マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  [No.1691] 第十五話前編 迫る暗雲と繋がる道筋 投稿者:空色代吉   投稿日:2021/11/16(Tue) 20:59:29   6clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



影のような何かに連れ去られた私は、その大きな背の上で……おそらく仰向けになっていた。
断言できないのは、私自身が仰向けになっているのか、立ってよりかかっているのか、はたまた逆さにひっくり返っているのか分からず、とにかく感覚がつかめないでいたからだった。
そんな不思議な空間にいた私の視界には、様々な角度に浮いた陸地とそれらを繋ぐように上下左右色んな方向に流れる水源が見える。
今見えているのはハッキリ言って一般的な常識が通じない空間のようだった。
でもこの景色には、滅茶苦茶なように見えるけど、一定の法則があるようにも感じて。
とにかく自分がここに居るという実感がわきにくい場所だった。

彼女に声をかけられるまで、私は“私”であることを忘れかけていたくらいに。

「……ああ、気が付いたんだね」

定まらない意識の中、動く目だけで発言者を探す。すると、わりと目の前に彼女たちの顔が現れた。

「探さなくてもボクはここにいるよ」

左から顔を覗き込まれる。茶色のボブカットの彼女とその手持ちの黒と赤の毛のポケモン、ゾロアークはかがみながら、私を見定めてくる。
しばらくふたりは私の様子をうかがっていた。そして眉をひそめ、私の名前を呼んだ。

「久しぶり。まだキミはキミのままみたいだね。アサヒ」
「…………サモン、さん」

記憶を取り戻すまでは無邪気に再会を望んでいた相手。サモンさん。
けれどすべてを思い出した今の私では、この再会を素直に喜べなかった。

「こんな形では会いたくなかった」
「ボクもだよ。でも、この現状の原因は、わかるよね」

問いかけられて、私は目蓋を閉じて考える。
その言いぶりから、彼女はここまで強引に出張ってくる予定ではなかったのだと推測する。
それこそ【ソウキュウ】の公園で会ったのは偶然を除いて、ずっと陰ながら私が動く時を待っていたんだと思う。
いざ私が行動を起こしたときに、対処をするための実動員がおそらく彼女。サモンさん。
その彼女が私の前に姿を現した。あんなに目立つ方法で、私をこの世界に強引に連れ去った。私の行動に対応した。
彼女に指示を出したアイツがアウトだと判断した私の言動。
……原因の心当たりは、言うまでもなかった。

あの、手を伸ばしてくれた彼を思い浮かべながら、私は質問に答える。

「うん。私が、ビー君に助けを求めてしまったから、だよね」
「……そうだね」

静かに肯定するサモンさん。彼女もゾロアークも暗い表情だった。
彼女はさっき私が言ったようなことを繰り返した。

「正直キミとは、ここで再会したくはなかったよ。アサヒ」
「私もだよ。サモンさん」

こうして、世界の裏側【破れた世界】にて。
私たちは、望まぬ形で再び対面することとなった。


サモンさんは大きなため息をひとつ吐くと、私宛の忠告を口にした。

「キミが敵だと言い切ったアイツからの伝言――――『次はない』……だってさ」

彼女の口から発された敵と思っている相手の存在の示唆に、正直に恐れからビクつきそうになる。
それでも私は強がりながら、伝言役のサモンさんに返答した。

「へえ。今回は見逃してくれるんだ……」
「まあ、サービスなんじゃないかな。まあ、次同じようなことをしたら、関係した者もどうなるかは、ね……」
「……私が助けを求めた相手を巻き込むってことだよね。本当に嫌な性格しているよね」
「否定はしないよ」

ちらっとこの不思議な【破れた世界】を飛んでいるポケモン、だと思う大きな背中から飛び降りられないか思考を巡らすと、こちらを見つめるゾロアークの視線にくぎ付けにされる。
その視線から逃げように右手を目蓋の上にかぶせ、大きな嘆息をついた。

「サモンさん……どうしても、見逃してくれないかなあ?」
「ゴメン、アサヒ。キミには悪いけどボクはアイツの味方だから。ボクは、ボクの意思でアイツに協力しているから」
「……そっか」
「うん……話題を少し変えようか」
「いいけど……もしかして、また歴史のお話?」
「そうだよ」

げんなりする私に、「敵を知り己を知れば……ってやつだよ」と小さく笑いかける。
指の隙間から見える彼女の笑顔自体は、憎み切れなくて何だか複雑な気分だった。


***************************


彼女は紡ぐ。アイツにまつわる話を、語っていく。

「発明、というと最近では500年前カロス地方のアゾット王国にいるエリファスという科学者が見つけたポケモンの能力を使ったからくりを生み出す“神秘科学”なんかが有名だけど、もっと遥か過去にも似たような……いいや。今の文明より高度な技術と文化があったと言われるらしいんだよね」
「なんか途方もないなあ……」
「同感。まあ、現在ではほとんど過去の遺物、オーパーツは遺されていなく、あったとしても今でも仕組みを解き明かせないモノがあるとか。アイツもそんなオーパーツを作り出し、1000年前のヒンメルを支えていた一人だったんだ」
「オーパーツ、ね……そういえばアイツは何を作ったりしたのかな?」
「そうだね、王族専用の生体認証のシェルターとかかな。ああでも、こんな文献も残っているよ」

そう言ってサモンさんは携帯端末のモニターに資料を映し出し、私に見せてくれる。
古代文字で書かれた石板の写真の下に、訳された文章が載っていた。そこにはこう書かれていた。

“その者、あらゆるものを生み出した
 人々は、その者の生み出したものを使い、豊かになった 
 その者は、老いず死なない身体をつくることに、成功する”

「老いず死なない……つまり、不老不死……?」
「そう不老不死。ここまでくるとおとぎ話みたいだよね。この文献を最初に見た研究者は絵空事だと相手にしていなかったそうだよ」
「まあ、普通信じられないよね」
「うん。でも、その当たり前を崩す出来事があったのは憶えているだろうか。カロス地方にて目撃されたあの巨人のことを。その場で彼と再会したフラエッテという花の妖精ポケモンのことを」
「テレビで見た覚えがあるよ。あんなに大きい人がいるなんて、当時はびっくりしたよ」
「その彼らは3000年の時を生きているらしい」
「……2000年さらに昔になってない?」
「間違ってないよ。正確には不老不死はアイツの発明ではない。巨人のものかもしれないし、もっと昔にもあったのかもしれない。でもアイツがその技術を甦らせたのは頭脳の持ち主なのは事実だ。でもそんなアイツにもできないことはあった」

彼女はページを移動し、次の文献を示す。
続きにはこう書かれていた。

“けれど、その者にもつくれないものがあった
 それは、『生命』
 その者には、『生命』をつくり出すことが出来なかった”

「アイツは、壁にぶつかった。アイツのもともと居た場所では、どうしても『生命』を作り出せる環境がなかった。それから長い時の中で、アイツはひたすらその手段を模索し考え続けた」

考え続け、探し続け、試し続けた。
アイツにとって、それは途方もない道のりだったのかもしれない。文字通りすべてをかけたものだったのかもしれない。
でもその望みの為に目をつけられた私たちにとっては、正直はた迷惑極まりなかった。

「考え続けて……そして条件が整ったんだね」
「うん。アサヒ、キミの存在とユウヅキの協力のお陰でね」

私とユウヅキが、アイツに出逢ってしまったのが運の尽きだとするのなら。
アイツにとっては、やっとつかんだ奇跡だったのだろう。

だって私たちこそが、アイツの目的に必要なパーツであり駒だったのだから……。

押し黙る私に、サモンさんは「こんなこともあったよね」と振り返る。

「しかし、アイツがキミを人質にユウヅキに協力を取り付けた後、まさかキミ自身が【セッケ湖】に身投げしようとするとは。驚いたよ」

ゾロアークが能力で私たちに幻影を見せる。それはあの日のような、月明かりだけが世界を照らす深夜の湖だった。
その月と夜空と湖面を眺め、当時のことを思い返す。

あの日。
私を助けたければ、自分に協力しろとアイツはユウヅキを脅した。
でもその時から、彼も私も悟っていた。たとえ協力しても、私が無事でいる未来はないと。
……でも、ユウヅキはそれが解っていても私の手を離さないでくれていた。
決して離そうとしなかった。

ああ……やっぱりそうか。
先に、手を離したのは、彼を置いて行ったのは、私だった。

「あの時は、私さえいなくなればユウヅキだけは自由になれると思ったんだ……ううん、嘘。本当はすべてから逃げ出したかった」
「嘘ではないと思うよ。現にキミはこうして逃げずに生きている」
「そう、かな」
「そうだよ。キミはギリギリで思い留まったんだ。で、いろんなものに耐えきれなくなったキミとキミの心を守るために、ユウヅキはアイツにこう言っていたよ」
「……なんて?」
「『お前の目論見の為にも、今アサヒが失われるのは困るんじゃないか――――俺にできることはなんでもする。だから、オーベムにできる記憶操作について、知っていることをありったけ教えろ』って」

その彼の行動の、意味は。
私の記憶を消した行動の意味は、言うまでもなかった。

「それだけ、生きていて欲しかったんだと思うよ……アサヒに」
「わかっている。わかっているよ、痛いくらいに。苦しいくらいに……そうしなきゃ私は今こうしてここに居なかった……!」

しゃくりを上げる私を、サモンさんたちは憐れむ目で見つめる。

「実際はキミらも被害者なのに、ヒンメルの彼らはキミたちこそが加害者だと信じている。とても皮肉だね。ボクはその妄信を利用して大勢を誘導したわけだけど、疲れるし嫌になる。集団なんてやっぱり愚かだ」
「ううん、それは違う。彼らの怒りはもっともだよ。だって私たちがこの地方に来なければ、“闇隠し”は起きなかったんだから」
「でもそれは、ユウヅキの親を捜すためだったんでしょ?」
「そうだけど……」
「それは、そんなに望んじゃいけないものだったとは思えないけどね」

彼女は心の底からそう思っているという風にずけずけと言い切った。
それを皮切りにしたかのように幻影が解ける。
直後、再び世界の境を突き破り、私たちの世界へと戻って来た。
晴天の空と、重力が戻ってきて、静かな着地音がする。
私はここまで運んでくれたポケモンの背から、半ば落とされるように降ろされた。

「ありがとう、もう少ししたらまた出番があるから、それまでお休み」

労うサモンさんの声に呼応するようにまた影のようなシルエットになったポケモンは、風を起こしながら【破れた世界】へと帰っていった。

身体の感覚が戻って来て、何とか座りこむ。
辺りを見渡すと、結構な高所にある大地の上だった。
彼女が「ユウヅキはあそこにいるよ」と指をさす。つられて見たその方向には、高い場所にもかかわらずそびえる大きな遺跡があった。
記憶と合致したその遺跡は、確かに以前来た場所だ。

彼女は誘うように、私を後押しする言葉をかける。

「キミは、まだ彼に執着するのかい」
「するよ。だって引き下がれないから」
「なら、死なない範囲で自由にすればいいよ、アサヒ。ただし、これからディアルガとパルキアを呼び出し留めるために無茶するユウヅキを止めることも、アイツは許さないけどね」
「……許されなくても、ユウヅキのところに行かなくちゃ」

結局のところ間に合わないと、彼の身が危ないのは変わらない。
たとえ彼の無茶無謀を止めることは出来なくても、
たとえ私には彼を追いかけるくらいしか出来なくても、
私がしたいと思ったのは、諦めない先にあることだったから。

「私は彼と隣に立って、一緒に生きるって決めたから。だから行かなくちゃ」

……たぶん、ここから先はビー君には頼れない。
助けを求めるだけ求めて、先走ってしまうのは心苦しい。
でも今の私に立ち止まる時間は、残されていないのだと思った。

「じゃあ、行ってくる」

遠方のビー君に向けての言葉。当然彼からの返事は返ってこない。
代わりに、サモンさんが私を送り出してくれた。
片道切符のその先へ。
彼女は私を見送った。

「行ってらっしゃい」


***************************


限られた荷物の中を探る。みんなの入ったモンスターボールはちゃんとあって安心した。でも重要な携帯端末が見当たらなかった。
代わりに『一応、預からせてもらうよ』と書かれたメモが見つかり、いよいよ本格的に連絡手段が断たれていることを思い知らされてめげそうになる。
預かっていたデイちゃんのロトムも心配だ。
でも申し訳ないけど嘆いている時間さえ惜しい。歩きながらでも切り替えないと。

遺跡の方へ歩いていくと、入り口付近で誰かがポケモンバトルをしていた。

「! ソテツさん……それにハジメ君……」

ソテツさんはフシギバナを、ハジメ君は、姿形は進化しているけど、黄色いスカーフを腕に巻いていることからマツだと思うゲッコウガを従えて、実践形式でバトルをしていた。
フシギバナの攻撃を着実に見切って、反撃の『みずしゅりけん』を放っていくゲッコウガのマツ。ハジメ君もソテツさんも、ポケモンたちの行動に合わせて無駄なく立ち回っていく。

「すごい……」

思わず感嘆の声を漏らしてしまう。
しかし、彼らは私の存在に気づいていないようだ。

誰かに腕をつつかれる。
そのつついてきた主は、サモンさんのゾロアークだった。

「あ……貴方、ついてきていたんだね」

頷くゾロアーク。おそらく彼らに気づかれていないのは、ゾロアークが幻影の力で私の存在を隠しているからなのだろう。
助けを求めちゃダメ、ということか……だったら、せめて少しだけ学ばせてもらおう。

「ドルくん、お願い」

モンスターボールの中からドーブルのドルくんを出す。
私を案じて見上げるドルくんに、「きっと、大丈夫だよ。ビー君も後から来てくれるだろうし」と笑いかける。
その時、ふとソテツさんの言葉を思い出す。

――――『笑えなくなったらどうしようもない』

笑うことを控えた彼を見て。今更になって、その笑顔を作ることの本質の一部分を垣間見た気がした。
ずっとこの言葉は、自分自身を奮い立たせる言葉だと思っていた。
でも今は、それと同時に自分が笑うことで、他の誰か励ます。そのための作り笑いだったんじゃないかって思えていた。

(ソテツさんは、そうやって周りを気遣っていたんだ)

彼がユウヅキを傷つけたのは許すことはできない……けど、なんだかんだありつつも、改めてその面倒見の良さに、圧倒される。
まあ……それが凄いところでもあり、真面目過ぎるところでもあったとは思うけどね。
多少ワガママに生きても良かっただろう、とは思っていたけど、ワガママに行動した結果があれだと思うと、他人のことは言えないけど、どうしてもこう思ってしまうのであった。

「不器用だなあ」と……。

何度も仕切り直し、飛び交うフシギバナとゲッコウガのマツの技の攻防の中、私はドルくんにあの技を『スケッチ』させた。
その技が、今持てる手札の中で、使い道があると思ったから……借りることにした。

「最後にこの技お借りします」
「きっと、使わせていただきます」
「……いままでありがとうございました。元師匠」

言葉は届かなくとも一礼をして、私はドルくんとゾロアークと共に、遺跡の内部に突入する。
一瞬だけ振り返ると、見えていないはずなのにこちらを向いているソテツさんの姿が見えた。
ハジメ君に「どうしたのだろうか」と尋ねられ、「いや、なんでもないよ」と返すソテツさん。

そして彼は一瞬だけ自然な苦笑を見せた後、そのまま背を見せハジメ君に向き合っていった。

私も先に足を進める。
ちゃんと言葉を交わしたわけでもないし、視線は合うことはなかったけど。
これが私にとっての破門であり、卒業でもあり、別れだったのだと思った。


***************************


影に攫われた彼女の携帯端末に連絡を入れようとしたが、電源が切られていて繋がらない。
焦燥感を無理やり抑えつつ、さっきルカリオと見つけたヨアケの波導を頼りに線路上を着実に速足で俺たちは進んでいた。
わりとすぐ崖際地帯を越え、森林地帯に入る。レールを頼りに前進するも、目的地まではまだ距離があった。

しかし遠い……ふもとの駅についても、ヨアケの反応は小山の上の方にある。オンバーンの力を借りるにしても、そこまでは温存しておきたい。
けれど、まずいな。さっきから何だか頭が熱を帯びて、息が上がりやすくなっている気がする。
ルカリオもどこかしんどそうだ。やっぱり慣れない無茶をしてヨアケの波導を一緒に探知したからなのだろうか。
一旦戻るか? でも戻ってもあの破損した【ハルハヤテ】が走れるとは思えないし……。

悩んでいたら、ぐるぐると回る思考を吹き飛ばすような、排気音が背後から迫っていた。
俺らの横を通り抜けたのは、見覚えのあるいかついバイク。
そのバイクにまたがって運転していたのは、ジュウモンジだった。
奴はグラス越しに、驚く俺とルカリオを見て静かにこう言った。

「依頼の報酬、まだだったよな」
「ジュウ、モンジ……」

さらに後ろから、クサイハナ使いの男のバイク、それに二人乗りするアプリコットと彼女を追いかけて空中をサーフするライチュウのライカ。オノノクスのドラコに乗ったテリー。線路脇道路には義賊団<シザークロス>のトラックがやってきていた。
バイクから飛び降りたアプリコットが、軽く怒りながら俺とルカリオに詰め寄る。

「水くさいよ……お礼も言わせずに行っちゃうなんて」
「…………悪い、それどころじゃなかったんだ」
「うん。事情は分からないけど……アサヒお姉さんに何かあったんでしょ」
「…………」

黙りこくりながらも頷く俺に、アプリコットは口調を和らげて、見上げる形で俺に視線を合わせる。

「……話したくないことを詮索はしない。だけど困っているのなら協力させて」
「…………頼っても、いいのか? 俺はお前らのこと……」
「散々邪険に扱って邪魔してよくぶつかっていた。でもファンになってくれてさっき助けてくれた。十二分に頼ってくれてもいいんだよ。つまり、」

すっかり元気になったライチュウのライカと一緒に、彼女は格好つけてこう言った。

「ファンサービスくらい、ちゃんと受け取ってよね?」
「そういうことだ。【オウマガ】目指しているんだろ。うだうだ言わず運ばれとけ」

彼女の言葉にそう付け加えるジュウモンジ。その口元は、珍しく朗らかに笑っている。
アプリコットを始めとした奴らも、笑顔を見せた。
ルカリオと顔を合わせる。それから俺らも疲れた笑みを浮かべ、厚意に甘えることを決めた。

「助かる、頼めるか」
「うん。もちろん」

はにかむアプリコットの差し伸べた手を取り、俺たちは【オウマガ】へ向かった。


***************************


義賊団<シザークロス>のメンバーが運転するトラックの荷台で揺られながら、ルカリオと俺は体を休める。気を張っていたさっきよりは、体調が少し楽になっていた。
その代わりに忘れていた疲労感がやってくる。ルカリオも俺と同じく疲れているのか、じっと目蓋を閉じていた。

「ボールに戻っていてもいいんだぞ。ルカリオ」

首を静かに横に振り、そのまま隣にいてくれるルカリオ。
気持ちは嬉しいが、どうしたものかと思っていると、同じくトラック内に居た彼、テリーに声をかけられる。

「今はそうしていたいんだと思うぜ。自由にできる時は好きにさせてやればいい」
「そういうものなのか……?」
「ああもう、あんたのルカリオが望んでいるんだからいいだろ」
「それも、そうか……」

歯切れの悪い俺に、テリーはオノノクスのドラコの入ったボールを眺めながら少しイライラとしていた。案外短気なのかもしれないなコイツ……。
何故ムカついたかを、テリーは堪えずに吐き出してくる。

「なんか今のあんたを見ていると腹が立つぜ。さっきとまるで別人だ」
「悪かったな……」
「まったくだ。みんなこれのどこがいいんだか……でも、解らなくはないぜ。今のその腑抜けた感じは」

責められるのは分かるが共感されるとは思ってもいなかったので、割と心底びっくりしていた。
お前、分かるのか。俺自身も正体を掴めていない、このやるせなさ、みたいな何かを、知っているのか……?
思わずじっと見てしまうと、テリーは視線をそらして言った。

「恰好つけて背伸びしてこられたのも……あの背の高い人の前だったからなんだよな」
「……!」
「オレにも“闇隠し”から守れなかった背の高い幼馴染が居るから、その無力感は……分かる」

いまさらだが、彼の履いているのがシークレットブーツだということに気づく。
テリーが、俺と同じくらいの背だということを、その時になってようやく認識する。
彼の発した背伸びや無力感、という言葉が自分の中の感情と重なる。
それは図星、というやつなのかもしれなかった。

「たとえそいつと肩を並べられなくても、胸張って隣にいたいよな」
「テリー……」
「……実はテリーは愛称でオレの名前はテレンスだ」
「そうなのか」
「そうだ。じゃなくて、だからビドー……あんたは、あの人のこと見失わずに必ず助けろよ……そうじゃなきゃ今のあんたは、危なっかしいからな」

ルカリオが俺の隣に居たがった理由も、その一言に集約されていた。
何だかんだ、俺はヨアケの隣に居たからこそ、彼女の相棒だったからこそ頑張れていた部分もあったのか。
ルカリオに心配されるってことは、それほど不安定になっているってことなのかもしれない。

……もっとしっかりしてえな。
そう願ったら、もう少しだけ気張れそうな気がした。

「お前も諦めていないのなら、その幼馴染の人絶対に助けに行けよ、テリー」
「……当たり前だろ。余計な気遣いはいいから休め、ばーか」

あえて愛称のままで呼ぶと、彼は顔を背けながらそう促した。言われた通りに俺も目を閉じ背中を壁に預ける。
その振動に揺られながら、俺たちは静かに、少しだけの間休んだ。

……そのあと眠りに落ちかけて、テリーの手持ちの、正確には彼の幼馴染の手持ちだったヨマワルのヨルに『おどろかす』で叩き起こされたのは、かっこ悪いからヨアケには秘密にしておこう。


***************************


義賊団<シザークロス>のお陰で、遺跡の町【オウマガ】にはすぐにたどり着くことが出来た。
【オウマガ】自体は遺跡を観光にしている町で、そこまで規模は広くない。
が、小山の上の遺跡へと向かう道が、内部の洞窟を抜けていくしか道らしい道がなかった。
せっかくの車両も、この先には通れない。ジュウモンジたちもこの奥に行くのは初めてだそうで、入り組んだ地形に頭を悩ませていた。

「これ、案内してくれる人とかいないと延々と迷うやつだよな……」
「秘伝技……秘伝技が、欲しい……」

テリーとアプリコットが複雑な道に臆している。かといって外側は急な勾配でとても歩いて登れるとは思えない。
時間も惜しい。ここまで連れてきてくれただけでも十分だ。ここからはオンバーンの力を借りよう。
そう考えていたら、表にいたクサイハナとそのトレーナーの男(いい加減ちゃんと名前聞くべきだろうか?)が誰かを引き連れてきた。

「こっちだ! あいつを上の遺跡まで連れて行ってほしいんだ、頼む……!」
「わかった、わかったから押さないでくれ!」

クサイハナたちの勢いにたじたじになっていたその濃い顔つきに金髪刈上げオールバックの男は、カウボーイハットを被りながら俺とルカリオの元に歩み寄ってくる。

「アンタが客かい? 金さえ貰えれば、お望みの場所に案内してやるぜ」
「! ぜひ頼みたい。いくらだ」
「ここから小山の台地の上の遺跡だと……こんなもんか?」

提示された金額は、そこそこしたが、支払えないほどではなかった。
迷わず了承して、名前を尋ねる。男はカウボーイハットに手をのせ、元気よく名乗る。

「俺はオカトラ・リシマキアだ。オカトラでいいぜ少年!」
「青年だ。俺はビドー・オリヴィエ。ビドーと呼んでくれ、オカトラ」
「! ……ハッハッハッ! オーケー商談成立だ! 任せときなビドー!」

笑って誤魔化すオカトラにもう一言付け加えたかったが、そんな気力も体力も惜しかった。
目安を立てたいと思い、所要時間を聞く。

「オカトラ。時間はどのくらいかかるのか?」
「お? 急ぎか? だったら……険しい悪路だが通ればわりとすぐにいけないこともない最短ルートがある。ただし連れていけるのは一名限り。それを選ぶかはアンタ次第さ。どうする?」

どのみち、ジュウモンジたちから得られる協力は【オウマガ】まで運んでもらうことまでだ。
初めから単独行動になると覚悟は決めていたが……何故だか、言い知れぬ不安がこみ上げてくる。
迷うはずもないのに、躊躇してしまった。
その意図せず作ってしまった一瞬の間で、俺自身より先に、その感情の正体をジュウモンジに指摘される。

「…………おいてめえ、ビビっているのか?」
「え……?」

言葉が頭に入りきる前にジュウモンが俺の手首を掴み、持ち上げる。そこでようやく自分の手が震えていることに気づいた。

「そん、な……こんな、はずじゃ……!」

周囲全体が、俺を心配する視線を向けているのが感じられる。
そんな中ルカリオだけが、俺を叱咤するように吠えた。
テリーとヨマワルのヨルがなだめようとするも、ルカリオは吠え続ける。
ルカリオの伝えたいことは、言葉が分からなくても波導で分かっていた。

「負けるな」 「彼女を助けに行くんだろ」 「恐れるな!」
その熱い波導に奮い立てられれば良かったのだが、どうしても萎縮してしまう。

あの得体のしれない影に立ち向かうことに、体が恐怖してビビってしまっていた。
ジュウモンジが手首から手を離す。震える拳を無理やり握ろうとすると、アプリコットが両手で包み込むように俺の手を取った。
その行動に動揺して反射的に彼女の顔を見る。
アプリコットは、真剣な眼差しで俺を見つめ、慎重に言葉を紡いだ。

「あたしが代わりに行こうか……?」

それは、心配して……とか、同情して……とかではなく、本気で代わりを務めようとしている目だった。
その考えが伝わってくるだけに、受け入れるわけにはいかなかった。

「いや、他人任せには、したくない。そしてここまで送ってもらった。報酬としては十分だ。これ以上は巻き込めない」
「そう。わかった……オカトラさん!」
「なんだい嬢ちゃん」
「追加料金出すから、秘伝技持っているポケモンがいたら貸して」
「!? ハッハッハッ! 気に入った! いいぜ!」

彼女の思い切りよすぎる発言に、思わず「正気か?」と言葉にこぼしてしまう。
不服そうな俺に、オカトラは思い切り笑い飛ばした後、こう言った。

「お嬢ちゃんの粘り勝ちだな。ビドー」
「オカトラも……本当にいいのか? そんな安請け合いして」
「ビドー。俺はな、誰でも簡単に引き受けるわけじゃあないぜ。アンタが困難に陥っているから、助力したいと思ったんだ」
「俺たち出逢ったばかりだろ」
「だが、ここに集まった嬢ちゃんたちはアンタを助けたいと思っている。それはアンタが助けるに値する人物だと見込んだからだろ? なら俺もそう思っても不思議じゃないさ。ほら!」

オカトラに背中を思い切り叩かれる。せき込む俺から慌てて離れるアプリコット。
それから今までの数倍高笑いし、最終的にはむせたオカトラが親指を立てる。

「デカイことやるんだろ? なら手前の看板くらい堂々とはれなくちゃな!」

呆気に取られたからなのか。びっくりした衝撃か。先ほどまでの震えは、収まっていた。
ルカリオは俺を見て、「もう大丈夫だな?」と目配せをする。
「ああ、大丈夫だ」と頷き、彼らに向き直る。
こういう時、彼らに言う言葉を俺はもうすでに持ち合わせていた。

「ありがとな。この先はだいぶややこしくて、危険が伴う。それでもいいのなら改めてこちらから協力、頼みたい」
「時間はないんだろ。さっさと話しやがれ、その面倒な状況とやらを」
「! ……わかった」

ジュウモンジの即答に面食らいつつも、俺はこの先の遺跡に居る“赤い鎖のレプリカ”を用いた計画を進めようとしているヤミナベ・ユウヅキを止めたいことや、ヨアケをさらった謎の影や、彼女が言い残した敵の存在の示唆について、出来るだけ端的に話した。
突拍子もない話になってしまったがそれでも彼らは了承してくれる。
そして、俺とオカトラの二人と、オカトラから秘伝技の使い手のビーダルとゴルダックを借り受けたジュウモンジたちの二方面からそれぞれ遺跡を目指した。


***************************


ハジメとの特訓にひと段落したソテツとフシギバナは、彼らを遺跡内部へと見送った後、大地に寝そべり休息を取っていた。
雲一つない青空を望みつつ、彼は先ほど感じた彼女の気配が引っかかっていたのである。
ソテツは買い換えたばかりの携帯端末に、<エレメンツ>で使っていた機能を入れていた。
画面に表示されるのは、アサヒの持つ発信機の位置を示す丸いアイコン。
それは間違いなく遺跡内部に居ることを示している。

(いつもの発信機の反応じゃ、アサヒちゃん今頃遺跡に潜入しているはずなんだけど……静かだな。まあビドー君が一緒なら、大丈夫だとは思うが)

アサヒと顔を合わせにくかったソテツは、彼女を引き留めることはしなかった。
黙って見逃すことが、怒らせて泣かせてしまった彼女へのせめて今自分にできる償いだと思い、目を瞑ることにしたのである。

(……正直、プロジェクトは成功してほしいけど、ハジメ君も言っていた通り、オイラも別にサクの、ユウヅキだけの力でなくてもいいからね)

頓挫とはいかなくとも一度中断まで持ち込まれれば御の字ぐらいにソテツは考えていた。
しかしいつまでもこうしていることに彼は一抹の不安を覚える。
ソテツが次の行動を移そうとしたその時、彼とフシギバナの頭上を飛び越えるシルエットがあった。
それは大きな足を持ち炎のたてがみを揺らすひのうまポケモン、ギャロップの姿。
着地したギャロップの背に乗った二人の人物を見て、ソテツたちは呆気にとられていた。

「無茶するなあ。あの急な坂を飛び越えてくるとはね……しかし、キミがここに来るのか、ビドー君」
「俺だけの無茶じゃ、ここまでたどり着けていたか怪しいがな」
「ハッハッハッ! 結果オーライ!!!」

冷や汗をかきながらも一仕事やり遂げてガッツポーズを決める初対面のオカトラの暑苦しさに、ソテツは若干引いていた。

ビドーはすぐさまギャロップから降りてルカリオをボールから出し、警戒姿勢をみせる。
ソテツの視線に入ったのは、ルカリオのつけているメガストーンと、ビドーの肩についたキーストーンのついたバッジ。
それとふたりの顔色だった。

「やっぱり立ち塞がるのか、ソテツ」

威嚇的に問いかけるビドー。彼の声で、ソテツはそれを虚勢だと見抜く。
そもそもビドーがアサヒと別行動なのがおかしいと感じていたソテツは、背後に迫る蹄の音を聞きながら、返答をぼかした。

「…………どうしたものかね。立ち塞がるのは、オイラだけじゃあないんだけどね」

遺跡の奥からパステルカラーのたてがみを翻したギャロップに乗って来たのは、大きな帽子を被った銀髪の女、メイ。

『邪魔者は、こいつらだけ片せばいいの?』

ソテツの脳内に直接メイのテレパシーが届く。
その言いぶりから彼女もまた、テレパシーを応用した思考の探知で、遺跡内部にアサヒが侵入していることに気づいていた一人だとソテツは推測した。

『こりゃあ、レインも出てくるのも時間の問題だな』
『……何を企んでいる』
『おお……、思考駄々洩れになるんだった。おっかない』

メイに思考を読まれていることに対し、「だったら仕方ない」とソテツは思ったことをそのまま口にし始める。

「ビドー君、ルカリオ。それ、トウギリとあいつのルカリオの借りたんだろ?」
「……そうだ」
「だったらメガシンカ、まだ慣れてないんじゃない? ちょっとだけレクチャーしてあげるよ」
「!?」

テレパシー内の舌打ちを耳にしながら、「裏切り癖が付くのはよくない傾向だな」とぼやくソテツ。
返答に困っているビドーに、意図を把握したルカリオに、ソテツは淡々と続けた。

「キミたちなら、オイラの言葉が嘘じゃないって判るだろ?」
「判るが、それでも……どうしてだ?」
「はあー……幻滅させたお詫びだってこと。さあ、そのヘタレてる根性ごと鍛えてあげるよ」
「誰がヘタレだ。この粘着質野郎が」
「ほう? 玉砕する勇気もないのに?」
「俺はそういうのではないし、何より中途半端に自爆した上に、結局肝心なこと直接言えずに終わったアンタにだけは言われたくない」
「ははは、悪態はっきり言える元気があるなら、踏ん張れよ、青年!」

ポケモンたちとオカトラが罵りあっていた二人をジトっと見つめていた辺りで、メイはソテツとのテレパシー交信をぶつりと切断する。
そのままレインへの呼び出しをしてから、わなわなとこみ上げるイラつきと敵対相手の増えた面倒くささを凝縮して、がなった。

「ったく! どい、つも、こい、つも……大概にしろ!!」

彼女は一度自分のギャロップを引っ込めると他の手持ちを繰り出した。
そのポケモンが現れると同時に、ビドーたちを頭痛が襲う。
薄水色の先端に爪のようなものが付いた長く幅広な帽子を被った魔女のようなポケモン、ブリムオンが目を細めながら、その甲高い声と共にサイコパワーを解き放っていた。
周囲の空気が念動力で震える。

「全部まとめて粉砕してやる……ブリムオン!!」
「……痛っ!」

荒々しくなるメイとブリムオンに対し、頭を押さえながらも構えるビドーとルカリオ。
苦しむ彼らの前に、ソテツとフシギバナは勇み出た。

「よく見て聞いておきなよ、ふたりとも」

眉間にしわを寄せ、彼らは目一杯カッコつけながら、ビドーとルカリオにレクチャーを始めた。


***************************


サモンさんが監視に残したゾロアークの幻影の力もあり、たぶん誰にも気づかれずに私たちは遺跡の最上階に出る。
辺りが展望できる吹き抜けた大広間。風に煽られないように意識を割かないとわりと危険な頂上。遺跡の床には折れた柱に囲まれた何か円を描いている文様があり、その手前には何か観測するためのような機材が設置されていた。
そして広間の中央に居たユウヅキを、モニターの前で調整を終えたレインさんが呼び止める。
レインさんは、彼が手に持つものの片割れを渡すように促した。

「サク。いえ、ユウヅキ。私に、2本ある“赤い鎖のレプリカ”の内の1本を渡していただきましょうか」
「……何のつもりだ。レイン」
「貴方に一人でプロジェクトを実行させる訳にはいきません。貴方の母親のスバル博士に叱られてしまいますからね……また諦めるのか、と」

レインさんの視線をそらさずしっかりと受け止めたユウヅキは、その申し出を拒絶する。
それが意地から来るものではないことを、私は知っていた。

「これは俺の責任だ。誰にも譲る訳にはいかない。誰にも、だ」

もはや、責任という言葉の体裁すら整ってないけれど、譲る訳にはいかないもの、それが私たちの抱えている問題だった。
そしてその問題を知るもう一人、彼女は狙い済ましたタイミングで階段を上って来て現れる。

「彼の言う通りだよ。レイン。これは彼の問題だ。キミが茶々入れるのは、野暮だと思うけど」
「サモン、さん……」

レインさんは普段の彼のイメージからはかけ離れた、明らかに感情を込めた表情でサモンさんに睨みつける。
しかしサモンさんはものともせずにレインさんに対して揺さぶりをかける。

「ヨアケ・アサヒと共に行動していた彼、ビドー・オリヴィエが遺跡の前に姿を現したよ。メイが食い止めようとしているけど、増援に向かわなくていいのかい、レイン?」
「……貴方が行けばいいでのでは」
「あいにく、ボクはメイには嫌われていてね。でもキミはすでにテレパシーで助けを求められているんじゃあないのかな……それとも見捨てるのかい? 彼女を」

怒りをあらわにするレインさん。しかしすぐにぐっと飲みこんで、レインさんはカイリューをボールから出した。
白衣の背中を見せ、ユウヅキからは見えない位置で悲痛な表情を浮かべながら、レインさんは願うように念を押す。

「いいですか、絶対に一人で先行しないでくださいね。絶対にですよ……!」

カイリューはレインさんとユウヅキを交互に心配して見つめていた。
何も答えられずにいるユウヅキを置いて、レインさんを乗せたカイリューは最上階から飛び立つ。
レインさんの姿が見えなくなったのを確認して、彼女は「いい感じに人払いできたね」と呟き、私たちに向けて言葉を放つ。

「さて、舞台は整ったねユウヅキ。そして――――アサヒ」

彼女から出た私の名前に、ユウヅキは驚き固まる。それから恐る恐るサモンさんの方を向き、私を見つけ目を見開く。
いつの間にかゾロアークはサモンさんの背後に回って、私たちの様子を伺っていた。

もう幻影は、私とドルくんを隠していない。


***************************


気まずい沈黙を先に破ったのは私だった。

「ユウヅキ。レインさんの言っていたもう一人は……私がなるよ」

ユウヅキは、か細い声で「ダメだ」と首を横に振る。

「この危険な役割は、他の誰にもさせられない」
「頑固だなあ。一緒に生きて償おうって言ったでしょ。私が言える立場でもないけどさ、独りで身を危険にさらす無茶をしないでよ」
「するさ。他でもないお前を、アサヒを失わないためなら、俺は無茶するさ」

その先の彼の言葉は、とても怯えたように震えていた。黒髪の合間から見える、青いサングラス越しの目を伏せたユウヅキは、8年前に別れたころの彼を彷彿させた。
あの泣いていた彼の姿が、ダブって見えた。
ユウヅキがずっと、ずっと無理をし続けてきたのが、その無理をひた隠しにしてきたのが……今、ようやく見せてくれた弱った姿でわかった。

「怖いんだ。本当にずっと怖かったんだ。今でも恐ろしくてしょうがないんだ。アサヒが、居なくなってしまうことが、俺は怖くて……怖くてたまらない」
「だからって……アイツの言うことずっと聞いていたって、私が大丈夫な保証は、ないよね」
「……先延ばしにはできたさ」
「でもね、もうこの先はないの」

確かに、今ここに私が立っていられること自体、彼が繋いでくれた結果だ。
でも私は非情になってその現実をつきつける。このままではダメだと。
先延ばしにできる未来は私にはもうない。
そのことは、私も彼も解っていた。

解っていたからこそ、私は――――笑って彼を励まそうとした。

「大丈夫、私はどこにも居なくなったりしないから」

本当はどこも大丈夫なんかじゃないけど、私はあえて言い切った。
結局のところ、先があろうがなかろうがだからどうしたって話だ。
まだ何も決まり切ってはいない未来に、悲観して嘆くのはもうおしまい。
たとえ望みが少なくても、私は最後まで笑ってやろうって。私はそう望んで、彼を説得する。

「そもそも、私がユウヅキの旅に一緒に来たのは、貴方の無謀に付き合うためだからだし、危ないとか今更だよ」
「…………だが」
「それに、ギラティナを呼び出してからが本番、でしょ? その時に貴方が倒れていて私だけで何とかしようとするのは嫌だよ?」
「…………それは……」
「私を置いて行ったら、それこそ追いかけちゃうぞ……?」
「勘弁してくれ……」
「じゃあ、『ダークホール』でもなんでも使って止める?」

私の挑発に、彼は「なるべくは、使いたくなかったがな」と答えてからモンスターボールを手に取り、私に見せた。
ユウヅキは「最終通告だ」と宣言して、ボールからダークライを出現させる。
ダークライは静かに私を見定めるように見据えた。

「今からダークライの『ダークホール』を使う。そしてお前を眠らせ置いて行く」
「もし……私が眠らずに立っていられたら、一緒に行ってもいい?」
「……できるならな」
「言質、取ったよ」

彼に約束を取り付けると同時に、私の背後から、ドーブルのドルくんが飛び出して来てくれた。
ドルくんはユウヅキとダークライをじっと見つめてから、私の手を握る。
どうやら一緒にダークライの『ダークホール』を受けてくれるみたいだった。

「ありがと、ドルくん」

感謝の念を伝えると、ドルくんは力強く握り返すことで返事をする。
気を抜くなってことだよね、と思い、私も負けないように握り返した。

ダークライはユウヅキを一瞥する。
彼はダークライの名前を呼び、はっきりとした口調で技の指示を出した。
頷いて了承したのち、ダークライは大きく両手を開き、構え、そして……。

青空の背景の中、帳を下したような闇が生まれていく。
それはすべてを黒に染めていく勢いで、浸食した。
私たちはその闇から一瞬たりとも目を逸らさぬよう、見続ける。

ふたりで手をつないだまま、私とドルくんは『ダークホール』の暗闇に呑み込まれていった……。

***************************


――――『ダークホール』の暗闇の中は、真っ暗すぎて平衡感覚が鈍る。
それでも私は手に取ったドルくんの温かさを胸に、足元に気を付けながら前進して闇の中心を目指す。
闇に隠れた彼らを捜して、一歩一歩前に突き進む。
風の音で分かりにくいけど、なんとなく感じた息遣いを頼りに、歩を進める。
空いた右手の手探りで何かを掴む。それは布の端っこだった。
懐かしい肌触りを、優しく握る。
すると天井から闇が晴れ、光が差し込んだ。一瞬目が眩んだけど、私はその手にしたものの正体を見る。
それは彼の大事な、深紅のスカーフだった。
首から下げたスカーフを掴まれ、困ったような表情を浮かべるユウヅキに、思わず私はドルくんのエスコートから手を離し、胸元へ飛び込んだ。

「……捕まえた」
「……捕まったか……」

ドルくんや、ダークライ。サモンさんとゾロアークの視線をお構いなしに、私は、彼の背中に手をまわし、思い切り抱きしめる。
ユウヅキもしぶしぶと軽く抱きしめ返してくれる。その温かさにうとうとしたくなったけど、左手のそれが私の意識を繋ぎとめた。
私の異変に気付いた彼は、いったん私を引きはがし、私の左腕を掴み確認をする。
左の手のひらに埋め込まれた植物のタネを見て、彼は察する。

「これは……まさか」
「バレちゃったか……『なやみのタネ』だよ。流石に何も対策しないで踏ん張るのは難しいと思ったから、ね。でもズルしちゃダメって言わなかったよね」
「ドルの『スケッチ』した『ふみん』の特性を埋め込む技か……だからって、自分にうたせるとか……無茶して……痕残るだろこれは……」
「勲章だって。このくらい……それより、私も一緒に戦ってもいいよね……?」

質問に大きなため息が返ってくる。ユウヅキは両手で私の左手を包み込み、祈るように目を伏せた。

「……守り切れなかったら、すまない」
「そうならないように私も頑張るよ」

私たちのやり取りが延々と続かないように。サモンさんは咳払いをする。
ゾロアークは相変わらず彼女の背後からこちらを伺っていた。
サモンさんはゾロアークの頭を撫でながら、私たちに行動に移すよう言った。

「悪いけど、そろそろプロジェクトを始めてもらおうか――――ディアルガとパルキアを呼び留め、こちらとあちらを繋ぎ、境を壊すプロジェクトを」

静かに頷く私たちに、サモンさんは仰々しく手を広げて、蒼天を仰ぎ見た。

「彼らの望み通り、“闇隠し”であちらに閉じ込められた者たちと、こちらに残された者たちを再会させてあげようじゃないか」

そう。私たちがビー君たちやこの地方のみんなから引き離してしまった大切な者たちを取り戻せる可能性があるとしたら、プロジェクトを進めるしか道は残されていない。
私たちの償いは、そこでは終わらのかもしれないけど、もとより逃げる気もなかった。

「ユウヅキ」
「アサヒ」

遺跡の中心で、ユウヅキが私に2本の“赤い鎖のレプリカ”の端を掴むよう促す。
私と彼は命綱のように右手と左手、それぞれで輪を描くように鎖を繋いだ。

鎖に力を籠めると、場の空気が、変わる。
レプリカの“赤い鎖”が、鈍く光り輝き始め熱を帯びていく。

その儀式に反応するように、遺跡が音を立てて揺れ始めた。
どんどん揺れが強くなっていく中、私たちは踏ん張りをきかせて、そのまま続行する。

「まあ、あとのことは……健闘を祈っているよ」

その変化を見届けると、サモンさんはそれだけ言い残して、幻影の力でゾロアークと共に姿を消した。
気づくと、辺り一面に広がっていた青空が、暗雲に包まれていた。
身体の力が、意識が鎖に持っていかれそうになる。
それでも私を彼が繋ぎとめる。
同時に私も彼を繋ぎとめる。
ドルくんとダークライがその場で見守る中。

やがて、異変は起きた。


***************************


「砕け、ブリムオン!!」

メイの咆哮に呼応するようにブリムオンの『サイコキネシス』の念動力が大地を抉る。
ソテツはフシギバナに『つるのムチ』で俺とルカリオを背負わせ『サイコキネシス』から一気に逃れようと駆け出す。
オカトラもギャロップに乗り巻き込まれないように逃げの一手。
岩陰に逃れようともその岩さえも砕いてくる『サイコキネシス』。
再度駆け出す彼に、このままお荷物でいるのは嫌だったので、俺は「降ろしてくれ!」と頼む。
しかし何故か返って来たのは質問だった。

「ビドー君! 最近やたらしんどいって思う時あるんじゃないかい?」

ソテツの質問の意図は分からなかったが、俺もつられて大声で「ああ、ある!」と返事を返す。
駆けるのを止めずに彼は、質問を重ねる。

「それって、ポケモンバトルの後とか、それこそメガシンカを使った後だったりしない?」

心当たりはあった。バトルにのめりこんだ時や、さっきもルカリオと初めてメガシンカした後、妙に体が疲弊していく感じはあった。
ブリムオンへの反撃に、フシギバナに一枚だけ威力とスピードを込めた『はっぱカッター』を射出させるソテツ。
『サイコキネシス』が一時ブリムオン自身のガードに回され、葉の刃が止められる。
そのまま投げ返された葉をもう一枚の『はっぱカッター』で弾き飛ばすフシギバナ。
攻撃の合間を縫うように、フシギバナの後ろに回り込んだソテツと俺は会話を続ける。

「その体調の変化は、キミが波導使いになったからだと思うよ」
「体調が……波導と関係があるのか?」
「あるはずさ。だって波導を感じるって、キミ自身も他者の感情を感じていると錯覚するってことだろう? それこそバトルしているポケモンの痛みや苦しみといった波導を、解っちゃうんじゃないかな」

連続でバラバラのタイミングの『はっぱカッター』を射出し、あえてブリムオンに『サイコキネシス』の防御を張らせたままにするフシギバナ。
思うように攻撃に転じられないことで、メイとブリムオンは苛立ちを募らせていく。
一見嫌がらせのような連射も、俺に情報を伝えるための時間づくりをしているのだとわかった。
ソテツの話によると、トウギリが目隠ししているのは、消耗を抑えるためともう一つ、あえて波導を繋げにくくしているからでもあるらしい。
見えすぎても、感じすぎても逆に不都合が生まれる、ということなのは今まさに身をもって痛感していた。
その痛い部分を、事実をソテツはついてくる。

「つまりビドー君。キミはポケモンバトルで、特にメガシンカで疲れやすいってこと……通常の人よりリスクがあるってことだ!」

突き付けられた現実。せっかく借り受けた力を活かしきれない欠点を見せつけられ、俺は……こう言っていた。

「逆に、リスク相応のリターンもあるのか?」
「……しいて言うなら他者の感情がわかりやすい。乱用はオススメしないけどね」

……充分すぎる答えだった。

返答を聞いた直後、上空からこちらに急速落下してくる気配を二つ感じる。

「! 上から来るぞソテツ!」
「わかっている! フシギバナ飛べっ!」
「――――カイリュー……『ドラゴンダイブ』!!」

二つの気配の内の片割れ、レインが落下直前に分離して、もう片方――――カイリューがこちら目掛けて攻撃を仕掛けた。
フシギバナがその場でツルを使ってジャンプし、ギリギリのタイミングでカイリューの突撃を回避、そのまま落下の勢いで押しつぶそうとする。
カイリューは尻尾を使い、フシギバナの顔面を強打。乗っていた俺たちごと弾き飛ばした。
転がって着地をしていたレインは、メイに状況の説明を求める。

「メイ! やはりソテツさんは……更に寝返ったのですか?」
「そうだっつーのレイン! だから手伝えっての……!」
「そうですか……分かりました」

遠巻きに彼らのやり取りを見て、俺らのそばにやって来ていたソテツは愚痴る。

「あの二人やけに呑み込み早くない? 早すぎない?」
「それだけ警戒されていたんだろ。あとソテツ……分が悪い。俺たちもいい加減戦うぞ」
「そう? ……でもフシギバナから降りるのはダメだぜ」

反論を返そうとするも、それをソテツは声のトーンを落として制止した。

「今、キミがすべきなのはここでむやみに戦って消耗することではないだろ? 体力も、そして……時間も」

その真剣な眼差しに思わず言葉を飲み込む。ルカリオもソテツのストレートな波導が、かりそめではないということがわかっているようだった。

「今だけは信用してくれないかい」
「わかった、でも一つだけ言わせてくれ……できれば、この先も信じさせてほしい」

ヘアバンドを目深に被り、「守るには、破ってしまいそうな約束かもしれないけどね」と彼は言葉を濁しつつも了承してくれる。

このやり取りがメイの琴線に触れたようで、単独行動しているソテツ目掛けて、容赦なくブリムオンが帽子のような部位の先端の爪を『ぶんまわす』。
ルカリオがフシギバナの背の上から『はどうだん』を放ち、ブリムオンの爪を弾き飛ばした。
遠心力もありバランスを崩したブリムオンを転倒させることに成功する。
が、転んだブリムオンの隙をカバーするようにカイリューは一気に俺たちに向けてこちらに飛び込んできた。
カイリューは自身の両翼を鋭く張り回転……『ダブルウイング』でフシギバナを切りつけようとする。
とっさにフシギバナが『つるのムチ』でカイリューの回転を利用してツルを巻き絡めて受け止め、さらに突撃の勢いも利用してフシギバナはカイリューを背後の宙へ放り投げる。
空中で態勢を立て直すカイリューへもう一撃『はどうだん』を叩き込むルカリオ。
遺跡の入口への道筋が出来たと思ったその時――――

辺り一帯に地響きが鳴り、台地を揺らした。

「な……?!」

揺れの正体は一目瞭然で、だが信じられない光景が広がっていた。
明らかに質量をもった遺跡が……浮き上がっていやがった。


***************************


「はあ? 何これ??」
「何ですか、これは」
「おいおい聞いてないぜ……!」

メイもレインも、遺跡に詳しそうなオカトラでさえも知らなかったようで、遺跡はどんどん浮上をしていく。
唯一の入り口がだんだん上方へと遠ざかっていく。

「……ビドー君! ルカリオ!」

呆気に取られている俺たちに、いち早く我に返ったソテツが、俺とルカリオを呼ぶ。

「レクチャーって言っておいてあれだが、あとオイラからキミに言ってあげられることは一つだけだ」

ヘアバンドについた飾りの一つの蓋を開け、ソテツの指先がキーストーンに触れる。
それから彼は、メイとレインの二人の隙をついて、フシギバナと光り輝く絆の帯を結んだ。
フシギバナが大地を踏み鳴らし咆哮するとともに、ソテツは俺とルカリオの目を見て言った。

「メガシンカは切り札だ! どこで切るも自由だが、自分の勝利条件を忘れるな!! ……やるよ、フシギバナ!!」

最後の指南を終えたソテツとフシギバナ、ふたりの呼吸が合わさる。
口上なんてものはなかった。でも、ソテツとフシギバナは今の彼らのありったけを込めて叫ぶ。

「印は捨てたし肩書なんかもう名乗れない……だけど、ここにオイラたちのすべてを繋ぐ――――メガシンカ!!!」

俺らを背に乗せたまま光の繭が素早く弾け、さらに大きな花を背負ったメガフシギバナが顕現した。
振り向くメイ、ブリムオン、レイン、カイリューに向けて、ソテツはにっと睨み笑いを作る。
彼は拳を、フシギバナは前足をそれぞれ地面に叩きつけた!

「『ハードプラント』!!!!」

大地から巨大な、まるで木のような根が生え、曇天へと変わっていた天上へと俺らを押し上げていく。
根先の目指す進路は、遺跡の入り口。

「させてたまるか、ブリムオン!!!」
「! 阻止しなさい、カイリュー!!!」

ブリムオンが鳴き声で詠唱を唱えると俺とルカリオの間に大きな『マジカルフレイム』で出来た火球を作り出した。
さらにはカイリューがなにやら空を飛んで力を溜め込んでいる。その構えはどこか、以前見たボーマンダの『りゅうせいぐん』に似ていた。

目の前に迫る火球。そのあとに降り注ぐ『りゅうせいぐん』。
そのどちらにも対応しなければならない不安をかき消したのは……アイツらだった。

「ハイヨーギャロップ!! 炎を根こそぎ奪っちまいな!!」

オカトラを乗せ逃げ回っていたギャロップが、火球に向かって大ジャンプした。
思わず彼らの名前を叫ぶ俺の目の前で、さらに不思議なことが起きた。
火球が、『マジカルフレイム』が、炎がギャロップに吸い込まれその『フレアドライブ』の火力を上げていった――!!
確か、そのギャロップが持てるうちの一つの特性は……!

「『もらいび』か!」
「その通り! ギャロップそのまま『フレアドライブ』だっ!!!」

『ハードプラント』の根を足場にしてギャロップはそのままカイリューに向かって『フレアドライブ』で駆け抜け、空中から引きずり下ろした。
カイリューとギャロップと一緒に落下しながら、オカトラは親指を立てた拳を突き出し、大声で「グッドラックだビドー!!」と激励をくれた。
そして、ブリムオンの八つ当たりをかわしながらソテツは、一言だけこう言い残した。

「キミは! キミのしたいと思ったことをやれ!!!!」

それは、今までで一番刺さる言葉だった。
彼の言葉に大きく一度頷き返した後、根から放り出される。
遺跡の入り口に放り込まれた俺とルカリオは、下方の激戦の音を背に、そのまま振り返らず内部へと駆け出した。


***************************


ルカリオと揺れ動く遺跡の奥を進んでいくと、中央の大きな広間に出る。
しかし、俺たちの足はそこでいったん止まる。
何故なら、薄闇広がるその広間で、彼らが待ち受けていたからだった。

石畳に彼の足音が響き渡る。そして、その背後に足音を立てずに天井から降り立つ青い影。
桃色のマフラーのようなベロを口もとに巻いた、黄色のスカーフを腕に身に着けたゲッコウガ、マツ。
そして、そのトレーナーの、金髪ソフトリーゼントの丸グラサン野郎……ハジメ。
彼らは俺らの前に、立ち塞がった。
そこにソテツのような、猶予を与えてくれる様子はなかった。

「ここにお前が居るということは……ソテツを倒してきたのだろうか」
「いいや、アイツは俺らをここまで運んでくれた」
「そうか。それが彼の選択か」

ハジメは、憂いを帯びた視線を隠すように丸グラサンをくいと指で上げると、俺に宣告した。

「俺はお前たちをこの先に通すつもりはないだろう。サクが計画を遂行するまではな」
「……ヨアケが、既にたどり着いていたとしても?」
「ふむ……彼女がどうやって切り抜けたかは知らないが、そこにさらに援軍を送ると思うのだろうか?」
「……だよな」

上階にある彼女たち複数人の波導を感知する。少なくとも、ヨアケとドルとヤミナベがそこに居るのは、分かった。
それとは別に、何かとても嫌なものが近づいてきている。そんな悪寒がした。
思い返すのは、ソテツに言われた「勝利条件を忘れるな」という言葉。
なるべくならこの戦い、避けられないか?
避けるにしても、どうやって?
そう悩んでいると、どこか寂しそうにハジメは言った。

「お前は……俺のことを、悪党と思うか?」
「えっ?」

悪党。
それはかつて俺が放った言葉だった。
今でもそう思っているかは、正直もうよくわからなかった。

「悪党には、悪党なりの矜持があるんだ。悪いが俺は家族を取り戻すために――――“お前を攻撃してでも”ここは、通さない」

俺を攻撃してでも、をやたら強調して突破を阻止すると言い切ったハジメ。
……どうやら彼の波導は、覚悟は、決まっているようだった。

「遠慮も、容赦も、するなよな。ビドー」

ルカリオが俺の肩に手を置いた。肩につけたキーストーンのバッジに、手を置いた。
ルカリオも、腹をくくっているようだった。
そのルカリオの手にそっと俺の手を添えて、握りしめて……俺も、覚悟を決めた。
ハジメとマツを、倒す覚悟を……決めた。

――――でもそれは、アイツの望むのとは、違う!

「ハジメ……お前が悪なら、こんな『お前を攻撃してもいい』なんて思考を持った俺も悪だ」
「……そうだろうか」
「そうなんだよ……これは、どっちも悪くて、どっちも正しいんだ。簡単に割り切れる問題じゃない。でも、だからこそ、今から行うのはケンカだ。やりあいなんかじゃなく、ただのケンカだ!」

一瞬だけ目を丸くした後、ハジメは珍しく、本当に珍しく笑った。
ゲッコウガのマツも、面白い、と言わんばかりに構えを取る。
ルカリオは意外そうな目で俺を見て、そしてわずかに微笑んだ。

「ケンカ……はっ、いいだろう」
「俺はお前を殴り飛ばしてでも突破する。お前は俺を殴ってでもそれを止める。それでいいなっ!」
「簡単に通れるとは思うなよ……!」

こうしてこの土壇場で、俺らはケンカを始めることとなった。

彼らは被害者を取り戻すため。
俺たちはヨアケを助けるため。

お互いの理由を知りながら、今。
譲れない者同士が、衝突する。


***************************


…………。
……ついに。
ついにこの時が来る。

この8年は、今まで生きてきた中で一番長かった。
一番待ち遠しい8年だった。

だけど、それももうすぐ終わる。やっと終わるんだ。
……いや、違うか……。
まだ、これで終わりではない。
これから、本当の意味で、始まるんだ。

肝心な、正念場が。

ああ、早く、早く、早く。


早く……キミにまた会いたい。









後編に続く。


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