怠らなかった。そう、盗んだ花を育てる大変さを、身をもって知ることに……そう、死ぬ前に罪の告白を俺にしたよ」
「それって、どう反応したらいいのか。庭師さんは怖いけどなんか……」
「くだらないだろ? ドロボウの末路なんて」
「くだらないっていうよりは愉快な話だなと」
「そうだな。愉快な話だった」
くくく、とビー君は珍しく笑いをこらえる。
でも私はこの話に一つ疑問を覚えた。
「でもどうしてお父さんは花を盗んだの?」
「俺に、プレゼントしたかったかららしい。母さんが亡くなって寂しがっていた俺に、名前の由来になった花を、あげてやりたかったんだってよ」
「ふうん。優しいお父さんだったんだね」
「それは褒め過ぎだぞ。庭師が見逃してくれたからいいものの、危うくドロボウの息子になるところだったんだからな俺は」
あらま、厳しいのね。
あれ、でもその話だと花木、今ビー君が住んでいるアパートじゃなくって……。
ビー君の昔の家の庭にあるんじゃ?
何故わざわざ王宮庭園まで足を運んだのだろう。
リオルもそのことが気になったみたいで、自然と視線が合う。
首をかしげるリオル。そうだよね、不思議だよね。
「……話はこの辺にしておいて、行くぞ」
「……うんっ」
気になったけど置いておいて、先ゆく彼を追いかけ、私たちも庭園に入った。
* * *
「おお……!」
ラランテスが花木の剪定をし、ハスボーが水辺の花と共に浮かび、アブリーたちも花の蜜を吸っている。図鑑では知っていても初めて見るポケモンにも驚きつつ、花と共生している姿に小さな驚きを覚える。
木々にも、水辺にも、花壇にも花が溢れていた。
エリアごとに区分されている花々。どこに行けばいいのか悩んでいると、オレンジ色の一輪の花をもった花の妖精のポケモン、フラエッテが舞い降りてきた。
「フラエッテ、オリヴィエの花はどこか知らないか?」
ビー君が尋ねると、フラエッテは笑顔でこっちだと宙を舞い、手招く。
ゆっくりと追っていくと、見覚えのある他の人の名前とその名の花を横目にする。
「結構多いんだね、花の名前の人って」
「まあな。なんでも、王子が花の名前をつけられてから、ヒンメルで植物の名前を子供につけるのが一種のブームになっていたらしいな。まあもちろんそうじゃない名前もあるけどな」
「どうりで」
あんまり色々と眺めていると、日が暮れてしまうので、若干急ぎ目に庭園を巡っていく。
また機会があったらゆっくりと辿ってみたいものだとビー君に言ったら、
「暇があったら、付き合ってもいい」
と返してくれた。まあ、そうそうゆっくりお出かけなんてできる日は来ないとは思うけど。
私は笑いながらその言葉をしっかりと覚えたぞという意味合いの言葉を言った。
「ふふっ。言質、とったよー」
「なんで言質なんだ。そこは約束、とかでもいいだろ」
「いやいや、約束するほど、気軽に来ることできないからここ」
「そりゃ、そうだけどさ……」
地味に残念そうなビー君。なんか約束に拘る理由でもあるのだろうか。
このままでは二度と来ない雰囲気もありそうだなと危惧したので、約束とまではいかないけど……私は、次の機会を望んだ。
「ま、気力とヒマと体力があったら、また遊びにこようよ。ね?」
「……おう」
こっちを振り返らずに、返事するビー君。ぶっきらぼうだけどしっかりと応えてくれたので、今はこれでよしとしよう。
* * * *
フラエッテに誘われ庭園を奥へ奥へと進んでいく。そこには、背の低い木々が連なっていた。
どこか懐かしい、そして独特な花の香りがする木々の群れ。
ビー君は香りを辿るように、探し、そして。
「――あった」
とある木々になる花の前で立ち止まる。フラエッテも、その花木の上をくるくると回っていた。その花こそ、オリヴィエだった。
それは、オレンジ色の小さな花々が集まりながら咲いている、いい香りのする花だった。
「ほー、これがオリヴィエ。いい香りの、可愛い花だね……ビー君?」
ビー君は、俯いていた。
私もリオルも同じように俯くと、土の上に小さな花たちが夜空の星のように散らばっていた。
「こうしてみると花が星みたい、だね」
率直な感想を述べると、彼は……声を振り絞って、言葉を紡いだ。
「……母さんも、同じこと、言っていた……らしい」
「そうなんだ」
「親父が、花の名前で、母さんが……星の名前で。だから、だからこの花を見た時に、俺の名前にしようと、思ったって……」
「うん、うん……良い、素敵な名前だね」
「……ヨアケ」
「なに、ビー君」
「俺は」
俯く彼のかけているミラーシェードが水滴だらけになって、その奥の瞳を星から隠す。
彼のリオルも苦しそうな表情をしていた。
そして彼は私に告白した。
愛ではなく、懺悔の告白を彼は私にしてくれた。
「俺は、この名前を、オリヴィエを名乗るのが……嫌、なんだ」
* * * * *
彼の幼馴染でありアパートの同居人の二人が、ずっとビー君のことをビドーと呼ぶのは少しだけ気になっていた。
でも、それにも恐らく理由があったのだろう。
それはきっと、これからビー君が語ってくれる。
その理由を、
その過去を、
彼が私に語りたいと思ってくれたのなら……私は聞こうと思った。
「どうして?」
ミラーシェードを拭きながら、夕空を仰ぎ見て、彼は静かに語り始める。
「さっき、庭師に家にオリヴィエの花木を植えてもらったって話したよな」
「言っていたね」
「その木、親父が死んだ後もまだ元気だった。そして、ラルトスが居なくなった後も変わらず花を咲かせていたんだ」
ビー君の家族が居なくなった後に残された花。ビー君は、やけっぱちに陥りそうになっても、それでも世話をしていたらしい。
けれど、
「ある日、家に盗人が入ったんだ。この国を巻き込んだ事件からまもなくはだいぶ荒れていたからな。盗人も今より多かった。俺は、一人で盗人を取り押さえようとしたんだ」
「なんのポケモンだったかまでは思い出せない。けど、炎タイプだったんだろう。そいつの連れていたポケモンが、主人を助けようとして火を吹いた」
「まあ、だいたい察しがつくだろうが、その炎に焼かれて燃え尽きてしまったんだ。その思い出の花木が」
「それ以来かな、誰かから何かを奪うやつらを、より憎むようになったのは」
「そしてなにより、自分を憎んだ。大切な花木を守れなかった、自分自身を呪った」
……結局のところ。
彼は、ビー君は過去の自分を赦せなかった。
その呪いが、きっと今でも彼を縛り続けているのだろう。
「オリヴィエと、そう呼ばれるたびに、その記憶が嫌でも思い出される……だから、どうか俺のことはビドーと、ビー君と呼び続けてくれると、ありがたい」
その願いに、どこか素直に受け入れにくいなと思う自分がいることに、気づく。
この違和感は無視するべきではない。そう直感が告げる。傍らのリオルを見たら、尚更。
迷いは、あった。それでも、振り切り前に進む。
過去を引きずり続けても、それでも前に一緒に進んでほしい。
そう、私は願う。
相棒として、そして……一人の友人として!
「分かった。ビー君と呼び続けるね……ただし」
「ただし?」
「キミが下の名前で呼ばれたいと思うようになるまでだよ。それまではビー君と呼び続ける」
「……それは」
「すぐになんて無理は言わないから。でも、もし、もし私がキミの名前を呼んでいいって思った時は、私のこと名前で呼んで。アサヒって呼んで。それが合図だから」
* * * * * *
結果。
私の言葉にビー君は狼狽えた。めちゃくちゃ抵抗というか、弱気な言葉を並べていく。
「いや、でも、そんな……俺とお前は目的を共通するから共に行動している、だからこその相棒だ……だから、ええと、いいのか? 親しく名前を呼び合うとか。その…………友達みたいじゃないか」
えっ?
「相棒になる以前から友達じゃないの? ポケモンバトルした時くらいから友達じゃないの、私たち」
「えっ」
「ええっ!? ふつう友達でもない人に庭園見に行こうって誘わないよ? ましてや自分の大事な花見てもらいたいって思わない、んじゃ……?」
だんだん自信がなくなり言葉が尻すぼみになっていく。
つい忘れていたけど、そもそも私は……ビー君たちにとってあんまり好ましい立場にいなかった。
ビー君たちも巻き込んだ事件の関係者かもしれない私に、そんなこと望んで言いわけがなかった。
そのことを改めて、感じていたが、ビー君とリオルは否定してくれた。
「ごめん、私がビー君を友達と言っていい資格、ないよね……」
「いや、そんなことは……それとこれとは別だ」
「そうなの?」
「俺がそういうことでお前を見る目変えると思うのか。心外だぞ」
ビー君の言葉に、リオルも強く頷く。ふたりとも……。
「ただ、確認する勇気が足りなかったんだ。俺とお前がその……友達なのかどうか。友達を名乗っていのかどうか……」
勇気、か。確かに私にもなかったのかもしれない。
立場のこともそうだけど、ビー君が私のことどう思っているのか、確認するのが私も少し怖かった。
でも、ここまで来たら……ちょっと勇気を、出してみる。
「じゃ、今からでも友達になろうか」
「友達の基準大雑把過ぎね?!」
わりと真面目に言った言葉に、そのツッコミはないぞ、ビー君。
そしてビー君の顔が赤く染まっているように見えたのは夕焼けのせいにしておこう。初々しいな。
「怒鳴ってすまん、よく、分からなかったんだ……友達とか、どうやってなるのか分からなかったんだ……」
しょげているビー君に、見かねたのかフラエッテが私たちの間に舞い降りてきた。
「フラエッテ?」
フラエッテは、ビー君の右手を掴んで、私に向けて伸ばさせた。
私は迷わずその右手を自分の右手で握り返す。
「なるほど『てをつなぐ』だね。これでいいんだよ。きっと」
フラエッテが使える技ではないけど、意味合い的にはそうしてほしいとフラエッテが気遣ってお膳立てしてくれたのだろう。
背中を押されたビー君が、勇気を出してくれる。
「……友達に、なってくれ」
「うん」
「そしていつか、お前の名前を呼ぶから、俺の名前も呼んでくれ」
「わかった。約束だよ」
「ああ、約束だ」
そんなやりとりを、リオルが小さく笑いながら見守っているのが、見えた。
ビー君の右手を自分の左手に渡し、空いた右手をリオルにも伸ばす。
意図を汲んだビー君も、同じようにする。
「リオルも、だよ」
「そうだな」
驚きを見せるリオル。それから仕方なさげに両手で私たちの手を取ってくれた。
黄昏時の庭園、星空の地面の傍ら、短い言葉と約束を交わし、そうして私たちは友達になった。
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フラエッテたちに見送られ、庭園を後にする。
リオルは気恥ずかしかったのかビー君の持つボールの中に帰ってしまった。
一方ビー君は、ひどく疲れた様子だった。泣いてしまってもいたし、気疲れもしたのだろう。
でも憑き物が落ちたように、彼らしさを取り戻していた。
「一度にいっぺんのことが起こり過ぎて混乱する……」
「ま、そういう日もあるよ。また明日からも頑張ろう」
「そうだな。また明日からも、よろしく頼む。相棒」
ビー君とのこの日々がいつまで続くかはわからない。
いずれはこの毎日もなくなってしまうのだろう。
でも、一つ言えるのは、私とビー君たちがユウヅキを捕まえても、目的を果たした後でも友達でいられるかもしれない、ということだった。
その差は、私にとっては結構大きかった。
だからこそ、私は呟く。
今日という日を、忘れないために。
今の思い出を刻むために、呟いた。
「楽しかったね、お花見」
私の言葉にビー君が短く、でもしっかりと返事を返してくれた。
降りてきた夜の帳には、星が瞬いていた。
あとがき
お花見とビドー・オリヴィエ君の過去語り短編でした。
アサヒさんとの関係は今までぼんやりとしていましたが、ビー君、一歩踏み出せました。よかった。
今回見た花であるオリヴィエは、オリヴィエ・オドランという、いわゆるキンモクセイの花ですね。匂い結構強いけど、私は好きです。
このお話しは以前開かれた第三回バトル描写書き合い会の自作、「小さな星の花を君に」の後日譚でもあります。ビー君の親父さんの活躍もあるので、そちらはカフェラウンジ一階にあるのでよければそちらもぜひ。
あと、オリヴィエを「小さな星の花」という呼び方にこだわるのは、ヨアケ・アサヒが太陽、ヤミナベ・ユウヅキが月モチーフなところもあったり後付けでもあったりします。太陽と月と星ですね。
それでは他の方のお花見短編も楽しみにしつつ、短編その3はこれにておしまいです。
読んでくださり、ありがとうございました。