鉄と味 昼
食事時にテレビがついていると大変だ。
なぜって、食べるのと喋るのとテレビを見るのとで忙しいからだ。俺たち四つ子は昼の食卓につき、お箸で納豆をねりねりしながら、テレビを見ていた。
「TMVが、止まった?」
レイアが少し大きな声を出した。ニュースがそう言ったのを繰り返したのだ。
なんだか俺らから距離をとったエイジが、鼻をつまんだまま鼻声を出した。
「……ええ、昨晩お話ししたじゃないですか。バトルハウスに抗議するため、このキナンに反ポケモン派やらポケモン愛護団体の人々がTMVに乗って詰めかけてきたんですよ……。それで国家は慌ててTMVを止めて、そういう人たちの流入を食い止めてるんですっ」
そこまで言い切ると、エイジは苦しそうに口でハアハアと大きく喘いだ。
俺は高速で納豆をねりねりしながら首を傾げる。
「エイジ、どしたん? 息の根止める練習?」
「……違いますよ……誰がそんな練習するんですか…………四つ子さんは、よくそんなニオイの物を食べれますね……」
「なっとぅーのこと?」
「そうです……」
エイジは食卓に着きながらも、ずっと左手で鼻をつまんでいた。右手にはスプーンを持っている。エイジはお箸が使えないので、ご飯もスプーンやフォークで食べるのだ。
確かに、カロス地方のどこに行っても納豆は見かけない。ちなみに、お箸を使っている人もいない。だから俺たち四つ子は、旅先にマイお箸を持参している。外食先でお箸を使っているとたまに驚かれるぞ。
どうやらエイジは、納豆のにおいが苦手みたいだ。
レイアがにやりとして、キョウキがにこりと笑った。二人が機嫌がいいので、俺も嬉しくなって笑った。サクヤも微笑した。
俺たち四つ子は納豆パックを持ってねりねりしつつ立ち上がり、エイジに詰め寄った。
そして超高速で納豆をねりねりした。
「おら納豆うめぇぞ」
赤いピアスのレイアが悪い笑みを浮かべて納豆をねりねりしている。エイジが鼻をつまんでいない方の手で頭を抱えた。鼻声で呻く。
「うわああああやめてください……来ないで……」
「こうやって練ると、粘りが出てさらにおいしくなるんですよ」
緑の被衣のキョウキも笑顔で納豆をねりねりしている。エイジが鼻声で嘆いた。
「なんで糸引いてるんですか……なんで糸引いてるもん食べるんですか……っ!」
俺も納豆をねりねりしながらエイジに詰め寄った。
「なっとぅーはうまいぞ! ほれエイジも食べてみ? はい、あーん」
「……や……やめてください……!」
「僕らの納豆が食えないのか」
青い領巾のサクヤが納豆をねりねりしながら迫った。
俺たち四つ子は練りに練った納豆を同時に箸でつまみ、四人でエイジに差し出した。
するととうとうエイジが発狂してしまった。
「……来ないでっつってるでしょうが――ッ!!!」
「あ」
「あ」
「あ」
「あ」
思い切り立ち上がったエイジの手によって、俺たちが持っていた納豆パックがはたかれ、宙を舞った。
エイジは頭から、たっぷりねりねりされた納豆を、四人分かぶった。
いつの間にかホロキャスターで動画を撮っていたらしいロフェッカのおっさんにめちゃくちゃ笑われた。
台所から飛んできたウズにめちゃくちゃ怒られた。
俺たちの足元で昼ご飯を食べていたサラマンドラとふしやまとピカさんとアクエリアスにめちゃくちゃ笑われた。
お昼ご飯を食べ終わった午後、納豆まみれのエイジを風呂場で丸洗いした後の午後。
俺とサクヤは二人でキナンシティの外れに行き、イーブイの進化形たちの特訓をしていた。俺はブースターの瑪瑙とリーフィアの翡翠、サクヤはブラッキーの螺鈿とグレイシアの玻璃だ。
それぞれ新しい技をいくつか習得して、だいぶバトルらしいバトルができるようになってきた。今はピカさんが一匹で瑪瑙と翡翠の二匹の相手をし、サクヤのアクエリアスが一匹で螺鈿と玻璃の二匹の相手をしている。
俺のピカさんやサクヤのアクエリアスは、とても頭がいい。自分のことだけでなくて、他の手持ちのポケモンたちの戦い方まで分かっている。そうでなくちゃダブルバトルをするときなんかに困るから、当たり前といえば当たり前で、大事なことなんだけど。
ピカさんやアクエリアスがそれぞれ何を言っているのかは分からないけれど、しっかり先輩として瑪瑙と翡翠と螺鈿と玻璃の四匹を指導しているようだ。とても頼もしい。俺やサクヤの出る幕はない。
そこはキナンの市街地から離れた、山の中だった。
林の中、少し開けた場所で、六体のポケモンが特訓に明け暮れている。
俺とサクヤは少し離れた地面の上に座ってポケモンたちの特訓を見つつ、くつろいでいた。――いや、違った。エイジもいた。
背高のっぽのエイジは、俺たち二人からさらに数歩下がったところで、にこにことポケモンたちの特訓を眺めていた。お昼ご飯の時に頭から納豆をかぶって大惨事になったのに、そんなことを既に忘れてしまったかのように今はもう爽やかな笑顔だ。エイジってほんとはただの馬鹿なんじゃないのかな、俺と同じで。
サクヤは背筋を伸ばして、自分のポケモンたちを注意深く観察している。俺はサクヤの青い領巾をつまんだ。
「ねえ、しゃくやー」
「なに?」
「ひまー。遊びにいこー」
「シャトレーヌを再度撃破してからにしよう」
サクヤは俺の方を見ずに淡々とそう答えた。俺はむくれる。
俺たち四つ子はこないだ、バトルハウスのマルチバトルに挑んで、バトルシャトレーヌに圧勝した。しかし、バトルシャトレーヌの方は色々なごたごたが重なって、まったく本気を出していなかったのだ。だから、バトルハウスのごたごたが収まったときに、バトルシャトレーヌにもう一度挑もうという話になったのだ。
そのために、俺たちはイーブイの進化形たちを育てている。
でも正直、ピカさんやアクエリアスに任せていれば大丈夫そうだ。二匹とも面倒見はいい。俺たちが何も言わなくても、自然とピカさんやアクエリアス自身と同じようなバトルスタイルを仕込んでくれるから、トレーナーである俺らとしてもやりやすい。新入り達がピカさんやアクエリアスをパーティーのリーダーとして慕ってくれるのも嬉しいことだ。
そう、手持ちのポケモンの中には序列があるのだ。
その基準はトレーナーと一緒にいる期間の長さであったり、強さであったり、トレーナーの可愛がりようであったり、あるいはそれらの複合だったり。
そして手持ちの中には、それぞれの役割も芽生える。他のポケモンたちをまとめるポケモン、バトルで大活躍するエースのポケモン、移動を手伝ってくれるポケモン、探し物や食料集めや料理なんかを手伝ってくれるポケモン。そうした手持ちの中での役割分担は、ポケモンたちが勝手に見つけていくのだ。トレーナーはそれを見極めて、役割に応じたポケモンに仕事を頼むことになる。もちろん、全員がバトルに出て十分に戦えることが前提だけれど。
とにかくそんなこんなで、俺のパーティーの中で一番偉いのはピカさんだ。俺の一番の相棒だし、たぶん一番強い。ガブリアスのアギトと勝負をさせればさすがに勝つのは難しいけど、それは単に相性の問題だし、バトルの経験が多いのはピカさんだ。
今のうちに瑪瑙や翡翠には、ピカさんのすばらしさを知ってもらわなければならないのだ。そうでないと、俺がピカさんにばかり食べ歩きの料理を分け与えることなどについて、嫉妬を覚えたりするからだ。
俺はピカさんに特別扱いを許している。それはレイアのサラマンドラ、キョウキのふしやま、サクヤのアクエリアスにも言えることだ。仕方ないのだ、六匹の手持ちすべてに平等に構うのは難しい。手持ちが増えると、ポケモン同士の関係にも気を配らないといけないので大変だ。トレーナーがポケモンのご機嫌を取るわけにもいかないし、かといってポケモンに愛想を尽かされるのも困る。
とにかくトレーナーは大変なのだ。
しかしそれはつまり、独りではないということの裏返しなのです。
そんな中で、俺たち四つ子はうまくポケモンたちをマネージメントできてる、と思う。レイアのサラマンドラはいつもは大人しいけどバトルとなるとポケモンが変わったように怖くなるし、キョウキのふしやまはその知能の高さでは他のポケモンを寄せ付けないし、俺のピカさんは優れた熱血指導者だし、サクヤのアクエリアスは兄貴分として他のポケモンたちの信頼を集めることに長けている。
だから俺たちトレーナーのすることはない。
暇だ。
太陽は傾いている。
林の地面に日差しが斜めに落ちる。
俺はくああと欠伸をした。ふとちらりと横を見たら、サクヤも目を閉じている。
息を切らせて座り込む瑪瑙、翡翠、螺鈿、玻璃に、ピカさんやアクエリアスが何かを叫んでいる。だいぶきつそうだ。今日の特訓もそろそろ切り上げるか。
山の地面がひんやりと冷えてきている。風が林の木々を鳴らす。
すると、それまで黙って座っていたエイジが立ち上がって、俺たちの方に歩いてきた。
「セッカさん、サクヤさん」
「なぁにー?」
俺は返事をした。サクヤはエイジの方も見ず、ひたすらポケモンたちばかり見ている。
エイジは、地面に座り込んでいる俺とサクヤの真ん中に歩いてきて立ち止まった。
「そろそろ特訓はお終いですか? ちょっと、面白いもの、見に行きません?」
「面白いもの?」
「すぐ近くですから」
そうエイジが悪戯っぽく笑う。しかし実際には、そのエイジの笑顔を見るには俺はものすごく顔を上げないといけない。俺は座っているのに対し、背高のっぽのエイジは立っているのだ。
俺はさっさと立ち上がり、大きく伸びをした。サクヤは座ったままだ。
「面白いなら、見に行くー。……あ、でもエイジ、もし面白くなかったらまた納豆かけるからな?」
「……納豆は……勘弁してください。というか、食べ物をそんなふうに扱うと罰当たりますからね……」
俺は鼻を鳴らした。
俺とサクヤは、イーブイの進化形たちをモンスターボールに戻して休ませてやった。そしてまだ元気の有り余っているピカさんを俺は肩に乗せ、アクエリアスをサクヤが両手で拾い上げる。
そしてどこか胡散臭そうな顔をしているサクヤの手を取って、エイジのあとを追って山を登った。
手入れなどほとんどされていない山だ。道などない。落ち葉の積もった坂道は滑りやすい。けれど俺もサクヤも旅のトレーナーだし、エイジも元はトレーナーだった。三人とも山歩きには比較的慣れている。
「こっちです」
だいぶ山を登ったところで、エイジは俺とサクヤを崖っぷちに連れてきた。とはいえ、よほどの事がなければその崖から転落することはない。茂みが柵のように俺たちを守ってくれていた。
茂みの向こうがやたら開けていたのだ。灌木の枝の間を透かして、崖の下が見えただけだ。
俺とサクヤとエイジは、茂みに隠れるようにして崖下を覗く格好になっていた。
エイジが声を潜める。
「静かにしててくださいね。面白いものが見れますよ……」
崖の下は谷川があった。小川がさらさらと流れる音がする。
大小の岩石がごろごろ転がった川原が見える。珍しいポケモンでも現れるのだろうか? 俺は期待に胸を膨らませた。ピカさんも興味津々で川原を覗いていた。
しかし川原に現れたのは、人間だった。
グラエナ、マルノーム、レパルダス、ズルズキンを連れた、真っ赤なスーツの集団。
そしてその真っ赤な集団に引っ立てられるようにして、川原の石に蹴躓きつつ歩いてくるのは、目隠しをされ、後ろ手に拘束された、二、三人の人間だった。
「……フレア団」
サクヤが乾いた声で呟く。あの真っ赤なスーツの集団だ、俺も見覚えがあった。クノエの図書館で暴れたエビフライ団の仲間だ。
そのときエイジが微かな息で、しっと言った。静かにしろと言うのか。これから面白いことが起きるのかもしれない。しかし、怪しい集団と拘束された人間がどのような面白いことをするのか、俺には想像もつかない。これは、何かの劇の練習か何かなのだろうか。
せせらぎの音の中、拘束された人たちは川原に一列に並ばされた。目隠しをされているからか、ふらふらしている。よく見ると、声も出せないよう猿ぐつわをかまされているようだ。
それから起きたことに、俺は目を疑った。
悲鳴が出なかったのは、サクヤの手で口を塞がれたからだ。
サクヤもよく咄嗟にそんなことができたものだ。
サクヤに抱え込まれるようにして、茂みから転がるように後ずさった。
せせらぎの音しか聞こえない。
ピカさんとアクエリアスが這うようにして俺たちの方へやってくる。
嘘だ。
嘘。
震えが止まらない。サクヤの手で強く口を塞いでくる。その手の力が凄まじくて苦しかった。
けれど、拘束された人間に飛びかかった、フレア団のグラエナのやったことが、目の奥にまざまざと焼き付いて離れない。飛び散ったように見えた赤が気のせいならいいのに。
悲鳴は聞こえない。
せせらぎの音しか聞こえない。
エイジの面白がるような囁き声が聞こえてきた。
「どうです? 面白いでしょう?」
耳を疑った。エイジは崖っぷちの茂みの傍で、座り込んだままゆっくりと振り返って、にこりと微笑んでいる。
「昨晩、お話しした通りです。……反ポケモン派の人間を、フレア団が処理しています。行方不明に見せかけて殺すんです。グラエナやレパルダスやズルズキンが始末して、マルノームの消化液で溶かして、骨は山奥にでも埋めるんでしょうかね……」
そうエイジはなんでもないことのように言った。つまりあれは処刑現場だったというのか。処刑? 何だそれは?
俺の口を塞いだままのサクヤの手が震えている。いつもは落ち着いているサクヤも、どうしようもなく狼狽しているのだ。
ということはつまり、あれは、本物なのだ。
殺しの現場。
「セッカさん、サクヤさん。これがこの社会の現実ですよ……。国にとって邪魔な人間は、犯罪組織が消してしまう」
俺もサクヤも何も言えなかった。
ただ目の前の青年が恐ろしくてたまらない。なぜ平然としているのか、やはりあれはただの演技ではないのか、俺たち三人に見せるための大掛かりな演劇。俺とサクヤを騙すための。そうとしか思えない。そうでなければ、なぜ、エイジはこのような事が起きると知っている?
エイジは俺たちに何をさせたいのだろうか。
せせらぎの音が聞こえる。
エイジがそっと立ち上がった。サクヤが俺を抱えたまま、警戒して身を引く。ピカさんとアクエリアスがエイジを警戒している。
エイジは人のいい笑みを浮かべていた。
「今日の授業です。反ポケモン派について」
「…………は?」
「反ポケモン派は、トレーナー政策に反対する者です。ところでお二人は、国の税金の何割がトレーナー政策に使用されているか、ご存知ですか? 名目上は二割です。ただし、実質的には何だかんだで、全体の歳出の七割超がトレーナー政策に関わっていると言われます」
そしてエイジは語りだした。俺もサクヤも何も聞いていないのに、わけのわからないことを言い出した。
反ポケモン派の主張は様々だ。――トレーナーの起こした事件の被害者の保護を手厚くしろ。ポケモンが嫌いな人間やアレルギーの人間を尊重しろ。貧しい子供たちに、トレーナー以外の職業の道を選べるようにしろ。
反ポケモン派の人々は、国民の税金をトレーナー政策以外のことに使うよう要請する。
しかし、それは現在の与党政府にとっては困ることなのだ。なぜなら、トレーナー政策に使用されるお金の中には、ポケモン協会や、ポケモン協会と密接なつながりのある者への補助金といったものが多く含まれているからだ。トレーナー政策に多額の予算がつかないと、与党政府はポケモン協会に見放される。協会に見放されれば、協会からの献金で成立している与党政府は活動を続けられない。だから与党政府は反ポケモン派を封じ込める。
その封じ込める方法について。
反ポケモン派の団結や集会を、法令で禁じる。違反すれば罰する。ニュースや新聞では国家の反逆者としてあげつらわれ、その家族までが極右派からのバッシングを受ける。行政からでなく、社会的にも罰せられることを印象付けて、反ポケモン派を『社会の悪』とし、活動を委縮させるのだ。
危険人物は容赦なく消す。それは国家が手を下すのではなく、犯罪結社に委託するのだ。もちろん、面と向かって頼むことはしない。ただ国家にとって邪魔な人間はフレア団にとっても邪魔な人間だから、国家が放っておいてもフレア団が勝手に始末するのだ。国家はフレア団を野放しにしておきさえすればいいのだ。
フレア団にとっても反ポケモン派は邪魔な存在だ。反ポケモン派の攻撃対象には、与党やポケモン協会だけでなく、フレア団も含まれる。反ポケモン派は国家にフレア団を取り締まれとも主張する。けれど国家はフレア団を利用している面があるから、そのような反ポケモン派の“まっとうな”主張は国家にとっても耳障りで仕方ない。フレア団としても、反ポケモン派の“まっとうな”主張は国家も受け入れざるを得ないことを理解しているから、反ポケモン派を処理してそもそも“まっとうな”主張ができないようにするしかない。
そうして国家とフレア団の利害が一致する。
国家とフレア団がどれほど癒着しているかは、さすがに知りようがない。フレア団は莫大な財力を持った秘密結社であり、確実にカロスの複数の大物とのつながりはあるだろう。しかし、フレア団がどれほど政治や経済やマスコミに深く根を張っているかはわからない。
とはいえ社会的には、国家はフレア団をテロ組織として指弾している。国家とフレア団のつながりなど表沙汰にならないだろう。たとえ多少表沙汰になったとしても、政府やポケモン協会からの圧力によって簡単にもみ消される。ニュースにもならない。裁判にもならない。
だからこんなことになっているのだ。
エイジはそのような事を延々と語っていた。