――――移り行く時も、変わりゆく場所も酷だ。
昔立っていた所から眺めた風景すら全然違うものになってしまう。
【破れた世界】の向こう側からずっとこのヒンメル地方を眺めてきて思う。
果たして思い出の風景は本当に存在したのかと。
ましてや自分の記憶が果たして本物だったのか……と。
……まあ、あの2体の力を借りて確認したから、実在した過去だったのは確認済みなのだが。
さて、1000年ほど生きてもいると、記憶というモノもだいぶあいまいになってくるものだ。
だからこそまた、ここで振り返ってみよう。
過ぎ去ってもなお、引きずり続けている苦く美しい思い出とやらを、再認識しようじゃないか。
決意をさらに確固なものにするために。
◆ ◇ ◆
1000年以上前のヒンメル王家に仕えていた探究者(今でいう研究者や科学者)どもは、当時の王が求める不老不死の術を探して実験を繰り返していた。
だが当時の探究者にはその術を思いつくことが出来なかった。
そこで彼らは別の方向を模索する。
彼らは不老不死の術を見つけるために働き、コミュニケーションも取れる体のいい実験体を作ることにした。
阿呆な話彼らは……言い方を変えれば、神に匹敵する知恵を持つ者を生み出そうとしたのだ。
そのために王家の宝でもあるすべてのポケモンの遺伝子を持つと言われているミュウの遺伝子のコピーを、あろうことか彼らは培養したニンゲンの子の遺伝子に組み込んだ。
すべての遺伝子を持つというミュウのハッタリを信じれば、神と呼ばれしポケモン、アルセウスの遺伝子も含まれているとでも考えたのであろう。
そうして生まれてきた数多の“なりそこない”の上に、僕は誕生した。
検体番号MEW96106。それが僕に与えられた呼び名だった。
幼いころの僕は何も疑うことなく、探究者どもの命じるままに求められたものを想像していった。探究者どもは僕の閃きをもとにその空想の道具や施設などを作り上げていった。
やがて成果物が王の目に留まりその功績を認められた僕は、ある程度の自由な行動を認められる。
案の定と言うべきか、最初は道行く人やポケモンに珍しいモノを見る目で見られていた。
それがいつからだろう、恐怖の眼差しを向けられるようになったのは。
異様な肌や髪の白さだとか、眼の色だとかを言われるとかは序の口で。
いつも何か変なことをしているおかしな近寄りたくない奴。と邪険にも扱われていた。
何かしら役にでも立てば、少しは扱いが変わるだろうかと思いもした。
が、思いついたものを作れば作るほど、その突き刺す視線は増えていった。
戸惑いは慣れと共に徐々に薄れていった。
たぶん、表現としては心というものが摩耗していたのだと思う。
存在理由として与えられた課題に対して無機質にひたすら発明品を作り続ける日々。
その毎日は、不老不死の術とやらを見つけたところでさして変わらないだろう。
生きる意味なんて知らなかったが確実に僕自身も道具に成り果てようとしていた。
そんなころだっただろうか。彼らと出会ったのは。
海辺の町【ミョウジョウ】で波打ち際を眺めていた僕に、あの子が話しかけてくる。
その蒼くて小さいポケモン……マナフィは、この【ミョウジョウ】で愛されている町のシンボル的な存在だった。
マナフィに絡まれて戸惑う僕を、少し遠くから微笑ましそうに眺めていた水色の髪の少年もいた。
後の英雄王、ヒンメルの王子ブラウ。
後の未来で僕からすべてを奪った者だった。
◆ ◇ ◆
ポケモンにしては流暢に口で言葉を話すマナフィに、僕は質問攻めされた。
質問にできる限り答えると、マナフィは目を輝かせてもっと質問を重ねてくる。
名前を聞かれ答えた時、マナフィはその番号を覚えきれず、代わりに僕に「クロ」という愛称を付けた。
僕もマナフィのことを「マナ」と呼ぶように促されたのでしぶしぶ従う。
やりとりを見ていたブラウは、「クロ」から連想して僕に「クロイゼルング」という長ったらしい名前を与えた。
クロイゼルングの意味は“さざなみ”。僕らが出逢った海辺の波打ち際を示していた。
色々思うところはあるが、この名前自体は悪くはないと思っている。
少なくとも番号よりかは、だが。
マナは僕のことを奇異な目では見なかった。気味悪いとも、恐ろしいとも言わずに、自然体に接してくれた。
接するというよりは……振り回す勢いで僕に構ってきていた。
マナあちこちを引っ張りまわされている僕を、ブラウはぎこちなくも付きまとってくる。
そんな忙しい日々が、退屈と絶望をしていた僕の日常を変えたのは確かだった。
世間知らずな僕は、ふたりとも生まれて初めてできた友だと思っていた。
「いつまでも続けばいいのに」なんて言葉は、その先を知らないからこそ軽く口にできる言葉なのかもしれないとつくづく思う。
◆ ◇ ◆
昔のヒンメルはよく隣国から土地を狙われていた。それに巻き込まれるのは僕らも例外ではなかった。
僕は不老不死の術と共に、いわゆる兵器を作れと命じられることが多くなった。
不老不死の実験体は誰も名乗り出なかったため、自らの身体で試し続けた。
幾度となく死にかけたけど、マナを守るためならその命令も苦ではなかった。
最初の頃に作った兵器は機巧仕掛けのものが多かった。しかし、量産が追いつかなくなり、次第にポケモン、そしてニンゲンのもともとのスペックを上げるような案を出した。エスパー使いのサイキッカー集団も生み出すことにも成功した。
ヒンメルの防衛が成功すればするほど、探究者どもの顔色は青くなっていった。
余談だがアルセウス信仰はこのヒンメルにも広がっている。
表向きそのエスパー使いは神から力を与えられた神官として後世ヒンメル王家に仕えた。まあ、最終的には彼らも追放されるのだが。
◆ ◇ ◆
ヒンメルが他国の侵攻を防ぎきってしばらくしたあの日。
忘れようもない、忌々しいあの事件が起きる。
【ミョウジョウ】の研究所でしばらくぶりにマナと再会し、ひと時を過ごしていた。
マナは以前のような活発さはなくなっていた。でも僕を唯一労ってくれた。
その、唯一の救いであるマナが……火事に巻き込まれて死んだ。
火事の原因は、僕を討伐しに来たブラウの兵団が研究所を燃やすために町ごと放った火だった。
全身を焼けただれる熱さの中わけも分からぬまま僕は生きていた。
皮肉にも、僕自身で実験していた不老不死の術が完成してしまっていたと気づいたときには、隣のマナは苦しんでいた。
熱と煙で息絶えそうなマナを抱え、剣を持ったブラウに遭遇する。
遠巻きの兵団と民衆とポケモンたちを無視して僕は彼に問うた。
どうしてこんなことをしたのかと。
そんなに僕が生きていることがおぞましいのか。だとしてもマナを巻き込む必要はないではないか。
マナはお前にも懐いていたではないか。
何故だ……何故だ何故だ何故っ!
家を焼かれてもなお僕を化け物を怪人を殺せと願うミョウジョウの、否ヒンメルの愚民の罵声とポケモンたちの吠え声と炎の背景の中。
酷く泣きじゃくった彼から返って来たのはたった一言だけ――――
「ごめん、“クロ”」
――――謝罪と、愛称だけだった。
結局、奴もコミュニティに属するニンゲン。
王子だという肩書で重圧と責務に縛られていたのは分かってはいた。
飼いならされていた僕ですらそのことは解っていた。
でもだからこそ、到底許せることではなかった。
その後、何度も。
何度も何度も何度も何度も。
途中から数えるのも億劫なほど何度も。
ブラウが疲れ果てるまで何度も僕は、奴にトドメを刺され続けた。
その時死ねたらどんなに楽だったのだろうか。
それでも僕は死ねなかった。
僅かに生まれたチャンス。やっとの思いで。瀕死のマナの身体を抱えて、転がり駆けまわり、走り、走って、焼けた研究所跡地に向かう。
マナがもう助からないのは解っていた。
それでもこれ以上失うのだけはこりごりだった。
ああ。神の如き知恵があるように作られたのなら、働け、この頭。
すべての遺伝子を持つミュウの力があれば、ポケモンの力があれば何かしら方法はあるだろう?
マナを救う方法くらい、簡単に思いつくはずだ。
思いつけよ。僕はマナのことをよく知っていただろう?
そう考えた時、魔が差してしまった。
“マナのことをもっと知れば、助けられるかもしれない”と。
思ったなら、止められなかった。
気が付いたら僕はマナの身体の一部のコアを、自分の額に移植していた。
マナの遺伝子を自分の頭に取り込んでいた。
目の端に映ったのは、研究の一環で作っていた身代わり人形。
僕はありったけの知識を使って、離れ行くマナの魂。心だけを器に繋ぎとめた。
いつまでも返事は返ってこない。反応も何もない。
それでも確かに、確かにマナの心はそこに居た。
奇跡か皮肉か、現世に魂を留めることに、成功してしまった。
やがて僕は殺されない代わりに【破れた世界】に流された。
人形だけは、持っていくことを許された。
別れ際奴はもう、僕を名前で呼ぶことはなかった。
あの日からだいぶ久しく、誰かに名前を呼ばれることはなかった。
世界の裏側から遠くを眺め続け。マナの復活方法を考え1000年が経った。
歴史は勝った者の都合のいい方に捻じ曲げられ、国を守り僕を討ったブラウは英雄王と呼ばれるようになる。
そして僕は後世まで怪人と語り継がれてきた。
僕は死んだことにされた後も、怪人のままだった。
僕はポケモンでも人間でもない。両者から爪弾きにされた怪物……否、怪人だ。
だから今この時この機会に、逆に僕は名乗ってやることにした。
僕は怪人。怪人クロイゼルングだ、と……。
怪人の恐ろしさを示し、ポケモンも、ニンゲンもあらゆるものを利用し、そして。
そしてマナにもう一度逢うんだ。
また愛称で呼んでもらえるようになれるために。