マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  [No.1409] 一朝一夕 下 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/25(Wed) 19:28:05   43clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



一朝一夕 下



 日は高く昇りつつあった。
 迷いの森を目指すという当初の目的はどこへやら、レイアとセッカは、黒衣のモチヅキをハクダンシティの中で捜している。
 そうしてハクダンの中央広場から聞こえてきた大音量に、二人は同時に首を竦めた。
『ハクダンシティの皆様、こんにちは! 与党候補のローザ、ローザでございます!』
 スピーカーによって拡大された音声が、ポケモンセンターのあたりからでもよく聞き取れる。
 セッカは、耳を押さえるピカチュウを支えつつ、あ、と声を上げた。
「れーや、ローザってあれだよ、さっきのロズレイドとシュシュプの人だよ! ポスター!」
「あー……貴族趣味……」
 レイアも小さく頷く。そしてセッカと視線を交わした。
 大音声は続く。
『本日は、次回の選挙に向けまして、この場をお借りして、皆様に、わたくしローザからのご約束を、述べさせていただきます! ぜひとも、ローザ、ローザをよろしくお願いいたします!』
 一言一言を区切ってゆっくりと話される。聞こうとしなくても勝手に耳に入ってくる言葉だった。
 セッカはちらりとレイアを見やった。
「なあなあれーや、美人さん見ていく? 見ていく?」
「え……いや、別にいらねぇよ、うるさいし……」
「――あ、モチヅキさん見っけ!」
 セッカが明るい声を発し、その示す方向にレイアが首を伸ばすと、モチヅキは当の中央広場にいた。

 ハクダンの中央広場にそびえる、ロゼリアを模した噴水。その噴水の一辺を陣取り、政治家による街頭演説が始められていた。
 マイクを手にする女性は、短い茶髪、メガネ、真っ赤な口紅、大ぶりの金のイヤリング。薄紅色のスーツを着込み、そして傍らにはロズレイドとシュシュプを伴っている。
『本日は、わたくしの大切な仲間である、ロズレイドと、シュシュプを、連れて参りました。この子たちは、わたくしと共に旅をした、大切な相棒です。わたくし、バトルシャトーでも侯爵、すなわちマーショネスの爵位を、持っております!』
 朗々と演説を行うローザの周囲には、聴衆が集まってきていた。

 そしてその聴衆に混じるとはいかないが、中央広場に面するカフェのテラス席に、長い黒髪を三つ編みにしたモチヅキが腰かけている。
 モチヅキはテーブルに頬杖を突き、件の胡散臭そうな目つきでローザの演説を眺めているのだった。
『わたくしもかつては、トレーナーとして旅をし、傍にいてくれるポケモンたちや、トレーナーを支えてくださる、多くの方々の親切なおもてなしに、いたく感動をいたしました。ですので、今度は、わたくしが、若きトレーナーの皆さまを、お支えしたいと、思います!』
 ローザが言葉を切ると、傍らに立っていたロズレイドが花咲く腕を振り、薄紅色の花吹雪を華麗に巻き起こした。
 拍手が起こる。
 ありがとうございます、とローザの声が繰り返す。
 レイアとセッカはモチヅキの方へ歩み寄りつつ、それを見ていた。
「すっげぇ!」
「ポケモンコンテストかよ」
レイアが苦々しげに囁く。セッカが鼻をひくつかせる。
「いいにおいだな。シュシュプかな?」
「……おいモチヅキ、これも全部あの女のパフォーマンスか?」
 レイアがぞんざいに声をかけると、モチヅキはじろりと視線だけを二人に寄越した。そしてすぐに演説するローザに視線を戻し、その演説の声と噴水の音に紛れてしまいそうな低い声で囁いた。
「……あの女のパフォーマンスに決まっておろうが」
「この匂いもか?」
「嗅覚は記憶と密接だ。香りを振りまき、印象付ける……政治家としては利口なポケモンの利用法であろう」
 噴水広場では、ローザのロズレイドが優雅に一礼していた。一般人だけでなく、その美しいロズレイドと芳香を放つシュシュプに惹かれてポケモントレーナー達もローザの周りに集まってきている。
 ローザのロズレイドとシュシュプは、実際によく育てられていた。戦い慣れた身のこなしをしていることが、やはり戦い慣れたレイアやセッカには分かる。
 ローザは両手でマイクを包み、そして聴衆の一人一人と視線を合わせて語りかける。
『わたくし、ポケモントレーナーの育成を、第一に考えております。才能あるトレーナーの、育成。これは後々、産業の発展に、大きく貢献します。具体的には、優れたトレーナーが、頭の良いポケモンを、育成しますと、このポケモンは、新たな技術の開発に、携わることもできます。人をはるかに超えた、ポケモンの知能を、こうした研究分野にも、応用することで、産業発展は、加速します!』
「一般人向けの演説だ」
 モチヅキが淡々と言葉を挟む。
『優れたポケモンが、国を発展させます! 景気が向上し、かつ暮らしを豊かに、より安全なものにいたします! ポケモンは、我々の生活に、なくてはならない存在です!』
 レイアとセッカは、ぼんやりとローザの街頭演説を聞いていた。
 曰く、ポケモンの育成は重要だ。そのポケモンを鍛えるトレーナーの育成が、国家にとって最重要事項である。具体的には、すべてのポケモントレーナーについて毎月3万円の金銭給付を行い、トレーナーがよりポケモンを育てやすくなるように、トレーナーの生活をより手厚く保障していく。云々。
「さんまんえん!」
 それを聞いて、セッカはぴゃあと跳び上がった。ピカチュウもよく分からないながら、上機嫌に鳴いている。
 ローザを取り囲んでいた聴衆の中で、トレーナーは盛んに拍手している。
 ヒトカゲを抱えたレイアは、ちらりとモチヅキを窺った。
 頬杖をついたモチヅキは、じろりとレイアを睨んだ。
「何か?」
「え、いや……あんた、あれ、どう思う?」
「月々三万の給付のことか。どこからそのような金をひねり出すか、聞きたいものだ」
 モチヅキは軽く鼻で笑っている。
「そなたらにとっては良い知らせであろうが。あの女に投票してはどうだ?」
「……いや……なんで」
「何が給付だ。所詮ただの人気取りに過ぎぬ。……無知な若いトレーナーに付け込んで票を狙う者が、近年増えた」
 モチヅキは感情のこもらない声でそう言い捨て、席から立ち上がる。そのまま立ち去った。



 21番道路へのゲートが封鎖されているということで、レイアとセッカもハクダンシティで足止めを食らうほかなかった。仕方なくポケモンセンターに部屋をとり、手持ちのポケモンの特訓に繰り出す。
 手っ取り早い方法は、ハクダンジムに行くことだ。
 レイアもセッカも既に、ハクダンジムのジムリーダーであるビオラには勝利し、バグバッジを手に入れている。しかしかといって、その後ジムに出入り禁止となるわけではない。ジムはトレーナーの修行の場だ。トレーナーとバトルし、ポケモンを鍛えつつ、そして賞金を稼ぐにはうってつけの場所である。
「どーも」
「こんちは」
 レイアとセッカがそれぞれ六匹の手持ちを連れてハクダンジムに入ると、休憩していたジムトレーナー達の注目を集めた。初心者向けのジムであることもあって、まだまだ初々しそうな短パン小僧やミニスカートが多い。
「ビオラさん、いる? ジムリーダーに稽古つけてほしいんすけど。賞金ありのバトル」
 セッカが彼らに声をかけると、ミニスカートが走ってジムの奥に走っていった。
 間もなく、肩からカメラを提げ、ブロンドをバレッタで留めた女性が、ジムの奥から走ってでてきた。

「はいはいはい! お待たせしましたー……って、四つ子ちゃんじゃない! ……の中の二人? だよね?」
 ビオラは朗らかに笑いながら、レイアとセッカの前まで歩み寄る。レイアとヒトカゲ、セッカとピカチュウもビオラに挨拶した。
「どうも、ご無沙汰してるっす」
「ども!」
「双子のイーブイの記事見たよー! あと姉さんから聞いたわ、君たち爵位持ってないって? もったいないなぁ、あたし推薦するよ!」
 ビオラはにこにこと笑いつつさっそくファインダーを覗き込み、レイアとヒトカゲとセッカとピカチュウの写真をぱしゃぱしゃと数枚撮った。レイアとセッカは一枚目を撮られるや否や、真顔になった。
 ビオラが頬を膨らます。
「こら、もう、笑ってったらー。……むー。君ら写真嫌いなわけ? 姉さんの記事ではいい顔してたのにさぁ!」
「……なんかパシャパシャ鳴ったり、光ったりすると、身構えるっつーか……」
「んーうんうん慣れだよ慣れ! さ、バトルでしょ、ポケモン出して出して! シングル? ダブル? トリプル? ローテーション? それともマルチ?」
 そう自信ありげに微笑むビオラは、つまりどのルールのバトルでもレイアやセッカと渡り合えるほどのパーティを用意してきたのだ。
 レイアとセッカは一瞬だけ顔を見合わせた。
「せっかくなんで、俺ら二人でダブルで。ビオラさんの方はお一人でもお二人でも」
「オッケー! じゃあ私一人でやったろうかな!」
 ビオラは笑いながらリストバンドを直した。そして、セッカとレイアがそれぞれボールを構えると、ビオラは待ち構えていたかのようにカメラを手にして、写真を撮りまくる。
「ぎゃあー!」
「うわっ」
「うん、いいんじゃない、いいんじゃないの! 強くなったんだよね、四つ子ちゃん! じゃあ前とは違うとこ、見せてもらおうかしら!」
 ビオラはボールを二つ手に取ると、同時にそれらを高く投げ上げた。
「シャッターチャンスを狙うように、勝利を狙っていくんだから! アメモース、ビビヨン!」
「行くぞ、アギト」
「がんばれ、真珠」
 そしてセッカはガブリアスを出した。
 レイアは、薄色のリボンを耳に巻いた、小さなイーブイを出した。

 小さなイーブイを、ジムリーダーとのバトルの場に出した。

 小さなイーブイが、てちてちと細い足で、おっかなびっくりといった様子でバトルの場に立った。
 あら、とビオラが表情を崩す。
 セッカは顎を落とし、そして赤いピアスの片割れに詰め寄った。
「なんで!? ねえなんで!!?」
「サポート頼むぞ、セッカ。とりあえずアギトに地震撃たせたら、シメる」
「ダブルじゃ撃たないけども! ねえ、なんでイーブイなの!? どうして!!?」
 セッカは涙目になるも、レイアはどこ吹く風である。
 ビオラが笑顔でパシャパシャと小さなイーブイの写真を撮ると、イーブイはとうとう足をぷるぷると震わせた。
 大勢のジムトレーナーの注目を集めていることもあるし、また目の前の二体の蝶形のポケモンはえもいわれず恐ろしい。花園の模様のビビヨンの羽ばたきはイーブイにとって十分威圧的であったし、何よりアメモースの目玉模様の触角にイーブイは怯え切っている。
 セッカは絶叫する。
「――ほらぁっ、ろくに立てもしないじゃあああんっ」
「ようし、そろそろ始めましょ! アメモース、銀色の風! ビビヨンは蝶の舞!」
「真珠、手助け!」
「ああもうっ、アギト、真珠を庇って! ストーンエッジ!」
 ビオラがいち早くアメモースとビビヨンに指示を飛ばす。二体の虫ポケモンは宙を華麗に舞い、そしてアメモースは鱗粉を乗せた暴風を巻き起こした。
 セッカのガブリアスが、レイアのイーブイの前に立ちはだかる。銀の突風からその巨躯でイーブイを庇った。
 そのガブリアスの尻尾に飛びつくように、イーブイが手助けの力を流し込む。ひどく緊張はしていたが、レイアの声に励まされてどうにか動けたというところであった。
 ガブリアスが跳躍する。その尻尾に、イーブイが吹っ飛ばされてころころ転がる。
「ビビヨン、シャッターチャンス!」
 ビオラが鋭く叫んだ。
 花園の模様のビビヨンが、暴風を巻き起こす。ガブリアスをその複眼で捉え、押し戻す。
 しかし、イーブイの力を得たガブリアスは、暴風に吹き飛ばされつつも怯むことなく岩を生み出し、黄金の瞳で敵を見定めると、風速や敵の動きを読んで岩を打ち出した。
 数多の尖った岩が、アメモースを巻き込みつつ、ビビヨンをも吹き飛ばす。
 ビオラが唖然とした。
「……あ……っと、暴風の中でそんな」
「真珠、尻尾でも振っとけ」
「アギトまだだぞ、ドラゴンクロー!」
 レイアはイーブイの緊張を解すためにも適当な指示を下し、セッカは油断なくガブリアスに追撃を命じる。
「――アメモース、冷凍ビームよ!」
 地に着き、再び大きく跳躍したガブリアスに、体勢を立て直したアメモースが照準を合わせている。
 ガブリアスが早いか、アメモースが早いか。
「ビビヨン、イーブイにフォーカス! サイケ光線!」
 ビオラはアメモースを信じ、もう一方で体勢を整えていたビビヨンに攻撃を命じる。
「砂かけ」
 小さなイーブイが硬直する間もなく、レイアは短く、しかしはっきりと指示を下した。
 イーブイは死に物狂いで、後ろ足で砂を巻き上げた。砂煙がもうもうと立ち上る。
 一方では、アメモースの放った強い冷気が、ガブリアスを飲み込む。
 ビビヨンの複眼が、砂煙の中にイーブイを一瞬見失う。
 凍り付きながらも、ガブリアスの跳躍の勢いは止まなかった。
 イーブイはとうとうへたり込む。
 ガブリアスが宙のアメモースを叩き落とし、自身が地に下りる勢いでビビヨンを爪にかけ、そして地に叩き付けた。


 二体の蝶形のポケモンは、地に伏し目を回している。
 ああ、とビオラが息をついた。小さく項垂れる。
「…………あたしの負け、か。……お疲れさま、アメモース、ビビヨン」
 そしてレイアとセッカも、大きく息をついた。
「ああ、あっぶねー……!」
「ほんと、やばかった……!」
 体の大半を氷漬けにしながらも、ガブリアスがのしのしとセッカの傍に戻ってくる。セッカはガブリアスの鮫肌も気にせず、飛びついた。しかしさすがにピカチュウはセッカの肩から飛び降りた。
「アギト、かっこいいよー! ほんと大好き!」
「ぐるるるる」
「お疲れさん、真珠」
 薄色のリボンのイーブイは、まだフィールド上でぺたりと座り込んでいた。それにレイアが近づき、ひょいと両手で背後から抱え上げる。
 くるりと小さなイーブイを反対向きにし、正面から向き合った。レイアは笑顔を浮かべてやる。
「真珠、いいバトルだったぞ。よくやった。この調子で頼むな」
「……ぷい!」
 小さなイーブイが笑顔になり、小さく頷く。
 そしてその小さな体が、レイアの手の中で白い光を放ちだした。
「あ――」
「進化だぁ!」
 セッカが笑顔で叫ぶ。ビオラが息を呑んでカメラを構え、シャッターを切る。
 レイアの手の中の温かく柔らかい感触は、光に包まれ、変わらないような、分からないような。ただ輝く影は形を変え、ハクダンジムの天窓から射す光を吸収した。
 そして真珠は、エーフィに姿を変えた。
「……ふぃい?」
「…………おお」
 レイアは嘆息した。
 ビオラが笑顔で拍手をすると、ハクダンジムのトレーナー達もそれに倣って拍手し、進化を称える。
セッカがガブリアスの腕の中で飛び跳ねて喜ぶ。
「エーフィだ! どうれーや、ふわふわ? ふにふに?」
「ふわふわ……だ……」
 エーフィの毛並みは、朝の東雲のような薄紫色である。額には太陽を思わせる赤い結晶。濃紫の瞳は神秘的に深く透き通っている。
「…………うおお……おめでとう、真珠」
「ふぃいい?」
 エーフィは暫く、長く細く伸びた自分の尻尾をゆらゆらと振って首を傾げていたが、やがてレイアの胸に頭をこすりつけた。
 セッカも、ビオラも笑顔になる。
「やったーっ!」
「おめでとう、レイア君! あたし、エーフィに進化するとこ初めて見たわ!」
 ビオラは胸元でカメラを大切そうに抱える。
「今日は来てくれてありがと。いい写真がいっぱい撮れて、すっごくよかった! あなたたち、ポケモンたちともサイコーのコンビだし、あなたたち二人もサイコーのコンビだよね!」
 レイアとエーフィ、セッカとガブリアスは照れたように笑う。その表情をすかさずビオラはカメラに収めた。
「今日は負けちゃったけど、次は四つ子ちゃんのコンビに負けないようバトルの腕を磨いてるわ。バトルシャトーにもぜひ寄ってね!」
「うす」
「ありがとーございます!」
「はい、二人に賞金。シャトーでもいいけど、絶対にまたバトルしてよね! もうすっごく悔しいんだから!」
 ビオラはレイアとセッカに笑いかけると、レイアの腕の中のエーフィに小さく手を振った。
「おめでとね、エーフィちゃん。じゃあ四つ子ちゃん、次までには写真に慣れておいてよね! 元気で!」
 レイアとセッカはビオラに会釈し、ジムから出ようとした。
 しかし踵を返したところで、一人分の拍手が鳴り響いた。
 二人は目を点にする。

 ハクダンジムの入り口近くに立っていたのは、噴水広場で演説を行っていた女性政治家、ローザだった。ロズレイドとシュシュプを連れている。
 シュシュプの芳香が辺りに漂う。
 ローザはコツコツと靴音を響かせながら、笑顔でレイアの前に立った。ヒールのある靴を履いているせいかもしれないが、背の高い女性だった。
「先ほどのバトル、最後だけでしたが見ていましたよ。小さなイーブイも強敵を相手に素晴らしい健闘ぶりで、さらにはエーフィへの進化。本当におめでとうございます」
「あ……どうも」
 レイアは気まずげに応える。てっきり、エーフィへの進化の祝福は先ほどひと段落ついたとばかり思っていたのだ。
 ローザは政治家らしく、よく通るしっかりとした声をしていた。
「わたくし、政治家をしております、ローザと申します。エーフィへの進化をお祝いして、わたくしからもほんの気持ちです。どうぞ受け取ってください」
 短い茶髪の女性はそう言うと、手にしていたバッグから封筒を取り出した。レイアが何気なくそれを受け取ると、それは随分な厚みがある。
 レイアが奇妙な顔になる。レイアの足元にいたヒトカゲが、不思議そうにレイアを見上げてきゅうきゅう鳴いた。レイアはしゃがんでヒトカゲも片手で抱き上げる。
 ピカチュウを肩に乗せたセッカも、それを覗き込んだ。息を呑み、唾をごくりと飲み込む。
「……まさか……お金?」
「セッカ……!」
 両腕にヒトカゲとエーフィを抱えたレイアが眉を顰めて諌めるが、ローザは小声で笑った。
「ええ、ほんの気持ちです。素晴らしいバトルでした。よかったらポケモンセンターまでご一緒しても構いませんか? 才能あるトレーナーさん」
 ローザは眼鏡の奥で、美しい笑みを湛えていた。



 レイアとセッカ、そしてローザはポケモンセンターの食堂で、夕食を共にした。
 そしてローザはまずセッカに向かって頭を下げた。
「ピカチュウを連れた貴方は、セッカさん、ですね。妹が無礼をしました」
「へ?」
 セッカはぽかんとして首を傾げる。レイアも何事かと目を白黒させている。
 するとローザは苦笑した。
「ショウヨウシティの、セーラを覚えておいでですか? わたくしの妹です」
「え? ええっ!? セーラのお姉さんっすか!!?」
「はい、セーラの姉です」
 ローザがにこりと微笑む。
 セッカは一人でぴゃああと騒ぎだし、レイアがその頭を小突いた。
「おいてめぇ、説明しろや」
「ああうん、セーラはね、セーラは……うん、好敵手……かな」
「は?」
「俺はセーラを認めてはいる!」
 セッカはガッツポーズを作った。食卓にあることも忘れて語る。
「奴とは自転車や10万ボルトやビンタや罵詈雑言、そして痴漢逮捕、ジャージの上着……によって語り合った、因縁の間柄だよ」
「んだよセッカお前、セクハラしたのか?」
「してないもん!」
 セッカがぴゃあと叫ぶ。喧嘩の始まりそうなレイアとセッカの間に、ローザが割って入った。
「ええ、セッカさんの仰ったことは真実です。セッカさん、セーラは深く反省していました。どうか妹をお許しください」
「え、いや、まあ過ぎたことっつーか」
 セッカは頷き、その件については気にしていない意を示した。
 レイアが軽く首を傾げる。
「ああ、じゃああんた、それでセッカのこと捜してたわけだ? この金にセッカへの謝礼も含まれてる?」
「いえ。こちらはセッカさんと話をしてから、お渡ししようと考えていました。遅くなってすみません。どうぞ、セッカさん」
 そしてローザは、セッカにもレイアと同様の厚みを持った封筒を差し出したのである。
 セッカは唖然とした。
「……え?」
「妹が、大変ご迷惑をおかけしました」
「え、だから、いいって……」
 セッカが突然降ってわいた大金に戸惑っていると、ローザは話題を変えてしまった。
「エイセツシティ方面へのゲートが封鎖されているそうですね?」
「あ、そうっす。落石だそうで、俺らも足止め食らってて……」
 レイアがそう相槌を打つと、ローザは溜息をついた。
「……そうですか。実は、わたくし、とあるホープトレーナーとこの街で待ち合わせをしていまして。そのホープトレーナーがエイセツシティの方から来る予定で。このままだと……」
 ローザは苦笑していた。セッカは無頓着に疑問を投げた。
「ローザさんは、トレーナーと仲良し?」
「そうですね。そのトレーナーは、両親に見放されてしまったのです。なので、わたくしが後援しているエリートトレーナー事務所に掛け合い、ホープトレーナーとして援助を受けられるよう働きかけた子でして……」
 セッカは既にローザの話についていけなくなっていた。
 レイアが溜息をつく。
「つまり、ローザさんが面倒を見ているホープトレーナーが、このままではハクダンに来れねぇ、と」
「そうなのです。しかもあの子、今時ホロキャスターも持たない……というか、持たせてもすぐ壊してしまいまして、連絡も取れません。……21番道路の落石に、巻き込まれていなければいいのですが」
 レイアとセッカは、今時のトレーナーはホロキャスターを所持するのが当たり前であるらしいことにショックを受けていた。古風な養親に育てられたためか、どうにも四つ子は世間知らずな部分があって、旅先でたびたび困惑することがある。
 しばらく三人は、黙って夕食を口に運んでいた。
 ローザは、ほぼ見ず知らずの相手にもポンと大金を渡せるような人間だった。そのような人間に支援してもらい、さらにはホープトレーナーに認定してもらえるなど、幸運の極みだろう。
 レイアもセッカも、そのホープトレーナーが妬ましかった。
 四つ子も、両親から見放されたようなものだ。養親のウズや、細々としたことについて面倒を見てくれるモチヅキはいても、この二人は四つ子に肉親の愛情を注いでくれることはない。四つ子に、厳しく貧しい旅の暮らしを強いているのだ。
 同じ見放された子供の中にも、不平等は存在する。
 そのことが、レイアとセッカには辛かった。ローザから何気なく受け取った大金が重かった。

 しかし、二人がシンクロして気落ちしかけていたときである。
「あら?」
 ローザが腰を浮かせた。
 レイアとセッカも顔を上げる。
 ポケモンセンターの食堂に、少年がのろのろと入ってくる。
 赤髪。褐色の肌。水色の瞳。裸の上半身にホープトレーナーの制服を申し訳程度に引っかけ、裾の広いズボンはボロボロである。
 びくりと、レイアとセッカの二人は同時に肩を揺らした。
 深紅のアブソルのねじくれた鎌が、二人の脳裏によぎる。
 ローザが赤髪の少年に近づき、明るく声をかけた。
「よかった、――リュカ」
「ああ?」
 リュカ――榴火はのんびりと首を巡らせた。顔を上げ、ローザを凝視した。そしてヒトカゲとピカチュウをそれぞれ膝に乗せた互いにそっくりな二人のトレーナーを認めると、彼は目を閉じた。
 そのまま何も言わず、くるりと振り返って食堂からさっさと出ていった。
 それだけだった。
「どうしたの、リュカ」
 ローザが心配そうな声音で、少年を追う。レイアとセッカを振り返る。
「ごめんなさい、わたくしはリュカを。……本当にすみません! お支払いは済ませておくので、どうぞごゆっくり」
 それだけ言って、薄紅色のスーツの女性は、勘定を済ませるなり、赤髪の少年の後を追って食堂から出ていってしまった。
 レイアとセッカは、呆気にとられていた。
 ヒトカゲとピカチュウが不安そうに鳴いて、ようやく二人は、互いに同じ顔をしていることに気が付いた。


 レイアは、崖から落ちる時に見たあの顔、夜の窓ガラスに張り付いたあの顔を思い出している。
 クノエで四つ子の片割れたちと再会して、ようやくまともに食事が喉を通るようになり、安眠できるようになった。二手に分かれても、いつも二人は一緒だ。独りは怖いからだ。
 セッカは、燃え盛る図書館の中で見たあの顔を思い出している。
 禍々しい、色違いのアブソル。あれに出会うと、災厄に巻き込まれる。人も死ぬ。ポケモンも死ぬ。
 遠く懐かしい昔、ウズが、逃げろと言っていた。
 セッカは早口で囁いた。
「レイア、逃げよ」
「……セッカ」
「逃げよう。早く逃げよう。アブソルだぞ」
 セッカはレイアの手を握る。
「21番道路の落石だって、どうせあいつのアブソルがやったに決まってるんだ……。なあ、レイア、ローザさんがあいつ捕まえてる間に、行こう、今なら大丈夫だから」
「でもセッカ、もう日が暮れる」
「逃げる、んだ」
 セッカはぐい、とレイアに詰め寄った。
 レイアは顔を歪めた。
「……お前、あいつ、嫌な感じするか?」
「レイアが思ってんのと同じだよ。さ、行こう。猛ダッシュでエイセツに行こう」
 そう言い切ると、セッカは夕食はしっかりと最後までかきこんだ。レイアとヒトカゲとピカチュウを急かし、立ち上がる。
 レイアの手を引っ張るように、さっさとポケモンセンターにとっていた部屋を解約して、荷物を持ってハクダンシティを出た。
 日が沈み、月が昇る。
 ヒトカゲを脇に抱えたレイアと、ピカチュウを肩に乗せたセッカは、手を繋いで夜の道路を渡る。野生のポケモンは無言のうちにヒトカゲやピカチュウが追い払い、ただひたすら二人は東を目指す。ゲートを守るトレーナーはいなくなっていた。21番道路のデルニエ通りに出る。
 月明かりを頼りに、整備された道を下り、橋で川を渡る。一切の寄り道をしなければ、一、二時間も歩き続ければエイセツシティには着く。
 雪。
 ブーツで雪を踏んだ。きしきしと音がする。
 寒かった。
 レイアとセッカは逃げるようにして、とうとう夜のエイセツに辿り着いた。


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