スタジアムから離れた森の中の崖際。 激しい雨に打たれながら、俺は泥だらけで地に転がる小柄な彼を見下す。 今、彼が負っている傷の数々。それは傍らにいる俺のサーナイトにつけさせたものだ。 俺が下した指示で、つけさせた傷だ。 それを見て、ひどい虚しさに襲われていた。 色々想定外の出来事はあったが狙い通りの展開にはなった。<エレメンツ>“五属性”の彼だけを引きはがし、打ち倒すことは成功した。そして、一つの課題を除けばその後のことも順調に運びそうだった。 ……ただ、後悔が抑えられない。
どうしてもっとうまくやれなかったのだろうか。
覚悟は決めていたはずなのに、いざしでかしたことを目の当たりにすると、ひどく気分が悪くなる。その感情はサーナイトにも伝わってしまい、苦しませてしまう。
こんな方法以外でもいくらでも手段はなかったのか。
そう悔いてももう時は戻らない。やってしまった行動も、つけてしまった傷も消えない。 後戻りはできない。
「……止めを刺すぞ」 「はは、わかったよ……けどさ、ちょっと待っておくれよ」
強がりなのか、虚栄なのか。悪態交じりに彼は作った笑みを浮かべた。 何かの携帯端末の画面を差し出しながら、彼は俺に言う。 彼は、ソテツは俺を……呪う。
「もうすぐ彼女がオイラを追ってくる。どうせやるなら、彼女の目の前でやって見せろ――お前も痛みを伴え」
彼の呪いは至極もっともだと思った。 決断に迷いは少なかった。俺はその痛みも引き受けることにした。
ごうごうと流れる崖下の河川を見て思う。 俺はもうとっくに崖から踏み外して、溺れているのだろうか、と……。 ひたすら暗い水底の中、俺はあとどれだけ自分を保っていられるのだろうか。 その疑問に答えてくれるものは、いない。
***************************
スタジアムの騒動から、ソテツ師匠が私の目の前でユウヅキに崖下の川に落とされて行方知れずになってから、2日が経った。 私は、みんなにソテツ師匠が荒れ狂う川に落ちたとしか、伝えられていない。ユウヅキが、彼のサーナイトがソテツ師匠を突き落としたとは言えていない。 言わなきゃ、いけないのに、その責務すら果たせていない。
ガーちゃんはソテツ師匠の行方をずっと捜している。あの場にいた<ダスク>のメンバーと思われる人々は避難する観客に紛れて姿を眩ませた。ココさんの処遇はまだ決まっていないけど、意識を取り戻したトウさんが彼女を庇っていたとは、聞いている。 色々手伝ってくれたフランさんたちのその後も気になるけど、探す余力がなかった。
アキラ君に相談する手もあったと思う。何通かメールもくれていた。でも返信したら現実を認めてしまうような気がして、なかなかできずにいた。正直、現状を受け入れるにはまだ時間が欲しかった。 アパートの自室に居るとどうしても考えがぐるぐる回ってしんどかったから、半ば逃げ出すように【カフェエナジー】のカウンター席で時間をつぶしていた。 ……いや、それは半分くらいの理由で。 もう半分は、ソテツ師匠があの時言った、ユウヅキから来るという接触を待っていた。 半ばすがるような思いで、待っていた。
私と、ウェイトレスのココさんと、彼女の手持ちのミミッキュしかフロアにはいなかった。 沈黙している私たちを、ミミッキュは交互に見る。 ふと、ミミッキュと目が合う。そういえばあの日ココさんと最後に会った時、トウさんが倒れたあの場にミミッキュの姿はなかった。
「そういえば、ミミッキュはあの時どこにいたのかな」 「ボールの中よ、応援張り切りすぎて途中から疲れて寝ちゃっていたのよ」 「……ごめん」 「いいのよアサヒさん、あたしこそ……」
ミミッキュにも謝ると、ミミッキュは頭を小さく振った後、頼んでいないモーモーミルクのおかわりを置いた。
「あたしたちのおごり」 「……ありがとう」 「いいのよ。その代わりちょっと独り言を言うから……聞き流してちょうだい」
グラスの中のモーモーミルクに口をつけながら、私はじっくりと彼女の独り言に耳を立てる。
「……あたしね、最初はトウを裏切ってでも<ダスク>で動くつもりだった。それが、<エレメンツ>では雁字搦めでできないことを、“闇隠し”にあったみんなを助けに行くことを<ダスク>でならできると思ったから。そして、まだ<ダスク>を抜ける気はないわ……ただ、今後は<エレメンツ>にも協力するつもり」
ココさんはため息を吐くと、「これは痛感したことなんだけどね」と前置く。
「トウが倒れて、思ったの。あたしが<ダスク>に入ったのは、やっぱりトウを守りたかったからなんだって……だから彼を守るためならいっそどっちも裏切っちゃおうと思うの。いっそ半端者を、貫き通そうかなって。もちろん、言えないことは言えない。でもあたしがパイプになって間に立つことで、少しでもお互いの傷が減ればいいなとは、思う。もう、遅いかもしれないけどね。でもやれるだけやってみるつもり」
彼女のぶっちゃけ話を聞いて、私は返事を返してしまう。
「都合、よすぎるよ。それに……遅いよ」
携帯端末でアクセスした電光掲示板の情報を突き付ける。今回の騒動とパニックで出た怪我人の人数と、行方不明者の……ソテツ師匠の名前を、突き付ける。 ココさんは黙り、静かに目を伏せた。私はこらえられずに、言葉をあふれさせる。
「<エレメンツ>だって、決して現状のままでいいとは思っていなかった。確かに助けに行く方法は<スバル>の人たちに任せてはいたけど、この地方を、今いる人たちを守ろうとしていた……あの大会だってひと時でも楽しんでほしいってずっと準備していたはずなのに、でもそれを<ダスク>は台無しにした。集まった人達に怖い思いをさせた」 「……あたしたちは、忘れられていくのが、忘れてしまうのが怖かったのよ」
その痛いくらいにわかってしまう想いに、言葉が詰まる。
「時間を積み重ねていくとね、思うのよ。忘れちゃいけないことでも、忘れたくないことでも、どんどん気持ちが薄れていくのが、あたしは怖い。だんだん周りから諦めていく人がでていくのが、仕方ないって思えてしまうのが……嫌で。その楽しいひと時の間で気分転換しても、隣にいるはずだった人がいないのは、変えられない。待っていて変えられないなら、こっちから動いて変えるしかないじゃない……でも、強引に巻き込むやり方は間違っていたと思うわ……」
猛省しているココさんに、トウさんの件で疲れている彼女に……今これ以上言及するのはよくないと思った。 彼女だけを責めるのは、違うと思った。 私が責めるとしたら、それは……。
「……<ダスク>って何人くらいいるの?」 「わからない。でもそのくらいには多いわ」 「その中に、ヤミナベ・ユウヅキって人はいる?」 「? ああ……いるわ」 「そう」
もう、認めなければならなかった。 あの日見た光景が、感じたあの感触が、聞いた声が、悪い夢ではなく、現実だということを、私は認めなければいけなかった。
入り口の扉の開き、外の風が少し入り込む。 そこに居た彼らを見て、私はどんな表情をしていたのだろう。 出来れば、わずかでもがっかりした顔は、見せたくなかった。
私の様子をじっくりと見てから、彼は顔を背けて言った。
「結局あの日、ヤミナベには会えたのか」
そのビー君の横顔は、苦しそうだった。
苦しいのは、私だけじゃない。そんな当たり前のことに今更気づく私はやっぱりバカだなあと思った。
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彼の傍らに立つルカリオは、静かにビー君を見ている。それが心配している目だということは、もう私はわかっていた。 私はもっと自暴自棄になる前に、ちゃんと話すべきだった。 遅いけど、もっと遅すぎになる前に、話さなければ。 ためらいを乗り越えて、私は話す。
「うん。一瞬だけユウヅキと彼のサーナイトに会えたよ……でも彼らが、ソテツ師匠を川に落としたんだ」 「……そうか」 「黙っていてゴメンなさい……あまり、驚かないんだね」 「そりゃ、お前があんだけへこんでいたらな。ヤミナベがらみで何かあったとは思っていた……わかった。許す。その代わりに、きちんと他のやつらにも言うこと。いいな」 「ありがとう」
ビー君はこちらに向き直って、「じゃあ、まずは現状整理だ」とメモ用紙とペンを取り出す。
「確認するが、ヤミナベ・ユウヅキの隕石強奪に<ダスク>が加担していた、でいいのか?」 「うーん。ココさんは<ダスク>にユウヅキがいるって言ってくれたよ」
ココさんは短く返事をすると、何か考えをめぐらすように、カウンターの机をじっと眺めていた。
「確かに、あの時ココチヨさんも……最優先じゃないにしろ隕石も狙いだって言っていたな。どのみち<ダスク>とヤミナベがグルだったのは、変わらねえ。ココチヨさん……その、今回の襲撃の目的って、話してもらえるか?」 「……とにかく会場にいる人々、あたしたち以外を無力化させ、かつソテツさんを引きはがして孤立させ叩く。それが第一目的だったわ。隕石もどさくさで奪えればとは考えていたけその暇はなかった。多分デイジーの機転が早かったのはあると思う。そして最後の目的は、私たちの存在を印象付けさせるってことだった……」 「それがあのダークライの悪夢か……どうして、一番目の目的がソテツを狙うことだったんだ?」 「バランス。ソテツさんが、<エレメンツ>の中でトップクラスに強くて……一番実践慣れしていたからよ。彼を中心に徒党を組まれて戦いを仕掛けられていたら<ダスク>は、<エレメンツ>に劣勢だったと思うわ。だから、卑怯を承知でも孤立させこちらの、その……エースに奇襲させたの」
ダークライに発信機を取り付けて後を追い、孤立無援になったソテツ師匠は、ユウヅキとサーナイトに不意打ちをくらい、打ち倒されたのだろう。卑怯と言えば、卑怯だ。けど、有効な手ではあると思う。
ビー君がペンを動かす手を止め、ルカリオと一緒にこちらを見ていた。
「無理にとは言わないが……何かまだ言いたいことがあるんじゃねーか、ヨアケ?」
ビー君の問いかけは、的得ていた。打ち明けるって決めたのに、まだ黙っていようとしていたのか私。往生際が悪いにもほどがある。
「ごめんビー君……実はソテツ師匠が、ユウヅキからの私への接触が何かしらの形であるって言い残してくれたんだ」 「そうなのか?」 「うん」
驚いた彼の表情が、だんだんと険しくなる。
「…………そうか、一人で接触する気だったんだな」 「あ……えっと、それは……」
その鋭くなる視線の意味を、理解するまで時間はかからなかった。 自分のしていた行動からでは、言い訳のしようもない。 ……私は、バカだ。こんな大事なことすらも、見失っていたなんて。 ルカリオもビー君も、動揺しながら私を見る。
「一緒に捕まえるんじゃ、なかったのか」 「……ごめん、先走った」 「俺がお前を送り届けるまでもないってか」 「そんなことは……!」
ルカリオがビー君の肩を掴み、制止しようとしてくれる。ビー君はルカリオの瞳を見て、顔を伏せた。感情を押し殺した声で、彼は謝る。
「……カッとなった。すまん」 「違う、違うの! これは私がいけないの! ビー君謝る必要ないっ!」 「だが、俺もあの時と似た悪夢を見せられてからイライラしていた。余裕がなかった」 「でも、それでも……!」
過ちに気づいてから、うまく言葉が選べない。 皆が私の言葉の続きを待っている。待ってくれている。
どうしよう。何が言いたいの? 大事な約束を忘れて破ろうとした私は、何が言いたいの? 謝罪? 言い訳? そんなみっともない言葉を聞かせて、許されたいの?
違う。と直感が騒ぐ。 でも、言葉が見つからない。見つからないの。
どもっているとルカリオと目が合う。それからビー君とも。ふたりとも、心配そうに私を見ていた。
結局その場で言葉は見つからなかった。そして―― ――沈黙を破ったのは、新たな来客がドアを開けた音だった。
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ドアを開け入ってきたのは紫のぷよぷよとしたポケモンメタモンを頭に乗せた白いパーカーの少年と、黒いランプのようなポケモン、ランプラーを引き連れたオレンジの髪の灰色のパーカーの青年だった。 ココさんがすぐ対応に向かうと、白いパーカーの少年が「あははごめん、注文は後で。ちょっとそこのお姉さんに用があって」と言い、私の方へまっすぐ歩いてきた。
「あなたがアサヒさんだね。初めまして。ボクの名前はシトリー。『シトりん』って呼んでくれるかな?」 「えっと、初めましてシト……りん? どうして私の名前を?」 「どうしてだと思う?」
私を見て笑うシトりんにビー君とルカリオが警戒を強める。 その眼差しを感じ取ったのか、オレンジの髪の青年がシトりんとふたりの間に立つ。 ビー君たちにガンを飛ばす青年の頭を、ランプラーは「おちつけ」と言っているように叩いた。
「ローレンスの言うとおりだよイグサ」
シトりんはランプラー、ローレンスの行動を支持した。それからイグサと呼んだ青年をたしなめる。 イグサさんは渋々というか、結構嫌そうな顔をしてから、それでも「悪かった」と謝った。 そんなイグサさんを見て、シトりんの頭上のメタモンが少し可笑しそうに笑っていた。 ぽかんとしている私たちに向かって、今度はイグサさんが話し始める。
「僕らは、今日はメッセンジャーとして君に会いに来た。ある人に頼まれて伝言を持ってきたんだ、ヨアケ・アサヒ」
その言葉を聞いて、私はユウヅキからのメッセージかもしれないと思った。ビー君とルカリオもその可能性を感じていて、彼らの言葉にじっと耳をすませていた。
「シトりん」、とイグサさんは促す。その言葉に応え、いったんメタモンを床へと降ろし、息を整えるシトりん。
「……うん。伝言はこうだったよ」
その時、シトりんの佇まいが……変わった。 姿勢、というか、雰囲気、と言えばいいのか。先ほどまでの無邪気な笑みを浮かべる少年とは打って変わった空気をまとって。
姿形はそのままで、シトりんは別人になった。
その演技というにはあまりにも精巧な何かによって形成され現れたそれは、 私のよく知っている、懐かしい彼の姿が重なって見えた。
「“【暁の館】で待つ、なるべく一人で来てほしい”」
一言だけ。でも。でもその声は。 その声はまぎれもなくユウヅキのものだった。
「……っ!!!」
形容しがたい感情がこみあげてくる。思わず、目頭が熱くなる。 ずっとその顔を見つめていたくなるような気がして、感情に飲まれそうになって……だからこそ、私は一回目蓋を閉じる。 ぐっと目をつむって、また開いたそこには、先ほど出逢ったシトりんがそこに居た。
「……だってさ。依頼主からの伝言はこれだけだよ、あはは」 「……伝えてくれて、ありがとう。すごい、似ていた……どうやったの?」 「あはは。ボクはいつだって誰かの模倣者だからね。物真似が得意なんだ。どういたしまして」
そう笑うシトりん。まるでこの子はそこにいるメタモンみたいな子だなと思った。 そう思ったことを見抜かれたのか、シトりんは再び頭に乗せたメタモンを私に紹介した。
「ちなみにこの子もシトリーっていうんだよ」 「ややこしいね」
わりと率直な感想が出てしまった。
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少年シトリーからの伝言を聞いたヨアケの反応を見て俺は、改めて悟る。 こいつが本当に、ヤミナベのことが気になっているんだなと。
(意外だな)
その事実に、俺はもっと嫉妬するのかとも、思ったこともあった。 もっと、荒れるかなとは、覚悟していた時期もあった。 でもどこか静かな気持ちで俺は、ヨアケの背中を押していた。
「【暁の館】は【ソウキュウ】の外、東南にある館だ。行ってこい。そして何か困ったらすぐ連絡しろ」 「ビー君……でも私は貴方に送り届けてもらうって、貴方と一緒に捕まえるって……!」 「俺が送り届けることにこだわって、せっかくのチャンスを無駄にしてはいけないからな……うまくやれよヨアケ」
俺の目を見た彼女はだいぶ迷った後、しっかりとうなずき「ありがとう」と言ってカフェを飛び出していった。 ヨアケを見送った俺に、イグサが話しかけてくる。
「彼女は何者だ」 「何者って、もうアンタらはヨアケの名前は知っているだろ?」 「そうじゃない。君のルカリオは波導の力を持っているはずだ。ルカリオは、彼女の異常な気配に気づいていないのか?」
急に名指しされたルカリオは驚き、首を横に振る。 ヨアケの異常な波導なんて、俺も気づいたことはないぞ。
「波導だと、わからないのか……? いや、でも」 「イグサ、だったか。さっきから何を言っているんだ?」 「…………僕とシトりんは普段、ローレンス、つまりはランプラーの力でさまよう魂をあの世に送る仕事をしている。いわゆる死神みたいなものだ。この国にもある仕事来ている。だから、僕自身も仕事で魂を探すために“見る”訓練をしてきたんだけど……」
イグサは俺に問いかける。まるで似たようなものを見てきたかのような質問を、問いかける。
「彼女、変なことを言ったりしていなかったか? 例えば心当たりのない記憶があるだとか、変な光景が見えただとか」 「……あった」
港町【ミョウジョウ】でヨアケが気を失い、変な景色を見たと言ったことがあった。 それ以来ちょくちょくその現象があると聞いてはいた。でも当人に特に影響があるようには見えなかったから、深く気に留めていなかった。 俺の反応を見て、奴は深刻な表情で一つの結論を導き出す。 ヨアケに起きている状態を、俺に伝える。
「おそらく彼女の体には、二つの魂が重なっている」
イグサに詳しい話を聞こうとしたら、カフェの扉が思い切り開かれた。 入ってきたのは大きな帽子をかぶった銀髪ショートカットの女。 鋭い赤い目つきでシトリーと雑談していた(一方的にからかわれて困惑していた)ココチヨさんに注文を突き付ける。
「マトマピザ。チーズ多めの。デリバリーで」 「えっと、デリバリーはやってないのだけど……」
女はこめかみをかき「察しろ」と言わんばかりにイライラした。 そしてなぜか俺の方を指さして言う。
「そこの配達屋に届けさせればいいでしょ?」 「! 生ものは扱ってないぞ?」 「じゃあ今から扱え。届け先は【暁の館】で。それじゃあ“早め”にね」
言い放つだけ言い放って、女は去っていった。何かを感じ取ったココチヨさんとミミッキュは慌てて厨房へ走っていく。シトリーとシトリー(メタモンの方)が残念そうに笑っていた。 さっきの続きを聞きたかったが、なにやら一刻を争う事態のようだ。そのことはイグサもわかっていたようで、静かに彼は首を横に振った。
「今僕から話せることはもうない。えっと名前はビー……」 「ビドーだ」 「ビドーか。君も準備をした方がいい」 「……ああ、そのようだな。行こうルカリオ!」
俺とルカリオは、駐車場に置いていたサイドカー付きバイクを取りに向かう。
(悪いヨアケ、今行くからな)
曇り空の中見える太陽は、傾き始めていた。
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「もっと警戒するべきだったかな」
その青髪の青年、アキラの声は暗い通路の中をこだましていく。 【スバルポケモン研究センター】の地下施設に、アサヒの旧友のアキラは閉じ込められていた。 2日前所長のレインに彼の部屋に連れてこられたアキラ。 その部屋の隠し扉から、地下施設へと案内されるも、隙をつかれ扉にロックをかけられてしまう。 電波は、繋がらない。何かしらのジャミングがかけられているのかもしれない。助けがくるという希望にすがって待つという選択肢は、彼は最初から持ち合わせていなかった。
「向こうがその気なら、思う存分調べさせてもらうよ。後悔するぐらいにね」
“闇隠し事件”の調査団のメンバーとして<スバル>に来てからだいぶ経つというのに、アキラはこの場所の存在を知らされていなかった。 知らされていない、ということは知られてはいけないことがあるとアキラは判断する。 アサヒのことも心配だったが、彼は今自分がすべきことを彼は見据えていた。 冷静に、落ち着いて、一つ一つ彼は観察をする。
「僕がフィールドワーク専門ということをあなたが忘れているわけでもないだろうに。ラルド。『フラッシュ』を頼むよ」
アキラは手持ちの一体。フシギバナのラルドに『フラッシュ』をさせ光源を確保する。 幸い、居住区画を見つけられたので食料や水といったものには困らない様子だった。充電口もあったので、手持ちの携帯端末と予備バッテリーにも問題はない。ポケモンを回復できる装置も見つけた。これなら思う存分に探索できる。
「いや、いくら何でも充実させすぎだろ」
レインの目的がここにアキラを隔離することだとしても、待遇がよすぎると彼は感じていた。誘導されているようにも感じるとアキラは思う。
現在調査中の書斎区画には、膨大な資料が管理されていた。 ポケモン関連の書籍が大半を占めるのは分かるが、医療関連の本も多い。 アキラの目に留まった本の一つに“レンタルポケモンの基礎理論”というやたら分厚い本もあった。 知識欲を抑えつつ、アキラたちは探索を続ける。
一つの机の上に、伏せられた写真立てがあった。深緑色の髪の少年、おそらくレインの幼少時代の姿と、彼のパートナーのカイリューの進化前のポケモン、ミニリュウの姿。
……そしてもう一人。 見覚えのある真昼の月のような銀色の瞳をもった、見知らぬ黒髪の女性がそこに写っていた。 写真立てから写真を丁重に取り外し、その裏側に記された文字をアキラは読む。 そこには、こう記されていた。
“スバル博士と僕とミニリュウ。××××年×月×日”、と……。
この場所について、もっと詳しく調べる必要性があると、アキラは考え行動を再開した。
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以前ビー君に注意されたけど、私はまたデリバードのリバくんに乗って空を飛んでいた。もちろんロングスカートのままで。 曇った空の間から差し込む陽光は、どこか神秘的なきらめきをしていた。騒ぐ胸の内を抑えつつ、私とリバくんは、彼に教えてもらった建物の前に、降り立つ。
「大きな館だね、リバくん……」
大きな丸い目を細くして、リバくんは一言鳴き声で答える。リバくんもだいぶ緊張しているみたいだった。 「ここまでお疲れ様。いったんボールに戻っていてね」と言いながらモンスターボールに戻すと、頭の中に声が聞こえてきた。それは、最近聞こえる方ではなく、エスパーポケモンなどのテレパシーによる交信だった。
(玄関から見て、左の建物、礼拝堂で待っている)
一方的な言伝通りに、私は礼拝堂に向かって歩いていく。 そしてその扉を開いて、中へ入った。
礼拝堂の中に、御神体のアルセウスと呼ばれるポケモンをかたどった像を見上げる一人の男性がいた。
青いサングラスをかけた、短いこげ茶の髪をした黒スーツの人物に、私は先ほど出逢ったシトりんたちのことを思い返しながら声をかける。
「そういえば貴方もメタモンと一緒だったね」 「まあな」
サングラスをいったん外し、頭からかぶっていたメタモンの『へんしん』を解かせ、懐から深紅のスカーフを取り出し襟元に巻く彼。青いサングラスで再び真昼の月のような瞳を隠す。黒いつんつん頭の懐かしい顔は、モンタージュとはやっぱり違って、昔の彼の面影をきちんと残していた。 彼が、話を切り出す。
「髪、伸びたなアサヒ」 「貴方がくれた髪飾りつけたかったのと……願掛けしていたからね。ユウヅキ、貴方にまた再会できる時まで伸ばすって」
彼は、ユウヅキは静かに首を横に振った。 それからゆっくりと、しっかりと……彼は私に名乗りなおす。
「今の俺はヤミナベ・ユウヅキを名乗れない。今の俺の名前は、ムラクモ・サク。<ダスク>の責任者だ」
ムラクモ・サク。<ダスク>の責任者。 その名前に不思議な感じがした。 あの雨の日に貴方を見つけたとき、そんな可能性も考えたけど、やっぱり違和感しか湧いてこなかった。 でも、ユウヅキの長年の旅の目的である、ルーツ探しが成就していたのだ。形だけでも祝福の言葉はかけておこうと思う。
「貴方のルーツ、見つかったのならよかった」 「ああ、見つけた。一緒に旅して探してくれたおかげで、見つけられた。俺の……本当の名前を」 「そっか、でも……」
自然と素直に、私は昔、彼にかけた言葉と同じ言葉を口にしていた。
「やっぱり……私にとって、貴方はユウヅキだよ。ヤミナベ・ユウヅキという、かけがえのない大切な存在だよ」 「そうか。ありがとう――だが、まだアサヒのもとには帰れない」
返ってくるのは、昔とは少し違う返事。 そこには、また変わってしまった関係や立場があった。
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「そう。なら無理やりでも、捕まえてでも連れ帰るよ……私の消えている記憶のこととか、聞きたいこといっぱいあるし」
積もりに積もった疑問質問の渦の中で。 あの嫌でも忘れられなかった雨の日の出来事を思い返して、問いただす。
「なんで身動きとれなかったあの人にとどめを刺すような真似をしたの?」 「とどめを刺した方が、お前が俺を憎むと思ったからだ」 「下手な嘘。貴方はそんなことしない」 「……ああそうだ。ソテツは生きている。あの時崖下にサーナイトに落とさせるように見せかけて、『テレポート』で別の場所に移動させた」
長い溜息を吐き、彼は続ける。
「もともと、ソテツを打ち倒し、そのまま身柄を<ダスク>で預かる予定だった。だが、ただ捕まるのは格好がつかないと言われ、やった。今にして思えば馬鹿馬鹿しいと思っている」 「ソテツ師匠に伝えておいて……このバカ師匠。貴方の見栄っ張りでガーちゃんずっと心配して探していたって」 「必ず伝えておく。あと簡単に川に飛び込もうとするな。もっと自分を大事にしてくれアサヒ」 「ユウヅキこそ」
心配をかけているのは、貴方もでしょう? そう訴えても、彼は固い表情のまま。 むくれていると、今度はユウヅキが問いかけてくる。
「アサヒ。今度は俺から大事な質問だ」
ユウヅキは私の目をしっかりと見て。質問を投げかける。
「お前の周りに、何も事情を言えなくても協力してくれる人はいるか?」
言われて真っ先に思い浮かぶのは、最近頼もしく思える、あの小さいけど大きい背中。 彼なら、ビー君なら……私は頼れるかもしれない。そう思い、肯定する。
「……うん。いるよ。何も言わないのは、失礼だと思うけどね」 「そうか」
その時ユウヅキの顔に見えた表情は、どこか苦しそうな諦めと安堵の色だった。 ……そういえば、さっきからユウヅキのメタモンの姿が見当たらない。 「ねえ」と尋ねようとして、彼の“引き金”に遮られる。
「できることなら――――“【すずねのこみち】で待っていて”欲しかった」
それはキーワードだった。 言葉の鍵。 声紋認証。 色々言葉はあるけれど。
“【すずねのこみち】で待っていて”という言葉は、私たちが初めて出会ったあの場所で待っていてほしいという言葉は。 私が記憶を消されるときに聞いた最後の言葉だった。 その言葉こそが、私の思い出を封じ込めていた鍵を開く言葉だった。 どっと意識が過去に持っていかれる。
そして現実を思い出す。
私が“人質”だという、現実を思い出す。
そういえば無意識にプールや海に、水に足を入れることを拒んでいた。 それはあの暗闇の湖に足を入れて以来のことだった気がする。
あの時の感情。 あの時の恐怖。 あの時の悲しさ。 あの時の苦しさ。
貴方が私の記憶を消した意味を、思い出す。 知らない記憶の意味も、理解する。
「あ、ああ、うあああ……?!」
気が付いたら床布の上に膝をついていた。 だらだらと嫌な汗が流れる。涙で滲んだ目でユウヅキを見ようとするも、視界がにじむ。 悪寒がして、息が苦しくなる。 頭が痛くなる。 それでも必死に意識を保つ。
冷たい声色の彼の声が聞こえる。
「それでもお前は俺を追ってくるのか」
……昔、私はすべてを投げ出そうとして。 それを命がけで止めてくれたのは、ユウヅキだった……。 それでも私は止まれなくて。彼は私のその衝動ごと、オーベムと一緒に封じ込めてくれたんだ。
全力で、守ってくれたんだ。
だったら、救い上げてくれた彼に、今の私が出す答えは、一つだけだ。 そこだけは、ぶれない……!
「追うよ。そして、捕まえる」
涙を流しながら、私はユウヅキを睨んで立ち上がる。 それから、
「よくわかった――やれリーフィア」
聞きなれないポケモンを呼ぶ彼の声。 ザシュっと何かが一瞬で切られる音。 そしてどさりと床布の上に落ちる音。 急に、軽くなった頭。
恐る恐る振り向くと。 メタモンが空のボールを持っていて。その前にはリーフィアと呼ばれた草を刃にできる、レイちゃんと同じくイーブイの進化系のポケモンがいた。 そして、足元に昔ユウヅキからもらった髪留めと一緒に、切られた金髪が広がっていた。
「俺はお前の敵だ。これ以上俺を追うと言うならば容赦はしない」
目の前が、真っ白になりそうだった。
「……困った、なあ……」
震える声を絞り出す。 崩れ行く意識の中。私は彼の声を聞いた。 その声に、光に引き戻される。
「――ヨアケ!!!!!」
差し込まれる夕時のオレンジの光とともに、ビー君とルカリオが扉を蹴破ってそこに居た。 ちゃんとそこに、居てくれた。
***************************
謎の銀髪女に宅配ピザを渡した後、(入るタイミングがなかったのもあるが)ルカリオと扉の前で盗み聞きしていた。が、ヨアケがヤミナベの手持ちのリーフィアに後ろ髪を切り落とされたのを見て、俺はルカリオとともに反射的に飛び出していた。 彼女のことを呼び、奴へと叫ぶ。
「大丈夫かヨアケ!!! くっそヤミナベてめええええ!!!」
俺より先にルカリオが『フェイント』を混ぜリーフィアを突破し、ヤミナベに飛びかかっていった。
「サク様!」
素早く俺たちとヤミナベの間に割って入ったのは、パステルカラーの毛並みの一角ポケモン、ギャロップに乗った銀髪女だった。
「メイ。余計なことを」 「どうせ、収拾つかなくなっていたんだからいいでしょ。それより今は前っ!」
ルカリオの『おんがえし』の拳を、ギャロップは『10まんばりき』で踏みつける。 衝撃でお互い後ずさり、いったん距離が開く。 メタモンを乗せたリーフィアがヤミナベのもとに駆け寄り、こちらに敵意を向ける。 硬直状態にさらに乱入してきたのは、礼拝堂の入り口に降り立つドラゴンポケモンのカイリューと、
「アンタは……レイン!」 「どうもご無沙汰しております。ビドーさん」
<スバルポケモン研究センター>の所長、レインだった。 彼は、いや奴はみつあみを揺らしながら俺たちの隣をカイリューとともに通り過ぎ、ヤミナベ側に立った。
「どういうことだ?」 「どうもこうも、私もこちら側、ということですよ」 「……俺たちを利用していたのか。研究センターがヤミナベに襲われたっていうのは」 「ああ、あれは私が手引きしました。一応言っておくと、私とサク、そして彼女メイも“同志”です」
驚く俺たちをよそに、レインは改まって自己紹介をする。
「改めまして、私は<スバル>の所長、兼<ダスク>のメンバーのレイン。<ダスク>の目的は赤い鎖のレプリカによるギラティナの召喚、及び破れた世界に隠された人々の救出。“闇隠し”を起こしたサクに協力しています。ちなみにサクは、その責任をとる者、という意味での<ダスク>の責任者です」
責任、という言葉に「責任なら、私にもある!」とヨアケが強く反応した。しかしレインは彼女の言葉を退ける。
「いえ、貴女に責任を取る資格はありません。だって貴女は、放棄して逃げ出したのですから」
レインの言葉の意味は俺にはわからなかった。ただ、身動きが取れそうにないヨアケを庇ったまま戦うには、現状が限りなく最悪に近いということだけは分かった。
「……今は見逃す。その代わりにソテツと引き換えに隕石の本体を要求すると<自警団エレメンツ>に伝えろ」
そう言い立ち去ろうとする彼らを、俺たちはじっと見ていることしかできない。 でも、たとえジャミングの機械を使われ意味がないかもしれなくても、俺とルカリオは彼らの波導と姿を目に焼き付けた。 複雑な波導を、しっかりと記憶した。
ヨアケが、すれ違いざまにヤミナベの腕を掴む。 ヤミナベはかがんでヨアケに目線を合わせ、もう片方の手でヨアケの手を外す。
「お前はもう関わらなくていい。俺一人でやる」 「ダメだよ……ダメだよ、ユウヅキ!!」
夕闇の中去っていく彼を、ヤミナベ・ユウヅキの名前を彼女は、ヨアケは呼び続けた。 声がかれるまで、呼び続け、そして打ちひしがれた。
うずくまる彼女を、俺とルカリオはただ見ているしかできなかった。
でも、彼女のポケモンたちは違った。
まず初めに、ドーブルのドルが勝手にボールから出てきた。 次に、デリバードのリバ、グレイシアのレイが続いて出てくる。 ラプラスのララ、ギャラドスのドッスー、そしてパラセクトのセツ。 皆が狭そうにしつつも、ヨアケのそばに寄り添った。 ドルは髪が切られたことによって現れた彼女の背中をさすった。
本当はもっと早く飛び出たかっただろうに、彼らはそれができなかったのだろう。 ヨアケの大事な人と敵対したくなかったのかもしれない。 その代わりにドルたちは、泣きじゃくる彼女のそばに、彼らは日が沈むまで寄り添った。 悲しみを分かち合おうと、寄り添い続けた。
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日が暮れ、泣き止んだ彼女の頭はぼさぼさだった。 ひどい頭のまま、彼女はこの先の心配をしていた。
「レイン所長が<ダスク>だったなんて。アキラ君、大丈夫かな。<エレメンツ>の皆にも伝えないとね。色々」 「ヨアケ」 「何、ビー君? ここから色々と忙しくなるよ」 「今は、少し休もう。アキラ君ならなんとか大丈夫だろ。<エレメンツ>にも俺が連絡しておく。だから、いったんアパートに帰ろう」
呆けるヨアケに「いいから」と言い聞かす。 俺もルカリオにも見えていた。今の彼女が、見た目も心もいろんな意味でボロボロなのが、彼女のポケモンたちが不安がっているのが見えていたから。俺は彼女を説得する。
「焦るな……少し休め。どうせスタジアムの件からあんまり眠れてないんだろ? そんなんじゃ、体壊すぞ。追いかけることさえ、できなくなるぞ」 「そうだね……私ももう二度と自分を投げ出したくないし。わかった」 「よし。じゃあ……バイク持ってきているからサイドカー、乗れ。そして少し寝ろ」 「うん」
渋るポケモンたちをなだめ、ボールに戻し、俺たちは【暁の館】を後にする。 夜風に吹かれて、俺たちは来た道をバイクで戻る。サイドカーのゆりかごの中、ヘルメットを着けた彼女はとても静かに、目をつむっていた。 ライトで照らす闇の中、彼女が俺の名前をささやく。
「ビー君」 「なんだヨアケ」 「ううん。なんでもない」 「わかった」
深い夜の中。 ヤミナベとヨアケのやりとりが、交わされた言葉が俺の頭の中で反すうしていた。
「わかってる」
俺は、彼女が何も言わなくても、味方のつもりだ。 そう自分に言い聞かせて、帰路を走る。
そして自分に誓う。
彼女を送り届けるまで、俺は走り続けると、俺は誓った……。
つづく。
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