マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  [No.1374] 昼涙 下 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/04(Wed) 18:45:44   47clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



昼涙 下



 緑の被衣を頭から被ったキョウキは、のろのろとブーツでぬかるみを踏み分けていた。
 その頭上のフシギダネは一身に雨を受けて、きょろきょろと暗いクノエの林道を見回している。
「……いたかい、ふしやまさん」
「だぁね」
「だめか」
 キョウキは荷物を持っていなかった。手ぶらで、葡萄茶の旅衣もユディの家に置いたまま、ふらふらと冷たい雨の中、14番道路を歩きまわっている。
 ユディと大学で別れた後、機嫌よくユディの家に帰ろうとしたのだ。
 しかしキョウキは、途中で荷物を盗まれた。
 十中八九、ポケモンに盗まれたのだろうと思う。泥棒か、トリックか、すり替えか。違いはどうでもよかった。
 荷袋の中には、財布やトレーナーカードは入っていない。それだけは救いだった。しかし、バッジケースやその他冒険のために必要な道具類はすべて、荷袋に突っ込んである。そして何より、先ほどユディに買ってもらったばかりの教材が入っていたのだ。それらがすべて奪われて、キョウキは内心ではややむかっ腹を立てていた。
「見つからなかったら、どうしようねぇ」
「だねー? だねだね」
「そうだよね。旅を続けるだけだよね。大丈夫だよ。続けるよ」
 フシギダネの鳴き声を適当に解釈して、キョウキは暗い林道を歩きまわる。荷物を盗まれたのは、ユディの家のすぐ近く、クノエもだいぶ南端のあたりだった。黄昏時、周囲には人気はなく、犯人が逃げ込むなら道路だろうと見当をつけて、何となく勘で乗り込んだ。
 しかし、犯人の気配もない。
「まあ、見つかるわけないよねぇ」
 キョウキのプテラが、きょええと甲高い声で鳴きながら上空を旋回している。キョウキは特に期待もせずプテラを見上げた。
「どうだい、こけもす?」
 プテラのモスグリーンの瞳が光る。キョウキは瞬きした。
「ありゃ、見つかったのか。さすがだよ、こけもす」
 キョウキが手を差し伸べてプテラを呼び寄せると、プテラは速度を落として地表すれすれまで降りてきた。フシギダネを頭に乗せたキョウキはひらりとプテラの背に飛び乗り、プテラの案内するに任せた。


 雨で全身がぐっしょりと濡れる。
 プテラは沼地を越え、そして間もなくキョウキを地上に下ろした。そして尾を微かに揺らしつつ、のしのしとぬかるむ草地を歩き、林の中に入っていく。
 湿った落ち葉に覆われた林の中は、プテラにもキョウキにも足音を立てさせない。色づいた葉が雨に洗われ、秋の林は水の世界に閉ざされ、そしてプテラはキョウキにそちらを顎で指し示した。
「……ありがとう、こけもす」
 小声で囁いてから、キョウキは雨を苦手とするプテラを静かにボールに収めた。木陰からこっそりと様子を窺う。
 いかにも古そうな黒い傘を差した男が、キョウキの荷物を漁っているのが見えた。
 その傍らにいるのは、カラマネロ、そしてニダンギル。男の周囲を警戒しているらしい。そうした状況を見ただけで、キョウキは失笑した。
 ポケモンセンターのロビーのソファを占拠していた男、タテシバだ。
 キョウキの荷物を奪ったのは、カラマネロのすり替えの技だろう。もう一方のニダンギルには昨日ポケモンセンターでお目にかかったばかりだ。
 タテシバはキョウキの荷袋の中から、新品の教材やノートを引っ張り出し、ぬかるみに捨てた。そして電子辞書を取り出すと、それだけは放り投げずにしげしげと眺めている。そして当然のように、着膨れた服の中にそれを押し込んだ。それからさらに荷物を奥まで引っ掻き回す。
 キョウキはただただ、溜息をついた。
 虚脱してしまっていた。
 真新しい本が泥に落ちる音が、キョウキの耳には残っている。今や参考書もノートもすっかり雨水を吸って、もはや使い物にならないだろう。そして電子辞書は、男の薄汚い懐に収まった。
 キョウキは雨の中、頭上のフシギダネに向かってぼやいた。
「ふしやまさん。あんな大人にはなりたくないね」
「ふーしゃー」
 フシギダネもまた、タテシバのそのような行為を見ても穏やかな表情と声音を崩さなかった。とはいえ、フシギダネはけして頭が悪いわけではない。むしろとても賢く、思慮分別に富み、そしてキョウキが本気で望めばその意図を汲んで全力を尽くしてくれる。
 しかしキョウキはあえて視線を伏せて、雨音の中で呟いた。
「ふしやまさん。このまま目撃証言だけ持って、警察にいこっか」
「だねだねー」
 キョウキはあくまで穏便に事を運ぼうとした。


 ところが、またも事は穏便には済まなかった。ニダンギルがキョウキに感付いたのだ。
 二振りの刀剣が、辻斬りを仕掛けてきた。
 戦闘に持ち込まれては、致し方ない。キョウキは鼻を鳴らし、二つのボールを解放した。
「ニダンギルって、これで二体って数えちゃ駄目なのかなぁ。ぬめこ、守る」
 現れたのは、ヌメイルとゴクリンの二体だった。
 ヌメイルが防壁を張り、ニダンギルを弾き飛ばす。
「ごきゅりん、カラマネロに毒々。ぬめこ、濁流だよ」
 間髪入れず、頭に浮かぶままゴクリンとヌメイルに指示を飛ばした。ようやくこちらに気付いたカラマネロにゴクリンが猛毒を浴びせる。そして雨の力を受けたヌメイルの濁流が、タテシバに、カラマネロに、ニダンギルに襲い掛かる。
「ごきゅりん、カラマネロにヘドロ爆弾。ぬめこはニダンギルに竜の波動」
 濁流に呑まれたタテシバが体勢を立て直すのも待たず、キョウキは非情に次の指示を下した。
 先に仕掛けてきたのはあちらだ。それに、トレーナーは狙うつもりもない。トレーナーに重傷さえ負わせなければ、キョウキは何もかもが許される。
 キョウキは笑った。トレーナーの罪を被るのは手持ちのポケモンだ。思う存分、恨みを晴らしてやる。キョウキは哄笑しながら、ゴクリンとヌメイルに指示を下す。
今回はトキサの時とは明らかに違うのだ。キョウキはタテシバを傷つけるつもりは毛頭なかった。だから、キョウキも良心の呵責に苛まれることはない。ポケモンはいくら傷つけても構わないと、キョウキはそう学んだし、そう思っている。
 キョウキは嗤った。
 ゴクリンとヌメイルは、手早くカラマネロとニダンギルを戦闘不能にまで追い込んだ。すっかり泥水にまみれ、ぽかんと呆気にとられているタテシバをキョウキは剣呑な目つきで見下ろした。
「……おい、まだやんのかよ」
「う、おおおおおおおおおっ」
 タテシバはやけになったか、さらに三つのボールを投げた。しかしボールが開く前に、ゴクリンが何気ない顔でヘドロ爆弾を吐きかけた。ボールが壊れ、中に封じられていた三体のポケモンが現れる。おやとの絆を断たれた三体のポケモンはきょろきょろと戸惑っていた。
「あー、ボール壊すとああなるんだ? 一応潰しとくか。ぬめこ、濁流」
 状況を掴めていない三体のポケモンも、容赦なく泥水で押し流す。更に追撃を命じる。
 手持ちを全て瀕死にしたタテシバの元に、フシギダネを頭に乗せたキョウキはにじり寄った。そして愛想笑いをしようとして、凶悪な笑みが出来上がった。
「……タテシバさん」
「すすすすすすいませんでしたここここれ拾いました拾っただけですえっと」
「言い訳は署でしてください。ふしやまさん、お願いね」
「だぁね」
 フシギダネの蔓が伸び、タテシバを捕らえる。
 キョウキは泥だらけになった荷袋をとりあえず指先で拾い上げ、目を閉じた。
 小柄なルカリオに連れられてユディがようやくそこに辿り着いたのは、その時だった。


「あ、ユディ――」
 キョウキはユディの姿を認めて、微笑もうとした。
 しかし、ユディはキョウキの頬を殴り飛ばした。
「えっ」
「キョウキお前バカ、ここまでやるか!」
 キョウキはきょとんとして、瞬きを繰り返した。
 幼馴染のユディが激昂している。ここまで激しく怒られたのは、四つ子の片割れたちと一緒にユディのリオルを虐めた時ぐらいではなかったか。キョウキは呆ける。
「え、なに? 僕、何かした?」
「だから! タテシバさんのポケモンになんてことするんだ!」
「え?」
 キョウキは首を傾げる。タテシバを蔓で捕らえていたフシギダネは、ぴょんとキョウキの頭上から飛び降りた。キョウキは疑問を口にする。
「え、でもタテシバさんは怪我させてないよ? ポケモンならポケモンセンターに行けば一瞬で治るじゃない。何言ってんのさ、ユディ」
「そう言う問題じゃなくてな、明らかにやりすぎだろう!」
 叫ぶユディに、捕らえられているタテシバがそうだそうだと同調した。しかしキョウキがタテシバを睨むと、タテシバは黙り込んだ。
 キョウキはふうと溜息を吐く。
「だってねユディ、トレーナーに重傷さえ負わせなければ、何をしたっていいんだよ?」
「確かに法律ではそうだ。だが、だからって何もかも許されるわけじゃない!」
「ユディ。おちついて。僕は規範の話なんてしちゃあいない」
 キョウキはぬかるみに半ば沈んでいる、ひどく痛めつけられたカラマネロやニダンギル、また他のタテシバの手持ちたちを一瞥した。そして鼻で笑った。
「おやを見る目のなかった、あいつらが悪いのさ」
 キョウキは死に瀕しているポケモンを嘲笑する。
 ユディは無表情になった。
そしてユディは踵を返し、冷たく言い放った。
「なるほどな。――ならキョウキ、お前の不幸はすべて、父親を見る目のなかったお前の責任に起因するんだな」


 その晩、キョウキは思い切りふて寝した。


 翌日の昼になった。
 タテシバからは、何も返ってこなかった。
 雨や濁流に洗われた教材や文房具類、そして電子辞書は、もう役には立たない。その分の代金すらも、帰っては来ない。タテシバは一銭の財産も所持していなかったからだ。
 持たない者からは、相当の額を返してもらうことすらできない。
「こればっかりは、たとえトレーナーだろうとどうしようもないさ。……少額だし、ポケモン協会からの見舞金なんてのも下りない」
 ユディの部屋に戻った後、ユディはそのようにキョウキに声をかけた。二人とも、昨日の喧嘩のことなど綺麗に忘れている。ユディとキョウキは、かつては文字通り血で血を洗うような大喧嘩を幾度も繰り広げてきたものだ。それに比べれば昨日の喧嘩は可愛いものだった。
キョウキは床の絨毯で胡坐をかいたまま、目を閉じて黙り込んでいた。フシギダネはやはり窓際の日なたに丸くなり、これもまた穏やかに目を閉じている。
 何が、少額、だ。キョウキにとって数千円の出費がどれほど大きいか。
 どれほど、希望を託していたか。
 キョウキはただ低く呟いた。
「やっぱ、だめだね」
「……確かに紙だと、旅には向かないな」
「そう。そういうこと。すぐに雨でぐちゃぐちゃになるし。やっぱ勉強は諦めよう」
 キョウキは唸り、ごろりと転がった。せっかくユディのお金で買ってもらったのに、財産は消え、借金ばかりが増えた。キョウキは舌打ちする。
 しかし怒りが静まってみれば、ただただユディの善意が無駄になったことが胸を締め付ける。旅の中で図太い神経を手に入れたと思っていたのに、まだキョウキの心には繊細な部分が残っていたらしい。
 キョウキは消え入りそうな声で謝罪した。
「……ごめんね、ユディ」
「しょうがないさ。カラマネロのすり替えを予防するのなんて、ほぼ不可能だろ。気にするなよ」
「……お金、いつか返すから」
「いつでも、返せたらでいいから。何なら踏み倒してくれても、別に怒んないから。そんなに思い詰めるな、キョウキ」
 キョウキは絨毯にうつ伏せになる。
 新品の教科書やノートを買ってもらって、ぴかぴかの新入生のように心を躍らせていた昨日の朝の自分が愚かしい。旅をする身では、勉強などままならない。
 ウズに嘆かれ、モチヅキに馬鹿にされ続けるような、無学の者に甘んじるしかないのだ。キョウキたち、四つ子は。
 それもこれも、父親が四つ子を捨てたから。
 キョウキが密かに歯噛みしたところで、ユディの穏やかな声が聞こえてきた。
「キョウキ、そんなに勉強したいのか?」
 ユディの問いかけに、キョウキは不機嫌も露わに応える。
「別に。もうユディには迷惑かけないから、いいよ」
「いや……俺ももう、俺の小遣いを貸して教科書やノートを買ってやる以上のことは、お前らにはしてやれない。……ごめん」
 ユディの手が、キョウキの頭にぽんぽんと触れた。
「でも、なにか分かった気がする。お前ら四つ子が、歳とってもタテシバさんみたいなことをせずに済むように、何をするべきか」
「へえ。どうするの?」
「……今の俺じゃどうにもならないけど。例えば、トレーナー政策のためにかかってるとんでもない額の税金を、無償教育の整備の方に振り向けるとかさ」
 ユディはベッドにもたれかかって、キョウキの傍に座り込んでいるようだった。そしてとめどもなくつらつらと語った。
「政府は、トレーナーの育成しか考えてない。そのために、立場の弱い人間を利用してる。でも、親がいないとか、お金がないとか、そういう立場の弱い人間だって、トレーナー以外の道を選ぶ権利はあるんだ。きっと」
「…………」
「政府はトレーナー政策を公共福祉だって言ってる。でも、職業選択の自由は守られてしかるべきだよな。そういうことだよな」
 キョウキは黙ってそれを聞いていた。
 ユディはぼそりと呟いた。
「だから、いつかお前たち四つ子を、トレーナー業から解放してやるよ」
 ユディはキョウキを見ていた。キョウキは緑の被衣の陰から横目でユディを見やった。灰色の瞳が、ぎゅうと細められた。
「……やれるもんなら、やってみろよ」
「……やってやるさ」
 ユディは笑って、幼馴染の挑発に乗ってやった。


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